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1.  終わらない週末 《ネタバレ》 
Netflixオリジナル映画のなかでは結構フィーチャーされてたとは思うが、地味なタイトルで手が伸びなかった。たまたま見た予告編(というか冒頭の船のシーン)が面白かったので鑑賞。これが大正解で、面白かった。とにかく、何か大変なことが起きている、という不穏な空気の作り方がとてもうまい。普通、この不穏なまま3分の1くらい引っ張って、真相が明らかになり、そしてラストバトル、みたいな展開が予想されるのだけれど、なんとこの映画はずっと不穏で何が起きているかわからないまま。それでも、起きる事件の一つ一つが強烈なビジュアルで、冒頭の船の座礁から、鹿の群れ、飛行機の墜落、赤いビラ捲き、そしてお兄ちゃんのアレまで、どれも見せ方が本当にうまい。そのうえ、誰一人好きになれそうにない登場人物たちなのに、だんだん1人1人のキャラが人間臭く見えてくるのが不思議。ジュリア・ロバーツがこんなにイヤ〜な中年女性を演じるのも驚きだし、マハーシャラ・アリの慇懃無礼さ、イーサン・ホークのいろいろ役に立たない文系親父など、俳優のキャラをうまく活かしている。そして、とっても今どきな家主親子の娘さんは、自分が最も苦手なタイプ(しかも、知り合いにこういうタイプがいて本当に苦手なので、話し方とかふるまいとかがいちいちリアル)なのだけれど、最後の鹿との対峙シーンではなんだかとっても可愛く見えてしまう。  決して明示されないけれど、社会的なメッセージも明らかだろう。混乱し、真相がわからないまま、自滅していくアメリカの姿。だけど、アメリカは、ずっとずっと何年も中南米でアジアで中東で、そして今(2024年)にはパレスチナで、同じことをやってきたのだ。独裁者やテロリストにもお金や武器を流し、人びとの不信を煽り、分断を作り出し、殺し合いをさせてきた。しかし、この映画では、誰か黒幕(悪の陰謀団?)を置いてネタばらしをやるのではなく、結局何が起きているのかわからないまま終わっていくのが何より素晴らしい。そして、作風的にハッピーエンドはないと思っていたのに、まさかの「ほっこり」エンド。参りました。  独特な作風が気になったので調べたら、サム・エスメイル監督は『Mr. ロボット』のクリエイターだった人か! またまた楽しみな映画監督が1人増えました。
[インターネット(字幕)] 9点(2024-09-25 18:39:57)《新規》
2.  フォールガイ 《ネタバレ》 
序盤はなんであんなにモタモタしちゃったのかな。かつてスタントダブルだった男を呼び戻し、元彼女と気まずい再会、それでもスタントマン魂を取り戻したあたりで、やっと「事件」の本題へ・・ここに行くまでが長い。もっとスマートに主人公が巻き込まれる展開もあり得たと思うので、そこはとにかく残念。コメディ要素も序盤こそもっと笑わせないといけないのに、ぜんぜんそういう感じでもなく、妙に湿っぽく話も展開する。しかも、映画ネタ、内輪ネタも多いのもちょっと残念。もっとカラッとしたコメディにできたと思うのだけれど、そこはデヴィッド・リーチ監督の色なのかもしれない。一方、諸々の事情が吹っ切れた終盤は楽しい。この映画に期待してたのはこうゆうのだよと思うも、やっぱり遅かった。主演の二人はとてもよかった。ライアン・ゴズリングはいつもの感じでしたが、楽しそうに突き抜けたエミリー・ブラントが貴重。  ただ、終始イマイチだったこの映画の印象を大きく変えたのはエンドロール。スタントの人たちへの敬意をこうゆう形で示されると、こんな映画(失礼)でもウルッとくる。映画を作る映画という、そのメタ構造が逆にノイズになっていた本作ですが、ラスト後のこれには拍手です。
[インターネット(字幕)] 5点(2024-09-02 22:39:22)
3.  インサイド・ヘッド2 《ネタバレ》 
ついに思春期をむかえた少女ライリー。今回は3日間の合宿中、親友たちと憧れの先輩との関係に悪戦苦闘するライリーの心のなかで起きていた感情たちのドタバタ劇。一作同様とてもよくできていて、思春期に到来する新キャラの4つの感情がにはどれも納得。とくに大人たちは、シンパイ(anxiety)の登場には心当たりしかないでしょう。新しい感情たちと比べると1作目以来の5つの感情たちはどれも「単純」だった。そこに、感情が複雑さを増していく様子が広大なココロを舞台とした冒険として描かれる。中心になるのはヨロコビ(joy)とシンパイの対立?だけど、いきなり倍増した感情たちのそれぞれに意味のある活躍の場を用意しているのもいい(思春期の子どもの親としては、ダリイ(ennui)がツボでした。それからノスタルジーの扱いも面白い)。そして、終盤、ついに暴走してしまうシンパイとパニックに襲われるココロをみんなで乗り越えていく様は、親目線でも感涙もの。そこにあらわれる「自分らしさ」へのストレートなメッセージも大変すばらしい。  ただ、前作や最近のいくつかのピクサー映画に共通する点だけど、どこかロジックの組み立てのほうが優先されていて、よくできているのだけど「感動」よりも「感心」が先に来てしまう感じ。鑑賞中、物語にどっぷりつかるよりも「あ、そういう設定なのね、よくできてるなあ」みたいに思うことが多くて、映画を観ているというよりは心理についての本を読んでる感覚に近い。それは悪いことではないのだけれど、もう少し「感情移入」できたらなあ、とは思う(このテーマ・設定では難しいか・・・)。  