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プロフィール
コメント数 1249
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  一分間タイムマシン(2014) 《ネタバレ》 前に見た「とっくんでカンペキ」(Practice Makes Perfect、2012)と同じ監督だった。前作は思春期の話だが、今回は大人の話で時間が倍になっている。アマプラでは13+で「性的なコンテンツ、暴力」と書いてあるが大したことはなく、小学生に意味を聞かれると困るという程度である。 タイムトラベル映画としては「時をかける少女」(2006)、「アバウト・タイム」(2013英)と似た感じで、物語として少し取りにくいところはあるがコメディとして面白くできた佳作だった。登場人物にも微妙に好感が持たれる。 《以下微妙なネタバレ》 直接関係ないが「ターミネーター」(1984米)では "君のために時をこえて来た"(I came across time for you)と言う男が出ていたが、この映画ではいわば女性のために何度も死を乗りこえてきた男ということか。これで女性もその気になって攻守交替したようで、結果的に生命をかけた恋人同士の間柄にまで発展していくこともなくはない。 これを一般化して適当に解釈すると、仮に並行空間が無限にあるとすれば、そのうちの16回だろうが何回だろうが0にほぼ等しいのであるから、回数は気にせずとにかくチャレンジしてみようというメッセージかと思っておく(本当に死なない範囲で)。[インターネット(字幕)] 6点(2024-06-01 17:00:15)《改行有》

2.  シン・ゴジラ 《ネタバレ》 (初見時以降適宜修正)ゴジラファンという自覚が全くないにもかかわらず、なぜか必ず見に行くはずだと周囲の人々に思われていて圧力を感じたために仕方なく見たが、公開初日を含めて結局3回見た。何度見ても退屈を感じる暇のない映画だが、それは早口のせいもあると思われる。真面目なだけでなく微妙に笑えるネタも仕込んであり、個人的には冒頭の映倫マークで足音一つというところから可笑しい。特に巨大不明生物が初めて全貌を見せた場面はかなり衝撃的(笑)で、これは見事に意表をつかれた感があった。終盤の在来線爆弾も悪ふざけのようで、やりやがったなと苦笑させられた。 ストーリーとしては、要は前例のない大災害への日本国の対応を描いている。野次馬的な国民も被災者も、各種勢力の蠢動も登場人物の家庭環境も全てチラ見せした上で、政治・行政・防衛と対外関係に絞った形になっている。 政治家に関しては、世俗にまみれた人々が状況に急かされて覚悟を固めていく様子が描写され、総理も最後は惜しい人を亡くしたという気にさせられる。とても人格高潔そうには見えない人物が骨のある発言を聞かせるとか、いかにも優柔不断な責任者が、その場になれば自分のやれる方法で最善を尽くそうとするのもいい。官僚組織や学者にも、現実的かつ発想力と対応力のある人材はいるはずだということが表現されている。 対外関係としてはあくまで対米関係を主軸にし、対馬沖で騒いでいたのは何かなど名前すら出ない。米軍機が東京を爆撃したのはさすがに反感を覚えたが(2機撃墜!)、最後は自国の才覚で何とかする形になっていたのは安堵した。最終的には期待と懸念を両方含む不透明な未来に向けて、友達とも限らない大国と付き合いながら国の舵取りをしていこうとするラストはリアルともいえる。ハッピーエンドともバッドエンドともいえない状態でどこまでも続いていくのが現実ということだ。 自分の若い頃は現実に即した自由な考えが許されない息苦しい時代だったので、今になってこういう真っすぐな映画が製作されて普通に受け入れられたのは感慨深い。ちなみに劇中には自衛隊に関わる格好いい台詞が複数あって少々やりすぎかとも思ったが、その中でも「仕事ですから」くらいなら、何らかの社会的使命をもつ人は官民問わずに誰でも言える。 そのほか女優の出演が少ないという意味では映像的に華がない。ヒロイン風に出る日本人顔のアメリカ女は目障りでしかないが、少なくとも前半ではこの人物が、外国からの介入の煩わしさを思い切り体現していたのだろうから嫌われて当然である。この映画としては、最終的にこの人物への好感度を回復させるよう狙っていたのではと思うが、少なくとも自分に関してはそうならないまま終わってしまった。まあこのキャラクター自体がマンガと思えば突っ込むまでもないということはある。 一方で、化粧気のない環境省自然環境局野生生物課の課長補佐は変人風で付き合いにくそうだったが、必要なことを真っすぐに言う人物は正直好きだ。この人が劇中初めて破顔した場面は泣かせどころだった。 [2024/5/25追記] 「-1.0」を見た機会に再見。映画の伝えたいメッセージは「この国はまだまだやれる」だった気がする。「戦後は続くよどこまでも」というのは当時も今と同じだろうが、それでも持てる潜在力を発揮して、日本国の意思と主体性を確立してもらいたいという願いが感じられる。2024年の現在になってみれば「まだまだやれる」などとは全く思えない有様だが、逆にこの映画の時点で共感できたということは、当時は本当に「まだまだやれる」可能性があると思える時代だったということだ。1954年の原典版と同様に、公開時点の世相をちゃんと捉えたゴジラ映画に思われる。[映画館(邦画)] 9点(2024-05-25 21:12:06)《改行有》

