1. マトリックス リローデッド
地上波以来の視聴で、終盤ついていけなかった説明シーンは今回何とか理解できた。 シリーズものの宿命か、映像は前作のインパクトには及ばないが、 撮影用に作った高速道路のアクションシーンは凄かった。 エージェント・スミスを上回る魅力ある悪役の不在が痛い。 大量発生シーンもここまで来ると滑稽にしか見えない。 スタイリッシュなアクションも一歩間違えればそうなってしまうだけに紙一重だね。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-05-09 23:34:46)★《新規》★ |
2. マトリックス
公開から30年に及ぶ年月が経っても古臭さを一切感じさせない。 本作から一気にハードルが上がった驚異の映像革命が取り沙汰されるも、 AIに使われる未来を予期した強固な世界観によって納得のあるものにさせている。 今思えば、冴えない男が実は"選ばれし者"だったというプロットは、 異世界転生なろう系でよく見かけるも、古今東西、オタクな中学生なら誰もが考える夢想であると再認識。 中二病な展開と誰もが知っている名シーンの数々が味わい深い。 [インターネット(字幕)] 8点(2025-05-05 23:44:45)《新規》 |
3. マインクラフト/ザ・ムービー
ステーキ割引券の期限が明日で切れる名目で、隣の映画館にて本作を鑑賞(スケジュールの兼ね合いで日本語吹替版)。 マインクラフトは少し聞いたことがある程度、それを見越してか世界観を分かりやすく説明してくれる箇所が多くて有難い。 一昨年公開して大ヒットした『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』の再来と言っても良い内容で、 完全にファミリー向け、異世界転移もの、そして良くも悪くも"幼稚"であることも共通している。 ただ、観客が求めているものを最適解で惜しげもなく出しており、 一部の評論家に忖度した思想の押し付けで歴史的惨敗した某作と比べれば、本当に清々しいアトラクション映画に仕上がっていた。 '80年代を彷彿とさせるノリと勢いで、その当時を象徴する楽曲の数々、みんなが求めているのはコレなんだなと再認識。 他人の批判をものともせず、「自分の作りたいものを作れ」というクリエイティブ魂に共感。 オタク少年の成長譚であり、子供の心を持ち続ける大人たちへの熱いエールが伝わってくる。 映画の完成度が高いわけではなく、欠点も少なくないが、ジャック・ブラックとジェイソン・モモアの濃ゆい存在感で中和した形だ。 見た後何も残らない? 別にそれでも良いじゃないかという嘘偽りのない陽気さに+1点追加です。 [映画館(吹替)] 7点(2025-04-29 23:24:07) |
4. ツイスターズ
前作は未見でありながら、竜巻以外の要素はほぼ皆無のため、完全新作として見れる。 CG技術が完全に飽和を迎えてしまった現在、ともなると人間ドラマに舵を切ったのは正解だ。 リー・アイザック・チョン監督の作劇は巧みで、大自然を捉えた抒情的とも取れる映像美は本作でも健在だが、 アート表現は控え目であくまで職人監督に徹する姿勢に好感が持てる。 大自然の驚異に無力感がひしひし伝わるも、あとは好みの問題かな。 頭空っぽで見れても、甘さ控えめでもう少し何かが欲しいと思わざるを得ない。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-04-26 23:10:31) |
5. スナッチ
ネタバレ アタマ使ってる? 公開当時のキャッチコピー通り、登場人物の多さに2つのストーリーが複雑に絡み合う犯罪群像劇。 初めて見た時はチンプンカンプン、忘れた頃に見た時もチンプンカンプン。 でも、最後は広げた風呂敷を綺麗に畳んでくれる。 当時のガイ・リッチーの才覚と、前作を見て低いギャラで出演を熱望したブラッド・ピットの彗眼による賜物と言える。 群像劇のため、明確な主役は存在しない。 いるとしたらターキッシュ役のジェイソン・ステイサムで、後の人気アクション俳優とは程遠い受け身な出で立ちは貴重だ。 むしろブラッド・ピットがクライマックスでは完全に主役であり、 パンチ力だけではない頭のキレの良さで仲間と共に裏ボクシングの元締めに報復を行い、 自分に賭けた大金を得て颯爽と去っていくさまはカッコ良かった。 あとはベニチオ・デル・トロの無駄遣い。 常に曇天模様のイギリスに生活感のある薄汚さたっぷりの裏社会とスタイリッシュな演出がマッチしていた。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-04-19 21:24:18) |