思春期の子どもだけれど、恋愛の話が一切出てこなかったのは今風なのかな(前作ラストではちょっとそういう雰囲気もあったのに)。相手が必ずしも異性じゃくてもいいのだけれど「イイナ(envy)」が恋愛となったときにどんな感じになるのか。あと身体の変化との関係とかももう少し描いてもいいのでは?とか。ココロの奥底に幽閉されている「深く暗い秘密(deep dark secret)」が実は最後に大きな仕事をするのではないかと思ったら、オマケ映像止まりだったり・・・。まあ、設定が設定なので、つい、もうちょっと深い話を期待してしまうだけれど、当然脚本チームではそういう議論もあったろうから、あえて、このあたりは切りすてて3日間の成長物語にまとめたのだろう。それは、映画としては結局正解だったと思う。  ちなみに字幕版で見ましたが、ほとんどの映画館が吹替版のみの対応で、字幕版は一部の映画館の夜の回のみというところが多いのは残念。久々のレイトショーでしたが、観客の半分くらいは外国人と思われる方々で、鑑賞中「ここはアメリカか?」と思うような、笑ったり突っ込んだりする人たちがあちこちにいて、とても劇場の雰囲気がよかったのは思わぬプラス要素でした。
[映画館(字幕)] 7点(2024-08-18 16:05:30)
4.  クリード 過去の逆襲 《ネタバレ》 
第1作にはドハマりしたこのシリーズですが、主演俳優が監督というシリーズものの「地雷」を感じるところもあってなかなか手が出ませんでした。でも、見てみれば思ったよりはよくできてた。なにより、マイケル・B・ジョーダン監督でスタローン不在ということで、思い切って「ロサンゼルスの物語」になったのが何よりも本作の良かった点。ロッキーシリーズとクリード1作目が「フィラデルフィアの物語」を通してきたのに、2作目は微妙な感じになっていたところ、今作では、デイムとアドニスの「LAストリート物語」へと転化したことで、3作目のマンネリ感や「闘う意味」をちゃんと再定義できていたと思います。ジョナサン・メイジャースの佇まいや、人懐っこそうなのにどこか暗さを秘めた表情もいい。アドニスが「捨てた」過去への後悔や後ろめたさと、これまでのライバルにはない、何をするかわからない怖さが伝わってきました。最後の試合のアドニスのパンツが、あの星条旗の「CREED」ではなく、白の「ADONIS」であったのも、この試合は、アポロ・クリードの息子として生きる前の、アドニス対デイムの対決だというのもうまく表現されていました。シリーズものの常でビル・コンティの音楽の引用は評価が分かれるところかもしれませんが、ロッキーのテーマではなく、Going the Distanceのみという選択も本作については正解だったと思います。  ただ、演出面や脚本面ではやっぱり疑問も。何よりチャンピオンになった後のデイムの変貌が急すぎて戸惑うレベル。母の取って付けたような病気エピソードも。そして、妻ビアンカの立ち位置もちょっとわかりにくい。彼女が「ボクシング」というものをどう考えているのかがちょっとわからないまま、いきなりエイドリアンの「勝って、ロッキー」みたいな立場になるのにも違和感のほうが大きい。デイムの試合は娘に見せたくないのに、アドニス対デイムのときにはその葛藤が消えてるのもわからない。デイムを巻き込んだことを怒ってたデュークが、結局アドニスのセコンドになった経緯もわかりにくい。各キャラの立場とその論理が掴みにくいまま、勢いで押し切ってる感じは、ロッキーシリーズっぽいですが、やっぱり残念。試合の演出など工夫もみられるし、なんだかんだで最後まで楽しめた一作でしたが、もう続編はないと思いたい・・・(でも、マイケル・B・ジョーダンは『クリード4』あるよ、と言っているらしい、うーむ)
[インターネット(字幕)] 5点(2024-08-17 08:26:27)
5.  ツイスターズ 《ネタバレ》 
前作との関係性はいまいちよくわからずに戸惑う。展開などは前作をなぞっている部分(竜巻による主人公のトラウマ経験ではじまる/ストーム・チェイサーのキャラクター/ぶっとぶ映画館・・・など)もあって、続編なのかリメイクなのかよくわからない感じがちょっと気持ち悪く、最初の印象はいまひとつ。  とはいえ、竜巻追跡シーンになれば、そういう裏事情もだんだんどうでもよくなる。CGでやり過ぎない、というか「最新技術で再現された1990年代風味の竜巻シーン」は好印象。無駄にわかりにくくごちゃごちゃした絵ではなく、竜巻で人やモノが飛ぶ。ほぼそれだけのアクションで最後までやりきってしまった点が素晴らしい。また、『ザリガニの鳴くところ』のデイジー・エドガー・ジョーンズ、『トップガン・マーヴェリック』のグレン・パウエルと魅力的な若手が、主人公2人を気持ちよく演じきっているのも魅力。とくに、「自然と共に育ったけれど、知性も備えた女性」という主人公ケイトに、デイジー・エドガー・ジョーンズの起用はぴったりハマっていて、ディザスター映画にありがちな「ドラマパートでの失速」がほとんどないのも気持ちいい。  ただ、ラストの展開には疑問も残る。中学生のときの夢を最新科学で実現という科学万能な展開ではなく、恐ろしい敵との共存の可能性へと進んだほうが、自然の恐ろしさを身をもって知っている彼女の「成長」らしかったと思う。それでも、アートな欲を出すことなく「こういうのが見たかった」にきちんと応える一作。猛暑のお盆休み真っ最中、束の間の涼しい映画館に逃げ込んで見る映画としてはベストの選択だったと思います。
[映画館(字幕)] 6点(2024-08-16 09:57:34)
6.  ブラック・ダリア 《ネタバレ》 
