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【製作年 : 1980年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順12345678910
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101.  トップガン 《ネタバレ》 -TOP GUN- “アメリカ海軍戦闘機兵器学校(NFWS)”の通称。 当時大ヒット&大ブレイクしました。トム・クルーズもトム・キャットも格好良かった。音速のドッグファイトとノリの良いサウンドの組み合わせ。デンジャー・ゾーンのノリも好きだけど、トップガンアンセムの静かに盛り上がる曲も好き。どうしてサントラ盤はギターが激しいんだろう、大人しいバージョンも入れてほしかったわ。 ミサイルが同じ場所から出てたり、洋上なのに陸地が見えたり、敵機が残り1機なのに2機映ってたり、そんな事が些細に思えるほどに本物のF-14Aの美しさ。特撮じゃない空撮の迫力。世界最強の航空戦力。あの雰囲気、あの格好良さに勝るもの無し。 カラオケで告白なんて、アメリカ人があの陽気なノリでやるから、もう格好良いのなんの。マーヴェリックてかトム・クルーズが相当歌が下手なのも見事にノリでカバーしてる。最後トイレまで追い掛けていって、グースとの賭けにインチキで勝つところもオチャメ。 アイスマンって嫌な奴&あの事故ってわざと?って思ってたけど、規律を守る常識人だし、本当に不可抗力な事故だったんだろう。ロッカールームでマーヴェリックに、一旦呼吸を整えてから「・・・ミッチェル」って名前で話しかけるトコ、ホント根が優しい人って感じ。 トップガンと言えば格好良いシーンで掛かるノリノリのロックが目立つけど、面白いのは懐メロが3曲ほど出てきたとこ。 カラオケで歌ったライチャス・ブラザーズの“ふられた気持ち”はピートとチャーリーのお互いの告白に。 グースが愛する妻キャロルにピアノ弾いて歌ったのはジェリー・リー・ルイスの“火の玉ロック”。 ピートの両親が好きだった曲としてオーティス・レディングの“ドック・オブ・ベイ” ノリノリのトップガンのサントラには入ってない3曲だけど、この映画では2人の愛を懐メロで表現しているのが面白い。 ベルリンの“愛は吐息のように”この曲も今ではずいぶん懐メロだけど、ピートとチャーリーの愛のテーマであり、デートムービーとしてトップガンを観た私たちの愛のテーマにもなっていた(と思われる)。だってみんなサントラ持ってたし。クラスに1人はサントラCD持っていて、それをみんなカセットテープにダビングして聞いてましたよ当時は。私もTDKのADに入れてたっけ…あぁ懐かしい。 最後にマーリンについて書いておこうと思う。今ではネットで簡単に調べられるから、ご存じの方は飛ばしてください。 公開から暫くして、ビデオとかで観てる時、最後の甲板で突然ヌゥっと出てきて「え!?もしかしてティム・ロビンス?」って、私たちををびっくりさせてくれたのが、マーリン。公開当時は無名だったから気にもしてなかった。 彼はいつから居て、どこで何してた?実は最後、マーヴェリックのレーダー要員、つまりグースの後任を努めてました。グースの死後、トップガンでは日章ヘルメットの黒人レーダー員(サンダウン)が後任だったけど、卒業式の緊急命令の時にヴァイパーが「レーダー員が居なければ私が飛ぶ」って言ってたから、この2人のどっちかがレーダー員を努めてたと思ってた。なのにどうしてマーリン? 実はマーリンは最初のミグ遭遇時の、クーガー機のレーダー員。本来だと空母エンタープライズからはクーガー/マーリン組がトップガンに行く予定だったけど、クーガーが辞職してマーヴェリック/グース組が行くことに。マーリンはそのまま空母に残ってたんだろう。腕は良いんだろうに。 で最後の緊急命令時もたまたまエンタープライズが母艦に選ばれて、最初の編隊チームだったマーヴェリックとマーリンの2人が、お互い固定パートナーが居ないから組めた。って流れでした。最後に突然登場したと思ってたけど、最初から映ってて、けっこう喋ってたんですねぇ。[映画館(字幕)] 7点(2022-07-04 09:50:39)(良:1票) 《改行有》

102.  遊星からの物体X 《ネタバレ》 -The Thing- “無生物”・・・って事は、アレは生命体じゃないってことか?寄生型の・・・何か。邦題は“物体”としたんだね。遊星ってのは惑星と同じ意味みたい。 で、アレだけど、完璧な擬態を見せて人間(と言うか生物)に近づき、普通にコミュニケーションをして、おぞましい姿で寄生する。犬の変身がおぞましくて凄かった。他の犬が関心を持ちつつチラチラ見てるなか、バックリ裂けて大変身。触手をピシュンピシュンしならせる。あの不気味さはパペット技術の産物。もしブルーバック合成やストップモーション撮影だったら、きっと人形っぽくてシラケてたと思う。 明るい医務室でじっくり観えるノリスの変態。常識を逸脱した部位の使い方。炎から逃げるために首だけ脱出させるセンス。蟹のような足とカタツムリのような目。逃げて隠れずじっとして燃やされる最後も意味不明で怖い。 寄生されるとどういう感覚なんだろう?ノリスが寄生されてた時、縛られてるパーカーも既に寄生されてたと思うけど、アレどうし助けるとか協力するとかしない。助け合い、協力。その裏にある裏切り、疑心暗鬼。そういう感覚がもう生物的で、アイツら無生物とは違うのかもしれない。寄生した個体のどれかさえ生き残ればOKって考えかな。 そう考えると医務室の検査の前に、外で不気味に叫んでたベニングスは「寄生されたらこうなるよ」って、人間に嘘の情報を植え付ける役割だったのかも。 でも、ノリスもパーカーも、寄生されたことに気がついてない可能性もあるしなぁ、正体を表す直前まで人間的すぎたから… アレによる被害も大きいけど、人間による被害も同様に大きい。乗り物や無線機とかは人間のブレアが壊しているし、建物を破壊したのは人間同士の話し合いの結果。建物焼いても人間が不利になるだけなのに、ブルドーザーのような重機は動くんだからそれにガソリン積んで逃げるのも方法だったろうに、パニックで誰も疑問に思わない。アレは雪の下で何万年も生きていられるのに。 “ちょっとビビらせたら勝手に争って、勝手に自滅する”のが、アレに言わせれば、直接的にしかコミュニケーションを取れない生物、社会を形成して群れて生きる人間の、欠点であり、倒し方なのかもしれない。[ビデオ(字幕)] 8点(2022-06-25 23:09:29)(良:1票) 《改行有》