3.  ゴジラVSビオランテ 《ネタバレ》 これは以前にTV放送で見たが(成人後)、湖・植物・沢口靖子しか憶えていなかったので、当時としても印象の薄い映画だったようである。最近になって若い連中(といっても30前後)が名作だと言うので改めて見たが、これは一体どこに感動すればいいのかわからない、と感想を述べたところ、思い出補正があると本人も認めていた。 今回見たところでは、変に各種要素を詰め込んだようで騒々しく落ち着きのない映画になっている。エンターテインメントとしてはこれでいいのだろうが、ビオランテの最後がファンタジー調(沢口靖子再登場!)なのは好みでなく、エンディングのバラも悪趣味に思われる。 真面目な社会批評の部分でも特に心に訴えるものがなく、単なる形式論を述べただけで終わった印象がある。ただ劇中で前提にしていた相互確証破壊による核抑止とか、国際資本の市場支配といったものはこの頃らしい話題で懐かしい気がした。遺伝子資源の争奪というのも今日的な問題として捉えられていたものか。また昭和29年の第一作の時点ではまだ日本の原子力開発が始まっていなかったわけだが、この映画では原発とゴジラの関係付けができていた(前作から?)のも時代の差を感じる。若狭の原発銀座をゴジラが襲うという展開は「天空の蜂」(2015)どころの話でないだろうが、この映画ではそれほどの緊迫感もないままで終わった。放射能(放射線)への恐怖心に関する実感のない、呑気な時代の映画だったようである。 ところで登場人物のうちでは高橋幸治氏がいかにもという感じのはまり役で、劇中では○チガイ科学者のような扱いだったが、この役者との関係で見れば全く違和感がない。この人に「もう私たちの時代じゃないのかも知れない」と言われると少し寂しいものがあった。 ほかに無関係な芸能人を出すのはふざけた感じで歓迎できないが、デーモン閣下の登場には不覚にも笑ってしまった。また斉藤由貴が大阪城ホールで声だけ出演した場面では、そういえばこの人はこういう歌を歌っていたな、と思い出したので肯定的に捉えたい。「避難してくださーい!」というのがほのぼのしていい感じだった。 [2018-02-14追記] 上記の「遺伝子資源の争奪」に関して、その後に別用で生物多様性のことを見ていたところ、この映画は生物多様性条約(1992年5月採択、1993年12月発効)の「遺伝資源の利用から生ずる利益の公正で衡平な配分」を少し先取りした形で制作されていたことがわかった。だから何だということもないが少し不勉強だった気もして反省した。[DVD(邦画)] 4点(2024-05-25 21:12:04)《改行有》

4.  ゴジラ(1954) 《ネタバレ》 90年代にVHSのレンタルで見たのが初見だが、その時点で印象に残ったのは近代科学への警鐘でもなく愛する人の幸せを願いながらの悲しい自己犠牲ということでもなく、ゴジラ襲来後に収容された重傷者や母親を呼んで泣く子ども、立ち働く白衣の天使と女学生の歌声だった。これは先の大戦に直接関わる慟哭の思いと鎮魂の祈りの表現としか思われず、この映画だけは他のゴジラ映画と異質だというのが率直な感想だった。 また今の目で見直すと、放射線量の測定機器を子どもに直接向ける光景が、5年前の現実の事故のことを思い出させて非常に痛々しい。放射能を帯びた怪獣との設定はその後も一応引き継がれていたわけだが、これが虚構のキャラクターの単なる一属性というだけでなく、いつの時代にも再現されうる現実の脅威を表現したものであったことを改めて思い知らされる。 そのほか単なる怪獣映画として見た場合にも、特撮映像は昔の映画ながら文句をいう気にならない迫力があり、巨大な生物に対して地べたを這う人間の恐怖感が表現されている。この映画では魚・牛・豚(と娘っ子)を食うことになっていたが、こういう肉食の習性はその後に引き継がれなかった設定と思われる。また出演者では何といっても河内桃子さんが可憐で可愛らしい(やたらに触るな、と宝田明氏に言いたい)。巡視船PM20こうず、PM21しきねの撮影協力もご苦労様でした。 [2024/5/25追記] 「-1.0」を見た機会に再見。上の本文には2011年の原発事故関連のことが書いてあるが、今回は2024年の米アカデミー賞映画「オッペンハイマー」との関連を思わされた。大量破壊兵器の開発に科学者が手を貸していいのか、というのはまさにその映画のモデルの人物を思わせるテーマだが、この映画では科学者本人が人間の弱さを自覚して、最後の良心を死守した形になっている。そのような厳しい姿勢を科学者には求めたいということだろうが、しかし公開70年後の現代では、それがいわば古風な律義さ、あるいは昭和的な素朴さにも感じられるのが皮肉なことだった。昔は真面目でちゃんとした人が多かったらしい。 また前回見た時と同じく河内桃子さんにやたらに触るなと宝田明氏に言いたくなったが、言いたくなった理由は特に、触った手の親指で河内桃子さんの肌を撫でるからだった。大事に思う表現だとしても気色悪いのでやめてもらいたい。[DVD(邦画)] 8点(2024-05-25 21:12:02)(良:1票) 《改行有》

5.  ゴジラ-1.0 《ネタバレ》 最初はトカゲゴジラかと思ったら後でちゃんとゴジラ型ゴジラになっていたが、振りや表情がクサすぎて演技過剰に見える。映像面では重巡洋艦の主砲射撃と敢闘精神、また大正時代の峯風型から戦争末期の丁型まで揃えた駆逐艦が見どころで、震電も本物っぽい感じで飛んでいた。ちなみにゴジラが2万トンというのは高雄の倍くらいということだ。 ドラマとしては安手だが一定のメッセージ性はある。「この国」(身内や知人その他自分のいる社会を構成する人々)を守るための戦いは誰かがしなければならないことであり、自己都合で去るのは止めないが、自ら志をもって行くのを止めることもできない。ただし死ぬと決まった出撃ではなく、必ず生きて帰る前提だ、といったこと自体は理解できる。 ただしタイミングとして今それを言うかという感じではある。映画の設定としては戦争直後でも、いま製作するからにはいまに通じるテーマがあるだろうと思うわけだが、公開時点の国際環境のもとでは、極東有事の際は「米軍も当てにできない」から日本人が率先して戦おう!というような、勇ましいが不穏な空気を醸している。アカデミー賞の受賞は、そうなったら頑張って戦ってね笑というアメリカからの激励ではないか(どうせ武器だけ買わされる)。時事性の面では最悪だったというしかない。 なお時代を遡ることで反核色を消すつもりかと思っていたが、核兵器との関連付けは一応残してある。ただしそれは初代ゴジラの先行映画「原子怪獣現わる」(1953米)からのことであってアメリカでも常識の範囲内である。放射線量を測って首を振る場面は旧作にもあったが、この映画のは形ばかりで心がない。 ほかに「日本政府も…当てにできない」から民間主導というのは意味不明である。何か意図があったにしても最低限、金の出所がわからなければ納得できない(実はアメリカにやらされていたとか)。また「情報統制はこの国のお家芸だ」と言っていたのは別に「この国」(日本国家)限定のことではないだろうが、昔の人は視野が狭いということなら仕方ない。 最後にゴジラが生き返りそうになっていたのは、50周年で一度終わった邦画ゴジラに関し、今回の延長上でまたシリーズを始めるための仕切り直しだったという意味か。最後の病室で、浜辺美波さんの首筋をこれ見よがしに映していたのは意図があったようだが、そういうことまで好意的に受け取るのは完全に無理である(浜辺美波さん=沢口靖子か)。 全体として、視覚効果は現代風だがマイナス要因が多いのであまりいい点はつけられない。[インターネット(邦画)] 6点(2024-05-25 21:12:00)(良:1票) 《改行有》

