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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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581.  50/50 フィフティ・フィフティ(2011)
27歳の若さで癌を宣告される主人公。生存確率は50%(インターネット調べ)。 もちろん物語の主軸は主人公の“闘病”だが、この映画が凄いところは、決して病そのものを悲劇とそれに伴う安直な感動を描いているわけではないということだ。  この映画に描かれていたことは、“癌患者初心者”の主人公の姿であり、人生において初めての「経験」における苦しみや葛藤、それについての感動だった。  主人公が癌患者の初心者であれば、主人公の親友は“癌患者の親友の初心者”、母親は“癌患者の母親の初心者”、恋人は“癌患者の恋人の初心者”、そして新米セラピストは“癌患者のセラピストの初心者”なのだ。 一人の男の岐路に立ち会った“初心者”同士が、それぞれに思い悩み、失敗し、傷つき、正解などない行き筋を模索する。  癌に限らず、重い病気を患ってしまうことはそりゃあ大変だし、それが生死に直結するとあらばそりゃあ悲しい。 しかし、生存確率を示されようが、余命を宣告されようが、「死」に至るまでその人が生きていかなければならないことに変わりはないだろう。 ならば、「癌」という新たな“特徴”を持って生きていくしかないし、逆に言えばただそれだけのことなのだ。 それは口で言うには簡単で行動として表すにはとても難しいことだけれど、この映画では、そういうことがセス・ローゲン演じる主人公の親友(悪友)の言動により表現されていた。 この物語自体が、セス・ローゲンの実体験からよるものだとのことで、彼の演じたキャラクター性には、軽薄さと下品さの裏に分厚い説得力が備わっていたと思う。  誰しも、初めて経験することには、大いに戸惑い、大いに悩む。 この映画は、そのあまりに普遍的なことを、癌というこちらも普遍的に重いテーマに対して真摯に向き合って描き出し、そして見事に笑い飛ばしている。
[映画館(字幕)] 8点(2012-04-29 00:53:33)(良:2票)
582.  ベティ・サイズモア
レネー・ゼルウィガー、この決して真っ当な美女ではない女優が何故にハリウッドで大成したのか。あまり彼女の出演映画を観ていなかった自分にとっては少々疑問だった。しかし、その“理由”がこの映画には溢れている。 プロットとキャラクターの人物設定だけを読めば、あまりに“イタ過ぎる”主人公を、この主演女優はとても愛らしく魅力的に体現し、息づかせている。  主人公の言動は、身も蓋もない言い方をしてしまえば、あまりのことに精神を病みイタイ暴走をしてしまっているに過ぎない。 普通に考えればドン引きしてしまいそうな言動なのだけれど、そうなってしまった理由はどうであれ、自分の“望み”に対して真っすぐに突き進む彼女の姿は、とても魅力的に触れ合っていく人々を虜にしていく。 口封じのために彼女を追跡していたモーガン・フリーマン同様に、気がつけば観ている自分も彼女に恋をしてしまっていた。  主題歌の「ケセラセラ」が表すように、人生はなるようになる。 ただそのためには、「自分」という人間を他の誰でもない自分自身が認めることが出来なければならない。 人間の弱さや脆さに裏打ちされた確かな“強さ”。この映画には、愛すべきコメディの中にそういった人間の根底にある「価値」がしっかりと存在していた。   映画には様々なジャンルがあり、それぞれに様々な感情が盛り込まれるが、唯一“コメディ”というジャンルが、その一つの中にあらゆる映画的感情を盛り込めるものであるということを、この映画は証明している。素晴らしい。
[DVD(字幕)] 8点(2012-04-28 10:45:16)
583.  第十七捕虜収容所
サスペンス、スリル、可笑しさ、爽快感……映画の娯楽性を彩る要素は多々あるけれど、ビリー・ワイルダーの映画には、そのすべてが詰まっている。 捕虜収容所での“スパイ探し”を描いたこの変わった趣向の戦争映画には、想像以上に娯楽性を高める様々な要素がバランスよく入り交じっていて、それぞれの要素が見事に主張し合っている。  第二次世界大戦中の捕虜収容所を描いた映画と言えば、有名過ぎるのはやはり「大脱走」だろう。ドイツ軍管理下の捕虜収容所からの脱走を図る捕虜たちの群像劇を描いたプロットは、今作との類似を大いに感じる。 大名作として誉れ高いのは「大脱走」の方だと思うが、制作年数は今作の方が圧倒的に早いので、ヒントを得た部分は大いにあるのだろうと思う。 そして、個人的には圧倒的に今作の方が面白かった。  