2.《ネタバレ》 この映画は長年の課題だった。薦められてもう7年近く経とうか。実際に観てみると予想以上の違和感だった。
端的に言うとこの映画はテロリズム容認の映画だ。ここでいうテロリズムとは不合理と思われる理由で人が殺されたり、暴力を振るわれるのを良しとする思想だ。この視点が徹底されているのは、ある意味で筋が通っているが、明らかに間違っているし、これが認められてはかなわないと思う。
上記の問題点(?)が最も分かりやすいのは、真が直樹を警察署に連れて行くシーンと秋彦を殴り倒すシーンだろう。まず、直樹を警察署に連れて行くシーンだが、真の直樹に対する思い入れがすごい。全然彼を責めない。人質経験のあるものはかなりの確率で人殺しになるということが前提になっており、そうなっても仕方が無いかのような映し方だ。真の知り合いの圭子さんも直樹に殺されたというのに。これは最早驚異の世界である。少なくとも僕は自分の知り合いを殺した人に触れたくないし、関わりたくない。死刑になるかならないかに関わらず、早くつかまって欲しいと思う。それ相応の罰を受けて欲しいと思う。
2番目は真の秋彦に対する仕打ちだ。真は秋彦を殴り倒し、バスから降りることを強制する。真の言い分には分かるところも確かにある。しかし、話し合いも無しに、彼は秋彦を殴り倒す。この描き方に価値観はないと人は言うかもしれない。しかし、この映画は明らかに真を好意的に描いていることは誰も否定できまい。彼の間違いは映画内で否定されるべきだし、それが無いのであれば、その行為が肯定されたと見なしてもおかしくは無いだろう。直樹と秋彦のどちらが一般市民に与える害が大きいかを考えると、これは怖ろしいことだ。
要は、私が言いたいのは、この映画は結果的に「暴力」を容認しているということだ。金を取ろうとする親戚は悪いが、純粋な思いで人を殺すのはかまわない。そういう極めて短絡的な心情論が先行した映画なのである。結果ではなく過程を重視しすぎた結果がこれだ。「被害者の癒し」とか「いたわりの眼差し」とかはそんなに重要なことじゃない。人間の責任はまずは結果にあり、そこから必要であれば過程を問うべきだと僕は思う。
最終的に映画が長いとか長くないとかはどうでもよい。「面白くない」わけじゃない。「許せない」から僕は0点をつけるのだ。