ジェームズ・エルロイの原作は、ロサンゼルス・ノワール四部作のなかでも、いちばんエンタメとしても時代ものとしても面白い。ただ、エルロイの原作の主役は、やっぱり1940年代から50年代の「都市としてのLA」そのもの。戦争と繁栄の背後でうごめく人たち。いろんな人種、階級、性的指向の人たちがハリウッドという華やかな舞台の影で欲望のままに突き進んだ先に訪れる悲劇。その夢と欲望を食って、醜く膨張するLAの姿こそ、エルロイの真骨頂だと思います。ただ、ブライアン・デ・パルマ監督の作風が、残念ながらその「都市もの」としてのエルロイ作品とうまくマッチしていないような。デ・パルマ監督はもっと人への執着が強く、奇妙な人びとが作り出す異様な空気をねっとりと描き出す。とくに、リンスコット家のディナーシーンは出色。前半のなぜか主人公目線のカメラでの家族紹介、一転して俯瞰的な視線からの会食シーン、そのなかで「さー破綻が来るぞ、来るぞ」という緊迫感がたまらない。ただ、全体をまとめるような都市への視線が弱く、どうしても各シーンがバラバラで、へんなシーンの寄せ集め映画になってしまったのでしょう。キャストも、全体的にうまくはまっておらず、こちらもチグハグ感が否めない。  一つ一つのシーンはなかなか面白く、全体としてはあまり退屈せずに楽しめたのですが(原作読んでるのも大きかったかも)、終わってみたら、結局なんだったのかという感じ。原作だったら、そこで浮かび上がる「暗黒都市LA」の姿が、残念ながら見えてこないのですよね。そこに、傑作『LAコンフィデンシャル』との違いもあったと思います。その点で残念な一作でした。
[インターネット(字幕)] 5点(2024-08-10 18:10:21)
7.  フェラーリ 《ネタバレ》 
「男臭い」イメージのマイケル・マン監督が、あの「エンツォ・フェラーリ」を描くということで、胸焼けしそうな濃い作品を想像してましたが、しっかり「いま」の映画になっててびっくり。こんな器用な人だったんだ、と驚きました。アル・パチーノやデニーロでは、それでも「カリスマ性」が勝ってしまうところ、アダム・ドライバーをエンツォ・フェラーリ役に置いたことで、モータースポーツに賭ける思いが家族とも時代とも空回りしてしまった先にある虚無感みたいなもの、そしてレースという営みへの批評的な視線が加わって、とても奥行きのある物語に仕上がりました。もちろん、二人の女性のあいだで優柔不断な態度を続ける情けなさは、ある意味、アダム・ドライバーの真骨頂。とはいえ、まったく突き放しているわけでもなく、冒頭の運転シーンや子どもにエンジンの構造について話すシーンなど、フツーに「車好き」な側面が垣間見えるのも魅力。  前評判でレースシーンがメインではないと聞いていたので、終盤のミッレミリアが結構ガッツリ描かれていたこともうれしい誤算でした。公道を爆走するスリル。車の性能の限界に挑むドライバーどうしの絆など、ちゃんと「男臭い」場面もしっかり描く。しかし、その先に待つ顛末・・・。モータースポーツがずっと向き合ってきた問題がラストに姿を現し、おもわず声をあげそうになる悲劇のシーン。その後の道路に横たわる「アレ」はちょっとやりすぎかなと思いましたが、モータースポーツという「暴力」をいかなる意味でも「男のロマン」に絶対に回収させないという、本作の立ち位置をもっともあらわしていたのかもしれません。『ヒート』や『インサイダー』にうっとりしてきた人こそ、『フォードvsフェラーリ』を男のロマンと賞賛してきた人こそ直視せよ、という2023年のマン監督の叫び、と受け取りました。
[映画館(字幕)] 8点(2024-07-30 15:49:26)(良:1票)
8.  最後の決闘裁判 《ネタバレ》 
さすがのリドリー・スコット。得意の歴史劇ではありますが、決闘という行為の恐ろしさと愚かさ、中世モノの独特の価値観と世界観、それを性暴力をめぐる「羅生門」方式の証言劇が、見事にミックスし、ありそうでなかった新しい映画を作り上げたと思います。  まず、ラストの決闘シーンの迫力は、さすが幾多の決闘を描いてきた監督ならでは。しかもその勝敗が何のカタルシスを生むわけでもなく、マルグリットにとってはただ「もうひとつの地獄」が続くことを意味しているというラストのなんともいえない虚しさ。でも、ちゃんとラストに力強いアップをもってきて、少しだけでも希望を与えるところも含めて、一筋縄ではいかない熟練監督の技に唸らざるをえません。そして、「羅生門」方式の証言劇は、真実の複数性や曖昧さを主張するのではなく、そこに厳然と存在する女性支配の歴史と二人の男の救いようのなさを描くための手法となっているところが素晴らしい。実際、劇中のカルージュとル・グリは、ある出来事について「嘘」をついているのではなく、それぞれのヒロイズムと男らしさに則って、都合良く解釈しているに過ぎない。それぞれの一面的な解釈の醜さが、三幕目のマルグリット視線の物語で一気に可視化される。カルージュ視線では描かれなかったことや、ル・グリの視線を「見られる側」から見たときの醜悪さには、今思い出しても腹が立ってくる。そして、誰の視線から見ても「クズ男」であるベン・アフレック演じるピエールのキャラ立ちには、怒りを通り越して笑いも・・・。  近年ますます多作ぶりが目立つ巨匠の一作品で、見終わった気分は決していいものではありませんが、見事な語り口に翻弄されつつ、有毒な男性性の胸くそ悪さを体験する映画として、ある種のエンターテインメント性も兼ね備えた異色作だと思います。
[インターネット(字幕)] 8点(2024-07-29 22:45:19)
