Menu
 > レビュワー
 > なんのかんの さんの口コミ一覧
なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2336
性別

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順123
投稿日付順123
変更日付順123
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  白昼の通り魔 《ネタバレ》 
コミューンが崩壊し、インテリは自殺し男は死刑になり、女シノだけが生き残り続ける構図。「見殺しにすること」というモチーフが次の『日本春歌考』につながっていったか。理想が空回りする小山明子、ニヒリズムに落ち、村会議員になって自殺する戸浦六宏。本作から『儀式』まで、60年代後半から70年代頭への大島が一番元気がいい時代の始まりであり、常連たちが大島ワールドとしか呼べないものの構成単位となって自在に演じだす。村と東京の対比があり、それは「村から東京」というベクトルかもしれない。60年代後半は学生運動の沸騰した時代だが、『日本の夜と霧』で熱くなった気負いはこれらの作品からは感じられない。そのひとつ冷めた自省が黄金期たらしめたのだろう。コミューンが崩壊した60年代と来たる70年安保闘争を、新幹線が繋ごうとしたようでいて、その繋げない距離の存在を予告したようでもある(いまだからそう思うのかもしれないが)。
[映画館(邦画)] 7点(2013-12-03 09:44:03)
2.  博士の愛した数式
素数好きなもので、この原作は大好きだったんだが、映画には向いてなかった。でも映画で生きそうなところもあったのに使ってない。制限時間が80分ってのなんかすごく映画的に使える気がするが、あまり興味を示さない。2日目の訪問をナレーションで済ませてしまうもったいなさ。終盤の次第に時間が短くなっていくサスペンスも省かれた。周囲を牧歌的な風景にして、「癒し」の話にしてしまった。この監督は素数にドキドキした経験がないのではないか(たとえば最近ではおととし2011年が素数年だった、次は2017年だ、2040年から2052年までは素数の暗黒時代だが、2080年代には4回素数がめぐる、というようなことにドキドキするかしないか、ってこと。素数とは違うが今世紀最大のドキドキは2の11乗の2048年)。タイガースの試合を観にいくのを、周囲の牧歌的風景に合わせてリトルリーグに変更したのは、手間を省いたってことでもあるんだろう。それでも「友だちとしてきたんです」のところではホロッとしてしまった。
[DVD(邦画)] 6点(2013-11-04 09:25:57)
3.  パッチギ!
オックスの失神騒動で始まって、ひょうひょうと変身していくオダギリジョーなど、当時の風俗回顧的楽しみがあった。「かわいそうな被害者」としてマイノリティを描くまい、という意志が感じられ、彼らは“なんじゃこらっ”と踏ん張っている。しかしこれも別の「型」になってしまってはいなかったか。キムラ緑子の、特別な見せ場を与えられていない存在感のほうが印象深かった。鴨川がイムジン河となり、争う二派がなにやら祭りをやっているようなニギワイを見せる乱闘の場。看護婦・真木よう子の跳び蹴りがよい。あとギャグとして好きなのは、ラジオ局でディレクターが上司をつまみ出し、血を流しながら戻ってきて「話はついた」とニコニコ笑ってるとこ。
[DVD(邦画)] 6点(2013-09-23 09:51:03)
4.  薄桜記 《ネタバレ》 