6. ラスト・アクション・ヒーロー
ネタバレ かつてTV放映されていたものが配信で見れるのもあって、懐かしさに再見した。 無駄に人が死ぬし、無駄に爆発するし、無駄にモノが壊されまくるし、なんて頭の悪い映画だろう(誉め言葉)。 確かに面白そうなアイデアを上手く活かし切ってない、設定の詰めの甘さや掘り下げ不足が目立つ。 ただ、王道なヒーロー映画のお約束に、有名映画のオマージュとパロディの数々、 現実と虚構のギャップを活かしたユーモアが心地良い。 1シーンのために大スターたちがわざわざカメオ出演と、当時のハリウッドは元気で明るい時代だったとしみじみ。 (コンプラ的に問題は山積みだったと思うけれど)。 映画では【最後は悪党が倒れて正義が勝つ】という流れだが、現実は厳しく、陰鬱で理不尽な出来事ばかり。 映画以上のリアルな悪に驚愕したベネディクトが魔法のチケットで世界を蹂躙しようと企むあたりなんて、 "悪党"には都合の良い、強大な力で意のままに動かしたい実在の権力者そのものだろう。 シュワルツェネッガーも映画と現実では別人で、その役のジャック・スレイターには彼なりの問題を抱えている。 架空の人物だったと受け入れざるを得ない自分自身の存在意義に悩みながらも、 台本に操られない自分の意思で生きていくことを掴み取る。 それはまさに、苦しい時期に映画に救われた、元気付けられた観客と重なるのではないか。 シュワルツェネッガーはあと数年で80歳を迎える。 いつかは彼だけでなく、全ての映画に携わった役者全員もこの世を去っていくだろう。 それでも当時のフィルムにあの時の姿のままでこれからも生き続け、映画を見る人を迎え入れてくれる。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-04-13 23:13:46) |
7. アンドリューNDR114
ネタバレ ロボットして生を受け、人を知るために、人として生涯を終えた男の数奇な200年。 遠い昔にテレビ放映で見たきりなのだが、YouTubeで無料配信されていたため、これを機に再見した。 映画の完成度は決して高くはないし、感傷的でエピソードが駆け足の飛び飛びで、 ほぼロビン・ウィリアムズの演技に全てが掛かっていると言っても良い。 ただ、製作当時から25年も経ち、AIに関する論議が本格化しているのもあり、時代が映画に追いついた。 感情が豊かになり、人の外観を手に入れ、人工臓器によって痛覚を得て、食事も排泄もでき、最後は老いも手に入れる。 あまりに不完全な存在に憧れを抱く突然変異のロボットと、神の領域に手を伸ばす人の違いはどこにあるのか。 生殖はともかく、人工臓器に交換すれば若々しいまま150年も生きられるだろうし、 何なら食事の必要もなく、頭部だけで生き永らえることだってありえるだろう。 技術の進歩は大事だと思うも、そこに怖さを感じる。 死はネガティブに見えるが、時間が有限だからこそ、生きていることを実感できる。 晩年、重い病に苦しみ、自ら人生を終わらせたロビン・ウィリアムズを見るに、思う部分は多くあった。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-04-12 12:38:00) |
8. 教皇選挙