6.  怪獣王ゴジラ 《ネタバレ》 追加・省略や前後の入れ替えはあるが意外にもとのストーリーを残して、先行の「原子怪獣現わる」(1953米)並みの娯楽映画にしている。 追加場面を入れての編集はなかなかうまくできている。序盤で船員の家族が官署に押しかけた場面では、追加した部分でも記者と一緒にドアから入って来ようとする家族を映して、もとの映像と整合させる工夫をしていた。入れ替えや短縮で辻褄が合わなくなったところもあるがどうせアメリカ人にはわからない。また後半は日本人の発言もなぜか英語になっていたが、人名や「まあ!」といった間投詞はもとの音声を残すという細かい作業をしていた。 本来の反戦・反核メッセージは失われた印象もあるが、核兵器との関連付けは一応残してある。それ自体は「原子怪獣…」も同じだが、しかしやられた側とやった側でのスタンスは大違いなわけで、この映画でも当時の日本人が誰でも知っていた第五福竜丸事件の印象を薄め、また長崎の原爆や疎開といった戦争の記憶、当時の現実の不安だった原子マグロや放射能雨に言及した場面を削除している。 個人的に気になった点として、序盤で記者が「エミコ」の腕を乱暴につかんだ場面では気安く触るなと言いたくなった(替え玉アメリカ人だろうが)。また火でやられた男がアーーーとアジア人っぽく叫ぶとか、仮設病院でギャーと泣く声(大人の)が聞こえるのは日本映画らしくない。 ほか日本人としては火の海になる東京を見ると戦時中の空襲を思わされるわけだが、何千人もの人が死んだという言い方を記者がやたらにするので、東京では一晩で何千どころか10万人もの一般庶民がアメリカに殺されたのを知っているかと言いたくなる。いわばS20.3.10の東京大空襲の時に、なぜかたまたま下にいたアメリカ人の体験談のような映画であって、アメリカ人でもやられる側に身を置けば、死んでいくのがネズミでも昆虫でもダニでもなく人間だと認識できるのかという気分だった。 それはそれとしてゴジラが世界的に知名度を上げるきっかけになったという歴史的な意義はあるので相応の点数はつけておく。[インターネット(字幕)] 4点(2024-05-25 21:11:58)《改行有》

7.  ブラッディ・ホステージ 《ネタバレ》 アメリカのアルバニア系住民の物語である。脚本兼主演の人物もアルバニア系で、実際に撮影場所のデトロイト都市圏ハムトラムク市で集合住宅の家主をしていた経験があるとのことだった。なお「セルビアン・フィルム」(2010)まがいの場面があるので苦手な人は見ない方がいい。 事前の印象としてはスキンヘッドの男が暴れるバイオレンスアクションかと思っていたがそういうものではなく、前半は主人公が入居者から家賃を取り立てて借金を返す話が延々と続く。後半は主人公が娘の危機に立ち向かう話になるが、犯罪集団に徒手空拳で対抗できるわけでもなく、身代金を工面する手段が多少過激になっただけだった。 あくまで非力な主人公だったが、しかし結果的に犯罪集団のボスを倒せたのは娘を思う気持ちの勝利と思われる。全てが終わった最後の場面で、当初から伏線的に出ていた電話を使ったのはけっこう感動的だった。特に面白くはないが安っぽくもない。 劇中社会では他人種や他民族と交じりながらもアルバニア人のコミュニティができていて、台詞に英語の字幕が出ていたのがアルバニア語の入った箇所と思われる。"Albanian hell is cold" の場面では、アルバニア人社会の掟(慣習法「カヌン」Kanunといったもの)による恐ろしい罰が主人公に下るのかと一瞬思ったがそういう展開ではなく、逆に最後は主人公のためにコミュニティが結束して始末をつけた形だった。 登場人物で最も邪悪な犯罪集団のボスは、アルバニア人かと一瞬期待させておいてそうではないとのことで、台詞の中で英語字幕の出なかった部分が本来の言語かも知れない。何語なのかは当然わからないが、参考としてボス役の演者は北マケドニア系とのことで、やはりバルカン半島の他民族(敵対勢力)という設定かも知れない。ちなみにボスが自分を「純粋主義者」と言っていたのは辞書的には意味不明だが、どことなく民族浄化をイメージさせる言葉ではあった。 アルバニア人にしても世界的には「アルバニア・マフィア」で悪名高いわけだが、この映画のアルバニア人は品行方正でなくとも極悪非道ともいえず、一方で本物の極悪人は他民族ということにして、アルバニア人=悪の印象を回避したのかと思った。製作側の立場として、アルバニア人を肯定的に描写しようとする映画だったらしい。 ラストの場面を見ると、これはもう駄目かと思うことはあっても、わが子を思えば頑張っていけるはず、という移民系住民の希望を語っているように思われた。[インターネット(字幕)] 5点(2024-05-04 11:42:29)《改行有》