立ち回りってのは、立ってやるものだったが、これは寝てやるのがミソ。立って刀を構えて相手のスキを探して互いにグルグル回るから「立ち回り」なんだろうか。戸板に寝て、しかも右手がなく、片足も負傷している。素人の私にはスキだらけに見えるが、そこは雷蔵、強いのだ。刀を杖に体を起こそうとしているときなど、もう全身スキのようだが、敵は刀を構えてたじたじとするだけで、雷蔵が体を起こし終わってから斬られに突っ込んでくる。武士道である。倒れているときには、ワーッと叫んでただ雷蔵の上を跳び越したりしている。半分歌舞伎の立ち回りと思って見ればいいのか。ああいう様式とリアリズムの中間の不思議な世界であった。悲壮美ではある。敵方の一人が短筒で仕留めようとするのを止め、代わりに出ていった別の敵があっさり斬られちゃうのも武士道である。前半は、千春に襲い掛かる凶暴な「お犬さま」がやけに人懐こそうだったり、飛び掛かっているというより投げつけられてるようだったりなど、なかなかノレなかったが、右手を斬られるあたりから凄絶さを秘めた伝奇的な雰囲気が漂い出した。夕焼けの橋の上での立ち回りには、あとで五人の手負いの経過を思い出すところも含め、やはりリアリズムから遊離しかけた美しさがある。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2013-09-11 09:53:46)
5.  ハラがコレなんで
状況としては切羽詰ってはいるのだが、気持ちで乗り切ろうとする娘を描いて、『川の 底からこんにちは』の流れを汲んではいる。あちらが中小企業という場だったのに対し、こちらは長屋が舞台。社会に対して攻める立場の企業と、社会から守る立場の長屋の違いか、どうも切れ味が悪い。「いい風吹いたら、そのときドーンと」と風待ちの姿勢を基本態度にしている。そもそも、この長屋世界を持ってきたのがパロディなのか、本気なのか、はっきりしない。福島の災厄で「地域の結びつき」が破壊されることの傷ましさを私たちが痛感していたときだから、ここで長屋ユートピアを夢想したい気持ちになるのは分かるけど、もう私たちは長屋暮らしの鬱陶しさも十分知っており、何も地下に不発弾はなくても、最初のアパートで引越してきたばかりの隣人のように警戒感抜きの態度は取れなくなっている。ラストで何もない福島に行くのは、もうそういうものが非現実的なユートピアになってしまっているってことの確認なのか。ここらへん、マジかパロディかよく分からないんだ。タクシー料金踏み倒す女が、粋だ粋だって言ってるおかしさを笑えばいいのか。石橋凌の店で男二人が陰気にカウンターに立ってる図と、子ども時代のヒロイン(大野百花嬢)はよかった。
[DVD(邦画)] 5点(2013-08-15 09:34:34)
6.  晴れ、ときどき殺人
劇の中でのクシャミってのは、ベテラン俳優でも不自然になってしまうものだが、本作での太川陽介君は良かった。あんまり自然なんで撮影中うっかり出てしまったのをそのままリアリズムっぽいので取り入れたのかと思ったら、だんだん風邪ひいていく設定になってて、演技だったのかと思い直した。役者を侮ってはいけない。意外な役者が意外な場面で光ることがある。で本作、浅香光代が死ぬまではどうなることかと心配だった。いや死んだ後も渡辺典子嬢が踊ってたりするところは、かなりヤバかった。いいのは探偵殺しのシーンの長回し、いちいちの人物のまわりをぐるっと回り、こいつはいる、こいつもいる、と点検してる感じで、観客は次第に、こりゃあの部屋で何かが起こってるぞ、って気になってくる。理にかなった長回し。全体、刑事が笑わせた。警察手帳を見せるとこ、額縁を傾けるとこ、犯人逮捕のとき「最初から分かってたんだ」と言うとこ、など。刑事の九十九一(つくもはじめ)って、でんでんなんかと同じころ芸人の勝ち抜き番組に出てて、とても面白かった記憶がある。
[映画館(邦画)] 6点(2013-07-04 09:28:16)(良:1票)
7.  幕末純情伝
前半はいいんです。沖田総司が人や格子を斜めに切り裂くところとか、喜八や清順を心の師にしているのか、新人監督の気合いが感じられます。牧瀬里穂の二本差し姿もりりしいし。でも彼女が娘姿になってから勢いが落ちた。別に史実を守る義務なんかまったくないんだけど、せっかく沖田が女だったという嘘を一個入れたのなら、その回りは出来るだけ史実で固めたほうが、その嘘が輝いたんじゃないか。つかこうへいの原作はどうなってたんだろう。全共闘がダブって、変革とか挫折とか、そういうモチーフも入ってたな。町人たちのなかにチョイ役で漫才がいる(「ピンクの電話」って言ったか)のが、なんか懐かしかった。むかしは鳳啓助・京唄子あたりが顔出してた。ちっとも面白くないし、映画作品としてどういう効果が出てたのかは分からないけど、あの「賑やかし」の気分は、寄席の演芸で落語の合い間に色物芸が入るようなもんで、嫌いじゃない。ポスターなんかで無理におどけた顔して隅っこに写ってて、ああいう伝統しばらく絶えてたんだけど。
[映画館(邦画)] 5点(2013-05-26 10:02:25)
8.  ハートブルー
悪役のキャラクターがちょっと不統一。人を殺さない銀行強盗とサーファーグループってのはいいんだけど、女を人質にしてFBI青年を強盗に誘い込むのは、ズレがある。一応弁解みたいなこと言ってたけど。大統領の面をかぶり蝶ネクタイを締めたスタイリッシュな銀行強盗団。車での追っかけよりも、走って人のうちを突き抜けていくほうが興奮した。追跡の基本は「人間の走り」。サーフィンシーンは爽快だが、スカイダイビングのほうが楽しそう。泳いだり、もたれかかるような感じになったりの浮遊感。圧倒的に重力に支配されながら、無重力状態の解放感があって。
[映画館(字幕)] 6点(2013-03-15 10:15:06)
9.  番場の忠太郎 瞼の母
母と抱き合うので驚かされる。もともと長谷川伸も二通りの結末を考えてたらしいんだけど、いろいろ手を加えても本筋の“身内に対して構えてしまう世の中の酷薄さ”が残っていれば、「瞼の母」である。実際、大衆演劇で演じられやすいように著作権も自由にしていたらしく、そうやって大衆に揉まれて伝説のように変貌していくのを許していたんだろう。加藤版でもホロッとさせる、違う母の手に重ねて筆をとるところなんか、リアリズムじゃない。もう様式であって、わざとらしいなんて感じちゃいけない。様式ってのは、一つの感情を大袈裟に・意識的に誇張して高い次元に持っていくことだ。吹雪の中で刀を構える千恵蔵のかっこよさなど、様式が練り上げた姿。
[映画館(邦画)] 6点(2013-02-21 09:54:01)
10.  バカヤロー!4 YOU!お前のことだよ
二話の潔癖症ものはまあまあだが、どれも話が拡がらないのが辛い。別に社会問題を扱えってんじゃないよ。話が映画のなかだけで閉じて、「それだけ」になってしまってる。観てる客が、映画の世界をパンすると社会に拡がっていってんだろうな、という気分になることが必要だろう。一話の、田舎の罠に落ちる都会もん、って視点はいいんだけど、単にオーナーの性格だけにしちゃってるんで、拡がらない。でこの春風亭小朝が、悪いけど、駄目なんだ。落語家って一人で全体を構成する癖が付いてるから、映画の演技者には向かないんじゃないか。くどくなる。一人ですべての笑いを引き受けちゃおうとし、関係で笑わせることが出来ない。これ、オーナーがもっと善意を振りまかなくちゃ面白くない話だと思う。
[映画館(邦画)] 4点(2013-01-23 09:17:07)
11.  母と子(1938)
後半になって俄然イキイキしてきた。積極的な悪役がいるわけではないのに、男の振舞いのなかに悪が出てきてしまう世界。不人情を、男社会に原因を求めているようで、溝口を初め、こういう視点は当時ずいぶんモダンだったんじゃないか。そういうモダンな視点にさらされるのが、吉川満子のおっとり妾。この描かれ方がうまいんだ。そろそろ邪魔になってきたので追い出されるのを、わざわざ別荘買ってもらってと喜んでいる。それに苛つくのが娘の田中絹代なわけ。女二人が新旧二つのタイプを演じるのは、二年前に『祇園の姉妹』あり、翌年に『暖流』ありで、このころの流行りだったよう。とりわけ『暖流』とは役者がだいぶ重なっている。佐分利信、水戸光子、徳大寺伸。本作のほうが視線が冷たいと感じるのは、監督が渋谷実と思って見ているからか。佐分利はただ野心家というだけでなく、母的なものに憧れてるってしたので、厚みが出た。「オールドブラックジョー」のメロディは二年前の『一人息子』でも使われてたが、昭和初期には何か特殊な意味があったのかな。人物が外に出たのは田中絹代が海岸を散歩しただけという実に内に籠もった作品でした。
[映画館(邦画)] 7点(2013-01-14 10:36:19)
12.  廃市
蛍、昼の月、水藻などのアワアワした世界が広がっている。作中の言葉を使えば「道楽」の世界。「本来の仕事を忘れてそれ以外のことにふけり楽しむ」ときの心のゆとりというか、合いの手を入れるオルゴールの音や花火の音が、それこそ「道楽」の雰囲気でした。ハッと気を取り直すようで、またそこに没入していってしまう。自分は愛されていないと思いたがっている人たちの物語で、愛されるのが怖いというか、他人の心をおもんぱかることの傲慢さを自ら封じてしまってるというか、みんなの思いがそれぞれ孤立して、流れ出さず淀んでいる町。頽廃への傾倒、意志のなさ、行為に対する不信、というより面倒くささか。舟で見る歌舞伎の遠景のシーンの、古い記憶のような懐かしさ。全体のトーンからすると、ちょっとクサいところはあって、根岸季衣が顔をピクピクしたり、ラストの三郎君の叫びとかありますけど、それらが目立つほど全体のトーンはいいの。ラストの「列車の窓から」を除いて風景が広がらないのもいい。もう二度とこの夏を繰り返すことができない取り返しのつかなさが、大林監督のモチーフだな。
[映画館(邦画)] 9点(2012-12-17 09:58:16)(良:1票)
13.  拝啓天皇陛下様
日本の戦争映画では学徒兵などインテリを主人公にしているのが多く、いかに彼らが古参兵にいじめられたかを繰り返し描いてきた。そもそも兵隊の記録がインテリによって綴られてきたせいで、軍隊の大半を占めていた農民あがりの兵の視点が弱く、もっぱら悪役として扱われるパターンが出来てしまっていた。本作はその偏向を是正する作品。元学生にとってはキツかった軍隊生活も、食うや食わずの元農民にとっては極楽だったという視点、イデオロギーではなく極楽の采配者としての天皇への帰依。そういう視点の新鮮さはいいのだが、それが十分に生かされていたかどうか。エピソードに分解されたあれこれはあまり新鮮でなく、インテリの記録とさして違わなかった気もする。けっきょく記録を採ったのはインテリの作家の語り手によるわけで、そこらへん仕方なかったのか。こういう視点からもっと戦争を深くえぐれる映画が生まれた可能性もあっただろう(極楽の軍隊に馴染みすぎたせいで、戦後の日常に不適応になってしまうあたり、もっと突っ込めなかったかな)。渥美清と藤山寛美という東西の天才喜劇役者を揃えたのに、なんかもったいない使い方をしている(あの授業のエピソードはいいんだけど、この顔合わせで期待させるものとは違うんじゃないか、という気分)。嬉しいのは当時の映画を回顧するシークエンス、水中撮影でやっているのが『与太者と海水浴』。これは高峰秀子が男の子を演じたうち残っている数少ない一本。豚を追いかけているのが『子宝騒動』。斎藤寅次郎のサイレントコメディの水準の高さを現在に伝える貴重な作品。二本ともフィルムは揃って残っているので、機会があれば御覧になれます。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2012-09-10 09:52:28)
14.  ハワイ・マレー沖海戦
前半の訓練風景が圧巻。繰り返される精神主義と気合い。体操の秩序正しさ、清らかな白い歯。おそらくそこに蔓延していただろう陰湿な面をきれいに拭い去って、純粋な結晶体を見せてくれる。その時代の理想が目の前に現われてくる。これはもう優れた「記録映画」と見ていいでしょう。もちろん映画がその時代の狂気を形作っていった罪は断罪されなければならないが、同時に後世にその精神風土を正確に(狂ったまま)記録した作業も評価したい。動じない国の母、弱気になったときに力を吹き込んでくれる先輩、厳しいが面倒見のよい諸先生。すべてそのなかでは「善し」とされるものが、集まり寄って一つの大きな狂気を形成していった。なぜアメリカと戦わねばならないのか、についての具体的な説得がまったくなく、そんなことを考えること自体気合いが入っていない証明になってしまい、この「麗しい共同体」から弾き出されてしまう恐怖があったんだろう。
[映画館(邦画)] 7点(2012-06-10 10:00:25)(良:2票)
15.  バーチャル・ウォーズ
