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941. ディア・ドクター 《ネタバレ》 どうしても必要なものが手に入らなったら、人はどうするのでしょう。絶望する?諦める?いえ、代用品を探します。ハリボテだろうと、紛い物だろうと、無いよりはマシ。伊野という“張子の虎”を本物の医者と信じたのは、張子の出来が良かったからではなく、村人が信じたかったからだと推測します。少なくとも看護師は早々に伊野の正体を見抜いていたでしょう。でもその事実に蓋をしたのです。おそらくは村長も。そして一部の村民も。村ぐるみの知らなかったフリ。村人が優先したのは、医療技術ではなく“医師が在住している安心感”だったのでしょう。しかし、これは幻想でした。当たり前ですが、緊急事態に偽医者では役に立ちません。先にその事に気付いたのは、他ならぬ偽医者自身です。気胸の件はラッキーだっただけ。二度目はありません。伊野の額の脂汗が証拠。そういう意味では、かづ子の娘来訪は伊野にとって渡りに船でした。病気を見過ごすのは許されるのか?本物の医者ならどう判断するか?どんなに考えても、ニセモノに答えが出せるはずがありません。患者との約束を守りぬく覚悟も、嘘をつき通す信念も、彼には無かったのです。責任の重さに耐えきれなくなった伊野は、ついに逃げ出しました。暗闇の中、必死に伊野を探す研修医の姿が印象的です。失くしたものを探す。いや、初めから存在しなかったものを探す。この行為が、偽医者騒動の本質であったと考えます。『蛇イチゴ』でも感じた事ですが、西川監督のアプローチは複眼的です。伊野、研修医、看護師、村長、健康な人、病気を患っている人、そして部外者である警察。それに医師不足に終末医療の問題。視点や立場、角度を変えて事象を照らしてくれます。どれもが正しくて、全てが間違っているように思える妙。監督の主義主張も抜かりなく挿入されており(ラストのかづ子の笑顔こそ監督のメッセージ)、頭と心をフル稼働させて味わい尽くすに相応しい、質の高い映画でありました。最後に鶴瓶について語らせてください。元ぬかる民(←コレが言いたかっただけ)として、鶴瓶にシンパシーを感じている私ですが、それを差し引いても本作の伊野役は完璧でした。演技は上手いとは思いませんが、鶴瓶のキャラクターを100%活かした見事なキャスティングだったと思います。脇を固める俳優陣も非の打ちどころがありません。何度も観たい、大好きな映画に、またひとつ出会えました。[CS・衛星(邦画)] 9点(2013-11-15 18:25:42)(良:1票) 942. 劇場版 SPEC~天~ 《ネタバレ》 『ケイゾク』も『トリック』も『SPEC』も、やっている事は基本変わりありません。違うのはサスペンス・コメディの配合割合のみ。『ケイゾク』はシリアス多め、『トリック』はほぼコメディ、そして『SPEC』はシリアスを装ったコメディ、と理解します。“ファティマ第3の予言”なんて与太話が出てくるのがいい証拠。それに、そもそもが『ジョジョの奇妙な冒険』のパロディですから。当麻の「高まるぅ~」「餃子食いなっせ」や主役2人のドツキ漫才にニヤニヤ出来れば十分かと。回収する気のない伏線も、どうせ畳めやしない大風呂敷も、ギャグやボケの類と考えれば腹も立ちません。ただし、結構な“一見さんお断り感”は気になりました。『ケイゾク』や『トリック』の劇場版はTVドラマを知らない人でも、それなりに楽しめる体裁でしたが、本作はTVの知識は必須の様相。一劇場作品としては不格好でも、冒頭にTVダイジェストくらい付けても罰は当たらない気がしました(そもそも体裁を気取る作品でもないでしょう)。さて、残すところは起承転結の“結”のみ。ぞれも前・後篇に分けるなんて、『ハリー・ポッター』と見紛うばかりの力の入れようです。砂に埋もれた国会議事堂は名作SF『猿の惑星』を彷彿とさせますが、期待したらダメなんですよね。それが堤映画のお約束。[地上波(邦画)] 5点(2013-11-12 18:22:15)(良:2票) 943. いま、殺りにゆきます 《ネタバレ》 オムニバスなので、まず1話ずつの感想から。【第壱話】キーアイテム、手作り詩集がなかなかの出来です。文学少女が酔狂で購入しても可笑しくない程度に体裁は整っているものの、よく見るとヤバイ雰囲気プンプン。小物のつくりが丁寧だと嬉しくなります。ストーリーは単純ですが悪くありません。ただ、結末はいけません。ポエマーの台詞が聞きとれません。衝撃的な内容ゆえ“少女の耳にはあのように聞こえた”という演出なのでしょうが、観客としてはストレスが溜まります。