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【製作国 : スウェーデン 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  われらの恋に雨が降る
ベルイマンの初期作品は原作が別にあるものなので、筋だけを追うと「若い恋人たちを応援するような人生肯定的」だったりする。なのにときどき脚色者の陰気な顔がちらちらするところが味わい。もちろん原作がそうなのかも知れないけど、これは脚色者のせいだと勝手に思い込めるほど、彼のトーンが現れてくる。嫌がらせをする地主の感じなんてズバリそう。孤独で偏屈。原作にすでに存在してるキャラクターでも、癖のある部分が拡大されベルイマンの登場人物になってしまっているんだろう。妻の腹の中のよその子に対する殺意で、お得意の罪のモチーフがクローズアップされてくる。仲の悪い夫婦ってのも彼の終生のモチーフになっていくわけだ。映像は冒頭からいい。傘をさす人々がバスに乗り込むけど、一人だけ残っている。ヒロインが金を持ってないことを示す切符買いのシーン(一つ手前までの料金をきく)。若い二人には犬、地主には猫が配される。空や雲が妙に明るく、途中に入る絵入りのタイトルがかわいい。
[映画館(字幕)] 7点(2013-11-01 09:51:28)
2.  コントラクト・キラー
この人の映画はまず上映時間がいい。かつてのベルイマンもそうだったが、北欧って映画時間を無駄に長くしない伝統があるようだ。そしていつものように、ついてなさ・不運を過剰に受け入れていく主人公がいい。寝てるイギリス人よりも働いているフランス人のほうが首切りの対象になる。机も持ち去られる。で彼はちょっと上を見上げロープを買う。ガス自殺に失敗したわけは、新聞(ガス会社のストライキ)で明かされる、と無駄がない。で殺し屋に自分の殺人を依頼する(金時計の金)。『豚と軍艦』の丹波哲郎だ。向かいのパブに行くのに、メモを扉に残しておく律儀さ。請負人を街で見かけると宝石強盗をやっており、ピストルを渡されじっと防犯カメラを見上げ、振り返ると窓いっぱいの目撃者、なんてあたりアキの本領発揮。殺し屋のところでかいがいしく家事をしてる娘もいい。そしてぶきっちょにハンバーガーを焼く手つきからの再会となっていく。充実した80分。
[映画館(字幕)] 8点(2013-10-14 09:46:51)
3.  牢獄
これはベルイマン初めてのオリジナル脚本、原作を持たない好き勝手に作った映画で、もう彼のモチーフの展覧会のようで壮観です。精神病・神と悪魔・原子爆弾の恐怖(のちの『冬の光』)・性と出産・自殺・子どもの遊び・夢・鐘の響き(時計好み)・白夜・映画撮影(舞台好み)…それらがちゃんと化合し切れないでゴタゴタと並んでいるのが展覧会としての楽しみ。冒頭の荒野を歩いてくるところでまず引き締まる。どこからがこの映画の芯なのかが分からない作りで、「ここまでは枠でこれからが本題」とクッキリせずにややこしくなっていってしまう。煙や霧がたなびき、無声映画が挿入され、悪魔も出てくるし、森が人になっている夢もあるし、不幸を一身に受ける売春婦と脚本家の苦悩とが、助け合えない世界ってことなのか。実質上ベルイマンワールドの出発点となった作品と思えば、分からないながら、なにやらありがたい。
[映画館(字幕)] 5点(2013-10-05 10:19:50)
4.  バルタザールどこへ行く
ラスト、羊の群れがやってきてバルタザールを囲んだあたりで泣けてしまった。今まで荷や水を汲み上げる装置やらに常に囚われ囲われ包み込まれていたロバが、ここで初めて柔らかな羊の毛に包まれる。囚われでなく保護されるように。そして本当の最後、バルタザールの死骸がごろっと転がっているカットになる。キリスト教的には、天上の祝福に対する地上のむくろ、ってことなんだろうが、自由と孤独が壮絶に一体になったようにも見える。ずっと自由を希求していたロバが、孤独によってそれを得た、って。全編を貫いていた「生きることの苛酷さ」がここで救われた、というのとも違う、ある種の納得というか、心構えというか、一つ高い認識に至った気がする。監督のスタイルが一番素直に感銘に至った作品でした。
[映画館(字幕)] 9点(2013-01-06 10:11:56)
5.  愛の風景 《ネタバレ》 
「合わない」男女は、いかにして愛し合えるのか。慈悲と無慈悲、寛容と不寛容といったモチーフがいろいろ変奏されていく。アンナとの出会い、「まず欠点から言おう」なんてあたりにベルイマンの空気が香る。母の祈りもすごいよ。「あの女を愛せない私をお許しください。どうかあの二人を引き離してください」って。父の死、結婚、から第二部と思っていいのかな、ちょっとトーンが違ってくる。慈悲なり寛容なりのテーマは一貫してるんだけど気分に段差があり、一本の作品としてはやや完結性に欠けた。少年ペトルスのエピソードがいい。慈悲のつもりが裏返されて無慈悲に転じていく痛ましさ。良くも悪くもベルイマンから出られてない映画だ。「人と人とはしょせん“合わない”のであり、だからこそ愛は素晴らしいのだ」ってな結論ということにしておきましょう。ラストは、二人別々のベンチに座ったままやり直そうと言ってる。
[映画館(字幕)] 7点(2012-01-09 10:10:51)
6.  私は好奇心の強い女
いかにもあの時代にふさわしくインタビューで始まる。スウェーデンに階級は存在するか、って。ここらへんテキパキとしていて面白い。労組の事務所に行ったり、スペイン帰りの人にフランコについて尋ねたり。またパルメ教育相との実際の対話、マーチン・ルーサー・キングとの構成されたインタビューなども織り込まれる(パルメはベトナム反戦デモに大臣として参加し、アメリカ大使が抗議して本国に引き上げたのが68年。ついでに言うとパルメは首相になっても米軍の北爆を「ナチス以上の蛮行」と公言した。のちに暗殺される)。スウェーデンというとまず「フリーセックス」とくるのが当時の一般的認識傾向で、この映画もそういう「スケベ」の線で話題になったのだが、もうひとつ「ラジカルな平和主義」も忘れては悪い。この毛沢東主義に注目が集まっていた時代に、中ソにも否定的な意見を述べたくだりがあって、そういうとこ真面目。ボカシがはいると、テレビで「映像が不鮮明で申し訳ない」というアナウンスを入れるのがおかしい。非暴力主義の軍事訓練のパロディは、もひとつそっちの社会情勢が分からないので、笑えなかった。ヒッピー風の禁欲生活を対象化したおかしさもあった。懸賞付きクイズも入る。そういう、もうあの時代の匂いプンプンのポップな映画。しかしいろいろ政治の時代とその風俗をコラージュしながらも、政治の現場から遠い地点にいる若者たちのいらだたしさみたいなものを感じたが、当たっているかどうか。主役の女学生を演じたレナ・ニーマンと、ベルイマンの『秋のソナタ』で病気の妹を演じたレナ・ニーマンとが同一人物かどうか確認していない。
[映画館(字幕)] 6点(2011-02-02 09:34:08)
7.  サラバンド 《ネタバレ》 
