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【製作年 : 1980年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順12345678910
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21.  機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編 《ネタバレ》 初見は劇場公開時、人生初の単独上映観賞作品。 新規作画多数。新設定でナンバリングされたガンキャノンが2機に。ギレンに美人秘書が、ララアの軍服、セイラの入浴シーンと見どころが多い本作。 オープニングのキャメル艦隊戦、スクランブル発進の慌しさに対し静かな音楽、やけに落ち着いたアムロと鳥肌モノの演出が映える。 ただ、初期の第2次世界大戦みたいな世界観から、ニュータイプが連呼されてオカルトっぽさが増してきたのと、登場人物がほとんど軍属で、戦場が舞台になっているので、サイド6編はあるけど、一般人目線での楽しみは少なく思う。 “白い奴”。敵が恐れる程の怪物となったアムロは、行方不明だった父と再会するが、父は自分や母への関心をすっかり失っていた。 守るべき人も故郷もなく、ようやく出来た愛する人を殺してしまったアムロは、自分の能力を戦争を終わらせるため、ザビ家を倒すために使うことにする。 一方ララアを失い、アムロにも勝てなかったシャアにとって、キシリアを殺すことは目的ではなくなっていた。ザビ家を倒すことよりニュータイプの未来を見てみたいというのはシャアの本音だったと思う。 若者が社会で突出した能力を発揮すると、自分よりちょっと劣るが有能だった先輩に、突然ヤキを入れられることがある。最後にシャアがアムロに挑んだ白兵戦がそれかもしれない。『究極のセールスマンは、落ちている石ころすらも売れる』と言うが、言い換えると『商品・売り物に依存しない』と言う意味らしい。ガンダムの操縦能力だけがアムロの考える自分の存在理由だったから、それを使って世の中の為に戦争を終わらせ、ララアのもとに行く。まるで社会人が、退職後のハワイ旅行だけを楽しみに休みも取らず会社のために命を削るようなもの。戦争の元凶が滅び、アムロは父の作ったガンダムを捨て、母に会いに行ったコア・ファイターすらも捨てて、生きて帰るべき所、自分にとって本当に大事なものを見付けられたエンディング。『ビギニング』そして『めぐりあい』と、挿入歌のタイミングも神がかっている。 アムロの脱出を誘導するカツ・レツ・キッカ。戦場で能力に目覚めたという解釈が一般的だろうか?彼らはこの誘導以前に、Ⅱでガンダム工場の爆弾を全部外したり、アムロに爆発のタイミングを叫んだり、脱走するコズン少尉を先回りしてトラップ仕掛けたり、そもそもⅠのサイド7で一緒に行動していた親が死んだのに、この歳の子どもがピンピン生きていたことも、彼らこそが本当の意味(殺し合いの道具じゃない)での生まれながらのニュータイプだったからだと思う。ジオン・ダイクンが提唱し、両軍が研究している謎の新人類ニュータイプ。アムロら少年少女が、悩み苦しみながら覚醒する能力。でも次世代の幼い子どもたちは、当たり前に、生まれながらのニュータイプ(しかも無自覚)だった。というのがこの作品最大のオチだと思う。 『宇宙世紀0080、この戦いの後 地球連邦政府とジオン共和国との間に終戦協定が結ばれた』 TVと共通のナレーションが、戦争の終わりをアッサリと伝える。これでガンダムの物語は終わった。その後は戦争(グリプス戦争とかネオ・ジオン紛争とか)の無い、ニュータイプの作る平和な世界が生まれた。 …だけど再放送から爆発的な人気になり、アニメを見ない大人までも巻き込んで社会現象になる。ガンプラ、グッズ、SF考察、コスプレ集会。そんな中で作られたこの三部作映画の最後、富野監督から英語のメッセージが入る。 ~そして、今は皆様ひとりひとりの未来の洞察力に期待します~ という意味だそうだ。大人にまで広がったこのブームは、監督には予想外だったんじゃないだろうか?少年少女の成長のために作ったものを、大人の事情でほじくり返して、また作らされる。自分の意図しない売れ方は面白くなかったに違いない。 だとしたらあの英文は「みんな誰でもアムロみたいなニュータイプになれるんだよ」と言う優しい言葉というより、「さぁガンダムブームは終わったよ。アニメに夢中になるのはやめて、学校や会社で頑張るんだよ」という、歪んだ社会現象に対する監督からのメッセージに思える。 当時は今以上に英語が生活に浸透してない時代。辞書片手に英語が読める歳になったら、俺の言いたいこと解るだろう。というメッセージ。 だから、富野喜幸(本名)が作りたかったガンダムは、ここで終わり。 以降作られる富野由悠季(ペンネーム)のガンダムとは、切り離して観てください。[映画館(邦画)] 9点(2021-01-09 20:03:54)《改行有》

22.  機動戦士ガンダム 《ネタバレ》 テレビアニメに少し新規作画を加えて編集した劇場版だから、映画としての評価が難しい。けど、ガンダム三部作以外に、こんな特殊な制作過程を経た映画を評価する機会は少ないと思うのと、私自身、重度のガンダム好きなので、シリーズの広がりや、映画では描かれていない設定にはなるべく触れないで、この映画版のみを評価してみたい。 初見は小学一年の頃で、映画館で一人で見た初めての映画だった。オープニング、大画面一杯に迫るザクの顔に、かなりビビったっけ。 アムロの戦争体験は強烈で、敵による無差別攻撃と連邦軍の誤射で、ガールフレンドの母や祖父が死ぬのを目の当たりにしている。敵と戦わなければ死ぬ。自分が船を守らなければ全てを失う。15歳の少年には過酷すぎるアムロの戦争体験。 いつのまにか軍属にさせられたアムロは地球の故郷で母に会う。ホワイトベースが隠れてるポイントから約30kmの街。連邦軍の支配下で、街中には規律の乱れた連邦兵が昼間から酒を飲む。その近所の教会ではボランティアがキャンプを張っているが、そこには毎日敵のパトロール隊が見回りに来る…未来の世界なのに、戦線の距離感は戦国時代並みだ。戦争のこう着状態がずっと続いているから、こんな辺境ではたぶん両軍とも、適当に戦わずにやり過ごしていたと思う。 そんな街で敵兵を撃つアムロ。逃げる敵兵も撃つ。生き残る為に、敵を見たら殺すのがアムロの体験してきた戦争。なのに何で母は分かってくれないのか?母親にしてみたら、久しぶりに会った息子が積極的に人を殺そうとしたら、それはショックだろう。アムロは母と分かり合えない怒りを、敵の小さな前線基地にぶつける。戦争で自分が生き残る為には、敵は殺すものだから。 最後は敵軍の総帥の演説。打倒独裁が連邦軍の正義だが、アムロは何のために敵と戦うのか? 三部作で一番地味だけど、ベースとした第二次世界大戦の色が濃いのと、アムロ自身が普通の生活から戦争に巻き込まれて、自ら戦う過程、民間人から軍人(又は少年から社会人)になっていく過程が共感出来て、大人になってからは一番好きな作品。これを子供向けのロボットアニメでやってしまったのが凄いな。 作画は確かに残念。当時、今のようなDVDやBDがあれば、完全新規作画で作り直せたかもしれないけど、だけど丸っこいザクや作画の勢いとかが感じられて、これも悪くないと思える。あと『特別編』という音声取り直しのDVDが出ているけど、オリジナル版の鑑賞がおすすめ。[映画館(邦画)] 9点(2020-12-27 21:29:17)《改行有》