103.  グッドモーニング,ベトナム 《ネタバレ》 サッチモの“この素晴らしき世界”の美しさと、最後の和やかなソフトボールシーンが、この映画を異国の人情モノに思わせてしまう。 けど、何か違う気がするぞ。監督はどういう立ち位置で、この映画を観せようとしたのか。 '80年代半ばから後半にかけて、ベトナム戦争を題材にした映画が多く制作された中の一本で、戦闘をメインとしない珍しい戦争映画。最初に観たのは14~5歳の頃で、当然ながら当時はクロンナウアのアメリカ側の視点で観ていた。30年以上経ったいま、ベトナム人のトリンやツアン側の視点で観てしまう。 トリンに一目惚れ(・・・というか白いアオザイを着た美人なら誰でも良かった)のクロンナウア。フラレたのに金で買った自転車で追い回し、英語教師の座も金で買い、適当な授業で笑いを取りながら彼女に近づく。遥か遠いベトナムの地で、割り切った楽しい思い出としてトリンで遊びたいクロンナウア。 彼の一方的でワガママな要求に、丁寧に、誠意ある断わりを続けるトリン。なんて良い人なんだろう。一族総出のデート。笑えるシーンだけど、アメリカ人に文化の違いに気が付かせたいという、強い思いが感じられる。だけどショッピングで見え見えの人気取りをするクロンナウア。物価が安いから出来るだけで、誠意の欠片もない。 自分の身の危険も考えず、バー爆破とベトコン占領地区で2度もクロンナウアの命を救ったツアンに対し、彼がベトコンだったからってガッカリ・・・まぁその気持ちはわかる。友達に裏切られたと言いつつ、クロンナウアはツアンの何を解ろうとしたのか。 学生の時は戦地に向かう兵士一人一人に笑顔を振り撒くクロンナウアの姿にジーンときたが、今思うと『いやいや、お前ら全員、素直にアメリカに帰ってくれよ』て思ってしまう。人の国で好き放題してきたアメリカ。 トリン役のチンタラー・スカパットが、日本のアイドルみたいな可愛さ。どう考えても当時のアメリカでウケる東洋人顔(ツリ目、エラ張り、鼻ぺちゃ)ではない彼女を起用したのは、バリー・レビンソン監督の大英断。[ビデオ(字幕)] 5点(2022-06-23 23:38:45)《改行有》

104.  私をスキーに連れてって 《ネタバレ》 若者文化とバブル景気。遊びと恋とフジテレビ。'87年という時代を知るにはとても良い教材映画だと思う。 フジテレビの手に掛かれば、どんなものでもお洒落になった時代。面白いコンテンツを取り上げ、盛り上げ、膨らませて流行らせる。 ゼロから創ったのではなく、ジワジワ人気が出てきたものを、いち早く察知して、他のお洒落なものとミキシングして、さも自分たちが流行を創り出したかのように見せる、当時のフジテレビの技術。F-1、バレーボール、女子アナ、バラエティ番組、トレンディ・ドラマ(※W浅野の『抱きしめたい!』から言われ出した言葉だったよね?)。 このスキーにしたって、この映画が流行らせたように観えてしまうけど、ジワジワ流行っていたものを映画にまとめた“だけ”のもの。ファッショナブルなウェア。華麗なトリック。気心の知れた仲間との週末のフワフワした遊び方の提示。それら当時の若者の求めるものを、松任谷由実の透明な音楽をミキシングして綺麗にまとめ上げる。 “まとめただけ”なんて書いたけど決して簡単な訳でない。ネットのない時代に、いわゆる“マニアたちに静かなブーム”だったものをキャッチして“若者に大流行”させるフジテレビのテクニックは、正直言って凄かった。 ホイチョイが凄かったのかは、正直分からない。フジと切り離して考えると、この集団の功績がイマイチピンと来ない。ホイチョイ3部作の残り2つ(未見)の評価を見ても、う~ん…彼らの実力ってどうだろう? ただ少なくともこの映画に関しては良い完成度。中身スッカスカと見下すことも出来るけど、スキー(&スキー場に行くこと)の面白さをしっかり伝えきれていると思うし、遊んでばかりの登場人物も、決して彼ら主人公たちだけがフワフワしている訳じゃなく、そういう時代だったんだなって思えて楽しめた。 中身の伝わらない仕事をして、夜からは遊びに全力を出す当時の若者。その金はどこから出てくるんだ?ってくらい湧き出る謎の遊興費。ヘタしたら死ぬかもしれないこと(レースとか立入禁止場所に入るとか)を遊びでやってしまう感覚。 サロットのウェアを届けるためにGT-FOURを転がす真理子とヒロコが格好良い。決して運転が上手いわけでなく、単に無茶をしてるだけに観える。けど車内の2人は談笑してるんだ。楽しいことだけ考えてた当時が懐かしく思えて、とっても好きなシーン。 荒い運転に耐えて頑張ってたGT-FOURがコケて、車体を蹴って怒る2人。お披露目に間に合わずスキー板を放り投げて残念がる泉。もっとモノを大事にしろよ!って思ってしまうけど、当時はあんな感覚だったと思う。次々に新しい良いモノを作り出せてた時代だし。モノを大事にする感覚って、松井秀喜が自分のバットを大事にするって広まった辺りから見直された感覚だったかもしれない。 恋愛映画としては、正直そんなに光るものは感じなかったけど、「バァ~ン!!」の照れくさ甘酸っぱさと、「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」ってベタだけどホンワカする告白の返事が素敵。[ビデオ(邦画)] 7点(2022-06-18 17:30:08)《改行有》

105.  極道の妻たち 《ネタバレ》 ヤクザ映画の人気シリーズなのは知っていたけど、今回が初見。・・・思いの外レビュー数も多くないのね。 映画を観ていなくても岩下志麻=極妻のイメージだけは浸透していて、この一作目で、彼女がどのような経緯でヤクザの女房になり、組員に慕われ、恐れられる姐さんになったか。そんなプロローグに興味があったけど、もう初っ端から肝の座った姐さんだった。 「あの世へ行って本家の親父さんの許しを貰ってきとくんなはれ」美味い話なのに仁義を通す。姐さん格好良いなぁ。 「あんた、指詰めなあかんなぁ」パット練習しながら、目も合わせずに言い放つ迫力。まるでゴッドファーザーのような立場、相談っぷり。極道の厳しさと女性の優しさと併せ持つ環のキャラクターは、マンネリ化していたヤクザ映画の中で、異彩を放つ新鮮なキャラクターだったことだろう。 しかし岩下志麻とかたせ梨乃の取っ組み合いが観られるとは思わなかった。 環と真琴の姉妹、真琴が杉田に惚れる過程と、環が巨大なヤクザ組織の跡目争いが同時進行し、この2つの話が上手い具合に絡み合って、壮絶な結末を迎える。やくざモノって言うと、○○会だの△△組だのって組同士の対立に、傘下組織がいっぱい絡んで複雑なものが多い印象だけど、この映画は案外解りやすく思えた。清水宏次朗演じるチンピラとお父ちゃんの関係、柿沼組長襲撃の経緯とか、掘り下げると色々面白そうだったけど、余計なものを排除した結果、判り易く、姉妹の争いに集中出来るストーリーになっているんだと思う。 血みどろで壮絶な、それでいて悲しい結末に、環と真琴のその後の物語も気になってしまった。パート2観ようと思ったけど、この話の続編じゃなくオムニバスのようで。岩下志麻が復活する4作目も、この話の続きではないみたいで…監督も変わってるし、どうしようかな。 “鬼龍院花子の生涯”観るほうが良いのかな。[インターネット(邦画)] 6点(2022-06-18 15:40:12)《改行有》