どんなキチ理論か是非披露を。言語明瞭・意味不明(by竹下登)でお願いします。【第弐話】本当に怖いのは、簡単に個人情報を漏らしてしまう古書店店主なのですね。わかります。【第参話】これが一番面白かったです。人物造形及び役者の演技力の勝利。【第四話】このお話から若干コミカル路線にシフトします。主人公にしてみれば洒落では済みませんが、基本的に悪ふざけという感じ。トイレットペーパーの使い方や“おーえる”表記がシュールでした。なお100均で売っているような接着剤がそんなに強力かよ!と、一応ツッコんでおきます。【第伍話】もうギャグと認定していいですかね。犯人のセンスに脱帽です。【総評】プロローグとエピローグの共通点。それは“ししゅう”と“ハートマーク”。(第壱話:主人公の制服の袖、第伍話:主人公のあそこに、小さなハートがありました)この2点は、全体に共通するテーマでもあります。ししゅう=詩集=刺繍=死臭。ハート=愛。すなわち“死の香がする歪んだ愛の物語”ということ。ジャパニーズホラーなのに血飛沫ゼロ。あまり人も死にません。四話と伍話の影響もあってか、正直あまり怖くありませんでした。タイトル自体がパロディであることを考えると、この印象は間違っていないと思うのですが、高い評価は付け難いです。[DVD(邦画)] 5点(2013-11-09 18:28:00) 944. 夜明けのゾンビ 《ネタバレ》 『夜明けのミュー』ならぬ『夜明けのギャー』なんてボケようかと思いましたが、登場人物が悲鳴を上げるシーンも、観客が叫びたくなるシーンも、ほとんど見当たりませんでした。ゾンビに襲われて臓腑や脳味噌を搔き出される、お馴染みゴア描写もゼロに等しいです。そのため傷口パックリ腐敗臭漂うゾンビの造形はグロテスクでも、意外と汚らしい印象はありません。これは、ゾンビ初心者や食わず嫌いの方にとっては在り難いかも。ただ反面、ゾンビ映画の醍醐味に欠けるとも言えます。感染・免疫の概念を強調していること、人間VSゾンビよりも人間VS人間の構図がメインである点も、“ゾンビ映画らしさ”を薄めている要因と考えます。下手をすると、ゾンビとウィルスパニックの差異が無くなってしまいます。ただし、その点本作はよく考慮されていました。息子を手にかけた主人公の痛みと苦しみ、そして回復までの過程を、ドラマの中心に据えたのです。ゾンビ映画ならではのエピソード。必ず見かける定番のシークエンスではありますが、淡白に処理されてしまうことが多く(生き残るのに精一杯で悲しみに暮れている暇が無いですからね)、本作のように人物の内面にしっかりスポットを当てるのは珍しいと思いました。ゾンビ映画のアイデンティティを主張する上で、この方針は正しいと思います。一言で言い表すなら“アッサリ・キレイなゾンビ映画”。たまにはハッピーエンド(?)もいいでしょう。アニメーションを利用した演出や予算規模が窺えるロケーション等、オリジナルビデオっぽい雰囲気は少しだけマイナスかな。[CS・衛星(字幕)] 6点(2013-11-06 18:28:16) 945. アメリ 《ネタバレ》 アン・シャーリーが善なる空想家なら、アメリは厄介な妄想娘といったところでしょうか。ただ妄想するだけなら害はありませんが、悪戯癖には困ったものです。やり過ぎのお仕置きや、他者の人生に介入するような真似は褒められた話ではありません。ですが、これも人生の“スパイス”と考えれば少しは許せるというもの。旅するドワーフに感化された父親は引きこもりから抜け出たようですし、“ほとんど病気”の2人はめでたく(?)結ばれました。美味しい料理にも、楽しい人生にも、スパイスは欠かせません。気になる彼に仕掛けた恋のトラップなんて微笑ましいです。でも、スパイスが過ぎたら料理は台無しになってしまいます。それに香辛料だけではお腹は満たされません。ずっと自分の人生と向き合う事を避けてきたアメリは、ルノワールの絵の中の「水を飲む娘」と同じと言えます。心ここに在らずだから、真ん中にいるのに存在感が薄いのです。本気でぶつからなかったら、自分の人生を手に入れられません。やがては絵描きのおじいさんのように、他人の絵を模写する事で大切な時間を使い切ってしまいます。やはり絵描きは、”自分の絵”を描かなかったらウソだと思います。おじいさんは、アメリにそうなって欲しくないと願ったのではないでしょうか。勇気の一歩はいつでも踏み出せます。でもそのタイミングは無限ではありません。疾走するバイクの如く、時はあっという間に過ぎていくのです。2人乗りが出来たアメリは幸せを掴んだ様子。