5.「別れなんてない」
そう言い残して一人走り去るドミニク。そんな彼を追ってきて、真っ白のスープラでいつものように横に並んだブライアンの姿は、果たして現実だったのだろうか、幻影だったのだろうか。
「さよならも言わずに行くのか?」と笑顔を見せるブライアンに対してのドミニクの表情には、喜びと悲しみが等しく入り交じっているように見えた。
シリーズ7作目。
当然ながら“一見さんお断り”の今作を、封切り早々に観に行く“ファン”としては、とてもじゃないが、ラストのシークエンスを涙なしでは観られなかった。
とはいえ、この映画は「ワイルド・スピード」である。映画の9割以上は、突っ込むことが馬鹿らしく思えるくらいに大味なストーリーテリングと、大仰なアクションシーンのひたすらな連続である。
ただし、その「大味」と「大仰」は、このシリーズが7作品を通じて培った娯楽性の“境地”であり、否定の余地は微塵もない。
一介のストリートレーサーだった主人公とその一味が、シリーズを追うごとにアクションヒーロー化し、ついには某スパイアクション映画を彷彿とさせるほどの極秘任務を担う。
フツーなら“あり得ない!”と一蹴されるべきプロットを、堂々とまかり通してしまう。それを成すものは、このアクション映画シリーズが導き出した奇跡的なエンターテイメント性に他ならないと思う。
この「7」は、あらゆる側面で「奇跡」そのものだ。
前作のラストで突如登場したジェイソン・ステイサムを最恐の悪役に配し、ヴィン・ディーゼル、そしてドウェイン・ジョンソンと、あまりに“肉厚”な肉弾戦を繰り広げる。
“アクションスター”というステイタスの価値が低迷して久しいが、それでも“現役”トップスターである三者の揃い踏みは、あまりに豪華だ。
また、ミシェル・ロドリゲス好きとしては、前作のジーナ・カラーノ戦に続き、またしてもプロ格闘家ロンダ・ラウジーとの“連戦”はたまらなかった。
そしてもちろん、最後に言及したいのは、ポール・ウォーカーだ。
俳優の死は、いかなる時も映画ファンにとって不幸以外の何ものでもない。
今作のクランクアップ前に急逝したもう一人の主演俳優の死は、あまりに大きな損失だった。
ただ、彼の死が、この映画に特別な意味と価値を与えたこともまた事実であろう。
ド派手なカーアクションの追求の果てに、今作ではついに自動車が“空を飛ぶ”。
「SKY MISSION」は後付の邦題ではあるが、今作の主題であるその要素は、天国へと旅立った主演俳優の姿に重なってくる。
映画は、総合芸術であり総合娯楽だ。
その「総合」という言葉には、そこに携わった人間の“人生”そのものも含まれるのだと思う。
一人のスター俳優の生き様と共に、今シリーズはこの先も愛され続けるだろう。
今宵は、ポール・ウォーカーの冥福を改めて祈りたい。
もちろん献杯は“コロナビール”で。