2.先ず、この作品を創ってくれた事、出会えた事に感謝したい。 「さすらい」を観てから、自分の中の“映画を観るスタンス”を改めて軌道修正する切っ掛けになった。本来娯楽である『映画』をどこかで、堅苦しく考えがちだったから。理屈で映画を観るわけではなく、知識が無くては映画を楽しむ事が出来ないわけでもない。“頭で観る”のではなく、『感じる』..これが、この作品を観た事で、甦った。「さすらい」自体もまた、理知的に理解してゆく類の作品ではなく、人間の本来持った自然的な面を受け皿にするべき作品。
序盤から、徐々に身体に染みてくる情景の素晴らしさ。過ぎるミラー越しの風景は不安も希望もモノクロームの色合いに柔らかに織り込まれている様だ。
ブルーノの旅は紙に書かれたコースを巡回すること…最後の映画館を後にすれば、また振り出しへもどる。変化のない歪な円を描く旅路。ロベルトの旅は元いた場所から離れる..逃げること…どんなに離れようとしても、気持ちは足の向く方向とは逆に向いている。
2人は前進しながら、それぞれ前に進もうとはしていない。まるでゴールのない双六だ。 やがて、道は行き止まり..『分岐点』の出現。そして、再び動き始める。糸は一刹那一つに縒り合わさっただけ、元に戻るには程無い。旅は終わることなく、2人の軌跡は交差点を残して伸びてゆく…それは、あてどない行き道のほんの一部でしかない。