もちろん一人乗りだって気持ちが良ければそれで構いません。大切なのは、納得できる人生を歩むこと。やらない後悔より、やって後悔。失敗だって人生のスパイスに違いありません。本作で描かれている様々な人生のかたちは、観客に優しくその事を問い掛けている気がします。[DVD(字幕)] 9点(2013-11-04 17:15:21) 946. 映画ドラえもん のび太と緑の巨人伝 《ネタバレ》 良い台詞や感動的なシーンは多々あるものの、どれも単発で終わっている印象があります。例えばラストのキー坊の演説。「地球人は反省した」と言います。さて、それはいつ、誰のことを指しているのでしょう。今回の緑の侵略を地球人は認識すらしていません。のび太たちも今までの生活態度を反省した様子はありません。キー坊の演説は希望的観測に過ぎません。キー坊とのび太の別れの場面。キー坊は「宇宙を見たいから」「勉強したいから」「長老のようになりたいから」と言い残して旅立ちます。のび太とキー坊は友達というより親子に近い関係。悲しみをこらえるのび太の姿に心打たれます。でもその一方、キー坊は地球に留まらない事は容易に予想できました。彼と同種は地球上には存在しないのですから。物語は前後が繋がってこそ価値があります。感動が溢れ出してくる。キー坊の演説を活かすためには、人間をきちんと懲らしめる必要があったと考えます。キー坊の旅立ちを意味あるものにするには、彼にこう言わせればよかったのではないかと。「いつか帰ってきます」。緑の巨人による地球侵略から事態収拾までの状況把握は至難の業で、出口の無い迷路に放り込まれたような不安に襲われました。どう決着が付いたのか分からず仕舞い。其処にきて前述のような感動話を挿入されるものですから、どう受け止めたらよいのか途方に暮れました。『ドラえもん』は日本が世界に誇れる極上のブランドです。そのブランドが競合他社の売れ筋の型番を模倣したらいけません。これなら旧作のリメイクの方がずっといいです。新生『ドラえもん』が満を持して放ったオリジナル脚本がコレでは、あまりに切ないです。新生ドラえもんには本当に期待しています。だから辛口です。ごめんなさい。[地上波(邦画)] 5点(2013-11-04 17:06:43) 947. ICHI 《ネタバレ》 女版『座頭市』と言うよりも、綾瀬はるか版『あずみ』といった印象。アイドル女優主演の女剣士ものです。綾瀬はるかをキレイに撮ろうという気配りが感じられました。ただしアイドル映画と捉えられるのが不本意なのか、ソフトレイプシーンの挿入等、清純なイメージを払拭する意図が窺えます。本格志向のアピールでしょうか。でも頑張る方向性が違うと感じます。まず意識すべきはチャンバラの出来。殺陣を何とかしないと。斬り合い全てがスローモーションでは技量が足りていない事がバレバレです。それに各剣士の力関係も気になりました。バランスが悪いです。例えば、獅童の戦闘力を100とするならば、綾瀬は70で大沢(覚醒時)は80くらいでしょうか。それなら綾瀬と大沢が協力して戦えば獅童に勝つのは必然です。2人が力を合わせても太刀打ち出来ないくらい強敵でないと、勝利のカタルシスは得られません。ちなみに、窪塚くんはいつものチンピラ風若者演技で時代劇にはそぐわないと感じました。[DVD(邦画)] 4点(2013-11-04 16:54:32) 948. バイオハザードV リトリビューション 《ネタバレ》 プレイステーション版・初代『バイオハザード』しかプレイしていない自分が言うのも何ですが、まるで原作ゲームへ原点回帰をしたかのような印象を受けました。ある意味1作目以上にゲームらしい映画だったと思います。フィールドを限定。各ステージをクリアして、制限時間内に実験施設からの脱出を目指す。実にシンプルで分り易いストーリー。後半からは『エイリアン2』を髣髴とさせるエモーショナルな要素が加味されましたが、あくまで基本線はアクション。エンドクレジットで一際大きく映し出されていた『CAPCOM』の表記に偽りはありませんでした。クローンアリスの“別の人生”チャプターも、原作ゲーム本来のテイスト。今やミラは、シュワやスタローン以上に無敵感があるので、ひ弱なキャラクターというのも新鮮味がありました。敵キャラのパワーバランスが変な件(斧を持った奴にヘッドショットが効かないのに、特大脳みそオバケには効く不思議)、アリスのマシンガンが弾切れしない等、ゲームが原作だからこそこだわって欲しい箇所はあったものの、そんな不満も大スクリーンで展開されるシューティング&格闘アクションの迫力の前には吹き飛びました。バイオハザードに凝った脚本など不要。