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プロフィール
コメント数 2526
性別
ホームページ http://coco.to/author/aniyan_otakoji
自己紹介 レビューを相当サボってしまってるの、単に面倒になっちゃってるからなんですよね。トシのせいか、色々とメンド臭くなっちゃって。
映画自体、コロナ禍以降そんなに見に行かなくなったのだけど、それでも年に70~80本は見てるワケで(でも今年は50本行かないかな?)、レビュー書けよ自分、って思ってる、でもなんか書かない、みたいな。
これからは今までよりも短文でレビューを上げてゆきたいな、と思う次第であります・・・微妙だけど。.

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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141.  ウォールフラワー 《ネタバレ》  昔、サーティーワンアイスクリームのバイトの女の子2人に「気持ち悪い」って客としてまともに扱って貰えなかった事があって以来、いかに目立たずこっそり生きてゆくかが私の人生のテーマみたいになっていました。何かを期待したり望んだり、そういう資格がそもそも無いんじゃない?って思う日々。  そんな私をIBMで出会った仕事仲間達は週末ごとに誘ってくれました。毎回、私を中心に据えてみんなで映画を見て食事をして。彼等、彼女達に一体どれだけ救われた事か、あの時間がどれだけ大切だったか。今も深く感謝しています。  なのでこれは私の心を映すような映画で、とても冷静に語る事はできません。その人々、その時間の大切さ、そのかけがえの無さ。  ハーマイオニーからあんまり変わらない演技のエマ・ワトソンが適役か否か、微妙な感じがしますし(昔ならウィノナ・ライダーや少し前ならキーラ・ナイトレイが似合いそうな役)、主人公の過去のトラウマ話が最後に至るまでなんだか上手く作品世界に噛み合ってゆかないままになってしまった感じもします。  でもエズラ・ミラーのシャープで繊細な感じが作品のカラーを決定付けていて、それはこの「心の映画」にとても相応しい色で。  トラウマなんてそう簡単に克服できるわけもなくて、冒頭の件もこの映画を機会に今回初めて向き合ったりしてる訳ですが(友人達にもその件を明かした事はありません)、それでも生きてゆかなくちゃならないし、そして生かしてくれる人が存在するならば、それはとても幸せな事で。  どうかみなさま、現実の人と時間を大切にしてください。[映画館(字幕)] 8点(2014-06-10 22:22:28)(良:3票) 《改行有》

142.  アナと雪の女王 《ネタバレ》  過大な期待を抱いた感じで、さすがにそれを上回るような事はなくて。前半の繊細さに比べると後半はフツーなデキという感じ。  仲の良かった幼い姉妹がまるで光と影のように相反する存在へと離され隔たれてゆく過程を描いた前半、表情や仕草や歌の細やかな表現によって、アナとエルサ、それぞれの心情が切なく響いてきます。  対して冒険物語となる後半は、さしてスケールがないわりには個々のキャラクターにもあまり作品独自の個性を与えられず、娯楽アニメ映画の定石を踏むような展開。前半にあれだけ個性を与えられたアナとエルサも、後半はエピソードを消化してゆくことに終始してまうような感じ。せっかくの「姉妹が呪縛から解放され本当の自由を獲得してゆく物語」が何やらごちゃついてしまって。  結局ピークは映画を見にいくたび予告編タイムに見せられた『Let It Go』のシーンだったかな。  最後まで見てその存在に疑問が生じるエピソードが幾つも。  「氷売りを生業とする人々の中で育ったクリストフがトロールの村でエルサの魔術によって意識を失った幼い頃のアナへの治療を目撃する」  ここにたっぷり詰まった情報が後の物語に何らかの作用をしているのかというと、これが微々たるものだったり。  アナが途中で殆ど動けなくなってしまう事で物語の進行にもブレーキがかかってしまう印象がありますし。  ただ、その表現力は本当に素晴らしいものがあって。  アナとエルサ、二人の主役の豊かな表情から、そこに通っている血を感じる事ができます。エルサはやっぱりケバくなってしまう前の方がいいですけど。  色彩溢れる世界から冷たい氷の世界へのメタモルフォーゼ、画面の隅々まで彩られた美しさ。  切ない物語の中で笑いで楽しませてくれるオラフも愛らしく。  表現はCGに変わっても、夢と伝統のディズニーアニメの世界を十分に堪能できる作品だと思います。[映画館(字幕)] 8点(2014-03-14 21:41:16)(良:2票) 《改行有》

143.  スーサイド・ショップ 《ネタバレ》  自殺グッズ専門店を営む一家の物語。冒頭から幾つもの死にっぷりを見せてくれるブラックなアニメ。  陰鬱な世界の中でも際立って陰鬱な一家の中に生まれた次男が変革をもたらしてゆく、というのが主軸になっています。  その中で長女が全裸で踊るシーンがありまして。陰鬱な家庭に生まれて当然の如く陰鬱な少女に育った彼女が、弟の贈り物に胸を躍らせ裸で踊り、その光景を覗き見た少年と友人達もまた性(生)の目覚めに心ときめかせてゆくという。  こう書くと随分と即物的な表現のようにも思えますが、ポイントは長女の姿がかなり醜く描かれているという事。目つきが悪く目の下はくすみ、紫色の唇は突き出していて、体型は樽型。  そんな彼女が生気を取り戻してゆく映像は醜から美へと至るエロティシズムに溢れていて、死の匂いが立ち込める世界から生へと目覚めてゆく流れを見事に表現していると思います。  モノトーンの世界からカラフルでオプティミスティックなラストシーンへと至る映画の中にあって、その長女のダンスシーンはインパクトのあるアクセントとなって大きな存在感を与えています。  表現の多様性において、アニメという分野はまだまだ伸び代があると思うのですが、その可能性は現在、海外のアニメ作品から強く感じられるように思います。こういう様々なカタチがあるからこそ、アニメって楽しいと思うんですよね。[映画館(字幕)] 8点(2014-02-19 22:20:29)(良:1票) 《改行有》

144.  スノーピアサー 《ネタバレ》  前半、ありがちなB級SFアクション映画で、ポン・ジュノ監督ともあろうものがハリウッドに呑み込まれまくったモノを作っちゃったかぁ、って失望気味だったのですが、中盤からどんどんと一筋縄ではいかないヘンな映画になっていって、ああ、監督、ちゃんとブレなかったんだ(笑)ってひと安心。  『ほえる犬は噛まない』『殺人の追憶』『グエムル 漢江の怪物』『母なる証明』と、ポン・ジュノ監督の作品は一貫して「英雄になりそこなう底辺の人々」を描いています。正義の名の元に体制に逆らい、真実を暴いてゆこうとする、だけど待ち構えるのはいつも皮肉な展開。  今回の作品はそのポン・ジュノ路線をいっそう純化させたような内容で。  一本の列車に凝縮された社会の縮図があって(この部分、エド・ハリスのセリフを始めとして説明し過ぎた感はありますが)、その中で底辺の人々の闘争があって。  一両一両の小さな空間にまとめられ象徴された世界(扉が開かれるごとに全く趣向が変わってゆく、その魅力的な仕掛けが楽しく)、そしてその社会の縮図を守ろうとする意志と破壊しようとする意志のバランス。それぞれが脆弱なものの上に成立している現実、それぞれの役割を全うする事こそが、社会のシステムのバランスを保つ秘訣・・・でも?  最後の投げっぱなしには決して明るい未来が開けてはいません。だけど、じゃあ今のシステムの上に安住する事こそが幸せなのか、上を向かずただそこにある現実を甘受していればいいのか、と言えば・・・。いずれにしろ今の行動が未来に責任を残す事に変わりはない、その「今」を描く事にポン・ジュノ監督はいつも腐心しているように思います。  予告から受ける印象よりもずっとヘンな映画で、それゆえポン・ジュノらしい快作でした。[映画館(字幕)] 8点(2014-02-13 20:50:35)《改行有》

145.  ペタル ダンス 《ネタバレ》  VODで鑑賞。  映画やドラマの人間関係の描き方って実のところ独特で、それは登場人物の個性を印象付けるためだったり、ドラマティックに物語を組み立ててゆくためだったり。でも実際の人と人との距離ってこんな感じだよね、って思わせる映画。  人は基本、孤独で。だから生きるには他の人との繋がりが大切だけれど、近付くべき距離、踏み込める領域、その微妙な間隔を計って(他人の領域に土足で上がり込むような無神経な人間でもない限り)生きていて。  この映画は、その距離感を絶妙な描写で浮かび上がらせます。  フレームに入っている人、フレームの外側にいる人、フレームの中の人同士の距離、特定の人物がフレームイン、フレームアウトするタイミング、何気なく撮られているようでいてカメラは4人の登場人物の間に存在する距離とバランスをきっちり計算して描いています。  海辺に等間隔に離れて置かれた4人に波が押し寄せてお互いの距離が縮まる、その象徴的な瞬間をよくも見事に捉えたもので。  映画内では特に何も起こらないのですが、風に乗れず、逆風を受けた時、何が大切なのかをそっとささやくような、心に染みる作品でした。[インターネット(字幕)] 8点(2013-12-30 22:09:09)(良:1票) 《改行有》

146.  もらとりあむタマ子 《ネタバレ》  父が写真を見て笑いだすシーン、その写真が一体どんなものであったのかはもうちょっと後になって明らかになるわけで、こちらは映画を遡って思い返す事で父の笑いの意味を理解できるのですね。  そこに焼き付いたのは無愛想で横着でだらしなくて無表情なタマ子が、外に出るため、状況を変えるために作った精一杯の笑顔。  ただ食べて食べて食べて続いてゆく日常。そのユルさと、心地よさと、そしてそれじゃダメだって意識と。  家では勝手気まま(に見える)なタマ子が外では卑屈になったり、心を許した人間に対しては饒舌になったり。胸に色々抱え込んでいる様子が伝わってきて、短い上映時間の中に細かく織り込まれた「生」が楽しく切なく溢れ出します。  エピソードを演技を上手にすくい取り、タマ子の何気ない日々が等身大の存在を形作り、1つ1つを思い返すごとに人間タマ子が見えてきて、どんどん愛おしい映画になってゆきます。  前田敦子がとても魅力的にタマ子という個性を創造していて、女優としての彼女にとってとても貴重な一編として刻まれたのではないかと思います。  見終わった後からじわじわと染みてくる印象深い一編でした。[映画館(邦画)] 8点(2013-12-04 21:24:36)(良:1票) 《改行有》

147.  ウォーム・ボディーズ 《ネタバレ》  素材こそゾンビものですがあくまで恋愛映画ですね。  設定自体は思ってた以上にゾンビワールドです。世界はウィルスに侵されゾンビに支配され、一部の生き残った人々が高い壁を築いて立て籠もるという(『進撃の巨人』とか『パシフィック・リム』とか『ワールド・ウォーZ』とか外敵避けのデカい壁が流行りですな)。  しかしゾンビになっちゃった青年のモノローグから始まるこの映画、系譜はむしろシネクイント系公園通りオシャレ映画な、ほら『(500)日のサマー』とか『ルビー・スパークス』とか、あの辺な感じ。もっともシネクイントは古くは『ギャラクシークエスト』から最近では『宇宙人ポール』『キャビン』なんかも上映するところなので、その極が合体したようなこれこそシネクイントに相応しいタイトルかもしれません。  ゾンビは孤独の象徴。主人公が回想する空港での幸せな人々の姿、でもみんな携帯やらゲーム機やらを見つめていてちっとも幸せそうには見えないところが、つまりはそういう事で。それぞれの孤独がゾンビっていうコミュニケーションの取れない存在へと反映されて。  そして、その孤独を壊すものとしての愛。愛の魔法が孤独の病を治すというファンタジーだったりするんですよね。主人公がヒロインに出会って人間らしさを取り戻してゆく、その過程がじわじわと染みるように描かれて。  ラスト、二人の前で人を隔てるものの象徴だった壁が壊される映像の、その楽天的な希望に満ちた感じがゾンビものなクセして爽やかで良いです。  途中、不穏な存在となりそうなゾンビ仲間やヒロインの友人が、実は二人を善き方向へと導いてゆくのでした、ってところもホカホカ系な感じで。  ヒロインの友人役アナリー・ティプトンが『ラブ・アゲイン』のベビーシッター役に次いで好印象でした。  残虐なシーンも無いですしゾンビもユルい存在ですしゾンビ映画としては地雷な感じがしますが、私は心温まるラブファンタジーとしてかなり好印象を抱きました。[映画館(字幕)] 8点(2013-10-16 22:44:04)(良:2票) 《改行有》

148.  飛べ!ダコタ 《ネタバレ》  良く言えば優等生的、悪く言えばクソマジメな映画。  演出や映像に奇を衒う事なく、誰かが過剰に前に出ようとする事もなく、終戦直後に起こった実際の出来事を元にした群像劇が描かれてゆきます。  ダコタの不時着から滑走路工事、そして離陸までの島民達の苦闘の流れをもっと克明に見たかったとも思いますし、イギリス兵達の個性をもっと見せて欲しかったとも思います。ヒロインの生にもっと迫ってくれていたら、とも。  だけど、このくらいの塩梅がちょうどいい、気持ち良く見られるバランスのような気もします。どこかが突出して、その分上映時間が長くなって、って事になるとバランスが崩れてしまうような。  映画は後半になると明確に反戦の姿勢を打ち出してきます。そしてそれは過去の大戦を生きた人の悲劇を越えて現代にまで通じる描き方。ナショナリズムに固まり、戦争をしたがっているようにしか思えないような人々に対してのハッキリとした批判。  それはこの映画の唯一にして最大の力強い「出っ張り」かもしれません。  日本海の美しさと荒々しさが捉えられた映像が素晴らしく、そのロケーションに溶け込むような人々の表情が印象的です。柄本明、ベンガル、綾田俊樹という東京乾電池創設メンバーが揃って出演しているのですが、これ見よがしではなく、彼らもあくまで溶け込んでいるのですよね。  半年前まで敵として殺し合いを繰り広げていた国の人々との交流を描いた感動の物語。クソマジメゆえの気持ち良さを味わえた映画でした。[映画館(邦画)] 8点(2013-10-13 20:24:49)(良:1票) 《改行有》

149.  R100 《ネタバレ》  最初の方、クラブのドアホンを押すシーン、一度立ち去ろうとした後に呼び止められ、ドアの前に戻るのですが、ここでイマジナリーラインを越えちゃってます。一瞬「あーあ」って思うのだけれども、ちょっと待った、そのドアは本来反対側からは撮れない構造になってるじゃん、って。つまりワザとそう撮ってる、その時点で「世界」は変わっているのかと。  そういえば、冒頭、冨永愛を捉えたフェティッシュな画、あの美醜の共存するゾクゾクする表情や仕草、あれは鏡の中にあったかも。つまりこれは松ちゃん版『鏡の国のアリス』なの?って。  卑猥だの下劣だのと忌むべきものとして扱われ、でもそれが無ければ滅ぶという厄介な「性欲」というモノに向き合った映画。その嗜好や妄想が完全に閉じたものであるならば、それはそんなに厄介ではないわけですが、現実には誰もがそれを潜ませて日常を送っているわけですね。そんな性を露わにしようとしているのかもしれません。あからさまな建て前として去勢されたような態度を振りかざす人々を笑うような。  だけど中盤以降、理解を拒絶し始めます。むしろこんな事、理解するな、と。  本編を映画内映画へと引きずりおろし、客観視し、考えながら見ていた人間に大した意味が無い事を解説し、観客の心理すら代弁してしまう事で、言い訳がましく逃げているようにも思えます。  でも、本当に逃げたんでしょうか?  松ちゃん自ら「卑怯な映画」と言っておりますが、本当の意味での卑怯な映画は色々とあって(一方的妄言・妄想オチみたいなヤツとか)、この映画はそれらに比べて同様に、更に卑怯なのか?というとそうじゃない気がするんですよね。  繰り広げられる不条理な事象にバランスを取るように繰り出される言い訳、その打ち消し合いを経てなお澱のように残るモノ、そこにこそこの映画の真価があるように感じます。勿論、何も残らない人もいるでしょうし、不快なモノしか残らない人も多いでしょうが、その不快さも含めての真価なのではないかなぁ、と。  今までの松ちゃんの映画はちょっと眉をしかめながら見てるようでしたが、今回はクローネンバーグやデヴィッド・フィンチャー的なニオイが感じられて不覚にもワクワクしてしまった、っていう。銀残し風の色調にレトロな美術、そこにボンデージファッション置いたら結構クるモノあるし(笑)(注:だけどSでもMでもないっす)[映画館(邦画)] 8点(2013-10-08 16:09:55)(良:2票) 《改行有》

150.  アフター・アース 《ネタバレ》  「本当に恐ろしいのは目に見えるものではなく、目に見えないもの、そして見えないこと。それによって他者との繋がりを断たれ、孤立した存在にされてしまうから」  それは『シックス・センス』から『ハプニング』まで、シャマラン映画に共通するモチーフ(すいません、『エアベンダー』だけは私の中で上手く消化できません)。  ならばこの映画は、とてもシャマランらしい作品と言えるかと。  この作品でのポイントは「殻」。宇宙船という殻から見知らぬ世界に放り出された少年が、殻に逃げたままそこから出られずに姉を死なせた過去に苛まされながら、自身の心の殻を破り父を救う。  その過程で頻出するシャマラン的エッセンス。危険な森を非力な人間が目標を目指して一人進む物語は『ヴィレッジ』、他者との繋がりが断たれ孤立してゆく恐ろしさを描いた点は『ハプニング』、行動や意識・無意識、更には周囲に存在する物事にも意味が存在するという点は『サイン』を思い起こさせます。  元々、シャマラン映画は、殻に閉じこもる、そして殻の外側に出る事による事態の変化を繰り返しています。孤立の恐怖と、そこからの解放、そしてその解放を促す存在についての物語。  『レディ・イン・ザ・ウォーター』は、孤立した存在を救う側からの視点の映画ですが、基本は同じ。 少年の命を脅かす凶暴な怪物アーサ、でも、たった一匹捉えられ、自らの殻から放り出された視力を持たない存在であるアーサは、つまり少年の心の象徴であったのではないでしょうか。見えないがゆえの狂気、それは陥った事態も置かれた環境も全く理解できず孤立したがゆえに恐怖に駆られがむしゃらに進んで自らを危機に陥れてしまう少年の姿に重なります。  地球の生命達も父が言うような危険な存在ではなく、孤立した少年に対して解放を促す存在だったように思えます。  完全にスミス親子のための企画のように見えながら、そこにシャマラン的記号が溢れ、これは思わぬ御馳走でした。  もっとも、毎回見ている間よりも見終わった後にあれこれと頭の中でこねくりまわす時間の方が楽しいという点で、シャマラン映画ってどうなのよ?って状態ではありますし、そもそもそういうシャマラニズム?そんなモンはどうでもいいであろう大多数の人にとって果たしてこの映画が純粋に楽しいものであるのかというと甚だ疑問であったりはするのですが・・・[映画館(字幕)] 8点(2013-07-03 20:20:24)(良:2票) 《改行有》

151.  クレヨンしんちゃん バカうまっ!B級グルメサバイバル!! 《ネタバレ》  私はもつ焼き屋なのでB級グルメど真ん中、世界A級グルメ機構にさっさと排除されちゃいそうです。  さて、このところの『クレしん』に顕著だった、最初に世界設定ありき、テーマありきでキャラを縛ってしまう描き方から一転、今回は設定などごくシンプル、簡潔に済ませ、余計な感動エピソードだの家族愛だのも大幅に削ぎ落とし(元々『オトナ』と『戦国』は『クレしん』の中のイレギュラーなのに、以降はそれを意識し過ぎた感があって)、ひたすらカスカベ防衛隊の活躍に絞ってタイトにまとまった作品。  その、無駄なく疾走してゆく面白さは『暗黒タマタマ』以来かも。  焼きそばを食べる事が目的で物語が動いてゆく点では『ヤキニクロード』に近い気もしますが、アレが焼肉だけでは物語を引っ張れていなかったのと対照的に、今回はあくまで焼きそばが物語を引っ張っています。  今回はカスカベ防衛隊がメインで、ひろしとみさえすら活躍の場が殆ど無く、他のレギュラーはほぼ排除されているという状況。  そして、物語は5歳児である彼らに不釣り合いな無理を強いていません。地球の運命だとか、人類の未来だとか、そういうの無し。ただ5歳児なりの苦悩(お腹が減った、ママに会いたい、友達とうまくいかない)で笑いとドラマを作ってゆくのです。  その分、スケールはシリーズの中でも最小レベルですが、映画用に無理して大きくなった『クレしん』ではなく、等身大のカスカベ防衛隊メンバーの魅力が存分に発揮されていました。  また、毎度「その歌は必要なのか?」って疑問に思う劇中で歌うシーンは、今回、削るのではなくて逆にクライマックスの重要な部分に大切な要素として組み込むという、その痛快さ。  でも、何と言っても良かったのは「登場人物全員幸せ」っていうラストを迎えた事ですね。エンディングで語られるあの幸せな感じ、あれで「ああ良かった、いいモン見た」って心から満足できた感じがしました。今年の『クレしん』は当たり。[映画館(邦画)] 8点(2013-04-23 23:22:21)《改行有》

152.  クラウド アトラス 《ネタバレ》  個人、集落、組織、コミュニティ、そんな「個」と他の「個」とを隔てるもの、繋ぐもの。  隔てるものの象徴として繰り返し描かれるのはドアや窓、壁、部屋、門。それを破って侵入してこようとするものの存在や、逆にそれを破る事で事態を打破しようとする行為、隔てるものは「個」を守るものであり、孤独や無知の象徴であり。  一方、繋ぐものの象徴は橋やロープ、そして船や車、飛行機等の様々な乗り物。外に広がって他者との繋がりを志向する意識。自由や正義を獲得しようとする意志。更に橋からの落下のイメージや事故の描写が、その意志を妨げるものとして時代をまたいで反復されて。  めまぐるしく変わりながら点描されてゆく時代と人。「個」としての無数の点はやがて枝を伸ばして広がり、他の点との繋がりを示し、円を構成し、他に形成された円と交わり、やがてその全体が世界を構成してゆく・・・。6つの時代の6つの円が時を超えて交わり『クラウド アトラス』という作品を(そして曲を)作り上げている訳ですね。  1つ1つのエピソードや美術的なイメージはどうも凡庸な感じが無きにしもあらずではあります。エピソードの繋がりも必ずしも必然を感じさせるものではなかったりしますし。また、特殊メイクは無理矢理過ぎて「それはないわ」と思ってしまうものも多数。  ですが反復されるイメージによって段々と世界が形を成してゆく感じはとても面白く、興味深く楽しめる映画でした。[映画館(字幕)] 8点(2013-04-06 14:52:08)(良:3票) 《改行有》