23.  その男、凶暴につき 《ネタバレ》 この映画の僅か3年前(え?たった3年前だったの?)、『たけしの挑戦状』というファミコンソフトが出ました。不良サラリーマンが海の向こうに宝探しに行く内容だったけど、ゲームを進めるには難易度が高すぎて、カラオケしたりパチンコしたりと町をブラブラするだけのゲームになってました。警官やヤクザはもちろん、無関係な市民や奥さん、子供まで、殴れます。 今思うと、たけしは“日常の中の暴力”を、ファミコンという新しい娯楽で表現しようとしたのかもしれません。ゲームバランスは滅茶苦茶だったけど、案外たけしの考えた通りの再現度だったのかもしれません。 『コドモには見せるな……』のキャッチコピーを覚えています。無抵抗な浮浪者を遊び半分で痛めつけ殺してしまう少年たち。橋の上から船のオジサンに空き缶を投げて「バカヤロー!」と叫ぶ子どもたち。自分を捕まえようとする刑事と取っ組み合いになり、バットで頭を殴る容疑者。自供させるために何発ものビンタ。日常生活でその辺にありそうな、街の片隅で偶然目にしてしまいそうな、目を背けたくなる暴力描写。『まさか自分がこんな目に遭うとは…』そんな被害者の声が聞こえてきそうな、爽快なアクション映画と違って、痛みを感じる映画でした。 暴力を振るう側が相手に対し躊躇してないこと。相手の受ける痛みを一切感じてないこと。この一方的な無感情の暴力が、観ている私に痛みを感じさせるんだと思います。また恨みや憎しみで暴力を振るっている訳じゃないのも恐怖です。そして暴力が行われるまでと、行われた後の“間”が怖い。痛いのは一瞬なんだろうけど、その前後がずっと痛い。もし私が現場を目の当たりにしてしまったら、きっと観なかったことにして通り過ぎようとするでしょう。そんな観たくもない暴力を延々と見てる気分で、何かとても生々しく感じました。 我妻と清弘。仕事仲間からも距離を置かれる2人。無機質な倉庫に指す光と深い影がとても印象的。無言で撃ち合う2人。正義も悪も無い、2人の狂気がぶつかり合う最後の対決は、延々と暴力を積み重ねた本作のクライマックスとして相応しい結末でした。[地上波(邦画)] 8点(2024-05-14 00:53:05)(良:1票) 《改行有》

24.  エレファント・マン 《ネタバレ》 “The Elephant Man”『象男』。本作が日本でヒットした要因の一つとして、今と比べて、人権意識がまだまだ未熟だった当時の時代背景があると思います。 私が子供の頃、夏祭りのお化け屋敷の隣に見世物小屋がありました。小屋の入口の隣に、上半身裸のお姉さんが背中を向けて座っていて、マイクを持った興行主が、彼女が生きたニワトリを食べるとか何とかって、啖呵を流してました。小屋の中には牛と人のアイノコ『牛女』や、蛇を食べる『蛇女』なんかもいるそうです。興味はあったけど、正直怖いのと親と一緒なのとで、見せてはもらえませんでしたが… まだそんな時代に公開された本作。当時はホラー(恐怖)映画にジャンル分けされていたと思います。珍しいモノクロ映画。ポスターの不気味な布を被った人物。テレビでは倒されて悲鳴を上げる少女と迫りくるエレファントマンの映像(CM?)が流れ、頭巾の下にはどんな恐ろしい素顔が隠れているのか?って方向で宣伝されていたと思います。 また後年『マイケル・ジャクソンがエレファント・マンの骨を買おうとして断られた』なんてゴシップも独り歩きして、子供にも関心の高い映画でした。 初見はテレビのロードショー。思っていたのと違う内容に、下衆な好奇心は消え去り、彼の容姿の不気味さより、今まで置かれていた環境の悲惨さ、彼の豊かな感性と世間の残酷さから、「ジョン・メリック可哀そう」に変わっていきます。 彼の心の美しさと、トリーヴス先生や婦長さん、ケンドールさんの献身的な行いに暖かさを感じ、バイツや夜警の男に怒りを感じました。 当時、本作をホラーに分類するのは、メディアの悪ノリにも思えますが、ホラーだと思って観たからこそ、内容から受けるショックと感動が大きかったように思います。それは見世物小屋でトリーヴス先生が初めて彼を見て、一筋の涙を流すのに似た感覚を、私も味わえたのです。今振り返るとメディアのファインプレーじゃないでしょうか? 彼を取り返そうとするバイツにトリーヴスが言う「他の人間の不幸を利用して儲けてくれ」という台詞に、見世物小屋の小人が言う「俺たちみたいな人間には運も必要だ」という台詞が答えになっていて、とても現実的に感じました。 トリーヴスたちの行いは偽善なのか?見世物小屋に来る大衆と、病院に彼に面会に来る著名人、夜警に金を払って見に来る連中、劇場で彼に拍手を送る観客は同類なのか?世間という見えない存在が、彼をどう思うかでなく、彼自身がどう思うかが大事かも。 同じ見られる存在にしても、見世物小屋と舞台女優は違います。ジョン本人が会うこと・見られることを望むか望まないかが大きな違いです。 難しいテーマですが、彼はトリーヴスに助けられ、人間らしく生きる権利、自分で選ぶ権利を得たことが重要に思います。 でも彼は、夜警が自分を見世物にしても助けを求めない。彼が選ぶのは自分をどうするか?だけで、他人にどうしてほしいなどは望みませんでした。 そんな謙虚な彼が唯一他の人に望んだこと、駅で追い詰められた時「僕は人間だ」と叫ぶ姿が心に突き刺さります。 彼が最後に選んだのが横になって寝ることでした。聖書を愛読した彼が自死を選んだとは考えにくいですが、もし目を覚ますことがなくても後悔はない、そんな決意での就寝は、悲しくも幸せな結末でした。[地上波(吹替)] 8点(2024-02-26 12:05:56)(良:1票) 《改行有》