106.  ポリスアカデミー 《ネタバレ》 -Police Academy- “警察学校” わざわざ書くまでも無いんですが…でも実際書いてみると、この映画が警察モノというより学園モノのノリに近いことが実感できました。 '80年代を代表するコメディ映画の一つで、当時TVのロードショーでじゃんじゃん流れていて、放送の次の日はいつも学校で話題になってたと記憶している。今でも当時の友達と飲むと、マホーニー、ハイタワー、タックルベリーって名前出すだけで大笑いできる共通認識。みんなポリアカが大好きだったんだな。 ただ実際は短期間の流行りモノだったようで、特にマホーニーが出なくなってからは、学校での人気は下火になっていたと思う。ポリアカが当時の学生に流行ってたのって、実質2年位だったんじゃないかな。 さて1作目の話に絞ると、それぞれが入学した事情→警察学校の訓練と生活→実地訓練と暴動鎮圧。その時どきにマホーニーの退学狙いのイタズラが入るようなイメージ。そんなメインストーリーに、個性的なメンバーのネタが延々と並べられてる感じ。メンバーが多いから、ひとり・ひとネタが適度な間隔で流れれば、当時はそれだけで充分笑えたんだろう。吹き替えのチカラも大きかったかも。 シャワー室丸見えとか、パーティでトップレスとか、あくまで健康的なお色気シーンが結構あったのね。全然忘れてた。 バーバラがいじめっ子にやり返すところ、ファックラーが大声出すところは、顛末を知っていてもスカッと出来る。 さて、顔を観ただけでこの先何が起きるか解ってる、このマンネリ感たっぷりのコメディを、思い出補正なしに楽しめたか?と言われると、う~ん… カッコいいアメリカン・ポリスの制服とコメディの融合で、当時はとってもスタイリッシュに思えたんだけどな。 今の目で観ると少し退屈に思えるかもしれないけど、このくらいのコメディ作品を、夜9時から約2時間、じっくり鑑賞できるくらい、当時は時代も娯楽もノンビリしてたんだな。[地上波(吹替)] 5点(2022-06-10 01:07:11)《改行有》

107.  ウォール街 《ネタバレ》 この映画の何に驚いたって、ニューヨーカーがお洒落に寿司食べてるの。なんかカキ氷機みたいなオモチャのハンドル回して、ポトリとシャリが落ちてきて。そんなの寿司じゃねぇぜ!って言いたい反面、田舎モンのお父さん(マーティン・シーン)は寿司を怪しんで匂い嗅いでるのとか、なんか日本文化が徐々にアメリカに進出しているのが実感出来た気がして、嬉しかったっけ。ゲッコーという名前も『月光?ゴードンに日本の血が?』なんて思ったけど、それは勘違い(Gekko=ヤモリ)だったぜ! 理想だけ高いお坊ちゃんバド。奨学金を返すより先に自分のこと優先。親より年収が上回ったのに「家に食費に車に駐車場に服に…」って、まさにガキの理屈。この辺日本もアメリカも一緒なんだな。で、真面目にコツコツ働く勤勉な親にお金借りて、デリヘル呼んじゃうんだからもう…。 ゲッコーに取り入るために親の会社のインサイダー情報まで出す向こう見ずさ。証券マンとしてそんなに才能があるとは思えないバドだけに、この後のトントン拍子に説得力がないけど、きっとゲッコーの力が、見えないところで後押ししたカタチだったんだろう。 正義(?いやこの場合、家族愛か?)に目覚め、ゲッコーに対抗するバド。極秘情報を持ったほうが勝つのが投資の世界なら、勝ったのはバドというよりライバル投資家のワイルドマンだろう。 6万ドルの絵画の価値が10倍になろうと、その絵画の持つ魅力は変わらない。裁判所に向かう車内でお父さん「あぶく銭を稼ぐための売り買いではなく、物を作れ。創造するんだ」お父さんの言葉はシンプルなだけに奥が深い。しっかりシートベルトをしてるお父さんと、シートベルトしてないバドの対比が面白い。 テルダー製紙の株主総会でカットされたシーンが、日本企業の進出に対する警戒だそうな。当時の日本は物作りの超大国。アメリカが日本を怖がってるって認めるのが腹立たしいから、カットしたのかな? 日本文化が世界に浸透した今、当時ほど物を作れなくなり、当時ほどお金がなく、当時ほど経済的脅威ではなくなった日本。以前と比べてハリウッド映画の日本描写が正確になってきたと思ったら、そうかもう、アメリカは日本が怖くなくなったんだ。[ビデオ(字幕)] 7点(2022-06-06 23:22:15)《改行有》

108.  影武者 《ネタバレ》 学生時代に借りて観て、事前に聞いていた評価の割に面白くなく思えた。乱は怖くて重くて楽しめたのに、この影武者は軽くて退屈だった。自分には合わないのかなぁ、と思って、以降黒澤作品を借りることはなくなった。 今回久しぶりの鑑賞。昭和55年当時、一般的に考えられていた史実と、諸説・異説。そこに創作の融合。信玄に重症を負わせた狙撃手の解説なんかとても面白く、実際どうかはともかく、暗闇で狙撃を遣り遂げた工夫に説得力があった。 間者を騙し、孫を騙し、女を騙し、刺客を騙しと、次々と降りかかる無理難題。そこに輪をかけて勝頼の嫌がらせ。影武者と重臣たちがどう乗り越えるかは、影武者の醍醐味として堪能できた。特に側室たちに対する暴露は緊張感と笑いの見事な演出。 ただどうにも、全体的に盛り上がりに欠けていたように思う。例えば重臣たちの会話などが所々台詞・台詞していて、活き活きとした会話とは言いにくい場面があちこちに観られた。また乱同様、あまり役者の顔に寄らない撮影方法から、まるで舞台演劇を観ているようで、映画としての役者の躍動感が感じられなかった。名だたる俳優が揃っている(山崎、室田、根津、倍賞、観ているあいだ気が付かなかったわ)のに、大滝秀治と隆大介くらいしか、印象に残らない撮り方というのは如何なものだろう。 信玄討たれるの報を聞き、馬を走らせる信長の場面。馬の疾走→信長の顔→城。を二回半も繰り返すクドさ。誰かが入れたいもの、誰かの要求されたものを全部突っ込んだら、結果こうなった感が半端ない。 高天神城の戦いの夜襲は本当に真っ暗で、せっかく騎馬武者を走らせているのも関わらず、何が起きているのかよく見えない。 佳境の長篠の戦いも、まるで策もなく特攻し、一方的に撃たれるを三度も繰り返す冗長さ。また撃たれた人馬の死屍累々、三重臣の死体を、ほぼ均等な長さで延々と映す長さ。削るべきを削り、活かすものを活かす潔さが必要と思われるのに、それを削ること無く全部入れてしまうから、結果こんなに長く、盛り上がりにかける作品になったんじゃないだろうか。 また全滅した武田軍の死体、うごめく重症者、倒れた馬。当時の定説はどうだったのか、射程の短い火縄銃の被害にしては、戦線が伸びすぎではないだろうか。ガトリング砲やライフル銃が出てきた時代の戦場に見える。そう西部劇の時代、南北戦争の戦場のようだ。 同様に高天神城の攻城戦の、家康軍の銃の撃ち方も、まるで南北戦争。当時はまだ、射手が自分の判断で動く敵を撃つのではなく、指揮官の指示で決まった方向に銃を向けて撃つだけの時代だと思う。また火縄銃の構造上、下向きには撃てないんじゃないかな。どうだろう?(※撃てるみたい) 音楽も違和感を感じさせる。お館様のご帰還に合わせて鳴るファンファーレの場違いなこと。言われるがまま創ったものを組み合わせたら、こうなった感が…。「ちょっと合わないよなぁ」と言う人が居なかったのか、言えなかったのか。 信玄の死を聞いて自然に敦盛を舞う信長。入れたかったんだろうけど、実際入れると不自然さ、違和感を感じる。 『風と共に去りぬ』のような戦争大作を、日本の戦国時代を舞台に創る。という目論見だったのか。 芸術性はともかく、娯楽作品としては盛り上がらないこの映画。世界進出を狙って制作され、見事パルムドールを受賞したものだから、後年の黒澤映画の代表作、傑作の一つとして鎮座してしまい、結果として(当時の)若い人が、本当に面白い過去の黒澤映画に触れる機会を逸してしまったのかと思うと、少々勿体ないように思う。[ビデオ(邦画)] 4点(2022-05-31 07:41:30)(良:2票) 《改行有》

109.  サボテン・ブラザース 《ネタバレ》 -¡Three Amigos!-“親友3人衆”とかですかね? 最初の ¡ は逆感嘆符といって、強調を表しているそうです。 いやぁ、アミーゴって兄弟じゃなかったんですねぇ…サボテン・ブラザーズってタイトル、馬鹿っぽくて好きです。あの黒くてキラキラした衣装がすぐ連想できて。しかしここでは凄い人気作品なんだ、驚いた。 他の方も書いていますが、プラトーンの同時上映でした。毛色が全然違う組み合わせ。当時「プラトーンって凄い戦争映画演るよ!」って、友達3人誘って行きました。当時は入れ替え制じゃなかったから、サボ→プラ→サボ2周目とみんなで観て、友達は「パルコ見てくるね」とリタイヤ。私だけプラ2周目観て合流。 プラトーンが結構ショッキングだったのか、みんなサボテンの話ばかり。私は『ふふん、ホンモノの映画の良さの分からないガキ共め』…とは言わないけれど、1人だけ砂糖もミルクも入れないブラックコーヒーを我慢して飲んでる気分。あぁ可愛くないガキだったわ。 この映画で一番のお気に入りは歌う木…何あれ? とにかく陽気に体を揺すりながら歌い続ける木が可愛かった。透明の剣士の死ぬところも好き。手首を落とすと舞う砂埃に笑いが止まらなかったわ。 最後は弱い村人が知恵を出し合って、みんなでサボテン・ブラザーズの衣装着て悪党と戦うのに大満足。みんなでやっつけた~!って感じで好き。 印象的な決めポーズにヘンテコなテーマソング「「「ウィアザ スリーィ ァア~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ミィゴッス!!」」」真似するよね。 今回久しぶりに見た。当時よく解らなかった飛行機のジョーク。「あれは遊覧飛行だよ。玉(車輪のこと?)が2つ、ゆ~らんゆ~らんって…」とかって訳だったと思う。今の字幕「あれはメールプレーン(郵便飛行機)だよ。玉が2つぶら下がってたろ、だからメイル(雄)プレーンって…」そういう意味だったのかぁ~。 この映画で一番大好きな歌う木と透明な剣士。全然何の前フリもなく、何の脈略もなく出てきてたのね。アレ無くても良かったんじゃん。 とにかくハッピーな気持ちで観終えられる映画。 私も当時プラ2周目行かないで、サボテンで劇場を出てたなら、こんな映画レビュー書くような人間になってなかったかも?[映画館(字幕)] 6点(2022-05-23 22:52:09)《改行有》

110.  ゆきゆきて、神軍 《ネタバレ》 凄い作品なので、気になっている人は見るべきだと思います。 この映画の中心がニューギニアでの人肉食、兵卒処刑の真相に迫る事で、奥崎氏によって次々に暴かれる真実、その場に居た人たちがずっと心に秘めていた体験談はとても生々しく、平和な時代に生まれ育った日本人の一人として衝撃的な内容だった。 戦後36年の撮影。奥崎氏が突撃する対象は、ちょうど私の祖父と同年代だろうお爺ちゃんたちだ。処刑の実行者達だけど、軍隊という組織を解っていれば、彼ら下士官に拒否権は無いし、自分の考えで動いていた訳じゃない事は分かる筈。 戦争を体験し、戦中も戦後も苦しい思いをして、長い時間を掛けて自分の中で消化して、何とか前を向いて生きてきた人たち。そんな元兵隊たちの日常生活に、過去を引きずったまま、文字通り土足で踏み込む奥崎氏。氏のパワフルさ、行動力、信念が凄まじく、全編にわたって鬼気迫る迫力、何とも形容し難い空気が漂っているが、同時に、平和に暮らす家庭をブチ壊される恐怖も感じた。突然現れた狂人に罵倒され、思い出したくもない経験をほじくり返され、足蹴にされるお爺ちゃんを観るのは『あれが私の死んだジイちゃんだったら…』と、家族にとってもトラウマ級の辛い経験だろう。 ※だけど口を閉ざすでなく、嘘を並べていたと思わしき方には同情できませんでした。あのような上司は実際居る。もちろん戦争とは無関係の息子さんには同情します。 ラストの衝撃。これには私も「えぇ~~!?」と声を出してしまった。色んな意味で凄い作品、最後まで目が離せない問題作だけど、ドキュメンタリー映画としてはどうなんだろう。この作品を原一男監督の作品と呼んで良いものだろうか? 狂人・奥崎氏が暴れるのは、そういう人なんだと納得できるけど、例えば兵卒の肉親2人が途中から降りた理由。奥崎氏同様かなり熱意を持って問い詰めていたと思うが、何が引き金になって同行を拒否したのかが解らない。有り得ないことに奥さんや知人を使って代役を立てた事に対する、監督の考えもサッパリ伝わってこない。 ドキュメンタリーなら奥崎氏サイドだけでなく、氏を同席させない場での元兵隊たちの考えも伝えるべきではないだろうか?元兵隊たちの家庭のその後、突然アポ無しで生活を踏み躙られた家庭のケアは、監督の仕事では?これではまるで奥崎謙三監督の自己PR作品の垂れ流しだ。原監督の仕事が『こんなモンスターをカメラに収めました』以上のものが感じられない。 公式ホームページなるもののセンスにも違和感。監督自身が奥崎謙三を単なる“ファッション”として捉えているように思えて、残念に思えた。 点数は困りました。テレビでは放送できない、映画だからこそ描けた作品といえば高評価でもあり、ただ狂人を撮っただけで、作品の体を成していないといえば低評価も。私はたまたま空席の3点にします。[インターネット(邦画)] 3点(2022-05-09 00:53:57)《改行有》