9.  ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ 《ネタバレ》 
クリスマス休暇に帰省できず寮で過ごすことになった学生、教師、寮職員の3人が織りなす人間模様。アレクサンダー・ペイン監督作品らしいシンプルな舞台設定と最小限の登場人物。堅物のハナム先生の管理を逃れたい学生アンガスの不運を笑いつつも、だんだん一人一人が背負った背景が見えてくると、ひとつひとつの台詞や表情がものすごく雄弁で多義的になる構成と脚本は見事です。ミニマムな設定のなかでも、それぞれが抱えている事情が微妙に重なり合い、反発とともに共感が生まれていくプロセスが自然。オスカー受賞したダバイン・ジョイ・ランドルフはもちろん、教師ポール・ジアマッティとアンガス役のドミニク・セッサのアンサンブルが本当に素敵でした。  「家族」との晩餐や友人とのパーティで楽しむのが当然という、アメリカのクリスマス休暇の雰囲気を知っていると、この登場人物たちの孤独感はとても真に迫ってくる(そういえば、自分も留学していたときに、学生がいなくなった大学町に「取り残されて」、なんともいえない孤独感を抱いたのを思い出す)。好意で誘われた同僚のパーティに出席したことで、息子をベトナム戦争で失ったメアリーが取り乱す姿はとってもリアル(そんな状況でもそこで会った女の子と遊びたいアンガスの姿もまたリアル)。クリスマスという行事がもたらすプレッシャーがいかほどのものか。今作は、そんなシチュエーション自体がもたらす絶妙な悲哀をコメディとしてうまく昇華させたと思います。冒頭のユニバーサルのサインを含め、1970年代の映画を再現したような仕掛けも楽しい一方で、ストーリーのなかには差別や格差、そしてメンタルヘルスをめぐる問題など現代的なテーマも盛り込んでいます。  ただ、物語の内容にしては尺が長いような気が。とくに序盤にアンガスと一緒に居残りになる4人の学生たちのエピソードなど「本題」に入るまでの助走が長いのが気になりました。本作のコメディ・パートという役割なのかもしれませんが、韓国人とモルモンという二人の「マイノリティ学生」の描き方などは、アメリカ国外の観客から見ると、ちょっと嫌な感じもありました。そのちょっとした毒気も含めてのアレクサンダー・ペイン作品、なのかもしれませんが。  あと、これは作品の評価とは関係ないですが、やっぱりクリスマス休暇〜新年を扱った映画を6月に公開するというのもいかがなものか。米国で10月公開、A・ペイン監督で評判も上々とあれば、せめて年始くらいの公開だってできたはず。この季節感のなさは、残念ながら映画の余韻を1割程度は削いでしまったと思います。
[映画館(字幕)] 7点(2024-06-27 20:22:10)
10.  マッドマックス:フュリオサ 《ネタバレ》 
フュリオサがなかなか子役からアニャ・テイラー・ジョイにならない。序盤が思った以上に長く、ドラマ重視の展開にやや戸惑う。物語の主軸はディメンタスへの復讐劇であり、やたらとしゃべりまくるディメンタスのキャラもあって、途中まではディメンタスが主役なのでは、と思ってしまうくらいだった。しかも、イモータン・ジョーの「妻」候補として砦に連れていかれたフュリオサが、いかに武闘派幹部になっていくかという話は端折ってる部分も多く、なんか知らないあいだにアニャ・テイラー・ジョイになって出世していた。グリーンランドの場所を唯一知っているフュリオサを、あっさりディメンタスが手放すのも違和感。なぜ、この少女を殺さずに手元においていたのか。このへんの話の整合性の弱さも気になる。  それでも、ディメンタスがガスタウンを牛耳って二大勢力の対決にフュリオサが巻き込まれていく中盤以降はこれぞマッドマックスという移動→アクション→移動のつるべ打ちでとにかく凄い。IMAX専用の撮影ではないということでしたが、普通はスピード感が落ちてしまう遠景からのアクション描写が斬新で、これはやっぱり大画面で見て大正解。空から、左右から、下からと攻撃されるウォータンクをめぐる目まぐるしい動きも、見事に整理されて「気持ちいい」レベルに。トラックやクレーン、さらに塔などの建築物がガラガラと崩れ去る場面も、遠景なのにスピード感も迫力も十分過ぎる。ジョージ・ミラーの冴え渡るアクション演出を堪能できます。  ただ、終盤いよいよディメンタスとイモータン・ジョーの全面戦争、そのなかでどうやって復讐を果たすのか、という場面でまたも肩透かし。「戦争」に興奮するなんて時代遅れだぞ、というメッセージなのかと思うほど。ディメンタスの大演説も今ひとつエモーションをかき立てられず、最後の顛末は現実離れしすぎ。あの実をあそこで使ってしまうということは、フュリオサはついに砦に自分の居場所を決めたのかな、と思った次のカットでは、砦からの脱出へ、という流れもチグハグ。  総じて大満足ではあったのですが、シンプルだった『マッドマックス2』や『怒りのデスロード』と比べると、場面の変化が多く、登場人物の行動原理が掴みづらい。そして、過去作が120分以内におさまってきたのに、今作ではついに約2時間半の長尺に。『マッドマックス』シリーズの一作として見るといろいろ気になってしまうのでありました。
[映画館(字幕)] 7点(2024-06-05 00:24:20)
11.  関心領域 《ネタバレ》 
