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まいかさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 214
性別 女性
ホームページ http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/
自己紹介 正直、生まれは平成じゃないです。かなり、昭和なムード。昔みた映画を思い出しながらレビューしますので、記憶がずいぶんあやふやかも。なにか変なところがあったら、http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/のほうにツッコんでおいてください。

好きな女優
 「或る夜の殿様」の山田五十鈴、「近松物語」の香川京子
好きな男優
 「お茶漬けの味」の佐分利信
好きなキャラクター
 グレムリンちゃんとマシュマロマン

☆評価基準
10点:超絶。ほとんど奇跡。
9点:傑作。かつ大好きなんだもーんッ!
8点:傑作だし、好きデス。
7点:素晴らしいです。好みの映画です。
6点:まあ、悪くないと思います。
5点:なにか気になるものはあります(~~;

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1.  舞妓はレディ 《ネタバレ》 
京都の舞妓文化の再生に一役買おうという主旨で、それなりの取材をしたうえで作ったのはいいと思うけど、残念ながらさほど面白い物語にはなってないし、ミュージカル映画としても中途半端にすぎる。たんに「マイフェアレディ」のダジャレという以上の意図を感じません。実際のところ、長谷川博己の役どころはただのヒギンズ教授のパロディであって、訛り音声の波形分析などは出鱈目なフィクションだろうし、ミュージカルの演出部分もまったくの素人じみた出鱈目にしか見えません。 京都の舞妓の世界をミュージカル仕立てで描くアイディア自体は悪くないと思うし、地元訛りを封じられて言葉を失なう主人公の心の声を歌で表現する手法も有効だとは思うけど、どうせやるならミュージカル映画として成立させるだけの技術的な前提が必要なはずです。それがまったく揃っていないように見える。  音楽の周防義和も、振り付けのパパイヤ鈴木も、ミュージカルの経験はほぼ皆無だったようだし、キャスト陣にもミュージカル俳優は含まれていません(全キャストのなかでミュージカルの基礎を学んでるのは、おそらく新人の上白石萌音だけ)。どんなにベテラン俳優勢を並べたところで、歌や踊りについては素人なのだから、スタッフ側にもミュージカルのプロがいないとなれば、どうしたって「なんちゃってパフォーマンス」にしかなりませんよね。 主演の萌音は「ド素人の田舎娘」という設定だからヘタでもいいと思うけど、脇を固めるキャストやエキストラがそれ以上にヘタじゃ話にならないでしょう。唯一まともなミュージカルとして見れたのは大原櫻子のシーンだけです。それ以外は、音楽にせよ振付にせよ舞台装置にせよ、せいぜいマツケンサンバみたいな歌謡ショーのレベルにしかなっていない。 演出に「ミュージカルらしさ」が欠けているため、たとえば序盤で舞妓さんたちが出迎えるシーンなどは、たんなるパレードの場面なのかと思ってしまうし、竹中直人のシーンなども、たんに悪ふざけで踊りながら歌い出しただけかと思ってしまう。せっかく東宝の制作で東宝の俳優を起用したのなら、スタッフやキャストにも宝塚や東宝ミュージカルのプロの人材を入れて、もっとちゃんとしたミュージカル映画に仕立てるべきだったと思います。
[インターネット(邦画)] 6点(2024-04-14 06:13:06)(良:1票)
2.  女は二度生まれる 《ネタバレ》 