25.  ガープの世界 《ネタバレ》 “The World According to Garp”『ガープの目から見た世界』。ストーリーを文字で起こしてみると、かなり悲壮感漂う内容。にも関わらず、明るくて可笑しくて、不思議な映画です。 観せかたも斬新で、OPののんびりとした『ホエン・アイム・シックスティ・フォー』にのって、ゆっくり空を舞う赤ちゃん。のどかですね。幼いガープの空想で、父親がアニメーションで出てくるのもほのぼのしてます。交通事故のシーンは衝突音とと静止画。ウオルトにゆっくりズームするカメラで、何が起きたかを連想させるのも上手い手法です。 ガープの出生はかなり衝撃的で、ジェニーの話に驚くとともに、校長先生の「君は死にかけている男をレイプしたのか!?」にとても共感してしまう。こんな人がベストセラー作家になって女性解放運動の中心人物になるのは、世の中は物事の一面だけを見ているんだなって思えました。 エレン・ジェームズ運動。エレン本人が望まないのに運動を続け、自分の舌を自ら切り落とす抗議運動は、本人たちの自己満足でしか無い。女性の自立は望ましいことでも、その方法は間違ってるんじゃないの?って、そんなメッセージにも思えました。 ガープも自己中な男で、クッシーとの関係を続けながらヘレンを口説こうとします。結婚後も最初に浮気したのはガープなのに、疑われると逆ギレ。子供の寝顔を見て「最高に幸せだ」なんて、どの口が言うのか。一時停止を無視する乱暴運転の男にキレるくせに、自分は無灯火運転で事故を起こす。ベビーシッターとの一件がバレてないからって、いつまでもヘレンを許さないガープの人間性は褒められたものじゃありません。 クッシーとプーの姉妹。Poohはうんこで、Cushyは快適=快楽。音がPussyに似てるってのもある?一人はガープに快楽を与え、もう一人は死を与えた。 この映画の中では一番異彩を放つロバータが、一番マトモです。 …なんか全然まとまりが悪いですね。まとめられない所がこの映画のレビューっぽいかな?空を飛びたい少年が、人生の最後にヘリで運ばれて、何か上手くまとまった感じに思える。そういう、捉えどころのなさもこの映画の魅力かと…[地上波(吹替)] 8点(2024-02-12 18:21:18)《改行有》

26.  E.T. 《ネタバレ》 “E.T. THE EXTRA-TERRESTRIAL”『地球外生命体』。細かく言えば『陸上生物』で、“Intelligence”が入ってないので『知的生命体』ではありません。話を聞いただけの友達の言葉から命名したからだけど、なぜエリオットが愛称に“イーティー”を採用したかは謎。 この友好的な宇宙人E.T.って、どんな姿をしているんだろう?って、公開前から話題の映画でした。公開後も、おもちゃ屋さんにE.T.人形が並んで大人気に。それでも劇中の動くE.T.の姿は一切公開されてなかったと思う。 ポスターの指合わせは、友好を表現する挨拶になってたから、友達と喧嘩して仲直りするときは「ごめんね」と言う代わり(照れ隠し)に指くっつけてたっけ。 新春かくし芸で研ナオコのドラマ(“イーテフ”だったか、研ナオコがE.T.だったと思ったけど、記憶違いっぽい)で盛り上がって、私も本物を観たい熱が。 忙しいママンに「お姉ちゃんと観ておいで」と言われ、別な映画が観たかった姉が熱弁「みんな英語で喋るんだよ?あんた解る?字幕の漢字読める?」それでもいい!観たい!という私に、姉「E.T.はね、実は白黒映画なんだよ、きっと退屈して寝ちゃうよ?」それは、困る。当時8歳の私にはその嘘を覆す知恵もなかったわ。一気にシュンとしてしまって、ママンも「トシちゃん観ておいで、そっちも面白いから」って。姉と一緒に『ウィーン物語 ジェミニ・YとS』を観に行きました。面白かったです。 その後E.T.はテレビ放送もされず、ビデオデッキが普及しても暫くVHS化されず、いよいよレンタル開始ってときは、もうワクワクが止まらなかったわ。 いざ視聴・・・・あれ?内容殆ど知ってる。子供の頃に観た“イーテフ”と、ほぼ一緒。終わり?これで全部?びっくりする何かはないの? 本作を観ること無く、リスペクトされた作品を多数観たことの弊害で、まるでインパクトの無い出涸らしのような印象を持ちました。当時、あの時代、あの空気の中で観るべき作品だったんだなって。リスペクトやパクりは超有名作品の宿命。たまに遭遇する“古いけど隠れた名作”って、当時不人気で内容パクられることが少ないから、今観ても面白いのかも? 第一印象はそんなだけど、複数回観るとオリジナルのパワーを感じられます。 舞台は閑静な住宅街と、近所の森だけ。子供が自分の足で行ける範囲なんですね。子供が汚い言葉で話し、夜集まってタバコ吸ってピザ注文してママのケツ触ろうします。BMXのカッコイイこと。大人相手に戦うために気合い入れるサングラスやマスク。スタントだってバレない工夫なんだけど、カッコイイ。 騒がしいスクールバス。カエルの解剖の緊張感。飲酒(子供に飲ませるのは難しいからって、あんな方法で表現するのは流石)。好きな子にいきなりキス(足がキュッと内股になるのがエロいぞ)。そしてきれいな夕焼け。静寂に包まれる夜の森。まさに学生時代の放課後。子供時代の冒険物語です。 本作はアメリカ人にとっての『となりのトトロ』なんでしょうね。 ~興味があればE.T. 20周年アニバーサリー特別版へ~[ビデオ(字幕)] 8点(2023-09-09 11:17:50)(良:1票) 《改行有》

27.  ドライビング Miss デイジー 《ネタバレ》 “Driving Miss Daisy”『人使いの荒いデイジーさん』。アカデミー作品賞受賞作。 当時映画に興味を持ったばかりの私は、アカデミー作品賞とは『その年の数ある(アメリカ)映画の中で優勝を勝ち取った映画』が受賞するモンだってイメージを持っていました。優勝って、つまり一番すごい作品が勝ち取るモンだと。すごい問題作。すごい壮大な作品。すごい話題作… なのに、俳優もテーマも地味なこの作品が、大きな大事件が起きるわけでもないこの映画が、しかも前年のレインマンとちょっぴりイメージが被るロードムービーが、何で優勝したんだ??何だろ?アカデミー作品賞って?って、謎が膨らむきっかけとなった作品です。 この映画、歳を重ねる度に好きになっていきます。たった99分の作品なのに、デイジーとホークの半生が、ゆったりとした心地よい時間とともに流れていきます。のちのち笑い話になったであろうサケの缶詰事件。デイジーのツンデレっぷりが可愛らしいクリスマスの贈り物。恐怖、アラバマの路上で一人ぼっち。安らかな日常生活のまま穏やかに迎えたアデイラの死。老後のドラマとしてこのくらいのハプニング、事件が丁度いい、これくらいが良い。 デイジーは食卓で食事をし、ホークはキッチンで食事をする。それが主従関係。アラバマの道中もデイジーは車内、ホークは外。それが彼らの立場。人種の壁が生んだ立場。明らかな差別を受ける黒人と、目に見えぬ差別を受けるユダヤ人。二人の間に徐々に生まれる友情。ホークがデイジーと同じテーブルに座り、パイを食べさせるのに要した時間は30年。 このゆっくり、ゆったりした映画、人種間の見えない壁。生まれた時から知らずに出来ていた壁。それが壊れていくのに必要な時間を解りやすく観せてくれる。30年だって。 SDGs?2030年までに実現可能?ハァ?だよね。 あ、私にとってアカデミー作品賞の基準って、今でも謎です。多くの受賞作品を観るたび、むしろ謎が深まってます。[ビデオ(字幕)] 8点(2023-03-28 22:17:29)《改行有》

28.  フラッシュダンス 《ネタバレ》 “Flashdance”『(見た目が派手な)カッコいいダンス』…とかだろうか?“What a feeling”『サイコー!』だし“” 今回始めて観たんだけど、これだけ有名な映画だと、後発作品に美味しいところをパクられまくって、せっかくのオリジナル見所がスカスカになってる恐れがあるんだけど、この映画は充分に楽しめたな。 あの有名なイスに掛けて水ザバー!のシーン、近くに座ってるおっさんが、水掛かったことに驚いてるのが面白かった。モービーズ、自由度の高いわ。 モービーズでアレックスはプロダンサーを、親友ジェニーはプロスケーターを、友人リッチーはコメディアンを目指してる。すぐ近所にヌードを売りにするザンジバーがあって、栄光と挫折の構図がとてもわかり易く描かれているのも良い。何にでも忖度する今の時代だと、ジェニーはあの後主旨転換して前向きにザンジバーで働くって話になってそう。そうなるとアレックスも何にも言えないんだよな。方向性は違うけど、それぞれが目指すべき目標があるから、そこを目指してガムシャラに頑張っている若者が輝いてるんだよ。 社長のニックと付き合って、ポルシェに乗って高級レストランに行っても、養成学校のオーディションは実力で行きたいアレックスの気持ち、歳を取るとゴチャ混ぜになるけど、その線引の大切さって、あるよねきっと。 ジェニファー・ビールスって凄く華のある女優さんだなぁって思った。写真で見ても素敵だけど、動くとここまで可愛いんだ。肩からずり落ちるシャツの着こなし。…『色の風』って書いてあるのかな?シャツ下でモゾモゾやってブラだけ取るのなんて、タマラナイでしょう。“Maniac”掛けて黙々と踊るシーンがもう格好良いのなんの(…吹き替え?知らないそんなの)。 95分という尺もちょうどいい。モービーズ仕込みの“新しいものを取り入れる姿勢”で、オーディションで派手なブレイクダンスするのもイイ。ダンスのフィニッシュ観せないのも、審査結果を観せないのも、なんかイイ。コレがイイ。[CS・衛星(字幕)] 8点(2023-01-10 00:13:57)《改行有》

29.  鬼龍院花子の生涯 《ネタバレ》 面白い!五社英雄監督作品と相性イマイチな私だけど、この作品はとても面白かった。少し前の日本社会の裏側アリ、女同士の闘いアリ、もちろん濡れ場アリと、しっかり五社五社してるんだけど、何だろうこの映画。そうだ朝ドラだ。 貧しい家庭から丁稚奉公同然に養子に出され、家業とは正反対の女学校を目指して勉強し、親に反対されつつも好きな人と暮らし…たまたま観出した朝ドラが大当りだったような、そんな面白さ?夜の朝ドラ?裏社会の朝ドラ?そんな感じ。だから朝ドラ好きな人はきっと楽しめます。 何より仲代達矢演じる鬼政のキャラクターが面白い。凄みはもちろん、人間味が溢れていて、もし目の前に居たら絶対怖いんだけど、なんか憎めない魅力がある。労働者同盟の件で須田から三行半を突きつけられた時の行動は、もう声を出して笑ってしまった。五社さんがこんな映画を撮れるなんて思わなんだ。もちろん仲代さんの持ち味が大きいんだけど、遺憾なく発揮されていた。 岩下志麻の歌も良い役だった。いつもの岩下さんのように触れちゃいけないオーラを出してるんだけど、どこか親しみやすい温かみが感じられた。松恵が初潮を迎えた時、笑若が聞こえるようにイヤミを言えるくらい、親しい存在の姐さんなんだろうなぁ。って。 圧巻は松恵役のふたり。仙道敦子はまだ13歳なのに目に力がある。お駄賃貰ってお礼言うシーンなんて、当時の子役の演技としては満点じゃないだろうか。夏目雅子の、散々抑えて抑えての演技からの「なめたらいかんぜよ!」の迫力は目がバチッと覚める格好良さ。鬼政に遺骨を握りしめて微笑むところまでがワンセットで素晴らしい。 ワンセットと言えば、歌が酔ってつるに絡む所で「なめたらいかんぜよ?あてぇは鬼政の女房やき…」を幼い松恵が隣で聞いていて、それを受けての「あてぇは…鬼政の娘じゃき…なめたらいかんぜよ!」だから映える。母と子の絆。 “鬼龍院花子の生涯”何とも不思議なタイトルだ。ちょっと頭の弱い、空気の読めない、ワガママな子。『おとうさん おねがい たすけて』はがきの裏にひらがなで、鉛筆で書かれた文字。 有名なタイトルなのに、こちらのキャスト一覧に名前も出てない女優さん。高杉かほりさんだって。wikiのページもない。 映画のオープニング、出演者紹介の、何人目に出てくるかな? 仲代達矢 夏目雅子 中村晃子+佳那晃子 夏木マリ+高杉かほり(新人)+新藤恵美  ←はいココ! 内田良平+綿引洪+小澤栄太郎 …決して当時の東映が、力を抜いていたわけじゃないみたいな、そんな印象。公開前の予告編ではオオトリに名前が出てました。 この殆どスポットの当たらない花子がタイトルなのが面白くて、色んな解説を読んでも、どうもストンと落ちません。なんかそこを含めて素晴らしい作品だと思います。[インターネット(邦画)] 8点(2022-11-21 20:29:25)《改行有》

