《改行表示》26.《ネタバレ》 先ず静かな映画と感じて、それ故に人々の感情の機微を感じることが出来る。 三人で囲んだテーブルを見て、何となく普通の人々で構成される家庭ではないと感じる。それがセラピーや家族の会話を中心に少しずつ明らかになっていく。謎解きのようでとても興味を惹かれます。 序盤は親子の溝があるのかと感じていたが、徐々に父親と母親の子に対する差が理解できてくる。そして母親に腹立たしさを覚えて、さらには怖さをも感じて大方の原因を悟ることが出来る。庭で横になっていた子のコンラッドを見て母親が庭に出てくるところを見るに、きっと母親も子と仲良くしたかったのだろう。でもやっぱり母子の会話は噛み合わない。写真撮影で子が声を荒らげて、普通を演じていたメッキが剥がれる。このシーンのインパクトの大きさは作品の静かさ故だろう。二人の関係はますます悪くなっていき誰も止められなくなる。 母親とセラピーの先生のコンラッドへの対応は正反対だと見えました。一方は感情を隠し本音を言わず父親のフィルターを通す。もう一方は気持ちと感情を露わにし思っていることを言葉でぶつける。母親のように気持ちを表せない人を、私自身も身近な人に感じることがあります。確かに母親は体裁とか過剰に気にする人として象徴的に描かれていますが、多くの人はそういうものが全くないわけではないでしょう。家族が特殊な状況にあってということを考えると母子両方の苦悩が理解でき切ない気持ちになりました。 カレンの両親の電話対応やセラピーへの母親の反応が印象的でした。精神疾患やセラピーをネガティブに捉えるのは良くないことということを改めて感じ、真っ直ぐ問題と向き合うことが大事であると感じます。今の時代にも通ずることで社会的にも意義がありますし、映画としても興味深く見ることが出来る素晴らしい作品でした。コンラッドが自らの力で歩み寄ろうとする姿は感動的です。 皆表面的に普通に見えても、背景を知ると普通って何だろうと考えずにはいられません。 【さわき】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2017-12-31 15:08:36) |
《改行表示》25.テレビ放送で初めて観たのが、中学生の頃だったか高校生だったか。激安のドンパチ映画がすべてだと思っていた私にとって、このあまりに地味なタイトルは、これは一度は乗り越えなければならない修験道だとも思えたのですが。 観てみりゃ別に退屈な映画でも何でもなくって、何だかむしろ、身につまされる。私も不器用な方で、上のきょうだいと比べられるのがイヤで、それでも何とか親に気に入られようとして、うまくいかなくて、ちょうどこの頃、母親とギクシャクしたりしてて。 そんでもって、この結末、ですから。 今になってみるとそれなりに、すべてが懐かしくもあり(沖田艦長じゃないけど)、でも、他人から理解されないもどかしさ、ってのは、この歳になっても逃れられないんだよなーとも思ったり。 それはともかく、本作。タイトルとは裏腹に、「普通の映画」という訳ではなくって、少々いびつな印象があります。作中では人物同士の「対話」に主眼が置かれていて、「行動」の描写が奇妙なほどに抑えられています。例えば、ティモシー・ハットン演じる次男が、何度かセラピストの元を訪れますが、診療所に向かうシーンってのは殆ど無くって、多くの場合いきなり、二人が対話するシーンへと場面が飛びます。だからこそ、次男が家を飛び出して走り出すクライマックスが、とりわけ印象的にもなるのですが。 そうやって、さまざまな形での「対話」が描かれ続ける。ちょっとやり過ぎかも知れない。「対話」以外の描写が希薄なもんで、おそらくは主人公にとって重要な存在なのであろう、「カレン」という女性の存在が、観てる我々にとってもうひとつピンとこない、などという事態も招いていたり。 そういったことも含めて、決して「普通」ではない、風変わりな映画だと思ってます。 【鱗歌】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2017-12-10 20:08:25) |
24.《ネタバレ》 まだ、若い時に一度見ましたが再度観賞。普通の人々の心理をさりげない演出で見事に映し出していた良作であると気づきました。かなり繊細な映画ですので、その繊細さを理解できるかどうかでこの映画の評価が決まると思います。現在、職場でこの映画の母親そっくりの人がいるので、次男のイライラがとてもよく理解出来ました。特に退部のシーンで母親と言い合いになる場面。「母さんが怒るのは人が自分より先に知っていたから」どうして退部したのか次男に理由を聞きもしない。フレンチトーストを捨てる場面といい、この母親は他人の気持ちなど考えたことがないのではないでしょうか?「人から私が幸せに見えるか」ばかり気にしている。だから溺愛していた長男が亡くなった悲しみも表せない。父親曰く「君は弱い人」だと言いましたが、私は「哀れな人」と思いました。次男が母親を抱擁するシーンですが、ラストやセラピストとも抱擁との違いを比べずにはいられません。この母親はわが子を抱きしめてやることも出来ないのです。そして、彼女自身もそんな自分に気づいたのでしょう。だから、何も言わずに去っていった。去っていくだけの理性があったのがせめてもの救い。離れて暮らすほうがお互いの為、なんて家族としては悲しいですね。 【果月】さん [地上波(字幕)] 8点(2017-12-03 15:12:10) |
《改行表示》23.普通の人々とは何か、きっと「普通」というものは現実的ではない。 映画の中で人物が丁寧に描かれていて、若い時はこの物語が退屈に思えたが、今観るとなかなか心に響くし、最後の場面に考えさせられる。 【simple】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2017-11-23 19:43:52) |
《改行表示》22.《ネタバレ》 なかなか面白い映画でした。 母親と次男の葛藤がこの映画の中心だと思いますが、 この「支配的」で「完璧主義」な母親については、いろいろ考えさせられました。 完璧を求めるが故のもろさというのか。 息子が食べないフレンチトーストを捨てるシーンや、水泳部を退部したときの口論。 夫が葬式での違和感を告白したときの異様なまでのとりみだしぶり。 よくよく考えると、この母親がほかの誰よりも、些細なことで動揺していた気がします。 コントロールしたがる人間の宿命なのか。 世間体のためにその場を取り繕うことに必死で、本当の平穏にたどり着けない。 しかも、自分は十分努力していると考えているから、他人の意見にも耳を貸せない。 最後まで見て、でもこういう人って案外身近にいるよなぁ、なんて思ってしまいました。 |
21.《ネタバレ》 観終わってからなんとか頭の中を整理しようとしてもなかなかまとまらない。人の心の脆さ、人の関係の危うさがみごとに描かれていて、最後まで引き込まれて観てしまうのだけど、母親にもなんらかの言い分があるのでは…とずっと見ていたので、もやもやしたものが残ってしまった。けれどみんなのコメントを読んでいてやっと納得できた。母親をはじいてしまうことによって終わるのですね。こういう最後しかないですね、やっぱり。 【柚】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2014-06-15 19:18:23) |
20.問題が色々とあるのに、日常といえば日常だった。それだけ共感できる部分も多いんじゃないかと。 【デフォルトモード】さん [DVD(字幕)] 8点(2009-01-23 19:41:17) |
《改行表示》19.《ネタバレ》 「カノン」で始まり、「カノン」で終わる。ホントにいい曲ですね、この曲。晩秋~初冬の物語の風景に絶妙にマッチしている。 学生の頃初めて観て、今回約10年ぶりに再鑑賞しましたが、前回鑑賞で抱いた印象とまるで違っていました。子供を持ったからでしょうか、親の視点・感情がすごいよく伝わりました。長男を事故で失ったことで崩れだした家族の絆を最初から最後までフラットに描く脚本が見事。家族に面と向かって「I LOVE YOU」って言える欧米の家族的風土がうらやましいなと思ったり。自分はオヤジに「愛してる」なんて照れくさくて死んでも言えません(;´∀`) 家族とはいえ一個人同士。家族でも心の内面をすべて把握できないなかでバランスをとって支え合って生きていく。そのバランスがアクシデントで壊れた時崩壊が始まる。次男が、家族ではない赤の他人であるセラピストによって自己の激しい葛藤から立ち直ることができた、しかし立ち直ったところで実は母親も心が病んでるからうまくいかない。ってところにこの家族の問題性を浮き彫りにし、そしてその状況は実は当時のアメリカ社会ではごく普通のことである(どの家庭でもありえるありふれたこと)、ってことをレッドフォードは言いたかったのかなと思いました。とにかく家族について考えさせられる映画です。 【瓦斯コイン】さん [DVD(字幕)] 8点(2008-12-14 15:14:12) |
《改行表示》18.《ネタバレ》 「普通の人々」というタイトル通り、まさに誰もが向かい合っているであろう「家族関係」について描いているので非常に見入ってしまいました。また、カウンセリングのシーンも結構心に響くものがありましたね(ずっと後の作品ではありますが、「グッド・ウィル・ハンティング」を思い出してしまいました。)。やはり家族といえども他人な訳ですから、(いろいろな面での)限界を受け入れながらやっていかなければならないんだなと感じましたね。 【TM】さん [地上波(吹替)] 8点(2008-01-29 12:41:24) |
17.《ネタバレ》 いや~ 良作でした~ 全ての元凶が、母親だったんですね..最初は、地~味な展開に少しガッカリぎみで観ていましたが、後半、急展開! 次男が母親にハグするシーンでは、切なくて ほろっ ときました..ラストは、母親が改心してハッピーエンド! かと思いきや、、あんな結末になるなんて..でも、そこが リアル と言えば リアル、母親は自慢できる長男だけしか愛していなかった..そして性格上、残された夫と次男に愛情を注ぐことが出来ない..自己中心的で、体面ばかりを気にし、夫を見下し、問題を起こした次男を嫌い、理解しようとする努力を怠り、あろうことか邪魔のも扱い..典型的な ダメ母! 父親は心優しく、少し頼りないが家族を誰よりも愛している、次男は真面目で素直な優等生、父と亡くなった兄が大好きだった..しかし事件をきっかけに母親の言動も重なり、心は傷つき苦しみバランスを失う..時間が掛かってしまったが、夫として、父として、それにやっと気付く父親..そんな父を見直し信頼する次男、..とてもレベルの高い演出と脚本、伏線も良く効いています..家族愛について深く考えさせられる作品ですね... 【コナンが一番】さん [DVD(字幕)] 8点(2007-09-21 12:29:14) (良:2票) |
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16.《ネタバレ》 結局父親としか分かり合えなかったけど、母親とも永遠に決別したわけじゃないのであれはあれでよい終わり方だと思いました。何かドラマチックで有効な解決策が「普通の人々」に訪れる事はめったにないと思いますし。息子が母に「入院したのが兄さんだったら見舞いに来た」と不満をぶつけた時に、母親が「兄さんは入院なんかしないわ」と答えたのが何か母親の異常性を現しているようで印象に残っています。 【HOPUKO】さん [ビデオ(字幕)] 8点(2007-08-14 00:10:10) |
《改行表示》15.《ネタバレ》 思えば「グッドウィルハンティング」はかなりここからパクっていたんですね。 兄貴が生きている間は家族間の力関係が安定していたために誰も疑問を持たなかった「コンラッドに対する無関心」が、バックが居なくなったことにより表面化してしまった。それでこれからどうしよう?という話ですね。 その「無視」の出所は母親のベスであるわけで。まあどう考えても彼女のコンラッドに対する態度は異常ですよね。なんで今まで気がつかなかったんだ?というくらいに。 カウンセリングを受けなければいけないのは誰よりもベスなんだけど。 みんなが腹を立てているベス、その思考回路について私が想像してみましょう。 彼女のキーワードは「完璧」「安定」「計画どおり」です。こういう人が最も恐れるのは予定を乱されること、突然のアクシデントです。彼らは自分が他人より弱く傷つきやすいと感じており、予期せぬ事態に耐えられないと思っているからです。 そのため予定を立て、家族を管理し、自分の許容範囲を超えたハプニングが起こらないように努めるのです。「不寛容」は、もちろん自分が「寛容」を与えられなかったから出てくるので、「私がこんなにがんばっていることに比べればあんたのがんばりなんて何よ」という気持ちで四六時中過ごしているのがベスのような人です。自分が一番大変な思いをしているという気持ちですね。こういう人は自分のことでせいいっぱい。自分が崖から転がり落ちないようにするだけで力を使い果たしている。「母親のリミットを知れ」と言ったバーガー医師はまことに正しい。 私はどちらかというとベス的な人間なので、分かるところがあるのです。 彼女はたぶん、「いい子にしていればすべてが与えられる」という育ち方をしたのでしょう。だから、大人になった今も主婦として妻として、落ち度の無いようにがんばっているのです。そうしないと「最も恐れていた事態」が起こるかもしれないから。それは「夫に捨てられて生活に困ったらどうしよう」ですね。ところが皮肉なことに、それは彼女が想定していた落ち度以外のところから訪れたのです。 誰もが理解に苦しむベスとは、(たぶん)こんな人です。「魔女」ではありません。 この話の女の子版が萩尾望都の「イグアナの娘」ですね。(マンガだけど) 【パブロン中毒】さん [DVD(字幕)] 8点(2006-08-06 19:36:08) (良:3票) |
14.《ネタバレ》 母親は相当息子(兄)を溺愛してたんでしょうね。父と息子が苦悩するなか何事も無いように普段の生活をしようとする母の強さ(ただのエゴの塊?)が観れました。この母親役のメアリー・タイラー・ムーアって方の演技はすごいですね。自分がここまでその役柄に怒りを覚えたことはないのにこの母親だけにはムカついてしょうがなかったです。それゆえこの人の演技がすばらしかったのでしょう。 【tetsu78】さん 8点(2004-06-04 20:32:34) |
13.ティモシー・ハットンって他の映画はみたことないんですが、この作品ではアカデミーに値する演技だと思います。しかしこの映画の最大の魅力は家族それぞれのキャラクターがしっかりされてること。三人共人間らしい魅力ある人物、「全員普通」の人々なんですよね。 【マーティン】さん 8点(2004-04-06 23:52:14) |
《改行表示》12.《ネタバレ》 アメリカの普通の家庭の普通の人々が遭遇する「悩み」「葛藤」を冷徹なまでに覚めたカメラで映し撮った名作です。愛する長男の「死」から立ち直れない母。兄の「死」を自分のせいだと苦しむ次男。それらの「問題」に対して、良き対処の見つからない父親。超人でもなければ天才でもない、どこにでもいる人間だから 傷つき、途方にくれ、悩みだけが日常の全てになる。しかし、淡々と描きながらも監督レッドフォードは、「家族の再生」を ラストに見せます。母が家を出て、父親と2人で始める生活。最適な解決法はなくても、生きて行くために向き合わなければならないこと、乗り越えるために逃げてはいけないことを、伝えてくれています。厳しいながらも家族の本当の「愛」の在り方について、色々なことを考えさせてくれるいい映画です。 【映画小僧】さん 8点(2004-03-19 10:05:48) |
11.「普通の人々」が「普通じゃない」場面に遭遇したときの行動を淡々と描いた観察的ドラマ。普通の男の子、普通の父、普通の母は、こんな時この様に転がって行くという結末。ある日の父の提案、家族でカウンセリングを受けよう、という一つの転機も生かされぬまま、ただただ自然に任せて転がっていった家族だが、次男と父はちょっとだけ踏みとどまった。転がり行く母をよそに。人生を山に例え、生きることを登山に例える一方、それを坂に例え、転がり落ちる事もある。ほんの少しの勇気と思いやりで、人生って大きく変わるんだなぁ、と普通に感じた。良作です。 【ちゃか】さん 8点(2004-03-09 11:16:16) |
10.《ネタバレ》 自殺未遂を起こした後、原因不明の苛立ちを抱える次男、そんな息子を腫れ物扱いする父、そして溺愛していた優秀な長男を事故で失い、心が「死んでしまった」母。本作はそうした家族をストイックなまでに繊細で醒めた視点から描いている・・・んだけど、要は集中して観てないとただの「退屈な映画」かもしんないって事です。実は最初観た時はちょっと置いてかれた感じがしたので、も一回観て、んで感動して泣いた、というのではないけど心の色んな所を刺激され、家族について、愛について考えさせられました。やっぱし人を愛し、誠実に向かい合おうとした時には、自分が傷ついたり他人を傷つけたりするのを恐れちゃいけないんだな。 【ぐるぐる】さん 8点(2004-03-04 19:58:28) (良:2票) |
9.《ネタバレ》 登場人物は中産階級の上なので、全然普通の人々ではないのではというお定まりの突っ込みをまずはいれさせていただきまして・・最終的には夫婦離散(子供を失った夫婦の7割が離婚するとデッドマンウォーキングの中で言っていた)してしまうのですが、まずは、弟が癒されるまでも話が中心に進み、ついで、実はこれまで癒されることがなかった父親の話がそれに続きます。夫婦がわかれてしまったのも、夫婦二人のなかで子供の死ということに一応の整理(心情の吐露ができるようにやっとなったというレベルだが)がついた結果、ある意味止む無い物として描かれ、映画がおわっていきます。陳腐な言葉ですが家族の愛という究極のテーマを真正面から挑んだ作品で、映画の出来は大変よいです。見終わって「ウーン、そうかー」といってしまうこと請け合いです。この手の話って、心理カウンセラーが好演するとほぼ間違いなく私は感動してしまうんですよねー。ちなみにこの作品、アカデミー賞の作品と監督賞なんですね。レッドフォードは主演賞はないけど監督賞とっているんですね。ついでにほかにこのような例がないかと調べてみたらコスナーはんとキャラハン警部とメルが同じパターンでした。。。。 【ぴよっち】さん 8点(2004-02-15 10:13:13) |
8.《ネタバレ》 心理描写が細やかで、心の葛藤と感情が伝わってきました。この作品のオスカーには納得しました。兄の死によって心に傷を負った弟は精神科医とのかかわりで、苦労しながら心の安定を取り戻していきます。息子の変化を見た父親は、これまで、自分は本心を考えることを避け、偽りの気持ちでいたことに気づきます。誰でも、自分の置かれた状況や周りの人間によって精神的な影響を受け、それが精神構成の要素になっているのですが、過度な負担や刺激は、本来の自分を見失わせる要因にもなるのかもしれません。弟と父親は、拘束されていたものから解き放たれていきますが、同時にそれは離婚につながっていくことになります。レッドフォード監督の演出が光る名作です。 【パセリセージ】さん 8点(2004-02-08 10:09:20) |
《改行表示》7.「ORDINARY PEOPLE」と「普通の人々」とでは、ニュアンスにかなり違いがあると思うのだけど、英語のニュアンスはよく分からないから、まあこれ以上つっこむのはやめておきます。 見たのは公開当時で、その頃は映画というものはもっと簡単に作られているような錯覚をしていたので、「フツウ」? ほんとにふつうだわー、とバカにしていたような気がします。 「ふつう」としか思えないほどにナチュラルに演出しているすごさに、気づいてなかったんですよね。 今思うと、自分が出ればそれだけでベーシックな観客動員は約束されているようなものなのに、それをしなかった監督の潔さにも、改めて感服です。 ○ニーニとか、○ブソンのように、自分で監督して主演して、という人が好きじゃないので、 なおさらです。 今なら素直に言えます。「感動しました」って。 でも観た当時はそう言えない何かもこの映画は持っていたのも事実です。 直球勝負の映画に、たじろいだということかもしれません。 【おばちゃん】さん [映画館(字幕)] 8点(2004-02-07 16:57:55) (良:2票) |