1.《ネタバレ》 コレはジャン・ルノワールの「大いなる幻影」でのマレシャルとエルザの愛は果たして成就するであろうか?という問いへのアンドレ・カイヤットからの一つの回答とも言うべき秀作である。果たして第二次大戦中、実際に斯くの如き仏人捕虜の一般ドイツ家庭での”アルバイト”が行われたのかどうか私は知らない。が、イデオロギーや政治から一歩離れれば一般国民レベルでは本作のように深く理解し合えるに違いないと私は信じる。本作の何より素晴らしい点は、そうした”ささやかな庶民”レベルでの国際間の交流を見事に描き出していることに尽きる。戦後15年にして拭い難いドイツへの恨みも敵愾心も恩讐の彼方に流し去り、鮮やかにルノワールへの”返歌”を果たしたカイヤットに惜しみない賛辞を送りたい。シャルル・アズナブール、彼が演じる冴えない小男ロジェの素朴な温かみのある人物像はイケメン重視の今日びのハリウッドや日本の芸能界では絶対に出せない味わい深さだろう。彼は折角解放されパリに戻ったにも拘わらず、ドイツでの村長一家との人間らしい農村生活が忘れられず、彼を待つヘルガの元へ帰るべくラインを渡る方を選ぶ。「ありえない」「御都合主義」などと安易に言うなかれ。その布石は本作中の至る所にカイヤットは散りばめていたハズ。敗色の濃い戦局で遂に村長、次いで少年兵として村長の息子までもが召集される場面での別離の哀惜、村長の戦死が通知され病の床に倒れた妻をヘルガと看取る哀愁、数え上げたらキリがない。戦争映画というジャンルを考えた場合、声高に反戦を訴える方法論もあれば、ヒーローが戦場で超人的な活躍をする方法論もあろう。昨今で言えば、CGもしくは火薬の量で勝負!といった感じのド派手な戦闘シーンや酸鼻を極めるようなドギツイ残酷描写も反戦の方法論の一つには違いない。しかし、私は一切戦闘場面の無い本作のような映画の穏やかな方法論を断然支持する。残念ながらジョルジュ・リヴィエール扮するジャンの場面が些か冗長だが、アズナブールの好演だけで充分オツリが来る。ヘルガを演じたコルドラ・トラントフの美貌も忘れ難い。ルノワールとカイヤット、アズナブールに乾杯!!