アクションで押し通せば良し。そう実感できたⅤでした。以下余談。自分は映画ポスターコレクターなのですが、バイオハザード(原題Resident Evil)は米本国版と日本版のデザインが違う事が多いように思います。日本版は一貫してアリスの正面ショットがメイン。ミラの美しさを全面に押し出しています。プロモーションの方向性は、日本が正しいと思います。[映画館(吹替)] 7点(2013-11-04 16:48:21) 949. グッモーエビアン! 《ネタバレ》 女教師の「グッドモーニング・エブリワン」は完璧な発音です。中学英語では。そして日本国内では。はっちゃんの進路に対する助言だって、何も間違っていません。私が彼女の立場でも同じ事を言うでしょう。でも、世界で通用するのはヤグちゃんの「グッモーエビアン!」の方です。嘘です。知らないです。私も「グッドモーニング」の人間だから。でも「グッモーエビアン!」だって気持ちは伝わるでしょう。完璧な発音じゃなくても構わない。つまり正解は一つじゃないということ。人生の数だけ正解があるはずです。アキは安定した人生を「ツマラナイ」と言いましたが、それは彼女にとっての正解ではないという意味。充実した日々を送るか、退屈な時間を過ごすかは、偏に自分自身の問題です。ヤグちゃんやアキは、自分の生き方に責任を持っています。野垂れ死んだとしても、2人は笑っていることでしょう。物語冒頭のメッセージと同じ。そんな生き方を誰が否定できましょうか。そういう意味で、はっちゃんはまだ自分の人生に責任を持てていません。ですから、エンディングのブレザー姿を見て安心しました。“とりあえず”の高校進学だとしてもいいじゃないですか。選択肢はなるべく多く、考える時間は沢山あった方がいいでしょう。心配しなくても、時間なんてあっと言う間に過ぎ去りますから。彼女ならきっと自分だけの正解を見つけられると思います。お母さんより、ずっとしっかりしている娘です。それに大切な事を教えてくれる主夫の“お父さん”が傍にいるのですから…ウザいですけど、ね。それにしても大泉洋。ヤグちゃんを肯定出来ないと本作は成立しない訳で、好感度の高い大泉の起用は大当たりでした。役者として得難いキャラクターです。やるな、天パめ。麻生久美子も完璧。社会の厳しさを知っている顔(老けてるって事じゃないですよ)が物語に深みを与えます。演奏シーンもサマになっていました。良い女優さんです。三吉・能年の若者コンビも熱演と言っていいでしょう。能年は今年大ブレイクしましたが、三吉も素質十分。でも男顔なんですよね。時々山下智久に見えました。山下との兄妹役なら、いつでも太鼓判を押せます?![DVD(邦画)] 8点(2013-11-03 20:01:02)(良:1票) 950. テッド 《ネタバレ》 彼女との大事なパーティを抜け出して、車を走らせる主人公。軽快なBGMにフラッシュ・ゴードンがフラッシュバック。ジョン・ベネットの顔面アップ、アップ、アップ。テールランプが尾を引きます。このフザけた演出に大爆笑しました。私はこの場面で作品の空気(笑いのリズム)を掴めた気がします。こうなればもう何だってこい。これ以降のネタは全弾命中です。笑いが笑いを呼び込む連チャン状態。バカ笑いしました。この感覚はベン・スティーラー主演のアメリカンコメディ『ズーランダー』を観た時の感覚に似ていました。如何に作品世界(すなわちテッド&ジョン・ベネットの濃密な関係)の“内側”に入り込めるかがポイント。ローリーも、2人の“スキーの付く名前ボケ合戦”への参入を試みましたが、あえなく撃沈。空気を掴めていないと、こういう目に遭います。この時の彼女は“外側”に居る状態と言えるでしょう。彼女と同じ立ち位置では、物語を楽しめないのは道理。アメリカンコメディは登場人物と一緒になって、馬鹿にならなきゃ意味が無いです。ハッパなんて要りません。ナチュラルトリップで楽しみましょうよ。日本人のワビサビ感覚でいうと、テッドの魔法が解ける結末の方がしっくり来ます。でも本作はアメリカ映画。それにコメディです。しんみりなんてノーサンキュー。ハッピーエンドで正解だったと思います。友情も恋愛も魔法と同じ。何時までも、何時までも、このままで。映画の中くらい夢をみさせてください。『ズーランダー』の感想でも同じ事を書きましたが、ネタの微妙なニュアンスが日本人では理解し難いところがもどかしいです。フラッシュ・ゴードンは日本芸能界で言えば倉田保昭という受け止め方でOK?[ブルーレイ(吹替)] 8点(2013-10-30 18:59:16)(笑:1票) 951. 幻魔大戦 ストーリーについて特に言及したい部分はありません。それより驚いたのは、石森章太郎が原作漫画を描いているのに、大友克洋がキャラクターデザインをしている点。公開当時、私は小学生だったため、この事実を知らなかったワケですが、結構凄いコトをやったんだなあと。石森氏は嫌じゃなかったんですかね。石森キャラより大友キャラの方がイイんじゃね、みたいな論調になったら気分が悪いでしょうに。共作だから拒否権が無かったんでしょうか。例えるなら、『ついでにとんちんかん』を漫☆画太郎のキャラクターで映画化するような。違うか。でも、ちょっとそれ観てみたいです。結論。石森氏は太っ腹。[CS・衛星(邦画)] 5点(2013-10-27 20:45:41) 952. 殺人ゲームへの招待 《ネタバレ》 実在するボードゲーム『Clue』を原案とする映画だそうですが、着想を得たというより、そのまま実写映像化した印象です。DVD収録のエンディングは3通り用意されていますが、ゲームのルール通り“登場人物×凶器の種類×部屋数”分だけ結末が“存在し得る”と考えて構わないでしょう。事件の真相は偶然の産物。勿論ドラマは完全に後付けですし、トリックの醍醐味など望めるはずもありません。ミステリーとしての面白味はゼロです。間違っても犯人探しなどしてはいけません。無駄骨です。謎解きのヒントも当然在りません。では何処を楽しめばいいかというと、まずは雰囲気でしょうか。とある洋館に招かれた素性の知れぬ数人の男女。各々に配布された典型的な凶器の数々。消える死体に隠し部屋。古典ミステリーの風味を味わうワケです。次のお楽しみは、ウィットに富んだ会話劇とコミカルなリアクションで魅せるコメディーパート。ほぼ、こちらがメインと考えて差し支えありません。さて私は某蔦屋の『良品発掘』シールに惹かれて本作を観賞しました。そのため期待値のハードルが高かったかもしれませんが、それを割り引いてもツマラナイものでした。物足りないというか。おそらく本作を楽しめる人は、大人だと思います。あるいは大金持ち。「今日の夕ご飯は松茸の土瓶蒸しよ」とママンに言われて喜んでいたら、本当に土瓶蒸ししか出てこなかったとしても、キレたりしない“余裕のある人”だけが楽しめる映画ではないかと(何のこっちゃ)。同じ趣向の映画なら『名探偵登場』の方が満足度は高いです。[DVD(字幕)] 4点(2013-10-24 19:55:34) 953. 蛇イチゴ 《ネタバレ》 『蛇イチゴ事件』は、妹が兄を悪人と認定するに至った、最初の大きな出来事でした。ですから、兄の自己破産計画の信憑性を見極めるため、妹は『蛇イチゴ事件』の検証を希望したのだと思います。薄暗い山奥。沢を挟んで手を伸ばす兄。妹は直観的に身の危険を感じたのでしょう。確かにサスペンスドラマなら殺されるパターン。間違いない。兄は悪人だ。だから警察に通報しても問題ないという思考の流れ。ところが、蛇イチゴは存在しました。兄を悪人とする重要証拠が消えたのです。心理学用語で言うところの『初頭効果』打ち消しと『新近効果』のダブルパンチ。妹の判断基準は根本から揺さぶられました。兄=悪人の図式が崩れた彼女の胸中は如何ばかりか…想像すると…笑えてきます(失礼。性格悪いですね)。そもそも兄の人間性など、自己破産計画の真贋とは関係のない話。それに兄がガンジーだとしても、香典詐欺を働いた事実は覆りません。ダメなものはダメ。物事の判断は是々非々でしないと。それに表があれば裏もあるのが世の道理。そんな当たり前の事柄に考えが及ばないのは、彼女の視野が狭い証拠です。母親が嫌悪する「あなたはいつも正しい」も、この部分を指しています。おそらく彼女は、職場で型に当てはめる作業に慣れ過ぎたのだと思います。そういう思考の癖がついたのです。問題児の発言だから信用できないという理屈。困った事に(?)往々にしてその判断は“正しい”のですが、基準を其処に置くのは間違っています。思い返せば、同僚教師も同じ価値観の持ち主でした。教師の職業病でしょうか。レッテルに頼った判断は効率的で簡便ですが、時として大きな過ちを犯す危険性を孕んでいます。おっと、教師という職業にレッテルを貼るのも間違いでしたね。危ない、危ない。反省します。人の心の汚い部分、醜い部分を描きながらも、観ていて嫌な気持ちにならないのは、監督の視点が多角的だからだと思います。絶対悪など無いように、完全正義も存在しない。だから不完全な私でも、安心して観ていられるのだと思います。いい映画でした。聞けば本作は、西川美和女史の初監督作品とのこと。処女作でこの完成度とは恐れ入ります。監督の人柄が伝わってくるのも素晴らしいです。