1. アレクサンダー大王
映画というのは、言葉では伝えることができないものを、映像や音を加えて表現するものなのでしょう。だとすると、本当に優れた映画に対しては、それについて語る言葉を見失ってしまうものなのかもしれない。、、、、、この映画で、今、よみがえるのは、男たちの低い唸るような祈りの声、アナーキストたちの歌、部屋の明かり、夜の闇、銃をかかげて円を描く男たち、処刑されユダのように吊され揺れる男、ポセイドンの神殿からの夜明け、アクロポリスの丘から見渡す今のアテネの夕暮れ、そしてアレクサンダーのライトモチーフ。、、、、、、アレクサンダーとは誰、そして何なのだろう。私たちの心、語りの中から生まれ、私たちの希望を実現してくれる使徒であり、逆に私たちを拘束し、抑圧する権力にもなるもの。愛し、すがるべきものであると同時に憎み、唾棄すべきもの。、、、、、、現時点では、アンゲロプロスの最高傑作に推したいです。、、、、、、、、ところで、1900年を描いた映画には、他に、「海の上のピアニスト」やベルトリッチの「1900年」などがありますが、見比べてみるのも面白いかもしれません。 [DVD(字幕)] 10点(2005-05-06 00:11:54) |
2. バグダッド・カフェ
原題「Out of Rosenheim」のRosenheimは、南ドイツの都市名ですが、直訳すれば「バラの里」。だから、原題は「楽園を離れて」くらいの意味なのでしょうか。、、、、、自然豊かなドイツを離れて、砂漠の真ん中にやってくるジャスミンと、楽園を追放され、また神を見失った我々(西欧人)、そして夫(=父=神)を失ったブレンダが重なります。(もしかしたらジャスミンは、神との媒介でマリアを象徴させる存在でもあるのかもしれません)、、、ということで、神の存在しない、殺伐とした日常をどうやって生きていったらよいのか、というのがこの映画の底にある意図なのでしょう。そう考えないと、四隅を黒くした双眼鏡からの映像をどうして入れ込むのかがわかりにくい。夫(=神)は遠くから見ているということだと思います。、、、、また、手品(マジック)をやるのは、超越的なもので殺伐とした日常を活性化させるという含意で、ブーメランは、戻ってきてほしいものをそこに込めるということなのだと思いました。そして主題歌のフレーズ、I am calling youのyouとは神に対する呼びかけに響きます。(別に神でなく、夢、恋、若さなど、失ってしまった貴重なものと考えてもよいと思います)、、、、そう考えて見ていると、砂漠、行き交うトラックという殺伐とした景色の中に、ふと神々しく超越的なものの存在を感じることができるようにも思います。そしてそこで暮らす人々、その心のつながりの暖かさが心に染みる。、、、荒涼とした私たちの日常に何か潤いが、、、、、。「パリ・テキサス」とどちらが好みかというのも、興味深い比較ですね。、、、映像の美しさ、音楽という点では「パリ・テキサス」もいいですが、描かれている世界という点では、圧倒的にこちらの映画の方が私は好きです。 9点(2005-03-28 11:17:51)(良:1票) |
3. シテール島への船出
映像の美しさ、長まわし、物語の重層性など、さすがアンゲロプロスの作品である。、、、、主人公アレクサンドロスという存在と、彼が撮ろうとしている作品である老父の物語の作品が交錯する。老父の物語は、それがいわば劇中劇であるという虚構性のために、かえって想像力を刺激し、豊かで奥行きのあるものとなっている。、、、、特筆すべきは、かつてブレヒト的な叙事詩を「旅芸人の記録」「狩人」などで理想としたアンゲロプロスに、エピック一辺倒からリリカルなものへ言及という変化があるように見受けられることだ。、、、、、、老父がどのような過程で、どのように政治闘争を生き抜いたのか、何故土地の収用に反対するのかは、語られない。ただ彼が追いやられたのがロシアであることから、左翼の闘士であったことがうかがえるだけである。そして、そうした様々な政治的出来事は老父の背筋と、奥深いまなざしにしまい込まれ、むしろ、老夫婦の間の情感が押し出されている。、、あるいは、主人公が路上でピアノを弾くように指を動かすと、音が流れ出すところなど、世界との感情的な調和の可能性が示唆されているようにも受け取れた。