ナチスドイツ管理下の捕虜収容所というイメージ的には陰惨極まる舞台設定において、決して不自然ではない映画的娯楽を展開させる巧さに、ビリー・ワイルダーという映画人の偉大さを改めて感じずにはいられない。  そして、スリルやコメディの娯楽性の裏には、しっかりと悲愴な環境下で生き抜く人間たちのドラマと戦争による混沌も見えてくる。 そうすると、収容所内の人間たちの少々仰々しい感情表現も、生き抜くための一つの“手段”に思えてきた。  映画は終始薄汚れた捕虜収容所内で展開され、派手さは皆無だと言っていい。しかし、噛めば噛むほど様々な味覚が存在を主張し、そのどれもが深まっていく。 週末の深夜、巧い映画とはこういうものだということを改めて知った。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2012-04-23 23:36:10)(良:1票)
584.  コンテイジョン 《ネタバレ》 
突如として発生した高致死率の新種ウィルスが瞬く間に世界中に広がっていく恐怖を描いた映画。 というイントロダクションを聞いて真っ先に連想してしまうのは、やはり「アウトブレイク」だ。「アウトブレイク」が、殺人ウィルスそのものの猛威とそれに対峙する主人公のヒーロー性を描いたエンターテイメント作品だったのに対し、今作はプロットこそ似通っているが世界観のテイストはまったく異なった映画に仕上がっている。  リアリティを追求していると言えば確かにそうだが、必ずしもすべての描写が「リアル」というわけではなく、随所に非現実的だったり、作為的に誇張されている部分もあったように思う。 思うに、この作品が描いているものは、未知なるウィルスそのものの恐怖ではなく、その“感染”による“パニック”に対応しきれないであろう全世界の社会体制自体の脆弱さ、そしてそこに“巣食う”人間そのものの恐怖だったのだと思う。  映画の冒頭数分で死に至ってしまうグウィネス・パルトロウの描写を皮切りに、文字通り死が伝染する様は恐ろしい。 しかし、それ以上に、ジュード・ロウが演じたような人間から発される作為的な「情報」によって伝染していく個々の人間のパニックが何よりも恐ろしく、結局彼のような人間の存在を治めきれない現代社会の「現実感」に非常に脅威を覚えた。  アカデミー賞クラスのビッグネームを揃えたキャスティングによる群像劇には、流石に迫力はあった。 その一方で、個々の人物描写が希薄に映ったり、そもそも物語が中途半端であるという批判も分からないではない。 リアリズムに振れるにしろ、エンターテイメントに振れるにしろ、もう少し踏み込んだ展開があれば、もっと印象的に化けた映画になっていたようにも思う。  ただ、この映画で描かれるまさに「今そこにある危機」を紡ぐにあたって、この物語の中だけで完結していない半端さは、逆に問題意識を巡らすための余白を生んでいると言え良かったのではないかと思う。 そういう意味では、いつもスティーブン・ソダーバーグ監督作品に感じる、“何だか物足りない”感じが、意図的にか偶然かは分からないけれど効果的に反映されている映画であると思った。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-04-23 23:34:40)(良:2票)
585.  バトルシップ(2012)
上映後の映画館から見るからにヲタク系の中年男性二人組がニタニタと嬉しそうに出てきた。 その様を見て、自分自身がニタニタと嬉しそうにしていたことに気付いた。 振り返るまでもなく、全編に渡って粗や突っ込みどころは満載の映画だ。しかし、それらを寛容させ、むしろそういう“ほつれ具合”さえこの映画の立ち位置からすれば避けられない要素に思えてくる。 端的に言えば、ものすごく真っ当なブロックバスター映画だということに他ならない。  鉛筆書きで簡単に遊べる同名の“パズルゲーム”が原案だということ、そして、圧倒的な兵力のエイリアンに対峙するのがたった3隻の駆逐艦だという設定、今作のイントロダクションから知り得たその二つの要素を聞いた時点で、色んな意味で「無理」を感じた。 少なくとも、この二つの要素に対しては、いくら粗を感じたとしても突っ込むことすら許されないのだろうと諦観していた。 しかし今作において最も驚かされたことは、とても単純な一つの設定でこれらの要素を整合性をもって解消していることだ。 世界侵略を図るエイリアンに対峙する地球側の戦力が3隻の駆逐艦のみであるということの必然性、これだけの大製作費を投じながらしっかりと原案とするパズルゲームの要素を反映している真っ当さ。 全編に渡り馬鹿馬鹿しいほど大味な映画ではあるが、そういうエンターテイメントに対するある種の真摯さが、この作品の価値を保っていると思った。  実際はそれほど出演シーンは多くないのだろうと高をくくっていた浅野忠信は、意外にも準主役級の役柄を勤め上げており、徐々に「スタートレック」ばりに主人公とのバディ感を醸し出していく展開が嬉しかった。  主人公のぐだぐだな人生模様から失笑を禁じ得ないサッカーの日米戦に転じていくオープニングを観ていた段階では、この先の“航海”に不信感しか覚えなかった。 しかし、愛すべき豪快さに溢れたクライマックスを経て、能天気なエンディングが映し出された頃には、この2時間余りの馬鹿馬鹿しい映画体験に対して心から愛着を持ってしまっていることに気付く。  無い方が逆に不自然に思えるエンドロール後のシークエンスを見届けて、ニタニタと映画館を後にする。 やっぱりそのスタンスこそが、この映画においては一番正しい。