8.  アナベル あいのきずな 《ネタバレ》 ホラー映画ではない。どちらかというとファミリー向けの映画である。 製作国がバハマというのは珍しいが、国自体はタックスヘイブンであることや「バハマ文書」という言葉で知られている。主産業は観光と金融とのことで、ほとんどマイアミの沖合のような場所のためアメリカからの観光客が多いらしい。劇中映像では当然ながら南の島らしい景観が見られ、また名前が出ていた飲食店は現地に実際あるので行ける。ただし楽園のようでも時々来るハリケーンが深刻な脅威であることは台詞にも出ていた。 映画としては、南の海でイルカと少女が戯れるお気楽な映画かと思うと実際そういう雰囲気で始まるが、そのうち深刻な親権争いが起きて法廷闘争になったりするのでファミリー向けには少し厳しい。ただしハッピーエンドというのは初めから見えていて、もう駄目だとなったところで横紙破り的な打開があったのは少し面白かった。最後はボート一艘が全損したが、金さえあればどうにでもなると思ってはいられる。 ほか英題の印象通りイルカにもかなりの演技をさせている。また個人的にはエンドロールの最後に出たThe Islands of the Bahamasのロゴがバハマ諸島の地図のデザインになっていたのは感心した。 ところで撮影場所はほとんどがグランド・バハマ島にある国内第二の都市フリーポートと思われる。ここは1955年から米英の投資家や金融家が政府との協定のもとで開発してきた地域であり、現在も民間資本のGrand Bahama Port Authority (GBPA) が主体になって地域の開発と運営に当たっているとのことで、エンドロールの最後にはこのGBPAのロゴも出ていた。映画の「製作」はロサンゼルスの合同会社であるのに何でアメリカ映画でないのかと思っていたが、こういう機関が関与したからこそのバハマ映画ということかも知れない。 劇中では悪役として、孫を金で買おうとするニューヨークの富豪や金で動く弁護士が出ていたが、それで最後に天罰が下るわけでもなく、金持ちであること自体は罪ではないらしかった。それよりラストの場面のように富裕層も低所得者層も海賊も、アフリカ系も英米系も(イルカも)みな交じり合って楽しく過ごせる場所がバハマだということになっている。 結果的には、所得階層を問わず皆さんぜひ遊びに来てください、というPR映画だったのかと思った。ただし下級公務員が金で簡単に転ぶと思われていたり、未成年の詐欺・窃盗の常習犯がいたりするようなので渡航時は注意が必要だ。[インターネット(字幕)] 5点(2024-05-04 10:53:17)《改行有》

9.  オクス駅お化け 《ネタバレ》 題名とビジュアルの雰囲気に騙された感じだった。 原題を漢字表記すると「玉水驛 鬼神」だが、原語では日本語の「の」に当たる助詞が省略されているので、邦題ではこれを補って「オクス駅の…」とすべきところ、省略したままにして不器用な直訳の印象を出している。また「鬼神」は「鬼神」のままでもいいだろうが、あえて幼児語の「お化け」にしてユーモラスな方向に引っ張っている。どうせなら「おばけ」にすればもっととぼけた感じが出ただろうがそこまでは徹底していない。 この邦題と、怖そうなポスタービジュアルのギャップに目を引かれたのが見た動機だが、しかし実際そのイメージ通りの映画でもない。黒いオバケが駅に取りついているのかと思ったらそうでもなく、そもそも導入部と本編がほとんど関係ないように見えたのは意外だったが、前日談として一応つながった形ではあるようだった。 ホラーとしては特に怖いところはない。井戸の慰霊で決着がついたかと思ったら実は終わっていないとか、呪いを他人に移すのは確かに「リング」っぽいが、似ているというだけで特に面白くはない。 物語としては、各種問題を頭出ししただけで薄っぺらいので社会派的な面での本気は感じない。劇中の「玉水保育院」は日本で起きた事件を元にしたとのことだが、臓器売買まで持ち出すのでは現代的すぎて唐突感がある。また「4桁の数字は、韓国で児童を対象とした犯罪事件の日付」だそうで、1211・1013・0329は確認できたが、そういう悲惨な事件を思わせるのも形だけの問題提起にしか見えない。 さらに主人公を記者の設定にして巨悪を告発する物語のようでいて、最後は個人的な復讐でしかなくなったようなのは話を逸らされた感がある。ただし社長本人も巨悪の隠蔽に加担した過去があり、今回知らぬふりで逃げようとした?のを主人公が潰した、というようなことなら勧善懲悪的な(というより懲悪的な)話だったことにはなる。また湯灌師の発言をもとに考えれば、主人公は恨むべき相手に正しく復讐したことで、世の中全部を恨まなくて済んだのが幸いだったいうことか。これが儒教倫理的な筋の通し方ということかも知れない。 一応の娯楽性は備えているので極端に低評価にはならないが、何かと半端な印象を残す映画だった。個人的には事前の期待が大きすぎたということもある。 その他、特に序盤で変に漢字が目についたのは日本向けのサービスだったかも知れない。[インターネット(字幕)] 5点(2024-04-20 17:15:45)《改行有》

