1.スケッチブックに押しつけられて折れる鉛筆の力感や、ナイフで鉛筆の芯を
乱暴に削る動き。トマトや西瓜に包丁が入るその質感など。
巧いアニメーションではあっても、それが単なる現実の模写に留まってはいないか。
紅花摘みのリアリズムを見せつける『おもひでぽろぽろ』にしても、
幼少時代のシーンでは空を泳ぐといった奔放なアニメーションが
しっかり活かされているのに対し、
こちらが志向するのは向地性とでもいうべきものだ。
映画は重力を強調し、ヒロインは幾度も地面に突っ伏す。
それはいいが、アニメーションであるべき必然性はやはり低い印象である。
何よりも肝心の「動き」の面において。
和洋のキャラクター・舞台を違和感なく
共存させた世界はアニメならではの強みだろうが、
あの大波と風のシーンだけではいかにもアニメーションとして弱い。
そして、「美少女ヒロイン」以外のキャラクターの何と魅力の薄いことか。
世話になる夫婦も無口な男も、いくらでもドラマに絡ませようがあるだろうに。
登場意義すら見いだしづらい。
絵描きの婦人も、単なる種明かし説明の道具に過ぎないだろう。
成長のドラマならせめて、他者との関わりあいの中で主人公の成長を描いて欲しい。
ヒロインの「碧い瞳」への言及の段取りも、こうすればより映画的なのに、
という代案が簡単に浮かんでくる。
それでいいのか。