10.《ネタバレ》 暗い青春を過ごす者にとっては、暗い時代がどこまでも続いているように思える。学校という空間の閉鎖性ゆえに、ある者は引きこもりになり、ある者は自殺を試み、そしてある者は、精神を病む。だが、ある時何かに気づけば、一変して世界が輝いて見える。そう、外にも世界は広がっているのだ。
この映画は、「闇」を見れば、自己犠牲の悲しい物語。謎に支配され抜け出せない。しかし「光」を見れば、妄想から抜け出す、希望に満ちた物語。その二重構造は、まさに、青春映画の傑作にふさわしい。ここではこの映画の光の話について。
映画の冒頭、主人公は目覚める。現実世界と離れて妄想世界に逃げ込み、そこで目を覚ましたことの表明だ。つまり、妄想の世界の住人になった。この映画がすべて妄想の産物だとしたら、映画の中で、起こっていることは、こうなって欲しいと創造主が思っていることや、非科学的な現象ばかりでも良い。タイムトラベル(過去に戻りたい欲求)、母親に愛されたり、いじめっ子に屈しなかったり、片思いの相手が自分のことを好きだと言ってくれたり。願望やトラウマなど潜在意識がドラマ化したもので構成される。
この妄想の創造主は、その後、自分の精神的世界の中で、現実に戻る方法を見つける。つまり自我を取り戻すこと。恐怖セラピーのビデオの女は、鏡の中を覗けば、そこには自我が居たと言った。主人公が鏡を覗いたとき、そこにはウサギがいた。その名もフランク。
終盤で、主人公は、地下室の中に導かれる。地下室とは心の中のメタファー。そこで彼がやったこと。
フランクを殺すこと(過去の自分との決別)
そして、恐怖の克服(いじめられた恐怖に正面から戦いを挑むこと)、
愛の克服(愛を求める対象を適切に選べるようになること)
その後、彼は自己犠牲の死を遂げる。
妄想の世界では、自己犠牲の死というものが、まったく違う意味を持つ。
肉体の終わりではなくて、妄想の終わり、新しい世界の始まり。
なぜラスト3人が手を振っていたのか。母親、好きな子、少年時代(?)に別れを告げたと解釈することもできる。
この映画の光は、アイデンティティを獲得する物語。
孤独な妄想世界に別れを告げる壮絶な戦いの記録。
鬱屈した青春に捧げる魂の鎮魂歌。
妄想から目を覚ましたこの世界の創造主は、ベッドから起き上がり、新しい人生を始めているのではないだろうか。