ホロコーストの隣で営まれるホームドラマ。幸福な家族の日常がどれだけ異常の上に成り立っているのか。これは他人事じゃないぞ、おまえの事だぞと突きつけてくる。日常と異常の重ね方があまりに独創的で、忘れられないシーンが多すぎる。妻が羽織る毛皮のコート、そのポケットに入っていたもの、「カナダ」、「大量虐殺」のための打ち合わせ、不気味な音と重なるオートバイの音、河を流れてくるもの、異動の知らせと妻の反応、地下道の先にあるもの、あらゆる場所がガス室に見えてくること。考えれば考えるほど、正気を保てなくなるような描写のオンパレードで、あとで関連本やサイトで「トリビア」を知って、さらに青ざめている。正直なところ、1回限りのアイデアの勝利だとは思うけれど、ジョナサン・グレイザー監督はその1回の「賭け」に勝ったと思う。  ただ、これだけの作品でも日本公開が遅くなったことはやっぱり不満である。カンヌで話題になってから公開まで実に1年。そのあいだに日本の良心的な観客は、各所で背景など調べて鑑賞に臨んだだろう。少なくとも、(良心的かどうかは別として)私はそうだった。ナチ・ドイツ関連の本やホロコースト関連本も読んだし、専門家の解説も(ネタバレは避けつつ)見聞きしてからの鑑賞だった。おかげで見ながらだいたいのことは理解できた。でも、それでよかったのかどうか、今では疑問だ。少なくとも、それは監督の意図ではないだろう。これだけ独創的な映画の「経験」を、単なる事前学習の「答え合わせ」にしてしまった。これは予備知識なしで、「何だ?これは!?」と半分怒りながら見る映画だったのではないか。その「怒り」は、作品にも向けられるだろうが、結局は、この世界で何があったのか/何が起きているのかを知らないまま、のうのうと生きてきた自分自身への「怒り」になるのだろう。私は、怒る機会を逸してしまった。それはきっと、この映画がもっていた本当の可能性を半減させてしまったことでもあるように思う。
[映画館(字幕)] 7点(2024-05-30 20:24:49)
12.  ロスト・フライト 《ネタバレ》 
最近のどんでん返し満載なアクション映画の感覚からすると、いい意味でのストレートさが目立つアクション映画。自己中心的な乗客、護送中の凶悪犯、弱小航空会社のリスク管理コンサルタント、民間の救出部隊など、いかにも「信じてはいけなさそう」な人たちが、結局素直に主人公の味方としてしっかりと大活躍。最近の映画に慣れた観客には「いつ、誰が裏切るのか?」のサスペンス効果も十分だったのですが、思った以上に何も起きない、ストレートなアクション脱出ものでした。ただ、この映画に関しては、その「潔さ」が大きなプラスとして機能していたと思います。飛行機サスペンス、辺境の島を牛耳る「ならず者」との対決、そして最後にもう一度の飛行機アクションというメインの流れが、テンポ良くダレることなく展開し、見終わってスッキリ。飛行シーンのCGクオリティなど残念な部分もありますが、低予算アクション映画の鑑のような一作です。潔すぎる原題『Plane(飛行機)』にも拍手。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-05-12 18:31:30)(良:1票)
13.  ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE 《ネタバレ》 
さすがに長い。このシリーズ、(「スパイ大作戦」を思わせる)「ミッション」をめぐる知的なだまし合いと、高所バトルやチェイスなどの「アクション」のあいだのバランスがどんどんおかしくなっているのですが、今作ではさすがに擁護できないところまで来た感じがします。今回は2つのカギをめぐる争奪戦なのですが、30分近くかけてあちこち壊しまくってすったもんだした挙げ句、最後の5秒くらいでその行方が決まる(それもスリという最も原始的な技術で)というパターンが多いので、肝心の「アクション」が物語にうまく接続されない。ラストのできるだけ高いところまでいって飛び降りるっていうのはその最たるもので、物語上の必然性がないために、せっかくの体を張ったアクションにも白けてしまってる。シリーズ最長の2時間40分も使ったわりには物語の動きは乏しく、間延びして本筋には絡んでこないアクションが続き、本シリーズのなかでは最もテンポも悪かったのでは。ベンジーとルーサーも見せ場少なめだし、このシリーズのヒロインってみんな似た感じの美人が多い気が・・・。新ヒロインのグレースのキャラもなんだか既視感があって、あんまりワクワクせず。GOTGでおなじみポムさんは違った顔が見れて面白かったけど。  それでも、ラストのオリエント鉄道でのアクションは、ロケーションとスピード感もすばらしく、十分に楽しんでしまったのは事実。1作目のオマージュとなる屋根の上の決闘からの落下アクションのシークエンスはさすがでした。ただ、マンネリって怖い。これだけのものを見せられていても、もう飽きてる自分にちょっと驚いています。
[インターネット(字幕)] 5点(2024-04-28 11:53:26)
14.  パスト ライブス/再会 《ネタバレ》 