[映画館(字幕)] 8点(2012-04-22 23:36:36)(良:2票)
586.  アンノウン(2011) 《ネタバレ》 
殆ど予備知識無く鑑賞を始めたので、冒頭から滲み出ているサスペンスフルな空気感にすんなりと引き込まれ、二転三転する展開を堪能しながら最後まで楽しむことが出来たことは間違いない。 サスペンスアクションとして、サスペンスの緊張感とアクションの高揚感がバランス良く配置されており、鑑賞直後の満足感は当初の想定よりも随分と高かったと言える。  ただし、観賞後数分間でちょっと振り返ってみると、粗という粗がポロポロと出てきてしまうことは否めない。  よく考えると映画全編に渡って言えることだが、「実は一流の○○○」だったというには、そもそもの言動がずさん過ぎて陳腐だ。 まず目的のために徹底した偽りを謀るとはいえ、目的地への移動中に至るまでその偽りを貫く必要があるのだろうか。これは明らかに観客を欺くためだけの演出であり、人間描写上の必要性はないと思う。 そんでもって、空港のタクシー乗り場で最も重要な鞄を置き忘れるって、どんだけうっかり屋さんなんだという話だ。これも結局、ストーリーとしての一つの目的を設置するためだけの設定であり、極めて安直だ。 他にも、一流ならば乗り込んだ先の言語で世間話くらいは出来るようにしとけよ!とか、ふいの自動車事故とはいえ簡単に気を失い過ぎだろ!咄嗟に飛び降りるとかそれくらいしようよ!とか一流の組織のメンバーのくせいに素人の女の子にやられてどうすんだ!とかとか……、一度突っ込み出したら止まらなくなってきそうだが、とにかくよくよく考えると用意されていたオチに対して整合性が無さ過ぎる要素に溢れてしまっている。  ストーリーのアイデア自体は、オリジナリティが高いとは言い難いけれども充分に面白味に長けている。それが興味を最後まで持続させる最大の要因だとも思う。 しかし、このアイデアであれば、ラストの顛末でもっとどぎつく踏み込むことができたなら、数多の粗を振り切って余りある映画に仕上がっていたかもしれないなと思う。リーアム・ニーソンのクライマックスの表情は観る者を惑わせる緊張感が含まれていて良かったけれど……。  まあそこまで完璧なクオリティーを求めるべき類いの映画ではないと思うし、観ている間と観終わった瞬間に満足していたならそれで充分だと思う。  と同時に、画面から溢れ出る上質な色調と巧い俳優陣の演技によって、もの凄く質の高い映画に“見えるだけ”に、やはり残念に思う。
[DVD(字幕)] 6点(2012-04-15 19:19:23)(良:2票)
587.  カウボーイ&エイリアン 《ネタバレ》 
「カウボーイ&エイリアン」なんてふざけたタイトルを掲げ、ダニエル・クレイグ&ハリソン・フォードという新旧のワイルド・ガイを競演させたこの映画が、エンターテイメント大作としてどうやってまとまっているのだろう?という疑問が、この映画に対する最大の興味だった。 その答えは、端から大作として綺麗にまとめる気なんて更々ない“とんでも映画”だということだった。 つまりは、“カウボーイ”と“エイリアン”を共存させたこの映画が、良い意味でも悪い意味でも、真っ当な映画である筈がないのだ。  当然ながら、“酷評”しようと思えばいくらでも出来る映画だろう。しかし、この映画の場合、もはや酷評することすらナンセンスに思える。 序盤から怒濤の突っ込みどころが散りばめらるが、ミステリアスなヒロインが炎の中から蘇るシーンを境にして、心の中で突っ込みを入れ続けている自分自身が馬鹿らしく思えてくる。 むしろ、このハチャメチャな世界観を馬鹿になって楽しむべきだろうと、心のシフトチェンジが起きる。  そこからは、オーソドックスな西部劇としてシンプルに楽しむことが出来た。 記憶を無くしたヒーロー、秘密を知るヒロイン、心に傷を負った老戦士、土着民族と盗賊らが、共同戦線を張り共通の「外敵」に挑む。この映画のプロットはそういう非常にありふれたものなのだ。 その敵が、今回はたまたま“エイリアン”だったということに過ぎない。  SF的な視点で見てしまうととてもじゃないが目も当てられない。 でも、大いに強引ではあるけれど、新しい要素を取り入れた西部劇として見れば、最終的には何だか悪くない映画に思えた。  決して褒められた映画ではないが、娯楽映画だからこそ許されるこの馬鹿馬鹿しさは、嫌いじゃない。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2012-03-27 16:23:40)(良:1票)
