3.《ネタバレ》 ラストシーン、画面に広がる晴天と、そこに映し出された『すばらしき世界』というタイトル。
呆気ないほどに、しかしほぼ必然的に、三上は逝ってしまった。若い津乃田を除いて、残された人々は呆然としてこの状況を受け入れるしかない。これのどこが「すばらしき世界」なのだろう、と考えてしまう。これは皮肉なのだろうか。
しかし、冷静に映画を振り返ってみると、三上は幸運な人間だったとわかる。世間の風はいまだ冷たいが、それでも真心から彼に親身に接する人々がいた。三上にとってどこまで本意であったかはともかく、彼は職を得て、居場所を作ることもできた。世間は世知辛いが、人との暖かな繋がりや絆が途絶えるわけではない。その意味で、確かにこの世界はすばらしいのかもしれない。
一方で、三上について、見落としてはならない視点がある。彼は純粋であったかもしれないが、決して潔白であったわけではないということだ。劇中での明確な描写はないが、彼が犯した殺人について、同情の余地はあっても、とても正当防衛で済まされる状況ではなかったことが示唆されている。前後の場面から推察するに、三上は暴力衝動を抑え切れず、相手に対し過剰に反応した可能性が高い。そして劇中を通して、事情はどうあれ一人の人間の命を奪ったことに対して、真摯に反省している様子もない。
映画が三上に同情的に寄り添いながら、最後の最後で突き放す展開になったのも、自分の生き方や気質、過去の罪を真摯に反省しないといけないぞ、という意図が込められているのかもしれない。
三上に感情移入をさせつつ、彼を突き放すときは容赦なく突き放す脚本の展開、緩急の付け方が、緻密な映画であった。バッドエンドにもハッピーエンドのようにも見える、エンディングの余韻も素晴らしい。惜しい部分としては、ダレる場面がやや多い、一部の展開が非現実的、わりかし適当なロケハン。この三点である。ダレ場が多いのは、名のある俳優にわざわざ見せ場を用意するから(白竜、山田未歩、キムラ緑子、安田成美)。スーパーの店長と親しくなるくだりは、さすがに非現実的。あとけっこう気になったのが、ロケハン。舞台が足立区の設定なのに、台東墨田の風景がやたら映ったりするのはいかがなものか(スカイツリーを綺麗に映したいのはわかるけど)。あと足立は平坦な土地だから、そもそも坂は映り込まないぞ笑。
大枠としての物語が緻密な作風なのに、細部が適当だと、点数を下げざるを得ないという映画でもあった。