111.  キネマの天地 《ネタバレ》 有森也実って上白石萌音に似てたんだなぁ。なんて思いながら鑑賞。 映画撮影所を舞台にした、映画俳優と製作者の話。寅さんのメンバーがどんどん出てきて、男はつらいよの劇中劇を観てるような、微笑ましさを感じました。 渥美清と倍賞千恵子の掛け合いは息もピッタリ。クズ屋の笹野高史が小春を褒めた時の父ちゃんの嬉しそうな顔。 マルクス兄弟の本をマルクス主義と勘違いして難しい顔してる財津一郎刑事、撮影所の水漏れにヒョイと足を上げる桃井かおり妃殿下可愛い。 う~ん、どうしても映画の内容でなく、出ている役者さんの話になってしまうなぁ… 昭和30年代当時は映画のことを“写真”と言っていたのか。世の中がDVDからブルーレイになっても、つい“ビデオ”って言ってしまうのと近いか? そういえばこの当時('86年)くらいまで、映画俳優とテレビの俳優には見えない線引きがあったような気がしたっけ。何というか、映画俳優が格上というか。そのうちTVドラマで観た顔が映画で溢れるようになり、役者でもないタレントが主演俳優として出てきて、メディアミックスだか何だか、映画が独立した娯楽を創る世界じゃなくなったような今の日本の映画界。垣根が低くなった結果、とても当時のような元気があるようには見えない。 『あの当時は良かった』になってしまうけど、当時はハリウッド大作ばかり観て、私自身があまり邦画に興味を示さなかったのも事実。 小田切先輩の『どうしてもっと優しく映画を観ないんだ?どんなくだらない映画でも、可能性を持っているはずだぞ?』 これは映画好きとして、レビュワーとしても心に染みる。食わず嫌いはもちろん、好みと合わないからって、テキトーな点を付けちゃダメだな。うん。[地上波(邦画)] 5点(2022-05-05 18:55:02)《改行有》

112.  野獣死すべし(1980/日本) 《ネタバレ》 松田優作の代表作だと思うけど、この映画はハードボイルドと言うより狂人の犯罪。徐々に伊達の狂気が表に出てきて、リップ・ヴァン・ウィンクルの話で大爆発する。柏木刑事に銃を向けて、マバタキしないで話し続ける伊達の狂気、ハッキリ言って気持ち悪さは圧巻。松田優作という俳優が、日本にとって唯一無二の存在だったことは間違いない。 伊達の独白によると、戦場で人を殺した経験がキッカケで野獣に目覚めたようだ。刑事から銃を奪い、裏カジノを襲った時の落ち着きの無さはリアル。表社会で人を殺す経験は、戦場のドサクサでの殺人とは重みが違うんだろう。 裏カジノ襲撃でそこそこの金を手に入れた伊達。どうして銀行まで襲う必要があったのか?まぁ銃を買う程度の金しか手に入れてなかったとして、どうして銀行を襲う際、サイレンサー付きの銃を使わなかったのかは謎。 柏木刑事を殺してからの浮かれ具合は別人のようで、短気で時々弱気な真田の変わらなさとは対照的。この電車内と、謎の地下洞窟(何だあそこ?)のはしゃぎ具合は、恐らく松田優作の思う“人間の内面の狂気”を、ほぼアドリブで演じたものと思われ、カメラの長回しと相まって、とても印象深い。 松田優作が松田優作の映画の中で、好き放題自分を演るのは当然と言えば当然だけど、彼の中での完璧(ここが万人の思う完璧じゃないのがミソ)を求める俳優故に「俺くらいのレベルになると、こんな狂気の役も演じられちゃうんだぜ」って言われているようで、止める者の居ないオーバーリアクションは、ちょっと鼻につく。だけど角川映画の味付けがマイルドに作用したのか、この時代の松田優作作品の中ではバランスが取れた観やすい作品だと思う。[地上波(邦画)] 6点(2022-05-03 22:39:14)《改行有》

113.  ツィゴイネルワイゼン 《ネタバレ》 もうね、指パッチンですわ。こんな不思議で不気味な作品、よく思いついたものですよ。 原田芳雄の演じる中砂の強烈なキャラクター。「ウナギが食べたいなぁ」あの力強い声でそう言われると、私までウナギが食べたくなる。特大のうなぎの蒲焼を手掴みで食べる。焼きとうきび。すき焼きに大量のこんにゃく。蕎麦と日本酒。腐りかけの桃。なんて美味そうなんだろう。戸棚の中の鱈の子のこだわり。青池夫婦が食べるいっぱい並んだ料理も、何だか解らないけどどれも美味そう。赤い器が印象的。 印象的な赤。女の股から出てくる赤い蟹。赤くなっていく弟の骨。中砂家に吊るされた赤い提灯。中砂の眼球を舐める周子の舌の赤さ。船の渡し賃にパカパカ開いて見せる門付の女の股ぐら。観えないんだけど赤いんだろう。 門付の3人組がまた強烈なインパクトを与えてくれる。イチャイチャしたい若い2人、だけど稼ぎ場までの道を知ってるのは年重の男だけ。三角関係の結末は、コントみたいな殴り合い。 コントというより不条理に近い。「ダメダヨ」のタイミング。屋根に落ちる小石。トマソン・トンネル。小雨の中登場人物たちが勢ぞろいで見上げる花火。サラサーテのツィゴイネルワイゼンに入る声。何でか解らないモノ・現象から醸し出される不思議さ。「怖いな…気をつけなくっちゃ…」椅子の上で体育座りの中砂カワイイ。 カワイイといえば青地の腕を引っ張る園「もうじき落ちてまいりますわ、早く参りましょ」の少女のような仕草カワイイ。旦那の居ない家の中で胸がはだけて、さぁコレから。ってタイミングで入る指パッチン。怪しい雰囲気から一瞬で目を覚ますような指パッチンの可愛さ。このセンスが素晴らしい。[インターネット(邦画)] 8点(2022-05-03 20:04:11)(良:1票) 《改行有》