ネタバレ ノーマークであったが、本作の評判を目に映画館へ。 混戦状態だった賞レースで作品賞サプライズ受賞の可能性もあっただけに、 本作も例に漏れず多様性を象徴していた。 前半にあまり乗れなかったものの、有力候補が次々と脱落していく権謀術数を巡らせる後半の展開に唸る。 もしかしたら主人公が後を継ぐのかと予想していたけど、新教皇の正体に唖然とした。 亡くなった前教皇はそれを知っており、当選率を上げるため、 選挙は主人公の行動も計算した上で全て彼の手の上で踊らされていたわけ。 ただ、新教皇が"手術"を受けなかったのは予想できなかったようだ。 信仰とは異なる存在への赦しと寛容である。 確信を持ってしまえば、変化も内なる疑念を抱くことも困難になる。 その象徴として、生粋のイタリア人で保守派のテデスコ枢機卿の、横柄な態度と終盤の台詞に、 ドナルド・トランプとダブってしまったのは自分だけか。 もしテロで枢機卿に死者が出てしまったら、テデスコが新教皇になる可能性があった。 トップを選ぶということは運命の悪戯で、社会を良くも悪くも変容させてしまう。 ラストシーンに伝統を重んじ閉鎖的なバチカンであることに変わりがないが、 僅かに光が差すような新たな時代の幕開けを感じさせた。 [映画館(字幕)] 7点(2025-04-05 16:54:06) |
9. ミッキー17
ネタバレ ポン・ジュノの本当に撮りたかった映画はこれだったのか? 搾取される側が体制に反旗を繰り返す話と言えば、過去作の『スノーピアサー』を思い出す。 格差というテーマは本作でも登場するが、そこに生命倫理が入ってくる。 というのも、先代の記憶を受け継いだクローンが主人公だ。 "使い捨て"として幾度か死んで甦るも、それは自分自身という"他者"の記憶を共有しているに過ぎない。 そのことを色んな人に聞かれても、「気分は最悪」としか言いようがないだろう。 搾取されるということは人間扱いされていないのと同義。 氷の惑星のクマムシみたいな生命体もそこに含まれる。 何で主人公を助けたのか、そこの掘り下げが欲しい。 権力者の都合で平然と尊厳を踏みにじる夫婦がマンガみたいに分かり易い悪役で如何にもと言ったところで、 主人公と同じく借金取りから命からがら逃げた友人のティモも平然と裏切るクズの小悪党。 搾取の階層が浮き上がる構図ながらその設定が上手く活かされていない。 なんせダメ人間のはずのミッキーがエリートなヒロインのナーシャと恋に落ちるのが不自然で、 裏があると思ったらそうでもなかったし、カイからもモテモテだけど彼女の出番はそのくらい。 もっと膨らませることのできる展開がいくつもあったのに全てが尻すぼみで終わってしまうのだ。 過去作みたいにもっとシニカルで居心地の悪いラストを期待していただけに普通に大団円風なのも頂けない。 これでは大ヒットは望めないだろう。 次回作は『殺人の追憶』や『母なる証明』のような現実的なサスペンスものを期待したい。 [映画館(字幕)] 5点(2025-03-29 01:35:24) |
10. エミリア・ペレス
ネタバレ 日本公開前から主演のトランスジェンダー女優のSNSでの差別発言が掘り起こされ、 賞レースに影響を及ぼすなどネガティブな話題ばかりが取り沙汰されていたが、 実際に本作を見ても先入観が覆されることはなかった。 "多様性"という一部の意識高い系映画評論家が持ち上げているだけで内容がまるで伴っていない。 正直、本年度のアカデミー賞で最多部門候補に挙がるほどかと。 事実、米配給のネットフリックスでも人気がまるでなく、ロッテントマトでも観客の評価は最低、 舞台のメキシコでも不評だらけだ。 そりゃそうだ。 日本に例えれば、日本のことをよく知らない外国人監督が、性転換するヤクザの話を描こう、 それで主演俳優陣が片言日本語だらけのアジア系俳優ばかりなら、この映画の違和感が分かるはずだ。 自分らしく生きたい、好きなように生きたいと歌っても、そこには責任が伴う。 性転換前は凶悪な麻薬カルテルのボスとして悪逆非道を働いた性同一性障害の男が、 "女"に生まれ変わって、行方不明者の捜索と遺族への支援といった慈善団体を立ち上げるも、 どこか凄い虫が良すぎるのではないか。 死を偽装しながらも、子供には会いたいと叔母として招くあたりもそう。 元妻も子供そっちのけで元カレと遊びまくり、 演じる俳優陣の素性もあって、身勝手すぎて感情移入できるわけないでしょ。 ギャング映画としても、社会派映画としても、ミュージカル映画としても中途半端。 単に"多様性"で誤魔化しているだけで、オーディアールのベストでもない。 グダグダな展開が続いて、エミリアが誘拐される事件が終盤起きるも、 発端が正体バレではなく、子供の"親権争い"と元妻の身代金目当てだから下世話すぎて… 取って付けたような悲劇的なラストも、自分からしたら因果応報にしか見えなかった。 もし、カマラ・ハリスが大統領になって、主演女優の炎上発言がなければ作品賞受賞の可能性があった。 観客不在であり、政治発言の場所ではない。 今後、トランプの"テコ入れ"前に方向転換するか、屈服を拒絶してDEIを推し続けるか、 映画産業は大きな転換点を迎えている。 クリエイターには本当に描きたいものは何か、その原点に立ち返って欲しい。 劇中でも現実でも振り回されたゾーイ・サルダナはもはや主演と言っても良いくらいの熱演で、 彼女のために3点献上します。 [映画館(字幕)] 3点(2025-03-29 00:44:17)★《更新》★ |
11. 逆転のトライアングル
ネタバレ 全編にわたって寄せてしまう"眉間のシワ"。 原題は美容外科用語から来ている。 監督の前作『ザ・スクエア』は視聴済み。 2作連続でカンヌパルムドール受賞の快挙らしいが、他に相応しい作品はあったのではないか? 格差社会を描いたテーマは過去にもたくさんあれど、 本作はその対象物(男性と女性、富裕層と労働階級、白人と非白人、健常者と障害者、資本主義と共産主義)を広げすぎてしまい、 ブラックコメディとしての切れ味がイマイチだった。 居心地の悪さと気まずい空気を生み出す巧さは相変わらずだが。 割り勘を巡り、インフルエンサーの彼女と長々と揉める立場の低いモデル男性の卑小なプライド。 「スタッフを休ませなきゃ」という思いつきで無理矢理泳がせるセレブばあさんの偽善。 ファーストフードも高級ディナーも口に入れば、吐瀉物も排泄物もみんな一緒。 無人島漂着時、セレブ全員にサバイバルスキルがないために、唯一持っている女性清掃員が女王に君臨するグダグダな一幕。 どこかで見たことのあるような展開で、いくら皮肉たっぷりに金持ちも貧乏人も全方位的にコケにしたって、 前者からしたら免罪符、後者からしたらガス抜きにしか見えない。 今の資本主義社会の権力者の横柄に"ノブレスオブリージュ"は必要だが本作を見て襟を正す人はいるのか(財○省とかね)。 金で買える"安全な場所"がある限り、ヒエラルキーの頂点に立つ者はどこまでも無礼になれる。 無人島がリゾート地だと判明した瞬間、女性清掃員にはその金がないし、いつまでも平穏は存在しない。 社会構造が転覆しようが、これからもずっと誰かが割を喰らい続ける。 [インターネット(字幕)] 4点(2025-03-11 23:46:31) |
12. NIMIC/ニミック
ネタバレ わずか12分でランティモス独自の不条理さを堪能できる短編。 チェロ奏者の男が謎の女によって、父親としても、夫としても、演奏家としてもアイデンティティを奪われ、居場所も奪われる。 最低限の台詞と生活感のない無機質な空気が常に緊張感を漂わせながらも、 見た目の時点で性別すら完全に違うのに誰も気づかない、演奏の下手さも模倣している辺りにブラックユーモアを感じさせる。 全てを失い、何も無くなった男は、電車でアフリカ系の青年に話しかけられるが、彼の人生を乗っ取るつもりだろうか? 入れ子みたいな構造でクセになりそう。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-03-11 22:57:22)(良:1票) |
13. TATAMI
ネタバレ 2023年の東京国際映画祭で本作が紹介されており、劇場公開を期待していた。 イラン政府の家族や立場を人質に取ってでも棄権を強要するやり口には憤りを覚えるし、 柔道の指針である「心・技・体」の精神に背いていて、国家としての参加資格はないだろう。 スポーツと政治は別物のようでいて表裏一体。 歴史上、国威発揚と言いながらプロパガンダの道具にされたことなど数知れず、現在でも変わらない。 工作員が大会の観客として、スタッフとして紛れ込み、揺さぶりをかけてくる。 信頼していたコーチからも同じチームの選手からも孤立し、 人生を賭けた試合で肉体もメンタルも限界の中、レイラはどう勝ち上がっていくのか。 同時に訳ありなコーチの葛藤や心の機微も綿密に描写しており、もう一人の主人公と言っても良い。 モノクロでスタンダード比率の画面が映像を引き締め、閉塞感を強調する。 (低予算で観客のエキストラを呼べない、チープさを誤魔化したいのもあるが)。 己の立場や面子より試合を続けさせるためにレイラを守ろうとする柔道協会のスタッフの奔走、 一度はレイラを裏切ったコーチが「負けるな!」と応援する展開が熱い。 スポーツにはフェアネスがあり、尊厳があってこそ成り立つものだと認識する。 それでもレイラは準決勝で負けてしまうのだが、もしイスラエルの選手と戦っていたら、 優勝する展開があったら、リアルで大問題になってしまうからか、フィクションとは言えあえて出し惜しみしたのかな。 政府の意向に背いたコーチは拉致されかけるが逃走、柔道協会に助けを求める。 そしてレイラに涙を流しながら自分の嘘を告白し和解する。 国家に利用されるだけの嘘だらけの人生に別れを告げ、一年後、亡命先のパリで難民代表として再スタートを切る二人。 イランに限らず、母国から亡命した人々が祖国に戻れるように、 良い国だと誇れるように少しでもマシな未来になってほしいものである。 [映画館(字幕)] 7点(2025-03-01 22:10:19) |
14. ANORA アノーラ
ネタバレ 大人だからこそ、若さがあるからこそ、大きな困難を乗り越えられると思っていた。 だが、いくら大金を得られてもヒエラルキーからは逃れられない。 そして強大な権力によってどうしようもない厳しい現実に打ちのめされる。 NYのストリッパーで時折性的なサービスも請け負っていたアノーラが求めていたのはお金だったのか、 それとも自分自身を受け入れてくれる代わりの利かない愛情だったのか。 最初で最後かもしれないチャンスに彼女は必死にしがみつく、必死に抵抗する。 大富豪の部下たちの脅しには汚い言葉で打ち負かし暴れまくる。 決して折れまいと毅然とした態度で立ち向かうマイキー・マディソンのパフォーマンスに圧倒された。 ポールダンスからロシア語まで完璧にこなし、アノーラというキャラクターに現実味を与える。 本作では愚かな人間しか登場しない。 勢いでアノーラと結婚した大富豪の息子のイヴァンですら、彼女を置いて逃走して、NYのクラブで泥酔しまくるし、 自分という核がなく流されるがままの幼稚で無責任な青年。 両親を見ても「この親にして、この子あり」な横柄さでロシアという国家そのもの。 その中で寡黙な用心棒のイゴールだけはアノーラに対して距離を置きながらも、彼女を気遣い、見守っていた。 婚約解消のシーンで部外者ながらイヴァンを謝罪させるべきだと進言したのも彼だった。 ある意味、彼だけはファンタジーの住人だ。 当たり役を好演したユーリー・ボリソフに肩入れしたくなる。 夢から醒めたように現実に叩き戻されるラスト。 朝から白い雪が降り続く灰色の世界に、車内にはワイパー音だけが響いている。 自分に良くしてくれたイゴールへの厚意を性行為でしか示せない悲しさに今まで張り詰めていた糸が切れ、 アノーラは"一人の女の子"として泣き崩れる。 イゴールもやんわり拒否しながらも無言で、 「もうこれ以上、自分を傷つけなくていいんだ、頑張ったよ」と彼女を慰めているように見えた。 アノーラのこれからの物語はどうなるのだろうか? きっと、二人は恋人同士になれなくても、お互いに信頼し合える存在として支え合いながら強く生きていくと思う。 なんたってアノーラはロシア語で"光"を意味するのだから。 [映画館(字幕)] 7点(2025-03-01 21:18:50) |
15. セプテンバー5
ネタバレ 報道が、情報が、人を殺す、社会を捻じ曲げる。 スピルバーグの『ミュンヘン』でも描かれた、 1972年のオリンピックで起きた「黒い九月事件」をアメリカの放送局の視点で描いた社会派ドラマ。 全編の9割がスタジオのみの展開であり、直接的な犯行シーンが一切ないことから、 前代未聞の事件に対する混乱、情報が錯綜するクルーたちの判断が"報道することの重み"を突きつける。 パソコンもない時代、当時のテロップが如何に表示されていたのか興味深い。 注目を浴びたいがためのインパクト重視の報道により、犯人側に重大な情報が提供されてしまう皮肉さ。 情報の裏付けを取らないまま、人質解放のニュースを流し祝杯を挙げたその矢先の急転直下、そして最悪の結末へ…… 未曽有の事態によって生み出された悲劇を教訓に、その繰り返しによって現在の平和が成り立っている。 テレビの報道バラエティで活躍する某ジャーナリストが本作へのコメントを寄せていたが、 別の記事で偏向報道を是として開き直る姿勢に呆れ果てたことがある。 日本のオールドメディアを見ていると、過去からむしろ何も学んでおらず、 フラットな視点もないまま扇動しているとしか思えない。 視聴率さえ取れれば、メジャーリーガーの自宅を空撮しても構わないほど良心の呵責もなく、 自分たちに都合の悪い情報は"報道しない自由"を行使するわけ。 その積み重なった信用のなさがネットやSNSといった新たなメディアへと移行するきっかけになった。 だからといってネットが真実でもなく、プロパガンダもデマもディープフェイクもあふれる世界で、 どれが正しいかを見極め、誰もが情報を発信できることに身が引き締まる思いだ。 テロの生中継という結果的に凶悪犯を喧伝させる事態にさせたこと、そして9億人がその生中継を目撃したということ。 ラストのテロップが静かに重くのしかかる。 [映画館(字幕)] 7点(2025-02-24 23:15:13) |
16. ブルータリスト
ネタバレ アメリカンドリームが華々しく煌びやかであるほど、あぶれた分だけ漆黒の絶望が広がっていく。 虚栄と強欲にあふれたアメリカで偽りの自由に囚われ、"アメリカ人"として生きていくこと、そして己の帰属意識とは? 「期待はしていない」と常にやつれた顔を見せる建築家。 ホロコーストから逃れても、新天地でも差別され、搾取され、凌辱されて支配される。 緩慢な地獄、そしてシオニズムへの回帰。 ブルータリズム建築物はコンクリートを中心に構成された、どこか無機質で冷たく、コントロールされた印象を受ける。 それはタイトルの語源である"Brutal"="残忍な"を意味する通り、 人間の残忍さだけでなく、狡猾さ、傲慢さ、醜さ、愚かさと卑小さを兼ね揃えている誰にでも持つ本質。 それでもなお、その先にある"到達点"こそ重要であると。 ユダヤ民族の苦渋の歴史を生々しく映しながらも、尊厳としての、抵抗としての建築物を残すこととリンクする。 そこに意思を貫こうとする"美しさ"があった。 (ただ、イスラエルのガザ侵攻を見るに、公開時期的にタイミングが悪いとしか言いようがない)。 215分の長尺であるが2部構成に分け、中盤に15分の休憩時間を差し込むことで、 意識の切り替えと後半への期待を寄せる、故に観客を退屈させない仕組みを構築している。 昔の大作映画にはそういうものがあったそうで、今までにない貴重な体験。 オープニングとエンドクレジットの意匠凝らしに、 クラシックへの回帰だけでは終わらせないアーティストとしての矜持を感じた。 そう、本作の監督はブラディ・コーベット。 ミヒャエル・ハネケのリメイク版『ファニーゲーム』に出演したぽっちゃり系の若者は生き残るため監督へと転身した。 若さ故だからこそ挑発的な作りであり、巷にあふれている消費されるだけの映画業界に対して抵抗を叩きつけた。 粗削りで暴力的とも言える野心たっぷりで、負けてたまるかと言わんばかり。 次世代のアーティストが力で押さえつけようとする時代と戦い続ける限り、これだから映画はやめられない。 [映画館(字幕)] 8点(2025-02-21 22:36:03) |
17. チャレンジャーズ
ネタバレ テニスプレイヤーの親友の二人が将来有望な一人の女性テニスプレイヤーを愛し合う。 まるで実話みたいな内容だが、本作は完全なフィクションである。 (かつて選手だったフェデラーの妻のしかめっ面から着想を得たらしい)。 親友同士だった二人の試合と10数年にも渡る愛憎に満ちた三角関係の行方を、 ラリーのように現在・過去・現在・過去という具合に時間軸を交錯させていく。 三角関係だったらどこにでもある題材だが、男二人のキスシーンに驚いた。 その二人を止めることなく、笑顔になるヒロインのタシ。 監督がかつて同性愛映画を撮っていたルカ・グァダニーノだから、普通のテニス映画にならないわけだ。 