みんなのシネマレビュー
ボビーさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 1016
性別 男性
ホームページ http://blog.livedoor.jp/gepper26/
年齢 37歳
自己紹介 いつまでもこどもでいたいから映画は感情で観る。その一方で、もうこどもではいられないから観終わったら映画を考える。その二分化された人間らしさがちゃんと伝わってくる映画が好き。

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順1234
投稿日付順1234
変更日付順1234

41.  ヒューゴの不思議な発明 今、この瞬間もそう望む人がいればこそだが、望む人さえいればいつまでも映画は消えないという、その切なる祈りに見えました。終始この映画から観えるのは「映画」そのもののように思いました。メタファーとしては、例えば他人の恋沙汰を「覗き見」するその行為そのものであったり、「ぺらぺら漫画」であったり、「機関車が迫ってくる様」など、もはや“=(イコール)”で結び付けてもまったく遜色のない映画の原型が散りばめられています。それらの進化系が現代映画なのだということを改めて痛感すると共に、サイレント期の名作映画がスクリーンに映し出された瞬間、映画好きのぼくの心は激しく興奮を覚えました。一瞬流れた「セブンチャンス」や「月世界旅行」をシネコンのあの巨大スクリーンで全編通して観ることができたらどれだけ幸せだろう、などと妄想してしまいました。また、サイレントや白黒映画に一切の興味を持たぬ人があれを目の当たりにするとどんな気持ちになるのだろうという、素直な疑問も覚え、それと同時にどうか「観たい」と思って欲しいと祈ってしまいました。つまるところこの作品の目指すところがそれであることを感じずにはいられません。現代映画とは比較にできぬほど、“映画”本来の面白みに溢れていた黎明期の作品群を観たいと望む観客が増えれば増えるほど、それらの作品のリバイバルが観れるのでは?という希望を抱いてしまいます。つまりそれが映画を朽ちさせない後押しになるのです。 現代映画は過去の作品群の積み重ねのその先っぽに存在しており、その先っぽを存分に楽しむには、引用元である下に埋もれてしまっている作品を知る必要が出てきます。“歴史を知る”というのはその文化を楽しむのと等しく、それを知るだけで今そこにあるものの“見方”がガラリと変わるのだと思います。この作品は映画のその重要な“映画史”を観客に刷り込ませた歴史的に見てもとても重要な作品になったのではないかと思います。しかしながら、作品そのもののドラマ部分とそれらの祈りが噛み合ってなさが尋常じゃないので、その意味でアカデミー賞作品賞を争っていた「アーティスト」に負けたのは頷けますが、あのロボットの描く事、あるいは描かせることも映画のメタファーになっている構造は結構好きでした。[映画館(字幕)] 7点(2012-05-10 18:52:55)《改行有》

42.  ドライヴ(2011) 《ネタバレ》 冒頭から、どこの国の音楽かわからないがそれとなくキャッチーで若干ダサイ匂いのする音楽が多用され、雲行きに若干の不安を抱きましたがそれを一転させる静けさにグッと集中力が高まり緊張感が全身を包みました。音のON / OFFによる意識的な聴覚への刺激が生む、視覚の集中。冒頭でこの作品の、あるいは監督のやらんとしていることが明解で「ON / OFF」の切り替えによる効力を存分に発揮させた作りになっており、監督の作家性とすごくマッチしていたように想います。また、主人公の過去どころか名前すら明かされないこの物語が何を観客に投げかけているかと言えば、観客の想像力を信じているということです。大まかな人物像を描き、その他は説明はしないことによって観客は無意識に彼のバックグラウンドをおのおので想像するのです。このライアン・ゴズリング氏、序盤のポーカーフェイスはようするに理性、冷静さの作られた彼の表情であってそれがアイリーンを愛してしまった事で強固であった筈の理性が徐々に崩壊し出します。壊れかけの彼の心情は「説明」ではなく「画」の中の行為、それを象徴させる「何か」で表現されているのがラジエターを直すシーン。手元だけを照らす照明、顔は暗部。後ろに流れる音楽がその手元を狂わす。壊れているのは彼の心であり、車の心臓部ともいえるラジエター。正常に戻す為、また走り出す為、あるいは理性をそこに維持する為。メタファーが心を抉るようにその切ない心理がヒリヒリと胸に滲みる。そして狂い出したラジエター。理性とは。今日の文明社会ではやっていいこと、だめなことが山ほどあってそれをモラルとか道徳観とか法律とかマナーとか、そういった社会の一人として波風立てず生活する為に“破壊の本能”を押さえる自己制御の意識。その意識の強かったのは、本能が人一番強い彼がいたからだろう。彼自身が最も彼をわかっている、それが観れば観るほどよくわかるからこそ、その崩壊のカタルシスとアンビバレントに押し寄せる切なさに胸が苦しくなる。相手を求めれば求めるほどに比例して、喪失を予感させ、その一連が終わった瞬間、このシーンの全てが暴力であり、愛である事を強く感じました。ラストシーンも同じで、生きているかも知れないし、すぐに死ぬかもしれないが、その先を観客が想像した時、映画がその人の中で真に動き出す瞬間なのだとぼくは思います。[映画館(字幕)] 9点(2012-04-13 20:50:42)

43.  借りぐらしのアリエッティ 《ネタバレ》 世間からの圧倒的な「ジブリ」ブランドへの執拗な期待と理想から萎縮しているとしか思えない近年のジブリ映画。正直、序盤からつまらない。その要因はあまりにもたくさんある。まず、アリエッティと少年の間に“恋”がないこと。それに関してジブリが主として描いている印象は世間的にあまりないだろうけど、実はそこが淡い恋心として主柱になっていることがほとんどである。人の心理として恋という感情が成長を促し、歩み寄りを知る大きな踏み台になり、逆に言えばそれなしでは大人にはなれない。そこでの葛藤や他者を思う気持ちや、自己を犠牲(責任)にすることでの痛みを知り、成長するのがドラマの本質だとも思う。その点から言って、決して結ばれることのない恋というのは興味をとてもそそられるのに、そこはあくまで「小人」に興味のある「人間」という構図でしかない。まず、大前提に物語の推進力がそこから薄い。どこに着地したい物語かわからない。「余命幾ばくもない少年が最初で最後に知った恋は小人の少女でした」を描いたら最高のファンタジーラブストーリーだったのに・・・また、過去ジブリの最大の素晴らしさはその登場人物/キャラクターの実在感にある。例えばトトロをこの世界のどこかにいると感じれたり、日本じゃないどこかの街にキキがいるんじゃないかと思えたり、ラピュタがこの雲の上にあるんじゃないかと信じれたりする、その真実味はこの作品にはない。完全にファンタジーになっている。ファンタジーはもはやファンタジーとしてホラ話として楽しく観れさえすれば、オッケーではあるが、この作品はファンタジーに振り切れるわけでもなく、事実感を感じさせてくれるわけでもなく、リアルティーのラインがあまりにもボヤけ過ぎている。だから、何を面白いと思わせ観客を喜ばせたいのかも逆説的に理解できないことになっている。そこが最大に致命的。面白くなりそうな要素をかき集めて、何を見せたいのか練り込まなかったのがヒシヒシ伝わってくる。閉じこもっていた小人と一緒に少年も少しの時間でも構わないから外に出さなければならなかったし、アリエッティのお母さん魅力的じゃないし(キキのお母さんは1シーンのみの出演ながら記憶に鮮明)、灰汁の強いおばさんが結果的にどうしたかったのかわからないし、とにかく何に向けて集約されてる物語なのかわからない。だからカタルシスもないし、面白くもない。[DVD(邦画)] 4点(2012-03-26 23:58:12)(良:3票)

44.  コンテイジョン 《ネタバレ》 エンターテイメントに徹せず、華やかさを押さえて描くことが=「リアルな人間描写」という方程式はまず根本的にぼくには腑に落ちない図式なのですが、必要以上の抑揚を押さえているのは序盤に関しては新鮮な印象を得ました。ただ最終的に至る結末が米エンターテイメントのお決まりな「平穏を日々を取り戻すきっかけを主となる人物たちが手にする」という“きれいごと”に収まっている為、着地点はようするに米エンターテイメント映画以外の何物でもない作品に収まっています。リアルというより、ぼくの感想としてはエンターテイメントの外見をしながら中身をくり抜いてしまった、ウイルス感染のシミュレーション映像を観ているように思えてなりません。人々の葛藤や変化や成長よりも、ウイルスの感染の仕方、ウイルスへの対処方、ウイルスによる混乱、略奪、暴徒たちの姿をただただ並列的に映しているだけで、出来事に直面し表面的な、言ってしまえば想定範囲内での変化を客観的な引いた視点で見せられるので、非エンターテイメントだと分かった頃にはもう期待すべきものがないことに気付き心は完全に萎えてました。こういう映画に求めるのは、絶望とも思える現実に直面した時の人間の真の愚かさや恐ろしさ、つまり人間の本当の弱さと真の強さをエンターテイメント性で色濃く観れることだったりするので、もはや終盤に向かえば向かうほど高鳴りがないので退屈です。題材自体が否応なくエンターテイメント娯楽作品なのに、最近流行のアンチカタルシス精神なのかなんなのか、背をどんどん向けていくので、もう本当にシミュレーション映像でしかないと思います。大在そのものに興味はそそられますし勉強にはなりますが、人間の魅力に触れていないが故に心に残る映画にはなっていないと思います。[DVD(吹替)] 4点(2012-03-21 21:05:30)(良:1票)

45.  永遠の僕たち 《ネタバレ》 彼の寝転がる左脇に出るタイトル「Restless」眠る事がないというより、この作品における眠りが死であることから、死ぬ事がない、あるいは永遠という意味になるのかも知れません。(なるほど、タイトルの日本語訳はあながち外れではないですね)ノーイックにとってそれが「君はいなくならない」ということにも見え、ラストの微笑みが心に響きました。彼がスクリーンに登場した時点で彼が感じれていなかったのは、“死の実感”だと思います。「死んだら何もない、何の意味もない、ぼくはそこに何も感じれない」そんな悲痛な叫び声が抑制された画面からヒシヒシと感じられ、だからこそ彼は実感を得るために自らの周りに検死線を引き、偽りの参列を続けていたのだと思いました。また、そこに常にいるのがヒロシ。死、そのものである存在と死にまつわる軍艦ゲームをし、「お前には死者への尊重がない」と言われているのに実感を得られないノーイック。そんな時に出会うアナベルが抱えているのは“死の実感”そのものでした。その象徴がダーウィンです。=“神への反発”ではなく、日々を変化させたい願望と学び続け日々成長していたいという、まさに生きたいと願う実感そのものでした。本来なら、そんな彼女の嘆きや悔しさなどの葛藤を映画的に描いても良さそうなもんですが、それはもう乗り越えた壁として描いているところも好感を持て、なおかつそれがノーイックとのとてもわかりやすい対比になっており、すごく効果的に描かれています。実感を言葉や態度で伝えるのではなく、そばにいて愛し愛されることで自然と彼が実感して行く姿が本当に素敵です。特に、序盤で彼一人によって描かれていた検死線が彼の抱く漠然とある死への虚無感だったものが、2人で描いたことによって愛の象徴と生きている実感、そしてRestlessの比喩になっているようにも見え、心震えました。実感を得たノーイックがついに抱いた感情は、死の実感から来る喪失の予感です。この映画における唯一の涙がノーイックのそれなのです。だからこそ、ラストの微笑みも意味を成すのです。ノーイックの思い出す彼女はどんな時も微笑んでいた。だから釣られて笑ってしまう。きっといつまでも。まさにRestless。[映画館(字幕)] 9点(2012-01-16 02:18:09)

46.  ヒア アフター 《ネタバレ》 タイトルを直訳すると「来世」で、そのことに執着して物語がどうだったか考えてしまうと、この物語に登場する人物たちはみな共通して「過去のできごと、過去となってしまった人物たち」に捕われている存在なので、なかなか「来世」との結びつきが困難でした。死を身近に感じる出来事に遭遇した主要三人がメインのストーリーになるわけですが、それぞれ抱えている重みや種類は違う訳です。まず、マットデイモン演じる主人公は死者と会話ができてしまいます。つまり、過去となってしまった人々と今この瞬間に向き合える力を持った人間です。自分ではない過去を生きた人間の存在によって、前進する事ができなくなっているのです。また、少年は瓜二つの双子の兄弟を失った事で、二人で一人だった意識に捕われて前進する事ができなくなっています。そして、彼女は臨死を経験したことによって、死のあまりの身近さに取り憑かれ、それ以外のことが考えられなくなっているのです。三人に共通するのは、今を生きているのにまるで生きていないかのように先に進めない硬直感です。この構成が巧みではありますが、やっぱり当然のように三人はいずれ会う事が予想できますし(あえてそういう作りにしたのだと思いますが)、心待ちにし、どういう流れで三人が巡り会うのかを期待します。そして、紆余曲折あって会う。凄い運命的な偶然を大団円的な華やさで描く事なく、穏やかにさも当然といわんばかりの落ち着いた雰囲気で会うのです。そこで行われることは、それぞれがそれぞれのHEREAFTERと向き合うという行為です。つまり、この先を三人が歩み始めたその瞬間が描かれている訳です。「来世」で考えてしまうと、グラントリノで死んだイーストウッドの神的目線物語?あるいはそろそろお迎えを感じ取った彼の遺書?とか深みにはまってしまうのですが、「この後、この先」で考えるととてもスマートな物語構成であることが納得できます。だからこそラストで見えたあれが、過去ではなくこの後であることに納得がいき、また抑制された状況からの解放によるカタルシスに酔いしれることができたのだと思います。80歳を過ぎ、多くの別れと出会いを繰り返し、そしてまもなく必然的に訪れるそれの実感があるからこそできる作品なんだと思いました。ただ、実感として高めすぎた期待値からするとその大きな落差は否めないほどのシンプルな作品であることも確かです。[映画館(字幕)] 8点(2012-01-14 12:12:35)

47.  ブルーバレンタイン 《ネタバレ》 まずタイトルからして面白いです。Valentine's dayで恋人に贈り物を贈る日や想いを告げる日になりますが、Valentineだけで簡単に表現すれば“恋人”や“告白”だったりするわけです。そこにBlueが付くと“青い恋人”や“爽やかな告白”にもなりますが、その一方で“赤みを失った恋人”や“憂鬱な告白”にもなり、さらには恋人の争い、 けんか、 口論にも読めるのです。なんと多面性を持っているタイトルなのでしょう!しかもどれもが答えであり、答えじゃないんです。もうそれだけでこの映画そのものですから、物語を考え始めたらそりゃもう凄いです。タイトル以上に複雑で豊かな表現の中で、溢れんばかりの感情が手に取るような理解でき、さらには自らの人生に投影し、重ね合わせてしまう。絶対的な主観に閉じ込められているぼくは完全に2人の思いに身を投じ、高揚し、落胆し、まるで自らの事にように思い悩みことができました。久々に最高の映画体験を味わえました。[映画館(字幕)] 10点(2012-01-12 01:03:05)

48.  スーパー! 《ネタバレ》 この作品の監督であるジェームズ・ガンはこれまでに「スリザー」で監督・脚本を勤めた他に「ドーン・オブ・ザ・デッド」の脚本を勤めたことからもわかるように、この人のホームがホラーであることがわかります。フランクなノリで始まる作品のコメディっぽい雰囲気とは裏腹に、この作品に強く反映されているのはホラーで、レイン・ウィルソン演じるフランクとI LOVE エレン・ペイジ様演じるリビーから感じるのは人の狂気です。神からのお告げで始めた制裁の行為が知らず知らずの内に、腹いせや個人的な感情に昇華されてしまい、沸き上がる快楽と共に理性が追いつかなくなっている姿にぼくは恐怖を覚えました。それは「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」にある、ホラーエンターテイメントが本来持っていた人間の狂気へと変わりゆく様の恐怖が、この作品には見事に描き出されていました。特に如実に描かれているのがエレン様演じるリビーの興奮し過ぎてアドレナリン出過ぎで、理性を見失い、快楽おバカちゃんに急速になって行く姿には、まさにSuperがしっくりきました。この作品におけるSuperはスーパーマンのような英雄的な憧れではなく「過度、超過」で、つまり「そこまでしなくても。やり過ぎじゃない?」だと思いました。この作品は奪われた妻を取り戻す為に始めたそれが、やりすぎてしまい、結果的に最愛の妻と真の友人を失う話だとぼくは思いました。人類がそれぞれの正義の名の下に始めた数々の争いの歴史は、常にやり過ぎの歴史で、後に残っているのはいつだって悲しみなのです。まぁ、深読みかも知れませんが、正義と倫理、結果と責任、理想と現実、つまり生きることに付きまとう表裏を問う話なんだと思いました。あと、蛇足ですが「JUNO」でカウンターに立っていたレイン・ウィルソンと、妊娠検査機を買った(買ってはないけど)エレンちゃんの立ち位置が逆転し、そんな二人がSEXすることに関連性がある気がして無駄に興奮したりしました。[DVD(字幕)] 9点(2012-01-12 00:01:42)(良:3票)

49.  宇宙人ポール 《ネタバレ》 この作品はオマージュ塗れだけど、それ以上に感じるのは製作者側の「大好き」や「感謝」の気持ちとその素直な姿勢です。それらを具体的に挙げていったら切りがないのでぼくはそれに関してはパスしますが、それらを除いても、つまりそれらを一切知らなくても(一緒に行った彼女)楽しめるということが、逆に言えばそれらが映画を面白く、豊かにする上で必要不可欠なものとして描かれているということが素晴らしいです。また、SFを好きということが作中の登場人物たちと観客それぞれをリンクさせてくれます。スピルバーグとそれ以降のSF作品により、ETが宇宙のどこかにいるかもと夢に抱き、未知との遭遇にノスタルジーを感じ、理論を超えた世界にどれだけの人々が神秘的なロマンスを抱いたことでしょう。この作品はそんな構築された時代のさきっぽの今を生きるぼくらにとって最善のSF映画であり、待ち望んだ宇宙人ものだと思うのです。ようするに「まじで宇宙人がいたらどうする?」「そりゃ、なんでもやるさ!だって待ってたんだから、会えるその日を!」です。それを具現化する作業に置いて欠かせないのは、やはりスピルバーグの存在です。彼がいなかったら今のSF映画の流れがどうなっていたかわかりませんし、ファンがいないのも当然ですが、今当たり前のように心にあるロマンスも抱けているかどうか定かではありませんから、この映画が感謝で溢れているのは当然なのです。またそれを描いているのがイギリス人というのも最高です。それが意味するところは冒頭から描かれていますが、ピザを運んできた男にする「宇宙人っていると思う?」の質問の答えが「ぼくも宇宙人(外国人)だもん」であり、この映画はみんな誰かにとっての宇宙人であることを描いていると思うのです。この映画は違いのある人間を理解、尊重し、他者との歩み寄りの重要性をも描いているのです。サイモン・ペッグ脚本作品に一貫して感じられる「みんな争い事とかやめない?未知との遭遇でも観て楽しく行こうよ」という姿勢が素敵なのです。そして、何よりも最新技術を駆使しポールの動き全てを疑いようのないものとして作り上げた技術と、ポールの気持ちいい人懐っこさが相まって一切の違和感を抱く事なく好きになれ、そして今この瞬間も宇宙のどこかで美味しそうに葉っぱを味わっているんじゃないかと想像させてくれる事が、この作品の最大の賞賛ポイントです。[映画館(字幕)] 9点(2012-01-11 19:00:03)(良:1票)

50.  漫才ギャング 《ネタバレ》 この作品は、ふつうに観れば映画っぽく撮れていると思います。こちらに投稿されている皆さんが述べられている通り、様々な要素がそれっぽい姿はしています。まずアクションですが、スローモーションと早回しを多用する事で、今流行のスピード感あるハリウッドっぽいアクションに仕上げています。そのアクションそのものを演出しておられるのが日本屈指のアクション監督である諸鍛冶さんということもあってか、ぽいです。また、この作品のそれっぽさの根源は当然脚本にあるわけですが、問題は大量にあります。まず上地さん演じる鬼塚ですが、彼の変化の物語は佐藤さん演じる黒沢に誘われ、引き受けた時点で終わりを迎えています。というのも彼は自らの生き方を変えなければならない状況に置かれた人物だったわけですが、それに背を向けて突っ返す訳でもなく爽やかに引き受けている時点で彼は成長を遂げてしまっています。終盤に決断を迫られる流れはありますが、彼はそれを深く悩みもせず決断し、ラストカットでは漫才をやってます。葛藤があるっぽいだけでそこに感情の抑制は皆無です。つまり、彼は最初の決断以降その軽いノリのまま、最後まで平然と嬉しそうに漫才をやり切っているわけです。また、二人を筆頭にこの作品には“とある何かをしなければならないが、それをすると大切な何かを失う”といった抑制された状況にいる人間、思い悩む感情は存在しないのです。まぁ、正直そんなことはどうでも良いです。この品川という人は、彼の立場上最もやってはならないことを平然とやってのけているのです。それがあるから、葛藤どうこうは次元を超えてどうでもよくさせてくれます。それは「漫才をなめるな」という事です。黒沢はずぶの素人である鬼塚とコンビを組みますが(それ自体馬鹿じゃないか?と思いますがそれも良しとして)、なぜか初めての舞台から“笑い”を取る訳です。人を“笑わす”という事は簡単ではないと散々黒沢に言わせておきながら、簡単に“笑わせ”ているわけです。その後も人を“笑わす”事に一切苦難することなく“笑わせ”続けます。つまり「人を笑わせることなんて簡単!」という流れの作品になっているのです。そこから理解できるのは、この品川という人が表面、絵面ばっかり洒落込んで中身が伴わせることに興味がないことを具体的に表しているのです。映画だけでなく、漫才すらなめています。[DVD(邦画)] 0点(2012-01-11 18:25:11)

51.  さや侍 《ネタバレ》 ぼくは松本人志の大ファンではありませんが、そんなぼくでも松本人志の刀は知っているつもりです。それは言うまでもなく“べしゃり”であり、日本の頂点に立っている刀の“持ち主”なわけです。そんな名刀を今回は完全に封印し、さらには自分ではない他人にその身を委ねています。自らで自らを縛り付けての挑戦をこの作品でやっていることは誰の目に必然です。その状況で挑むストーリーは「走れメロス」系、期限内達成ものです。そこにあるのはまず緊張感と恐怖感で、登場人物の感情に吸い込まれるような感覚を生み出します。また、その緊張感の中で登場人物たちが喪失の予感を共有することで生まれる衝突と再生が何よりの醍醐味です。それらを踏まえてこの作品を考えると、緊張感と恐怖感はまったくと言っていいほどありません。それは主人公に失いたくない絶対的な何かが感じられなかったからです。この作品における刀は松本人志にとっての“笑い”であると同時に、作中では侍としてのプライドであるはずなのですが、彼からはそれが一切感じれないのです。それを描かずして成立しない物語といってはずですが、“笑い”を優先してしまったが故に物語上の核を描いていないことになっています。また、“笑い”に関してもこれは好みなのかも知れませんが、30日間で徐々に笑いのバラメーターは上がって行き、笑えていくものだと思っていたら、最後の最後までぼくは「え?いまの面白かったの?」という印象止まりでした。それに関しては最後には刀なくとも切り裂いてくれるだろう、という過剰な期待の飽和が招いたことなのかも知れませんが、作中に笑っている農民の姿、笑い声が聞こえる度にその温度差にも苦しみ、またそれが笑いを強いられているような気がしてなりませんでした。ぼくには何よりその姿勢そのものが辛く、不快感すら抱きました。それを踏まえてのラストの切腹の解釈を「刀がなければ駄目なんだ、あれでは満足できない」というふうに受け止めれば納得もできたのですが、その後に手紙を坊主に託してベラベラ喋らした時点でわけがわからなくなりました。それは刀以外の何物でもありませんのでぼくの心に残ったのは不信感以外ありません。必至で考えましたが、ぼくには作品の意図としても、映画としても、笑いとしても、何ひとつ魅力を感じれる要素を見つけることができませんでした。ただ、映画に挑戦しようとした試みに点数を。[DVD(邦画)] 3点(2012-01-10 20:40:05)(良:2票)

52.  ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル 《ネタバレ》 トム・クルーズ=イーサン・ハントがようやく自分の中で納得できる人物に見れました。もっと簡潔にいうと、イーサンの感情にここまで特化した内容のものは、シリーズ通して実はあったようでなかったと思います。前作を念頭に鑑賞を始めると、序盤から感じるのは奥さんは?という雑念が過り、次に思うのは「ハリウッドアクション映画シリーズ御得意のヒロイン取っ替え引っ替えか?」です。大切な女を一貫して守れないおっさんが、なにが国家を守るだ?アホか、と思わせてくれるわけです。それが、主軸の核戦争勃発を阻止するための行動と共に事情が徐々に明かされてゆき、物語とリンクして行きます。「イーサン、そんな過去が・・・でもなぜ、お前はそこまで強くいられるんだ」徐々にそう思わずにいられなくなります。それは、途中参加の分析官の彼の心情とまさにシンクロするわけです。そしてそれは最後に最大のネタバレに繋がって行きます。後出し!最後の最後にお涙頂戴展開だよ!って思ってしまう反面で、彼は一人いつも自分に課せたGhost Protcol「実在しない協定」の上で彼女を守っていたのだと思うと、否応なく心が震えました。もはやぼくの勝手な解釈になりますが、Ghost Protcolによって二人以外の人間が知りえないその悲しき関係性が物語の核とシンクロした瞬間、心がとても震えました。中盤でハントが言った「生き返らない=絶対に戻ることがない関係性」も観賞後に本来の意味になって響いてきます。つまりハントはこの先一生死ぬまで、Ghost Protcolの作戦を一人孤独に続けて行かなければならないのです。ぼくは想像してしまいます。今この瞬間も戦っているハントの姿を。[映画館(字幕)] 9点(2012-01-04 02:11:29)(良:2票)

53.  SUPER8/スーパーエイト(2011) 《ネタバレ》 この映画は、やりたいことをやり切っている映画であることはまず間違いないと思います。ただ、それが往々にして物語上の豊かさや推進力に繋がって行っていないところが、やっているだけの印象が観賞後に残ってしまう原因になっていると思います。この作品そのものが、スピルバーグ作品へのオマージュであることは誰の目にも必至で、誰もがそれと比較して観てしまうと思います。相乗効果といいますか「幼少期の純粋性」×「未知の生命体」×「大人(社会)との対立(喪失の予感、緊張感)」の要素による見事な融合が『ET』を作ったと例えるなら、この映画にある要素は「幼少期の恋心」×「未知の生命体が齎す緊張感」×「役に立たない大人たちの存在」だと解釈しました。つまり、てんで方向性が滅茶苦茶でそれぞれが全く重なってこないのです。だって、軍の人間は生命体を逃がしてしまってあたふたして本気で捕まえるようとしているようには見えず、親はなんか勝手に動いてもがいているだけで、子どもたちは攫われた女の子を救出するだけですし、生命体は帰りたいだけです。軍と生命体との対立は瞬く間に終わり、その後はおのおののやりたいことをする時間になるわけですが、もう映画の推進力になる大きな目的はないのです。というか、もともとないのです。観ていて望んだのは、子どもがフィルムを早めに観る事でその存在に気付き、大人たちに話すも相手にされず、親たちが気付いたころには子どもたちは次のステップに危険を顧みず進んでいる、という感じです。それが『ET』だと子どもたちがETを大人たち(社会または悪)から守ることであるから、どう守り、どう帰らせるかに興奮と緊張感があり、また別れにカタルシスがあるのです。でも、この映画にはその中心にあるべき映画としての目的がないため、その場その場の状況に流されているようにしか観えないのです。母親の形見?しかりです。その前に台詞で言ってるんだから、そこであざとくやるのもやっぱりやりたいだけな印象が先にきます。まぁ、やりたいことをやりたいようにやると滅茶苦茶になるよ、というお手本的な作品とも言えます。最後に、良い点を挙げれば、それは幼少期の恋のピュアさは奇麗に描いています。ゾンビメイクの件とか、窓から入ってくる件とか、ホームでの芝居のうっとりする件とか。その一連だけは純粋に心地良く観れました。[DVD(吹替)] 5点(2012-01-02 00:25:58)(良:1票)

54.  抱きたいカンケイ ラブコメなんて、どれ見たって結局男と女が紆余曲折あってくっつくだけの話であって、それ以上を期待して見ることが大前提として間違っているのだから、この映画はその意味では満点。60点中、60点みたいな。 紆余曲折が明確で、恋人にはならない!のルールがいかにして崩れるかが見所!な物語なわけですが、どこをどう切り取ってもいちゃいちゃしてるアシュトン氏とナタリー氏を暖かく、優しい気持ちで見る余裕、余裕?があるかどうか?が楽しめるかどうかの決め手になると思います。 ま、それにどこもかしこもでき過ぎた話な訳ですが、それに対してもアメリカの楽天的バカ映画であるという絶対的な土台で戦っていることを念頭に置いて観れば観れる! 全てが観客が望んだ収まるべきところに収まるようにしっかりとお決まりな内容に収まって行く、その収まり形も実にお手本と言わんばかりの見事な収まり具合。寸分狂わぬ、予定調和具合が正直心底心地良い。いや、それをも凌ぐ予定調和に酔いしれる。ああ、くだらん!羨ましい!くだらーん!羨ましいー!その繰り返しが不毛で良い。うん、ナタリー可愛い!おっぱい見たい!それだけで良い!日本のモテるとかどうか言ってるあれのあの回りくどい、鬱陶しいやり方よりこっちの方がずっと良い。60点を望んできた観客にきっちり60点を取られる技術ってやっぱ凄いと思う。ぼくはね。[DVD(吹替)] 6点(2011-12-26 12:50:18)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》

55.  十三人の刺客(2010) 《ネタバレ》 これは素晴らしい!まず、視点で言えば間違っているかもしれないけど、撮影の行為そのものをがんばっていることにとても感心しました。実写でやれることはしっかりと実写で撮影を行い、殺陣もみなさんすごくがんばっていることに驚いてしまいました。とくに松方弘樹さんの殺陣芝居は本当に御見事です。すごく美しかったです。また、村のオープンセットを作り、家をまるまる一軒壊し、そして殺陣シーンを特殊な映像技術を使わず、正面切ってきっちり描いた姿勢には拍手を送りたいです。そして肝心のストーリーですが、平たくいえば超悪的な暴君を暗殺する為に集まった13人の男が約300人と暴君を殺す、というだけの話です。近代の複雑で空白恐怖症の日本映画界が陥っている詰め込み過ぎから背を向けるかのようなシンプルな物語に、ぼくは素直に没頭することができました。そこにあるのはただただ人のモラルとか道徳観。こんな超悪的な人間に日本を支配させるわけにはいかない、生かしてはおけない、おくべきではない!という気持ち。そこには普遍的な人が人たる所以の感情が漲っているので、強烈でなおかつ具体的な目的意識に強く共感し、没頭することができたのだと思います。それでも、でっかい壁状の木がどういう動力で、どういう原理で動いているのかとか、伊勢谷友介さんと岸部一徳さんの件とか、弓矢から殺陣への移行の理由とか、吹石一恵の一人二役意味ある?ていうかいる?など腑に落ちない部分は多々ありますが、それでもあの迫力あるアクションシーンを現代日本映画で見れただけでかなりの満足感を得られました。[DVD(邦画)] 8点(2011-12-20 09:34:09)

56.  ザ・ファイター 《ネタバレ》 馬鹿な家族から手の切れない馬鹿な主人公。もう、終始イライラした。受動的で、明らかに狂っている母親を決して非難せず、ラリっている兄を尊重し続けるわけの分からない姿勢。嗚呼、こいつも同じ血で、狂っている。そう感じずにはいられない。明らかに意思の弱すぎる主人公は、終始一本調子で受動的なまま、されど天性のものに支えられて世界の頂点に立つ。 兄のおかげで手を怪我しつつも、周りの人間に助けられて復帰し、トントン拍子に成功していく様に、人並み外れた努力が見受けられないのがもう何より苦痛で仕方なかった。おいおい、人生そんな上手く行く?脚色し過ぎじゃない?本当はもっと血の滲む努力があって、それはちゃんと描かれるべきじゃないの?と思わずにいられない。また、兄貴のドラッグから手を洗う動機が自らの姿を映したドキュメンタリーを観たのが原因というのはなんとも納得いかない。撮影中に、撮影がなんの為に行われているか気付かないってどれだけラリってたんだ?もはやトレーナーをそんな人間にやらせているとは、一体何事だ?なんて思ってもそれは実話だからしかたないか・・・でも、弟もボクシングに戻る動機がドキュメンタリーを観た以降の、女を抱いた後ってのが腑に落ちない。つまりあの時の動機というのは「俺の評価まで下がるのは嫌だ!」ということになり、自分大好き推進力というのはなんでこんなに魅力が感じられないのだろう。受動的な考えは維持したまま、自分愛護に拍車をかけて走り回る。終盤の皆大事と言い張り、復活に手を差し伸べてくれた人たちをも裏切り、狂った家族とまた復縁の形を選択する。何も失わぬまま、得るものを得るというのはなんと腹立たしいのだろう。もはや終盤、興味を無くして早く終わってくれるのを願わずにいられなかった。[DVD(字幕)] 5点(2011-12-17 01:15:57)《改行有》

57.  エンジェル ウォーズ 正直、なんの話かさっぱりわからない。空想の中の、空想っていうのが、ぼくの理解力から言ってキャパ越えになるっていうのもあるんですが、もう序盤10分くらいからすでに置いてきぼりを食らった心境で、ただただ画面をポカーんとアホヅラで眺めてるしか術がなくなりました。 さらにわけわかんないのは、まず妄想の中で脱走したやつは妄想ではない実世界でも脱走できているのだけど、その脱出したその作業肯定自体は妄想世界でしか描かれていないので、実際何が起きたかは明確に説明はされていません。裏にしてもわかるでしょ?という前提なのですが、待てよ。えっと、実世界でもあのお友達はみな存在してたってこと?ん?なんかね、多分、妄想の中の妄想を描きたいが為に、妄想世界を描いている感じがあって、じゃあもう実世界設定自体いらないんじゃない?って想っちゃいました。なぜなら、結末に実世界設定が不必要だもん。深刻な救いようのない世界を表現する為に、実世界を根底に設定しただけで、なんかやりたいこと凝縮させたらやりたいことわかんなくなっちゃいました。みたいな終わり方になってる気がする。ようは女の子の戦闘シーンを描く為に、その戦闘シーン自体を妄想にして、その妄想シーンを意味ありそうな設定として説得力を持たす為に、踊るとドーンっていう設定にして、でもそれ自体に深刻な状況にしきれなかったから、その世界すら妄想にしましょう!っていう印象。やりたいことのリアリティや面白さを理詰めし、追求しようとしたらぐっちゃぐっちゃになっちゃったのがこれ。究極の欲張り映画だと思います![DVD(吹替)] 3点(2011-10-08 00:16:56)《改行有》

58.  モテキ この映画を簡潔に言うと「生唾もののまさみを下心丸出しで好きになった男が、ふわふわした状態でまさみを大好きなままちょい衝突して、最後にまさみとブチューする」というだけの話。ただただそれだけの話。この映画を見た女性は、何を思うのって感じだけど、エンターテイメントとして様々な表現にトライしていることには好感が持てるのかも知れない。 大嫌いだけど、ナレーションの多用と同時に下衆なカメラワークによって主観的な映像で色々見せつけられ、否応なく興奮させられる。それだけで、ムラムラしてイライラしつつも満たされてしまう。さらに、カラオケテロップ調の感情表現や、PV風の場面など映画らしからぬ表現が多用されていたけど、こういうやり方はバラエティ、しいてはテレビ局発っぽいなーという感想のみ、抱けた。興味深くはあったけど、面白いとは思わなかった。それまでの日常からの突然の非リアリティー、脱現実。その度心が離れた。あと、主要な女性キャストの残り三人が三人とも、あの三人である必然性はなかったんじゃないかと想ってしまうほど、雑に扱われている。もはや長澤まさみの背景と化している。可哀想だなーてのが率直な思い。抱くだけ抱いてポイされた麻生さんしかり。さらにリリーさんにも抱かれ、別のシーンで同僚とスマイル。尻軽女なん?それでOK?で、主人公の長澤まさみに対する感情のグラデーションの変わらなさっぷり、モチベーションの平坦さたるはまさに馬鹿の極み。ある程度のコミニュケーション能力を持ち合わせている男が、ある程度の積極性でまさみと逢い続け、最後にその積極性のまま、ブチュー。 それと、森山未來がダサくて、冴えない、ちょっとキモい男にぼくは見えなかった。ありでしょ?彼なら。毎日ほぼ違う服装で、髪型はキマってるし。そこを例えば、おしゃれを目指すけどなんかダサいとか、髪型もどっかおかしくない?って感じにするとか。あと、少し前までフリーターだった男が、長文の、人様に読んでもらう文章の筆力があるってどういう事?都合良い設定ぶっこんだってのもあるし、それってすごい才能でしょ?そんな男がモテない?嘘だろ?なんてことを監督にネチネチグチグチ説いたくなるが、この作品は兎に角、まさみが可愛いくてアレがアレしてて、ムラムラして羨ましくてイライラする為のもの!良い、それだけで良いのだ!長澤まさみのIVなのだから![映画館(邦画)] 5点(2011-10-05 00:29:23)(良:1票) 《改行有》

59.  X-MEN:ファースト・ジェネレーション 《ネタバレ》 この仕切り直し作品のノーマルな人間とミュータントの関係性は、 つまるところこれまでの人類が歩んできた誤ちの歴史の 合わせ鏡のような描かれ方をしていた。 冒頭、ナチスが後のマグニートから親を引き剥がす場面からも それが物語られており、ナチスがユダヤ人にしてきた行為は、 行く末の人類がミュータントにする行動のそれでしかなく、 また、プロフェッサーXとマグニートが出会ってからも同様に、 リンカーン像の前で二人でチェスをするというのも、行く末の彼らが歩む道、 つまり人類の歩んできた道を暗示しているように見えた。 特色を持ったコマを使い、互いに相手のコマを潰し合い、 相手の包囲網へ入り込み、キングを潰すという目的のゲーム。 それはつまり戦争の仕組みであり、植民地や奴隷などにも比喩されてくる。 さらには世界人権宣言、黒人奴隷からの解放、 そんな非差別の象徴であるリンカーン像の前で、 チェスをするというのは、もはや直喩的な表現で人類の歴史を、 ミュータントの行く末を表現しているようにも見えた。 それらが意味するのは、ただ、観ているだけで差別され、区別される側の人間の思いに感情移入し、 差別に対する反対的な意識をなんの違和感なく自然と抱ける、その構造の見事さが素晴らしい。 また、当然のように観客から求められる、超人的な能力を活かしたアクションシーンや 訓練シーンは人物それぞれの特色を活かし、高揚感、躍動感たっぷりに描いており、 第三次世界大戦を阻止するという主軸の物語も、ケビン・ベーコン演じるショウの 圧倒的な強さも相まって緊張感たっぷりに楽しく観ることができた。 そして、プロフェッサーXとマグニートの理想像というのが、 最終的に全人類が目指すべき理想像と現実に結びついてくるところが、 何より面白く、この映画のすごいところだと思う。 次回作も是非マシュー監督で観たい。 [映画館(字幕)] 9点(2011-07-19 20:45:52)(良:2票) 《改行有》

60.  127時間 《ネタバレ》 この作品は彼のみの、主観的な物語で構成されているがゆえ、感情移入がとても容易にできる作りになっている。絶対的な主観の人生に閉じ込めらている観客自身が、彼になりきった気分で、まさに岩に右腕挟まれた感覚で、物語の成り行きに身をゆだね、没頭することができる。カタルシスは絶対的な孤独の中で、人生をどう取り戻すか。そういった意味では、「キャストアウェイ」が内容的には近く、心情を吐露する対象が物語を発展させる上で必要不可欠で、キャストアウェイではボールだったのが、この作品ではビデオカメラの液晶に移る自分自身になっている。比喩的にも物理的にも、自分自身と自分自身について語り合うという構造が見事に描かれていて、とても面白い。自らの欠点を見つめ、自らの人生の反省点と改善点を、絶望的な状況下で自分自身と語り合い、見つめなおす。そして、自分がすべきだったことを液晶の自分自身に向けて語る。彼に与えられた選択肢は3つ。ただただ一日でも長く生き延び救助を待つ、岩を崩して脱出する、そして腕を切り取り、生き延びる。結局、最後の決断以外、死の予感しかしない。選ばざる終えない究極の決断にいたるプロセスは、「生きる」への熱意、希望が最高潮に達するまでを、様々な手法で描いている。人は喪失の予感を目の前にしないと、変われない。彼もそうであったに違いない。振り向き様に写真を撮った彼の最後の言葉は、つまり127時間の己との対話を設けてくれた自然への感謝の言葉だったと思う。最後に、できればもう少し死への恐怖心、緊張感を感じさせてもらえたら、脱出の時の死からの開放のカタルシスがもっと感じられたのではないだろうか。観客自身も己の人生を見つめなおすきっかけに成りえる作品の一歩、二歩手間で止まってしまっているような感じ。[映画館(字幕)] 8点(2011-07-17 20:09:59)(良:1票)

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS