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プロフィール |
コメント数 |
1252 |
性別 |
男性 |
自己紹介 |
【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。 【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。 【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。 5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。 また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。 |
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1. 魔女(1922)
《ネタバレ》 1922年の映画である。監督その他の関係者はデンマーク人とのことだが、題名のHäxanと字幕はスウェーデン語らしい。
見たのは104分のバージョンで、全体が7章に分かれている。第1章は昔の宇宙観と関連づけながら魔女の基本的な性格を学ぶお勉強的なパートであり、また第2章は時代を1488年と特定して、中世の具体的な魔女像を多少ユーモラスに表現している。しかし次の第3章から第5章までは魔女裁判の話になるので笑っていられなくなり、第6章では魔女の発生原因として拷問の道具と僧院の狂気を紹介している。最後の第7章では近代(大正時代)に飛んで、中世から当時まで残されていた魔女的なものを明らかにする構成になっている。
最後の章はそれまでの各章に含まれていた要素を使って結論を導く形であり、何やら実証的な映画という印象もある。それほど明らかな社会批評の意図もないようだが、気の毒な人々に理不尽な偏見を向けないようにしなければという、この時代なりの良心が表現されていたようではあった。
物語として心に残るのはやはり第3章から5章までの魔女裁判で、ここでは中世の人々の迷信深さとともに、人間が本来持つ(現代にもある)邪悪な部分や偏狭な宗教の害悪が描かれている。個人的には特に、性欲の抑圧がかえって理不尽で組織的な暴力につながる面があるのではという方に考えが向いた。また客観的に立証できない罪状では自白が証拠の王だというのもよくわかる。最後の章では、中世なら魔女とされたであろうシニア世代と未亡人の表情が物悲しい印象を残していた。
特撮としても、主に第2章でストップモーションアニメや逆回転、多重露光?といった手法でけっこう面白い映像を作っている。着ぐるみや特殊メイクも多用されているが、特に監督本人が演じていたという悪魔が神出鬼没で、恐ろしいというより滑稽で不潔そうで品性下劣で邪悪な雰囲気を出しており、ヨーロッパの悪魔像とはこういうものだったのかと思わされた。そのほか個人的には夢魔?が布団の上を這って来て、寝ていた人物が慄いている場面が好きだ(一瞬だが)。
結果として、サイレント映画など古臭くて見る気がしない、という食わず嫌いを一気に解消する内容にはなっていた。なお映画自体は無音でも、今回見たDVDではピアノの背景音楽を入れて効果的な演出がなされている。[DVD(字幕)] 8点(2018-11-01 19:56:16)(良:1票) 《改行有》
2. 戦艦ポチョムキン
《ネタバレ》 ソビエト連邦の映画である。戦艦の名前は日本人には変に聞こえるが(淀川長治氏も言っていたが)、もとが人名なので変だといっても仕方ない。皇帝エカチェリーナ2世の寵臣としてロシア帝国の南下政策に深く関わった人物なので、黒海艦隊の軍艦にはふさわしい名前かも知れない。
見たのはいわゆるショスタコーヴィチ版のようで、わかる範囲でいえば背景音楽の多くを交響曲第11番から採っていたようだった。これはまさにこのロシア第一革命を描写した曲であり、日本でも知られた「同志は倒れぬ」とか「ワルシャワ労働歌」といった革命歌のメロディが使われているので世代によっては懐かしいかも知れない。ほかに第5番の最初と最後を映画の最初と最後で使っており、途中で第2・3楽章も出ていた。うまく合わせていたとは思うが、場面によっては曲の方に映像を付けたようにも感じられたのは、映画を見る上でかえって邪魔になっていると思うべきか。