114.  天空の城ラピュタ 《ネタバレ》 劇場で2連続で観て以来、TVでやってても観ることなく、今回DVDを買って36年ぶり?に観ました。 やっぱり面白いなぁ。宮崎監督が実力に伴う評価をされてきた時期の作品なので、アブラの乗り具合が違う感じ。フラップターとかゴリアテとか、アイデア満載の不思議なメカを出し惜しみしないところが、才能が溢れてる感じで好き。私は特にオープニングの永遠に穴を掘れるショベルがお気に入り。 宮崎監督の才能だけでなく、当時のアニメーターの実力、久石譲さんのセンス。要塞襲撃のカメラワークとテンポと音楽は神懸かってます。 さて“血湧き肉躍る冒険活劇”については皆さんのレビューをご参照頂くとして、“思春期と成長”について書いてみます。 少年少女の冒険は、なにも宝探しや悪者との追いかけっこだけじゃない。身近な女の子を異性として意識するのも立派な冒険。 おさげアタマに地味なネイビーのワンピースを着た、いかにも幼い少女という出で立ちだったシータ。パズーの服を着て帽子を被れば女の子だとバレないくらい。パズーの家で目覚めてから靴を履くシーンの子供っぽさは、誰も見てないところだけど、彼女のあどけなさを強調するために敢えて入れたんだろう。 そんな子がタイガーモス号に乗ってからは、ウエストを絞って、猫背がちだった背筋を正し、胸を強調してきたからさぁ大変だ。まさに“カワイイは作れる”を実践するシータ。大人の海賊たちも彼女にメロメロなんだから、パズーも溜まったものじゃない。 タイガーモス前と後で、胸に限らず等身から表情まで女になるシータ。当然、わずか3日位の劇中で彼女が成長したのではなく、主人公であるパズーがシータを“同年代の子供”から“異性”として見るようになったからだろう。 パズー目線だけでなくシータの中でも成長が見られるのは、ドーラからキッチンを任されたシーン。汚いキッチンを相手に腕まくりをするシーンから、極端に胸が大きくなる(ように見える)。『さぁ男どもの腹を満たすぞ!』と、彼女の中の女“母性”が目覚めたシーン。 ラピュタに上陸して、シータが腰の紐を解こうとしてると、パズーに急に抱きかかえられた時に不意に出た声。ヘタクソならここは「キャッ!」とか言わせるところを「うわっ」と言わせる。この「うわっ」は、女性が気を許した相手だけに“素の自分を見せる”アレね。当時のアニメのヒロインは普通「うわっ」って声出さないでしょう。宮崎監督と横沢啓子さんの手腕、高等テクニック。その後2人は(一瞬だけ)熱いハグをしてクルクル回りだす。シータの腰に回した手。ボーっと見上げる空にはツガイの鳥(ヒタキ)。あぁもうエッチ。 そして若い2人は滅びの呪文を唱えてしまう。皆さん大好きな「バルス!」。呪文の結果はあの通りだったけど、効果の範囲が分からない呪文を唱える意思の強さ。自分たちだけでなくドーラ達も死ぬかもしれない。もしかしたら世界が滅ぶかもしれない。好きな人を守るために世界を滅ぼしてしまおう。って思える若さが良い。少年に出来るのは世界を救うことでなく、目の前の女の子を助けるので精一杯なんだ。 ラピュタは子供向けのマンガ映画のワクに収まらない青春映画。未来少年コナンのラナと同じ12歳という年齢は、当時の宮崎監督の中の、性の対象/非対象の境界線だったんだろう。最後まで子供の容姿だったラナが、いかにしてナウシカ(16)のような“女”になるか。シータは登場時ラナ(子供)っぽく、映画の終わり頃にはナウシカ(女)っぽくなっている。その成長を安直な色気ではなく、直接的な描写・表現を入れずに一本の映画で表現。 パズーも赤ら顔一つ観せず、真っ直ぐな冒険少年の姿しか観せないから見落としがちだけど、少年少女の大冒険の中に、思春期の異性への思いを織り込んでいるのは、見事としか言いようがない。[映画館(邦画)] 10点(2022-05-03 12:21:44)(良:2票) 《改行有》

115.  トロン 《ネタバレ》 -TRON- BASIC言語の“TRECE ON”がモトっぽい。他にCLU(プログラミング言語)、RAM(メモリ)、BIT(データの単位)と、コンピューターに関係した名前を持つプログラムが結構出てくる。YORIやCROMもそうなのかな?あC-ROMか。 コンピューターの中に作られた、プログラムたちが暮らす世界。1982年にこんな世界観を映画で観せてくれたことは、とても衝撃的だった。 直角軌道を描くライトサイクル。でも今思うと、当時のビデオゲームってアニメーションが少ないから、こんなカクカクした動きしてたなぁ。それを人間っぽいカタチをしたプログラムが中に入って操縦する。こんなゲームから逆算して実写化したような映画って、画期的だったなぁ。 データ盗作の証拠を掴みに本社に潜入して、逆にコンピューターの世界に取り込まれるのは面白いけど、目玉のライトサイクルゲームを過ぎると、フリンたちがどこに向かっているのか、目的に対してどこまで進んだのか、山で言えば今何合目なのか、物語の位置を見失ってしまう。そもそもフリスビーゲームもライトサイクルゲームも、フリンの目的(盗作の証拠探し)とは全然関係ないし。 主人公もフリンなのかトロンなのか、どっち目線で観れば良いのか迷う。トロンの彼女のはずのヨーリも何だか迷ってるような感じ。 トロンやフリンって、私達が思うコンピュータのプログラムと言うより、ウイルスに近い気がした。当時だとバグだろうか。アランと交信を試みるトロンを観て、ウイルス検索を連想してしまった。 内容が面白いかどうかより、コンピューター・グラフィックスの実験要素が強く出た作品だと思う。でも当時は良く理解できなかったコンピュータの世界が、パソコンが生活の一部になった現代だと、多少解るようになってるのが面白い。[地上波(邦画)] 5点(2022-04-26 23:43:09)(良:1票) 《改行有》

116.  カクテル 《ネタバレ》 当時はトップガン→ハスラー2と、飛ぶ鳥を落とす勢いのトム・クルーズ人気。その勢いで、このカクテルも結構流行っていた。少なくとも知名度はあって、堺正章が新春かくし芸でフレアバーテンディングをやると知ると“あぁ、トム・クルーズのアレね”ってみんな解ってたくらい。トムがあの甘いマスクでアルコールのボトルをクルクル回す姿は、本当に格好良かった。 でも映画自体を見る機会がなく、今回ようやく初視聴。アイドル映画だとは理解していたけど、あまりに中身が薄っぺらい。 金持ちになるのが目的で、日中は学業、夜はバイトの2足のわらじ。眠い目を擦って成功に向かって頑張るかと思いきや、早々に学業をリタイア。一方バイトは活き活きと楽しんでて、ロクに練習シーンもなくボトルをクルクル回してる。単にブライアンに才能があったってことだろうか?自分の店を持ちたいのは解るけど、リゾート地ジャマイカで楽しくバーテンダーやってるなら、それはもう、その時点で成功者なんじゃないか? ジャマイカで金を稼ぐブライアン(NYでバーテンのバイト辞めた)。ジャマイカに新婚旅行に来るダグ(NYの金持ち女のヒモ)。ジャマイカに遊びに来てるジョーダン(NYのレストランのウェイトレス)。NYにとってジャマイカって何なんだろう? ブライアンにとってのダグの存在がよく解らず、ブライアンの彼女を寝取り、数年ぶりの再開でブライアンをからかいながら、金持ちの女を落とせとけしかける。このダグとブライアンが、フレアバーテンディングの大会とかに出て成功を収める映画だと思っていた。放り投げたオリーブを口に咥えた楊枝でキャッチするシーンが出てくると勝手に思ってたから、後半ほとんど“カクテル”関係なくなってくるこの映画の着地点、ゴールはいったいどこなんだ? 失敗はしても挫折することも教訓を得ることもなく、ただただブライアンが欲しい物を手に入れていく映画。トム・クルーズの格好良さ、エリザベス・シューの可愛さを観るぶんには文句なし。前の方も書いているけど、トム自身の歴代ワースト4に挙がる作品らしい。じゃ他の3本は何だろう?ちょっと調べたけど出てこないところを見ると、トムはこの作品だけ突出してワーストの評価をしていたのかもしれない。[インターネット(字幕)] 4点(2022-04-17 23:01:16)《改行有》

117.  悪霊島 《ネタバレ》 '80年、ジョンレノンの死から始まる。三津木五郎の青春時代、ビートルズとヒッピームーブメントに溢れた'60年代後半の回顧録…として始まる。今までのシリーズとはちょっと変わった出だしだけど、金田一さん、磯川警部とお馴染みの顔が揃ってからは、どんどん五郎の出番が減っていき、普通に金田一モノになってしまう。あれれ… 金田一モノといえば、昭和20年代、戦後のいざこざで浮き彫りになる田舎の風習、ドロドロした一族の内情なんかを暴き出す印象が強いけど、本作は昭和44年が舞台。過去作との関連性を考えると鹿賀金田一は若く思える。渥美金田一のように現代劇バージョンもあるから、独立した作品と考えたほうが良さそう。 ブライアン・メイみたいな髪型の鹿賀金田一も、60年代後半という時代を考えるとオシャレで面白い。刑部島の風景とか良い雰囲気だし、根岸季衣のグイグイ来る女中さんもいい味出している。グロ場面にはかなり力が入っていて、損壊した死体は生々しいし、腕を咥えて走る犬の演技は素晴らしい。そして何より岩下志麻。キツい表情の多い印象の彼女が、この映画では優しい表情をしている。守衛を殺した直後、振り返って五郎に微笑む顔は、イタズラをした後の上品な猫のように可愛い。 岸本加世子が「片帆」って言うの、名前だったのね。双子だからてっきり「片方」って呼んでるのかと… この映画、観どころは結構あると思うんだけど、どうにもお話に集中できず。本物の金田一モノなのに“金田一っぽい作品”感、いわゆる既視感がつきまとうのは、映画も原作もマンネリ化してきたためだろうか?先に書いた五郎と事件の関わりの薄さ。ビートルズと事件の関係なさ。最後金田一が歩き去るシーンはどう観ても'80年代。どうしてもっと、頑張らなかったの? 横溝正史の死。金田一シリーズ最後の原作小説。金田一映画ブーム最後の作品。色々なものが終わる区切りの作品。最後の曲がレット・イット・ビーっぽい曲(あ、カバーでしたか)なのも、ホンモノでなく“…ぽさ”を増す要素になっていると思う。 ニコニコ動画で当時のCM観たら、ホンモノのレット・イット・ビーが流れてやんの。 '60年代の青春映画な味付けの金田一って感じで、メッッッッッチャ面白そうなのな~このCM。[インターネット(邦画)] 4点(2022-04-03 16:35:32)《改行有》

118.   《ネタバレ》 戦国時代と江戸時代の明確な区別も付いてない子供の頃に、初めてこの映画を観た時、武士が殺される様子が生々しすぎて、めちゃくちゃ怖かったな。お茶の間でよく流れてる“時代劇(斬られたら踊りながら倒れる。服切れてない、血出ない)”の、ちょっとお金の掛かった作品かな?くらいに思っていたので、血が飛び散り、死体が転がる世界観に衝撃を受けた。血まみれの城内、密集して走る騎馬、空を埋め尽くす火矢、燃え落ちる城。 音楽もオドロオドロシイし、全然私の知っている時代劇の範疇じゃない、むしろコレ戦争映画だ。 この作品の他に戦国時代の映画で、ここまでお金の掛かった、観てて怖い映像って、他にあるのかな?思い付かないな。 子供の私にも話の大筋が分かり易く、親兄弟が家督が原因で争う顛末は、どこかおとぎ話の教訓のよう。 久しぶりに観たけど、映像の美しさは際立っている。ザワザワと波打つ草原、ムクムク増える入道雲、砂地に流れる雲の影、だいだい色に染め上がった夕焼け。この自然を撮るためにどれだけの時間を要したことか。黄、赤、青、登場する色鮮やかな武士たちの布陣の美しいこと。 『リア王』を基盤にしているそうで、映画の中で舞台劇らしさを表現したんだろうか。 面白い事にこの映画には、町人や農民といった、劇の内容と無関係な群衆が一切出てこない。三郎のお城も、普通なら城下町があるだろうに、寂しい砂地の辺鄙な所にあるのも、“余計な情報を描かない舞台劇”だと考えると納得が出来なくもない。 劇中、アップで映るのは一文字の一族、楓、鉄(クロガネ)、狂阿弥くらいか?それ以外の役者の顔アップは殆ど無い。末の方が秀虎にどんな表情をしていたのか、それどころか末の方が宮崎美子であることも解らないくらい、寄らない画造り。この辺りの撮り方も、自由に寄ったり出来ない舞台劇を意識してのことかと思われる。劇場の大画面で観ていたら、表情の違いも観えたのかな。 ほぼ素っぴんメイクの役者陣に対し、城が襲われたときからの仲代達矢だけは、狂気の形相を白粉やドーランで表現している。眼の前で繰り広げられる地獄絵図と同時に、主人公秀虎の精神も地獄に落ちたという表現だろうか。対象的に悶え苦しむ武士たちは地獄に落ちた餓鬼のよう。 原田美枝子演じる楓の方の、凄みのある抜刀と怒声。高笑いから一転して脅迫、色仕掛けに入る絶妙な間。そして最後の泣き落とし。井川比佐志演じる鉄のすっとぼけた態度と痛快な台詞回し。この二人の、殿である次郎の頭越しに繰り広げられる闘いが見事。 借り物であるリア王リメイクの主役は秀虎だけど、純粋なクロサワ映画の主役はこの二人ではないだろうか。 黒澤監督が鉄役を高倉健にしたかった理由も解る。[地上波(邦画)] 8点(2022-04-03 14:15:18)《改行有》

