2.《ネタバレ》 災害パニック映画好きとしては、是か非かは別にしてとりあえず“語りがい”のある映画であったことは間違いない。
映画史上において数多の災害パニック映画が存在し、その中でも特に名作の誉れ高い「タワーリング・インフェルノ」の“モロパクリ”映画であることに否定の余地はないけれど、同時にまず最初に評価しなければならないこともその部分だと思う。
パクリだろうが、類似品であろうが、れっきとした災害パニック映画として堂々と仕上げている事実に、アジア諸国の中では抜きん出た韓国映画界のエネルギーを感じる。
とういわけで、今作がちゃんとした災害パニック映画だからこそ、災害パニック映画ファンとして、大いに「苦言」を呈したい。
何と言っても気に入らなかったのは、“死亡フラグ”の処理の曖昧さだ。
描き出されるストーリーは、いい意味で捻りのない王道的なものなのだから、そのせっかくの“ベタ”さを徹底して欲しかった。
この手の災害パニック映画ではお決まりである序盤の群像の人物紹介シーンにおいて、善玉と悪玉のキャラクターたちが揃えられてくる。
観客としては、この序盤のシーンの時点で、「ああコイツは初っ端に死ぬな」とか「コイツは惨めな死に方をするな」とか、「この人は英雄死するんだろうな」とか、極めて不謹慎な予測をすることも、パニック映画を観る際の醍醐味である。
今作においても、割と分かりやすい人物描写で、きちんとその“死亡フラグ”は立てられていたと思う。
にも関わらず、最終的のその処理のされ方があまりにずさんだった。
特に悪役における“処理”が、とても気に食わなかった。
ネタバレになってしまうが、この映画では明確な悪役が幾人かいるのだが、その内の筆頭とも言える“二人(二組)”が、のうのうと生き残るという顛末は、パニック映画の王道的観点からしてみればあり得ない。
更にネタバレ覚悟で言及するならば、コメディリリーフとして一貫していい味を出していた“司祭さま”が死んで、高慢な“議員夫婦”(特に悪妻!)が逃げおおせるなんて、どんな神経で描いているのかとすら思ってしまった。
韓国俳優ならではの内面的な“濃さ”が効いて、善玉も悪玉も各キャラクターそのものには総じて味わい深いものがあっただけに、文字通りに“生かされ方”と“死なされ方”に対して大いに腑に落ちない点が残ってしまったことは至極残念。