30.  ザ・フライ 《ネタバレ》 チーズバーガー! - The Fly - “蝿” 当時の体液ネバネバ・ドロドロのホラーSFの代表作。私の同年代は殆ど知ってるんじゃないかなぁ?ブランドル蝿って名前。ギョロッとした目がインパクトあって、でも『台詞のある脇役』って印象のジェフ・ゴールドブラムが、いよいよ主人公として登場だ。最終形態のブランドル蝿より、生ブランドルの方がインパクトが強いと言っても過言ではない。 そしてこれまた大きな目と大きな口が印象的なジーナ・デイビスがヒロインときた。しかも初対面の怪しい科学者の家でストッキング脱いで渡す変わり者。そりゃ変な虫(スタティス)にストーカーされるわ。 95分の短さで、とてもわかり易く、無駄のないサクサク展開。メインの人物はたった3人。物語も大半が研究室。生きたヒヒが裏返る気持ち悪さと謎。謎の解明にステーキ肉を入れてみる発想。彼らと一緒に謎解きをするようでワクワクする。ホント暇つぶしに観るのに丁度良い長さだから、深夜たまたま放送してたりすると、ついつい最後まで観ちゃうんだよなぁ。 乗り物酔いするブランドルがテレポッドを開発するってのは洒落が効いてるし、最初にチラッと出てきたプロトタイプ・テレポッドも、最後3人合体の場で活躍するし、ストーカーのスタティスまでヒーローみたいに活躍してしまう。 蠅男も完成形より過程状態が怖い。早口で捲し立ててコーヒーに砂糖ガバガバ入れるトコとか、見た目普通なのに怖い。爪が剥がれて白い体液がプチュって吹き出るの怖い。でも一番怖いのはベロニカが巨大な蛆虫を生むシーン。そのクネクネする尾が糸引いてるのが怖い。クローネンバーグ監督のセンスが光る。 チーズバーガー![ビデオ(字幕)] 8点(2022-10-21 22:06:04)(良:1票) 《改行有》

31.  ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ/完全版 《ネタバレ》 ~『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ 』の続き~ 冒頭のシツコイくらいに鳴り続ける電話が観ていて不快。回想で電話を取っても鳴り続ける電話。あれきっとアヘンの抜けたヌードルスの頭の中では、あの音がずーーっと鳴り続けているのかもしれない。 ヌードルスにとって仲間を裏切った象徴が電話。街を出て35年間悩まされ続けたのか、それとも時は止まっていたのか。ただ、ヌードルスは掛けた側だから、受話音はしないんだけど…逆。 一人で暗い部屋に鍵をかけて電話を掛けたあと、マックスが入るなり受話器の向きを直す。警察の情報が入る前、マックスはこの時既にヌードルスのタレコミに気がついていたんだろう。電話のことを軽くでも聞かない辺り、マックスの決意も固まったのかと。 しかし、タレコミを提案したキャロルにも知られず、同じ街でベイリー長官として有力者になって、ファット・モーの妹を愛人として囲って35年。よくバレなかったものだ。この辺も謎。 ゴミ収集車。ヌードルスの見ている前で、たまたま止まっていたゴミ収集車に飛び込むってのは意味不明。その後禁酒法時代のレトロなパーティ集団が来るところから、ヌードルスの幻想なんだろうなぁ、あの場面は。 思えばヌードルスは、ドミニクが死んでから10年近く刑務所に入っていた。出所して禁酒法時代に仲間と悪さをして、アヘンに逃げる。 フランス料理のイロハを知っていたデボラ。自分の知らない間に時は流れてみんな成長していく。デボラをレイプしたのも、ヌードルスの稚拙な悔しさだったのかもしれない。ペギーのケーキを我慢できずに食べてしまったパッツィのように。やってしまってからの後悔。そして仲間を裏切った思いを抱えたまま、35年街を離れる。 最後にアヘンを吸うヌードルスは、青年期のいつの頃の彼だろう。思い出すのはきっと、ドミニクが生きていた頃、マックスという自分と似た親友が出来て、何をしても楽しかった時代。[DVD(字幕)] 8点(2022-10-12 09:54:52)《改行有》

32.  ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ 《ネタバレ》 - Once Upon a Time in America - “むかしむかし、アメリカでは…。”  多分小~中学生くらいの頃にテレビの洋画劇場の前・後編で観てるんだけど、血が飛び散るバイオレンス強めのマフィア・モノって結構苦手で、怖がりながら観ていた記憶があります。 印象深いのはジェニファー・コネリーのお人形さんのような美しさと、ペギーにあげるケーキをパッツィが食べてしまうところ。少年時代、青年時代、初老の現代と行き来する辺りが、当時の私には難しかったかな。 当時テレビで観たバージョンがどれか解らなかったけど、きっと通常版だろう。今回再視聴したDVDは上映時間から完全版のようです。 コーヒーをかき混ぜるヌードルスの無言の圧が凄い。あの時間の息苦しさ。喫茶店に行くとついついヌードルスごっこしてしまいます。 現代のデボラの見せ方も上手かった。青年期と変わらない美しさが、舞台のメイクを落とすと徐々に目尻のシワが観えてきて…この白塗りメイクの下に老けメイク入れておく観せ方。35年の月日の観せ方の上手さ。街の景観の今昔。街から見上げるマンハッタン橋がとても印象的。現代のライトアップされた姿もまた時代の経過を感じさせるアイテムとして効果的に映っていた。 観ていた当時はそんなに感じなかったけど、こちらのレビューを見ると、確かに後半不可思議な部分があるね。 ~『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ/完全版 』に続く~[地上波(吹替)] 8点(2022-10-12 09:52:48)《改行有》

