《改行表示》13.《ネタバレ》 いや~、コレは確かに好く出来てる…95分の映画で、今作より好く出来てる脚本てェのはちょっと他に思い付かないな…… 三島由紀夫がギリシア悲劇の如し…と評したらしいですが、確かに登場人物の行動原理ってのは何れもごく非常に古めかしいのですよね。中盤の桜町弘子や三上真一郎が特にそんな感じだと思うのですが、そんなトコロで命まで張らんでもエーやろ!とゆーのが(現代では)ややもすると「愚かさ」にも見えて来るのかも知れない…とは、私も確かにそう感じるのです。でも、コレは恐らく彼らの中で「自分の命」とゆーのが(当世とは比較できない程に)限り無く軽く、翻って逆に「筋を通す」とゆーコトが地球と同じ位に重い…という、この点こそが私には今作で最も「古典的」で、かつ「古典的悲劇的」なコトだと思われたのですよね。日本のこの時代のヤクザの世界こそ、そーいった古典的悲劇的「価値観」を描くのに実は打って付けだった…というコトそのモノが今作における一番重要な発見だったのではねーかな、と。そして、例え悪人=筋の通らない連中が非業の死を遂げてもソレは悲劇にはならないのもまた確かで、他方、作中で悲劇的に死んでゆく者達には何らか精神的な「負い目」が皆キッチリ用意されている、その意味では彼らは総じて「筋が通っている」人達なのだから、その彼らが揃って虚しく死んでゆくこの物語は立派に悲劇なのだ、と⇒若山富三郎はおろか名和宏すらも(結果的には)筋を通して死んでゆく…とゆーのは、構成としてこの上無く美しいな…と。 唯2つダケ、私が今作で批判しても好さそうかな…と思ったのは、一つは余りにも脚本の完成度が高すぎる故に(特に終盤が)逆に「出来すぎ」になってしまっている…という(どーしよーもない)部分ですかね。あくまで個人的な感覚ですがその終盤は、少なくとも曽根晴美と三上真一郎の殺し合いはオミットしても好く、あと寧ろ藤純子が湯ヶ島に来ちゃうのも少しやり過ぎだったかもな…と思いましたかね。まあ、どっちのシーンも単体での出来はまた素晴らしいし、かつ藤純子のシーンはオーラスのキメ台詞にも見事に掛けて来てるのだから(どっちも)ウマくやれてない、なんてコトは微塵もない⇒だから却って私のこの指摘の方こそが蛇足と言うべきヤツ…だとも(自分でも)思ったりはしてしまいますケド。。 もう一つ、今作はまた余りにもその任侠の任侠たる精神性を描き抜くという「非・娯楽的」な要素が強すぎて、娯楽映画としての任侠ものには(多分)なってないと思うのですよね。確かに、このジャンルでは頭抜けた傑作だと思いますし、多少この手の(単なる勧善懲悪ではない)作品の比率が増えていたとしても全然好かったとも思うものの、ソレでもこーいうヤツばっかだったらちょっと皆疲れちゃっただろーな、なんて思ったりもして…あくまで私個人としては、娯楽映画としての任侠映画の方が好みっちゃあ好みではありますかね(⇒ソコのバランスはワリと重視したい)。 【Yuki2Invy】さん [インターネット(邦画)] 9点(2023-11-03 11:30:27) |
12.残念ながらジャンルと時代の壁を超えて評価される作品ではないと思います。三島由紀夫がギリシア悲劇のようだと評したらしいですが、悲劇として見ると金子信雄というわかりやすい悪役がいるのはダメだと思います。例えば、ギリシア悲劇の代表作オイディプス王がどういうお話かというと主人公オイディプスが父親殺しの犯人を捜していたが、その犯人は自分自身であったと突き詰めてしまい自分の眼を潰すというストーリーです。悲劇として成立するためには外部からの介入により苦境に落とされるのではなく、主人公の内部にこそ罪が潜んでいるというのが重要だと思います。悪役を退治すれば解決してしまうならば、人の業や運命を描いた作品とは言えないでしょう。一応鶴田浩二は任侠道という自分自身の規範によって破滅していくのですが、金子信雄が裏で策謀しなければこのような破綻は起こらなかったわけでそこが悲劇としては弱いのです。単純に今の日本人にとっても任侠道なる価値観が共感しづらいというのもあります。しかし一方で悲劇として十分に成立しなくともそれはそれで十分という気持ちにもなります。鶴田浩二と藤純子はこれ以上にないはまり役でとても美しく撮られています。あくまで二大スターの美しさを堪能する時代がかったメロドラマとして観れば悪い映画ではないです。 |