まるで脚本家の理想として、シナリオだけを提示したかったような・骨だけが存在しているような映画。演劇に去った監督が、最終的にこういう顔とセリフの映画を撮りたかったというのは興味深い(もうひとり、監督と演劇人を経験した天才にヴィスコンティがいるが、その二人が同じハ短調のサラバンドを映画に使ったわけだ。あちらは『地獄に堕ちた勇者ども』で、ヘルムート・バーガー登場への前奏曲のような皮肉な使われかたをした。ああそうだ、あれにはベルイマンの常連イングリッド・チューリンが出てた。ついでに言うとあまり映画音楽として使われないブルックナーの交響曲を、あちらは『夏の嵐』で7番、こちらはこの映画で9番を流した。絢爛志向と枯淡志向、対照的な世界を撮った二人だが、けっこう共通した趣味が見出せる)。本作で展開している「互いに批評しあう人間世界の業」から逃れられているのは、もう顔だけの存在になった死せるアンナと、狂の人となった娘だけで、アンナは最後まで超越者の地位に置かれるが、狂った娘とはもしかしたら心がまだ通じあえるかも知れないというラストに至る。チェリスト娘は、他人に批評されない楽団員の未来を選び、父の元を去る。批評の心は、ときに侮蔑に振れ、それは裏返されて不安に形を変える。そういう「相互批評」の地獄として人の世を見た監督だった。遺作ということでだろうか、観ながらいくつかの過去の作品が浮かんでは消えていった。「厳しい音楽教育」は『秋のソナタ』だし、「狂う娘」は『鏡の中にある如く』だし、「老い」としての『野いちご』があるし、ラストの不安を静めるベッドは、『叫びとささやき』の、メイドとハリエッタ・アンデルソンのあの美しいカットを思い出させた。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2010-11-16 09:50:47)
8.  ファニーとアレクサンデル
この人は、だいたい90分くらいのカッチリした世界を構成してくれるところが好きだったんで、この長さにはいささか戸惑った。そしてカッチリしてない。なんかその長さの中にひたる喜びを味わえたが、もひとつ作品のツボを私が捉え切れなかったんじゃないか、という気分も残った。でもなかなか再見する気力が湧かないまま現在に至っている、長いから。画面は洗練されているけど、話はなんかゴツゴツしており、いえ、それがいいんです。これがベルイマンとして提示できる人生肯定の形なんだろう。カールの悩みも主教の孤独も、ツルツルになるまで溶かしてはいない、こういったそれぞれの苦しみをそれぞれが受け持ちながら、でもそういう溶けきれないものがゴツゴツ浮かんだり沈んだりしているからこそ人の世界を肯定できる、って感じ。そういうゴツゴツしたものを必要以上にオーバーに拡大させない、けれど無視してしまうのもいけない、ということ。今までの作品でこれに一番近いのは案外『魔笛』かもしれない。自分のシナリオでないあのオペラにあった「ゆとりのようなもの」は、ベルイマンを考える上で大事なものらしい。この映画観たときの想い出では、3部と4部の間の休憩でトイレに走ったところ、便器が二つしかなくて長~い行列ができていたこと。
[映画館(字幕)] 7点(2010-11-01 09:55:37)
9.  野いちご
「お前のベストワン映画は何か?」と尋ねられたら「いろんな方向でのベストワンが十数本はあり、とうてい1本に絞れない」と答える。しかしそこで出刃包丁を突きつけられて「これでも選べない?」と畳み込まれたら、たぶんさして迷わず本作を挙げるだろう(でも決して人生の最後に観たい映画ではない、最後に観るならMGMミュージカルかキートン)。初めて観たのが若い多感なときだったせいか、こころにじっくり沁み込んだ作品。その沁み込み具合は、半端じゃなかった。作品中で主人公イサクが、サラに鏡を突きつけられるシーンがあるが、まるでスクリーンが鏡となってこちらに突きつけてきたような映画であった。人の世のわずらわしさから逃げようとしたものの受ける罰。前半の回想で、サラがイサクへの想いを語っているのを、心地よい回想として眺める階段の場の老イサク、しかし中盤の夢で、彼はサラに裁かれる。サラ夫婦の家庭を窓越しに眺めるイサクの孤独。バッハの平均率の変ホ短調のフーガ。サラたちのように生きたい、しかしそう思う人間はそうは成り得ない、という絶対の壁がこの窓にはある。そして重ねて裁きが続く。イサクの孤独は、彼がそうしか成り得ない人間であったということじゃないか。そういう厳しい認識の果てに、ラストの回想が来る。この釣りの図の見事なこと。これは一人称の映画であり、登場する人々は主人公と照らし合わされるためにのみ存在している。そういう厚みを持てない構造が生かされ、その構造によって深くえぐりこめた作品だろう。
[映画館(字幕)] 10点(2010-08-13 09:56:54)(良:1票)
10.  日曜日のピュ
イングマールの息子、ダニエル・ベルイマン監督作品だが、脚本担当の父の匂いが漂う、とりわけ『野いちご』。神の沈黙と湿疹ってのは『冬の光』にもあったモチーフだが、キリスト教に何か象徴があるのかなあ。孤独という罰、周囲に息苦しさを与えてしまう性格、息づまる家庭…、ただそれを少年に観察させたことによって、柔らか味が出た。父と子の不和と和解というテーマより、あくまで父を観察するものとしての子ども、というテーマ。つまりイングマールとその父の物語に、イングマール-ダニエルの親子が重なって、一興。『野いちご』が幼年時代の記憶にひたって幕を閉じたのの裏返しのように、この作品は終わる。そこが救いのような、甘さのような。『野いちご』のイサクに対するほど厳しく裁いてはいない。それでも息子を愛していたのだ、そういう形でしか息子を愛せない父だったのだ、っていう了解があり、それを子どもも知ってやる。せがれに対する贖罪のシナリオなのか、弁明のシナリオなのか。うまくいってない夫婦の会話を書かせると、この人はいくらでも書けるのね、どんな人生を歩んできたのやら。父と子の間にいい感じが出るとバッハが流れ出す。とりわけ朝の湖の場が美しい。あいかわらず、時計への偏執。どうしたってイングマールの映画という印象だ。かつて『冬の光』が公開されたとき、併映で『ダニエル』という短編も公開された。このダニエルの幼年時代を撮ったホーム・ムービー。そこではモーツァルトが流れていた。そして「たえず人と触れ合おう」というようなことが語られた。孤独な父の道を歩むな、といういましめの映画でもあったのか。あの子がこう、お父さんのシナリオで映画を撮るまで大きくなったのか、と時の流れに素直に驚嘆させられる。
[映画館(字幕)] 7点(2010-08-04 10:23:27)
11.  サクリファイス 《ネタバレ》 
『ソラリス』から『ノスタルジア』まではもう完全に酔いしれたもんだけど、これは違和感が残ったなあ。いままでの作品と比べてセリフの比率が多かった気がする。いままでの復習的な面もちゃんとあって、唖の少年は『鏡』の冒頭の吃音を思い出させ、自転車ってのは『ノスタルジア』で重要だった。ドアがギィーッと開くってのも。揺れてガラスが鳴り出すってのは『ストーカー』、空中浮遊は『ソラリス』に『鏡』と、なんか過去のモチーフを総ざらいしている感じがあった。遺作となると意識していたのか。そういう意味では、もちろんタルコフスキーの世界以外のなにものでもない(でも犬がいなかったなあ。途中で鳴き声が入ってきた気もするが)。素材はそうなんだけど、なんか本作はそれに浸り切ってない感じがある。それが衰えから来るものなのか、作者の切迫から来るものなのか。話の骨組みは黒澤の『生きものの記録』と似てて、でもまったく別種の道を通り、まったく異なる質感の世界を提示した、って感じ。でもまだ黒澤のほうが論理的だった、こちらはもう完全に「祈り」だもんね。あの「日本」をどう考えていいかが分からない。未来都市をわざわざ日本で撮った監督が、あの老教授と同じ考えだとは思えない。案外単純にヒロシマの国ってことかなあ、その場合非キリスト教国ってことはどうなるのだろう。
[映画館(字幕)] 7点(2010-06-16 12:06:40)
12.  処女の泉 《ネタバレ》 
少年が加わっていることで陰影が濃くなる。娘と対になるイケニエ役か。事件のあと雪が降り始め、罪の意識にさいなまれておどおどし、その晩地獄の恐怖に包まれ、やがて娘の母にすがるも投げ殺されてしまう。娘の死も惨めだったが、彼の死もあまりにも惨め、このむごたらしい何ら肯定的な光のない事件を、神は沈黙して見過ごし、その後で泉を湧き上がらせるわけだ(全編を通して火と水が対置されている)。おそらくこのズレに話のポイントがあるのだろう。復讐に至る場の緊張はすさまじい。娘の服を犯人どもに見せられた母の反応、叫び出したいのをじっと抑えたハラの演技が凄く、歌舞伎を思わせた(「先代萩」の政岡に通じるような)。知らされた父も、清めの湯を沸かすための樺の樹を捻り倒すロングのシーンで心情を見せる。朝を告げる鳥のさえずりが凶々しく、さらに家畜の鳴き声も加わる時間経過の描写。おもえば『羅生門』と似たような森の中の事件を扱い、仏教国とキリスト教国の違いが話に出ていた。というか温帯の濃密な照葉樹林と、寒帯の針葉樹林の違いか。顔の上で枝の影と血の流れが重なったりする効果。この監督にしては珍しくストレートな作りで、最初にスクリーンで観たときはちょっと物足りなく思ったが、のちにテレビで観たときは復讐シーンでのめり込まされ、これはこれでやはりベルイマンの映画なのだった。
[地上波(字幕)] 8点(2010-05-11 12:04:15)
13.  ヨーロッパ 《ネタバレ》 
この監督で初めて観たのが『エレメント・オブ・クライム』だった。タルコフスキーを思わせる水への惑溺、水中で馬の死骸がゆらゆら揺れているあたりは陰気なブニュエルといった感じ。次の『エピデミック』ってのは字幕なしのビデオ公開で観られたが、これはドライヤーのトーン。この人独自のタッチがも一つつかめなかったものの、どちらも催眠術シーンがあることで共通していた。そしたら本作も催眠術で始まった。映画全体も催眠術のような夢魔の連続である。室内の鉄道模型を俯瞰していたカメラが引いていってその家から出、本物の列車の中に入ったかと思うとそれが走り出していくまでをワンカット、とか、カメラがバスルームのドアの上にゆっくりとねじれのぼっていくと、ドアの内側の血の洪水が見えてくる、とか、並行して走る列車越しの会話がやがて二つに分かれていくところ、とか、スクリーン・プロセスを使って背景とその前とで同じ人物が出たり入ったりするところ、とか。話は、戦後のドイツの復興の役に立とうとやってきたドイツ系アメリカ人の車掌としての放浪譚。カフカの「アメリカ」を裏返しにした設定ではないのかな。もっともあれ、カフカとしては珍しく爽やかな小説だったが、こっちは深いメランコリーを滲み出している。ヨーロッパの映画でよく感じるのは、こういったメランコリー。アンゲロプロスの登場人物が国境線の手前で遠い目をしているように、アントニオーニの登場人物がここではないどこかへ憧れ続けているように、タルコフスキーのノスタルジーのように。文化の伝統を重く背負い続け、そういう風土への憎悪と愛着とが常に憂鬱という気分を導き、そのメランコリーを文化の一つの型として自分たちの中に公認することで、彼らはなんとか耐えているのかも知れない。アメリカ育ちの主人公が単純に考えていた国家の再建というイメージは、列車の旅とともに複雑にグロテスクに屈折していく。ナチの残党が国家再建という大命題の前でうまく生き残っていく状況も、政治的メッセージとしては語られない。ナチズムという明瞭な傷口でさえ、ヒリヒリとしみわたる感覚ではなく、鈍痛のうずきに変わってしまう底なし沼のようなヨーロッパの風土、それをこの映画は捉えていたと思う。このタッチで先もやっていってみてほしかったんだけど、また次から変えてっちゃうんだな。
[映画館(字幕)] 8点(2010-01-08 12:10:41)
14.  奇跡の海 《ネタバレ》 
タイトルも手持ちのカメラで撮る徹底ぶり。このドキュメンタリータッチが、ラストの感動を嘘っぽくさせないのに成功してたのだろうが、長時間手持ちでやられると生理的につらく、船酔い状態になるのは何か考えてほしい。この人の初期の映画では珍しく催眠術が出てこない。でも主人公ベスが、この世とこの世ならぬとことの境界にいるような人で、神との対話を一人で繰り返しているのなぞ、一種の催眠術であろう。神を中継して人を愛する、ってのが向こうの考え方なんだろうなあ、一番こっちには分かりにくいところ。愛の証を見せなければならない相手としての神。そして試練という考え方。夫の懇願によって為されるふしだらの判断は神まかせになる、生け贄という考え方にも通じていく。フロイド学派ならなんか説明してしまいそうだけど、あちらの神の話になると、根本のところの分からなさばかりが際立ってしまう、とりわけデンマークの映画では。章の境にはいる絵葉書カットが実に美しいが、こういう美には溺れない映画にしようとした監督なのであった。
[映画館(字幕)] 7点(2009-05-19 12:17:24)
15.  スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー 《ネタバレ》 
原付をさっそうと走らせてると自転車に追い抜かれていく、などスケッチのみずみずしさはいいんだけれど、ちと若さに迎合し過ぎてやしないか、と半ば反発しつつ前半は見ていた。酒と煙草と恋の日々なんてけしからん、と若さへの嫉妬半分。少女のほうも、大人の美人を小型にしたようなヒロインで、少女ならではの妖しさに欠ける、と不満たらたらだった。ところがラストに至って、それまで背景の人物と思われていた少女のお父さんが急に前面に出てくる。どちらかというとベルイマン映画にふさわしいような偏屈なキャラクターで、それまでも男の子にギターに関して問い詰めるあたりの描写がすごかったんだけど、その彼が呪詛を吐き散らしながら湖畔をさまよい歩く。皆が彼を探し回る。角笛のような音楽(というか音響効果)も素晴らしく、このシークエンスの映画としての純度の高さに目を見張った。どんな嫌われ者も心配してくれる人がいる。これが前半の、ウブな恋人たちを心配して引き合わせてくれる仲間たちのシークエンスと呼応し合い、破天荒な構造でありながら、けっこうしっくりとまとめ上げているのだ。
[DVD(字幕)] 7点(2009-04-07 12:00:45)
16.  アフター・ウェディング 《ネタバレ》 
日本映画が好みそうな話で、それをカラッとヨーロッパ風に演出してるかって言うとそうでもなく、やっぱりジメッとしている。ドキュメンタリータッチのドグマ風演出だけど音楽付きで、涙涙の場面が多い。いっそオーソドックスな演出のほうがこの話には合ったのじゃないかとも思うが、並べて比べられないので確証はない。夫が、妻と妻の昔の男との再会をプロデュースしている意図は何か、という謎で引っ張っている前半はけっこう興味深く見られた。視線の演出がスリリング。ヤコブのちょっと頼りない理想家肌と、ヨルゲンの酔いどれたしたたかぶり、欠点が傷つけ合っているような両者の絡み具合が面白い。ネタがばれた後は、どうしてもヨルゲンの話になってしまい、それはそれで感動的でなくもないんだけど、絡みの面白さは薄れてしまった。金持ちの婿に納まった男が自宅で浮気するかなあ。
[DVD(字幕)] 6点(2009-03-24 12:05:57)
17.  フロストバイト 《ネタバレ》 