33.  リーサル・ウェポン2/炎の約束 《ネタバレ》 奥さんの新車でカーチェイス。123で行くぞ!。関節外し。盛り上がる同僚たち。コンドームのCM。1本の映画が始まって僅か15分でこの密度。詰め込み過ぎのサービス満点。リチャード・ドナー監督のアイデアが溢れまくった結果なんだろうな。 この当時、売れたから創ったってだけの内容の伴わないパート2が横行する中、名作リーサル・ウェポンの名を汚すこと無く、続編モノとして申し分のない素晴らしい内容と密度を持った作品だと思う。 自殺願望という深刻な悩みを抱えた主人公の、ちょっとハードな話から一転、世界観を壊すこと無く、コメディ要素を強めにした味付けは流石。あのコンビにレオ・ゲッツを組み合わせたため、コメディ要素が増えても違和感なく楽しめたんだと思う。 またノリの良い同僚たちもいい味出していて、一匹狼感のあるリッグスが、みんなでワイワイ楽しく溶け込んでたのも、彼ら同僚たちの創った職場の雰囲気のお陰かなって思った。コンドームの木を見て最後自分も笑っちゃうマータフ大好き。 そんな完璧な世界観をぶち壊す今回の敵。愛着も湧いてきたところに敵のトラップで死んでいく同僚たちに、リッグス同様怒りが湧いてくる。リカだけでなく奥さんも(今回観るまで忘れてた)って、詰め込み過ぎ感はあるけど、最後はスカッと出来るかな。 まだアパルトヘイトが生きていた世界。マータフが南アに移住を希望するのとか風刺もピリリと効いているし、外交官特権をちらつかせるラッドにトドメの一発。やっぱバディ・ムービーはこうでないと。[地上波(吹替)] 8点(2022-10-10 13:09:06)《改行有》

34.  リーサル・ウェポン 《ネタバレ》 - Lethal Weapon - “致死性兵器”銃とかナイフとか人を死に至らしめる兵器全般です。軍隊経験だけでなく格闘術を備えたリッグス刑事自身のことも指しています。反対は- Non-Lethal Weapon(非致死性兵器) - で、催涙スプレーやスタンガンなんかを指します。 '80年代のバディ・ムービー代表作ですね。若造と年寄り。白人と黒人。武闘派と穏健派。独り身と家族持ち。いい組み合わせです。 そこにきてリッグスに自殺願望という、あまりアクション映画の主人公らしくない設定を加えたのも見事です。 リッグスの武器の扱いには惚れ惚れする。銃を撃ちながら地面を転がる姿は素早く、どこぞのお腹の丸いダイ・ハードの人と比べると、これが本物だって思ってしまう。またどんどん遠くなるヘリを撃ち続けるシーン。砂漠で射撃ポイントまで走るシーン。捕まったあとにライフルを抱えて道路を走るシーンと、何か仕草が本物っぽいというか、刑事モノなのに元軍人っぽさが出ている気がしてとてもカッコいい。射撃場の( ・ )から(笑・顔)にしてしまうシーン、もうカッコいいのなんの。 事件は売春婦飛び降り事件を本線として、飛び降り志願の男や、子供への聞き取り、シリーズ定番のマータフ家の人々(お風呂でサプライズ誕生ケーキ、リッグス呼んでの夕食)と見所も多く飽きさせない。 私は特に最後の、リッグスの愛犬サムとマータフ家の愛猫バーバンクが会った瞬間に喧嘩するのと、そんな喧騒気にもしないで入り口の電球を穏やかに締め直すマータフのシーンが大好き。 今後安定のシリーズ化をしていくが、本作を最後にリッグスの自殺願望も無くなる。当時のメルの本当にヤバそうな目付きがたまらない。[地上波(吹替)] 8点(2022-10-09 16:11:18)《改行有》

35.  蒲田行進曲 《ネタバレ》 「コレが、コレなモンで」ってモトはコレだったのか。 とっても勢いがあって、サクサクとスピーディな展開に目が離せない。問答無用で小夏をヤスに押し付ける銀ちゃんの無理やりさに『ちょっ、えぇ!?』ってなりつつも、何だかんだ状況を飲み込んで、2人イイ感じになって行くところが面白い。 身勝手に自分のことだけ考える銀ちゃんだけど、要所々々でみせる気の弱さとか、言葉にはしないヤスへの気持ちとか、憎めないキャラに仕上がっている。 ヤスの地元の大歓迎っぷり。事情を察知してる母の言葉。コレはコレでありなのかもなぁって思えてしまう。大部屋の苦労も笑いに変えて、ヤスがスタントに体を張るごとに増えていく小夏の快適グッズ。 最初っからデーンと構える未完成の大階段が、後の波乱を物語っている。後半シリアスになるけど、散々引っ張っての大階段落ちは大迫力。その後の大団円で一気に緊張していた空気が溶解するのもお見事。 銀ちゃんだけでなく、橘こと原田大二郎、千葉真一、志穂美悦子、真田広之といった銀幕のスターたち。 対するスターを輝かせる名もない大部屋の人々。住む世界の違うスターと大部屋。 この映画は、大部屋のヤスが一瞬だけスターになった映画にも観えるけど、そこを“チャンチャン”として、コレは映画だ!って終わらせる。 撮影所の映画だけに、最後の大合唱が生きてくる。色んな人が関わって、色んな思いがぶつかって、一本の映画が出来てるんだなぁって。コレが映画だ![インターネット(邦画)] 8点(2022-09-17 19:17:39)(良:1票) 《改行有》