見終わるといくつかのシーンが頭から離れない。本当に美しい106分間でした。  主人公のノラは小学校時代にソウルからカナダに移住し、いまは家族とも離れて作家としてニューヨーク暮らし。ノラの小学校時代の(両想いの)幼なじみヘソンは、途中で兵役や上海に留学した期間もあったけど、基本的にはソウルにとどまっている。NYで自分のキャリアを追求してどんどん前へ進んでいくノラと、ソウルでなんとか暮らしながら、いつも同じメンバーの男友達と焼き肉屋でのやりとりを繰り返すヘソンの描き方は、とても対照的。二人は10年前にSkypeを介して遠距離でやりとりするも、結局会えないまま。そして現在のNY、結婚したノラのもとにヘソンが尋ねてくる。24年ぶりの再会は果たして・・・というストーリー。  広告や予告編のイメージでは、コリアン・アメリカンの女性がかつて恋人だった一途なイケメン韓国男性とNYで再会、というキラキラ恋愛ストーリー風だったのだけれど、実際見てみたら全然違ってた。たしかにヘソンは一見イケメンではあるのですが、NYに降り立った彼の野暮ったさ。今どき英語も片言でいつも自信なさげ。それでも、ノラと時間を過ごすうちに、彼の迷いや気持ちが、台詞というよりも佇まいや表情、語っている言葉の裏側から少しずつ見えてくる。その過程が、とても自然で、リンクレイター監督のカップル再会ものの傑作『ビフォア・サンセット』を思わせる、自然な会話と態度の変化が、雨のニューヨークを舞台に丁寧に描かれていました。  そして象徴的な場面の数々。冒頭のノラと夫のアーサーそしてヘソンの3人の並び。子ども時代のノラとヘソンが別れる「分かれ道」。そして、ラストのウーバー車を待つノラとヘソン。どれも台詞はほとんどないのですが、空間の切り取り方と間の取り方がすばらしく、どれも脳裏に焼き付いています。とくに、ラストのノラのアパートを出て歩くシーンは、「無言であることに悶絶する」屈指の名場面です。これを映画館で味わえたのが一番の幸福だったかもしれません。やっぱり大作以外は配信に偏りがちな映画鑑賞習慣を見直さなきゃと思いました。  結局、ノラとヘソンは、子ども時代の「分かれ道」で言えなかったことを言うために、24年間かけてきたわけですが、「あの時こうしていたら、ありえたかもしれない二人の姿」を思いながらも、「いま」を抱きしめるラスト。こんなド直球な大人の恋愛映画、本当に久しぶりでした。冷静にみれば、アーサーもヘソンも「いい人」過ぎて、ちょっと主人公にとって都合良すぎな感じもありますが、それを補って余りある美しいシーンの数々と自然な会話の脚本をぜひ堪能してもらいたい。  蛇足ですが、FacebookやSkype(とくに着信音)が、ひと昔前のノスタルジックな感情をかき立てる小道具としてとっても効果的だったのには、時の流れを感じました。
[映画館(字幕)] 9点(2024-04-25 16:44:06)
15.  THE BATMAN-ザ・バットマン- 《ネタバレ》 
スター的な名前ではなく、映画ファンが「おっ」と思ってしまうキャスティングに唸る。ロバート・パティンソン、ポール・ダノ、アンディ・サーキスあたりはしっかりハマっているし、ほぼ声だけ出演のバリー・コーガンは次が楽しみ。一番有名どころかもしれないコリン・ファレルがすぐに誰かわからないメイクしてる役というのもナイス。バットマンというか、マスクにケープの異常者が醸し出す「哀しさ」を追求して展開していく物語も好みです。暗い映像は、ザック・スナイダー版よりも奥行きがあって「何やってるかわからない」暗さではなかった。音楽もよかったし、まさかのニルヴァーナ! 90年代グランジロックと当時流行ったサイコスリラー風味が重なって、見事に世界観を作り上げていたと思います。  ただ、その見事な世界観をもってしても苦しい部分も。一番はみなさん言ってますが、やっぱり長い。マット・リーブス監督は、『猿の惑星』リブートでも小気味よかったルパート・ワイアット監督版からどんどん重苦しく長い方向に変えてしまったのですが、正直3時間が必要な内容だったのかは疑問です。それからヴィラン。ヴィランを狂言回しに主役であるバットマンその人(THE BATMAN)を描くというコンセプトはわかりますが、せっかくのポール・ダノはもうちょっと見たかったし、彼の「復讐」の物語のほうが正直ブルース・ウェインの話よりも面白そうに感じてしまった、というのも設定的には失敗なのでは。そっちに時間を割いての3時間なら、まだよかったかな。また、今回のリドラーにせよ、たぶん次回出てきそうなジョーカーにせよペンギンにせよ、メンタル系のヴィランが続いてしまう感じがするのもマンネリ感が。ゾーイ・クラヴィッツは歴代キャット・ウーマンと比べると残念ながらインパクト不足か。シリーズ作の常なのですが続編はさらに長くなる傾向がありますが、そこまで長いバットマンって、うーん見たいのかなあと微妙なところ。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-04-22 07:48:13)
16.  オッペンハイマー 《ネタバレ》 
まず、アメリカ公開から時間がたちすぎで事前情報も入りまくり、まっさらに映画を観られなかったのは本当に残念。そんな状況を作り出した配給会社に対して、私は結構怒っている。事前情報なんて蓋をしておけと思われるかもしれないが、そこそこ映画好きな人間がアカデミー賞作品に関する情報を完全遮断なんて無理に決まってる。正直、アカデミー賞のときに(事前試写で見たであろう)評論家やジャーナリストが、その内容をあーだこーだ語ってるのだって不愉快だった。これだけの大作・話題作を、まったく見られない状態でオスカーの日を迎えるなんて、なんと不幸なことだろうか。  そもそもノーランは過去に『ダークナイト・ライジング』で核兵器をものすごく雑に扱った前科がある。あれ以来、私はノーランが核を描く、という本作のコンセプトに懸念しか感じなかった。あるいは、あれがきっかけでもう一度勉強して、今度はそのリベンジなのか。そこを確かめたいという思いもあって、公開翌日に映画館へ。  さて、実際に見てみた感想としては、IMAXで見る「おっさんばかりの会話劇」は、過剰気味な音響効果も相まって見所は十分。