153.  テッド 《ネタバレ》  若い人中心に満席の初日の渋谷のシネコン、日本人向けに「くまモン」や「星一徹」に置き換えられた字幕で笑う人は皆無、むしろその字幕に困惑しているような空気すら伝わってきました。  以前にも書きましたが、映画を見てそれまで知らなかった事、判らなかった事に興味を持つというのはとても大切だと思うのですね。それは映画の愉しみの中の大きな要素の1つだと経験上感じます。  この映画の字幕はその機会を潰してしまっています。この映画のみで閉じてしまおうとして、逆に誰も得をしないものになっている感じ。今はネットで情報が手軽に手に入る時代なのだから、余計なお節介は不要なんじゃないかと思うのですが。  さて、映画本編について。これはテッドが語る「自分の責任」についての教訓話のように思えるのですが、実際は「そうかぁ?」って感じで。主人公は結局両方を手に入れる訳じゃないですか。最終的に彼女はとても聞き分けのいい都合のいい存在で。  だからむしろコレってオタクの夢と理想を描いた映画なんじゃないかって。親友がいて、彼女がいて、好きな事ができて、って。  この「気持ち良さ」にピンと来る人はもしかすると少ないかもしれません。でも、この映画にとってとても重要な要素となる『フラッシュゴードン』のダサカッコよさを理解できる人間にとって、これは甘美なまでに気持ちイイ映画。  昔、あの映画のダサカッコよさにインスパイアされて小説書いたくらいな私(300枚書いたところでネタが尽きて挫折しましたが)、主人公とテッドにシンクロ率120%、なのでそのダメっぷりも含めて限りなく愛おしいという。  少なくともぬいぐるみのクマちゃんに生命が宿っちゃうステキなファンタジーではなくて、でも下品なぬいぐるみが巻き起こすドタバタコメディともちょっと違って、『宇宙人ポール』や『スコット・ピルグリム』に通じる、かなり濃いめのオタクが同病相哀れむ感じでオタクに向けた自慰的映画であったという点で、作品的にはどうかと思う反面、意外なまでの濃さにオタク歓喜!みたいな状態で。  「もう別にダメでもいいんじゃない?」なんて言ってる映画な気がしないでもないんですが、楽しかったから別にいいや。[映画館(字幕)] 8点(2013-01-23 23:12:38)《改行有》

154.  レ・ミゼラブル(2012) 《ネタバレ》  映画の、舞台との違いと言えば場面を瞬時に切り替えられる事にあって、革命前夜、キャラクター達の姿を次々と切り替え捉えてゆくフラッシュバックの高揚感などは映画独特のものであると思います。  でも、それ以上にこの映画が舞台との違いを意識させたのは「表情」。カメラが寄る事で視界いっぱいに表情を捉える事ができるのが映画。  この映画、最初に闇があって、そこに光を当ててゆく事で人物を浮かび上がらせるという映像の作り方をしています。その光は罪を持つ人にとって微かな光であり、希望が与えられる、神の祝福を得られる可能性が見えた時に、光はその明度を増します。  その光の前で苦悩し逡巡する人々。その迷いによる動きの揺らぎが光と影のコントラストを変化させ表情を作ってゆく、つまり、徹底的なアップの連続に意味を込めた映画だったと言えます。  神の祝福を受ける事でその顔が光に包まれる、ジャヴェールはその機会を得ていながら(ちゃんとジャヴェールにも光がもたらされようとしています)自らそれを拒み、その顔に影を落としたまま消えてゆくのです。  バルジャンもまた沢山の罪と苦悩を生き、彼の翻弄された生は顔に様々な陰影を落とす事になります。  ですが、大人になったコゼットはどうでしょう? 神の祝福を受けたかのように輝き、ラスト近くに至っては自ら発光しているかの如き輝きで周囲までも照らしているのです。  失意の中にあったマリユスを照らし、最後には彼女の光に照らされ輝くバルジャンとファンティーヌ。それは救済された者の顔であった訳です。  個人的にはラッセル・クロウの声はどうかと思いましたが、総じて表情と、そこから絞り出される歌声が強く印象に残る作品でした。  映画は光と影と音が紡ぐもの。であるならば光と影、そして声をその主題に置いたこの映画は大変に映画的であると言えないでしょうか?[映画館(字幕)] 8点(2013-01-03 16:54:42)(良:2票) 《改行有》