ストーリーとしては別に史実に忠実なようでもなく、当時の体制に都合のいい展開を適宜に作った国策映画である。ただし今どき革命の勝利を讃えようとする人々も多くないだろうから、政治色など現代ではほとんど無意味化しているともいえる。この映画では最後をバンザイで盛り上げていたが、歴史的経過としてはこの後まだ続きがあるわけなので、これより上記11番の終わり方が正しいかと思った。なお唐突にユダヤ人に関する台詞(字幕)が出ていたのは、この時期に起きていた反ユダヤの動き(オデッサ・ポグロムなど)と関係あるかと思われる。ここは多民族の集まる都市のためユダヤ人もかなり多かったらしい。
映画史的には先駆的な表現で知られた名画とのことで、有名な階段の動的な映像などには目を引かれる。戦艦が劇場を砲撃した場面では、主砲でなく副砲を撃った、などということばかり見ていて、寝ていたライオンさんがびっくりして起きた場面を見過ごしてしまい、映画の後でネット上の世評を読んで初めてなるほどと思わされた。こういう映画はちゃんと映像を見ていなければ駄目だ(反省)。
ほかに個別の場面では、港で死者の傍らを犬が通り過ぎたり、釣り人の側にネコが控えていたりするのが少し和ませる。全体的に深刻な雰囲気の中で、ヨットの場面の爽やかさは際立っていた。また階段の場面で両足のない男が身軽で逃げ足が速かったのは、走る技能と体力が半端でないようで感心させられた。[DVD(字幕)] 5点(2022-03-26 09:25:21)《改行有》
3. 吸血鬼ノスフェラトゥ(1922)
《ネタバレ》 まず題名は、今となっては使い古された感のあるドラキュラよりも得体の知れない不気味さがある。またその語義の「不死者」というのも、「吸血鬼」よりかえって根源的なものの表現に思われる。ちなみにうちに取ってあった91.7.23の新聞の切抜きによると、ルーマニアで一度埋葬された71歳の男が蘇生して運よく掘り返してもらったが、自宅に帰ったところ家族が恐れて家から締め出されたという出来事があった(ロイター=共同)。ルーマニアでは89年まで独裁者のチャウシェスク政権が続いていたが、その間の社会主義体制下でもずっと不死者というものが恐れられていたのかと当時思った。
本編に関して、自分が見たのは「アメリカンバージョン」だそうだが(64分)、全体的には原作を大まかに簡略化したようではある。
たまたま新型コロナウイルス感染症の流行下で見たわけだが、この映画も終盤が感染症映画のようになっていたのは意外だった。しかし外国から来た船が災厄をもたらすということ自体、原作段階でも疫病のイメージだったかも知れないと思わされるものはある。吸血鬼の犠牲者がまた吸血鬼になるというなら感染症にも似ているわけだが、この映画ではそういう伝染性の設定は特になかったらしい。
なおネズミが棺から湧いて出ていたのは面白かった。今ならコウモリが宿主という設定でも通用しそうだ。
映像面では、伯爵の姿がなかったところに現れてからまた消える、といった特殊効果を見ると、映画の歴史の初期からこういうことが試みられてきたのだとは思わされる。しかし技術的な制約があるのは仕方ないにしても、昼夜の区別がわからないのはさすがに困った。伯爵が出た場面は全部夜だったのだろうが、ほとんど真昼間にしか見えないのは開き直りのようでもある。日中に棺を自分で抱えて歩く姿は格好悪かった。
ホラーとしても正直それほど怖いところはなかったが、ドアを開けたら廊下に立っていたのと、向かいの建物の窓際にいた場面は少し気味悪い。こっちが気づく前から相手はずっと見ていた、という状況は怖いかも知れない(例:部屋の中でネコがどこにいるかと探していたら向こうは最初からこっちを見ていたなど)。ほか参考文献によれば終盤にエロい場面があるとのことだったが、実際はそのように見えなくもないという程度だった(そんなところを触るなとは言いたくなった)。
現代人の立場で褒めるにはちょっと厳しい映画だったが、名匠の作とのことで最低限の敬意を表した点数にしておく。なお主人公の妻がネコを構っていた場面は和んだ。[DVD(字幕)] 5点(2021-09-11 09:34:59)《改行有》
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