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プロフィール
コメント数 2258
性別 男性
ホームページ https://twitter.com/BM5HL61cMElwKbP
年齢 52歳
自己紹介 あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

2024.1.1


※映画とは関係ない個人メモ
2024年12月31日までにBMI22を目指すぞ!!

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41.  13日の金曜日(1980) 《ネタバレ》 小学生の頃に鑑賞済み。今回およそ40年ぶりに再鑑賞しました。当然犯人は誰か知っていますが、それにしてもミスリードが上手くありません。預言者気どりの爺さんを犯人と思わせたいのは見え見えですが、垣間見える犯人の身のこなしが老人のそれではありません。極めつけは射的場への呼び出しの件。助けを求めていたのは明らかに女性の声でした。この時点で女性犯人説が頭をよぎるだけでマイナス。時代的に「ラジカセ」があるなら子供の声を再生すれば済む話ですし、それが無理なら打刻音や光を使う「気配り」が欲しいところです。残念ながら詰めが甘いと感じます。果たして犯人は〇〇だった訳ですが、その狂気にこそ震えるものの、戦闘力はありません。殺しは不意打ちか騙し討ちのみ。まともにやりあったら、若い女性である主人公にさえ勝てません。事実、主人公との直接対決では何度も態勢を崩され逃亡を許しています。この体たらくは殺人鬼として如何なものか。力関係は相対的なものです。己が弱いのであれば相手をもっと弱体化させれば問題ありません。クライマックスの演説用に、毒でも麻酔でも使えばいいのにと思ってしまいました。ラストの湖上シーンはホラー映画史に残る名場面だと思いますが、妄想なのが残念でした(ですよね??)。もっとも続編を考慮するなら「伏線」と捉えられなくもありませんが、どうなのでしょう。子供の頃は『エクソシスト』も『オーメン』も『13日の金曜日』もざっくり同じホラー映画。どれも滅茶苦茶怖かった記憶がありますが、大人になって観返すと気づかなくていい粗まで気づくようで。初鑑賞時なら8点、今評価するなら頑張ってもこれくらいです。(以下余談)今回某W●W●Wオンデマンドで鑑賞したのですが、サムネイルが酷いネタバレでした。ちなみに『猿の惑星』セルDVDのパッケージも有名なラストカットがそのまま使用されています。たとえば公開後四半世紀以上経過したメジャータイトルならネタバレして良しみたいな風潮とか不文律とかあるのでしょうか。日常会話で有名映画のネタバレを不用意に食らっても笑って許せますが、せめてこれから映画を観ようとしている人に対しては「気配り」が欲しいと思うわけです。[インターネット(字幕)] 6点(2023-09-29 19:20:06)

42.  カーム・ビヨンド/漂流者 《ネタバレ》 大水害により水没し廃墟と化した香港が舞台のサバイバルスリラー。略奪者がボートで徘徊する無法地帯で息を殺して生活する女性が主人公です。『ウォーターワールド』と『クワイエット・プレイス』を足して2で割ったイメージでしょうか。なぜ無政府状態なのか?水中の捕食生物って何?等判然としない部分はあるものの、甘んじて受け入れるよりほかありません。鑑賞作法は『ゾンビ映画』に同じと考えます。背景を自分なりに想像して補完する楽しみがあると考えれば、むしろお得かもしれません。 終末系映画にしては、サバイバルの難易度は破格の好条件でした。飲料水、食料あり。煮炊き、洗濯、水浴びOK。照明あり、ラジオ放送(娯楽)あり。略奪者が来たら隠れましょう。この「緩い」設定に本作のテーマ(問いかけ)が隠されていました。「今日一日やり過ごすだけなら困りません。さあ、あなたはこの無為な生活をいつまで続けますか?」あれ?災害前の日常と大差ないような。病気、怪我、事件、事故。今までだって寿命を全うできる保証なんて無かったのですから。違うのは、安心が消えたこと。社会に対する義務と責任も無くなったこと。人によってはこちらの世界の方が「生き易い」と感じるかもしれません。 実家を出て自由が欲しいと願っていた主人公が、引きこもり生活に甘んじているのは皮肉なもの。そして前述の問いかけに対する彼女の答えは「このまま行けるところまで」でした。多少不都合があろうとも、今手にしている「平穏」を手放したくないと考えるのが人情です。俗にいう現状維持バイアス。ゆえに変革には「強制力」や「外的要因」が有効です。本作にあっては少女がその役目を担いました。彼女は訴えかけます。このままではいけない。私はここを出ていくと。そんな少女に絆されて主人公も旅立ちを決意したという結末であります。そういう意味では物語終盤の戦闘シーンはサスペンスの見せ場であっても、テーマには直結しません。あくまで移動手段獲得のためのイベントでした。 主人公は時間を浪費していくだけの人生に見切りをつけたのでしょうか。あるいは少女の未来を慮って決断したのでしょうか。いずれにせよ「生きること」より「活きること」を選択したと言えそうです。彼女の人生に革命が起きました。この判断は「正しい」ですし「美しい」とも思いますが、如何せん本作で示された「希望」は脆弱でした。まるで溺れる者にとっての藁のよう。それでも何も無いよりマシですか。勝負をしないまま時間切れより、手酷く負けた方が後悔は少ないのかもしれません。時間と命はほぼ同義です。どうか2人が賭けに勝ちますように。もっとも私個人としては、勝負はできるだけ避け、いつの間にか不戦勝を狙うタイプだったりしますけども。[インターネット(字幕)] 6点(2023-09-26 19:31:23)《改行有》

43.  岸辺露伴 ルーヴルへ行く 《ネタバレ》 『デビルマン』や『北斗の拳』を引き合いに出すまでもなく、ファンタジー漫画やアニメの実写化が難しいのは衆知の事実です。爆死必至の禁断のジャンルにあって、TVドラマ版『岸部露伴は動かない』は稀有な成功例のひとつと言えましょう。成功の要因は、ひとえに実写作品に必要な「リアリティ」を担保した事と考えます。奇しくも岸部露伴が好きな言葉。パッケージの再現に気を取られることなく「作品の本質=魅力の源泉」に注目した制作姿勢が功を奏しました。一度かみ砕いてからエッセンス・旨味成分を抽出し現実にフィットさせる手法は、原作、いや荒木飛呂彦ワールドに対する深い理解と敬意が成せる業でありました。本作はそんなTVドラマ版のキャスト・スタッフが再集結した映画だそう。TVドラマ版のファンであれば違和感なく楽しめる作品であったと感じます。 以下ネタバレを含みます。ご注意ください。気になった点を2か所ほど記載します(ちなみにジョジョは6部までコミックを所有、岸部露伴シリーズは本作を含め未読多数)。まずキーパーソン「奈々瀬」について。彼女の正体は絵師・山村仁左衛門の妻でありました。つまり青年露伴が出会ったのも、ルーブルで助けてくれたのも幽霊ということ。ここで疑問。何故彼女は和服ではないのでしょう。理由の一つは観客に死者であることを悟らせないため。いわゆるミスリードです。だとすればアンフェアな表現では。いえ、これはセーフ。露伴が見たのは「奈々瀬」の魂。有形ではありません。露伴の固定観念や先入観、あるいは理想等が反映されていたとしても不思議ではありません。もっともこれは考察から辿り着く仮説であり、和服であればより納得感はあったと思いますが。次に物語の構成について。サスペンスとしてはルーブル地下決戦で終了しています。そこにエピローグ「実はこんな裏話がありました」が20分。重要な種明かしであり蛇足ではないものの、流石に長い。ジョジョ5部の最終エピソードもこんな感じでしたし原作どおりかもしれませんが、仁左衛門との戦いの中に組み込んだ方がすっきりした気がします。いや、それだと間延びしてしまうのかな。巨人の星と比べれば可愛いものだという気もしますけども。 相変わらず高橋一生さんの露伴は素晴らしい。キャラクターを自分のモノにしています。だからコスプレ感がありません。飯豊まりえさん映じる泉京香も実に愛らしい。黒い絵の呪いにかからないのは鈍感なのか、あるいは無垢なる魂ゆえでしょうか。2人のコンビネーションは鉄板の面白さでした。映画でもTVでも構いませんが続編を強く希望します。[インターネット(邦画)] 7点(2023-09-26 19:30:01)(良:1票) 《改行有》

44.  TUBE チューブ 死の脱出(2020) 《ネタバレ》 ネタバレしています。ご注意ください。 状況設定こそ『CUBE』と酷似しているものの、広げた風呂敷を一切畳まなかった『CUBE』に対して(でも、そこがイイ!)、本作は一応畳んではいます。ただ、珍しい畳み方なので戸惑ってしまうという。チューブは「卵管」、生体組織空間は「子宮」、スーツ腹部の口は「へそ」、周期的に起こる燃焼は「生理」と解釈できます。もしかして追ってくる怪物は「つわり」ですか。この決死の脱出が「出産」の暗示であるのは間違いなさそうです。問題はこの事象に「普遍性」があるのかということ。私自身若干混乱しているので整理してみます。 普遍性がある場合・・・これを「誰もが経験する」事象とするならば「死後の世界は存在する」「生まれ変わりはある」が確定します。さらに「神様」や「天使」の正体も。だいぶ「理想と違う」グロテスクな容姿ですけども。この世界の成り立ち、既存論理の根底が覆ります。 普遍性は無い場合・・・宇宙人による人体実験の可能性が浮上します。彼らは人間という生き物を熟知しており、かつ記憶へ介入可能なレベルのテクノロジーを有していました。主人公を依怙贔屓していた節があるので、観察や実験というより、ペットの飼育・遊びの範疇かもしれません。ラストは主人公の願望の世界でしょうか。 冒頭のラジオ音声と車内での2人の会話。この伏線を額面通りに受け取るか、ミスリードと捉えるかで判断は分かれそうです。世界観が壮大なのは「普遍性がある」ですが、死後あんなひどい目に遭うのは勘弁願いたい。それに殺人鬼や遺体は如何にも「宇宙人の雑な飼育」という感じです。よって私は「普遍性はない」を選びたいと思います。それでも彼らが「神様ではない」事にはなりませんが。 冒頭15分くらいは、これで90分間持たせられるのかと心配になりました。閉鎖空間が舞台のソリッドシチュエーションスリラーは基本出オチです。代わり映えしない画に飽きが来ること必至。そこで重要なのが会話です。『CUBE』のように参加者が多数いる場合もあれば、『リミット』(棺桶に閉じ込められる話)では携帯電話が使われました。視覚刺激に変化がなくとも「おしゃべり」があれば退屈しません。そういう意味で、当初は『CUBE』より『127時間』(腕が岩に挟まれる話)に近い感覚でした。中盤以降は状況が変化したり、脱出の糸口が示されたりしたので目が覚めました。 細部の作りこみに不満があります。例えば遺体は何故スーツを着ていなかったのでしょう。強酸で溶かされた?アームライトは溶けていないのに?想像するにスーツ着用だと遺体のインパクトが目減りするから脱がしたのではないかと。演出とは要するに嘘。上手に嘘を付いて欲しいのです。上半身スーツ着用であったなら「ああ、下半身は強酸に浸かって溶けたんだな」と勝手に納得するのですから。最後のギロチンにしても流石にあのタイミングでは即死でしょう。アイデアは素晴らしいと思いますが、完成度は今一つだったように感じます。[インターネット(字幕)] 6点(2023-09-20 18:54:45)《改行有》

45.  母性 《ネタバレ》 ①女性には2種類の人間がいる。一つは母親で、一つは娘である。子どもができたら娘は自動的に母親に移行するのではなく、娘で居続けようとする者もいる。②母性は最初から備わっている、あるいは子どもができると自然に湧き上がる感情ではなく、学習し習得するものである。清佳(永野芽郁)の持論は、彼女から見た母ルミ子(戸田恵梨香)に対する人物評でもありました。この見解に異議はありません。そういう人もいるでしょうし、勿論そうではない人もいるでしょう。いずれにせよ親には子を産んだ責任があります。子が親に求める責任とは「愛して欲しい」それだけです。「無償の愛」なんて言いません。愛する分だけ愛して欲しい。ですから母の言葉「子どもはまた産めばいい」はどんなに残酷なことか。清佳の記憶から消去されたのも無理からぬ話です。こんな呪いを抱えたまま生きていけるはずなどありません。一方、華恵(大地真央)にとってもルミ子の発言は衝撃だったでしょう。愛する娘に母性が備わっていないとは痛恨の極み。彼女は自らの命を賭して「親の愛とは何か」を娘に伝えようとしたのだと思います。 幼少期~思春期にかけ、清佳は本当に苦しんだことでしょう。親の機嫌を察知できないのも困りものですが、親の顔色ばかり窺っているのは不幸です。「愛情」という「心の栄養」を満足に受け取れなかった影響は如何ばかりか。よくぞまっすぐに育ったと感心します。いや「曲がる事さえ許されなかった」でしょうか。その結果「遊びのない」娘が出来上がりました。真面目と言えば聞こえは良いですが「受け流せない」は危険です。いつかポッキリ折れるかもしれない。事実彼女は一度自死しかけました。強い風には適度に曲がり、時には流され、逆風への耐性を付ける事が肝要であります。 物語のラストは、清佳自身が娘から母へ立場を変え、両親へのわだかまり解消を口にする大変前向きなもの。この心境変化は彼女の中に芽生えた「母性」による効果でしょうか、あるいは結婚や出産時に発現する「はっちゃけ」の類でしょうか。私が清佳なら絶縁以外の選択肢はありませんけども。ここで注意が必要なのは、彼女が抱えるリスク「遊びがない」が解消されていないこと。居酒屋での言動をみると大変不安になります。子育ては思い通りに行かない事だらけ。そんな時重要になるのがサポート体制であります。義理の父母そして夫。いや夫はサポートする側ではなく、育児の当事者ですね。そもそも父親がきちんと機能していれば、清佳がこんなに苦しむ事もなかった訳ですが。ちなみに華恵(大地真央)-ルミ子(戸田)-清佳(永野)の母娘関係がメインであったうちは「母性のありか」「愛情の行方」に物語の焦点が合っていた気がしますが、華恵退場後は「嫁いじめ」が強烈過ぎてそちらに気を取られてしまいました。父の浮気やその浮気相手の言い分も胸糞でしたし、後半はややメインテーマと物語の軸がブレたかもしれません。 最後にミステリーパート「母と娘、それぞれの真実」について。これは『ミステリと言う勿かれ』で整くんが述べているように、事実はひとつ。でも真実は人の数だけあるが正解だと思います。「弁当が落ちた」という事実に対して、母は「ショックのあまり手が滑った」娘は「腹立ち紛れに叩きつけた」と認識していていますが、この程度の解釈の違いはあって当然です。ただ自殺未遂直前の行為についてはどうでしょう。「抱きしめた」と「首に手をかけた」では違い過ぎます。これはどちらかが(あるいはどちらとも)事実を改変している事を意味しました。ここからは完全に推測ですが「首に手をかけた」が事実と思われます。現実に耐えられなかった娘は自ら首にロープを巻くことで「事実を上書きしようとした」が真相ではないかと。何と不憫な自殺理由でしょうか。本当に娘を殺す気があったとは思えませんが、ルミ子が錯乱していたのは間違いありません。精神的に極めて追い込まれた状態であり、すぐに入院治療が必要なレベルかと。ですからその後ルミ子が適切な治療を受けていないとすれば、状況は悪化こそすれ好転などしていないはずです。娘の妊娠報告をうける場面。ルミ子がそっと閉めた扉の向こうには要介護の姑がいたはず。何やら寒気がするのは、気のせいであって欲しいのですが。[インターネット(邦画)] 6点(2023-09-19 18:54:50)(良:1票) 《改行有》

46.  コンビニエンス・ストーリー 《ネタバレ》 三木聡監督待望のファンタジーコメディ。いや「ホラー」ですよね。さらに「ミステリー」でもある。複雑怪奇な味わいですが、これが三木聡節です。万人に勧められる映画ではありませんが「好きな人にはたまらない」のも間違いありません。それでは私なりの解釈を。誤読、思い込み、頓珍漢、ご容赦ください。 大筋は以下のとおり。主人公は自動車事故がキッカケで、あの世の手前にあるコンビニ(リソーマート)に辿り着きました。刺青がある店主の南雲(六角精児)は物の怪の類。閻魔大王の配下でしょうか。その妻である恵子(前田敦子)は、大量殺人事件・通称「江場土事件」の生き残りとのこと。しかしこれは南雲の作り話。あの世へ行くはずだった恵子を南雲が見初め引き止めたのです。立場的には「捕獲されたムカデ」と同じ。ちなみに彼女はガソリンを使って殺されたのかもしれません。囚われの恵子は、迷い込んできた脚本家・加藤(成田凌)を利用して南雲の元から逃れようと画策しました。一方そのころ加藤の恋人ジグザグ(片山友希)は、彼があの世の手前で彷徨っていると看破します。彼女には霊感あり。メガネ男(おそらく裏社会の霊能力者)に冥界への出張捜索を依頼しますが、南雲の手にかかり殺されます。恵子の手助けもあり再び現世に戻ってきた加藤ですが、そこは自動車事故に遭う直前の世界。運命は変えられませんでしたとさ。ちなみに自動車事故以降の出来事は、全て加藤が執筆していた幻の「コンビニ物語」との見立ても可能と考えますが、やや解釈としてはつまらない。コンビニを題材とした物語を執筆中にコンビニで事故死したからコンビニへの執着が強く、その結果♪あの世のコンビニ・リソーマート(ファミマっぽく歌おう)に迷い込んだとの見立てが適切ではないでしょうか。以上です。 最大の謎(関心事)は、結局加藤はどうなったのかということ。自動車事故の直前、レジで恵子は何やら囁きます。唇の動きをみるに『ふりかえらないで』。あの世から加藤を送り出す際にも口にしていた台詞。“起きてしまった事は悔いても仕方がない”という意味ならば、今度はすんなりあの世へ行って欲しいということでしょう。それは恵子自身に向けられた言葉でもあった気がします。 三木聡監督のファンである私でさえ、ほぼ毎回「なんだこりゃ」と戸惑うのがお約束。今回も観終えた直後の満足度は高くありませんでした。コメディとして分かりやすく笑える箇所もありませんし。しかし、1時間、半日、3日と時間が経つごとに自分の中で熟成されました。これは本サイトに「感想を書く」ための脳内反芻の効果でもあります。考えれば考えるほど「良く出来ている」事に気づかされました。例えば劇中最大の嘘「自動車に撥ねられても無傷」を何の違和感もなく差し込む手際の良さ。加藤の不思議体験を「太陽光の喩え」を用いて補足説明する抜かりなさ。只事ではないでしょう。「面白い」とも少し違う「よくわからないけど好き」という感情で溢れています。ちなみに「好き」には、キャスティングが大きく影響していました。これは毎度の話ですけども。常連の芸達者さんたちが「旨い」のは言うまでもありませんが、主要キャストの皆さんが素晴らしい。成田さんの力みない佇まいは霊体にピッタリでしたし、六角さんは説明不要で物の怪でした。片山さんの「エロス」は「生」の象徴であり死者の世界を際立たせます。そして何より前田敦子さん。醸し出される「憂い」が絶品!演技の良し悪しはわかりませんが純粋に凄いと思いました。「旅のおわり世界のはじまり」も良かったですが、また一皮剥けたのではないでしょうか。残念だったのは、松重豊さんが不在であったこと。やはり三木映画では、岩松了さん、ふせえりさん、松重豊さんの3人が揃わないと寂しいです。[インターネット(邦画)] 8点(2023-09-14 18:22:24)(良:1票) 《改行有》

47.  MAMA(2013) 《ネタバレ》 結末に言及しています。未見の方はご注意ください。 端的に言うなら『狼少女ジェーン』(ガラスの仮面より)のオカルトホラー仕立て。描写の中に近代ジャパニーズホラーの礎とも言うべき『リング』から「指さし男」が引用されていたのが感慨深いです。ゴッホの作品に浮世絵が登場するような誇らしさとでも言いましょうか。これはパクリではなく「オマージュ」でよろしいんですよね。 私は冒頭オカルトホラーと書きましたが、ヒューマンドラマとしてつくり込まれており「ダークファンタジー」にカテゴライズする方が適切かもしれません。何といっても『パンズ・ラビリンス』のギレルモ・デル・トロが製作総指揮ですから。終盤の救出劇には手に汗握り、ぐいぐい引き込まれました。展開もまさしく『リング』さながら。はじめは寝転んで眺めていましたが途中から正座です。「助けてやってくれ」「見逃してくれ」と何度も心の中で叫びましたが願い届かず。観終えた直後は相当滅入ったものの、冷静になれば納得の結末と言わざるを得ません。「もし・あの時・ああしていれば」が見当たらないのです。そう自分に言い聞かせています。 大量のさくらんぼの種が意味すること、視線の使い方、キーアイテム「メガネ」の役割など、ツボを心得た演出が冴え渡り好印象。ママの造形は怪物に寄り過ぎていた気もしますが、「亡霊の子育て」という設定上おどろおどろしい見た目でなくてはいけなかったのでしょう。最期の瞬間、怨念から解き放たれ穏やかな表情であったのがせめてもの救いでしょうか。2人の子どもは本当に可愛かったです。ずっと「私は行かない」としか言わなかったお姉ちゃんの気持ちが胸を抉ります。妹にはどうしても「行くな」と言えなかったのですよね。姉妹にとって亡霊は母親に違いなく、行先が地獄と分かっていたとしても一緒に居たいと願うのが子ども心。姉は妹の気持ちを尊重したのです。姉妹で明暗を分けたのは人間社会との繋がりの差。「メガネ一つ分」の違いでありました。 タイトルといいビジュアルイメージといいあまりぱっとしませんが、こんなところに傑作が隠れていたとは驚きです。福引で一等賞を当てた気分。覚悟のいる物語ではありますが、皆さんにお勧めします。[インターネット(吹替)] 9点(2023-09-11 18:20:51)《改行有》

48.  BODIES BODIES BODIES/ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ 《ネタバレ》 ネタバレ禁止映画です。未鑑賞の方はご注意ください。 タイトルの「Bodies」とは「死体」の意。また劇中披露された「人殺しゲーム」の呼称でもあります。くじで殺人犯役となった者を会話で探り出す人狼ゲームのような遊び。アメリカではお馴染みのゲームなのか、はたまたこの映画だけのオリジナルなのか不明ですが、いずれにせよ「遊びのはずだったのに・・・」パターンのサスペンスです。観終えてみれば「そんなことだろうと思ったよ」ですが、パニックになると人はとんでもない間違いを犯すという事でしょう。ただ、それにしても本作の登場人物の錯乱ぶりは酷いものでした。お口あんぐりのアングリーです。 失礼しました。 彼らが判断を誤った要因は大きく2つに区分できます。外的要因と内的要因。外的要因とは「状況」であり、「嵐」「停電」「通信不通」「車のバッテリー上がり」そして「友人の不審死」が該当します。これら要素が積み重なり彼らの中で「緊急事態」と認定されました。緊急事態と平時では、判断基準が変わるのは当然です。思い切った決断が求められる事もあるでしょう。しかし今回のケースは緊急事態でも何でもありません。この状況を緊急事態に「格上げ」してしまったのは、内的要因、すなわち彼らの「心理状態」が影響していたと考えます。具体的には「日頃の人間関係」そして「経験不足」。端的に言えば「子どもだから間違えた」。未熟なパーソナリティに飲酒とドラッグが追い打ちをかけ、慌てふためいた挙句に日頃の人間関係の鬱憤を暴発させてしまったと。客観的には「なんだそりゃ」って話です。ただし、かくいう私も彼らと一緒に浮足立ちました。反省いたします。ただ言い訳させてもらえるなら、それだけ伏線やミスリードが上手かったということ。1人目、3人目の死の真相は「事故死」でしたが、ぱっと見「他殺」です。つまり偶然が2度重なった状況。ミステリーの流儀としては多少アンフェアな気がしないでもありませんが、描写にも配慮がありギリセーフ。またパーティ参加者唯一の大人を早々に退場させたのもお見事でした。ラストのセリフがまた何というか脱力もので、騒動の本質を突いています。先にざっくり「経験不足」と断じましたが、正確には「教養不足」かもしれません。知識や学力ではなく教養。彼らの言葉一つ一つの軽薄さが気になりました。正しい判断には確かな教養が必要です。パーティ参加者の中に一人でも教養を身に着けた者がいたなら、結末は全く違ったものになっていたはずです。[インターネット(字幕)] 7点(2023-09-08 14:18:13)《改行有》

49.  カラダ探し 《ネタバレ》 ジュブナイルホラー+ループもの。こんなの絶対に面白い組み合わせじゃないですか。個人的には砂糖醤油か味噌バタークラスの鉄板ミックスと考えます。当代きってのアイドル女優・橋本環奈さんの美しいお顔をあんな感じに歪めてしまう「忖度の無さ」をみて、こりゃひょっとすると大当たりじゃないの?と色めき立ちましたが、結果的には「壁ドン系ラブロマンス」でしたと。いや「壁ドン」じゃなくて「お口ズボッ」ですか。いずれにしても見事に騙されました。正直言って「なんだそりゃ」であります。でもこれは私が悪い。カラダ探しの最後のパーツにしても、絶対に参加者の誰かを生贄にしないと駄目なヤツだろとか、ループが切れたとき結局生き残り一人とかだと切ないなあと、勝手に思い悩んでいたくらいですから。ここまで予断を持って臨むようでは、そりゃ観る方が悪いです。ごめんなさい。で、それを承知の上での相談ですが、やっぱりあれくらい全方位型ハッピーエンドにしないといけないものですか。「ループが終われば記憶は消えてしまう」この上ない「切なさ要素」をいとも簡単に反故にしますか。内村航平が鉄棒大車輪から回転もひねりもなく、すっと着地したような肩透かし感。同じハッピーエンドでも、もっとほろ苦くも、むしろキュンキュンにも出来たと思うのですが。個人的には、銭婆の名セリフ「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで」を踏襲しつつ、ちょっぴり切なく、でも極めて未来志向の爽やかエンドが良かったのですが。無理な相談ですか。そうですか。グラニュー糖のハチミツ掛けは、私には甘すぎました。[インターネット(邦画)] 5点(2023-08-31 20:26:40)

50.  哭悲/THE SADNESS 《ネタバレ》 ぱっと見、ゾンビ映画。でもゾンビ映画ファンが観ると「こんなん観たかったのと違う」と言うと思います。何が「違っている」のでしょう。 ①ゾンビに感情や思考力を残したこと。 人間から命と知性を奪い、生ける屍にすることで「人ではない何か」を創出したのがゾンビ最大の発明でした。喩えるなら軍隊アリ、ピラニアの大群が如し。それなのに見た目は愛するあの人の姿。ゆえに葛藤が生まれました。本作ではあくまで「狂暴化した人間」だったため、ずっと殺人鬼か狂人と相対している感覚でした。 ②感染経路を飛沫感染としたこと ゾンビ映画の原則は血液感染です。主に噛み付きによるもの。しかし本作では飛沫感染(空気感染)が採用されています。しかも潜伏期間が相当時間見込まれるため、マスク着用等の感染予防は意味を為しませんでした。ポイントとなる感染が運任せでは脱力してしまいます。 ③立て籠りがなかったこと ゾンビ映画の魅力の一つはサバイバルです。隠れ家、水や食糧、移動手段、武器の確保。生き延びるための準備は、遠足の準備に似ています。息つく暇なく逃げるサスペンスにスピード感はありますが、逆に言うなら「猶予」や「間合い」はありません。長期戦こそサバイバルの醍醐味。短期決戦では浪漫を欠きます。 小煩い事を書きましたが、結局は「ゾンビ映画なんて腸デロデロのグロ描写があればいいんでしょ」という安易な姿勢が透けて見えるようで気に入らなかったのです。本作の設定なら、攻撃としての噛み付きはあっても、人肉を食う必然性などありません。しかし明らかに人肉食シーンがありました。合理性や理念の無いグロテスク描写は悪趣味というもの。ゾンビ映画ファンは、グロは愛でても心はロマンチストです。見くびってもらっては困ります。そういう意味では、ゾンビ映画ではなく殺人鬼ホラーとして観ればよい訳ですが、ここまでグロテスク且つ胸糞なものを延々と見せられて喜ぶ度量が私にはありませんでした。唯一褒める点があるとすれば、ウイルス研究者の描写です。変異ウイルスによって強制的に理性を奪われた感染者と違い、彼は未感染でした。しかるに一線を越える蛮行を働きます。環境が彼にさせたこと。大災害での暴動や火事場泥棒と同じです。非日常の中で、人は倫理のタガを簡単に外す。感染者と思しき者の中に、研究者と同じ者が居ないとは言い切れません。[インターネット(字幕)] 4点(2023-08-30 08:51:32)《改行有》

51.  ゴーストマスター 《ネタバレ》 映画愛を詠った映画には違いありませんが、その愛情表現は歪です。恨み辛み不満込々。映画をこんなに愛しているのに、映画は自分を愛してくれないのか。主人公の昇華されぬ映画への愛憎が、彼の分身ともいえる脚本に命を吹き込み、異世界の扉を開けたのでしょうか。その不満の源は映画業界を覆う富や機会分配の不均衡に由来するものかと。万年助監督の主人公だけでなく、30年生のベテランカメラマンが家賃7万6千円のアパート住まいという現実が痛いです。遣り甲斐搾取?でもそうしないと廻らない業界事情も理解できてしまうのが恐ろしい。もし隅々にまで適正なギャラが払われたら、制作される映画の本数は激減するでしょう。チャレンジングな企画は通るはずもなく、実績ある監督にしか仕事はまわって来ないのでは。そんな閉じた業界が繁栄するはずもなく。でも、だから、現状を容認するしかないの?いや、それは違うだろう。愛しているが、恨んでもいる。そんな光あたらぬ制作現場の人々の遣る瀬無さが、物語を通じて伝わってきます。きっとこの心情を表現するために「特撮」(SFX)が必須だったと思われます。かつて隆盛を極めた特撮も今は昔。CGに取って替わられ、映画業界において失われていく技術なのは間違いありません。アナログからデジタルへ、いやコストパフォーマンス至上主義の潮流に逆らう事など何人もできません。でも、不遇な人、切り捨てられる者にだって矜持があります。「特殊メイクも結構やるじゃん」「CGには無い味がある」そう思わせたら報われる。本作は映画を愛する全ての「勝てなかった者」に捧げられた鎮魂歌だと思います。[インターネット(邦画)] 7点(2023-08-28 21:29:28)

52.  世界の果てまでヒャッハー! 《ネタバレ》 事件が起こりました。真相は不明です。映像記録が手に入ったので確認してみましょう。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の手法ですが、コメディゆえ『ハング・オーバー』を想起させます。どちらもお下劣ですし。POVならではの臨場感は担保しつつ、手ぶれで視認性を損なうミスを犯さなかったのは流石です。 「おバカ」「非常識」「やりすぎ」「人種差別」「エロ」「嘘」「犯罪」「下ネタ」「謎の感動」。笑いの構成要素はグローバルスタンダード。万人受けする濃い味がゆえに、侘び寂び出汁文化の日本人には合わないかもしれません。私は何でも美味しく頂けるタチ(貧乏舌)なので、素直にくだらねーと大笑いさせてもらいましたが、テクニカルにツボを突かれるというより、条件反射で笑わされている感覚でした。こういう強引なのも嫌いじゃない私です。 てっきりアメリカ映画かと思いましたが、フランス映画と知り驚きました。フランスコメディってこんな感じでしたっけ。もう少し洒落た笑いの印象でしたが。もっとも邦画喜劇だって山田洋次から河崎実までいろいろですものね。レッテル貼りはいけません。笑えれば何だってOKであります。[インターネット(吹替)] 7点(2023-08-23 20:15:44)《改行有》

53.  #フォロー・ミー(2020) 《ネタバレ》 ネタバレ厳禁映画です。予備知識なく鑑賞することをお勧めします。なお結構な精神的ダメージが想定されますので注意喚起しておきます。「ユーチューバーとかインフルエンサーなんて調子のり、いけ好かねえから痛い目を見ればいいんだよ」な方にはいいかもしれません。以下は鑑賞済み、鑑賞する気がない、ネタバレ上等な方のみでお願いします。 当初は一般的な「デスゲームもの」との認識でした。そう予告されておりました。人気ブロガーが配信用に「脱出ゲーム」にチャレンジしたところ、実際は本物の「デスゲーム」でしたオチ。如何にもな設定です。そこで肝心のデスゲームですが、宜しくありません。凡庸なアイデアで謎解きに面白みがなく、全体尺に対してボリュームが不足しています。ゲームとは関係ないところで人が死ぬ始末。これはハズレでしょう。でも想定の範囲内でもありました。「デスゲームもの」で当たりを引くのは、宝くじ並みなのは学習済み。しかしながら、これら不満点が全て消し飛ぶ驚愕の結末が待っていました。脳内ではお馴染み「蒲田行進曲」が再生される有様(もちろん劇中では流れていません)。と同時に襲われる虚脱感と絶望感。ああ観るんじゃなかったと大後悔です。思い返してみれば、なるほどと思ったり思わなかったり。その描写はフェアですか、そうですか。やはり舞台が「ロシア」ってところがミソだった気がします(ロシアだからサワークリームですか)。いずれにせよ見事に騙されました。こういう作品を観ると『水曜日の〇ダウン〇タウン』なんか本当に怖くなります。ギリギリを攻めるエンターテイメントは面白いですが、一線を超えると大惨事です。リアリティショーも同じ危険性を孕んでいると言えましょう。そう、この映画の教訓は「何事もやり過ぎ禁止。匙加減って大事」であります。 正直あまり高い点数をつける気になれませんが、「絶対に忘れない」のは間違いありません。「二度と見ない」も確定ですけど。毒にも薬にもならない映画と比べれば、毒でも薬でもある本作の価値はある気がしますが如何でしょうか。ちなみに、ここで言う「匙加減」が神レベルの傑作サスペンスが存在します。鑑賞済みの方であれば、すぐにピンと来ることでしょう。タイトルは明かしませんが、気になる方は本サイトにも登録されていますので探してみてください。でも探して観ると魅力半減なので、偶然出会うのが理想ですね。平均点は6点台後半です。[インターネット(吹替)] 7点(2023-08-21 22:26:13)《改行有》

54.  ウェディング・ハイ 《ネタバレ》 大賞受賞、全国制覇など偉業を成し遂げなくとも、人はいとも簡単に浮かれます。最も手頃で強制力と即効性があるのが飲酒。そして高い罹患率を誇りかつ重症なのが結婚・出産であります。人生のターニングポイントで発症しがちな流行り病と言えます。消える理性、変わる常識。「つける薬なし」の「浮かれ病」はコメディのモチーフとして格好です。この奇病にかかった人たちを憐れむでも蔑むでもなく、生暖かな気持ちで見守れるのは、みんなこの病の罹患経験者だからかもしれません。 脚本は今やドラマ畑でも大活躍の芸人バカリズム。バカリらしい人間観察眼は本作でも健在で、「あるある」から重箱の隅をつつく嫌らしい指摘まで、思わずニヤリとさせられる緻密な人物造形に感心しました。ブライダル業界への批判(ツッコミ)もチクリ。でもそんなマイナス面も含めて、滑稽で愛おしいのが人間という主張でしょう。 浮かれ病の異常さを際立たせるのが、健常者=沈着冷静なウエディングプランナーという構図でした。彼女が大いに困り、奮闘するのを応援するのが物語の中心線と考えます。しかし感情移入できません。私が「愛しさと切なさと心強さ」を知らぬ薄情者だからなのか、あるいは篠原涼子よりDAYO姐こと市井由理派だったからなのか。いいえ、中越も違う病を発症していたからです。お客様は神様病。正常な判断ができない点では浮かれ病と同じです。「NOと言わないウエディングプランナー」一見聞こえは良いですが、「絶対に手術を失敗しない外科医」や「警報が出ても祭りを中止しない主催者」に置き換えれば、ヤバさの本質が分かるというもの。無理難題に困りもせず見事に対応してしまうあたり「ハケンの品格」の大前春子のようでもありました。いずれにせよ、感情移入するに足る魅力が主人公には無かったという判断です。そういう意味では個の力で不足するキャラクターの魅力を補える俳優(バカリ組の中なら、安藤サクラや永野芽郁が該当)であれば、また違った印象になった可能性はあります。 オチについては、センスのある人ほど陥りやすい「逆に、あえての、王道の下ネタ」だと思いますが、完全にすべっていました。ちゃんと気の利いた面白いオチを付けられる人なので、ちゃんとしてください。猛省を促します。[インターネット(邦画)] 6点(2023-08-17 18:29:43)《改行有》

55.  チャイルド・プレイ(2019) 《ネタバレ》 1988年制作のオリジナルは鑑賞済み。とはいえ随分昔のことですから詳細は忘れました。そこで本サイトの自身の投稿を見返したのですが、絶賛していて驚きました。そんなに面白かったかな?そんな印象ないのですが(苦笑)。で、今回のリメイクの感想ですが「そこそこ良く出来ていてリメイクの意義も感じるが・・・」であります。 以前別作品の感想で述べた気がしますが、そもそも傑作・名作をリメイクする必要などありません。これが大前提。ただし、古典SFを最新の映像技術を駆使して撮り直してみるという試みは理解できます。本作はこのパターンかと。さらに最新のテクノロジー「IOT」を活用することでチャッキーの殺人能力の爆上げにも成功しました。ただ、現代風にチャッキーを「最適化」したせいでオカルトホラーとしての「味わい」や「深み」は無くなってしまった気がします。でもこれは仕方のないこと。仕様が変われば特長も変わる。これもリメイクの意義と考えます。 チャッキーの風貌について。ツッコミたくなる衝動が沸き上がりますが、こんなデザイン無い話でもありません。日本だってキモカワイイとか、エロかっこいいとか、肯定する気になればどうとでもなります。ジャスティンなんちゃらとか、フワ何某とか、インフルエンサー様が「これアリなんじゃねえ」と言えば確実に流行る世の中なんでしょうし。これもまたホラーな気がしますが。 コメディやジュブナイルの風味を利かせ、全体印象は「IT」を彷彿とさせる出来栄え。これはこれで悪くありませんが、オリジナル超えは叶わなかったようです。[インターネット(吹替)] 6点(2023-08-13 19:24:03)《改行有》

56.  シュシュシュの娘 《ネタバレ》 現代版脱力系忍者コメディを必殺仕事人風に~吹き矢を添えて~。小洒落たレストランのメニューみたいですが、コンセプトはこんな感じかと。ただし悪代官や殿様は現代では官公庁に該当するようで、悪事が生々しくていけません。風刺を超えて、体制批判・政治思想すら感じさせます。シュール&ナンセンスコメディの出来は悪くないので、もっと素直に楽しみたかったというのが本音です。雑味がエグいのです。プロパガンダにしても偏り過ぎでしょう。 復讐譚としては因果応報のバランスが悪いと感じました。ヤリチン男への制裁は兎も角も、当局への復讐は明らかにやり過ぎです。司法の裁きや社会的制裁が望めないから裏稼業の出番なわけで、このまま放っておいても彼らは失脚しました。それでもなお彼らを鞭打つ、いや吹き矢を突き刺すのであれば、今流行の(?)『倍返し』でしょう。復讐は等価報復が基本。超過報復が肯定されるのは、理不尽且つ甚大な被害の場合に限定されます。皆殺しって八つ墓村か。まあ実際のところ全員死んではいないでしょうが、脱力系コメディとリベンジものの相性がそもそも良くないのだと思います。 次にタイトルについて。忍者を表す擬音は『ニンニン』と相場が決まっています。ただこれだと著作権の問題が発生するかもしれませんし、不思議なことに伊東四郎氏の顔もチラつきます。となると次点としてサササやヒタヒタ等が忍者っぽい擬音候補として挙げられそうですが、本作ではシュシュシュが採用されていました。これは忍者というより吹き矢の擬音。そう、本作では忍者刀や手裏剣、クナイや撒菱等名だたる人気忍者武器を差し置いて「吹き矢」がフォーカスされていました。これまた通好みな選択。しかしよくよく考えてみれば、自作し易い、携帯し易い、金属探知機に引っ掛からない等、武器としての「吹き矢」の優秀さが際立ちます。殺傷力こそ毒次第でしょうが、自然界に猛毒は溢れていますし。本作を観たらきっとエア吹き矢芸の家元こと、コサキンの2人も泣いて喜ぶんじゃないでしょうか。[インターネット(邦画)] 5点(2023-07-28 19:24:09)《改行有》

57.  MONDAYS このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない 《ネタバレ》 ループ現象の代名詞として「オール・ユー・ニード・イズ・キル」と「ハッピー・デス・デイ」を引き合いに出した同僚に対し、そこは「恋はデジャブ」でしょと返した映画オタクと思しき眼鏡くんが微笑ましい(彼は「インディ・ジョーンズ」も「インディアナ」だと正していましたね)。前出の作品だけでなく数々の傑作を輩出している超優良ファンタジー設定。現象そのものが面白いだけでなく、人生の教訓を示唆する作品も多く、本作は特にその傾向が強いと感じました。要するに寓話ですな。 似たような一週間を繰り返すのは割とよくある話であり、ある意味幸せなことです。一般的にルーティンと呼ばれるもの。これは「平穏」に通じる状態であり、決して否定されるものではありません。しかし引き換えに「時間」や「可能性」「機会」を失っているのも事実であり、利益と損失が本当に見合っているか時々検証する必要はあるでしょう。『齢五十にして天命を知る』上司(マキタスポーツ)が、強い後悔の念から超常現象?を誘発したのも、妙に説得力を感じてしまいます。嘘です。 人生に後悔は付きものですが、なるべく少ない方がいいのも間違いないので、自己実現と社会的役割、義務と権利のバランスを保ちながら、程よい頃合いのエンディングを迎えたいものです。そう、劇中漫画の結末なんか最高じゃないですか。[インターネット(邦画)] 7点(2023-07-27 16:26:45)(良:1票) 《改行有》

58.  君たちはどう生きるか(2023) 宮﨑駿監督が全てを捧げた集大成たる「名残し」の映画。やりたい放題でありながら、きちんと大衆性を担保し優れたエンターテイメント作品に仕上げているのが素晴らしい。今の私の稚拙な知識や経験で解釈するのは申し訳ない、というより勿体ない。今後100年は充分に楽しめる映画でした。もっとも私の場合、残された時間は30年くらいのものなので30年かけてこの映画を自分なりに咀嚼して理解したいと思います。ですから点数は現時点での数値とお考えください。死ぬまでに私の中で10点にするのが目標という意味です。大変なお宝を頂戴しました。劇場で観られて幸運です。感謝しかありません。[映画館(邦画)] 7点(2023-07-27 11:18:57)(良:2票)

59.  騙し絵の牙 《ネタバレ》 (ネタバレご注意ください) 組織内で逆境を跳ね返し出世していく「半沢直樹」カテゴリーのドラマではなく、組織に固執することなく独立に希望を見出す「お金がない!」タイプの物語。あれ?これだと主人公は速水(大泉洋)ではなく高野恵(松岡茉優)になっちゃいますか。でも個人的には速水より高野の方にシンパシーを感じましたし、胸のすく結末も好みでした。終身雇用制度が崩れ、6次産業化が推奨される日本。社会構造の変革が成されつつある今、本作のようなイノベーションドラマがこれから主流になっていくのでしょうかね。 どうやら原作小説は大泉洋をイメージして当て書きされたそう。確かにいつもより輝いていたような。ただ彼以上の存在感を示したのが松岡茉優でした。意識高い系というより、信念の人。強い思いが前に進む原動力となる。大変魅力的でした。やっぱり本作の主役は彼女だったと思います。 ちなみにキャッチコピー「騙し合いバトル」はやや盛り過ぎという気がします。[インターネット(邦画)] 7点(2023-07-26 10:28:12)《改行有》

60.  エル・マリアッチ 脚本だけなら特筆するような作品ではありませんが、ロケーションとキャスティングの素晴らしさが本作を特別な映画に仕上げています。得も言われぬ良い匂い、画面の端々から色気を感じます。本来はハンデとなる低予算もプラスに作用している気がします。刺さる人には堪らないでしょう。出来の良し悪しでは測れない味のある映画。こんなの大好きなんです。[インターネット(字幕)] 8点(2023-07-22 19:11:20)

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