10.  オンマ/呪縛 《ネタバレ》 題名の印象と違ってアメリカ映画だった。韓国人のお母ちゃんが押しかけて来て恨み言をいうならいかにも怖そうだが、ホラーというより北米の韓国人移民の物語になっている(脚本兼監督はカナダ出身)。 なお英題がUMMAなのはオンマ/엄마のㅓが、例えば太陽/SUNという時のUに近い音だからということかも知れない。韓国語の正規のローマ字表記法ではEOMMAとなるはずだが、それではアメリカ人が(日本人も)読めないわけなので監督の判断を尊重する。 内容的には人間ドラマが中心であって怖さは感じない。超常現象や変なケモノが出ることの必然性もないようだが、監督の考えとしてはホラーというジャンルを使えばテーマを極限まで突き詰められるとのことで、それはその通りと思われる。 題名との関係からすれば母子のドラマが中心で、母~主人公~娘の三世代にわたる母子関係を重ねた形になっている。また、そこへさらに移民の一世~二世~三世(でなく0~2?)という関係も重ねていたようだった。前の世代との間で呪縛と化したつながりを断たなければ前には進めないが、つながっていた記憶自体は失わないことで、自分という存在の原点を心の中で守っていきたいという意味か。白人風に見える娘が母親とともに韓服を着て、墓碑に拝礼していたのは他人事(他民族事)ながら若干感動的だった。 また商店主の姪が言った「自分だけが変な人間だと思うのは間違ってる…」というのは北米社会の包容力を示したものと思われる。これに関して日本社会がどうかは少し考えさせられるものがあったが、適法に入国して現地社会のあり方を尊重し、自ら分断を図ることなく平和に生きるなら、その上で故郷由来のアイデンティティを守ろうとするのはいいのではないか、という少しリベラルな気分になったりはした。韓国の本国社会はどうか不明だが。 その他、映画では韓国(朝鮮)の伝統的な事物を紹介していたが、韓服とかお面は別として、「千字文」や九尾の狐、あやとりは韓国(朝鮮)限定のものではないとアメリカ人に言っておきたい。夜空の月が最後に満月になったのは、月が満ちて機も熟したというようなことの表現かと思うが、これも東洋的な感覚か。 また全くどうでもいいことだが、韓国語の初学者にとって言い分けにくい+聞き分けにくいが意味の違う言葉として달・탈・딸が有名だが、この映画にはその三つが全部出ていて感動した。달は映像だけで台詞に出なかったのが残念だ。[インターネット(字幕)] 6点(2024-04-20 17:15:41)《改行有》

11.  リゾートバイト 《ネタバレ》 2chオカルト板発祥の怪談をもとにした映画である。永江監督のこの手のホラーはシリーズ化していたが、今回の劇場予告編に「ネット怪談最終章」と書いてあるということはもうネタ切れで終わりになるのか。 場所はエンドロールに出ている通り瀬戸内海の白石島(岡山県笠岡市の笠岡諸島)とのことで、特に義理はないが紹介しておくと、旅館は名前を変えているが「白石島旅館 華大樹」、食料品店「あまのストア」も実在する。また地元民役として、オーディションを経た地元キャストが多数出演しているようだった。 原話を読んだことがなかったので一応内容を確認したが、題名の話だけでは長編映画にならないのを、その他の怪談も組み合わせて充実させている。具体的には「リゾートバイト」をメインにして、主人公が御堂に籠る場面から「八尺様」を前面に出す形に作っている。また旅館の2階に上中下の引出しがあったのは、その場面で文字が見えた「禁后」という題名の別の怪談に入っている要素だった。 ほか映画宣伝にある「絶対に先が読めない」展開を意図して、原話にない趣向をラストで加えた形になっている。それ自体は「きさらぎ駅」と似たような印象もあって感心するほどのものではないが、終盤の最終決戦の開始に当たり、登場人物の誰が誰だかわからなくなるのは出演者の演技力が試される場面だったかも知れない。その後のコメディ風味は結構いい味を出していたので嫌いでない。 なお主題歌は不気味な曲で好きともいえないがホラーのエンディングにはふさわしい。全体的に娯楽映画として悪くない感じだった。 出演者として、主演の伊原六花という人はよく知らなかったが、2024/3/16の大相撲中継にゲスト出演したのを見て(終盤のみ)なかなか面白い人だと思っていた。一見あまり特徴のない顔かと思っていたが、今回見るとかなり個性的で魅力的な表情をしてみせる人だった。終盤この人がヒーロー的に大活躍する場面も作ってあるのは大変よかった。[インターネット(邦画)] 6点(2024-04-13 15:45:03)《改行有》

12.  “それ”がいる森 《ネタバレ》 大人が真面目に見るものではない。点数は子ども向け映画という前提で甘くしておく。 題名の「森」(こんもりした山の意)のモデルになったのは福島県に実在する「千貫森」だそうである。ここは実際にUFOの目撃例が多いとのことで、地元の福島市飯野町では「UFOの里」を地域の個性として売り出している。エンドロールに出ていた「福島市UFOふれあい館」は市の施設として公開されており、また2021年には「国際未確認飛行物体研究所(UFO)研究所」も開設されたとのことで、そのPR映画として作ったとすれば子ども向けにできている理由はわかる。ちなみにその研究所は雑誌「ムー」(映像中にも見えた)の協力を得ているとのことで、この映画もホラーというよりオカルト映画と思えばいいかも知れない。従ってSFでもない。 ドラマ部分はいわば「学校の怪談」のようで、大人はわかってくれない系の展開が苛立たしいのは前世紀の遺物のようでもある。しかし子ども向けにしては刺激が強すぎで、特に宿題していただけの児童(川瀬麻友ちゃん)が犠牲になったのは痛々しい。他にも帰って来なかった連中がいたにもかかわらず、最後が晴れやかな雰囲気で終わったのはかなり適当な感じだったが、子ども向け映画として型どおりとはいえる。 なお宇宙人は福島市飯野町にしか来ないとしても、クマの方は全国的に警戒が必要だ。冬眠しないクマがいる場合もあるそうである。[インターネット(邦画)] 4点(2024-04-13 15:45:01)《改行有》