私は『ゆれる』と『夢売るふたり』しか観ていませんが、監督の名前で信用買い出来る事が分かりました。ほかの映画も必ず観ます。宮迫はベストアクト。[CS・衛星(邦画)] 8点(2013-10-21 19:34:28)(良:5票) 954. アンフェア the movie 《ネタバレ》 「クールで強いヒロイン」と「意外な犯人」。TVドラマ『アンフェア』が支持されたのは、この2つの要素があったからだと思います。映画化に当たって、グレードアップが期待される項目でもあります。しかしコレがサッパリ。自動車爆破に巻き込まれた娘を抱えて「誰か、救急車を!」と叫ぶ主人公に幻滅します。“母の顔”は雪平のキャラクターで重要な位置を占めるもの。それが決して“強い母”ではないことも承知しています。でもどんなに弱い母親でも、我が子のためになら必死になれるはず。他人に助けを求めるという行為では、母の弱さしか伝わってきません。携帯をサッと取り出し救急車を呼びつつ、僅かに母の顔を覗かせる程度の表現で良かったのではないかと。まず徹底されるべきは、彼女の“強さ”の部分。伝染病に侵された娘とのシーンも然り。親子の絆をアピールする前に、やらなければいけない事があるでしょう。刑事の強さに、娘を守る母の強さが加わってこそ“強くてカッコイイ”と言えるのではないでしょうか。「意外な犯人」のファクターも×。映画に先行して放送されたTVスペシャルは、“犯人役”になれるキャラクターを創造するためのもの。主要キャラクターを犯人役で消費し過ぎたツケを払わされているようなもの。それくらい映画通でなくても簡単に想像出来てしまいます。江口が犯人では、むしろ当たり前過ぎて逆にビックリする始末(笑)。○曜サスペンスの如きノリです。やはり映画としては安っぽいと感じてしまいます。終始スケブラで奮闘した篠原に+1点オマケでこの点数です。[DVD(邦画)] 4点(2013-10-19 23:14:23) 955. トータル・リコール(2012) 《ネタバレ》 欧州と豪州。地球の裏側同士に当たる二つの大陸間を、地核を貫いて直接繋ぐ“フォール”と呼ばれる移動装置。このアイデアは秀逸でした。建造に費やされたであろう金銭・資材・時間・労働力・技術力を想像すると気が遠くなります。地核突入時の重力反転ギミックも申し分なく、SF的スケールは“火星のコロニー”を凌ぐと考えます。空間を立体的に活用することを意識したスピード感溢れるアクションは見応え十分。掌モバイルや、拘束光線銃といった未来テクノロジーも楽しめました。設定・脚本共に大きな欠点は見当たりません。しかし本作のレビューに並ぶのは「薄味」「地味」といった平坦な言葉たち。残念ながら私も同じ印象でした。結局は比較の問題なのだと思います。オリジナルが示した強烈な個性の前では、常識的なセンスでは霞んでしまうということ。比較されるのはリメイクの宿命ですし、上品より下品な方が、繊細より大雑把な方が、インパクトがあるのは仕方のない話。そんな歩の悪いリメイクで、オリジナルへのオマージュを織り交ぜつつ、正々堂々と元祖に勝負した本作の製作姿勢は称賛したいと思います。でも、やっぱり面白いのはシュワちゃん版なんですよね。[CS・衛星(吹替)] 6点(2013-10-18 18:25:56) 956. ATM 《ネタバレ》 ≪≪以下妄想レベルの解釈です。またネタバレも含みます。ご注意ください≫≫ ターゲットが恐怖に慄き、自滅する様を観察するのが犯人の目的(愉しみ)であったと推測します(ATM内の現金が目的かもと考えましたが、犯行に計画性が無さ過ぎるため却下)。様々な防犯カメラの撮影範囲を入念に研究していた点、その堂々とした態度から、今回が初犯とは考え難いです。ただし、こんな穴だらけの計画で完全犯罪を目論んでいたとは思えません。本件は、“たまたま死者を多数輩出したレアケース”。大半は携帯で即通報されたり、逃走されたりしたのではないでしょうか。つまり普段やっているのは、悪質な悪ふざけ。しかし、それなら何故今回は犬の飼い主や警備員を殺すところまで徹底したのでしょうか。ここまでやると、もう悪戯では済みません。本気でターゲットを潰しにかかっているのは間違いありません。ただし、主人公の車に積んでいた工具を利用している点からも計画的犯行の可能性は低く、たまたまターゲットに私怨があったから(あるいは復讐の機会を窺っていたところ千載一遇のチャンスが巡って来たので)いつもの悪戯から、本気の復讐に切り替えたと考える方が自然な気がします。