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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  怪獣王ゴジラ 《ネタバレ》 
追加・省略や前後の入れ替えはあるが意外にもとのストーリーを残して、先行の「原子怪獣現わる」(1953米)並みの娯楽映画にしている。 追加場面を入れての編集はなかなかうまくできている。序盤で船員の家族が官署に押しかけた場面では、追加した部分でも記者と一緒にドアから入って来ようとする家族を映して、もとの映像と整合させる工夫をしていた。入れ替えや短縮で辻褄が合わなくなったところもあるがどうせアメリカ人にはわからない。また後半は日本人の発言もなぜか英語になっていたが、人名や「まあ!」といった間投詞はもとの音声を残すという細かい作業をしていた。 本来の反戦・反核メッセージは失われた印象もあるが、核兵器との関連付けは一応残してある。それ自体は「原子怪獣…」も同じだが、しかしやられた側とやった側でのスタンスは大違いなわけで、この映画でも当時の日本人が誰でも知っていた第五福竜丸事件の印象を薄め、また長崎の原爆や疎開といった戦争の記憶、当時の現実の不安だった原子マグロや放射能雨に言及した場面を削除している。  個人的に気になった点として、序盤で記者が「エミコ」の腕を乱暴につかんだ場面では気安く触るなと言いたくなった(替え玉アメリカ人だろうが)。また火でやられた男がアーーーとアジア人っぽく叫ぶとか、仮設病院でギャーと泣く声(大人の)が聞こえるのは日本映画らしくない。 ほか日本人としては火の海になる東京を見ると戦時中の空襲を思わされるわけだが、何千人もの人が死んだという言い方を記者がやたらにするので、東京では一晩で何千どころか10万人もの一般庶民がアメリカに殺されたのを知っているかと言いたくなる。いわばS20.3.10の東京大空襲の時に、なぜかたまたま下にいたアメリカ人の体験談のような映画であって、アメリカ人でもやられる側に身を置けば、死んでいくのがネズミでも昆虫でもダニでもなく人間だと認識できるのかという気分だった。 それはそれとしてゴジラが世界的に知名度を上げるきっかけになったという歴史的な意義はあるので相応の点数はつけておく。
[インターネット(字幕)] 4点(2024-05-25 21:11:58)
2.  ガス燈(1944) 《ネタバレ》 
往年の名画だろうが、現在は文化的価値とは別の面で有名らしいのでどういうものかと思って見た。 公開時期はニューヨークが1944年5月4日、ロンドンでは同年7月とのことで戦時中の映画ということになる。アメリカではまだしも内地は平穏だったろうが、ロンドン市民は空襲におびえながら映画館に行ったということなのか?? 主人公がロンドンからイタリアへ留学したのも公開時には現実離れしたことだったろうが、劇中でヨハン・シュトラウス2世の「こうもり」(1874初演)を「新作のオペレッタ」と言っていたことからすれば、映画の時点から70年くらい前の話だったらしい。そもそもガス燈自体が相当昔のものということかも知れない。  物語に関しては、主人公が最初から中年男(役者は当時40代中盤)とラブラブ状態で、こんな怪しげな男で大丈夫なのかと思わされる。マエストロの言葉からすると恋は盲目という意味かも知れないが、本人が生来の甘ちゃんだからということも当然あったはずで、下町育ちらしいメイドとの対比が際立っている。ただ、ちゃんとしまったはずのものがなくなるというのはなくもないことなので(実際ある)、こういう弱味を衝かれると危ないとの警告をくみ取るべきかも知れない。 個人的趣味としては精神的虐待の話など好んで見るものでもないが、しばらく我慢すれば爽快なラストを迎えるはずと信じて期待していたところがそれほどでもない。終盤いきなり反転攻勢に出たところが見せ場だったのだろうが、疲れ果てていたはずの主人公が、あらかじめ仕込んだような台詞で的確に相手を追い込んでいたのは出来すぎである。その割に、終幕の時点でまたロンドン警視庁の男にさりげなく暗示をかけられていたようで、こういう相手なら騙されてもいいということなのか(心理操作の正しい使い方?)。 またその最後の締め方は、当時はこれで普通だったのかも知れないが、今までの男が抜けたあとをすぐ別の男で埋めようとする態度は安易というしかない。しかし男の立場としては少年時代からの夢がかなうということらしいので、ダルロイ夫人に賛成してもらえるならいいかも知れない。  ほか主人公が取り乱した場面のうち、息を止めていてプッと噴き出した(ように見えた)ところは笑ってしまった。音楽会での出来事自体はそれほど大ごとでもなかったが、非常に気まずい雰囲気になっていたのは周囲が上流階級の人々だったからだ。
[DVD(字幕)] 6点(2019-04-06 09:59:36)
3.  ガンマー第3号 宇宙大作戦 《ネタバレ》 
[2017-12-16改訂] 公開当時は入替制ではなく、途中入場したところがちょうど「そこを開けちゃいかん!」の場面だったのがトラウマ級の衝撃で、とにかく怖い映画という印象がずっと残っていた。そもそも当時はガンマーという言葉からして怖かったが、劇中の怪物(台詞では「怪獣」)も子どもが親しめる要素などは全くなく、気色悪さと怖さに特化したデザインになっている。大人が見ればどうということはなくても、子どもの立場ではそのように感じたということは証言しておく。  あらためて見れば基本的には昔の特撮映画だが、日米合作のためかけっこう堅実にできており、かえって昭和特撮らしくない。地球に別の天体が衝突する話は「地球最後の日」(1951)や「妖星ゴラス」(1962)に続いてのことだが、この映画と同じく天体を破壊しようとする「アルマゲドン」(1998)より簡単に成功してしまい、あとは「エイリアン」(1979)風に追い詰められていく恐怖の物語となる。特撮は他の怪獣映画も手がけた「日本特撮映画株式会社」が担当していてそれなりの水準だが、個別の場面としては脱出用の宇宙艇が発進するときに、3回それぞれに変化をつけていたのが印象的だった。 また成人後に見ると目につくのが2人の隊長の関係性である。最前線での働きは若い頃の名コンビを髣髴させるということだろうが、しかし今となっては指揮官として明らかな差がついてしまっているのが微妙に切ない。確かにエリオット隊長は人格的に甘いところがあったようで、劇中の出来事を見る限り、判断を誤らせる原因は人助けに代表される人情の問題を優先してしまうことだったらしい。それが事態を悪化させてしまったわけだが、しかし最終的にはそれが親友と地球を救うことにもつながったと解される。タイミングのいいところで人生を切り上げて名を残す、という形に結果的にはなってしまったが、こういう人物に気持ちを寄せたくなるのも年取った証拠かという気にはなる。  ちなみに余談として太陽系内には「フローラ」(Flora)という小惑星が実在しているので、とりあえず台詞の「二等遊星」は「小惑星」のことだと思えばいいらしい。ただし実物は小惑星帯のメインベルト(火星と木星の間)にあり、それが何でわざわざ地球まで飛んで来るのかと素朴な疑問が生じるわけだが、そこは登場人物も「この際原因はどうでもいい」と投げていたので観客としても突っ込まないのが正しい。
[DVD(邦画)] 7点(2011-12-31 16:20:25)
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