13.  事故物件 恐い間取り 《ネタバレ》 原作を読んでいないので比較できないが、実話とされているものをベースに映像化した感じは出ていて、全体的な印象としては悪くない。芸人の業界らしいドラマもあり、ホラーにしては特色ある劇中世界ができている。 映画的な趣向としては、物件を渡り歩くうちに悪しきものがついて来て、4軒目に至ってヤバさが頂点に達する形になる。クライマックスの対決は盛り上げ過ぎのようだったが、もとの怪談本をそのまま再現したのでなくホラー映画として作ったわけなので仕方ない。最後は一応ハッピーエンドかと思わせておいて、ホラーらしく後味の悪さを加味した終幕になっている。 好んで事故物件に住むなどろくなことにならない気はするわけだが、原作者本人は特に支障なく今に至っているようなので、必ず何かヤバいことになるわけでもない。この映画でもラストの展開からすると、仮に周囲で何かヤバいことが起きたとしても、結果的にこの二人は何とかなるのではと思ったりした。ついて来ていた銀河帝国皇帝のようなのは二人の生命を縮めるものかも知れないが、場合によっては守護する側に回ることもあるかも知れず(「恐怖新聞」の配達人のように)、また笑いで二人の生命が延びれば相殺して余りが出る可能性もある。 その他現実問題として、外国人は事故物件でも気にしないことがあるそうなので、住む人の心持ち次第という面は確かにある。映画では一般の不動産屋に担当者がいたようだが、現実世界では事故物件を専門的に取り扱う事業者もいるようで(高齢者と外国人向けなど)、そのような動きを通じて物件の適正な流通が促されるのはよいことだ。実在の事故物件公示サイトの運営者もそのようなことを言っていた。 ほか出演者では江口のりこさんが魅力的な登場人物になっている。メイクアシスタント役の奈緒という人もいい感じを出していた。[インターネット(邦画)] 6点(2024-04-13 15:44:59)《改行有》

14.  モロッコ、彼女たちの朝 《ネタバレ》 モロッコに住む女性(大人2人、子ども1人)の映画である。場所は最大都市カサブランカとのことだが、屋内の場面が多いので市内の名所などは出ない。 物語としてはパン屋の主人のところに妊婦の居候が来て、その後の人生に影響を与え合った話である。境遇が違うので自分のこととして共感はできないが悪くない。一応モロッコ映画ということになっているが西欧寄りの感覚と思われる。 なお国内向け映画紹介では「感動作」と書いてあるが、実際はよくわからない終わり方のため娯楽映画タイプの感動作ではない。また字幕で「女の権利は限られてる」という、まるでこの言葉だけ憶えて帰れと観客に言っているような硬い台詞が出ていたが、これは原語でもこういう言い方だったのか。 主要人物としてパン屋の主人は娘1人、居候は息子1人のシングルマザーで、似た境遇なのかと思ったが実は根本的に違っていたらしい。現地の事情からすると、パン屋は未亡人であって再婚しても構わないが、居候は「未婚の母」だったため子の将来が絶望的とみなされていたようだった。このことから映画のメッセージは「未婚の母の子」が「後ろ指をさされて生きていく」社会を変えなければならないという点に集約された形になっている。 居候が新生児に名前を付けたので、やっと自分の子として受け入れたのかと思ったら、その後になぜか窒息死させようとした?のはどういう心境なのかわからない。それでも新生児本人は死にたくはなく、生命力も強かったらしいのは幸いだった。新生児の名前は、人類の始原の時(中東の各宗教が分化する前)まで遡った上で、新しい人間の歴史を始めてもらいたいという願いだったかと思った。 なお劇中では携帯電話やスマホの類はなくカセットテープが現役だったので、少し昔の時代の話だったと思われる。今はどうなっているかわからない。 そのほかパン屋の主人は娘の教育に熱心だったようで、これは女性も学問を身につけなければという思いの表れかも知れない。娘は愛嬌があってなかなかいいキャラクターで、パン屋と居候の間をつなぐ役になっていた。 またパン屋が舞台のためパンを作って売る場面もある。「ムスンメン」というのが多かったようだが、特に目についたのが「ルジザ」というもので、麺類のようなのをつかんで食べるのでどういう味がするのかと思ったが、これもパンケーキの一種らしい。[インターネット(字幕)] 5点(2024-04-06 09:23:29)《改行有》

15.  ラフィキ:ふたりの夢 《ネタバレ》 ケニアの首都ナイロビの都市住民(中流層?)の映画である。一応ケニアの映画だがヨーロッパ諸国がよってたかって支援している。人物の服装や景観その他カラフルな映像が目につく映画だった。 物語としては、若い女性2人が恋仲になって結婚を夢見たが、家庭や社会からの妨害に遭った話である。同性愛への共感を求めるとともに、社会の縛りにとらわれず望みをかなえようとする意志を持て、と勧める映画だった。個人的には別に共感しないが話としては悪くない。 同性愛について、世界にはそれ自体を禁じる国と結婚を認めないだけの国があるが、ケニアを含む東アフリカでは禁じる国が多いらしい。ケニアで同性愛を禁じる法律ができたのは植民地時代とのことで、それを今になって西洋諸国が外部から批判するのは理不尽なものがある。 また同性愛を嫌う風潮が一般庶民の中にもあるようだったが、その理由についてこの映画では保守的なキリスト教の影響と言いたいらしい。キリスト教渡来以前の東アフリカでは同性愛が事実上存在していたとの話もあり、これも西洋人が持ち込んだ宗教のせいだったということだ。 同性愛以外のことに関して、この映画で若い主人公の可能性の芽を摘んでいたのは実の母親だったようである。主人公が軽蔑していた「典型的なケニア女」とは、古い社会の固定観念に唯々諾々と従って他人にも強要する人々のことだったか。主人公はやむなく妥協したようだが、それでも結果的に本当の自分を守り通した形になっていた。 結末としては、とりあえずほとぼりを冷ませばまた次の展開もある、という程度のはっきりしない終わり方だが、しかし恋人のようにやたらに行動すればいいのでなく、少しずつ周囲に認めさせながら実を取り、その上で徐々に社会も変えていこうということなら現実路線の映画かも知れない。また本当の自分を実現するためには経済的・精神的な自立が必要だと言っていたようでもある。 なお教会の場面で神の法は変えられないと牧師が言っていたが、ケニアは国家の上に宗教が置かれるタイプの国ではないと思うので、政治家の活動によって国の法を変えることは可能と思われる。主人公と恋人の父親を政治家という設定にしたのはそういう関係だったかも知れない。 ちなみにその政治家というのは、映画紹介では「国会議員」と書いてあるが原語の台詞ではMCAと言っていたようで、これがMember of the County Assemblyのことだとすれば都議会議員のようなものではないか。政治的な動きをこういうところから起こそうという意味か。[インターネット(字幕)] 5点(2024-04-06 09:23:27)《改行有》