588.  シャーロック・ホームズ/シャドウ ゲーム
綴られた文章の最後に、あまりに小気味良い「?」が追記され、エンドロールが流れ始めた瞬間、正直言って殆ど「完璧」に近い娯楽映画だと思えた。 前作も充分に面白かったので期待感はそもそも大きかったけれど、その期待をひょいっと超えてくれたエンターテイメントに対して嬉しい興奮の連続だった。  文句なしにそう思えるほど、現代において新たに焼き直されたある意味まったく「別物」のシャーロック・ホームズというキャラクターと、この元祖問題児俳優と、この英国人監督との相性は前作に引き続き抜群で、二作目として一つ二つ高いレベルのエンターテイメント映画として昇華されていると思った。  ガイ・リッチー印とも言えるアクションシーンでのスローモーションの多用や、「推理」シーンの表現方法に対して、“シャーロック・ホームズ映画”としてどうなのか?という違和感を覚える人もいるのかもしれない。 しかし、もはやこれは趣向の問題で、違和感なんて覚える前に独特の映像表現と世界観に対してワクワクできた者の“勝ち”だと思う。  相変わらず映像技術は日々爆発的に進化していて、ただ派手なだけでは興奮すらしなくなってしまった中で、これほど全編通して「娯楽映画を観ている!」という高揚感に支配される映画も珍しく、それがこの映画における最高の価値だと思う。  このレベルのバジェットの映画としては脚本も極めて巧く、最後の最後に至るまでの細やかな伏線の回収が、殊更に高揚感を高めてくれている。 アーサー・コナン・ドイルの原作に対して程遠い人物描写と世界観に見えるけれど、シャーロック・ホームズをはじめとする主要キャラクターの本質に対して実は真に迫っている部分も多いようで、世界一有名な探偵小説に対して勇気と尊敬をもって挑んでいるとも言えると思う。  さて、小気味良いエンディングに表れているように、当然の如くまだまだ続編への意欲は高い様子。 “敵対するもの”に対してもしっかりと伏線は残されている。 前作を観た後は、“シャーロック・ホームズ”と"ガイ・リッチー”のまさかの組み合わせの妙に嬉しい衝撃を受けるばかりだったが、二作目にしてより一層に“最新作”が楽しみなエンターテイメントシリーズに見事な進化を遂げたと思う。
[映画館(字幕)] 9点(2012-03-24 23:59:35)
589.  ヒューゴの不思議な発明
映画の冒頭、主人公の少年を追ったカメラが縦横無尽に動き回りながら、パリの中心の巨大なターミナル内のめくるめくような舞台の“裏表”が映し出される。 この映像そのものが精密な機械仕掛けを表現しているようで、見ているだけで楽しく、「どうやって撮っているんだろう」とただただ惚れ惚れしてしまった。 「HUGO」というタイトルが映し出されるまでのその冒頭数分間の映像世界が、この映画の立ち位置と価値を如実に表していると思った。  その価値とは即ち、“夢を形にする”という「映画」が元来持ち続けた役割そのものだと思う。 この映画における最大の“映像的”な見せ場が、少年の夢だったという構成も、そのことを端的に表している要素だろう。  今年のアカデミー賞において本命争いを繰り広げた作品ではあるが、映画として“面白味”が大きいとは言えないと思う。 “子供向け”と言える程の娯楽性があるわけでもなければ、“大人向け”と言える程のドラマ性や人間描写の深みがあるわけでもない。 時に過剰に思える程に懐古主義的だし、その割に核となるテーマの描かれ方は中途半端に思えた。  ただし、世界中の多くの人たちと同様に映画が好きで好きでたまらない以上、僕にこの映画を無下に否定することなんてできるわけがなく、結局愛おしく思わずにはいられない。   この映画は、描かれる人物の物語をスクリーンに対して客観的に観て同調し感動するものではないのだと思う。 冒頭のシーンに誘われるままに、主人公の少年と共にあのターミナルの場所に立ち、彼らとともにこの映画の世界に存在するべき映画なのだと思った。  つまりは、結果的に面白く思おうが思わなかろうが、映画館の大スクリーンで観なければ意味がない映画で、全編に渡ってその効果があることが疑わしくとも、3Dで"体感”すべき映画だったのだろう。 この映画の存在を知った時から懐疑的だったマーティン・スコセッシが3Dで映画を撮らなければならなかった意味がようやく分かった気がする。  映画の内容にそぐわない邦題には、毎度のことながらほとほと呆れる。 ただこの映画が、「映画」という世にも不思議な発明を描いた作品であることは間違いなく、「面白い!」とは決して断言できないけれど、映画ファンとしては可愛らしくて思えて仕方なく、愛着を持たずにはいられない。 そういう不思議な映画だと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2012-03-18 19:37:08)(良:1票)
