1.《ネタバレ》 監督脚本製作をリチャード・シッケルという評論家が務めたというが、なんと私はこの中で「タクシードライバー」と「グッドフェローズ」と「ケープフィアー」しか見ていない。
しかしスコセッシファンや映画好きには間違いなく楽しめる。デビュー前に自宅で両親を撮った秘蔵映像とか、彼自身の生い立ちなどの話は興味深い。
他の天才監督と似たようなことで、本人も言うように「他の少年のように闘って決着をつけられないものだから、(イヤなことがあっても)我慢した」つまりスコセッシ少年は喘息で腕っ節に自信がないから早くに処世術を見につけ、うまく立ち回って生きてきたらしい。ひ弱なものだから、いつも周囲の様子に気を配って身の安全を確認していたために映画製作に欠かせない観察癖ができ、そして鬱屈した精神が表現に向いて映画製作につながった…のだそうだ。たいへん納得のいく話です。
「カジノ」を入れなかったのは本人が「あの殺害シーンでうんざりした」と「ギャングオブニューヨーク」のところで言っていることと関係があるのだろう。
「ケープフィアー」では、脚本を変更して、幸せ家族から不倫で壊れた家庭という設定にしてしまったというエピソードも、常々私が思う「映画はまず監督」が間違いではなかったと確信させてくれる。
「エイジオブイノセンス」は評論家の小谷野敦が「聖母のいない国」で「配役の妙」を誉めているのでぜひ参考にしていただきたいと思いますが、確かに普通ならウィノナ・ライダーとミシェル・ファイファーの配役は逆だろう。うんうん、やはり映画は「まず監督」である。
「クンドゥン」とかどうでもいい作品を入れて「救命士」や「アフターアワーズ」を入れないのは納得いかないなあ。私はスコセッシ作品の中ではこの2作(とグッドフェローズ)が気に入っているのに、見事にはずされている。「ギャング」とか「アビエイター」のような制作費がバブリーそうな作品には私は興味が無い。
大御所とか巨匠と呼ばれるようになっても、やはりスコセッシの力を生かせるのは「どちらかというとアメリカの中でもビンボくさくてみっともないような部分」においてだと思うのです。
スコセッシのような能力ある監督なら、歴史大作でもなんでもそれなりに優れたものを作るでしょうが、私はそんなところで力を使って欲しくないなあ。あくまでも「みっともないところ」で力をふるい続けて欲しいです。