36.  異人たちとの夏 《ネタバレ》 片岡鶴太郎の演技力がとても評価されてた記憶がある。コメディアンが映画に主演して、真面目な演技をして評価されるって、当時としては珍しいことだったと思う。そんな人、北野武くらいじゃないかな?テレビで初めて観て、なるほど納得。見事に“英雄のお父さん”を演じていた。 本作が大林宣彦監督作品だって忘れてた。若者の青春映画の監督ってイメージだったから、こんな大人のメルヘンファンタジーを撮っていたことに驚いた。当時の私は知って観てたのかな。ホント忘れてた。 画面から伝わる夏の暑さ。浅草の異世界感。「暑いから脱げ」ってセリフがホント両親っぽい。もう40歳になる英雄を子ども扱い。この両親、自分たちは既に死んでいることを自覚しているけど、どういう仕組みで現世に戻ったとか、よく解ってないんだろうな。英雄と再会した喜びとか、涙とかは無く、出会いから日常生活から、スッと自然に取り入れていくところが、本当に不思議な世界を観ているような気持ちにさせてくれる。 英雄と房子がアイスのカップを取るシーン(いやこの場面も、裕福な家庭でないのにそんな物があるのが、なんか実家っぽい)。英雄も私たちもドキッとしてしまうけど、落ち着いてる房子のギャップが面白い。下手したら年下のお母さんだけど、子供の母親は何歳でも母親なんだな。 そんなお母さんが趣味でラジコンカー(本格的なのでなく子供のオモチャのヤツ)で遊んでるなんて可愛い設定、どっから思いつくんだろ?凄いよ大林監督。 すき焼き屋の別れは涙が溢れてくる。時間が来たら消えてしまうことは理解している両親。それも子供の為と受け入れているところ。両親に食べてほしい英雄と、子供に食べてほしい両親のお互いの思いやりが何とも切ない。 桂の正体。「バカな、今は空き室ですよ!」慌てる間宮と管理人に、当時はゾ~~~ッとしたわ。怖かった。その後のホラー描写はやり過ぎ感があって、なんか、今までの感動や余韻を台無しにされた感があったなぁ、やっぱり。 でも今観ると、案外悪くない結末なんだよね。身体フワーリ、ベッドグルグルー、血がドバー。は、当時の流行りだろうか、やりすぎだと思うけど、気がついたら地縛霊になってた桂は、彼女なりに、自分が原因とも知らずに、英雄の身を案じてたと解釈すると、それはそれで切ない。[地上波(邦画)] 8点(2022-07-11 00:11:44)《改行有》

37.  遊星からの物体X 《ネタバレ》 -The Thing- “無生物”・・・って事は、アレは生命体じゃないってことか?寄生型の・・・何か。邦題は“物体”としたんだね。遊星ってのは惑星と同じ意味みたい。 で、アレだけど、完璧な擬態を見せて人間(と言うか生物)に近づき、普通にコミュニケーションをして、おぞましい姿で寄生する。犬の変身がおぞましくて凄かった。他の犬が関心を持ちつつチラチラ見てるなか、バックリ裂けて大変身。触手をピシュンピシュンしならせる。あの不気味さはパペット技術の産物。もしブルーバック合成やストップモーション撮影だったら、きっと人形っぽくてシラケてたと思う。 明るい医務室でじっくり観えるノリスの変態。常識を逸脱した部位の使い方。炎から逃げるために首だけ脱出させるセンス。蟹のような足とカタツムリのような目。逃げて隠れずじっとして燃やされる最後も意味不明で怖い。 寄生されるとどういう感覚なんだろう?ノリスが寄生されてた時、縛られてるパーカーも既に寄生されてたと思うけど、アレどうし助けるとか協力するとかしない。助け合い、協力。その裏にある裏切り、疑心暗鬼。そういう感覚がもう生物的で、アイツら無生物とは違うのかもしれない。寄生した個体のどれかさえ生き残ればOKって考えかな。 そう考えると医務室の検査の前に、外で不気味に叫んでたベニングスは「寄生されたらこうなるよ」って、人間に嘘の情報を植え付ける役割だったのかも。 でも、ノリスもパーカーも、寄生されたことに気がついてない可能性もあるしなぁ、正体を表す直前まで人間的すぎたから… アレによる被害も大きいけど、人間による被害も同様に大きい。乗り物や無線機とかは人間のブレアが壊しているし、建物を破壊したのは人間同士の話し合いの結果。建物焼いても人間が不利になるだけなのに、ブルドーザーのような重機は動くんだからそれにガソリン積んで逃げるのも方法だったろうに、パニックで誰も疑問に思わない。アレは雪の下で何万年も生きていられるのに。 “ちょっとビビらせたら勝手に争って、勝手に自滅する”のが、アレに言わせれば、直接的にしかコミュニケーションを取れない生物、社会を形成して群れて生きる人間の、欠点であり、倒し方なのかもしれない。[ビデオ(字幕)] 8点(2022-06-25 23:09:29)(良:1票) 《改行有》

38.  ツィゴイネルワイゼン 《ネタバレ》 もうね、指パッチンですわ。こんな不思議で不気味な作品、よく思いついたものですよ。 原田芳雄の演じる中砂の強烈なキャラクター。「ウナギが食べたいなぁ」あの力強い声でそう言われると、私までウナギが食べたくなる。特大のうなぎの蒲焼を手掴みで食べる。焼きとうきび。すき焼きに大量のこんにゃく。蕎麦と日本酒。腐りかけの桃。なんて美味そうなんだろう。戸棚の中の鱈の子のこだわり。青池夫婦が食べるいっぱい並んだ料理も、何だか解らないけどどれも美味そう。赤い器が印象的。 印象的な赤。女の股から出てくる赤い蟹。赤くなっていく弟の骨。中砂家に吊るされた赤い提灯。中砂の眼球を舐める周子の舌の赤さ。船の渡し賃にパカパカ開いて見せる門付の女の股ぐら。観えないんだけど赤いんだろう。 門付の3人組がまた強烈なインパクトを与えてくれる。イチャイチャしたい若い2人、だけど稼ぎ場までの道を知ってるのは年重の男だけ。三角関係の結末は、コントみたいな殴り合い。 コントというより不条理に近い。「ダメダヨ」のタイミング。屋根に落ちる小石。トマソン・トンネル。小雨の中登場人物たちが勢ぞろいで見上げる花火。サラサーテのツィゴイネルワイゼンに入る声。何でか解らないモノ・現象から醸し出される不思議さ。「怖いな…気をつけなくっちゃ…」椅子の上で体育座りの中砂カワイイ。 カワイイといえば青地の腕を引っ張る園「もうじき落ちてまいりますわ、早く参りましょ」の少女のような仕草カワイイ。旦那の居ない家の中で胸がはだけて、さぁコレから。ってタイミングで入る指パッチン。怪しい雰囲気から一瞬で目を覚ますような指パッチンの可愛さ。このセンスが素晴らしい。[インターネット(邦画)] 8点(2022-05-03 20:01:09)(良:1票) 《改行有》