覆面から僅かに覗く瞳に愉快犯的な悦びの感情が読み取れなかったこと、また目の雰囲気が年配であったことから、“犯人=主人公が年金の運用を誤った顧客”であれば辻褄は合いますが、流石に妄想が過ぎると感じます。客観的な証拠の類は一切ありません。結局ハッキリしているのは、主人公が勝手にテンパって自滅したという事実のみ。合理的な説明を好む観客の嗜好に沿うはずもなく、低評価は免れないと考えます。DVDパッケージにはいつもの如く“ソリッド・シチュエーション”の文字が。しかし“隙だらけ”というより“隙しか見当たらない”の設定で“ソリッド”を名乗るのは幾らなんでも無茶な気がします。ほぼ唯一の見どころは、アニメ版タイガーマスクの必殺技“ウルトラ・タイガー・ドロップ”(またはノークラッチ式投げっぱなしジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックスとも言う)が実写で再現されていたこと。ウェンツ主演の『タイガーマスク』は先を越されちゃいましたね。プロレスファンは必見かと(嘘)。[DVD(字幕)] 3点(2013-10-16 17:35:34)(良:1票) 957. テイク・シェルター 《ネタバレ》 【【ネタバレあります。未見の方はご注意願います。】】 結末について。“主人公の悪夢は予知夢だった。嵐は本当に来た”との見方も勿論可能ですが、“妻も夫と同じく精神を病んでしまった”との解釈の方が、妥当性が高いと判断します。客観的な証拠(例えば妄想説を支持する医師の嵐目撃情報など)が無い以上、統合失調症という一度は確定した“現実的な解答”を覆すのは難しいと感じます。具体的な“核戦争”ではなく、“奇妙な嵐”という点も、精神疾患の可能性を後押しします。そして、真実がどちらだとしても、この家族の置かれた状況が好転しないのが辛いところです。果たして、この家族が救われる正しい選択とは何だったのでしょうか……。もし嵐が本当に来た場合。家族は片時も家を空けてはいけませんでした。エンディングソングの歌詞のとおり、折角のシェルターも活用できなければ意味がありません。自分を信じ切れなかった時点で“詰み”です。しかもこの選択は、精神疾患だった場合は目も当てられません。リスクが高すぎて、とても選べないでしょう。真実がこちらであれば、グッドエンディングへの道筋は無いに等しいと感じます。では、精神疾患だった場合はどうでしょうか。最善手は、早い段階で投薬治療を始めること。大事に至らなかった可能性は大いにありますし、娘も手術を受けられたはず。統合失調症の可能性を疑いながらも、自分に甘い判断を下してしまったのは痛恨の極みでした。しかしこの段階では、まだ“最悪”ではありません。ポイント・オブ・ノーリターンは、おそらく食事会。大暴れをした夫に妻は寄り添いました。2人の絆が伝わってくる美しい場面。しかし愛するが故に、夫の妄想に取り込まれたとも言えます。あの時娘を連れて席を立っていれば、彼女と娘は助かったのではないかと。誰かを守りたい、支えたいと願うなら、まず自身の身の安全を最優先させなくては。同じ景色を見られることに喜びがないなんて、遣りきれません。軸がぶれぬ脚本は上質で役者の技量も充分。映像表現も上出来でした。夢・現実・幻覚の境目が明瞭で、観客を煙に巻く意図が感じられない点も好印象です。いい映画でした。[CS・衛星(吹替)] 7点(2013-10-12 17:59:46) 958. 幻の湖 《ネタバレ》 長尺&奇天烈な場面転換にクラッシックを噛ませることで、得も言われぬカルト臭を放っている作品。しかし決して難解ではありません。それもそのはず。重要な事は全て台詞で説明してくれています。シーンキャプションも必要以上。解らないのは、監督のセンスということ。まるで奇書『ドグラマグラ』のチャカポコチャカポコの如く、延々と続くマラソンマッチに息も絶え絶えになっている観客に突きつけられるのは、大気圏から飛び出し琵琶湖の上に笛を置く驚愕のラスト。何のこっちゃ。そりゃア然として当然です。抽象的なタイトルで芸術作品を装うのではなく、ストーレートに『メンヘラトルコ嬢の仇討マラソン~ヤッパ付きやねん~』で明確にブラックコメディであることを宣言した方が得策であったと思います。BGMはザ・プロディジーのテクノ(Breatheなんかこの映画のためにあるような楽曲!でも残念、こちらが後発でした)でお願いしたいところ。それにしても南條玲子は素晴らしかったです。演技力はさておいても、それを補うお顔が100点満点。正面からのアップで際立つ、大きさの違う左右の瞳。アシンメトリーが放つ居心地の悪さが、彼女の狂気を雄弁に物語っていたと思います。