16.  パパのお弁当は世界一 《ネタバレ》 Twitter発祥の感動物語で、もとはショートムービーとしての企画だったのが結果的に1時間以上に拡張されたものらしい。 まず問題としては劇中の時間の流れが十分表現されていないことで、最初の時点で娘が何年生だったのかがわからず、17歳のところで2年生だったのかと思ったら、すぐその後で卒業の話が出たので大混乱した(「卒業」というのが何か別のことの比喩なのかと思った)。また何で最後の授業が12/8なのかもわからなかったが、これは近年、受験に備えて12月で授業が終わる高校もあるということらしい。実際のツイートも2016/12/8だったようで、ここは実話に合わせた形になっている。 物語としては、その12/8を目標点に据えて全体を膨らませた形になっており、当然ながら創作部分がほとんどと思われる。最初の導入部分はコメディでもないがかなりユーモラスな作りで、特に職場でのやり取りは笑わせる。娘については、どんなのが出て来てもとりあえず全部食うというのがまともな育ちで好感が持たれる。学校の友だちも優しいので和まされる。 中盤では少々の波乱があり、これは父親への裏切りではないかと思うところもあったが、しかし結局彼氏などはどうでもよかったのであって、それ以前に人として基礎的に大事なものがわかったエピソードになっている。堤防の上で、思わず漏らした本音に電車の音を被せたのはいい感じだった。また全てが終わって、弁当をかみしめて出た一言には泣かされた。 ほか娘がろくに手伝わないのは問題だと思われるかも知れないが、本物の高校生などどうせこの程度の感覚だろうし(覚えのある人は多いはず)、それよりも、3年間の累積赤字に気づいてちゃんと態度を変えていたのはやはり感心な娘である。父親が作り続けた弁当は、言葉は悪いが“愛情のベースロード電源”のような感じで、愛情の供給量を底上げしていたように思われる。 簡素な作りの映画だがポイントは押さえてあり、何より気持ちの詰まった物語になっている。幸せそうな父親で羨ましい(努力が必要なわけだが)。[映画館(邦画)] 9点(2024-03-23 16:46:46)(良:1票) 《改行有》

17.  ゾンビ大陸 アフリカン 《ネタバレ》 こういう映画を見ると場所がどこなのか気になって仕方ない。主人公の台詞に出る「西経20度」は大西洋上なので真に受けないとして、相棒役のアフリカ人が所属する「セヌフォ族」というのは実在の部族のようで、主にマリ、コートジボワールとブルキナファソ、及び一部がガーナに居住しているらしい。実際の撮影場所は主にガーナとブルキナファソだったようで、劇中車両にブルキナファソの国旗らしきマークがついている場面があった。 映像面ではアフリカの景観が印象的で、最初が海、あとはサバンナから半乾燥地帯までの明るく乾いた風景の中を登場人物が移動していく。その間、原題のThe Deadがそこら中を徘徊しているのが始終画面に映り、この連中もアフリカの風土の中にとけ込んでいるように感じられる。動きが遅いのはゆったりとした雰囲気もあるが、限られた時間内に何かしなければならないスリリングな感じを出すには効果的であり、また移動中はいいが停止すると包囲の輪が狭まって来て、夜も寝る間がないという状況設定が特徴的である。肉をかじり取る習性は野生動物を思わせるものがあるが、これは人類の天敵が出現したということか。 ほか登場人物のうち相棒役のアフリカ人が篤実そうで好印象なこともあり、個人的には良質の娯楽映画として見ることができた。 ところで終盤に出た村のリーダーが「この村で生まれ、死んでゆく」と言ったのは、別にここだけではなくどこにでもある感覚と思われる。部外者の立場としては危険なら逃げろというのが普通の考えだが、土地に根差して暮らしてきた住民には受入れがたい面もあり、これは日本の災害時にも表面化することがある。劇中世界に関していえば全世界が同じ状況だったようなので、共同体単位で守りを固めるのは結果的に正しい選択だったともいえる。 その一方で主人公と相棒が厳しいサバイバルを続けていたのは自分のためというより家族(子孫)のためであって、そのような目的意識も人類存続の要因になることを示したように見える。最後は2家族分をあわせて一つになってしまっていたが、絶望的なようでもわずかな希望を残す終幕だったのは悪くなかった。 (2024-03-23文章校正)[DVD(字幕)] 7点(2024-03-23 16:13:06)(良:1票) 《改行有》

18.  ザ・デッド インディア 《ネタバレ》 「ゾンビ大陸 アフリカン」(2010)の兄弟監督が撮った続編とのことだが、登場人物の違う独立の話なので無関係に見られる。劇中世界は同じだが時間的には少し後のようで、アフリカで噛まれたインド人が国に帰って感染を広める形になっている。 ロードムービー風なのも前作同様で、今回は主人公がインド北西部のラジャスタン州から南方のムンバイまで500kmくらい移動する。風景は全体的に乾燥気味で、現地の名物的なものとしてスリムなサルが出ていたが、これはオナガザルの一種「ハヌマンラングール」と思われる。最後の砦はどこなのか不明だった。 ゾンビの性質は前作と同じなので、不意をつかれるとか集団に囲まれるのを避ければいいわけだが、それでも毎度エンジンのかかりが悪いなどで無理にスリリングな感じを出している。場所がインドというだけで、単純なゾンビ映画としてあまり特徴的なものはない。 場所柄を生かした趣向としては、インド古来の考え方から輪廻転生と業、因果応報といったものを取り入れたらしい。登場人物の話を聞いてもすっきりわかった気はしなかったが、若干面白かったのはゾンビを転生形態の一つとしていたことで、これは仏教でいえば「六道」にもう一つ「ゾンビ道」を加えるようなものかと思った。ゾンビに魂があるのかないのか不明だったが、前の人間とは別の魂(前世がサルとか)が入り込んでいるということならあるかも知れない。 また生埋めになったのは「共にいられるよう」という意味だと思うが、その元になった物語がそもそも意味不明だったのは困る。少し真面目に探したが、「ジャータカ」の関係で本当に生埋めエピソードがあるのかどうかは確認できなかった。劇中の話の通りであれば3人はいなくなるわけだが、みなでどこかへ転生するのか、あるいは即身仏になったとかいうことか(参考映画「湯殿山麓呪い村」1984)。少年は今回で成仏してしまいそうだったが、主人公は駄目だろうから次回以降に頑張ってもらいたい。 そういうことで、アメリカ人が東洋の輪廻転生の世界に取り込まれてしまった話かと勝手に思った。わけのわからない映画だが基本は好意的なので点数は悪くしない。[インターネット(字幕)] 6点(2024-03-23 16:12:54)《改行有》

19.  吸血鬼ノスフェラトゥ(1922) 《ネタバレ》 まず題名は、今となっては使い古された感のあるドラキュラよりも得体の知れない不気味さがある。またその語義の「不死者」というのも、「吸血鬼」よりかえって根源的なものの表現に思われる。ちなみにうちに取ってあった91.7.23の新聞の切抜きによると、ルーマニアで一度埋葬された71歳の男が蘇生して運よく掘り返してもらったが、自宅に帰ったところ家族が恐れて家から締め出されたという出来事があった(ロイター=共同)。ルーマニアでは89年まで独裁者のチャウシェスク政権が続いていたが、その間の社会主義体制下でもずっと不死者というものが恐れられていたのかと当時思った。 本編に関して、自分が見たのは「アメリカンバージョン」だそうだが(64分)、全体的には原作を大まかに簡略化したようではある。 たまたま新型コロナウイルス感染症の流行下で見たわけだが、この映画も終盤が感染症映画のようになっていたのは意外だった。しかし外国から来た船が災厄をもたらすということ自体、原作段階でも疫病のイメージだったかも知れないと思わされるものはある。吸血鬼の犠牲者がまた吸血鬼になるというなら感染症にも似ているわけだが、この映画ではそういう伝染性の設定は特になかったらしい。 なおネズミが棺から湧いて出ていたのは面白かった。今ならコウモリが宿主という設定でも通用しそうだ。 映像面では、伯爵の姿がなかったところに現れてからまた消える、といった特殊効果を見ると、映画の歴史の初期からこういうことが試みられてきたのだとは思わされる。しかし技術的な制約があるのは仕方ないにしても、昼夜の区別がわからないのはさすがに困った。伯爵が出た場面は全部夜だったのだろうが、ほとんど真昼間にしか見えないのは開き直りのようでもある。日中に棺を自分で抱えて歩く姿は格好悪かった。 ホラーとしても正直それほど怖いところはなかったが、ドアを開けたら廊下に立っていたのと、向かいの建物の窓際にいた場面は少し気味悪い。こっちが気づく前から相手はずっと見ていた、という状況は怖いかも知れない(例:部屋の中でネコがどこにいるかと探していたら向こうは最初からこっちを見ていたなど)。ほか参考文献によれば終盤にエロい場面があるとのことだったが、実際はそのように見えなくもないという程度だった(そんなところを触るなとは言いたくなった)。 現代人の立場で褒めるにはちょっと厳しい映画だったが、名匠の作とのことで最低限の敬意を表した点数にしておく。なお主人公の妻がネコを構っていた場面は和んだ。[DVD(字幕)] 5点(2024-03-16 21:01:22)《改行有》

20.  FUNAN フナン 《ネタバレ》 カンボジアのポル・ポト政権時代(1975-1979)をくぐり抜けた親子の話である。題名のFUNANは古代の国名とのことで、「扶南」と書けばなるほど見たことはあると思うが漢字で書くのが正式ということにはならない。何でこの題名にしたのかは不明である。 基本はフランスのアニメのようで、フランスの俳優がフランス語で台詞を言っている。人物は素朴な絵のようだが、人間性や感情はしっかり表現されている。また土地の風物が美的に描かれていて、特に水田景観はカンボジアの原風景的イメージのようで印象的だった。まばらに立つ木は「オウギヤシ」という椰子であって、実を食用にする以外にも多用途に使えるものらしい。 この時期の過激な社会改造の企てにより全土で多数の死者が出たわけだが、映画では残酷な場面を直接見せていないのが良心的に思われる。革命勢力の一員が一般民衆同様の人情を見せたりする一方、自死した人物を追い込む発言をしたのが主人公の母だったりしたのは、一般民衆の内部でも加害・被害の関係があったことの表現と思われる。ただ密告の場面がなかったようなのは、人々の間に今も残る心の傷を刺激しないようにとの配慮かも知れない。 この時代の出来事について、人類史的な悲劇とはいえ異国の昔の話だからと突き放すこともできなくはないが、こういうことが21世紀の現代に起こるはずがないともいえない。勝手な思い込みで世界を作り変えようとし、そのためには一般民衆にどれだけ被害が出ても構わないと思う連中が今はいなくなったわけではない(その辺にもいるので困る)。 また親子の物語ということとの関連で重要なのは、世界を作り変えようとする連中はまず子どもを狙うことである。20世紀にはカンボジア以外にも複数事例があったと思うが、現代でも親のいない場所で子どもらの頭の中を作り変えようとし、さらには家庭を解体して親から子を引き離そうとする連中がいないかどうか見ていた方がいい。個人的にはこの映画で、主人公の息子が見ていた水鳥とその子どもらの姿が、われわれの守るべきものを象徴していたように思われた。 その他雑記として、ヤモリが鳴いていた場面は嫌いでない。また最初にプノンペンの場面で流れた流行歌らしきものはエンドクレジットに出ていたように、当時「クメール音楽の王」と言われたSinn Sisamouthという歌手の「PROUS TEH OUN」という歌だった。その人物もこの時期の1976年に殺されたとのことで、別映画「シアター・プノンペン」(2014)の追悼場面に顔写真と名前が出ていた。[インターネット(字幕)] 7点(2024-03-16 10:05:06)《改行有》

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