《改行表示》11.若山富三郎演じる松田の単細胞ぶりが、もう素晴らしくって(笑)。 いや彼に限らず、登場人物みなそれぞれが素朴な信念のもとに行動し、見事なまでにスレ違い、ボタンの掛け違いを繰り返して、物語を織りなしていく。破滅という名の悲劇へ、悲劇という名のパラダイスへと、否応なく突き進み、観始めたらもうやめられません。 各自の行動が次々に皮肉を生み出していく流れは、出来過ぎと言えば出来過ぎで、危ういバランスの上に立っているとも言えるのですが、その流れをしっかりと支えているのはやはり、役者それぞれが持ち味として発揮している、芸、ですね。鶴田浩二しかり、若山富三郎しかり、名和宏しかり。しかし何と言っても桜町弘子ですね、ホント。藤純子は少しワリを食っちゃったかもしれません。それぞれが演技を通じて、自分の信念を体現して見せることで、物語は、単なる図式的なものではない、血肉の通ったものとなりました。金子信雄の独特の顔芸は、さておき・・・。 【鱗歌】さん [CS・衛星(邦画)] 9点(2018-09-29 16:34:04) |
10.《ネタバレ》 東映任侠映画の中でも三島由紀夫が絶賛した不朽の名作と言われている映画で、以前から気になっていたのだが、ようやく見ることができた。ストーリーは任侠映画によくある跡目をめぐる問題を描いたものなのだが、主人公・中井(鶴田浩二)が跡目問題で苦悩し、ついには兄弟分の盃を交わした義弟でもある松田(若山富三郎)に手をかけなければならなくなるという重い悲劇にまるでシェイクスピアでも見ているかのような見事さを感じたし、中井にだけは自分の気持ちを分かってほしかった松田を思うと切なくて仕方がない。仙波(金子信雄)にいいように利用された上に重傷を負わされてもなお立派に二代目としての責任を果たそうとする石戸(名和宏)にも感動させられた。そしてそんな石戸が虫けらのように殺されてしまう展開も悲しい。中井に言われて音吉(三上真一郎)を匿っていたつや子(桜町弘子)が松田の熱意に押されて音吉を引き渡したあとに自らの命を絶つのもつや子の葛藤を考えると泣けてくる。また、その後の雨の中のつや子の墓のシーンで音吉が中井に向かって土下座するシーンは絵的にも美しく印象的だったのだが、やはりここも音吉に感情移入させられてしまった。それから離縁した松田の妻・弘江(藤純子)を宿に呼び寄せたのも音吉の気持ちが痛いほど伝わってくる。そこで弘江が実の兄が夫を殺す場面を目撃してしまうというのもなんとも言えない悲劇だ。「人殺し」という弘江のセリフが胸を打つ。これがあるからラストの中井の「俺はケチな人殺しだ。」というセリフが生きてくる脚本の見事さ。男たちだけではなく、女性側もしっかりとドラマを描いて見せたこの笠原和夫の脚本には本当に隙がないし、山下耕作監督の演出も文芸映画のように格調高く、単なる任侠映画に納まらない深さを持ったまさしく名作と呼ばれるに相応しい本当に素晴らしい映画だったと思う。 【イニシャルK】さん [DVD(邦画)] 9点(2015-06-06 17:45:04) (良:2票) |
