35.なんだかとてもふしぎな映画で、一回目観て、「良い映画だな」と思う反面、「一体何が良いの分からない」という、この映画の世界観の中を浮遊するような感覚を覚えた。
しばらく経っても、ふわふわと落ち着かなかったので、160分のこの長い映画をもう一度観た。
二度目は、160分なんて時間をまるで感じず、終始居心地良くすんなりと観終わることができた。
結果、ふわふわとした浮遊感はそのままだったけれど、その部分こそが、このふしぎな映画の愛すべき価値そのものであり、主人公横道世之介の魅力だと思う。
人生においては、ささやかな出会いと別れが無数に繰り返される。
その出会いの中で、自分の人生を左右する程の喜びや感動に巡り合えたとしても、時の流れは、それらを記憶の片隅へと追いやり、仕舞い込む。
時の流れは無情で、取り返しのつかない喪失を伴う場合も多かろう。
あんなにも輝いていた思い出なのに、どうして今の今まで忘れてしまっていたのだろう。と、人は思う。
でも、思い出すことで、その思い出は色褪せることなく再び輝き始める。
忘却してしまっていたことが不幸なのではなく、思い出せることが幸福なのだということを、この映画は眩いばかりの輝きの中でしっかりと伝えてくる。
長い映画であることは間違いない。ただし、その中には愛しくて仕方ないと思えるシーンが溢れている。
僕は今32歳だが、おそらくこの先観返す度に、その眩さと愛しさに更に涙が溢れることだろう。
いろいろと語りがいのある映画なのだが、何よりも特筆せざるを得ないのは、吉高由里子が演じたヒロインの存在。
この特徴的で同時に繊細な心持ちのバランスを孕んだヒロイン像は、たぶん、他のどの女優が演じても、見ていてただただ気恥ずかしいばかりのものになってしまっただろう。
夢を見ていると、その世界の中で、説明はつかないがどうしようもなく魅力的な女の子が登場し、目が覚めても彼女に対する恋心が消え去らないということがしばしばある。
この映画で、吉高由里子が演じたヒロインは、まさに夢が覚めても忘れられない存在そのもだ。
彼女が演じた与謝野祥子にまた出会うために、僕はこの映画を再び観るだろうとも思う。
ともかく、また一つ愛すべき青春映画が誕生したことは間違いない。
そして、“大人になりかけ”の若者の青春群像に、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの楽曲はよく似合う。