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プロフィール |
コメント数 |
23 |
性別 |
男性 |
自己紹介 |
点数は一応表記してますが、それはこのサイトの方針ゆえやむをえずって感じで理解して下さい。作品を総合して点数をつけるのではなく、単なる好みで判定しています。むしろ、テキストを読んでくれることを願っています。
苦手な映画のジャンルは、ホラーです。
現代日本映画とバイオレンス映画が好み。
好きな作品:スカーフェイス,ゴッドファーザーシリーズ,ヒストリー・オブ・バイオレンス,クラッシュ,シティ・オブ・ゴッド,スナッチ,ロック・ストック・アンド・トゥースモーキング・バレルズ,バートン・フィンク,ブルース・ブラザース /ソナチネ,BROTHER,AKIRA,天空の城ラピュタ,殺し屋1,サブ(SABU)
好きな男優:浅野忠信,アル・パチーノ,ベニチオ・デル・トロ
好きな顔の女優:小雪,鈴木京香,広末涼子,天海祐希,ナタリー・ポートマン
くそったれブログ: http://blogs.yahoo.co.jp/do_you_like_violence |
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21. フェイス/オフ
ジョン・ウーの映画ってこれしか観た事ないんですが・・・合わないかもしれない。センスのある映像ではあると思うのですが、アクションシーンがいかんせん退屈過ぎる。もっと痛い暴力を観たいし、駄目ならもう少しありえそうな路線でアクションを描いて欲しいです。爆発爆発続きで、銃と銃を向け合うシーンのシークェンスも見ていて醒める一因になっています。この劇的な演出を作るために、色々セッティングしてる感じが画面が匂ってくる。いや~、いつになったら闘い終わるんだろって感じで、見せつけるために延々と長く物語をさらしているあざとさが何とも嫌です。あと、俳優陣にも難癖。安部公房の『他人の顔』にヒントを得た、人間と人間が逆になる発想はいいのですが、これを描きたいがために、最良の悪役たるニコラス・ケイジが善人を演るという失策をしてしまっています。ケイジは上手いので、善人もできるのですが、相手が何をやっても「ジョンになる」というトラヴォルタなので、彼を悪役にするならケイジを悪役にしてくれ・・・と思ったので残念でした。特にケイジは、序盤、教会で女のケツをさわりながら絶叫するシーンを演じていて、コミカルな悪役でカッコイイなあと思っていただけに落胆。トラヴォルタも悪くないのですが、『パルプ~』の頃の汚さがとれちゃって普通のおっちゃんになってしまっています。5点(2004-06-02 19:36:11)
22. ジャッキー・ブラウン
タランティーノが普通の映画を撮った。タランティーノ監督による普通の映画は余り観たくないので、前二作と比較すると興味を逸しますし、雑感も劣る。とはいえいつも通りのオタクらしさをぷんぷん匂わせるところは好きです。主演女優パム・グリアーが、今回のシネフィルたるタランティーノを教えてくれるのですが、DVDの特典映像で語っているように、彼女は一昔前のタランティーノにとっての超女優だったらしい。そのために、映画はグリアーを中心に一昔前にタイムスリップしているようなノスタルジーがあります。タランティーノのオタクぶりは、『パルプフィクション』で再び光を浴びたJ.トラヴォルタのように、昔に戻るのではなくて、タランティーノ流に役者を料理する了見の狭さに生かされていたと思います(誉めてるんですよw)。しかし今回の『ジャッキー・ブラウン』では、逆にパム・グリアーに仕えているような違いがあります。それは今回デ・ニーロやフォンダのような、タランティーノから見たら正統派をタランティーノ流に料理する代わりに、パム・グリアーを昔のままに活かすという対比によって、面白さを出すための効果だと思います。デ・ニーロたちは最近落ち目ですが、消えてはいなし、タランティーノのオタクぶりを示すほど発掘し甲斐のある人たちでもない。そんな人たちを、自分のオタク的な流儀で描かせて、その対比で今度は発掘し甲斐のある人=グリアーを昔のままに描くのは、これまでのタランティーノにはなかった手法ではないでしょうか?『パルプ~』でも、ブルース・ウィリスの設定に感心しましたが、今作のように、対比で描いたことはなかったと思います。そういう意味であいかわらずタランティーノ作品って面白いなと思いました。8点(2004-06-02 19:14:24)(良:1票)
23. 模倣犯
邦画は娯楽を作れなくなったんでしょうか?
「en‐taxi」という雑誌で斎藤環が苦言を呈してましたが、確かに邦画は「画面が暗い」ために面白くないです。アート系だったらそれでもいいんですが、娯楽映画の場合は人物と背景の違いがハッキリしてくれんと困る。本作『模倣犯』の様に、背景の薄暗さに人物が溶け込んじゃうようではダメなんです。この映画は人物で見せる映画なのですから、時刻が夕刻であろうとなかろうと人物を背景から浮び上がらせる位に意識的に明かにしてもいい。都市の犯罪という人間的な現象を描く時に、人物がぼんやりと銀幕に映ってしまうのは、サスペンス映画を何と心得るか分かりませんね。
それでも、背景に飲まれる人物だったらいいかもしれない。「模倣犯」という現代の犯罪を描くんであれば、背景の力に犯罪者が生み出されるって意味での飲まれ方だったら面白いかもしれない。ただ、それだって背景に溶け込んじゃうとやっぱりつまらんと思うんです。背景に飲まれたとしても、人物の存在感は大きくないとつまらんのです。背景に飲まれっぱなしではなくて、飲まれた後、人間が驚くのは犯罪者の凄味ですから、犯罪者の存在が大きくないとダメだし、犯罪者に打ち克とうとする人物の存在が大きくないとダメです。
本作では「画面の暗さ」によって映画が人物をクローズアップさせることができない。背景がどうにも目立ってしまう。だけど娯楽映画で人物がかすむのは致命的です。客は人物と人物とのコミュニケーションを見に来るんですから。特に「模倣犯」という題材といい、雑多な出演陣といい、人間をクローズアップさせたいことは明瞭じゃないですか。それなのに、なぜ画面を暗くして人物の存在感をかすませるのでしょうか?こんなんだから邦画の娯楽映画はつまらんのです。『踊る大捜査線』はそういう意味で逆なので、ヒットしたんだと思います、私は。2点(2004-06-02 10:38:13)《改行有》
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