現在で描かれる試合に向けて、テニスでしか生きる意味を見出せない三人がそれぞれ切望しているもの。 試合前日に罵り、不安を煽り、心理面で揺さぶりをかける。 タシは本当に二人を愛していたのだろうか? 選手生命を絶たれ、それでもコーチとして表舞台で注目を浴び続けたい理由付けのためにアートを利用したのか? アートは自分をコントロール下に置くタシに愛想が尽きたのか? パトリックは本当はアートと復縁したいのか? それぞれの思惑が意見の分かれる曖昧なラストに結実していく。 その後の物語は一切描かれていないが、タシの"Come On!"(やった!)を見るに、 あの一瞬の理想のために三人は手に入れたいものを手に入れたのだろう。 テニス映画として見ると、コミュニケーションツールとしての役割でしかなく、別にテニスで描く必要はない、 デヴィッド・フィンチャー映画でお馴染みのT・レズナーとA・ロスのコンビによる スコアの完成度が高かっただけに拍子抜けした。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-02-15 01:16:04) |
18. ビッグ・フィッシュ
ネタバレ 10数年ぶりに視聴した。 ホラ吹きと言わんばかりのありえない展開の数々。 でも、ファンタジーだからこそできること、見えるものがある。 父が辿った人生の足跡には、数多くの人たちとの出会いがあり、数多くの宝物を作り出した。 自分をよく見せるためではなく、誰かを幸せにするための優しい嘘。 ぎこちない関係だった父子の最後の願い、そして語り継がれていくもの。 クライマックスのおぼろげだった記憶が甦り、涙を流していた。 自分も親に家族に対して、そこまで向き合えるだろうか。 本作製作当時のティム・バートンは家庭を持ち、父親を亡くしたことから、 彼のパーソナルな要素が多分に含まれているだろう。 その輝きが詰め込まれた代表作の一つと言っても良い。 近年ヒットはしてもピンとこない作品ばかりなので、特大ホームランをもう一回打って欲しい。 [インターネット(字幕)] 8点(2025-01-31 23:59:47)(良:1票) |
19. ヘンリー・シュガーのワンダフルな物語
ネタバレ いやぁ、最後までシュールだった。 映画と演劇と小説を合体させた演出手法で、作家から富豪へ、富豪から医師へ、医師から導師へ、 語り手が入れ子のように代わっていく構成が面白い。 徹底したセット撮影と仕掛け絵本みたいなアーティスティックな美術に、 これぞウェス・アンダーソンの映像センスが光る。 嘘みたいな話をみんな真剣な表情で淡々と語るのが何とも可笑しい。 映画の中心人物であるヘンリー・シュガーが意図も簡単に透視能力を得てカジノで大儲けするも、 働いたことのない金持ちのボンボンだから心の充足感がなくて、 イカサマで世界を渡り歩きながら慈善事業に奔走するのがどことなくシニカルで味がある。 40分で気楽に見られて本作でしか得られない栄養素がそこにあった。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-01-28 22:28:48) |
20. ジャックは一体何をした?
追悼デヴィット・リンチ。 長編デビュー作の『イレイザーヘッド』を彷彿とさせる粗めのモノクロ映像に、 尋問する刑事と猿の会話の噛み合わなさがコントのやり取りみたいでもあり、 深く解釈しようにも意味の無いような感じだったりが原点回帰とも言える。 明らかに猿の口元が合成臭さ全開でより歪さを際立たせる。 人間と動物が上手く共存しているかのように見えて、 それぞれの価値観の尺度に齟齬が発生する様は『ズートピア』的である。 このフィクションの世界で"正しさ"とは何か、それは誰が保証して、どこまで許容されるべきか。 現実世界の差別と偏見の本質はそこにある。 …とは言え、変に雁字搦めに考えるよりは、 この意味不明さを堪能することがデヴィット・リンチらしさとも言える。 唯一無二の世界観を作り出した監督の逝去に、一つの時代の終わりを迎えた。 [インターネット(字幕)] 5点(2025-01-27 22:52:07) |