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タイトル名 |
ジュリエットからの手紙 |
レビュワー |
onomichiさん |
点数 |
8点 |
投稿日時 |
2011-08-23 01:03:40 |
変更日時 |
2011-09-04 23:51:32 |
レビュー内容 |
恋愛映画というよりも、人生讃歌。
そもそも、「ヴァネッサ・レッドグレーヴおばあちゃんの昔の恋人を探せ」的な展開は、その描き方からして彼女の若き日の熱烈な恋愛エピソードから50年後の後日談であり、それだけとってみれば、これは恋愛映画というよりも恋愛ドキュメンタリーのようなものである。彼女の実らなかった恋の話は詳しく語られないが、敢えてイメージすれば、『ローマの休日』や『カサブランカ』の後日談と言ってもいいものだろう。
若き日の恋心。そして挫折。恋愛の時期を過ぎれば、家庭や仕事、生活という些事に忙殺され、僕らの生活はそれらに没頭する毎日となる。(もちろん生活も生き甲斐である) 年を経て、そういった全ての些事から開放される年代となり、ようやく若き日の恋愛に思い至る。恋愛とは何だろう?黙って見つめ合うだけで気持ちを共有できる(と幻想する)関係だろうか。人が人を求め、人に求められる。幻想が確信となれば、それは人生において生きる心の支えになるだろう。
クレアが昔の恋人と再会するシーン。彼女が見つめると彼はだまって見つめ返す。50年の時を経て気持ちが通じ合う2人。ありえないと思いつつ、とても感動的なシーンでもある。クレアが昔の恋人と再会した後、今度はソフィーとチャーリーの恋愛がクローズアップされ、クレアがそれを見守る立場となる。 実はソフィーとチャーリーの存在は、観客たる僕ら自身とも重ねられる。クレアの恋愛ドキュメンタリーを見守る立場として、ソフィーとチャーリーと僕らは同じ視線を共有していたのである。ソフィーとチャーリーはクレアの影響を受けて、お互いを見つめ合い、そのことを確信することで、恋愛に踏み出す決意をする。僕らは知らず知らずのうちに彼らと気持ちを共有しつつ、自らの生活を思い返す。(映画としてそういう構造になっている)その時、僕らは映画を他人の恋愛を非日常的に傍観するのとは違う、より日常に引き寄せた心持ちとして体験し、見つめるべき人の姿を想い、そこに人生に対する新しい希望を見出すのである。(見い出せない人もいるだろうけど。。) だから僕は、この映画を通常の恋愛映画とは違う、寧ろ人生讃歌と言いたいのである。 |
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