11.実は、数日前の休日の束の間、自分の体調の悪さとそれに伴う眠気を省みず映画館に入り、この映画を“うつつ”の中で観てしまった。
とは言っても、眠りこけてしまったというわけではないし、ストーリーの大筋は理解出来ていたので、「まあ面白かったな」という印象のままやり過ごしてしまおうかとも思った。
また、“うつつ”という状態が、主人公が生と死の狭間で半強制的に与えられた「時間」を繰り返すというこの映画の世界観とも何となく類似しているような気がして、そういう状態で観た映画として記憶しておくのも悪くないかなとも思えた。
ただ、そういう思いと同時に、強く後ろ髪を引かれる感覚もしつこく付きまとった。
映画ファンとして、この映画の本質を不明瞭に捉えたまま過ごすことは、とんでもない後悔に繋がるかもしれないという「予感」が最終的には先立ち、結局、再び映画館に足を運び観直すことにした。
結論としては、観直すことを選択して良かったと思う。「まあ面白い映画」ではなく、「とても面白く、とても好きな映画」だった。
映画ファンとしてというよりは、SFファンとして、この映画の本質を捉えきれないままでいることは不幸なことだったと思う。
まるで上質なSF短編小説を読んでいるような映画世界が文句無く素晴らしい。
クオリティーの高い映像世界を目の前にしながら、余分なディティールを削ぎ落とした短編小説の文体が、そのまま脳味噌の中に流れ込んでくるような感覚を覚えた。
“うつつ”の中で繰り返される8分間という時間。半強制的に与えられたこの時間の中で、主人公の男が見出したものは、“幾重”にも生み出した新しい世界の価値は如何なるものだったのか。
果たして、彼の運命の結末にあったものは、悲しみだったのか、喜びだったのか、それとも結末すら無かったのか……。
そういうことをつらつら考えていくことに、本当の“面白味”を見出せる映画だと思う。
そんなことを考えながら上映館を出た時、ふと目の前の風景に激しい既視感を覚えた。
まさか自分も同じ時間を繰り返しているのか……、と一寸の間呆然とした。
しかし、三日前に同じ場所で同じ映画を観たのだから「当たり前だ」と、すぐに気付いた。