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コメント数 814
性別 女性

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1.  酔っぱらった馬の時間
相対性理論が溢れるシュールな世界。人生というものと本当の意味で戦っている人たちが、今私たちと同じ時間の中にいる。でもそこには相対性理論がある。同じなのに、違う。彼らは私たちとは全く違った時間の中に生きている。酔っぱらった馬の時間の中に生きている。2つの異質な時間の、80分の人為的な邂逅。そして、私たちの時間の為の便宜的なエンドロール。だけれどエンドロールの向こう側で、酔っぱらった馬の時間は、私たちの時間との束の間の邂逅にも気付かず、今も続く。
8点(2004-10-12 05:21:05)(良:1票)
2.  テヘラン悪ガキ日記 《ネタバレ》 
観ながら1つ思い出した。数年前、イランで「ポケミョン(仮名)」が放送された時、自分も空を飛べると思い込んで屋根から飛び降りて怪我をする子供が続出し、親たちが放送中止を求める騒ぎが起こったとか。それを聞いて、「夢見がちにも程があるだろ!」ととても驚いてしまった。イランといえば、ある意味ヴァーチャルな日本などと違い、とても現実的な国だと思っていたから。この作品は一応コメディタッチということだけれど、その実、何とも辛辣。幼少期の親の庇護下における絶対的保護を得られず、段階を踏んだ教育も与えられず、未分化な精神のまま厳しい現実の中に放り込まれた少年。その反動として、過剰な程に夢見がちな部分が呈出してしまった。少年の空想の重さは同時に、放り込まれた現実の重さでもある。そして、遅かれ早かれ来ることは分かっていた夢の終わりと、現実の続き。キレイ事も過剰な感傷もない、イラン映画らしいラストシーンが印象的。
6点(2004-09-22 19:59:22)(良:1票)
3.  白い風船
泣きそうな子供からお金を取る芸人、それを無表情もしくは半笑いを浮かべて助け舟も出さず眺めているだけのギャラリー。お金を落としても手を貸してくれない大人たち、困っている子供に物欲しそうな顔で話しかける若者。全てが私の価値観・良識と符合せず、いつしか自分の価値観が、この世界ではてんで的外れなことに気付く。“価値観を試される映画”だと思った。この世界では、これがあるべきあり方なのだ。誰も文句は言わないし、文句などそもそも発生しない。悪意もない。罪もない。あるべきあり方として、世界が構築されている。私がこうやって指摘するのも野暮な位に。そして、助けてもらってもお礼1つ言わない兄妹たち。うーむ、自分の価値観をとことん試された。私も随分頭が固い。
7点(2004-09-22 19:57:52)(良:1票)
4.  サイレンス
少年にとっては、この世界には一切の間隙もなく、音と思念と観念が溢れている。事象全てが興味を引き、世界は限定されつつも、限りなく深い。エピソードでなく、観念的なもので見せる映画でした。映像詩ですね。中東の民族衣装の鮮やかな色彩、生彩のある伝統音楽。多用されるベートーベンの音楽も、まるで中東に根付く伝統音楽のように錯覚する。あのダダダダ~ンもそもそも、運命の扉を叩く音。大家が家のドアを叩くのもまた、母子の運命を左右する音。遊び心というか、ちょっと思い付かない独特の引用だと思う。個人的に主人公の少年(小ネタで既出ですが、実は少女)が、ショートカット時のモデルの今宿麻美に見えて仕方なかった。
6点(2004-09-05 23:36:06)
5.  太陽は、ぼくの瞳
人生の残酷さを、押し付けがましくなく、大袈裟ではなく、変な意図もなく、ただただ滲み出るように淡々と描けるのは、イラン映画など発展途上国の映画の特権でしょう。次々と押し寄せる不幸や不遇にも、変な演出やあざとさを感じない。そこには感動の押し売りも安易なお涙頂戴物語もない。映画自体が実に自然で、むしろこれはイランでは現実的過ぎるくらい現実的なことなのだろう、とすら思う。欧米の映画もいいけれど、こういう映画はやはり絶対的に観なければいけないですよ。人の根っこのことですから。
7点(2004-01-14 17:07:41)
6.  桜桃の味
今やイラン映画は世界中が認めている。もちろん私も好きです。ただ、イラン映画自体がそこに甘えているような感じもたま~にする。極めて物質的技術的な無駄を省いた、ミニマムを地で行く映画作り。そういったものを作れば世界は認める、もともと予算もない訳だし一挙両得。そういうことに監督が気付いている。そういうあざとさを積極的に感じようとすれば、感じてしまうことも事実。こういう映画は、ドンパチ映画があればあるほど、派手で制作費の上限を極めたような映画があればあるほど、引き立ち認められる。意識的無意識的を問わず、ハリウッド映画を利用している訳です。そういう意味で罪で卑怯な映画ではある。もちろん私もイラン映画を尊敬します。人間の源泉、根源を追究するタッチには毎度頭が下がる。ただこの映画に関してはウマが合わなかったんです。長々と書いて貶している理由は簡単です。単純に主人公が嫌いなんです。それだけなんです、すいません(笑)。これもまた、近親憎悪か…。
5点(2004-01-04 14:23:20)
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