9.○仁侠映画の金字塔。 ○「何といふ絶對的肯定のなかにギリギリに仕組まれた悲劇だらう。しかも、その悲劇は何とすみずみまで、あたかも古典劇のやうに、人間的眞實に叶つてゐることだらう。」 ―― 三島由紀夫は『博奕打ち 総長賭博』をこのように絶賛した。この「ギリギリに仕組まれた悲劇」を書いたのは笠原和夫。のちに『仁義なき戦い』の脚本を書いた人である。『総長賭博』には無駄なセリフが一つもない。そしてそのセリフによって末端の登場人物までが活きている。 ○私はこの映画を、1970年代の終わりごろ、たまたま訪れた瀬戸内海の因島で観た。館内には造船所で働くおっちゃん ―― だと思う。九州弁で喋っていたから。 ―― がいたが、鶴田浩二が三上真一郎を叱る、雨の墓地の場面で、このおっちゃん、嗚咽の声を漏らした。ハア、ツルタコージハヨカネェ。実は嗚咽こそしなかったが、私も泣いていたのである。 ○監督は、股旅映画の傑作『関の彌太ッぺ』 を撮った山下耕作である。股旅映画と仁侠映画。すべての日本人の最深部を流れる共通の心情は、この二つのジャンルでしか表現できないのではないか。と私は考えるのです。なーんちゃって。 【火蛾】さん [映画館(邦画)] 10点(2014-12-14 02:32:09) |
8.松田と音吉のあまりの浅はかさにイライラのし通し。こんな輩を相手に一人もがき苦しみながらも筋を貫き通した中井の生き様が「私怨」と呼ばれる事に、当然だと思いつつもうら悲しさも覚えた。鶴田浩二絶品の一作。惜しむらくは金子信雄のヒゲ。なんか、こう、子供相手の駄菓子屋さんのオッチャンに見えて高ぶった感情がその都度盛り下がってしまった。 |
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《改行表示》7.《ネタバレ》 仁義なき戦いをはじめとする実録路線からヤクザ映画を見始めたので、戦前の関東ヤクザものには苦手意識があったんですが、さすが笠原シナリオ。 談合ばかりで爽快感こそないものの、絶妙な人間関係が織りなすドラマにすっかりヤラれました。 三島由紀夫が絶讃するわけです。 悲劇的な展開によくある不自然さがない。 そして、笠原シナリオに注目されがちやけどオールスターによる演技合戦も素晴らしい。 鶴田浩二のなにを考えてるのか分からない抑え目の演技。 「誰かが絵図描いてやがる」と言っても視聴者にはまるわかりの金子信雄。 金子信雄が出てるだけで安心してしまいますね。 まぁやっぱ松田こと若山富三郎だな!この人がいる、いないでは緊張感が違う。 演技とわかってても怖い。 任侠を否定する任侠映画。 素晴らしい! 【CBパークビュー】さん [DVD(邦画)] 8点(2014-04-30 20:43:30) |
《改行表示》6.《ネタバレ》 かっこつけすぎだぜい!と言いたくなるほどの撮影、カットに惚れ惚れ。 仁侠映画というジャンルのルールを逆手にとったストーリー展開の隙のなさにメロメロ。 ラストで主役の鶴田浩二に突きつけられるナレーションの無情と、鶴田のあの行為。音楽の入り方のタイミングの巧妙さ、名和宏が他の映画と比して抜群にかっこ良い等の役者の見せ方。もがけど沈んでゆく鶴田の姿には監督、脚本家、主演男優の方向性の一致を見たり。と、もう10点!と言いたい映画です。 だがしかし、私はこの映画に10点つけられんとです。堪忍です。何故か。全く個人的な理由によります。この映画の悪役である金子信雄の顔芸が気になってしかたないのです。彼が出る度もうあの顔芸が気になって気になって、映画の本筋から脱線したところで楽しんでる自分がいるのです。仁義なき戦いだと脱線しないんですよねえ。ごめんなさい。この映画も金子信雄も大好きです。差し引いても9点。 【マッイヤ~ン】さん [映画館(邦画)] 9点(2013-07-31 21:49:07) |
《改行表示》5.任侠映画である。任侠映画、ヤクザ映画に詳しい訳ではないが、 これは任侠映画であってそれ以上でもそれ以下でもないでしょう。 男の意地の張り合い。兄弟分や親分子分との思惑のすれ違いにより 多くのヤクザが死んでいく。 だがあくまで任侠映画のフォーマットの中で送る出来事であり、 そこには取り立てて哀しさや悲壮感はない。 鶴田浩二がウルトラマンのように電車から飛んだのは驚いたが、 それ以外は退屈を感じるほど想定内の物語でした。 この映画の神話化に疑問を感じつつこの得点です。 【仏向】さん [DVD(邦画)] 5点(2009-12-05 23:29:51) (良:1票) |