155.  アルゴ 《ネタバレ》 シュレッダーで細かくバラバラにされた写真が子供達の手によって形を成してゆく「モンタージュ」、つまり映画的なる行為はイランの人々も行っていた訳で。決して世に出る事のない偽映画をネタに展開された人質救出作戦ですが、事件から22年の月日を経た後、ここにこうして実際の映画として結実したのですから、見事なオチが付きました、としか言い様がない訳で。映画はシリアスで緊迫した状態がずっと続く、にも関わらず笑えてしまったりワクワクしてしまったり。そしてそれをもたらすのは映画という要素。最初の懐かしいワーナーのタイトルから最後の『スター・ウォーズ』『スター・トレック』まで「映画」で飾られ、事実を元にした、政治的な背景を持つ映画であるにも関わらず、つまりこれは映画についての映画。演じる事を求められる人々、1つの形を成すために陰で動くスタッフ。クロスカッティングを駆使してスリルとサスペンスを盛り上げるそれはそれは濃密な2時間。存分に映画を堪能して満足している中、突然エンディングに流れる「声」にさーっと現実に引き戻され、なんであんな「声」を入れたのだろう、あれでは国家としてのアメリカに寄り過ぎていてメチャ醒めるわぁ、と思ったものの、それもまた「映画」なのだと。映画をネタに人を騙し人を救った事を描いた映画が、映画は政治の道具として機能する事もあると示唆しているようにも思えました。見終わった後も色々と考えを巡らせられる、よ~く味わえる映画です。[映画館(字幕)] 8点(2012-10-30 20:48:05)(良:3票)

156.  鍵泥棒のメソッド 《ネタバレ》 メイン3人は性格の違いこそあれ、いずれも「メモを取る事によって計画を立てる人間」だったりします。そのメモは設計図でありシノプシスでありプロットであり台本であり、つまりそれぞれが「そういう人を演じる事」を常に前提として生きている訳です。日頃から演技をして生きている3人が、更に違う人間の演技をするハメになるというのがこの映画のポイントで、そして見どころなんじゃないかな、って。誰だって多かれ少なかれ日常の中で自分を演じている訳で、でも、じゃあ演じる必要のある無しってどう判断すればいいんだろう?自分にとって大切な事はその演技の中と外とどちらに存在するんだろう?と。そんな日常の中の「人間としての演技」を面白おかしく拡大してヒネって見せてくれるこの映画、大変に楽しませてもらいました。記憶を無くした殺し屋、彼が模索する「自分」に対する違和感が生み出す笑いを香川照之が絶妙な演技で醸し出します。脚本上の仕掛けも上手く機能していてスキが無く。ただ、ちょっとヤクザ部分にザラついた感じがしてしまったのは荒川良々という、およそヤクザの親分には見えない人を起用したためでしょうか。逆に妙なリアリティが出てしまって、このお伽話の世界からややハミ出しているようにも思いました。あと、堺雅人は毎回困った笑顔だけで通っちゃう役柄ばかりですね。も少し幅は無いのかな? 何はともあれ見終わって素直にああ面白かったと思えたこの映画、脚本と、そして何と言っても香川照之の勝利ではありました。[映画館(邦画)] 8点(2012-09-28 23:39:14)(良:1票)

157.  トータル・リコール(2012) 《ネタバレ》 寄木細工みたいな美術設定が最高なんですよ。数多の階層が存在していてそれぞれが結合していたり遊離していたり。ちょっとした室内ですら段差があったりして。そこをキャラクター達が悪夢の中のように駆けてゆく。その「階層世界のセンス」がね、似たような素材を扱った『TIME/タイム』のダラーっとした平面迷走状態のマヌケっぷりや『ダークナイト ライジング』の光!影!ってフツーっぷりとは違って突き抜けているところがとても気持ち良くて。2つの世界を繋ぐアレも途中で無重力から重力の逆転があるあたりでとても判りやすく世界を二分しているところが良いです。そして、そんな世界を描くにあたって徹底的に映像に刻まれたアナモフィックレンズへのフェティズムっぷり。『スーパー8』もアナモフェチな映画でしたが、これは記号としてのアナモではなく、具体的に奥行きを持つ映像世界としての印のようにワザと強調していて。奥行き表現ならば3Dでいいんじゃない?という意見もありましょうが、基本パンフォーカスの3Dでは限界がある訳で(全部にピントが合ってると平面を並べた世界に見えます)、被写界深度の浅い世界でひたすら前後左右上下の運動を強調してみせるワケです。これはステキな空間と運動の映画。物語は、と言えば、まあヴァーホーヴェン版見てれば特に新鮮な驚きは無いってレベルのリメイクですが。でも、グロ趣味が強調され過ぎな印象のヴァーホーヴェン版よりもこちらの方が好き。[映画館(字幕)] 8点(2012-08-21 20:49:31)(良:1票)

158.  崖っぷちの男 《ネタバレ》 画面から片時も目が離せないって感じでとっても面白かったです。何も判らない状態から1つ1つ映像を重ねて1つ1つ謎が明らかになっていって。その薄皮を剥いでゆくようなエピソードの積み重ねに惹き付けられます。そして事実が(ほぼ、大体)明らかになってからは上手く行くのかどうかのサスペンスにハラハラして。ツッコミどころは多めですしクライマックスが結局は力技と運による解決っていうフツーな状態になってしまっていたのは残念でしたが(せっかくあそこまで作戦練ったのだから、あくまでその作戦の枠の中でスッキリ終わらせて欲しかったな)、オチの「そう来たか!」ってところまで含めて単純に「ああ、楽しかったわぁ」って。サム・ワーシントンってちっとも顔が覚えられないくらいにジミな感じがしないでもないのですが、こういう題材にはむしろ合ってるかも。一見弱々しい自殺志願者って。個人的には『ショーシャンクの空に』や『ダイ・ハード2』で個性的なカオを見せてたウィリアム・サドラーが今回もまた個性的なカオで印象に残りました。主役が一つ所からほぼ動かないサスペンス映画としては『裏窓』の系譜に分類されるのでしょうか。こちらはずっと窓の外側でしたけどね。[映画館(字幕)] 8点(2012-07-08 13:07:03)(良:1票)

159.  幸せへのキセキ 《ネタバレ》 ステキな映画でした。特に何か尖った部分がある訳でもなく(尖っているのはせいぜい息子の描く絵くらいかな)、素材に対して極めて真っ当な描き方をしている感じがします。予告編から受けたイメージを大きく外す事は無く(幼い子供を残して逝った母、動物園付きの家を買う、動物園の再生と家族の再生・・・)、でも、そのイメージを面白く見せるという点について大変良く出来た映画だと思います。妻の思い出から抜け出せないでいる父と、母を亡くした悲しみから心を閉ざしてゆく息子。ともすれば重く暗くなりがちな話が、幼い娘のキャラクターによって明るくテンポよく運ばれ、動物達と動物園で働く人々の存在を介する事で多彩な興味深いドラマを重層的に展開して。ちょっと動物園側の二人のヒロインが能動的にドラマを動かし過ぎた感はありますが(雨の中の抱擁とチケット売り場でのキスにちょっとひっかかってしまったりして)、母を失った状態からその痛みを抱いて前へと踏み出す家族の姿には感動しました。ラストにあんなステキなエピソードを持ってくるのも良かったですしね。役者の放つ魅力いっぱいの映画でした。それにしてもこのひと月半の間に似たような設定の映画を4本(『ももへの手紙』『虹色ほたる』『ファミリー・ツリー』そしてこれ)立て続けに見る事になったのは、個人的に何か意味があるのか無いのか。私の家族って、今やもう2匹のネコだけですけどねー。[映画館(字幕)] 8点(2012-06-10 14:51:17)(良:3票)

160.  ミッドナイト・イン・パリ 《ネタバレ》 そんな事言ったって、ウディ・アレンが過去というものを深く深く愛しているのは、みーんな判っている訳で、なので今回もまた自虐的ですねって。セリフにしてまで語られる「大切な今を生きましょうね」っていうのはあくまでタテマエ。ウディ・アレン版『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』。ひたすら芸術の都パリに酔う映画。時代による色調、タッチの変化なんていうのは無くて、全編、湿り気のある夜の光を撮らせるならばこの人、ダリウス・コンジによって切り取られた美しいパリ。ウディ・アレンをモロに映す神経質で饒舌でシニカルな主人公の前に登場する面々の描き方はどれだけウディが楽しんでいるんだろう?ってくらいに芸術への思慕に溢れ、一方で今回も知識だけで理論化し物事の価値を決め自らは何も生み出さないような知識人に対する皮肉もこってり織り込んで。結局、でも「パリってステキよね」で終わりで十分な映画。楽しい、美味しい、美しい、素晴らしい、そういうシンプルな感情でいいんだよ、っていう事を説明するために自らはややこしい創造の嵐の中に居るウディなのだなぁ、という映画でした。[映画館(字幕)] 8点(2012-05-28 06:51:03)(良:4票)

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