39.   《ネタバレ》 戦国時代と江戸時代の明確な区別も付いてない子供の頃に、初めてこの映画を観た時、武士が殺される様子が生々しすぎて、めちゃくちゃ怖かったな。お茶の間でよく流れてる“時代劇(斬られたら踊りながら倒れる。服切れてない、血出ない)”の、ちょっとお金の掛かった作品かな?くらいに思っていたので、血が飛び散り、死体が転がる世界観に衝撃を受けた。血まみれの城内、密集して走る騎馬、空を埋め尽くす火矢、燃え落ちる城。 音楽もオドロオドロシイし、全然私の知っている時代劇の範疇じゃない、むしろコレ戦争映画だ。 この作品の他に戦国時代の映画で、ここまでお金の掛かった、観てて怖い映像って、他にあるのかな?思い付かないな。 子供の私にも話の大筋が分かり易く、親兄弟が家督が原因で争う顛末は、どこかおとぎ話の教訓のよう。 久しぶりに観たけど、映像の美しさは際立っている。ザワザワと波打つ草原、ムクムク増える入道雲、砂地に流れる雲の影、だいだい色に染め上がった夕焼け。この自然を撮るためにどれだけの時間を要したことか。黄、赤、青、登場する色鮮やかな武士たちの布陣の美しいこと。 『リア王』を基盤にしているそうで、映画の中で舞台劇らしさを表現したんだろうか。 面白い事にこの映画には、町人や農民といった、劇の内容と無関係な群衆が一切出てこない。三郎のお城も、普通なら城下町があるだろうに、寂しい砂地の辺鄙な所にあるのも、“余計な情報を描かない舞台劇”だと考えると納得が出来なくもない。 劇中、アップで映るのは一文字の一族、楓、鉄(クロガネ)、狂阿弥くらいか?それ以外の役者の顔アップは殆ど無い。末の方が秀虎にどんな表情をしていたのか、それどころか末の方が宮崎美子であることも解らないくらい、寄らない画造り。この辺りの撮り方も、自由に寄ったり出来ない舞台劇を意識してのことかと思われる。劇場の大画面で観ていたら、表情の違いも観えたのかな。 ほぼ素っぴんメイクの役者陣に対し、城が襲われたときからの仲代達矢だけは、狂気の形相を白粉やドーランで表現している。眼の前で繰り広げられる地獄絵図と同時に、主人公秀虎の精神も地獄に落ちたという表現だろうか。対象的に悶え苦しむ武士たちは地獄に落ちた餓鬼のよう。 原田美枝子演じる楓の方の、凄みのある抜刀と怒声。高笑いから一転して脅迫、色仕掛けに入る絶妙な間。そして最後の泣き落とし。井川比佐志演じる鉄のすっとぼけた態度と痛快な台詞回し。この二人の、殿である次郎の頭越しに繰り広げられる闘いが見事。 借り物であるリア王リメイクの主役は秀虎だけど、純粋なクロサワ映画の主役はこの二人ではないだろうか。 黒澤監督が鉄役を高倉健にしたかった理由も解る。[地上波(邦画)] 8点(2022-04-03 13:50:10)《改行有》

40.  疑惑(1982) 《ネタバレ》 よくもまぁこんな、ふてぶてしくも憎ったらしい女を創り出せたものだ。 もう死刑一直線、この女が殺したことは間違いない。最後はスカッと有罪判決を出してくれるのを期待して観てしまう。 犯人が意外な人物のドラマ、計画的な殺人トリックに見慣れたせいか、この自然体で直情的で、何がしたいのか解らない球磨子が新鮮に見える。裁判の席でも自分の感情を隠さない球磨子。憎たらしいけど、確かに、自分の無罪を主張するなら間違ったアピール方法。 観ていて球磨子が本当に犯人かどうか、解らなくなる。逮捕後の生存ルートに、どうにも計画性がなく、無罪が期待できない状況に自分を追い込むなんて、犯人だとしたら頭が悪すぎる。 絞首刑の夢で取り乱すシーン。豊崎が言うように「はずみで人を殺すかもしれないけど、計画的に殺すとなると…」こんなのを見ていると、球磨子が犯人じゃ無い可能性が、自分の中でも芽生えるから不思議。 映画の視聴者ではなく、裁判の傍聴人として、とても残念な判決。球磨子が保険金を手に入れられなかったのは、律子のせめてものファインプレーに見えたけど…そうだろうか? この裁判の重要アイテム、靴とスパナ。靴が脱げていたことを怪しむ律子の法廷発言を「そんなのどうでも良いのよ頭悪いわね」と遮る球磨子。 豊崎の証言に取り乱して退廷させられた時、律子に「名演技だ」と言われ、顔の見えない方で口角ニヤリ。 この事件が自殺だったら、豊崎はどこから『ケネディ事件』なんて情報を仕入れて持ち出したのか。(※今回はじめて知った。当時誰でも知ってるような、有名な事件だったのかは知らないけど。) やっぱり球磨子が「一人では生きていけない」とか何とか、福太郎に無理心中をしようと誘い、自殺の方法から手順なんかを指示したんじゃないかな。 目撃者の証言、福太郎の足の傷から、やっぱり球磨子が運転。怖くなってブレーキを踏まないようにと説明して、ブレーキの下に靴とスパナを入れた。目的は福太郎が急に怖気づいて助手席側からブレーキを踏まないように。 福太郎には2人の無理心中と思わせて、実際は自殺教唆。その実、世間からは事故に見えるように細工。だとしたら球磨子は相当したたかだ。 宗治君の証言で、球磨子の目論んだ『事故』でなく『自殺』にはなった。でも有罪まで持っていけなかったのは、律子の完敗に思える。 最後の打ち上げ。律子の腕にワインを浴びせるシーンは息を呑む迫力だった。 桃井かおりが悪女役をする作品が、他に何作品あるのか知らないけど、私の知っている桃井かおりの憎たらしさをストレートに出したのが、まさしくこの映画の鬼塚球磨子だと思う。それだけ自然で、私がイメージする桃井かおりそのまま。[インターネット(邦画)] 8点(2022-02-13 16:27:18)(良:1票) 《改行有》

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