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プロフィール |
コメント数 |
23 |
性別 |
男性 |
自己紹介 |
点数は一応表記してますが、それはこのサイトの方針ゆえやむをえずって感じで理解して下さい。作品を総合して点数をつけるのではなく、単なる好みで判定しています。むしろ、テキストを読んでくれることを願っています。
苦手な映画のジャンルは、ホラーです。
現代日本映画とバイオレンス映画が好み。
好きな作品:スカーフェイス,ゴッドファーザーシリーズ,ヒストリー・オブ・バイオレンス,クラッシュ,シティ・オブ・ゴッド,スナッチ,ロック・ストック・アンド・トゥースモーキング・バレルズ,バートン・フィンク,ブルース・ブラザース /ソナチネ,BROTHER,AKIRA,天空の城ラピュタ,殺し屋1,サブ(SABU)
好きな男優:浅野忠信,アル・パチーノ,ベニチオ・デル・トロ
好きな顔の女優:小雪,鈴木京香,広末涼子,天海祐希,ナタリー・ポートマン
くそったれブログ: http://blogs.yahoo.co.jp/do_you_like_violence |
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21. ジャッキー・ブラウン
タランティーノが普通の映画を撮った。タランティーノ監督による普通の映画は余り観たくないので、前二作と比較すると興味を逸しますし、雑感も劣る。とはいえいつも通りのオタクらしさをぷんぷん匂わせるところは好きです。主演女優パム・グリアーが、今回のシネフィルたるタランティーノを教えてくれるのですが、DVDの特典映像で語っているように、彼女は一昔前のタランティーノにとっての超女優だったらしい。そのために、映画はグリアーを中心に一昔前にタイムスリップしているようなノスタルジーがあります。タランティーノのオタクぶりは、『パルプフィクション』で再び光を浴びたJ.トラヴォルタのように、昔に戻るのではなくて、タランティーノ流に役者を料理する了見の狭さに生かされていたと思います(誉めてるんですよw)。しかし今回の『ジャッキー・ブラウン』では、逆にパム・グリアーに仕えているような違いがあります。それは今回デ・ニーロやフォンダのような、タランティーノから見たら正統派をタランティーノ流に料理する代わりに、パム・グリアーを昔のままに活かすという対比によって、面白さを出すための効果だと思います。デ・ニーロたちは最近落ち目ですが、消えてはいなし、タランティーノのオタクぶりを示すほど発掘し甲斐のある人たちでもない。そんな人たちを、自分のオタク的な流儀で描かせて、その対比で今度は発掘し甲斐のある人=グリアーを昔のままに描くのは、これまでのタランティーノにはなかった手法ではないでしょうか?『パルプ~』でも、ブルース・ウィリスの設定に感心しましたが、今作のように、対比で描いたことはなかったと思います。そういう意味であいかわらずタランティーノ作品って面白いなと思いました。8点(2004-06-02 19:14:24)(良:1票)
22. 刑務所の中
他の方も書いてるんだけど、原作者の花輪って、漫画家の目線で刑務所を描いているわけだね。だから面白く映る。だけど映画は、漫画家じゃなく一市井人としての被告の刑務所生活を描いているからイマイチ面白くないんだと俺は思う。ただ淡々とした刑務所生活を描いてるってだけで、原作を前にすると随分落ちるな、という印象を持ってしまう。俺は漫画家なんだという強調が欲しかった。劇的な刑務所生活なんて、もう飽きた、というのは分かるし、そんなに日常生活が劇的じゃないんだし、いくら刑務所という異空間といってもそんな劇的な訳ないというのは分かる。分かるけど、だからといって淡々としている生活を見ても仕方ないわけで。アーティスト・花輪和一の漫画家としての細かさとかユーモアとかが、原作を読むと伝わってくるが、それをただの市井人として描くってのは魅力をそいだ格好になってしまうと思う。
何でこんなに余裕を持って客観的に見られるのかな、という疑問を破るには、漫画家なのだ、という枠組を持ってくることが一番簡単なので、それを映画の中でも持続して持ってもらいたかったな。そうすると見沢知廉の小説『囚人狂時代』の様に笑いながら刑務所の生活観を味わうことができたのに。見沢の場合は独善的な主人公が文学者だという自負を持って刑務所生活を記述する面白さがあって、それは原作とも共通した。刑務所の意味不明の規律なんかも笑いに転じられていて、ホントに「刑務所の中」を娯楽化するってこういうことなんだな、と思えた。映画はそれを忘れているんじゃないかな。刑務所生活で味わえるちょっとした嬉しさを描いて、ある種極限の中の癒しみたいなのを描いてるけど、それも漫画家たる視点があってこそ面白味を持つ(実際に漫画家じゃなくても良い。つげ義春みたいな感覚でもあればOK)。そういう穿ちをできるのは、アーティスト的な感性を持つ人だろうし、観客はそこに共感するだろうと思うんだけどね・・・[映画館(字幕)] 4点(2004-06-02 18:51:10)(良:1票) 《改行有》
23. 模倣犯
邦画は娯楽を作れなくなったんでしょうか?
「en‐taxi」という雑誌で斎藤環が苦言を呈してましたが、確かに邦画は「画面が暗い」ために面白くないです。アート系だったらそれでもいいんですが、娯楽映画の場合は人物と背景の違いがハッキリしてくれんと困る。本作『模倣犯』の様に、背景の薄暗さに人物が溶け込んじゃうようではダメなんです。この映画は人物で見せる映画なのですから、時刻が夕刻であろうとなかろうと人物を背景から浮び上がらせる位に意識的に明かにしてもいい。都市の犯罪という人間的な現象を描く時に、人物がぼんやりと銀幕に映ってしまうのは、サスペンス映画を何と心得るか分かりませんね。
それでも、背景に飲まれる人物だったらいいかもしれない。「模倣犯」という現代の犯罪を描くんであれば、背景の力に犯罪者が生み出されるって意味での飲まれ方だったら面白いかもしれない。ただ、それだって背景に溶け込んじゃうとやっぱりつまらんと思うんです。背景に飲まれたとしても、人物の存在感は大きくないとつまらんのです。背景に飲まれっぱなしではなくて、飲まれた後、人間が驚くのは犯罪者の凄味ですから、犯罪者の存在が大きくないとダメだし、犯罪者に打ち克とうとする人物の存在が大きくないとダメです。
本作では「画面の暗さ」によって映画が人物をクローズアップさせることができない。背景がどうにも目立ってしまう。だけど娯楽映画で人物がかすむのは致命的です。客は人物と人物とのコミュニケーションを見に来るんですから。特に「模倣犯」という題材といい、雑多な出演陣といい、人間をクローズアップさせたいことは明瞭じゃないですか。それなのに、なぜ画面を暗くして人物の存在感をかすませるのでしょうか?こんなんだから邦画の娯楽映画はつまらんのです。『踊る大捜査線』はそういう意味で逆なので、ヒットしたんだと思います、私は。2点(2004-06-02 10:38:13)《改行有》
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