映像作家はいろんな分野を開拓し、たとえばスピード感・あるいは恐怖感・神々しさ、などなど言語に頼らず映像だけで表現できる世界を広げてきた。そういう中で目立たないが(苦労してもあまり褒めてもらえないが)「生理的な気色悪さ」ってのを追求しようとした人たちもいたのではないか。古くなってひび割れ剥がれかけたペンキの塗り跡とか、小さな穴がぽつぽつとあいてる表面とか、意味に還元される以前にじかにゾワッと鳥肌が立つ画面、ああいうものを意識してしっかり創造してやろう、と決意した人たちもいたのではないか。本作の人体ピンポン玉分解にそれを感じた。よく熱についての教育番組なんかで分子の運動が活発になるイメージのアニメってあるでしょ。あるいはダリの絵とか。人体がああいうふうに、無数のピンポン玉みたいのに分裂し、活発に運動して四散しちゃうの。ハッキリ言ってそこのとこしか見どころのない映画でしたが、けっこうそれは生理的にじかに来る気色悪さで、気に入った。あとの現場であのピンポン玉みたいのが転がっているとこを想像するとなお気持ち悪い。あちらではこういうSF的な世界を描くと、だいたい一方に神を持ってきてオモシにする。
[映画館(字幕)] 5点(2012-04-25 12:28:12)
16.  遥かなる山の呼び声 《ネタバレ》 
山田洋次の陰影のあるメロドラマとして異色。でも心理の細やかさが間違いなく山田さんのもの。たとえばハナ肇に襲われかけたシーン、「どうして助けてくれなかったの?」「…親しい方かと思ったもので」なんてあたりで、「外部の人」として振舞わなければならない高倉健の位置を確認している。それが「もう他人と思ってないわ」に至るまでの細かい揺れが、メロドラマの醍醐味でしょう。最後の晩に健さんがドアを叩き、開けた倍賞のやっと時が来たという表情、ところが女心の分からぬ健さんに「牛の様子がおかしいんです」と言われて若干の自嘲と諦めを浮かべ、そして酪農家の顔になって作業着に着替えるあたり、ここらへん味わいの頂点です。男にとっての逃げ場所が、女が根付こうとしている場所だった、そのズレが最後まで重ならなかったというメロドラマ。二人とも二年前に連れあいを亡くしているという共通点も遠くから響いている。ハナ肇の使い方がすごく丁寧。まず「悪役」として登場させ、しかしそれだけでは退場させず、かつての馬鹿シリーズを思わせる「気のいい男」になり、そしてラストでは「取り持ち」として現われるなど、おいしい役どころだった。メロドラマとしての希望を描いたラストで、酪農業のほうは廃屋になっており、現実の厳しさを一つ打ち込んでいる。女手一つでは難しいと言う以前に、もう日本の小規模酪農業自体が困難になっていた。健さんはかつても「時代遅れ」の任侠一家をしばしば背負っていたが、ここでも時代遅れの滅んでいく側に加担したわけだ。一人で酪農を続けていた倍賞は、仁侠映画に出てくるイイモンの一家の老親分をほうふつとさせる。時代に乗っていたのは、たとえば健さんの妻を死に追い込んだ金貸し。裁判で出たその名前は「松野八郎」。当時はすぐにロッキード事件がらみの松野頼三、海部八郎の名前を思い浮かべられたものだった。
[映画館(邦画)] 8点(2012-04-08 10:04:37)
17.  裸のランチ
殺虫剤ドラッグってイメージは面白いのよ。ジュディ・デイヴィスがハーッと息を吹きかけるとゴキブリがポロッと死んで落ちてくなんてユーモアもいいし。タイプライターとゴキブリの合体、きっと文章なら面白かったんだろうと思うんだけど、映像という具体物でいくとシラケちゃうんだなあ。イメージの広がりが止められちゃうというか。昔読んだアイルランドの小説『ドーキー古文書』ってのに、自転車人間てのが出てきて面白かった、あれなんかも実際目で見ちゃうとさほどのことなかったのかも知れない。ユーモアが乾燥しちゃう感じ。難しいんだよね、イメージが具体化されるのが映画の一番の強みのはずなのに、それが弱点にもなっちゃう。本来小説は、映像化され得るものを超えたイメージを文章で組み立てようと試みているんだろうな。で、本作のモチーフ、書くということへの嫌悪感。書くから孤独になるのか、孤独になるから書くのか、っていうようなこと。でもそういう方面に頭を働かすまでに映画に世界の広がりが感じられなかった。映っているとこの外側も、そういう世界が広がってるんだろうな、という確からしさがなかった。主人公の妄想の世界だからそれでいいんだ、っていうのかも知れないけど、妄想ってものこそ際限なく広がっていっちゃうもんなんじゃないのか。
