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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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41.  空飛ぶタイヤ 《ネタバレ》 タイトル聞いてパッとあの事件を思い出すのは、いい年齢な証拠かもしれない。三菱自動車のリコール隠し。東京フレンドパークの「パ―ジェーロ!パージェーロ!」が「クールーマ!クール―マ!」になったのって、この時だったっけか。覚えているつもりでも、時間とともに案外忘れてしまうもので、あの脱輪事故はリコール隠しから数年後に起きた事件で、三菱自動車への信頼をとことん下げる事件となった。そして沈没。超巨大戦艦なだけに、時間を掛けてゆっくりゆっくり沈んでいっている。 そしてこの映画、人の亡くなった事件で面白かったと言ったら不謹慎かもしれないけど、実際の事件をベースにとても見応えのある内容だった。 三菱でも被害者でもなく、運送会社社長と言うのはまた絶妙な立場で、加害者でもある一方で、被害者でもある難しい立場の主人公の境遇を良く描けてたと思う。四十九日法要の時。ここまで観ていると社長の社員を守りたい気持ちや努力が見えるだけに、妻を亡くした夫から浴びせられるきつい言葉にハッとしてしまう。確かにあの段階で自社の整備不良を認めないって、遺族にしてみれば言い逃れ以外の何物でも無いなって。 敵に回した財閥のデカさ。何度電話を掛けても出ない担当者。期待した雑誌記事は掲載されず、銀行からも厳しい返済を求められる。万事休すからの逆転劇が痛快だった。ただ富山ロジスティックの「新車だったんです」辺りで、鈍い私も半沢直樹っぽい展開だなって思って。池井戸風のドラマは結構見たと思うけど、純粋な池井戸原作って半沢しか観ていないから、そんなに引っ張られたり期待したりもなく、最後まで楽しめたと思う。むしろ半沢がドラマティック過ぎるので、少し抑えた本作くらいがリアリティを感じられて、実際の事件との乖離が少ないように感じられた。 沢田がある意味もう一人の主人公だと思うけど、それに値する人物かが微妙。どうしても、喉から手が出るほど欲かった1億を蹴った赤松社長>>>喉から手が出るほど欲しかったポストだけど想像と違う扱いだったから裏切る沢田。って思ってしまう。 ただ全体としてとても見応えのある娯楽映画で、原作モノとは言え、本当の事件を知る上でも、こういう映画にどんどん力を入れてほしいな。[インターネット(邦画)] 7点(2022-10-07 19:22:07)《改行有》

42.  マイ・インターン 《ネタバレ》 -The Intern- “見習い”。“マイ・インターン”って邦題から、アン・ハサウェイ視点の映画かと思ったけど、デニーロ視点の映画だね。 広いオフィスを自転車で移動なんて今風、というかアメリカン。昔からアメリカのオフィスって、自分の趣味とかを持ち込めて、日本と比べて自由だなぁって思ってた。やり手だけど付き合い方の難しい若手女社長をアン・ハサウェイが好演…なんだけど、家庭の描写が出る辺りから、徐々に“ブッ飛び女社長感”は薄れ、家庭と仕事を両立するのに無理して頑張っている女社長になり、遂にはデニーロの従順なパートナーみたいなポジションになってしまったような。 主人公ボブの置かれている環境。高齢化社会のセカンドライフとして、再就職は現実的な選択肢。だけど実際は、頭脳労働ではなく単純労働に就く人が多いのは、世代間ギャップと求められるスキルのハードルが高いからで、ベンの最初の方の“何も仕事を与えられない”状態が“リアル高齢者の再就職”な気がする。 仲間と打ち解けて、若くて可愛い女社長とも仲良くなれて、自身の財産である人生経験からのアドバイスを素直に聞いてくれて、会社にとって掛け替えのない存在になる・・・リアリティは無いけど、退職間際や高齢の人にとって、とても夢のある映画だと思う。 あんな綺麗な上司と2人切りでサンフランシスコ出張。バスローブ姿で深夜のピロートーク。同じベッドで安心しきって寝ちゃうなんて、何とも夢たっぷり。 ファンタスティックな女社長ジュールズが徐々に等身大な存在になり、等身大だった高齢社員ボブが徐々にファンタスティックな存在に。 スーツにカバンに電卓にメモ。電話帳の会社の頃から自分のスタイルを変えてないベンが、最新の技術やツールを吸収しつつ会社に溶け込んでいくんだから、単なる高齢者じゃないんだけどね。 ジュールズ側かベン側か、観る側の立ち位置で評価が変わりそうな気はするけど、気軽にサクッと楽しめました。 母親の家に侵入のトコ、どうせならジュールズも一緒に行っていれば、あんな大騒動にならなかったろうに。 そして何がキッカケかイマイチ解らないけど、心を入れ替えて家庭を支える決心をするマット…解せん。映画の都合としか。 レネ・ルッソがすっかり歳を取っちゃっててビックリ。リーサル・ウェポンから20年以上経ってるんだな。 あとどうでもいいけどベッキーの狐のシャツかわいい。[CS・衛星(字幕)] 5点(2022-09-25 18:51:06)《改行有》

43.  ラッシュ/プライドと友情 《ネタバレ》 -RUSH- “突進”とかでしょうか?私など'80年代後半のセナ・プロ・マンセル世代なので、ハントやラウダは伝説の英雄でした。 当時の映像なんてほとんど観る機会もなく、F-1グランプリ特集って雑誌を買って、コラムとかで過去の英雄のエピソードを学びました。 '80年代後半のスポーティでスマートなF-1と比べ、スリリングでパワフルだった時代のF-1。2013年にもなって、あの時代の雰囲気を、ここまで再現してみせるなんて思いもしなかったわ。 しかも'76年は日本でのF-1グランプリ初開催、いわゆる日本での“第一次F-1ブーム”真っ盛りの年。ナショナルカラーやスポンサーカラーに彩られた美しいマシン。ティレル6輪車に代表される異形のデザイン。生と死の隣合わせ、命懸けのドライバーの魅力。F-1の長い歴史の中で、この'76年を選んだのは正解だったと思う。 デパイユ、レガツォーニ、クリスチャンじゃない方のフィッティパルディ、マイケルじゃない方のアンドレッティ。名前を聞くだけで「おぉ!!」ってなる。エンツォ、ルカ、ポストレスウエイトなんて第二次F-1ブーム時にもよく聞いた名前。歴史は続いていくんだなぁ。 レース毎に仕様を変えるマシンもかなり再現度が高かったと思う。スローで観るとウイングとかカウルとかがフルフル揺れるのが当時のF-1。スタート時に後輪が空転して膨らむところとかも、さすが実写。ティレルP34のカウル、富士スピードウェイの時だけの“たいれる”表記。こんなとこまで再現したって誰が気がつくの?ってトコまで頑張って再現している。どうせならリジェ前半戦の巨大インダクションポッドも再現してほしかった、なんてワガママか。 若い頃のハントとラウダが出会うF-3レースの再現度からして、この映画凄すぎだと思う。 ラウダもハントも似てる。ラウダについては『グッバイヒーロー』ってドキュメント映画で割と詳しく紹介されていたので、奥さん含め、ホント似てるなぁって。そして生々しい火傷の治療はラウダの執念にも似たレースへの思いを感じさせた。 ハントは、映画観てると格好良いなぁ。でも実際のハントは、私の好きなパトレーゼへの長年の嫌がらせを知ってしまって、正直好きじゃなかった。 細部にディフォルメや盛ってる部分はあるだろうけど、こんな凄い映像で再現してくれたことに感謝。こういうF-1映画をもっともっと創って欲しいわ。[インターネット(字幕)] 7点(2022-09-17 18:21:12)《改行有》

44.  映画 ビリギャル 《ネタバレ》 こういう目標のハッキリした映画は、観ていて安心できる。タイトルから現役合格するのは決定付けられてるんだけど、それでも合格発表は手に汗握って観られた。自転車漕ぎながら人称代名詞(だっけ?)読み上げるとことか、世代は違うのになんか懐かしくなった。 理解ある母親ああちゃん。極端にエコひいきをする父。学力よりルールな教師。実話にしては何とも漫画チックな登場人物だ。でもそこが却って映画的に、さやかちゃんの人生の障害として、または拠り所として機能したのかもしれない。勉強に集中させるために遊びに誘わない友達も良かった。授業中寝てるさやかちゃんの髪をグイッと掴み上げる(女の子に対して)安田顕と、眠そうに睨み返す有村架純のシーンはビリっと来た。 自暴自棄、家庭内不和、天候不良、体調不良。。数々の障害は自分の過去と照らし合わせて共感できることも多かったな。お腹壊して文章を追えなくなるとかリアル。…でも、一度退席したら再入場って出来ないんじゃないの?…古い? ただ、受験当日お父さんの極端な“あぁ見えていいトコある”アピールが、映画としてはあからさま過ぎてマイナス。あそこは『親切に道を譲ってくれた老夫婦がスタックした』とか『整備工場のお得意さんで、病院に行かなきゃいけないの知ってて…』とか、もうちょい上手く観せられたと思う。それにあんなタイプの父なら、娘たちにも焼肉を食べさせて自分は我慢すると思う。 ビリギャルが当時流行って、ワイドショーとかでも取り上げられてて、でも“今でしょ!?”の塾先生は批判してたみたい。有名進学校出身で地アタマが良かったにしても、無勉強だった子がたった1年で慶應現役合格は素直に凄いこと。 そして1年という短期間で総合学力を上げるのでなく、詰め込めば間に合う可能性のある慶應にしたのは、さやかちゃんでなく坪田先生の功績。 最初は馬鹿でも知ってる大学「東大にする?」って冗談っぽく振っておいて、「じゃあ~…慶應にしちゃおう!」って誘導してる。人の能力を引き出し、その気にさせるだけでなく、結果を出せる道を指し示した坪田先生が凄いんじゃないかと。[CS・衛星(邦画)] 7点(2022-09-07 20:04:00)《改行有》

45.  今夜、ロマンス劇場で 《ネタバレ》 素材は日本版・逆カラー・オブ・ハート。ローマの休日とニュー・シネマ・パラダイス&キネマの天地&蒲田行進曲で味付けして、最後はタイタニックも加えてと、なんだかいろんな映画が混ざった不思議な映画に感じました。 それでいてこの映画自体の味(素材の味みたいな)があまり感じられず、モト映画が感じられた途端に、この映画が薄っぺらい作品に思えて、拒絶感が出てくる。というのも解る気がします。 カラー・オブ・ハートを持ってくるなら、モノクロとカラーの違い、美雪の中の苦悩や不便さをもっと丁寧に書くとか出来たろうに、古い映画の登場人物って記号に使われるだけ。劇中雨を降らせてるから、私なんかは化粧が落ちるんじゃないか?と展開先読みしたけど、単に虹を出したかっただけだったり。化粧が落ちない説明も特にないくせに、ラムネこぼした時にアッサリ化粧が落ちたりとか、処理の甘さが目について、消化不良に感じてしまった。 他にも、美雪を演じた現実の女優さんは?とか、女優さんのことは健司気にならないの?とか、美雪が消えたあとの『お転婆姫と三獣士』の中身は?とか、フィルムを売るって話は?とかそういう素朴な疑問点を丁寧に書くのも、映画を面白くする要素に思えたんだけど、バッサリ割愛するんだもんなぁ… 北村一輝のキャラ(俊藤龍之介)はとっても面白くて、大物感やセリフの説得力、当時の映画業界の勢いと役者のスター性を感じられてとても良かった。もっとストーリーに絡んでほしかったし、何なら彼も“あっちの世界の人”にしてくれても良かったかも? エンディングについて、健司と生涯を伴にしたって物語は、一般的なロマンス映画では選ばない選択だと思うのでとても良かったと思う。周りに『介助もしない遺産目当ての孫娘』と思わせるなんて。でも当然これってハッピーエンディングとは言えない、現実的に辛い道を選んだわけで、あの最後のシーンまでに、二人の間に気の遠くなる時間と、もどかしさがあったんだろうと想像されるのも、意外性があって良かった。 二人きりの病室で、美雪が消えて、健司が天寿を全うし、現実世界の二人の物語は終わります。ここで終わりなんです。 ここから先、みんな勢ぞろいの舞踏会は、アレあくまで健司が仕上げた“今夜、ロマンス劇場で”の脚本、創作なんですね。でもなんか『健司が死後に映画の世界に行って美雪と触れ合えた。』みたいに観えてしまいます。たしかに蛇足だ。 モトの結末(たぶん健司が劇場で美雪に触れて消える)から、社長の注文で『結末だけはハッピーエンドにしてくれ』と。 病床の健司が看護婦に話すお話も映画の脚本の話であり、本当の二人の物語は誰にも語ってません。ロマンス劇場の支配人もそうしたように。 あと私としては、舞踏会の劇場支配人は高峰節子(支配人が愛した女優)と手を繋いでいてほしかったな。 現実世界で生涯触れることの出来ない辛い道を選んだ健司にとって、脚本を完成させて、美雪との物語を人に観せるということは、二人の秘密を他人と共有することであり、二人だけの物語の終わりを意味しているから、いくらハッピーエンドに書き換えてるとは言え、ホンネはどう思っていたんだろ? この映画、素材自体がいい味出してると思います。もう少し丁寧に創っていれば、2010年代を代表する邦画の名作にもなったと思う。[インターネット(邦画)] 6点(2022-08-21 14:42:13)《改行有》

46.  ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 《ネタバレ》 -The Post- “ワシントン・ポスト紙”の事です。“ザ・ポスト”で通じるくらい有名な新聞。“ワポ”とも呼ばれてるんだって。 この新聞社を名実ともに有名誌に祭り上げたスクープが、この『ペンタゴン・ペーパーズ』と『ウォーターゲート事件』。 ウォーター~は映画の題材としてよく使われて有名だけど、ペンタゴン~って? 国の最高機密文書を手に入れた新聞社。政府を敵に回してスクープを載せるべきか、安全を取るべきか。社主と編集主幹、記者たちの葛藤。実話ベースだけど、文字に起こすとなかなかドラマチックな展開が期待できる。だけど映画は起伏が少なく、物語が淡々と進行する印象を受ける。 ちょっと、スピルバーグ監督作品らしくないなぁ。なんて思って製作者の名前を見たら、脚本&製作総指揮ジョシュ・シンガーとあった。この人“スポットライト 世紀のスクープ”でも脚本と製作総指揮してた人だ。うん、スポットライトとよく似た観せ方の映画。シンガーのカラーがよく出た映画に思えた。 音楽はあのジョン・ウィリアムズだ。年齢も年齢だし、SWシリーズの続編を除けば、今の時点で最新のオリジナル映画音楽になる。 “あの”スピルバーグ。“あの”ジョン・ウィリアムズ。そして“あの”トム・ハンクスときた。こんな名前がバババーンと出たら、凄いエンターテインメント作品を期待したくなるもの。政府の圧力。忍び寄る怪しい影。裏切り。追跡。脅迫… そんなエンタメへの期待とは裏腹に手堅く真面目に作られた本作。シンガー味100%の本作を、どうにかして今映画にしたい。みんなに今観てほしい。そんな思いから、スピルバーグの名前を全面に出したんじゃないだろうか。 当時、何かあったのかな?2017年2月頃から制作が持ち上がったらしい。メディアの下馬評を覆してトランプが大統領になった(2016.11)直後だわ。 メディアが後押ししたヒラリーが負けた。下馬評、世論の後押しに乗っかって、自分たちで考えることを放棄したメディアの大敗。ジャーナリズムの根幹ってなんだろう?そんな疑問を世間に問う作品として、本作は作られたのかもしれない。信じるか信じないかはあなた次第です。[CS・衛星(字幕)] 5点(2022-08-03 23:15:10)《改行有》

47.  ミックス。 《ネタバレ》 新垣結衣はとても可愛いけど、彼女の演じる富田多満子には全然魅力を感じない。まず萩原が過去の話をしている時の茶化し方が意地悪い。工事現場の昼休みに、自分の内面、妻と子への思い、他人に語らなくていい過去を話している相手に、あの態度はないだろう。アレでは江島の歓迎会を転倒でブチ壊したあと、庶務課の誰も片付けを手伝ってくれないのも解る。多満子が“良い子だけど幸薄い子”ではなく“腹黒い自己中な女”に観えてしまった。 ミックス解散の理由も自己中。他の2組を励まして大会に導くのが、フラワー卓球部部長(かな?経営者?)の努めだろうに。しかもわざわざ、大会当日に缶詰工場のシフト入れること無いじゃない。せめて次の仕事は月曜からにしようよ。 いくら強敵が少ないミックスという競技とは言え、そもそもあんな素人の付け焼き刃チームが、卓球雑誌の表紙になるような選手と同じ土俵で大会出場って出来るの?ある程度のレギュレーションってありそうだけど?復帰直後は凄い才能を見せた多満子も、なんか試合中はヘロヘロだったし。 萩原。あのポジションでいきなりキスは気持ち悪かった。観てる側は元妻と復縁した既婚男だと思っていたから、えぇ~~!?って。多満子も元妻と復縁するモンだと思って大会に付いていったと思うと、なんかなぁ、どうだろうなぁ。 それに面接の日に、あの髪型と髭のままはないだろう。大会に心が揺れていたというより、最初から面接行く気がなかったのか? 江島と愛莉のコンビって、結局本当に不仲だったのか、江島の作戦だったのか解らなかった。いや作戦ったって、格下のフラワー卓球部に、ねぇ。それだと性格悪すぎだよね。 最後卓球部が大人気になるのも、あの試合そこまで注目されてたの?って思ったし、かなり強引なハッピーエンドに思えたわ。 こういう最近の邦画を観ると、つい私も『出演陣が豪華です。』…って書いてしまうけど、本作のような軽いノリで楽しめる邦画って、だいたい出演陣は豪華なのに最近気がつきました。 日本映画界の厳しい台所事情を想像すると、『映画』だけで食べていくのは厳しい。メディアミックスと言えば聞こえは良いけど、特に若い俳優は“職業=映画俳優”だけでは難しく、まだ体力のあるテレビ局が制作する映画、テレビドラマの延長のような映画に、名の通った俳優たちが出てくるのは当然の結果なのかな。 コマーシャルで成り立つテレビ業界。出演俳優をコマーシャルの側面で考えると、“気さくな元ヤン院長夫人”を演じた広末涼子。“ガサツな中華料理屋の嫁”を演じた蒼井優が際立っていた。「彼女たち、こんな演技もできるんだぁ」という意味で。永野芽郁の“外面だけの嫌な女役”もだけど、彼女のイヤな女役は『半分、青い。』でもやってたっけ。 こういう映画の脇役で、自分の演技の幅広さを観せる。映画を俳優のコマーシャル目的に使うのも、一つの方法なんだろう。[インターネット(邦画)] 4点(2022-07-31 21:26:15)《改行有》

48.  遊星からの物体X ファーストコンタクト 《ネタバレ》 -The Thing- “無生物”・・・って、前作と全く同じって思い切ったタイトル、初めて観たかも。 それもリメイク物ならまだしも、前日譚で。『オリジナルと本作を合わせて一つの作品』という、大胆な着想からかも知れない。 宇宙人を発見したから女性学者が呼ばれたって設定には納得できる。でも現地には既に別の女性の学者が居て、当時の南極に女性隊員って、ちょっと考えにくいけど、今の時代を反映しての事だろう。 ヘリのシーンは「お前の方かよ!」って楽しめた。あの顔が溶けてるヤツが、どうやって出来たのか?とか、壁に刺さった血まみれの斧とか、前作を見た直後だと『おぉ!』って思えるシーンも多い。歯の治療痕で判別するのはシンプルで良い。 でも続きモノとして考えると、舞台(閉ざされた南極基地)も展開(アレに次々殺されていく)もオリジナルと一緒で目新しさが少ない。火炎放射器で焼かれて足がジタバタ動くとかオマージュも絡めてくるから、オリジナルのパターンを微妙に変えただけの同じ作品、リメイクものを見ているようだ。 更に登場人物の区別が付きにくく、何人生き残っているのかとかがイマイチ解りにくい。オリジナルの『ノルウェー基地には10人だったはず』の設定は踏襲しているけど、そこに主人公たちアメリカ人が来たから、総人数がゴチャゴチャに。 UFOを起動させた効果はイマイチに思えた。UFOの持ち主(宇宙人)は他にいて、アレは宇宙人に寄生していただけの危険な物体だと思っていた。実はアレが高度な科学力を持った存在でした。と言われても…でもな、前作でブレアが地下に小型のUFOモドキを造ってたよな…やっぱ高度なのか。 最後、予想通りの“オリジナルに繋がる”終わり方は素晴らしい。それだけにラーシュを“どこかで生き延びていただけの作業員”ではなく、例えば“アレの倒し方を知っている変わり者の化学者”とか主役級の扱いにして、本作の物語にグイグイ絡めてほしかった。『ラーシュを殺したから、犬の正体は愚か、アレの倒し方もわからなくなった。』って感じにすれば、オリジナルのバッドエンド感も強くなったかと・・・ 主人公ケイトの最後。「ここからロシア基地まで80km。充分行ける」距離だそうだから、無事そこに行けたんだろう。 そこを描かなかったのは、途中マクレディとチャイルズを回収して、オリジナルの後日談を創る構想でもあったのかな。当時のCG技術でトロン:レガシーみたく俳優の若返りは可能だったから。[インターネット(字幕)] 6点(2022-07-24 13:31:36)《改行有》

49.  アフロ田中 《ネタバレ》 原作が好きであればあるほど、実写化、映画化には不安がつきもの。原作の再現度と雰囲気の再現。オリジナル要素がどれだけ馴染むか等、沢山の障害がある。“高校”から“結婚”まで全部実家にある私だけど、高校を中退してからプレハブ小屋生活、旭工務店に勤めるまでを足早に流した時には、初めて観る人を置き去りにする作風、正直期待できない作品。だと思った。 でもコレがなかなか、2時間の映画として、良くまとまった作品に仕上がっていると思う。この作品は、アフロヘアーだけど中身は普通の青年・田中広が、社会の仕組みや男女の恋愛に勝手に悩み、等身大の成長をしていく物語。当時原作は“さすらい”の頃だけど、一番脂ののっていた“上京”をベースに“中退・高校”のエピソードを交えて、友人井上の結婚と自身の彼女作りに、原作の雰囲気を壊さないよう、オリジナルの彼女候補・佐々木希を絡めて描いている。 松田翔太の見事な熱演。ちゃんと田中広に観える。動揺や不安感といった心の声を被せることで、田中が何を考えているかがよく分かる。無愛想だったり無口だったり、エロい誤解を与えないよう自重したり。あんな見た目(アフロ)や雰囲気の裏で、こんな事を一生懸命考えてたんだって、可愛く思える。 野良猫の餌やりは優しすぎ(映画オリジナル)に観えたかもだけど、ここも心の声で補完。田中は実家にクロって猫を飼っていて、会えないのを寂しがっていたのを再現したと思うと納得。それを見て亜矢(佐々木希)が勝手にキュンとしただけ。人がどう思うかなんて解らないもので、最後も亜矢が何を考えてるのか、経験不足の田中には良く解らないままにフラレて終わるのも、アフロ田中らしい。 友人の再現度もなかなかのもの。ただ大沢(堤下)は、もっと小柄でブサイクな俳優さんでやってほしかったかな。 一番感心したのはロボ(井上のお嫁さん)。原作をよく知らない俳優さんなら、うつむき加減の根暗演技になりそうなところ、背筋伸ばしてちゃんと嬉しそうに笑顔を出してた。結婚式の『ご本人主演の再現VTR』凄く良かった。完璧なロボを実写で観られただけでも大満足。原作への愛があるなぁ。[インターネット(邦画)] 7点(2022-07-24 12:21:41)《改行有》

50.  ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密 《ネタバレ》 -Knives Out- “複数のナイフが出た状態”って訳が多いのでそれで行きますか。ハーラン・スロンビー実は生きていて、コレは今回の事件をモトにした新作小説のタイトルじゃないか?とかって思ったけど、ソレはなかった、私の妄想どまり。 生前のハーランとの回想シーンに、怪しい家族の嘘が織り交ぜられているのかと思ったら、そっちは全部事実でありネタバレでもある。というのは斬新だった。ハーランの子どもたちが衝撃的な“今後の有り様”を告げられ、死の真相は回想の通りだとすると・・・え?もう事件は解決してるんじゃん。と思わせてからの捻りが面白い。こんな展開よく思いつくなぁ。 最後までイマイチ優秀に思えない名探偵ブラン。格安スマホ(BLU)の画面がバキバキにヒビ入ってるのとか、車が安いヒュンダイとか、今の低所得層の代表のようなマルタ。僅か1年後に007で共演してるけど、2人とも役柄違いすぎ。 嘘をつくとゲロを吐くヒロインが人を騙すという斬新設定。言葉を選べば吐かずに事実を隠せるのも、雑に証拠隠滅していくのも、なかなかハラハラして楽しめた。あと後半のカーチェイス。「めちゃ踏んでる!!」ハリウッド作品とは思えないノロノロ~~っとした本気のカーチェイスに、ついフフッてなった。 裏で色々やってるけど、ハーランの死後もマルタを養っていこうとするなど、それはそれで結構善良な家族の面々。よく“争いが続く=争続”とかって言われるけど、遺言書の中身でお互いの本性があらわになって・・・ハーランも真剣に子どもたちの今後を考えていたからだろう。案外、家族にとってベストな遺言内容だったのかも?相続から外されるのは、人生最良の日であり、今後の人生の糧になるんだし。少なくとも子どもたち同士で争うことは無くなったと思う。表向き。そしてマルタもスロンビー一族を路頭に迷わすことはないだろう。そこまで考えてのベストな遺言内容かも。 「ググったの」「ネトウヨ」「パヨク」字幕にネットスラング入れるの、ある意味頑張ったなって思った。10年もすればシャイニングの「おこんばんわ」並みに寒くなるかもだけど。[インターネット(字幕)] 7点(2022-07-21 23:44:03)(笑:1票) 《改行有》

51.  ポンペイ 《ネタバレ》 -Pompeii-ナポリ近郊の2.5万人規模の都市。ベスビオ山の噴火で消滅し、2千人程が亡くなった。…市民全滅ではなかったのね。 火山の噴火という自然災害に身分の異なる男女の恋愛を取り入れ、贅沢にも剣闘士のアクションまで取り入れた欲張りな作品。タイタニックとグラディエーターをいっぺんに観てるような、そんな気分になれるかもしれない。 しかしあそこまで恋愛路線に傾いてるとは思わなかった。何故か一目惚れして、何故か相思相愛になってて、何故か逃走して。あの短時間に恋敵であり親の仇が登場し、ヒロインが連れ去られたり取り返したりと忙しい。闘技場から屋敷に走って、また闘技場に戻ってと、本当に忙しい。ポンペイってディズニーランドくらいの広さなんだろうか?人口から考えて本当にそれくらいかも? 2人の恋にベスビオ山の噴火がどう関わってくるか。火山の噴火と火砕流に呑まれる街の描写は中々気合が入っている。だけど、突然噴火するだけで、火山の前フリとか登場人物との絡みが殆どないのね。劇中、溶岩が溜まっていく様子とか、頻発する地震とか、建物のひび割れとか、馬に落とされて亀裂に呑まれる人とかの“噴火の予兆”はあったけど、それを俯瞰で観察して、ポンペイの未来に危機感を感じてる登場人物が出てこない。当時の学者なんかを主要人物に入れて、予兆を体験させて「このままでは噴火するぞ、市民を逃さないと」みたいな盛り上げ方は必要だったかと。 あ、剣闘シーンはなかなか。歌いながら場面説明をする、黄金のマスクマンたちは雰囲気出てた。 オープニングの石膏で再現された遺体。あの石膏遺体がどうやって再現されたか?とか、他の映画でよく描かれる古代ローマ都市とポンペイがどう違うのか?とか、観ていて歴史の勉強になる要素は殆ど見つけられなかったのは残念。 2人の最後は、ちょっとロマンチック過ぎないかい?カッシアを守ろうとマイロがキツく抱きしめたカタチで…くらいの表現で良かったかと。[CS・衛星(字幕)] 4点(2022-06-29 22:53:41)《改行有》

52.  テルマエ・ロマエ 《ネタバレ》 -THERMAE ROMAE- “ローマの公衆浴場” 顔の濃い日本人でローマ人を表現するセンスは素晴らしい。中途半端に西洋人を出すよりもずっとインパクトあるし楽しそう。 あとは肩肘張らずに、原作の面白さと阿部ちゃんのスットボケキャラの相乗効果を味わうだけ。・・・だと思ったんだけどなぁ。 漫画原作の邦画って、どうしてかダイジェスト的に話を詰め込み過ぎになりがち。 ①銭湯→②家風呂→③ショールーム。この、それぞれでドラマの30分枠を充分に埋められる面白い話を、たった35分で消化してしまう駆け足具合。シャワーの便利さ、富士山の壁絵の雄大さ。フルーツ牛乳の甘さと冷たさ。シャンプーハットの懐かしさ。果てはウォシュレットの気持ちよさ。…私たちの生活に当たり前に浸透している、日本のお風呂文化(いや水回り文化か)を見て、ルシウスが驚いて感動するところがこの作品一番の目玉だと思う。私たちには当たり前の光景が、どうして素晴らしいのかをルシウスに語らせる。そしてそれをローマに帰ったルシウスが、当時の技術で上手に再現するところも含めて“日本のお風呂文化って凄いんだな”って。 日本ローカルの愛すべきお風呂文化が、同じくお風呂が好きな古代ローマ人に喜んでもらえる嬉しさ。最近流行った『世界に誇る日本の文化』みたいな風潮のモトって、このテルマエ・ロマエかもしれない。 お爺さんたちが古代ローマに行ってしまうと、いままでの日本のお風呂文化の素晴らしさが伝わる喜びが無くなって、途端に退屈になる。 ・・・というかネタを詰め込みすぎてお腹いっぱい。上戸彩が実家に帰るあたりにはもう飽きて長さを感じてる。 原作は途中までしか知らないけど、ローマに行ったお爺さんたちが後方支援とは言え、戦争の一方に自主的に加担するのも安直だし、クライマックスにオンドルなんて、あまり馴染みのない、朝鮮半島の文化を入れてくるのも不自然。この当時のフジテレビの韓流ゴリ押しは異常。 こんな無理やりな展開入れるなら、もう銭湯からショールームまでで90分くらいの映画で良かったんじゃないか?って。 ケロリン桶の美しさを解説する全裸の阿部ちゃん(股間は上手く隠れてる)なんて、想像するだけで笑えるのに、サラッと。 ワンダーウェーブ洗浄とかBILINGUALとか、映画独自の笑い要素もあって、全部が悪いわけじゃない。 しかしエンディングのお風呂でくつろぐ登場人物たちは、私に“お風呂入りたい欲”を沸き立たせる。[地上波(邦画)] 4点(2022-06-28 22:07:49)《改行有》

53.  英国王のスピーチ 《ネタバレ》 -The King's Speech- 邦題まま。 立場的に逃げられず、苦手とすることをやらなければいけないのって、とっても大変。 私も人前で話すのが苦手で、仕事上大勢の前で話す時とかとっても緊張します。英国王に比べてスケールが小さいですが、乾杯の挨拶とか、出来れば、この世から無くなってほしいものです。って思ってたらコロナで宴会無くなってラッキー。 デイヴィッド王子が居るから、表舞台に立たなくて良くてラッキーと思っていたところ…な本作。 幼少期に脚や利き手を矯正されて、食事も抜かれて胃腸も弱ったアルバート王子。無理な矯正が別なカタチで歪みを生んだのかと思うと、同じ左利きとして同情してしまう。 対象的に自由を謳歌するデイヴィッド王子。立場的に彼のほうがストレスが多そうだけど、そんなの気にも掛けず、世間から白い目で見られようと、愛する人を選ぶデイヴィッド王子の生涯の方が、映画的に面白そうにも思えた。 治療の光景は独特で、歌に乗せたり汚い言葉を使ったり、ローグの原因の引き出し方、戸惑いつつも治療を投げないバーティの関係、バランスが見事。ローグが食卓で「…やりすぎちゃった」と落ち込む姿は、治す側も手探りなんだと感じさせてくれた。 最後の演説、ヒトラーの演説を観てからではスケールダウンは否めないラジオの放送だけど、却ってそこがいい。 新進気鋭の独裁者の煽り演説に流されない、威厳ある王室の姿勢をしっかり観せているように思えた。 しかし、トム・フーパー監督。私はちょい苦手なのかも。[インターネット(字幕)] 5点(2022-06-26 20:18:46)《改行有》

54.  トイ・ストーリー4 《ネタバレ》 やはり私も『最高の終わり方をした3の後日談を創る意味ってあるの?』って疑問もあったためか、4は劇場で観るつもりだったけどタイミング悪く観られず。1~3はそのうち円盤を買おうと思っていたけど、4は賛否両論あることを知り、どんなタイミングで観るか迷っていたところ、ネットニュースの『金ロー最悪。3の翌週4やるなんて』って記事にまんまと踊らされた。どんだけ酷いんだ?ようし、テレビで観てやるべ!って…観たんです。 今回のテーマは「子供は毎日のようにオモチャを失くす」そう、確かに。 “あげる”“壊す”“捨てる“売る”あと“あの場所で失くして、探したけど見つからなかった”そんな、最後どうなったか?を覚えているオモチャはともかく、もう一つ“どうしたか忘れた”があると思う。この4はその持ち主のもとで天寿を全うできなかった“忘れたオモチャ”のアンサーだ。 序盤の回想が、3から出なくなったボーとRCがメイン。漠然と“どっかの時点で捨てたんだな”って思っていたボーのその後が、ここでようやく解る。みんなのところへ戻そうとするウッディだけど、ボーの持ち主は妹のモリー。モリーがあげると決めたなら、ボーは貰われて行くしか無い。 ここで一瞬、ウッディも箱に入ろうとするトコ。最後に繋がる見逃しちゃ駄目なポイント。これがオモチャのウッディの自我、意志。だけどまだ自分がアンディに必要とされていることを自覚して残るウッディ。 ボニーのお気に入りになれなかったウッディ。まだ持ち主のモトにあるのに、既に忘れられつつある存在になっていて、このまま居てもきっと最後どうなったか、ボニーは覚えてないし、探しもしないだろう。 その後ボニーが大人になって、アンディと会った時「ウッディってカウボーイのオモチャ覚えてる?」とか言われて「あれ?う~ん・・・近所の子に全部あげたと思う」とかってなるかも。そんな未来が観える中、ボニーのことを思い続けるウッディが涙ぐましい。 そして最後、ボニーに必要とされないからではなく、9年前に思いとどまった事を実行したウッディ。迷うウッディの背中を押してやるバズの友情。 これでトイ・ストーリーを観た子供に「そういえばわたしの○○(オモチャの名前)、どこにいったの?」と聞かれた時「自分でどっかに捨てたんだろ」と冷たく言う以外の回答「○○もきっと、ウッディやボーのようにじぶんのかんがえで、たくましくいきているんだよ」って言える。このテーマを1~3の劇中に挟むのも難しかったろうし、単独の話として創って正解だったと思う。 トイ・ストーリーは1~3まで、公開年と劇中の時系列が一緒だったハズ。3が2010年の話で、この4も同じ2010年の話。だからカブーンの決め台詞がオバマ大統領のキャッチコピー。ちなみに9年前の回想シーンは実は2001年になる。 別に2019年のウッディたちの話でも良かったろうに、シリーズで例外的に時系列から外して創ったのは、やはり1~3が完璧と思う層(4を受け容れられない層)に配慮したように思える。そしてトイ・ストーリーは2010年で終わったシリーズを意味するんだと。4って付けてるけど、番外編でいいですよ。って。だから5は無いんじゃないかなぁ? 私は、4大丈夫だった。この出来なら劇場で観たかった。 ちなみにRCのその後、成れの果てが、スカンク・ラジコンなのかな?いやそんなウマい話無いだろう。たぶん壊れて捨てたんだろうけど。 ただフォーキーは…本作のスカンク・ラジコンみたく、オモチャなのに命のないものも居る中で、アレをオモチャとして良いのかどうか…これが例えば“お婆ちゃんが創った刺繍の人形”とかなら命も入りそうだけど。 アレだと、鉛筆さんや消しゴム君にも命があるってことになりそう。そういうので遊ぶ子供への配慮かもしれないけど、コッチの“どこまでがオモチャ?”の線引は、どうかなぁ?って思った。[地上波(吹替)] 8点(2022-06-25 12:42:10)《改行有》

55.  トロン:レガシー 《ネタバレ》 前作を観て暫くしてからだったし、ストーリーや設定なんて殆ど忘れてるなか劇場で観た。2Dで映される現実世界と、3Dで映されるコンピュータ内部の世界。視覚のメリハリがハッキリしていて、ダフト・パンクの音楽も格好良くて、アトラクション映画として中々良かったと思う。あと若々しいジェフ・ブリッジスには驚いた。 今回新旧トロンのDVDを買って、続けて観た。まぁま同じような展開だったわ。前作のオマージュも多く散りばめられてるけど、大まかな流れが 現実世界→グリッド→ゲーム→逃走→決戦 と一緒。 盛り上がるのが中盤のディスク投げ合いとライトサイクルなのも一緒。前作の終盤が盛り上がりに欠ける決戦だったからか、今回飛行機のバトルも加わったけど、3Dで観た時はともかく、家のテレビで観るぶんには、ライトサイクルほどではなかったかな。 前作の“コンピューター世界のそれっぽさ”に対し、映像技術が格段に進化してるんだけど、どうも“仮想現実の世界”にしか思えないのは残念。ライトサイクルがジャンプの後バウンドしたり、曲がる時に蛇行したり、遠心力が掛かったりするの、まさにバーチャルゲーム映像。もっとコンピューターの中の世界らしく、不自然な直角軌道を観せてほしかったわ。 結果として近年の美麗なCG映像作品と、明確な差別化が出来ていなくて、あのトロンの続編としては失敗したんじゃないかな。 当時は驚いた若いジェフ・ブリッジスだけど、今の目で観ると目元と眉があまり動かない。当時のCG映像の限界だったのか。 トロンも正義に目覚めてからの活躍が無いし、ケヴィンとクルーの魔法っぽい最後の戦いも、なんか前作の最後同様、印象に残らない。[3D(字幕)] 4点(2022-06-18 16:11:51)《改行有》

56.  僕のワンダフル・ライフ 《ネタバレ》 -A Dog's Purpose- “犬の目的” 確かにこのタイトルだと固っ苦しい。駄洒落にして柔らかい表現に変えた邦題のため、一つの魂を持つ5匹の犬が、生まれ落ちた環境で、都度都度の生涯(犬生)を全うする、オムニバス映画のよう。 でも実際は一匹の犬の魂が5回も転生した結果、自分の目的を見つけ出す物語だから、このタイトル(…コレ書いてて、何が言いたいのか絶対伝わらないなって思ってる)。 最初の子犬は前世の話をしないから、ここからがこの犬(ベイリー)の物語の始まりで、ここより前に物語は無い。最後ワッフルズ(のちベイリー)となってイーサンのもとに行き、犬の目的=“今を一緒に生きること”を見つけて終わる。ここから先、ベイリーが死んでも、イーサンが死んでも、もうベイリーの転生の物語は無いんだと思う。(続編があるようだけど、この映画はここで終わってると思うんだ) 転生しても最初の飼い主イーサンのことを思うベイリーだけど、当然ながら警官のカルロスや学生のマヤに対しても同じように愛情を示す。今の飼い主を放ってイーサンを探しに行ったりはしない。なぜならこの時は気が付いてないけど“今を一緒に生きること”が、犬の目的だから。 この映画「自分より先に死んでしまうから…」と、犬を飼うことに二の足を踏む、本当の犬好きの人の背中を強く押してくれる映画だと思う。犬にとっても死は苦しいけど、そんなことより限られた犬生、飼い主と一緒に生きることが犬の目的なんだと。 実家で猫を飼っている。初代は割とすぐ死んでしまい、二代目は16年生きて天寿を全うし、いま三代目が健やかに暮らしてる。全部たまたま家に来て住み着いた野良猫。重複して飼ってた期間は無く、前の猫が死んでしばらくすると、どこからともなく次の猫がやってきた。もしかしたら初代の魂が、猫の目的なんかを探して転生しているのかもしれない。[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-06-14 23:23:38)(良:1票) 《改行有》

57.  ナイト&デイ 《ネタバレ》 -night and Day- “四六時中” …のアタマに -K- を付け加え -Knight- “騎士”にしたもの。“いつもあなただけのナイトですよ”みたいな意味でしょう。ロイの本当の名字がナイトさんなので、ジューンの名字もデイさんかと思ったら違ってた。 公開当時トム48歳、キャメロン38歳。トムは思想の影響か奇行が目立ち、人気が落ちていた時で、アラフォーのキャメロンもカラッとしたコメディエンヌ色を控えて、シリアスな映画に出る機会が多く、女優としての方向性の曲がり角なのかな?って時の作品。 私の中ではどうしてもキャラ設定がミッション・インポッシブルのイーサン・ハントと被る。M:Iシリーズが安定的にシリーズ化したと思われるこの時期(ゴースト~公開の前年)に、どうして系統の似たようなアクション映画を創ったんだろう? このロイ・ミラーという自信満々の明るいキャラは、M:I-2のチャラチャラしたイーサンに近く、『あぁ、トムはこっちのイーサンも好きだったんだな』って思ってしまった。2の“コレじゃない感”の反動から、シリアス路線に大きく舵を切ったM:I:Ⅲだったけど、もしかしたら本作はチャラチャラ・イーサンのM:I-3没シナリオを手直ししたものだったりして。 売り出し中の女優じゃお客が入らないし、キャメロンを対等な立場の主役にして、ヒット作Mr.&Mrs. スミスみたいなポジションを狙ったんじゃないか?と。 内容はシンプルでアタマ空っぽにして楽しめるアクション映画。バイク放り投げてボンネットに降ってくる明るいロイ。同じことをM:I-2でやられると嫌だったけど、別キャラのロイだと全然受け入れられる。 薬で意識朦朧のジューン→敵に捕まっても明るいロイ→よくわかんないけど楽々脱出って、肝心なアクションを描かないのも新鮮(M:I:3の上海でやってるけど)。「With Me↑ Without Me↓」とか「目を瞑ったまま服を・・・」などテンドンもホンワカ出来る。 ロイの両親に届く不審な高額当選とか、M:Iで不当逮捕されたイーサンの親の掘り下げ、名残りと思えなくもない。 ドレスにブーツ、ナース服にブーツのジューンも可愛い。父の形見のGTOへの愛着とか、結構味のあるキャラクター。 良く解らないのが、このロイとフィッツはFBIに潜入しているCIAの特殊工作員…で良いのかな?で黄色いドレスのジューンを拘束したときはFBIとして普通のFBI職員とともに車に乗せ、その後「安全な場所に」とCIAの偽FBI車に乗せ変える。で、ロイにバンバン撃ち殺される。 最初の飛行機でバンバン殺されてたのはCIA?彼らはイザベル長官の指示で動いてたんだよな? で、事件解決後のイザベル「裏切り者共を始末してくれたのね」って、えぇ~!?じゃあロイはCIAの裏切り者だけ選んで殺してたの?でもスチュワーデスが撃たれた時、驚いて介抱しようとしてたじゃん?ロイは誰が善で誰が悪か知らなかったってことじゃん? う~ん…今の目で観るとロイが人を殺しすぎてスッキリしないけど、当時コレはコレで楽しめました。[試写会(字幕)] 7点(2022-06-05 12:54:27)《改行有》

58.  ミッション:インポッシブル/フォールアウト 《ネタバレ》 -Fallout- “落ちる”。降下、飛び降り、墜落、滑落。文字通り落ちまくるイーサンさん。 シリーズ5作目の“ローグ…”に直結した続編で、登場人物、組織、置かれている状況など、前作を観ておかないと結構置いていかれる内容。方向性も前作の流れを引き継いでいて、トムの体を張ったアクションが売り。もう“現代版スパイ大作戦”とは言いにくい作品。 2のレビューで『続編制作に至ったリサーチしたの?』って(偉そうに)書いたけど、どうも『トムが体を張ればウケる』って思われてるらしく、その辺りが現代版スパイ大作戦を求める層と、考え方が乖離している原因に思えた。 制作側がそう考えたターニング・ポイントは、きっと4作目のブルジュ・ハリファ・クライミングだろう。スタントなしの壁登りは確かに凄かったし、4のアクションシーンの目玉だった。だから単純に“ブルジュ・ハリファがウケた”ってリサーチしたのかもしれない。4はストーリーも面白く、登場人物も魅力的に描かれていたのを置き去りにして。 リサーチ結果がそうなると、次作以降それを超えるアクションを入れなきゃと勘違いし、5では飛行機しがみつき、高速バイクアクション。本作ではスカイダイビングやヘリ操縦と、まるで体感型アトラクションのような構成になってしまった。 ストーリーはまるでクレイグ・ボンドのスペクターのような組織と、在り来たりな核爆発阻止とカウントダウン。『IMFってこいつらしか居ないのか?』って思うくらいメンバーも変わらず。動ける新キャラや新しい設定を排除して、純粋に体感アクションを楽しむための構成に思える。だけど147分という長時間と、人名が飛び交う説明セリフが多く、結構ダレる印象を持った。トムの激走とベンジーとのやり取りは、ちょっとホッと出来る清涼剤だったわ。 過去作でも高速鉄道、フリークライミング、車のリアガラス破壊など、トムの手に汗握るアクションはあったけど、それは物語を盛り上げる要素・調味料のような存在だった。前作・本作では調味料が全面に出すぎているような、そんな印象で、素材の味がスッカスカに感じる。 1,3,4がミッション・インポッシブル・シリーズ。2,5,6はイーサン・ハント・シリーズってイメージかな。 5,6のアクションは凄いんだけど、この流れだともう、私の好きなM・Iの続編は期待できないのかなって、残念にも思う。[ブルーレイ(字幕)] 5点(2022-05-29 12:40:45)《改行有》

59.  沈黙 ーサイレンスー(2016) 《ネタバレ》 キリシタン迫害の映画。拷問の痛々しさと、逃げ道も救いもない流れが想像できるので、重たい気持ちで鑑賞。 劇中、キチジローが日本を国として考えてるのとか、村人から番人まで流暢な英語を話してるのとかは、映画らしいディフォルメと考えるにしても、ここまで日本と日本人が違和感なく反映されたハリウッド映画が出来てくることに、時代の変化を感じる。 ディフォルメ表現はあっても、クリスチャン→切支丹、パードレ↔伴天連、パラダイス→パライゾなど、当時の日本で使われていただろう単語はそのまま残しているところが、よく研究して創っているなって感心させられる。 テーマは重たいけど思いの外エンターテイメント作品としてグイグイ惹き付ける内容で、言葉の通じない(とは言えないけど)敵だらけの異国の地で、役人から隠れながら布教活動に務める2人の神父の勇敢さ。切支丹を迫害する悪として登場する役人だけど、そうするに至った理由が語られるたび、ロドリゴ神父への対応を見るたび、日本がしっかり考えた上で、キリスト教を拒否した経緯が観えてくるのが興味深い。 本編とは関係ないけど最初のジェダイ、クワイガンを探しに、最後のジェダイ、ベン・ソロが旅立つ流れは勝手に胸熱。 誤解して、あるいは故意に誤解させて広まった日本のキリスト教。ロドリゴ自身の信仰と、眼の前の信者の命を天秤にかけた説得、棄教を迫るやり方。拷問の残忍さ。何が正しいのか解らなくなってくる。波に打たれても賛美歌を歌い続けるモキチの純粋さ。死を覚悟してもパライゾを信じるモニカの真っ直ぐな眼。どう考えても一番可愛そうなのは末端の切支丹たちに思える。 忠庵の話はなんか納得。ザビエルが“神の御子(SON)”を“大日=太陽(SUN)”と教えた下りは、八百万の神を信じ、その頂点に天照大御神(大日)を置く日本古来の考えとマッチした…と言うか寄せてきたんだなって。科学技術も宗教の研究も進んでるポルトガル人が、村人一人ひとりに寄り添って「この教えが正しいんだよ」と言えば、普段顔も見られない殿さまと、その下の役人に足蹴にされて、重たい年貢を強いられる村人は「そうなのかぁ、知らなかったなぁ」って信じただろう。踏み絵の際の「カタチだけで良い」は、悪魔の甘い囁きなんだろうか。キチジローのように踏んだ者への扱い(放免)を考えると、本当に出来る限りの譲歩はしていると思える。日本に限らずキリスト教徒はこの映画をどう観るのか。 日本は無宗教の国家だけど、宗教を信じている人は人口の2~3割。だけど各宗教団体の信者数を足すと2億人を超えるらしい=人口の約2倍。これも正しいのかどうかわからないけど、キリスト教を拒否した結果、日本は植民地支配を免れたのかと思うと、宗教の必要性とか役割について、色々考えてしまうなぁ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-05-22 14:35:54)(良:1票) 《改行有》

60.  セッション 《ネタバレ》 -Whiplash-“鞭打ち”というジャズの曲名であり、ドラマーの持病とも言えるむち打ち症であり、文字通り鞭で打つことでもある。 すっごくストレスを感じる映画です。フレッチャーの中にしか正解が無く(…いやそもそも正解なんて無いと思う)、どうすれば認められ、どうすると怒られるのか解らない練習風景は、逃げ場のない拷問にしか思えない。あのやり方で、本当に優秀なプレイヤーが生まれるのか疑問。 認められて自信を付けて、勇気出して好きな子に告白して、付き合って、一方的な思い込みで振るアンドリュー。なんて人付き合いの下手な奴なんだ。 人を罵倒し、自分の才能が認められることだけに前向きな主人公に、才能があればキャリア関係なく入れ替えて、とことんシゴイて競わせる指導者。 こんな自分のことしか考えてない人たちの映画にどうしてセッション(演奏者の集まる様子)て邦題を付けたのか。 のんびりと生きて来た私には、自分をとことん追い込むアンドリューにも、他人をとことん追い込むフレッチャーにも全く共感が出来ず、ただただストレスを感じ続ける鑑賞時間だった。大事なコンペのために負荷を掛けられて、自分にも負荷を掛けて、偶然の不幸に足を引っ張られ、それが悪い方に破裂して…何ともスッキリしない、モヤモヤする結末。あんなに頑張ったのになぁ… そこから後日談的な和やかな再会シーン。ここからが本番と言わんばかりの詰め込まれた展開は予想外で、ホッとしたのも束の間、ゾッとして、観てるのが辛くなって、ソレぶち壊してしまえ!って気になって、興奮して共鳴した。スゴいラストを用意したものだ。 この最後だけまた観たい。けど、絶対最初から観て、ストレス溜めたほうが、絶対最後盛り上がるんだよコレ。[インターネット(字幕)] 8点(2022-05-19 22:16:53)(良:1票) 《改行有》

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