[CS・衛星(邦画)] 5点(2013-10-12 09:21:36)(良:1票) 959. 陰日向に咲く 《ネタバレ》 漫才コンビ・ゴールデン鳴子雷太、解散場面のこと。鳴子が別れ際に放った一言が引っ掛かります。「また、あなたを見つける」この台詞は、これから心中するカップルが使う言葉でしょう。「(生まれ変わっても)あなたを見つける」の意味で。鳴子が雷太を見染めてコンビを組んだ経緯があるとしても、このシチュエーションで使うのは不自然です。後の鳴子の娘来訪が前提となっていることが透けて見えます。前フリ・伏線は脚本家の腕の見せ所ですが、無理やり挟み込むのはかえってマイナス評価。それに別れ話でこんな台詞を吐く奴は、気持ちが悪いです。初対面でキス。田舎から上京し、押し掛けてお笑いコンビを結成。にもかかわらず人前に出るのが苦手?乙女の恋心パワーで説明するのは無理があるような。芸人ならデフォルトの変人でも、一般的にはドン引きです。ルックスが“宮崎あおい”だから許されるようなもの。彼女に限らず、登場人物の人間性は総じて酷いものでした。モーゼは偽父親になり済ましましたし(しかも誰も得をしていない!)、アイドルオタクの童貞紳士ぶりには苦笑いするばかり。岡田くんは正真正銘のクズでした。お前は大家さんにキレられる立場かと。弁護士先生のやっている事も独り善がりな感アリアリ。お父さん(鳴子の夫)の気持ちはどうなるの?で、タチが悪いのは、これらダメ人間エピソードを感動話に仕立て上げていることです。監督というより、劇団ひとりのセンスという気がしますが、ダメな奴がカッコ付ける事ほど恥ずかしいものはありません。V6岡田くんや塚本高史といったイケメン俳優の起用も、明らかに間違いだったと思います。バラバラに見えた主要登場人物たちが、主役を中心に集約される筋立ては、この手の物語の定番様式。こちらも脚本家の手腕が問われる部分。ところが何故かアイドル&オタクチームだけが本筋に絡んできません。こういうリアリティって必要ですか?脚本家の意図が測りかねます。正直、私には魅力を理解できない映画でありました。ただし、宮崎あおいの「ごしない」だけは絶品!頬が緩みます。方言女子に萌える方には、一見の価値があるかもしれません。[CS・衛星(邦画)] 3点(2013-10-09 18:20:49)(良:1票) 960. 飛べ!ダコタ 《ネタバレ》 タイトルから容易に想像がつくように、物語の着地点(本作の場合は離陸点かな?)は初めから確定しています。ですから、観客の興味は結末に至るまでのドラマにありました。どんな苦難を乗り越えてダコタを再び飛ばす事が出来たのか。しかしながら、ハードルらしいハードルが見当たりません。英兵も島民も皆物分かり良く協力し、順調に滑走路を造り上げたように見えました。障害と呼べるのは放火未遂事件くらいのもの。厳しい自然環境の抵抗や滑走路造成過程の試行錯誤など、外的要素で盛り込めるハードルは幾らでもあった気がします。それに時は戦争直後の混乱期。ベンガルの言葉「ここ(頭)では分かっていても、ここ(心)がいうことを利かない」という島民の内面にも、もっと踏み込んで欲しいと思いました。戦争で息子を亡くした母(洞口)や戦時中の思いを引きずる青年(窪田)のエピソードにしても、簡易に処理をした感は否めません。心の穴を埋めること、凝り固まった心を解すのは、そう簡単な作業ではないはず。悩み、ぶつかり合い、苦難を乗り越えてこそのカタルシス。残念ながら、優等生の善行より不良の親切が持て囃されるのが世の常です。そういう意味では、登場人物がみな良い人過ぎたと思います。美談を美談のまま映画化することの難しさを感じました。ダコタ不時着時及び離陸時の描写に、予算問題をカバーする工夫が見られなかったこと。島民の善意の結晶であり最大の見どころ、自然石を敷き詰めた500メートル滑走路の全景をきちんと見せなかったこと。演出面、映像面での不満もあります。手放しで称賛できる映画ではありませんでした。本サイトのレビュワーとしての採点は6点です。ただし、一新潟県民としての思いは別。忘れ去られていた誇り高き感動の実話を、このような形で世に知らしめてくれた本作には、心より感謝いたします。油谷監督、比嘉愛美さん、初監督及び初主演に『飛べダコタ』を選んでくださり有難うございました。洞口依子さん、素晴らしい演技でした。この映画製作に関わった全ての方に敬意を込めて+2点を献上させてください。[映画館(邦画)] 8点(2013-10-06 20:49:39)
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