[映画館(字幕)] 5点(2012-04-01 10:06:22)
18.  走れメロス
日本のアニメは地中海が好きだ。単にあの青は出しやすいだけなのか、それとも日本人は心の深いところで、湿度の低めな晴れ渡った爽やかさに憧れを持っているのか。この話の面白さは、見せしめとしての実験を思いつくまでの、王の猜疑心の純度の高さね。救助や妨害がないように見張りをつけさせる徹底ぶり。なんだっけ、信頼するのは弱いからだ、だっけ。囚人が、俺なら逃げるから、と断わるあたりもいい。ジイサンと娘は邪魔だった。たどり着くとこはもっと劇的に盛り上げられそうなのに、地味。まあ公会堂の頂が照り映えている。朽ちた石像で始まって、それに戻る段取り。人の動きは粗かったが、髪が風になびいたりはする。
[映画館(邦画)] 5点(2012-02-17 10:29:06)
19.  はじけ鳳仙花 わが筑豊わが朝鮮
登場する女性画家、朝鮮人の代わりに発言するんだ、という気負いが強く感じられ、これって一種の思い上がりじゃないか、と最初のうちは引き気味に観てた。でも画家を離れてくると、画の力に引きずられて、のめりこんでいく。朝鮮人坑夫を怒鳴る日本人の顔のシーンで、突然また画家が現われる。加害者としての日本人の顔がどうしても描けない、と悩むんだな、ここが面白い。どうしても決まりきったデフォルメになってしまい満足できない、デフォルメを抑えると今度は「人のいい日本人」の顔になってしまう。自分の顔を鏡で見ながらいろいろ口を歪めたりしてみるのだが、納得の顔が出てこない。「加害者」の顔は地の顔と連続していない、という発見。環境が与えてしまうものなのだ、というギリギリの性善説が見えてくる。ふだんは加害者の顔になれない人間が、立場によって加害者の顔にされてしまっている。否定的な告発の絵の底に見えてきた性善なる人間。おそらくこの画家は曼荼羅図のようなエロスの世界や、空の星を吐き続ける竜の絵など、肯定的な画のほうに真骨頂があるのだろう。というか、世の中を肯定的に捉えることと否定的に捉えることとは反対の方向へ延びていくものではなく、縄を綯うように一方向へ延びていくものなのだ。その星の画を見せてて、ふっと画家の手が伸びてきて星を描き加えるとこなどハッとさせる。冒頭では骨の画を描いていたその手なのだ。過去帳に書かれた「某鮮人」というのに、生々しい残酷を感じた。ラストの指紋のスライドが重なる美しさ、社会を離れて指紋をそれだけ眺めれば、それはただの模様なのだ。
[映画館(邦画)] 7点(2011-09-28 10:03:12)
20.  春との旅
どうも仲代達矢が漁をしていた海の男に見えない。いまでは地方でも老人がああいうインテリめいた眼鏡をかけていても自然なのかも知れないし、しゃべり方なんかも一生懸命第一次産業従事者めいた語り口をしてはいるんだけど、カップ酒よりもコーヒーが似合ってしまう。当人は初めてコーヒーを飲むと言っても、実はいつも書斎でコーヒーを飲んでいそう。リア王になるべき人が老漁師のふりをしてるみたい。まして足を引きずって歩くと、映画史的に『炎上』でのインテリ学生を思い起こしてしまう。この主人公の設定が面白いのは「甘えたじいさん」を、どことなく肯定的に捉えているところだ。孫のお荷物になりたくないと家を飛び出した主人公は、一見「毅然として」いるようでいて、実は親族に甘えられると思っているその「可愛げ」がポイントだろう。「毅然」が苦手な私としては、このじいさんの甘えぶりが頼もしかった。孫に心配かけて本人はいつもモリモリ食ってる。でも仲代だと、本質が「毅然として」いて、それに「甘え」のメッキが掛けられているように見えてしまう。これに出た役者でなら、大滝秀治のほうが良かったんじゃないか。全体、良作ではあるが、なにかNHKが祝日にでも放送する単発ドラマ的な「コクの薄い良作感」が漂う。
[DVD(邦画)] 6点(2011-09-10 10:17:17)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS