11.いやあ、ひさしぶりに変ッな映画だった。
明らかに屈折した「何か」を抱えつつ、バンコクの暗黒街を牛耳る兄弟。
わけも分からぬまま、狂気に取り憑かれたように暴挙に出た兄が、問答無用の制裁により惨殺される。
兄への偏愛に狂う母親に命じられるままに、復讐に駆り出される弟。
と、プロットだけを見ても、その偏執さは漂ってくるけれど、この映画は観客のその想定をも暴力的に壊してくる。
主人公の精神そのものを投影するかの如く、冒頭から各シーンの描写が倒錯する。
これは現実か?幻想か?自分が今観ているものは何なのか?まるで分からなくなる。
羅列されるシーンの一つ一つにおいても、描かれ方が“どうかしている”。
過激な暴力描写は嫌悪感を覚えるほどに凄惨で遠慮がない。
だがその反面、すべてのシーンに美しさを感じ、ときに恍惚としてしまうことも否定できない。
暴力の螺旋と、それに伴う罪と罰。
奇妙な“神”の如き存在を目の当たりにして、血塗られた両の腕を遂に差し出す主人公。
彼が迎えたラストにあったのは、絶望か、救済か。
一説によると、公開版のラストシーンの後に、主人公とヒロインが仲睦まじく“暮らす”シーンの撮影もされたらしいから、やはり彼は“血”によって宿命づけられた地獄から抜け出せたのだろう。
ただし、いかんせんそんなことは、この映画だけをフツーに観ていただけではまるでわからない。
偏執的な支配は、神によるものか、それとも悪魔によるものか。
おぞましくも美しい狂気と暴力の錯綜と混沌。
いくらそれっぽい言葉を並べ立てようとも、無意味だ。
いやあ、やっぱりわっけわかんねえ。
安易な「理解」など諦めて、奇妙な神の如く、無表情のカラオケに興じるべきかもしれない。