39.《ネタバレ》 2時間45分という長さは、全2部構成として1つずつ別けて見ればどうという事はない(と思う)。
「惑星ソラリス」に続くSF映画だが、この映画は冒頭のウォーレス博士の短い言葉が字幕で語られ、ストーカーたちが追う「ゾーン」と呼ばれる空間だけがかろうじてSFの機能を果たす。ここでの“SF”は、完全に要素の一つとして使われるのみ。
いや、もっと言えば身近な科学…例えばこの映画では原発の描写を暗示または予兆している。
タルコフスキーの映画はこの作品から難解と言われるようになるが、俺にはこれほど解り易い映画も無いと思う。
確かに途中の劇中会話は謎も多いが、大筋は“願いがかなう場所に旅人を案内するハンター”の話だ。
長セリフで少し退屈する時もある(意味不明だし)が、あの長回しの映像は見ていて何故か飽きない。
電車の振動が「ボレロ」のように幾重にも響くこの映画は、ストーカーという運び屋がとある酒場に入る場面から始まる。酒場には物理学者が二人。彼らは興味本位・欲望の赴くままストーカーに身を預ける。
だが「ゾーン」に入ればありとあらゆる願いが叶うと信じられていた。人々はその願いのために命懸けでストーカーと共に冒険へと出る。
冒頭から夥しく飛び込む水と光のイメージは、湿地帯の静かさを除けばところどころ人間の欲望で穢れてしまった空間ばかり。
ストーカーはあの空間に安らぎを見出しているが、旅人には危険な「パンドラの箱」でもある。
部屋で揉める旅人と運び屋の取っ組み合いを不気味に静観するように“待ち続ける”「ゾーン」。「ゾーン」は拒む事も手招きもしない。ただ彼らが部屋に入るのを待つだけでいい。
旅人たちは己との戦いの果てに答えを出す。
ストーカーも以前は同じ旅人の一人だったのかも知れない。
だが、彼は過去の出来事で同じ旅人が部屋に入った結末を知ってしまっている。
だからストーカーは運び屋であり、傍観者になる事を決めた筈だった。その傍観者が旅人から「ゾーン」を守るために己の“欲望”を優先して傍観者を止める。ストーカーもまた作家になじられる旅人でしかなかったのだ。
ストーカーは絶望を口にするが、彼はその絶望を何度となく味わうであろう宿命にある。
その宿命は、その妻や娘をも狂わせていくのだろう。ストーカーの家族が旅人にならないという保障は何処にもないのだから。