たしかにこれは、後々まで語られる重要作品であるのは間違いないだろう。面白いのは、本作を見終わった身近なみなさんの感想が、「本当に同じ映画を観た?」と思うくらいバラバラだったこと。ある人は、核の悲惨さを描いたものだ。原爆被害のシーンを描かなくても(描かないからこそ)十分にその「恐ろしさ」を描いていたと言うし、ある人は、これはナチ対ユダヤ人の闘いとその遺産を描いた映画だと言い、別の人は赤狩り時代のアメリカを描いたものであって、核はむしろおまけだったと語っていた。オッペンハイマーの周りにいた戦前の共産主義者の闘士たちの奮闘へのリスペクトを描いた、という明らかに的外れな見解を熱弁してる人までいる。  なんでこうなったのかといえば、緻密なのにちょっと緩い(ゆえに鑑賞者の解釈の枠組が入り込みやすい)時間軸バラバラ構成のおかげなんじゃないかと思ってる。別々のシーンがバラバラに配置されているなかで、その個別の場面をつなぐ「物語」を観客一人一人が見出しやすい構造になってる。そう考えると、原爆被害を描かなかったことも理に適ってる。私は描いたほうがよかったと思ったけど、もともと核問題・原爆被害に関心がある人は、描かれなくても自分が知っている「悲惨な絵」を思い浮かべながら見れるわけだし、そうだからこそ後半のオッペンハイマーの苦悩にも感情移入しやすい。ところが、アメリカに多そうな核問題に関心ない人たちは、描かれないがゆえにそこではなく、男たちの嫉妬のドラマだったり、戦争・冷戦・赤狩りという時代を描いた大河ドラマとして、十分に楽しめてしまう。実に、賢い。作り手の物語に引き込むのではなく、観客がそれぞれを再構成しやすい構造こそが、この映画の勝利だったし、だからこその興行成績と賞レース圧勝だったのだと思う。  結論としては、映画としての出来はすばらしい。ノーラン映画のなかでも出色だし、これでオスカー取れてよかったね、という気分。だけど、この映画で『ダークナイト・ライジング』での前科を克服したとはいえない。むしろ、悪い方にパワーアップして「非社会派な映画」の最高峰に達したと考えるべきだと思う。
[映画館(字幕)] 8点(2024-04-13 18:19:02)(良:1票)
17.  哀れなるものたち 《ネタバレ》 
前作『女王陛下のお気に入り』で免疫はできていたと思ってたヨルゴス・ランティモス作品ですが、今回もまた独特すぎるワンダーランド。前作では3人の女優の演技合戦が見物でしたが、今回はエマ・ストーンの独壇場。冒頭の赤ちゃん演技から終盤の難しい語彙も駆使する知力あふれる姿まで、やりたい放題という感じでした。それが女性の解放と自立という本作の主題とも見事に合致していて、彼女の表情や動き、ファッションを見ているだけでなんとも爽快な気分になるから不思議です。とくに、後半に彼女が「知」にめざめるきっかけが、「男」ではなく、本とシスターフッドであったというところは、とてもよかった。マッド・サイエンティストともいえるゴッドウィンがそれでも彼女と関係を築けていたのも、科学という知への執着があったから。また、船で出会った黒人青年とベラの会話もよかった。彼が現実の矛盾を象徴する「格差」をベラに見せつけることで、本作が単に性欲や性愛の話ではなく、私たちも生きる「世界」についての寓話であることが明らかになります。セックスのシーンばかりが話題になるのですが、実は「知」というものの可能性を描いたものとして受け取りました。  とはいえ個人的にはちょっと難点も。まあ、キャラの位置づけ上しょうがないのですが、マーク・ラファロ演じるダンカンにはもう少し奥行きがあってもよかったのではないかとは思いました。ダンカンと終盤に登場するある男性はまさに「有害な男性性」の象徴なのでしょうが、彼自身のなかにある理のようなものを浮き彫りにしてはじめて、「有害な男性性」と向き合えるのではないのかな、とも思いました。
[映画館(字幕)] 7点(2024-01-29 22:24:47)
18.  TAR/ター 《ネタバレ》 
これはまた強烈な一作でした。ケイト・ブランシェット様のためという感じの序盤のカリスマぶりも素敵ですが、彼女の本領はやっぱり後半の転落劇。あれだけの「強い」彼女であっても(いや、そうだからこそ)スキャンダルと罪悪感で「墜ちる」描写にも妙なリアリティを感じてしまいます。とくに、廃墟のようなアパートで自分で勝手に転んだだけの怪我を「暴漢に襲われた」と盛ってしまうところ、彼女がこれまでも虚勢でギリギリで自分を支えてきたことがにじみ出る見事な展開でした。ほかにも、「傲慢な白人男性」バッハを尊敬できないというジュリアードの今時な学生たち、セクハラ告発の風潮に不安げな師匠先生など、登場人物たちの微妙な立場性が、ターの強さと弱さを浮き彫りにしていく構成はなかなか見事です。終始、彼女を陥れようとする陰謀や襲撃者の実際の姿は見えず、実はそんな「陰謀」なんてない、ただの被害妄想にも思えるサイコな展開もうまい。  そして、そんな彼女が転んでもただでは起きないというラスト。あれを「ここまで落ちぶれたか・・」と見るか、「おお、新しい世界へ踏み出した!」と見るかは観客次第。最初、このラストを前者として解釈してしまった私もまた、転落前の彼女と同じ価値観を共有していたのでしょう。でも、その前のニューヨークの古いアパートでバーンスタインのビデオを見た彼女の表情を思い起こせば、あのラストもまた、十分に前向きな、彼女なりに音楽と向き合った結末と言えるのではないでしょうか。  ただ、そのバーンスタインもまた人間的にはいろいろやらかしていた人物だったのを、たまたま前日にNetflixで映画『マエストロ』で見てしまったので、ちょっとそのラストにうまく乗れなかったというのもたしか。いまさら「アジア」への逃亡で人間性を取り戻す的なオリエンタリズムもいかがなものかというのも含め、すんなり「いい映画だった」とも言えないのがなんとももどかしい。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-01-28 23:52:44)
19.  マエストロ:その音楽と愛と 《ネタバレ》 
偉大な指揮者で作曲家、『ウエスト・サイド・ストーリー』の音楽でも知られるレナード・バーンスタインとその妻フェリシアの関係を描いた伝記作品。バーンスタインの音楽での創造性や軌跡を描いた作品として見ると期待外れかも。基本的には夫婦ものとして見た方がいいのだろう。予備知識がないと驚くのは、バーンスタインは「バイセクシャル」らしく、フェリシアのほかに男性の恋人もいること。ただ、「三角関係」的な描き方でもなく、あくまで焦点は夫婦の関係にある。この夫婦を演じたブラッドリー・クーパーとキャリー・マリガンが見事な演技を披露している。「マエストロ」と称される音楽家で奔放かつ身勝手なバーンスタインも、ブラッドリー・クーパーのおかげで、嫌みにならないチャーミングな人として描かれていたし、フェリシアが俳優としてのキャリアと家族とそして何よりも夫との関係に振り回されるなかで見せる、一本芯が通った美しさはさすがのキャリー・マリガン。  映画は二人のやりとりが中心ですが、音楽映画としてもバーンスタインが5分あまり髪を振り乱し汗まみれで指揮棒を振るマーラーの演奏シーンは圧巻。これだけでも見る価値があるし、エンドクレジットのおまけで二度美味しい。ぜひよい音響の環境で楽しんでください。  一方でいくつか疑問点も。一つは、画面のアスペクト比。4:3くらいで昔のテレビ画面みたいなのはなぜ。演奏シーンなどはスクリーンいっぱいで見たいと思うのだけど、人物ドラマが中心だよというメッセージなのかな。それから、バーンスタインの男性の恋人との関係性。フェリシア視線のバーンスタイン像であるからしかたがないのだけれど、男性の恋人たちは存在感もなく、人間性もよくわからない。そのため、とくに後半はすでに有力者であるレナードが、気に入った若者に「手を出している」感じになってしまうのがなんとも。これ、異性だったら間違いなく感じ悪いし、同性だったらいいというわけでもない。この作品はバイセクシャルとしてのセクシュアリティに焦点を当てたわけではないのだろうけど、それにしても、恋人たちの考えてることとか(最初のデヴィッドくらいかな、丁寧だったのは)全然見えてこないのはちょっと・・・。最後に、バーンスタインの鼻のメイク。あれはやりすぎでは。本物に似せてるのだろうけど、ああいう特殊メイクなしでも、十分に「レナード・バーンスタイン」を表現できていたと思うのだけれど。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-01-28 09:55:44)
20.  フェイブルマンズ 《ネタバレ》 
スピルバーグの映画って「怖い」ですよね。異世界とか怪物とかの「それ」ではなく、人間が怖いといったらありきたりですが、人と人のあいだにある「絶望的な溝」みたいなものが垣間見えてしまう「怖さ」っていうのかな。自分が「これは理解できないかもしれない」っていうものが目の前にあって、でもそれとなぜか対峙しなきゃいけなくって、でもやっぱりわからなくて・・みたいな瞬間。  巨匠の自伝的作品とはいえ「思ってたのと違うらしい」と聞いていたので、あまり期待せずに見てみたら、その「怖さ」の深源を見てしまったような、そんな作品でした。冒頭の『史上最大のショウ』でサム少年が夢中になったのは機関車の大事故のシーン。大人目線ではいかがなものか、というものではあるのですが、子どもがそこに吸い込まれる感じ、すごくよくわかる。ところがカメラを手にした頃から、サムはフィルムに「得体のしれないもの」が残ってしまう恐ろしさと対面する。父親の友人ベニーに向ける母親の視線なんて、思春期の少年が一番見ちゃいけないやつだし、母親だっておそらくあのフィルムを見るまでは自覚すらしてなかったかもしれない。でもフィルムに残っちゃったものはしょうがない。そこから始まる家族物語の顛末の辛いことったらない。母親はだんだんおかしくなり、猿にベニーと名付けるあたりで、決定的な「溝」が見えてしまう。一方で、イヤ〜なイジメっ子高校生もカメラを通せばなぜか「キラキラ」男子になってしまうことの不思議。カメラを向ければ、被写体の本心だけでなく、自分の奥底にある欲望にまで向き合うことになる・・・。  本作を見ると、映画賛歌どころか、スピルバーグの映画ってもしかして映画への「復讐」だったのか、とさえ思えてくる。偏執狂的ともいえる「恐怖」への執着、ヒューマンな映画にふと挿入される人間を突き放したような表現、そして、他者を理解することに対する諦めにも似た冷静さ、そして不謹慎なものがもたらす高揚感・・・。今までのスピルバーグ映画にあった二面性というか多面性の由来を見た感じ。「復讐」でもあるけれど「ラブレター」でもある。「思ってたのと違った」けど、こんな違いなら大歓迎。こんなん、スピルバーグにしか作れない「恐ろしい」映画でした。
[インターネット(字幕)] 9点(2023-12-25 17:50:07)(良:1票)
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