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Qfwfqさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 170
性別 男性
年齢 43歳
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1.  神田川淫乱戦争
「ココロ、オドル」という短編を見たことがある。山中に住む遊牧民らしき人々のところに浅野忠信がやってきて、そこで争いや理解が繰り広げられるという話だ。って、書いてて全然具体性がない。それぐらいに不思議な映画だったのだが、なんか忘れられない。この棘が引っかかったまま黒沢作品はその後見てなかった。で、これ見てみたんだけどその棘はさらに奥深くに入ってしまった。え、これピンク映画でしょ?なんでゴダールなの?あの浪人生の部屋なんてモロにゴダールっぽい。それ以前に全員キャラクターがぶち壊れてる。しかし、これで不思議なのは映画としてこの淫乱戦争が完全に成り立っているということ。ピンク映画だから当然カラミもあるが、この映画には性欲を発散させるものはこれっぽっちもない。むしろ発散するのは感性といっていいかもしれない。虚構とか破綻といったものが全部味方になっているように感じた。最後の格闘シーンなんて、これが意図して作られた絵だと考えると恐ろしい。何一つ無駄なカットも無かったし、違和感のある構図もなかった。あのテンションをカメラが追いかけているにもかかわらず、である。
[DVD(字幕)] 8点(2007-02-14 14:10:45)
2.  怪談(1964)
日本の中世は貴族の豪華絢爛さと同時に芥川の羅生門のような地獄絵図をあわせもっていて、この間の溝からはいつも何かが出てくるような、何かが出てきてもおかしくないようなそんな気にさせる。島国という地形的条件が外部との接触を疎くした分、内部を病魔が巣食ったのか。病魔はやがて異形となって見えるものたちには恐ろしい姿で、時には魂を奪っていった。それらは噂話となって荒廃した京都や貴族がひしめく宮殿に伝わった。当時の彼らにとってはそれが現実にはウソとしか思えないものであっても真剣な問題だったに違いない。全然映画の説明になってないが、この映画の素晴らしさはこういう時代を生きた人々の姿勢というか生き様がとてもよく伝わってくる。彼らの懸命さに痛々しさを覚えた。これがまず一点。次には時代を超越した美術がある。巨大セットで空までもセットの一部になっている。耳なし芳一ではこの点が凝縮されている。陰湿になりがちな日本の怪談をこれだけ幻想的にできたのは異形から美を見出したという美意識のこだわりのおかげだろう。そして音楽。この物語と視覚世界を装飾する音楽・音響には無類の映画好きでもある武満徹が担当している。これがまた絶妙。断続的に音楽が生成されていく。「怪談」をして、映画が総合芸術の結晶であることを認識する。
[映画館(字幕)] 8点(2007-01-23 20:27:43)(良:3票)
3.  鏡の女たち
学生時代に、吉田喜重の授業を受けた事がある。映画学校の授業とか講演会ではなく、普通の大学の、しかも理工学部の中にある一般教養の講義の1つで。その講義は半期で、さらに3人の教員が受け持っていた為、実際に吉田喜重が講義をやったのは3,4回ぐらいだった。映画には興味のない人間だったので吉田喜重なんて当然知らず、その講義の中心となったエイゼンシュテインのモンタージュ論もサッパリ。独特のファッションでボソボソと壇上でひっそり講義を進める吉田喜重はなんだかヤバそうなオッサンに見えた。そして多少強引だが、「鏡の女たち」はヤバイ。原爆を語る、その語り口の浅さがとにかく異様。それに対して語り主である女たちは、世界には女しか存在しないとでもいうかのように、女であることを主張する。吉田喜重は登場人物に原爆を語らせるが、画面上で主張されるのは、女は女であるという事。こっちから登場人物たちに感情移入することは多分ない。岡田茉莉子も一色紗英も田中好子も、既にデキ上がってる。映画としての完成度云々以前に、こういう映画が生まれてしまったことの異様さに寒気がする。面白い映画ではない。でも吉田喜重はヤバイ。
[地上波(邦画)] 10点(2006-10-06 23:13:50)
4.  カナリア
過剰な言葉。ハンディカメラを多用して疾走する子どもを追う。現実には口に出さないような弁論的な言葉を発し続ける人物たちが現実とは違うもう一つの世界へと連れて行く。それはどこなのか、と聞かれたら「別の世界」と言うしかない。もう少し具体的に言うなら、「もっともらしい場所で、もっともらしいことを喋り、もっともらしい行動を取る世界」つまり非現実の世界だろう。映画が虚構であるという事実は、ここまでしないともはや伝えることができないのかもしれない。塩田監督が創り出した世界はラストの向井秀徳の自問自答に至るまで素晴らしかった。それは新興宗教に顕著にみられる組織と教条とを、国家の相似形として表現した世界だ。宗教集団の白のイメージやとめどない緑色の流出といった色彩感覚がその世界をさらに極端にする。徹底してフィクションを作ることに努めた彼の方向性こそ大正解だと思いたい。過剰な言葉の森を抜けるのに必要なものは言葉にはならない「何か」だろう。この「何か」は、「繋がれた手」と「疾走」が全てを表している。主人公の光一がバットで車を壊す。由希が男に手錠をかけて車から出る。二人は殴りあう。後ろからクラクションが聞こえたと同時に二人は手をつなぎ走って画面から消える。このシーンこそ「カナリア」をよく象徴している。手が繋がれた瞬間だけ、異様でグロテスクな教義に包まれた世界は消失する。それでもまた離れて・・・・でも最後は繋がる。あらゆる悲しみを受け入れて劇的な変化をした少年を前に、もはや言葉も言葉をなくす。全ては「生きてく」に辿りつく為。
[映画館(字幕)] 8点(2006-06-02 20:52:03)(良:1票)
5.  雁の寺
これって、ある意味で「おバカ映画」のジャンルに入るのでは?あるいはお堅い文芸映画に対する川島監督独特のパロディだったのでは?ラストなんて小沢昭一が俗悪坊主として登場するわ、おまけに母雁が貼りかえられているわでこの作品に対して「なんちゃってね」と言ってるようなものだ。いかにも、といった感じの物々しいテーマや寺の荘厳さと週刊ポ○ト・週刊現○の官能小説みたいなのがミックスされた過去のシーンは、真面目な話をしている校長先生が鼻毛を出しているみたいで、噴き出したくなってしまう。この「ごった煮」感(オフビートっていうよりごった煮という言葉が良いような気がする)。つまりこの映画ってどこを切り取ってもやっぱり川島雄三の映画なのでは、と思う。ロープの演出とか、ラストのふすまを使った大胆なカット割り。そして皆さんがおっしゃる若尾文子の存在。ただ、この映画を最初のカワシマ体験にするのはちょっとリスクが大きいかもしれない。
[映画館(字幕)] 8点(2005-11-06 21:39:39)
6.  回路
ホラー映画のオチは、たいてい不遇の死を遂げた人間の怨念が原因となっている。怨念は閉じられた場所でそれに関わった人間や時には全く関係のない者に危害を与え、用が済めば消えるか、あるいはその場にとどまり続ける。これが起こっている世界はそれゆえ非常に狭い。何というか都市伝説的だ。と、確信するほどにホラー関係に詳しいわけではないのだが、これが世界の崩壊に導くほどの範囲を描いたものに「リング」がある。伝染という発想がこれを可能にした。ただ、「リング」ははっきり言って発想だけ。映画として(小説でも)世界の崩壊を描けたかというとはなはだ疑問で、それは多分主人公達が恐怖の発信源に近すぎるからなのだと思う。で、黒沢の「回路」。ここまでホラーの話で引っ張ってみたが「回路」はホラー映画ではないかもしれない。ただ恐怖という原点は同じなので強引に進めると、この映画は個人の怨念に恐怖のもとはない。「死」というルール(法則)そのものからあの映像を具現化させている。魂というものがあるならば死後の世界にもルールがあるということだ。そのルールの崩壊が同時に世界の終末の始まりとなる。この映画がうまかったのはそういう死の永遠の孤独と、ネットという開かれているようで実は閉じられた世界を違和感なく変換できたことだろう。この変換の媒介となったものこそ「開かずの間」で、それはこの世に一個ではなく個人が一つずつ持っている。つまり中心がない。中心がないということはどこでも起こりうるということでもある。地上からどんどん人が減っていく感覚。黒沢監督はアンゲロプロスのようにロケは曇天にこだわり、時にはデジタル処理を施して崩壊のプロセスを展開した。システムは一度動き出すと、それが複雑であるほど止められなくなる。それはこの映画で見た未来の方向性とどこか似ている。
[DVD(字幕)] 9点(2005-05-15 16:25:03)(良:1票)
7.  からっ風野郎
やくざが主役の映画となれば、我々が注目するのは彼らが一体どれだけ壮絶な死に方をするか、だ。そして女たちが彼らにどれだけ激しく振り回されながらそれでも男を愛し続けるか。と、こういう外までにおいが届きそうなとんこつラーメン風の映画はあまり好きではなかったのだが、この映画はあっさり風味で、テンポが非常によい。とんこつラーメンの特徴である食ったら止まらない中毒性も備えたままだ。なんでそうなったかというと、考えられるのは三島由紀夫や若尾文子のアップが殆ど無かったことだろう。それが役を演じる人間だけが目立つのではなくて役そのものに魅力を与えていることにつながっている。ていうか三島由紀夫かよ!?と初めはビックリしたが、時間が経つととんこつの臭みが良いにおいになってしまうのだから増村マジックといったところか。ラストもお見事。御馳走様である。
8点(2005-02-08 18:01:23)(笑:1票)
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