10.2010年、日本国内を席巻したトピックスの一つとして挙げられるのは、小惑星探査機「はやぶさ」の帰還だろう。
それまで見向きもしなかったものに対して、突如として熱狂することは、善し悪しは別として昨今の日本人の特色だ。
このトピックスで日本中が沸いた際、何かのメディアで評論家が興味深い“不安”を口にしていた。
それは、無人探査機が地球から遠く離れた小惑星から採取したその「物質」が、地球の生態系において全く無害で、人類の科学技術で管理できるものだと、誰が断言できるのかということだった。
大多数の賞賛の中で、その空気の読めないコメントは、特に取り上げられることもなくスルーされた。
だが、その“不安”は、充分に考えるべき要素だと思った。
そして、それに極めて類似する不安要素を、このマイケル・クライトン原作の映画作品に感じた。
映画として優れた娯楽性を見せる作品とは言い難い。
宇宙から飛来した謎の病原体を、4人の科学者たちが深い深い地下の秘密施設で研究し続ける映画で、作中の科学者たちと同様、延々と繰り返される終わりの見えない研究室の風景には、退屈感が蔓延する。
主要キャストの4人も、オジンとオバンばかりで格好良さがまるで無い。
謎の物体が、突如として真の姿を現し始める瞬間など、スリリングな場面は幾つかあるのだが、もっと娯楽性高く映画全体を魅せる方法はいくらでもあるように思う。
ただ、今年「はやぶさ」に対する安直な熱狂があったからこそ、この映画が描き出す「恐怖」は、実はすぐそこに迫っているのではないかという緊張感を増幅させる。
そう考えていくと、分かりやすい娯楽性なんてこの映画には必要なく、延々と続く研究シーンと同じく、「未知なるもの」に対する実態の見えない分かりにくさこそが、「本質」なのだとも思える。