2.「逃げる」ということは、大抵の場合否定される。「逃げるな、負けるな」ということを言われ続けて生きている人がほとんどじゃないだろうか。
果たして、それが正しいのかどうかは分からないけれど、この映画の物語が描いているのは、まさにその当然とされる風潮へのアンチテーゼだ。
首相暗殺の陰謀に巻き込まれた主人公。ひたすらに逃げ続ける主人公に対して、彼を知る周囲の人間は、「逃げろ、勝とうとするな」と彼に言い続ける。
無実の人間が巨大な陰謀に巻き込まれるというプロットに、通常求められることは、「報復」そして「真相解明」である。
しかし、この物語は、主人公が苦難を乗り越えながら、巨悪へと立ち向かうという予定調和を無視し、ひたすらに「逃げる」ということのみの描写を貫く。
「逃げる」ということを肯定し、それを真っ向から描く究極の逃亡劇の中に、主人公の運命と周囲の人間との”関わり合い”を織り交ぜ、最高のエンターテイメントを描き出したことが、伊坂幸太郎の原作の凄さだ。
面白い原作に対してその映画化が成功する可能性は、実際極めて低いと言わざるを得ない。それが娯楽作品であれば殊更だろう。
原作を読み終えた時に、「映画化するなら主人公役は堺雅人だな」と思い、その通りの配役が実現した報を聞いても、期待をする反面、危惧は拭えなかった。
が、その危惧は、主人公が逃げ始めた途端に、ものの見事に一掃された。
ほぼ完璧な伊坂幸太郎原作の映画化作品だと思う。
何よりも良かったのは、やはり「配役」だ。個人的に熱望した堺雅人はもちろん良かったが、脇を固めるその他の俳優達が、見事に原作に登場するキャラクターに適合していた。
原作が素晴らしいほど、その映画化作品には違和感が生まれるもので、どうしても居心地の悪さが生じることは多くの場合否めない。
しかし、ベストな配役と、原作の世界観をきちんと踏まえた演出により、非常に居心地の良い映画世界を構築してみせたと思う。
予想以上に完成度の高い映画世界の中で、とても幸福な時間を過ごすことが出来た。