、、、、だから全体としては、政治的な出来事の記述と、それを生きる個人の感情との調和、総合が目指されているとも理解できる。、、、そういう方向性は、個人的には大好きです。、、、、、だが、老母の行動が、あまりに男の勝手な思いこみに思えて、せっかくの映像に、バケツ5ハイくらいの水を浴びせられた印象なのだ。、、、旦那を30年待って、一緒に行きたい、って、確かに美しいし、肩を寄せ合うトラックの荷台の二人など、まさしく嗚咽に値するけれど、それを美しい理想としてはいけないと思う。女は待たずに、自分の人生を生きるべきなのだ。 7点(2005-03-18 10:14:13) |
4. 1900年
イタリアの農村の風景、農民達の共同性豊かな生活、地方領主の権勢、時代の情景などが、見る側の想像力を強く揺さぶるように伝わりました。どの登場人物も、型にはまらず、生き生きとしてエネルギッシュです。・・・・特にオルモ、アッチラが最後まで印象的。アッチラを見ていると、豊かなものに対する屈折して執拗なルサンチマンが、ファシズムのエネルギーを供給し続けた状況がよく理解できました。アルフレートについては、跡を継承したあたりから、描く方のビジョンが混迷して、躍動感がなくなった印象を受けました。・・・・・ただ、人物達があまりに生き生きと、自分たちの生を全うし始めるので、だんだん収拾がつかなくなり、最後の1時間ほどは、断片的で脈絡が不明な寄せ集めになったのではないでしょうか。特に最後など、農民は祖父達のように静かに眠りにつき、地主は、正義、神の裁きを受けるということを、アンナカレーニナ以来の、鉄道の象徴を使って示したのかもしれませんが、とってつけたようでした。・・・・とはいえ、全体として記憶に残るシーンにあふれていました。例えば冒頭のシーン。脈絡を知らず見ると、アッチラ、レッジーナが哀れに見えますが、4時間後、事情を知った上で、同じシーンに接すると、全く違った感情がわきます。客観的認識とは一体何なのかが問われていたのでしょう。・・・・全体として、私たちが歩いてきた道を、想像力豊かに描いた素晴らしい作品だと思いました。 9点(2004-09-21 09:20:23) |
5. パリ、テキサス
(テレビで放映しているのにたまたま遭遇。全面的に書き直します)、、、、、血のつながっているのが親子だ、という考え方は、どの時代、どの地域にでも成り立つ普遍的な原理では決してありません。、、、近代の日本や、ドイツなど、直系家族の形態をとる一部の地域では、血のつながりということにこだわる傾向があるようです。、、、、、ということで、子どもは成長すれば親を離れ、自立する、ということと、血のつながりが親子の普遍的要件ではない、ということを考慮したときに、この物語はどのような意味が残るのだろうか。、、、、、それと男が別れた女の子とを、いじいじと思い続けるというのはよくあるけれど、女が、喧嘩別れした男のことをずっと思い続け、心の中で話し相手とするということは、どれほど一般的なのだろう。、、、というか、ナスターシャ・キンスキーがマジックミラーのところで、涙を流すのが、男の思いこみ的演技指導の結果ではないかと思えて仕方なかった。、、、、、音楽と、夜の風景の映像は綺麗だけど、それだけの映画ではないかと、今日、思ってしまった。 5点(2004-09-12 15:04:01) |
6. ダントン
ずいぶん昔に、岩波ホールで見ました。その時思ったのは、どうしてこの映画の題名は、「ロベスピエール」ではなくて、「ダントン」なのだろう、ということでした。ロベスピエールという権力者の苦悩の方が、生き生きと、説得力をもって表現され、「ダントン」は、単純ナイーブ、無責任、文句ばっか野郎にも受け取れたからです。、、、、、、それでも敢えて自由を高唱するダントンを評価しよう、どんなに苦悩していても権力者は権力者なのだ、というのがワイダのメッセージなのだと暫定的な解釈を与えてきたのですが、、、、、、、、、、それからずっと、もう一度見て考えてみたいと、新しいビデオ屋に行くと探すことにしているのですが、、、、、不幸にしてまだ巡り会えず、今日に至っている次第です。 7点(2004-07-06 11:24:02) |