119.  226 《ネタバレ》 昭和初期の街並みの再現度が素晴らしい。木造の電柱、ブロック状の舗装道路、山王ホテルなんて実物っぽいけど、オープンセットだそうだから驚いてしまう。陸軍の戦車が3両。ブリキのような、強いんだか弱いんだか解らない辺りのソレっぽさ。この戦車も重機を改造して作ったと言うから、当時の邦画の、一本の映画に対する力の入れようがヒシヒシと伝わってくる。 主演俳優の豪華さも素晴らしい。昭和を彩った名優と、平成に活躍する俳優の共演。知った顔がどんどん出てきて思わず唸ってしまう。 当時の記録映像から映画のモノクロ映像に、そして徐々に色付いていくオープニングは、観るものに昭和初期のクーデターを現代に蘇らせる丁寧な演出として惹き付けられる。 深夜から早朝に決行されたクーデターを、首謀者の青年将校たちの視点で、ドキュメンタリータッチに描いているが、決行に至った動機や時代背景の描写が少なく、観る側に予備知識、事前学習が要求される映画だった。『私腹を肥やす悪い政治家を殺せば、天皇が直接政治を行い、政府の腐敗は無くなり、農村は豊かになる』と。どうしてそう考えたのかの背景。自分たちだけでなく、事情をよく知らされていない部下の命までもを懸けるに至った根拠が良く解らない。要人殺害からバリケードを作って占拠するだけで『昭和維新』の世の中が来るなんて、素人考えでも到底思えない。そこから次の一手が見えてこないのだ。 事件当日から終焉までだけでなく、その前後をしっかり描けば、この事件に初めて触れる人にも理解できる映画に出来たと思う。 安藤は拳銃による自決に失敗し、治療を受けた後に銃殺刑に処されたそうだけど、この映画じゃそんなこと解らない。将校たちの遺書や遺言ののち、一発の銃声が鳴る演出。敢えてそうしたにしても、銃殺刑のライフル一斉射の音でなく、まるで自決のような銃声一発にした意図は何だろうか? 国を良くしようと立ち上がり、志半ばで散っていった青年将校たち。彼らが残してきた妻や子どもたちの思い出の中の笑顔。一方で突然夜襲を受け、目の前で夫を父を殺される政治家の妻や娘の悲痛な叫び。激動の昭和の理想と現実。二・二六事件に興味を持つキッカケとしては充分だけど、出来ることならこの映画一本で、全体像を把握できるものにしてほしかったかな。[ビデオ(邦画)] 6点(2022-03-29 22:50:29)《改行有》

120.  バグダッド・カフェ 《ネタバレ》 毎年1~2回、温泉目的で通る国道の、何の用事もない通過点の、いつもそこにある古いドライブイン。何度も通るから存在は知っているんだけど、一度も入ったことはない。『そういやあの店、昔からあるよな…潰れもしないで』『どんな客が使って、いったい何が食べられるんだろう…』『あの場所で暮らす人って、どんな人生歩んでるのかな?…まぁ、私には一生関係ないか』なんて、お店に立ち寄ったり、入る気なんてさらさら無いんだけど、ふとそこに住む人の人生が気になる事がある。バグダッド・カフェもそんな存在なのかな。どこかからどこかに向かう道にあって、殆どの車が前を素通りするだけ。ただ通過点に存在するだけで、それ以上の関心を惹かない店。 -Out Of Rosenheim- “ローゼンハイムから離れて”。 実在の地名だけど、なぜ劇中一度も出てこないジャスミンの故郷がタイトルなのか? 原題からこの映画は“ただ通過される側”の視点から描かれた異色のロードムービーなのかな?って思った。 そしてエンドロールで最初に出てくるのが、監督でもキャストでもなく、挿入歌“コーリング・ユー”。この映画を象徴するジェヴェッタ・スティールの幻想的な歌。この映画は映像より先に歌から出来た作品なのかもしれない。 舞台はカリフォルニア州のバグダッド(これも実在の地名)。ピカピカなお揃いの旅行バッグから、この中年夫婦は新婚旅行の最中だったのかもしれない。 道に迷ったか、行き先で揉めたんだろうか?アッサリと喧嘩別れしてしまう夫婦。 “コーリング・ユー”から生まれた映画だとすると、目的地のラスベガスとは逆方向に向かうジャスミン。本来は通過するだけだったモーテルに泊まることで観えてくる、触れ合う予定のなかった人々。何年もそのまま、そこにある建物。ただ車が流れ行くだけの国道。何の変化も起きないような、ずっと変わらないようでいて、ゆっくり流れていく時間。だけどたまたまそこに住み着いた人たちにも、それぞれの人生がある。 ジャスミンの手品が評判になり“ただ通過される店”が“立ち寄る価値のある人気スポット”に。彼女の手品とみんなの調和が生んだ大きな変化。 「Too much harmony(調和とれ過ぎなんじゃ!)」と去っていくデビー。みんな仲良く調和するよりも、些細な揉め事が絶えない、徐々に退廃していくギスギスしたカフェが良かった人もいる。 ローゼンハイム(薔薇の家庭)から始まったジャスミンの旅。目的地ベガスに行くこともなく、前夫もドイツ国籍も捨てて、アメリカ人と結婚という想定外の終着点を迎える。私には一生関係のない通過点のお店で、そんな人生を過ごしている人達が居るのかもしれない。…なんて考えさせられた一本。[ビデオ(字幕)] 7点(2022-03-24 00:57:57)《改行有》

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