4.《ネタバレ》 これは本当に凄い。今まで見てきた任侠映画の中でも文句なしの最高傑作!これを超える任侠映画はない。二度と作られることはないであろう!とにかく全てにおいて完璧である。この映画は任侠映画ではあるけど、単なる任侠ものではない任侠映画の枠を超えた素晴らしい人間ドラマだ!やくざ社会に生きる男と男を影で支える女の哀しくも切ないドラマである。今まで幾つもの任侠映画を見てきたが、任侠映画を見てここまで泣いたのは初めてです。鶴田浩二と若山冨三郎の兄弟の杯を交わした二人が跡目問題で悩み、苦しみ、挙句の果ては鶴田浩二が弟分である若山冨三郎を自らの手で葬るという悲劇、これは悲劇を置いて他には考えられない。中井(鶴田浩二)の苦悩、松田(若山冨三郎)の兄と慕う中井に対する気持ち、兄貴分である中井にだけは解って欲しい(欲しかった)その哀しさと二代目としての責任を全うし、自分が良いように利用されても最後までその責任を貫いた上に殺される石戸(名和宏)の苦しみ、そして、誰も書かれてないのは何故?何故みんな音吉のことを書かないんですか?男の私としてはあの音吉に思い切り感情移入させられてしまった。雨の中、鶴田浩二に向って土下座する音吉、中井と松田の二人の仲を何とかしようとする音吉、そんな音吉が身体を張って中井に殺される場面、「これで俺も姉さんの所に行ける」というあの台詞に込められたその思い、音吉の男としての苦しみも私にはどうしようもなく泣けてばかった。そうそう、男社会の中にあって哀しくも自らの手で命を絶った女を演じてみせた桜町弘子のことも忘れてはならない。桜町弘子のつや子姉さんのことを思うとこれまた泣けてくる。この映画は最初にも書いたように単なる任侠映画ではない人としての生き様、男と男、男と女、様々な葛藤、苦しみを格調高く美しく描いてみせた素晴らしい人間ドラマだ!文句なし満点! 【青観】さん [DVD(邦画)] 10点(2008-06-27 21:30:02) (良:2票) |
《改行表示》3.《ネタバレ》 ヤクザ間の抗争を描いた群像劇であるが、なかなか見応えがあった。 主演の鶴田浩二をはじめ、脇役陣の熱演が光る力作である。 【にじばぶ】さん [ビデオ(邦画)] 7点(2008-05-24 21:34:01) |
2.《ネタバレ》 博徒としてあるべき「任侠道」を押し通せば通すほど増大する悲劇を格調高く描いた日本任侠映画の最高傑作。今は無き新宿昭和館で見た時の胸震える感動は忘れられない。【追記】これはこの後没落してゆく任侠映画ジャンルの鎮魂歌=レクイエムである。それは「任侠道」の時代遅れな面、そしてこれから来るべきヤクザ映画の流れを脚本の笠原和夫が見抜いていた、その先進性に感嘆せざるを得ない。この映画では任侠映画の考え方が現実に則さない、絵空事であるということを示し、頑なに「博徒としての任侠道」を守っていった役者全てに破滅の道を歩ませた。その反面現実に則した「ヤクザとしての生きる道」を選択した仙波(金子)の方が完全にうまくやっている。「任侠映画」としては滅び行く漢の生き方に涙し感動するのが普通だが、そんな観客の心を見透かすかのようにこの映画はラスト中井(鶴田)の判決文として博徒が守るべき「任侠道」を遵守した事を「博徒間の私怨」というつまらない理由で説明し映画の幕を閉じるのだ。後年笠原はそんなきれい事ではすまないヤクザの生き様を描く「仁義なき戦い」に関わってゆくがそれは偶然ではない。ちなみにこの映画でも最後まで上手くやるのは、皆さんご存じの通り「山守=金子信雄」であった。 【Nbu2】さん [映画館(邦画)] 10点(2006-04-15 00:03:58) |
1.三島由紀夫が (文字化け)雨の墓場)で、くすくす笑い出した。緋牡丹博徒を英国で上映したら失笑をかったという記事を何かで見たが、今の世代と我我は、外国人と同じくらいに差がるのかも。名和宏、桜町弘子という脇役に一世一代の名演技をさせた、山下耕一監督の手腕をたたえたい。 【ちょうじ】さん 9点(2002-08-09 15:58:05) (良:3票) |