北極圏の吸血鬼は、極夜期になると日の出が一ト月来ないので、安心して遊び続けられる。もっともスウェーデン製吸血鬼って特徴はそこのところだけで、あとは別段新味はなく、寒さも特別感じなかった(吸血鬼役の俳優が、ベルイマン映画の常連だったグンナール・ビョルンストランドに、顔やしゃべり方が似てたのも、スウェーデン味と言えばスウェーデン味)。医学生サイドと病院サイドで話は進み、血を吸われ合って吸血鬼が広がる前に、吸血鬼を維持する錠剤(そういうのが出てくるの)で広がってしまうってとこが現代か。吸血鬼が疫病の隠喩なら、現代は麻薬や不良製剤のほうが怖いわけだ。吸血鬼になった若者たちが家の前に並んで立っていて、警察が近づくといっせいに体が傾くとこが気に入った。最後まで軽いノリの赤毛娘ベガも印象に残る。
[DVD(字幕)] 6点(2008-06-24 12:14:53)
18.  冬の光
とにかく渋い、冷たい金属の手ざわり。孤独な人間が手を伸ばすのに、それが何かに触れるとおびえて引っ込めてしまう、といういつものベルイマンの世界。見た日の日記には、せりふが書き抜かれていた。「あなた(神)は私を強く生まれさせて下さったけれど、私の力を使わせて下さらない。人生に意義を下さるなら、私はあなたの忠実なしもべになります」「私(トマス)は私だけの神を信じた。私を特に愛してくれる神を」「たとえ神が存在しないでも、それが何だ。人生は説明がつく」。神のテーマが前面に出されるとちょっと辛いのだが、それだけでなく「孤独と他人のわずらわしさとのせめぎあい」って方向に普遍化されるとこが、この人の映画がキリスト教圏以外の世界でも意味を持って見られる理由だろう。
[映画館(字幕)] 7点(2008-04-01 12:18:54)
19.  インド行きの船 《ネタバレ》 
原作ものでベルイマンは脚色だけなんだけど、登場人物たちが恐れに支配されている、すっかりあの人の世界。自分の生に忠実であろうとすることからくる他者への過酷さ。愛人と外国に行こうと思っていることを妻に淡々と告げる船長も船長なら、妻は妻で、旦那の失明が決定的になって自分の保護下に置かれる時を待っている。せがれは父親の圧倒的な支配を恐れ、また自分の背骨の曲がり具合が他人の目にどう映るかを恐れている。せがれと船長の愛人が舟遊びをするシーンの、水のきらめき、空の雲、風車、清潔だけどなにか希薄な世界の美しさが、唯一ホッとする場面。でクライマックス、せがれが潜水しているとき、父親の船長が潜水服へ空気を送っていたポンプを止めてしまうところが怖い。ポンプを押す手が次第にゆっくりになっていく、あたりを見回すと誰もいない、ドライヤーの「吸血鬼」を思わせるシルエットがついに動きを止める。人が魔になる瞬間を、圧倒的な静けさの中で説得力を持って描ききった。
[ビデオ(字幕)] 6点(2008-01-28 12:15:01)(良:1票)
20.  戦争は終った
スペインとフランスの距離、現場の視点と現場から離れたところでの視点のずれ、みたいなこと。反フランコ闘争の現場であるスペインでは、ゼネストが不発に終わるだろうことは見えている。しかし現場から離れたフランスの亡命者たちには、理想が先行しちゃっているのでそれが分からない。現場との距離に抽象化が正比例してしまう。このギャップは仕方のないことなのか、克服する手はあるのか、いう問いかけを感じた。それは学生たちの過激主義にも通じていく問題。取るべき行動を封じられると、ただ理想を純化していくしかないのか。これは60年代の熱い問いだったが、たとえばいま現在のイスラム世界で生々しく立ち上がっている問いでもあろう。
[映画館(字幕)] 6点(2008-01-15 12:18:14)
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