590.  シャーロック・ホームズ(2009)
“シャーロック・ホームズ”の今更の映画化、しかも監督は、ガイ・リッチー。 正直、「なんだそりゃ」と、イメージのアンバランスさに戸惑ってしまった。 更に、主人公“シャーロック・ホームズ”を演じるのは、ハリウッドきっての問題児、ロバート・ダウニーJr.。 流石に“悪ノリ”し過ぎなんじゃないかと一抹の不安を保ちつつ、鑑賞に至る。  予想通り、“悪ノリ”し過ぎている。が、問答無用に”面白い”。  コナン・ドイルの世界的古典「シャーロック・ホームズ」と、ブリティッシュ・ギャング映画を得意とするガイ・リッチーのまさかの融合。 そこに生まれたのは、奇跡的なエンターテイメントだった。  “英国紳士”という世界的なイメージが定着しているシャーロック・ホームズというキャラクターを、180度転じた無頼漢に仕立て直した試みが、何と言っても面白い。 しかも、そこにロバート・ダウニーJr.を配した潔い抜群のキャスティングに脱帽だ。  実は今年に入って、ロバート・ダウニーJr.主演の「アイアンマン」を観たばかりで、立て続けて新たな造詣の”ヒーロー”を演じる彼の姿を見て、自らの”過ち”を糧にして新境地を切り開いた役者魂を感じずにはいられない。  混沌とする現代社会は、汚れのない真っ当なヒーローなんて真実味がなくて魅力を感じないのだと思う。 不潔でだらしなくて、多少強引に「正義」を貫く新たなヒーローの姿に、共感し喝采を送る時代なのだ。  ただし、「アイアンマン」と並び、これでヒーローシリーズの主役を張り続けるしかないロバート・ダウニーJr.には、ぐれぐれも真っ当に俳優業を続けてほしいものだ。
[映画館(字幕)] 8点(2012-03-17 16:45:52)
591.  ネットワーク
「ネットワーク」というタイトルで描かれている舞台がテレビ局ということに違和感を覚えてしまった。 それくらい、「ネットワーク=テレビ」ではなく、「ネットワーク=インターネット」という構図が今や一般化したということだろう。 それは言い換えるならば、この映画で描かれる「狂騒」が、現在のインターネットが取り巻く世界においてまったく同じように当てはまるということだと思う。 故に、この映画が描き出す可笑しさや恐ろしさは、色褪せることなく強烈なインパクトを保っているのだと思う。  社会派の密度の高いドラマを数多く生み出してきた巨匠シドニー・ルメットの監督作であるという情報だけを持ってこの映画を観始めると、大いに意表をつかれると思う。  リストラを宣告された老キャスターが、自暴自棄になって放送中に自殺を宣言することから始まる狂騒。 視聴率とそれに伴う利益に振り回される群像劇は、序盤はコメディのようにも見える。 しかし、徐々に破綻していくそれぞれの人間性に対して、次第に笑えなくなってくる。  キャラクターとして目立つのは、老キャスターを演じるピーター・フィンチで、自殺宣言から端を発して視聴率という魔物に見出されるように徐々に狂気じみてくる様は強烈だった。 しかし、この映画が巧みなところは、狂っているのは必ずしも彼だけではなく、実は登場する主要キャラクターの全員が狂気に蝕まれているという人間描写だと思う。 数字が取れると分かれば即座に老キャスターを番組の顔として祭り上げ、一転視聴率急落により危機を覚えればキャスターの暗殺を淡々と決定するテレビ局上層部の面々のやり取りは、そういう蔓延した狂気を最も如実に表しているシーンだった。  そして、最も人格者に見えるキャラクターにしても、実は非常に愚かしく描かれており、彼らが生きる現代社会の病理性が、映画全編に渡って表現されていると思った。  少々強烈な風刺劇として気軽に見ることも出来るけれど、ほんの少し深入りして見てみると、そこには今の社会にも直結する危うさが満ち溢れていて、怖くなる。 
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-03-13 23:24:22)
592.  くまのプーさん(2011)
“くまのプーさん”は勿論日本でも大人気のキャラクターだが、このキャラクターの実態は、クリストファー・ロビンという少年のぬいぐるみコレクションの一つという基本設定は意外と認知度が低いのではないかと思う。 そして、このキャラクターの本質に、この映画を観て初めて直接的に触れて、想定外のアバンギャルドぶりに呆然としてしまう人も多いのではないかと思う。僕は実際そんな感じだった。  とにかく、“プー”を始めとして登場するキャラクターたちの揃いも揃った「お馬鹿」ぶりに対して、結構すぐに置いてけぼりをくらう。 物語の根幹はぬいぐるみたちの持ち主である少年の空想世界であり絵本の中のメルヘンなのだが、ずっと観ていると、それはもうメルヘンというよりもシュールという言葉が相応しいんじゃないかと思えてくる。 幼稚だとか、子供だましという価値観を超えて、ある種異様な世界観が脳内に浸食してくる感じすら覚える。  そういう思いを巡らせていると、最初から最後までひたすらにハチミツを欲し続けるプーの様が、明らかに“ジャンキー”のそれに重なって見え、これは本当は子供が観たら駄目な映画なんじゃないかと錯覚してくる。 それはまさに、ディズニーのクラシック映画である「ダンボ」や「ふしぎの国のアリス」にも共通するメルヘンのオブラートに覆われた禍々しさだ。 それらの作品に比べて、この映画はあまりにストーリーが無いので、より純粋にメルヘンも禍々しさも際立っているように思う。  正直、映画として面白いのか面白くないのかすら判断をつけづらい。 色々な意味で「こまった映画」。敢えて一言で表すならこういうことだと思う。  禁断症状直前のようなプーさんがハチミツのプールにダイブする様を見て、あんなにハチミツでベッタベタになったぬいぐるみをその後どうすればいいんだ……と一寸思考が停止してしまった時点で、ああ僕はこの作品を観るには歳をとり過ぎてしまったんだなと思い、少し寂しくなった。
[ブルーレイ(吹替)] 5点(2012-03-03 01:07:55)
593.  ボルト
個人的に“犬好き”なので、涙腺が緩んだポイントなどは挙げればきりがない。 ブロックバスター映画顔負けの劇中映画を描いたオープニングで、主人公ボルトが飼い主の少女を綱で引いてハイウェイを激走するシーンはもとより、その前のプロローグ場面から涙腺は緩みっぱなしだった。  そんな“犬好き”を惹き付けることなんてことは、この映画にとっては朝飯前のことだったように思える。 今作において最も特徴的で素晴らしいことは、“犬を犬として描き切っていること”だと思う。 他の多くのディズニー映画と同様に、今作においても動物たちは生き生きと喋る。しかし、それはあくまで動物間でのやり取りに限られており、必要以上に擬人化はされていない。 主人公の飼い主の少女をはじめ、登場する人間からは犬は犬、猫は猫、ハムスターはハムスターとしか見えておらず、きちんとそういう描かれ方がされている。 今までもそういう設定のアニメ映画は多々あったろうが、この映画で描かれている世界観は、あくまで人間社会の中で生きる動物たちのお話であり、動物が動物らしく描かれていることが、紡ぎ出されるドラマ性をより効果的に高めている。 それは、クライマックスで主人公が愛する飼い主を救い出すシーンのちょっと驚くくらいの「地味さ」を観ても明らかだ。  娯楽映画として単純な見た目の盛り上がりの乏しさに対して不満を漏らす人もいるのかもしれないが、この映画におけるその徹底した「犬の犬らしさ」こそが、ディズニーの動物映画としては珍しいほどのリアリティ感を生んでいると思う。  この当たり前のように言っている「犬を犬らしく描き出す」というアニメ表現を、さも当然のように成し遂げているディズニー・ピクサーの圧倒的な技術力と表現力に、改めて舌を巻いた。 それぞれのキャラクターの立たせ方、伏線を生かした小気味良い展開力、脚本自体が巧いとしか言いようがなく、それがこの魔法のようなアニメーション技術によって形作られているわけだから、面白くないわけがない。  前述の通り“犬好き”で簡単に涙腺が緩んでしまうので、逆に「犬映画」は積極的に観ないし、あまり好きではなかったりもする。 だからこそ敢えて言いたい、この映画こそ史上最高の「犬映画」だと。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2012-03-01 13:07:00)(良:3票)
594.  Mr.インクレディブル
“アニメ”という概念を根本から覆しそうな映像世界に「スゴイ」という言葉しか出てこない。革新的なアニメーションを繰り広げながら、そこに展開されるストーリーの王道さに感服する。“そう、アニメとはこうでなければ!仰々しいビジュアルを携えて不透明に意味深なテーマをくどくどと並べ立てて、どうする?そこに楽しさがあるのかい?”という製作サイドの堂々たる声が聞こえてきそうだ。この、疲れた心身がすっぽりと爽快感に包まれる感じ。ああ最高。
[映画館(字幕)] 9点(2012-03-01 08:50:56)
595.  メカニック(2011)
ジェイソン・ステイサムという俳優が、もはや映画史において“クラシック”と化している「アクションスター映画」の主演を張れる現在唯一の存在だということを、今年に入って初めて観た彼の主演作の幾作かを見て認識しなおしている。  ストーリーが薄い大味アクションと揶揄されようが、他の燦然たる名作と比較し蔑まれようが、自分を含め幅広い世代の世界中の男たちが、「そういう映画」を見て映画ファンになった事実は否定出来ないし、やっぱり面白いものは面白い! そういう意味で、この時代だからこそジェイソン・ステイサムという俳優の立ち位置は貴重だし、映画ファンとして嬉しく思う。  そんな彼が毎度のごとくアウトローな一流の殺し屋として登場する今作。 ストーリー展開は当たり前のように強引で、細かいところを見れば粗は尽きないが、そんなことはどうでもいい。これはきっぱり面白いと思う。 流石はあの大味名作アクション映画の代表格である「コン・エアー」を撮ったサイモン・ウエストだなと思った。  超一流の殺し屋が主人公のアクション映画は大量にあるが、まず今作が面白いのはその“殺し方の美学”だ。 ただ単に確実に殺すのではなく、出来る限り誰かに殺されたことすらも分からない方法で殺すという主人公のスタンスが面白い。 綿密な設計図のような計画表を立てて実行する様は、まさに熟練の“メカニック”を彷彿とさせ、殺し屋映画としてのオリジナリティをとても高めている要素だと思う。 まあその優れたオリジナリティの部分が、弟子を迎えてから以降、弟子の荒削り感に同調するようにあからさまに脱線していってしまうのには眉をひそめたが……。  最終的には、殺し屋という職業に付いてまわるであろう本質的な非情さや孤独感などもしっかりと描かれており、アクションというよりも描かれるドラマ自体がとても印象的な作品に仕上がっている。  新時代のアクションスターによるとても面白味があるアクション映画であると思う。
[DVD(字幕)] 8点(2012-02-26 02:43:20)(良:1票)
596.  アンストッパブル(2010)
鉄道職員の怠慢によって発生した暴走列車を同じく鉄道職員の機関士二人が決死の覚悟で止めるというお話。 実話を元にしているとはいえ、娯楽大作としてはいささか地味過ぎるのではないかと思ったが、それが存分に堪能出来るエンターテイメントへと昇華されている。 さすが米娯楽映画界の職人トニー・スコット、ちょっと見くびれない。  実際、イントロダクションのままのお話であり、想定外の驚きは何もないと言っていい。 しかし、やはり一つ一つのシーンの見せ方が巧く、展開のテンポも非常に良いので、観ていて決してダレないしどんどんと映画が醸し出す緊張感の中にのめり込ませてくれる。  主演のデンゼル・ワシントンは、何と同監督作品の主演が今作で5作目ということで、ある意味余裕の存在感を見せてくれており、気難しくも人徳のあるベテラン機関士を好演している。  誰しもが充分分かりきっていることだろうとは思うが、この映画は観賞後にとくとくと考え込むような映画ではない。そんな余地は無い。 作品の尺の長さの時間分だけ、主人公の機関士らを見守る脇役同様に、彼らの活躍をドキドキハラハラしながら見守り、最後に「イエーイ!」となればそれだけで充分な映画である。 
[DVD(字幕)] 7点(2012-02-26 02:29:43)
597.  TIME/タイム 《ネタバレ》 
帰り道に寄った深夜のコンビニで、リキュールとバターピーナッツをレジに持っていき300円を財布から出しながら、「これだと“3分”くらいかな」とか思った。  「時は金なり(Time is money)」そのままの設定と言ってしまえば確かにそう。単純で浅はかな印象も受けなくもなかったが、SF映画として面白いアイデアだとは思った。 実際、設定を生かして映画的に面白い場面は幾つもあった。文字通り生命をかけて「時間」を奪い合うシーンの緊迫感や、すべての人物が25歳の肉体という設定を生かした人物描写には、何に手間をかけている訳ではないにも関わらずオリジナリティが生まれていたと思う。  しかし、この映画の唯一の面白さは、その「基本設定」だけと言って間違いない。残念ながら。 あとは、その面白い設定をことごとく「陳腐」に貶める脚本のお粗末さが目に余る。  “一日”の寿命を稼ぐために日がな働き続ける主人公が、母親の死をきっかけに、非人道的な社会体制に殴り込みをかけるというお話なわけだが、その行動原理自体に説得力が無さ過ぎる。 そして、主人公の行動自体もあまりに場当たり的で、すぐに頓挫し行ったり来たりを繰り返すので、非常にテンポの悪さを感じてしまった。  物語上、主人公らに対して「悪」となるものの存在もとても中途半端。 大富豪として巨万の富みならぬ「時間」を保有するヒロインの父親も、執拗に主人公らを追う時間管理局の捜査官も、非人道的だろうが何だろうが、定められた社会ルールの中で自分がすべきことに人生をかけている真っ当な人間にしか見えない。  結局のところ、映画の中で最も利己的な行動をしているのは他ならぬ主人公たちで、逃避行劇に酔った男女が、何らかの事由があって敷いている特異な社会体制を好き勝手に荒らしまくっているようにしか見えなくなる。  他にもきりがないくらいに突っ込みどころは満載。予告編が伝える内容と本編があまりに乖離してしまっているという「駄作」っぷりも久々に味わった。  脚本の作り込みをもう少し真面目にしてくれたなら、幾分マシな映画にもなっていたと思う。 「ガタカ」を撮ったアンドリュー・ニコル監督の最新SFとして期待高だっただけに、想定外に低レベルに落ち込んでいく映画世界を目の当たりにして、苦笑するしかなかった。  唯一の救いは、ヒロイン役のアマンダ・セイフリードちゃんが可愛らしかったことくらいだ……。
