1. 宇宙戦争(2005)
《ネタバレ》 スピルバーグ監督の作品は割と観ているが,特に好きな監督という訳でもない。『シンドラーのリスト』,『インディアナ・ジョーンズ』シリーズ,『ミュンヘン』,『ジョーズ』など見ごたえのある映画もある一方,『ターミナル』だとか『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』だとか,訳の分からない映画を撮ってしまうので困惑させられる。そしてこの『宇宙戦争』もその一つで,同じ監督なのか?と思わせられる。 確かに名作『ジュラシック・パーク』や『ジョーズ』のように,人間を追い詰める異生物を描く時のシーンを観ると,サスペンスを描く手腕は顕在なのだと感じる。芸がないといえばそれまでなのではあるが,強者の弱者への追跡という十八番は何度観ても優れていると思うのだ。また,『ジュラシック・パーク』や『ジョーズ』などには絶対にない設定が本作の魅力であるが,それは圧倒的に強い敵を描いている点だ。恐竜は,銃で倒せる。だが本作の敵は生身の宇宙人がなかなか出てこず,蛸のような乗り物に乗って,人間の生き血を吸うが,バリヤーを張っているので人間の攻撃はまったく通用しない。この圧倒的なパワーを持つ敵を描いたというのはスピルバーグ作品では珍しいことであろう。 しかし,演出に冴えがあるにもかかわらず,設定やそもそもスクリーンプレイがどうしようもない。トム・クルーズの息子はなんだ。簡単に人間を殺す敵に生身で立ち向かうため,父親と離れたにもかかわらずなんと生きているというのだ。家庭を顧みない父親という設定がトムだったから,そんな父親にアディオスというのが息子の行動ではなかったか。それを台無しにするかのような生還。 原作があるから仕方のないことかもしれぬが,最後の最後で教訓めいた台詞が出てくるのは解せない。地球と人間との共存だとか,地球にそもそもあるものが宇宙人を倒しただとか・・・実際後者の理由で映画は戦争終結に至るが,ばかもやすみやすみいいなさい。圧倒的に強かった敵が,地球に備わったものと相容れないから敗北するというあっけない結末には失望する。私はダコタが,宇宙人の攻撃を「テロなの?」といった冒頭の台詞に期待した。米国における理不尽な暴力が初めてやってきたのが9.11のテロ事件とすれば,この映画はそれを,遂に戦争にまで高めたのかと思ったからだ。現に「ヒロシマ」という台詞もあったと思うが,最後に全てを台無しにした。 [DVD(字幕)] 5点(2006-09-03 22:54:42) |
2. コラテラル
《ネタバレ》 トム・クルーズの演じる孤独な殺し屋は,悪くない演技だった。髪を白く染め,グレーのスーツできめる彼からはロサンジェルスの高給取りを思わせるに十分な格好だ。だが,『レイ』で,アカデミー賞を獲ったという文句がついてまわるジェイミー・フォックスについては,一介のタクシー運転手という役柄には向いているが,殺し屋にはむかって勝つことができるほどの突発的な暴力を演じるには向いていない。ドライバー役に徹するのが関の山ではないか?女を殺し屋から守って撃ち殺せるほどのエネルギーを彼からは感じない。 悪い役者ではないのかもしれないが,物語中で,彼をクルーズの代わりに,つまり殺し屋として雇用主の元に向かわせるシーンがあるけれど,雇用主は,フォックスから感じ取られる言いようのない凡庸さに,彼は嘘をいっていると見抜いてしまうだろう。それほどまでに彼は普通でありすぎるのだ。たとえば同じ普通の人を演じる日本の役者・浅野忠信は,普通の人が突発的な暴力に覚醒する瞬間を実に映画的にセンセーショナルに演じることができる。この映画は脚本がロクでもないせいもあるが,フォックスが警察の銃を奪って,殺し屋を殺しに行こうと考える瞬間の,思考の転換について観客が驚かさせることはない。 物語はアラだらけもいいところで,殺し屋が自分の仕事に誇りを持つかのような台詞を吐くのなら,足がつきそうなタクシー運転手をいつまでも使わないことだ。『ヒート』のマイケル・マンは,善悪二つの対峙を描きたかったのかもしれない。けれど,そうすることによってリアリティを失うようでは何の意味もない。殺し屋が銃撃に自信を持つのは当たり前だ。だが銃の扱い方になれていない素人に,銃で負けるのであれば,向かい合って撃つシーンで殺されるなんていい加減な設定はやめて欲しい。仕事に必要な資料を,やすやすとタクシー運転手に奪われ,挙句の果てにそれを紛失されてしまうなど,やぼもいい加減にしないと観客の失笑を買うだけに過ぎない。こんないい加減な設定で,客を楽しませると考えているなら,マイケル・マンは最悪な監督だし,『ダイ・ハード』だとか『48時間』,『リーサル・ウェポン』だのといった娯楽アクション映画をもっと見習って欲しい。つまり,まともな物語を作れないのであれば,娯楽に徹せよということだ。気取った台詞や音楽など要らない。 [DVD(字幕)] 4点(2006-08-13 13:26:42)(良:1票) |
3. バットマン ビギンズ
《ネタバレ》 クリスチャン・ベールという男優は初めて見たがバットマン役としてはなかなか良い。陰影のある雰囲気と富豪の風貌がマッチしている。幼い頃両親を殺された男という設定も納得できる演技をした。それだけでも映画を観た価値がある。その他の俳優は演出面でそれほど良くない。期待したリーアム・ニーソンは良いことは良いものの、やはりMONSTERのようなバットマンと生身の人間が闘うという設定は興奮しにくい。見ていて力の差が圧倒的にあるような感じがした。渡辺謙はやはり良いが、出番が少な過ぎる。だがその少ない出番を、ラーズ・アル・グールという奇妙な役どころで鮮明な印象にしたのはさすがという他ない。 「ビギンズ」というだけあって、バットマンの誕生秘話のような内容である。これを丁寧に描いた『バットマン』シリーズは今までなかった。今までは初代『バットマン』の影響から抜け出せず、単なる色モノのヒーローアクションで終わっていた。それを、バットマンの誕生から丁寧に、心理描写にまでわけいって描いたのは(可否があるものの)、良いと思う。いいかげん、西洋の人間が、東洋に「精神論」を学びに行くのは、『セブン・イヤーズ・イン・チベット』あたりで終わりにして欲しかったものなのだが(そのくせ西洋人は中東に軍隊を派遣したり東洋文化を軽んじているところがあるのだから、変な連中である)。これからの展開に期待が持てる作品であることは確かだから心よく見守って行こう。ただ、懸念されるのは、この続編モノ的やり方が、『キル・ビル』っぽい感じがしてしまうところである。やたら忍者とか渡辺謙とかカタナが出てくるとなおさらだった。 [DVD(字幕)] 7点(2006-02-02 00:49:23) |
4. ブラッド・ワーク
《ネタバレ》 クリント・イーストウッドお得意のアウトローなサスペンス映画。もう見飽きているが、俳優としてのイーストウッドはいつまでも格好良い老獪なイメージが付き纏う。そういう価値があるのだ。しかしいい加減脚本や演出で勝負してもらいたいと思う。蓮實重彦が絶賛している監督だが、正直ついていけぬ部分が多い。とりあえず、レビューを。 FBIに在籍している時、主人公を執拗に付け狙う愉快犯がいた。顔も素性も詳らかではないが、彼を指名して罪を犯す人間と格闘している最中、彼は心臓発作を起こして倒れてしまう。数年後、心臓移植をした彼は既にFBI捜査官ではなくなっていた。そこへ、心臓のドナーの妹を名乗る女性が現れる。姉を殺した犯人探しを彼にやってほしいというのが彼女の願いだった。そこに、あの愉快犯の姿が浮かび上がってくる。・・・ まさしくいつもながらのサスペンス映画という感じがする。おかしい所は腐るほどある。心臓移植をした元捜査官に過ぎない民間人が、かつてのツテを頼って捜査を行ったり、彼に情報を流す警察官がいたり、根拠もなく犯罪者だと決めつけた人間の乗る車に向かって発砲することなど。もっと言えば犯人との格闘もおかしい。移植された心臓はその人間にとっての心臓ではない。借り物の心臓から生み出される血を持つ人間の力など微力に等しい。しかし、それらの疑問は全てイーストウッドが演っているという一点で納得される。イーストウッドならリアルな疑問を自分に吸収するだけの摂取能力を持っているのではないか、と思わせる。それは今までのイーストウッド映画を延長させた思いだ。心臓移植をしようが、イーストウッドの摂取能力と、彼の舞台装置に自分を完全投影させることがあれば、疑問は疑問に介しない。B・ウィリスとは全く違う不死身の価値が彼には具わっている。隣に住んでいた中年の遊び人が真犯人だったという半ば予想できた展開にも、彼がウィリスとは違う価値がある。それは、不死身の超人を演じながらリアルさを漂わせていることだ。あっけなく姿をさらした生身の人間が顔のない真犯人だったとはリアルにもほどがある。組織の裏を探るとそこには隣人がいた、というのとは違う。最初から彼は姿を晒してしまっている。船上生活する浮浪人イーストウッドは地に足をつけないリアリティの持ち主のように見えた。 5点(2004-06-20 23:56:52) |
5. マッチスティック・メン
《ネタバレ》 良くできた映画です。自分の殻に閉じこもる余りに詐欺師が詐欺師に騙されるなんて、憎い演出です。一貫してケイジ側の視点に立った作品のために、屋外シーンでも部屋のシーンを見ているような錯覚を与えるが、質が高いと思います。潔癖な性格で塵一つの汚れすら許さないケイジ、あるいは肌の触れ合いをも許さないケイジに、接近して来るのは別れた妻との間に出来た娘。彼女との触れ合いによって、ケイジは徐々に肌の触れ合いを許そうとしますし、いたいけな子供の侵入によって、部屋は穢れを持ってしまいます。むしろ、その触れ合いがケイジの心を開くし、屋外へ引き出させる誘引となる。ところが、ケイジは娘と生活を共にすることができなくなってくる。一方的にケイジ側の視点で作られたこの映画にとって、外部との接触にケイジを連れ込む娘は次第に邪魔になってくるからです。潔癖なケイジの、外気さえも許さぬ、屋外を屋内であるかのように擬似化するところの、自室の無機質空間には、しかし、娘の正統防衛の行為によって血液がぶちまかれることになる。しかも、血液を大量に部屋にぶちまけることによって、部屋には死体が転がることになります。ケイジの潔癖な性格で統一されたかに見えるこの映画でしたが、その性格がもたらしたかのように、娘が無機質の部屋を、取り返しのつかない外気で満たしてしまう。それが、母よりも父を求めた娘との交流で多少外気に触れつつあった矢先のことだっただけに、ケイジは潔癖さを台無しにされることで遂に心を開くことにしました。つまり、娘が自分を助けるために犯した殺人を、ケイジ自らが全面的に庇うことにしたのでした。そして今まで稼いだ金をソックリ娘にやりたいと言い出した。と、ここまで来ればチャンチャンなのですが、冒頭に書いた通り、詐欺師ケイジが詐欺師に騙される映画ですから、ケイジは信頼しきっていた全ての者に裏切られます。潔癖症について相談していた精神分析医、無二の詐欺の相棒、取調べをした警察官、殺人事件の被害者、そして実の娘にまで。ケイジの無機質部屋を血で洗い直すこと(その血は嘘であることが明かです)が、体と体を重ね合わせる自然な人間関係へのきっかけで、転換の大規模さを演出して描いている。女性とも長く関係していなかったケイジに、レジで出会った女性との結婚、妊娠が待っているというラストは、外気や血や抱擁の必要性をケイジに教えてくれます。 8点(2004-06-20 23:46:53)(良:1票) |
6. コン・エアー
《ネタバレ》 前半の囚人大暴れに期待したのですが、後半以降爆発が連続し過ぎて鬱陶しい。興奮し難いことこの上ない。こういう爆発が連続する映画は、観客を楽しませるためにあるのでしょうが、なんとなく米国の戦争観を表しているように思えてなりません。この映画でも、ニックという仲間がいるために、ジョン・キューザックは飛行機を撃ち落さないようにしますが、そのおかげでラスベガスの街では死人が続出。お前さえいなければ・・・何でも戦争に口出しする米国=ニックとジョンといった印象を受けますね。 囚人たちのキャラは良かった。主演のニックもムキムキ男が似合ってます(アクションスターとして演じていますが、どことなくコメディの匂いがする感じが上手いと思います)。 3点(2004-06-07 11:29:45) |
7. フェイス/オフ
ジョン・ウーの映画ってこれしか観た事ないんですが・・・合わないかもしれない。センスのある映像ではあると思うのですが、アクションシーンがいかんせん退屈過ぎる。もっと痛い暴力を観たいし、駄目ならもう少しありえそうな路線でアクションを描いて欲しいです。爆発爆発続きで、銃と銃を向け合うシーンのシークェンスも見ていて醒める一因になっています。この劇的な演出を作るために、色々セッティングしてる感じが画面が匂ってくる。いや~、いつになったら闘い終わるんだろって感じで、見せつけるために延々と長く物語をさらしているあざとさが何とも嫌です。あと、俳優陣にも難癖。安部公房の『他人の顔』にヒントを得た、人間と人間が逆になる発想はいいのですが、これを描きたいがために、最良の悪役たるニコラス・ケイジが善人を演るという失策をしてしまっています。ケイジは上手いので、善人もできるのですが、相手が何をやっても「ジョンになる」というトラヴォルタなので、彼を悪役にするならケイジを悪役にしてくれ・・・と思ったので残念でした。特にケイジは、序盤、教会で女のケツをさわりながら絶叫するシーンを演じていて、コミカルな悪役でカッコイイなあと思っていただけに落胆。トラヴォルタも悪くないのですが、『パルプ~』の頃の汚さがとれちゃって普通のおっちゃんになってしまっています。 5点(2004-06-02 19:32:07) |
8. ジャッキー・ブラウン
タランティーノが普通の映画を撮った。タランティーノ監督による普通の映画は余り観たくないので、前二作と比較すると興味を逸しますし、雑感も劣る。とはいえいつも通りのオタクらしさをぷんぷん匂わせるところは好きです。主演女優パム・グリアーが、今回のシネフィルたるタランティーノを教えてくれるのですが、DVDの特典映像で語っているように、彼女は一昔前のタランティーノにとっての超女優だったらしい。そのために、映画はグリアーを中心に一昔前にタイムスリップしているようなノスタルジーがあります。タランティーノのオタクぶりは、『パルプフィクション』で再び光を浴びたJ.トラヴォルタのように、昔に戻るのではなくて、タランティーノ流に役者を料理する了見の狭さに生かされていたと思います(誉めてるんですよw)。しかし今回の『ジャッキー・ブラウン』では、逆にパム・グリアーに仕えているような違いがあります。それは今回デ・ニーロやフォンダのような、タランティーノから見たら正統派をタランティーノ流に料理する代わりに、パム・グリアーを昔のままに活かすという対比によって、面白さを出すための効果だと思います。デ・ニーロたちは最近落ち目ですが、消えてはいなし、タランティーノのオタクぶりを示すほど発掘し甲斐のある人たちでもない。そんな人たちを、自分のオタク的な流儀で描かせて、その対比で今度は発掘し甲斐のある人=グリアーを昔のままに描くのは、これまでのタランティーノにはなかった手法ではないでしょうか?『パルプ~』でも、ブルース・ウィリスの設定に感心しましたが、今作のように、対比で描いたことはなかったと思います。そういう意味であいかわらずタランティーノ作品って面白いなと思いました。 8点(2004-06-02 19:14:24)(良:1票) |