[映画館(字幕)] 3点(2012-02-19 01:36:12)(良:3票)
598.  ビューティフル・マインド
何よりも予想を覆されたサスペンスフルな中盤の展開に引き込まれてしまった。精神の破綻をあのように大胆に表現した映画は他にないのではないか。その斬新なテイストも手伝って、終盤の主人公の心の再生はとても感動的で胸に迫るものがあったと思う。演出、演技ともに素晴らしい非常に完成度の高い映画だった。
[映画館(字幕)] 10点(2012-02-17 17:10:39)
599.  バットマン ビギンズ
“バットマン”がその他のアメコミヒーローに対し明らかに異質であることが一つある。そうそれは、バットマンは“超人”ではないということだ。極限まで鍛錬はしているのだろうが、ヒーローとしての活躍はありとあらゆるアイテムによるところが大きい。そうなってくると益々重要になってくるのが、彼が超が付くほどの大富豪であるということである。そのキャラクター性のおかげで明らかに高級そうな様々なアイテムに不自由しないのもうなずけるというものだ。ではなぜ、そんな大富豪が夜な夜な闇に紛れ、己の身を呈してまでヒーローに徹する必要があるのか?しかもご丁寧にコウモリのコスプレまでして…。 と、つらつらと考えていくと、いくらダークヒーローだと言っても、これほどまでにその“出生”と“理由”自体が闇に紛れてきたヒーローはいない。近年のヒーロー映画ブームの流れの中で製作された作品であることは間違いないが、この“誕生秘話物語”はまさに描かれるべきして生み出されたと思う。 これまでのシリーズ作品とは一線を画し、ひたすらにダークに、ひたすらにブルース・ウェインの精神の底へ底へと掘り進んでいく映画世界、ストーリーが素晴らしい。その反面、バットマンという稀代のヒーローが持つ類まれな“高揚感”もしっかりと表現され、ストーリーの深さ同様、奥深い娯楽性を携えたヒーロー映画が完成した。
[映画館(字幕)] 8点(2012-02-17 17:09:08)(良:1票)
600.  ヒックとドラゴン
“ドラゴン”がメインで登場するファンタジー映画にあまり良作は無い。というのが、個人的な見解だったこともあり、この映画が劇場公開されていた際も、頻繁にTVCMは見ていた気がするが、完全にスルーしていた。 ドラゴンと少年が出会い、親交を深め、感動を紡ぎ出す……そういうストーリーが容易に想像でき、そこに目新しさなどあるわけがないと思った。  実際映し出されるストーリーの大筋は、あくまで王道的でベタだった。正直、斬新な展開などないのだけれど、そこには映画としての絶対的な“巧さ”が溢れている。 どこかで観たことがある物語であることは確かだが、その圧倒的な巧さが問答無用に感動を生み、観たことの無い物語に初めて触れたような錯覚さえ生んでいる。  落ちこぼれのバイキングの少年がドラゴンとの交流により、精神的に成長し、自分たちが進むべき道筋を見出していく。その様は表面的にはとても分かりやすく、世界中の子供たちが楽しめる物語を構築している。 ただ、それと同時に、時に非常に辛辣な現実描写もきっちりと備えている。  そもそも、一族の中で「不適合者」と烙印を押されている主人公は、リーダーの息子でありながらメインストリートとは明らかに区別されたポジションに追いやられている。 それは、どれほど意欲があろうとも最終的には能力に秀でたものが優遇されるという現実社会の「常識」を表していると思う。 また、決死の覚悟で臨んだ勇気ある行為においては、そのリスキーさに対してしっかりと「代償」が主人公に与えられる。 その「代償」は子供向けのアニメ映画としては驚くくらいに悲劇的なことだけれど、それを映画世界の基本設定とバイキングというキャラクター設定を生かして、ある意味英雄的活躍に対する「勲章」という側面を併せ持たせており、そういう部分も非常に巧いと思った。  とにもかくにも、少年とドラゴンが互いに信頼を築き、少年を背に乗せたドラゴンが空高く飛翔する様に身震いし、涙が溢れた時点で、この映画の価値は揺るがないと思った。  基本的には子供向けの映画であることは間違いないし、出来るだけ多くの子供たちに観てほしい映画だと思う。 そして、その子供たちが大人になって観ても隅から隅まで楽しめる映画であることも、また間違いない。
[ブルーレイ(吹替)] 8点(2012-02-17 00:07:17)(良:2票)
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