見終わった直後ですが、恐怖のあまり、いまだ動悸がおさまりません。 序盤は、大映の様式的な映像美のせいもあって、わりと落ち着いたテイストの人情喜劇かと思ってましたが、芸者置屋をやめて以降の流れはかなり目まぐるしく、主人公の心理にも話の展開にもついていくのが難しくなる。そして最終盤の10分間は、気持ちがえぐられるような衝撃の展開。ラストシーンは、(最初のレビュアーの文章にもありましたが)まさしくブラックホールのような終わり方でした…。これほど予想を覆す脚本の映画は観たことがないので大きなショックです。 これはリアリズムのための手法だと思うけど、やはり藤巻潤のキャスティングがえげつない。そこが通常のセオリーを大きくひっくり返しています。 しかし、よくよく考えてみれば、序盤の会話にもあったように、2人は戦争で家族を失った犠牲者なのです。主人公は、それゆえにこそ互いに分かり合える関係を期待したのだろうけど、逆に言えば、戦争の犠牲者だからこそ、他人を利用してでもしたたかに生きるほかなかったのかもしれない。実際、いくら祈ったところで靖国神社は救ってくれなかったのだし、それは主人公自身も同じなのだから、藤巻潤の残酷さを責めることはできないのでしょう。
[インターネット(邦画)] 8点(2024-04-12 01:51:20)
3.  ドライブ・マイ・カー 《ネタバレ》 
さして中身のある映画ではないし、かりに「喪失の苦しみから立ち直る話」だとしても、チェーホフをなぞったキリスト教的な価値観の物語を現代の日本人が本気で作ってるとも思えない(欧米の観客は真に受けてるのかしら?)。とはいえ、それでも面白く観れてしまうのは事実。それは、ひとつにはサスペンス劇としての面白さだと思います。つまり、スリルや謎解きが物語の動機になってるのですね。 結末をネタバレすると、(前作「寝ても覚めても」では震災前と震災後で世界の見え方が変わったのに対し)この映画では岡田将生が「空き巣殺し」の話をした瞬間に世界の見え方が変わり、西島秀俊と岡田将生の立場が逆転して、他人に演じさせていた主人公がみずから演じる立場へと追い込まれ、自分の本心を引きずり出すように強いられるのですね。そして、序盤の「何が真実なのか」という謎に対して「すべてが真実」という予想外の解答が示される。つまり、本当と嘘を区別してたのは自分自身であって、嘘はほかならぬ自分自身の中にあったという話。演じさせる人間のほうに嘘があって、演じる人間には噓などなかったというオチです(これは東出昌大と唐田えりかの隠喩ともいえる)。 この物語にはたして3時間の上映時間が必要なのか分からないけど、不思議と飽きることはありません。それはサスペンス劇としての興味や緊張感のせいでもあるし、役者の演技をドキュメンタリーのように追う濱口竜介の演出手法のせいかもしれない(長回しを多用してるわけではなく、きっちりカットを繋いでるのだけど、それでもドキュメンタリーのように観れてしまいます)。冒頭30分ぐらいのところで、ようやくオープニングクレジットが出てくるのも斬新で「ああここから物語が始まるんだな」と思わせられるけど、そこから先の、かなりの割合を占める車の走行シーンや演劇の稽古シーンも含めて、長いことは苦痛になりません。そこに濱口竜介の稀有な非凡さがあると思う。石橋英子の音楽もカッコよかったです。
[インターネット(邦画)] 8点(2024-04-09 23:07:59)
4.  魚影の群れ 《ネタバレ》 
青森のマグロの物語かと思いきや、これもやっぱり生死をめぐる北海道の物語じゃないかと思ってしまう。「雪の断章」や「風花」もそうでしたが、相米慎二の描く北海道には不気味な風の音がして、死の匂いが漂い、その死のすぐそばには自暴自棄なセックスがあります。緒形拳は、ちょうど「雪の断章」の世良公則と同じにように、罪を背負って北海道へ死に場所を探しに来たよう見えるし、岸壁から船に飛び移る十朱幸代は、テトラポットへ飛び移る斉藤由貴にそっくりなのです。 はたして佐藤浩市は、青森沖で死んだのか北海道沖で死んだのか分からないけれど、彼が死ぬ前に口ずさんでいた都はるみの歌は、青森から北海道へ向かう連絡船の曲だったし、それは自暴自棄なセックスをする前に夏目雅子が口ずさんでいた曲でもある。 かりに「雪の断章」では罪を背負った人間が死に、「あ、春」では年老いた人間が死んだと考えるのなら、本作で死ぬべきなのは緒形拳であるはずなのだけど、なぜか通常の物語のセオリーとは順序が逆で、ここでは未熟さゆえに佐藤浩市が死ぬ結末になってます。これは残酷なリアリズムともいえるし、たとえば「あ、春」でヒヨコが孵化したり、「風花」でカエルが冬眠から目覚めたように、佐藤浩市の死と引き換えに夏目雅子が出産するともいえるけど、これを「死と再生の物語」と解釈するにはあまりにも無惨すぎる。 ちなみに「風花」の大友良英の音楽も、ちょっとうるさいと思うところがありましたが、この映画の三枝成章の安いサスペンスドラマみたいな音楽も全般的に邪魔でした。それこそ都はるみの音源を使ったほうがマシじゃないのかなと感じます。 なお、瀕死の佐藤浩市を放置してマグロを釣り上げる行為は救護義務を怠った法令違反じゃないかと思うのだけど、刑事役の寺田農が緒形拳を取り調べる場面がカットされたというのは、その後に入る予定のシーンだったのでしょうか。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-04-07 03:23:22)
5.  すずめの戸締まり 《ネタバレ》 
前作「天気の子」のレビューにも書いたのだけど、新海誠の作品はあくまで《自然》が主役であって《人間》は脇役なのよね。そして新海誠というクリエイターも、《自然》を描くことにかけては一級だけれど、《人間》を描くことにかけては三流だと思う。 日本各地に廃墟が増えるほど地震も増えていくという設定には不思議な説得力があり、自然災害にかんする神話的な想像力をビジュアル化する能力はあいかわらず傑出してるし、被災者に希望を与える物語にも力強さは感じます。しかし、その反面、少女の成長物語にかんしては、多くの時間を割いてるわりに、取ってつけたような安っぽさの域を出ません。たかが一晩足らずスナックの手伝いをしただけで少女が人間的に成長したりはしないし、数日一緒に過ごしただけの大学生に命を捧げるほどの恋愛感情が生まれるわけもない。そこらへんは、およそ説得力のない物語というほかありません。 前作「天気の子」のように、自然との闘いを神話的に描く要素が増えるほど、どうしても内容が難解になってしまうので、そのぶん世間的な評価は下がるのでしょうし、逆に「君の名は」や「すずめの戸締り」のように、ヒロインの恋物語や成長物語の要素が増えるほど、話が分かりやすくなるので、そのぶん世間的な評価も高まるのでしょうね。しかしながら、わたし自身の評価は、世間的な評価とは反比例にならざるをえません。たんに前作よりも分かりやすくなっただけで、作品世界が深まったようには見えない。 災害や、被災した自分自身との闘いのストーリーとしてなら9点ぐらいつけたいけれど、少女の成長物語や恋物語としては、せいぜい6点ぐらいの評価にしかならない。残念ながら、前作を上回ったとは思えませんでした。
[地上波(邦画)] 8点(2024-04-06 00:19:02)(良:1票)
6.  子供はわかってあげない 《ネタバレ》 
多用される長回しは、相米慎二みたいな「運動する身体」ではなく、むしろ「間」を含めた役者同士の掛け合いを時間ごと写し取る演劇的な表現です。この長回しの掛け合いがことごとく面白かった。何故こんなに面白いのか分からないけれど、微妙なズレが笑いを誘うのかもしれません。 タイトルは、おそらくトリュフォーを逆手に取って、子供のほうを主体にしてるわけですね。すなわち「わかる」かどうかは大人が決めるのではなく、あくまで子供が決めるべきだって話。そして、この場合の子供とは、たんに「生物学的な子」という意味であって、けっして「人格的に幼い」という意味ではない。人格的にはむしろ大人と対等だということ。 一緒に暮らしたことのない実父が新興宗教の教祖というシリアスな状況ながら、「真面目になればなるほど笑ってしまう」という少女の物怖じしない性格のせいで、何もかもがどう転んでも間抜けなコメディになっていく展開はユニークです。同時に、思春期の少女の話でありながら、萌歌の体格の良さと、ボーイッシュな容姿と、屈託なく逞しいキャラクターのせいで、男性監督の願望投影になりがちなロリコン要素をほとんど感じさせないのも清々しい。すくなくとも終盤までは恋愛要素をまったく感じさせないのも今っぽい。その意味で、萌歌の魅力と個性も存分に引き出せてると思う。 ただ、それだけに、終盤になって門司くんが小田和正みたいな音楽とともに走り出してからは、ありきたりな「思春期の少女の恋の物語」に収まってるし、その結果、ありきたりな「女子の成長と通過儀礼の物語」に見えてしまう。そのうえ「物分かりのよい子どもの物語」にもなっていて、たとえそれが原作どおりだとしても、ちょっと結末に意外性がなさすぎます。そもそも映画の中心主題は「父娘の交流」だったのだから、いきなり終盤で「恋愛の成就」になるのは唐突に感じる。途中までは9点つけようかと思いましたが、終盤の予定調和的な展開に1点減点。
[インターネット(邦画)] 8点(2024-03-02 01:10:45)
7.  時をかける少女(1983) 《ネタバレ》 
なにげにちゃんと見たのは今回がはじめて。正直なところ、期待値は高くなかったのだけど、意外なくらいの名作っぷりにビックリ。よくもわるくも、大林宣彦の作風ってずっと変わらなかったのね(笑)。初期の作風が晩年まで維持されてたのだなァと思う。綺麗なリマスター映像のせいもあり、あまり古さを感じませんでした。断崖絶壁の海岸のイメージなども、晩年の作品まで維持されてますよね。 ノスタルジックな感傷趣味やロリコン趣味はやや気持ち悪いところもあるけど、知世の演技は懸念してたほど悪くなかったし、MV風のエンドクレジットも可愛かったです。尾道の町並みも美しいと思いました。 内容的にも、のちの角川版や細田版にくらべて物語の深みを感じる。とりわけ重要なのは、吾朗ちゃん(尾美としのり)の位置づけです。角川版の吾朗や細田版や津田功介にはほとんど存在意義がありません。しかし、大林版における吾朗の存在はきわめて重要だと思える。 主人公の芳山和子が深町くんに抱いた想いは、じつは吾朗ちゃんへの想いだったわけです。いわば、深町くんというのは「吾朗ちゃんの代理」だった。それはちょうど『さびしんぼう』において、尾美としのりが富田靖子に抱いた想いが、じつは母親(藤田弓子)への想いだった、という構造に似てる。さびしんぼう(富田靖子)は「母親の代理」だったのです。これらは、おそらく「もっとも大事な人がもっとも身近にいることに気づく」という愛の物語ですよね。 他方で、老夫婦(上原謙&入江たか子)にとっての深町くんは、幼くして亡くなった孫の代理でした。死者を代理することで、存在しえなかった人物が現出している。それは、たとえば広島や長崎の歴史において、存在しえなかった誰かを現出させるような不思議なパラレルワールドです。これは、たんなるタイムリープの物語ではなく、作り変えられた記憶を経験するマトリックス的な物語だといえる。 個人的には、ロリコンとノスタルジーの入り混じったセンチメンタリズムが苦手なのだけれど(それをいちばん感じるのは子供が指の傷を舐め合うところ)、この映画の場合、それがSF設定の肝になってるのは否めない。その意味で、これは「アイドル映画」というよりも、日本を代表する「SF映画」として評価すべき作品だと感じました。
[インターネット(邦画)] 8点(2024-02-26 06:45:37)
8.  ゴジラ-1.0 《ネタバレ》 
この映画の怖さは、スペクタクルとしてのゴジラの怖さもさることながら、それにもまして戦争のさまざまな記憶を蘇らせるところにある。それはたとえば特攻の記憶であり、被爆の記憶であり、孤児や娼婦があふれかえる敗戦後の悲惨や混沌の記憶です。 庵野秀明の「シンゴジラ」は岡本喜八を模範にしたと言われるけど、おそらく今作が模範にしたのは関川秀雄&伊福部昭による「ひろしま」や「わだつみの声」、あるいは今村昌平の「黒い雨」や山崎自身の「永遠の0」、あるいは「火垂るの墓」や「この世界の片隅に」のような諸々の日本の戦争映画だったのではないかしら? ちなみに「わだつみ」とは一義的には海神のことですが、それは同時に戦没学生の比喩でもあります。 これほど陰鬱な作品とは予想していなかったので、よくもわるくも驚きました。浜辺美波がこれほど荒んだ女性の役で登場するとも思わなかった。おそらく今作は、ゴジラを題材にした戦争映画の極北でしょう。つまり《初代ゴジラの精神に戻る》というのは、たんに「人間の味方」から「人間の敵」に戻るという生易しい話ではなく、「怪獣エンタメ」から「社会派作品」に戻ることを意味するわけですね。そのことを思い知らされた。 もし米国で怪獣を題材にした戦争映画を作れば、痛快な勝者の物語になるでしょうが、日本でそれと同じことをすれば、おのずと敗戦の陰惨なトラウマを呼び起こすことになる。今作のように《初代ゴジラの精神》にとことん振り切ってしまうと、おそらく一定の割合の観客は、その戦争の記憶の陰鬱さや心理的負担に耐えきれず、結局は「いつもの怪獣エンタメに戻してほしい」「痛快な怪獣バトルが観れればそれでいい」と言い出すはずです。したがって、日本のゴジラは、たえず「怪獣エンタメ」と「社会派作品」の間を往ったり来たりするしかないでしょう。 なお、浜辺美波がゴジラよりも不死身だったり、クレーンが折れても船が転覆しなかったりするのは、ツッコミどころではありますが、ごく常套的な観客サービスであって、とくに作品の欠点とは感じませんでしたし、神木隆之介をはじめとする演者の芝居も上出来で、演出上の欠点もとくに感じませんでした。  追記:ゴジラとワダツミについての細かい話は自分のブログにでも書きます。 音楽もかなり怖かったです。伊福部の「ダダダン、ダダダン」を裏返したような音型のミニマル。佐藤直紀は何か賞を獲るかもしれませんね。
[映画館(邦画)] 9点(2023-11-10 13:42:24)(良:3票)
9.  風の谷のナウシカ 《ネタバレ》 
実質的なジブリ第1作(正確にはジブリ設立前)…という意味で記念碑的な作品ではあるけれど、やはりこれを映画化するのはちょっと無理があったのかなあ、という気がします。神話的な魅力はありますが、世界観があまりにも壮大すぎて、これを見ただけでは物語の構造が理解できないし、唐突なハッピーエンドにも置いてけぼりを喰らいます。腐海の下に清浄な世界が存在することの意味も分からないし、出てきたとたんに溶け落ちてしまう巨神兵が何だったのかも分からないし、瘴気に汚染された森と谷がどうなったのかも分からないし、戦争が終結したのかどうかも分からない。 数十年ぶりに観ましたが「よく分からない」という印象は同じです。今回はテレビの字幕付きで見たけれど、初見のときは音声だけだったので、なおさら理解するのが困難だったと思う。 やはり、これは原作への入り口なのでしょう。この映画だけで満足できてしまう人は、映画どまりでもいいのだろうけれど、映画に納得しきれない人は、原作を読んで、さらに深く苦悩させられるわけですね(笑)。 ちなみに、あらためて観てみると、作風がかなり「コナン」っぽいなと思いました。終末的な世界観も、風景や町並みも、メカニックも、人物造形も、ヒロインを含めて女性のバストが大きいところなども「コナン」っぽいし、久石譲なのに電子音楽が入ってくるところも「コナン」っぽいです。 それにしても、のちのエヴァvs使徒の物語を考えると、ここで庵野秀明が巨神兵を描いたのは運命的だったのですね。ナウシカの物語とエヴァの物語は隣り合っているように思えてきます。エヴァってのは、ある意味「ナウシカ外伝」もしくは「シン・ナウシカ」なのでしょうね…。
[地上波(邦画)] 8点(2023-07-08 18:52:51)
10.  ガメラ2  レギオン襲来 《ネタバレ》 
GYAOの無料動画で視聴。 平成ガメラ3部作をすべて配信していましたが、第1作は集中力がもたずに途中で放棄。戦術シミュレーションのドキュメントみたいな作風が『シンゴジラ』の原型になったそうですが、肝心の樋口真嗣の特撮は期待ほどではありませんでした。遠景のスペクタクルは美しかったものの、近景の映像は魅力に乏しく、『シンゴジラ』で蒲田くんをクローズアップにした映像のインパクトには程遠かった。 こちらの第2作は、SF大賞を獲っただけあって脚本の内容が興味深く、「地球外から生命の種子がもたらされる」という水野美紀の話などは、先日の「小惑星でアミノ酸が見つかった」というニュースを予言したかのようでした。東日本震災の15年前の作品ですが、「半径6キロに避難命令、半径8キロに避難勧告」などと言いつつ仙台の壊滅を描いたのも予言めいている。NTTの職員がインターネットやコンピュータを駆使してますが、これも当時としては最先端だったと思う。 ただし、映画としての出来は平凡です。 宇宙生物の実態が明らかになって、ススキノに巨大植物が現れる序盤は興味深く、スペクタクルとしての魅力もあったし、終盤で怪獣どうしが戦う夜のシーンの特撮映像もよく出来ていたけれど、いかんせん中盤部分が退屈でした。つまり、怪獣の生態を解明して撃退方法を検討していく部分ですね。これは日本の怪獣映画の宿命かもしれないけど、この部分がどうしてもつまらない。ミステリー小説でいえばトリックの解明と犯人捜しにあたる部分なので、面白くすることも不可能ではないと思うけど、たいていの怪獣映画はこの部分で失敗しているのだと思う。撃退のロジックがややこしいからなのか、最後に怪獣が死んだ理由もよく分からず、なんか呆気なく終わってしまった感じです。 怪獣の撃退方法にかんしては、どれだけ緻密なロジックを作っても、しょせんは荒唐無稽なファンタジーなのだから、そんなものをゴチャゴチャやられても仕方ないのよね。むしろ時代劇の「大魔神」みたいに、この要素を取っ払ったほうが怪物映画としては面白い。伊藤和典の脚本は詳細に作られてるんだろうけど、映画のほうはそれを具現化するのに精一杯で、およそ物語としてのエモーションに乏しい。吹越満の役どころは、たぶんオタクっぽいインテリという設定なのだろうけど、やや軽薄なキャラが緊張感を削いでいる。少女とガメラが交信する神話的要素も、なんだか取ってつけたような感じで人間ドラマとして機能していない。 また、宇宙生物は意志をもたない植物のほうが不気味だったから、意志をもつ動物になった途端に怖さが半減してしまったのは、かえってマイナスポイントかもしれません。
[インターネット(邦画)] 6点(2023-03-26 00:56:10)
11.  日本橋(1956) 《ネタバレ》 
GYAOの無料動画で視聴。 青や紫を多用した画面は泉鏡花の薄気味悪い世界観をよく醸し出しています。これはきっと撮影所の技術の賜物だろうし、もともとの戯曲の舞台美術にも多くを負っているのかもしれません。その映像の美しさだけをいえば、のちの鈴木清順の大正3部作にも比肩しうるものだと感じます。 しかし、戯曲をそのまま敷衍したような散漫でメリハリのない脚本はまったく要領を得ず、無駄なシークエンスが多いわりに物語の肝がさっぱり見えてこない。のっぺりした脚本が鏡花らしいと言えばそうも言えるかもしれませんが、もうすこしポイントを絞った明瞭で簡潔な脚本に出来るだろうと思わずにはいられない。 冒頭のシーンは幕が上がって路地が出現するところから始まりますが、そこが演劇的空間であることを示唆するよりも、なにより「路地」や「橋」の意味づけを明確にすべきです。登場人物の関係性や心の確執についても、たんに戯曲のセリフで説明するのでなく、もっと映画的な手法に置き代えて表現すべきだろうと思う。蛆虫が湧くという赤熊の毛皮も、舞台演劇ならばともかく映画の服装としては漫画じみた感がありました。 画面の美しさには9点以上つけたかったところですが、市川夫妻の脚本と演出には才気も創意も感じられず、7点以上はつけられません。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-03-19 22:34:54)
12.  浮草 《ネタバレ》 
GYAOの無料動画で視聴。昔いちど観たはずだけど、まったく中身を忘れていました。 カラー時代の小津のエロコメディの文体で撮られていることに加え、家族ではなく旅芸人を題材にしたリメイク作品であること、関東ではなく関西(小津の故郷の三重県)を舞台にしていること、松竹ではなく大映で作られたこと…など、いくつかの点で特異性があります。キスシーンが多いのも意外だし、杉村春子と京マチ子の対決ってのも、いま考えるとスゴいことだなあと思う。 リメイクしただけのことはあって、お話はとてもドラマティックで面白い。映画人だって旅役者と同様のヤクザ稼業には違いないから、この物語は小津にとって(舞台を故郷に設定したことも含めて)他人事じゃなかったのかもしれません。その哀しい生きざまを、松竹ではなく大映の役者に演じさせたのですね。 端的にいえば「パワハラ親父の毒親物語」なので(当時の観客は旅役者の境遇に同情したかもしれませんが)、現在の観客なら、こんな両親を許せないだろうし、むしろ「息子たちは物分かりがよすぎる」とさえ感じるかもしれません。 しかも、村の女たちと旅役者たちとの行きずりの恋は世代を超えて性懲りもなく反復されており、いわば構造的な悲劇であることが暗示されています。たとえば床屋の娘は、父親ではなく母親に守られていますが、村の男たちも客商売なので、ふしだらな旅役者といえど無下にはできない弱い立場にあって、一様に無口で影が薄いのですね。したがって、村の女たちは(ある意味では自由とも言えるけれど)自分で自分を守るしかありません。 隠し子を生んだ主人公の男女は、浮き草のような自分たちの生き方に後ろめたさを感じ、郵便局勤めのお堅い息子に希望を託していたものの、結局は世代を超えて同じ過ちが反復され、その身勝手な希望もあえなく砕かれます。「蛙の子は蛙」という哀れなセリフには思わず笑ってしまいました。これはほとんど希望の見出せない物語。旅役者の男女が再起できるとも思えないし、残された母子が女優あがりの若い娘と上手くやっていける保証もない。むしろ息子の進学や出世の可能性はかなり狭まったと言ってよい。小津と野田はあからさまな悲劇にはしたくなかったでしょうが、あたかも希望があるかのように終わらせるのは無理がありました。実際は、かなり悲劇的なエンディングだと思います。
[インターネット(邦画)] 8点(2023-03-16 06:52:04)
13.  妖怪百物語 《ネタバレ》 
GYAOの無料動画で視聴。どう見ても親子連れをターゲットに作られていて子供騙しの感が強いけれど、大映時代劇としての技術的な様式性はしっかり維持されている。特撮も子供向けにゆるキャラ総出演って感じだけど、一本足のから傘お化けなどは、近年の山崎貴あたりのCGに比べても遜色ないと思わせるほどよく出来ており、逆に日本の特撮がこの時代のレベルからさほど進歩してないんじゃないかと思わせます。妖怪たちが治安を守っているという勧善懲悪的な図式は、翌年の「東海道お化け道中」と同じですが、脚本にまったく深みがないし、やはりコミカルパートも滑ってます。これは7点どまりですね。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-03-15 03:13:25)
14.  やくざ坊主 《ネタバレ》 
GYAOの無料動画で視聴。これまでに観た安田作品はひとつのハズレもなく、すべてに8点以上をつけてきたのですが…、残念ながらこれはハズレ。すべてにおいて精彩を欠いており、「ほんとに同じ監督の作品?」とクレジットに疑念を抱くほど見劣りがしました。画面の構図にも色彩にも高度な様式美は感じられないし、ブツ切りのシークエンスも繋ぎかたが不可解。勝新の殺陣にも創意や切れがない。そもそも題材自体があまりにインモラルで、大映時代劇の渋味のある作風には合ってない気がするのですが、脚本の軸もなんだかハッキリしません。駄作。オリジナルのせいかリマスターのせいかは分かりませんが、画面も全体的に暗かった。
[インターネット(邦画)] 6点(2023-03-14 02:52:24)
15.  テルマエ・ロマエ 《ネタバレ》 
初めての鑑賞です。面白かった。ものすごくくだらない内容なのに、それなりの教養にもなるところがスゴイ(笑)。たんに「顔が濃い」という理由だけで集められた俳優たちも笑えますが、これが驚くほど古代ローマの風景に溶け込んでおり、これならイタリア人でも違和感なく観れるんじゃないかと思いました。まあ、いくらファンタジーとはいえ「日本人が古代ローマ文明を発明した」という歴史修正主義はイタリア人から見れば噴飯ものでしょうが、さすがに日本人とは言わないまでも「属州の異民族文明を吸収することで古代ローマ文明が発展した」という面は実際にありそうな気がします。古代ローマ人にお姫様抱っこされるのがヤマザキマリの願望だったのかしら?続編も楽しみです。
[地上波(邦画)] 8点(2023-02-12 22:33:01)
16.  東海道お化け道中 《ネタバレ》 
GYAOの無料動画で視聴。 聖域を荒らした悪人たちが、宿場の妖怪や死んだおっ母さんの霊力によって退治されるという教訓的な内容。眠狂四郎シリーズなどの虚無的な恐ろしさとは違って、妖怪たちが宿場の治安を守ってくれる内容なので、安心感こそあれ、恐怖はほとんどありません。年にいちど鬼塚に集まるのは妖怪ではなく、むしろ各地の神々と言ったほうがいい。 本郷功次郎のキャラは岡っ引きみたいな風情で、さほどの貫禄もなく殺陣も軽めで立ち回りのシーンは呆気ない。弟分の悪しき正体に気づけないなど洞察力も乏しい。敵をやっつけるのはあくまで妖怪の霊力ですから、本郷功次郎の役回りは脇役にすぎないのでしょうね。 いちばん卑怯な裏切り者のチンピラがお父っつぁんだったという展開はちょっと驚きましたが、そこが唯一のフックになって物語に複雑な深みと味わいを与えています。サイコロと書き付けの伏線も最後にきちんと回収されます。欲をいえば、死体が沈められた冒頭のため池のシーンが美しかったので、もういちど最後にそれを見せてほしかった気はする。 中盤のギャグパートは完全に滑っており、この監督の演出が軽みに欠けていてコメディに不向きなことが分かります。それでも、あらゆるカットの美しさが眼福なので7点以下をつける気はしません。渡辺宙明のマカロニウエスタン風の音楽は、良くも悪くもキャッチーで分かりやすいですね。なお、妖怪譚では「百太郎」という名前が定番のようだけど、その由来をネットで調べてみても分かりませんでした。 GyaOのおかげで安田公義の映画を立て続けに見ることができ、わたしとしては日本でもっとも好きな監督を発見できた気分ですが、この監督の一般的な評価が不十分なことに不満も覚えるようになりました。それについては自分のブログにでも書きます。
[インターネット(邦画)] 8点(2023-02-11 08:22:38)
17.  大怪獣ガメラ 《ネタバレ》 
GYAOの無料動画で倍速機能を使いながら視聴。 大映作品とは思えないほど稚拙な出来。海外のB級SFみたいなチープな風合いになったり、日活や新東宝の現代劇のような風合いになったり、映画の文体がちぐはぐして統一性がない。カット割りを見ても、俳優の演技を見ても、基本的な演出力の欠如が見て取れます。船越英二のセリフが意味もなく途切れたり、唐突にナレーションで説明が入ったりするのも謎。四苦八苦しながら辛うじて継ぎはぎだらけの映画にまとめた感じです。中盤の特撮は結構よく出来てるけど、そもそもカットの繋ぎ方がデタラメだったりして映画の文体をなしていない。 脚本も、科学者と自衛隊の現場指揮官が核使用の判断をしたりするのは御愛嬌としても、全体として何を表現したいのか見えてこない。ガメラを火星に飛ばすことが「生かすこと」なのか「殺すこと」なのかも分からなかった。ただ、亀の怪獣だけあって、浦島太郎っぽい訓話にする意図があったようには感じました。 永田雅一の予想どおり商業的には成功したらしいので、怪獣映画ってのは特撮のスペクタクルさえ成功していれば、文体が破綻してても関係ないのでしょうね(笑)。
[インターネット(邦画)] 6点(2023-01-26 19:51:07)
18.  大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン 《ネタバレ》 
GYAOの無料動画で視聴。これは傑作。ツッコミどころ満載の萌え萌え爆笑活劇! 湯浅憲明による第1作は映画の体をなしていませんでしたが、今回はベテラン監督に代わったおかげで技術的な基礎も安定し、カラー映像の色彩も美しい。木下忠治の音楽も面白かった。オープニングクレジットの背景画像は円谷プロの「ウルトラQ」ぽい感じですね。 特撮部分は湯浅憲明の功績でしょうが、怪獣がかなり可愛いです!両手をあげて火を吹くガメラも可愛いし、ニューギニアの怪獣バルゴンはもっと可愛い!蒲田くんのような顔つきにヨチヨチ歩き。カメレオンみたいにニューッと伸びる舌。背中から放たれるカラフルな虹。ガメラの顔を尻尾でビンタ…などの萌えポイントが盛りだくさん。沈没船から這い上がってきたのに水が苦手だとか、太陽光にも含まれる遠赤外線だけで奇形化するとか、致命的なほど弱いのも胸キュン。大阪城前広場での"ゆるキャラ対決"はスペクタクルとしても上等でワクワクしましたが、ガメラに殴られて紫色の血を流したときは胸が痛みました。 そもそも火星へ飛ばしたはずのガメラが、奇跡的な確率で隕石に衝突してあっさり地球にとんぼ返りする物語の発端が笑えますが、南洋ニューギニアのお約束のエスニックダンスも笑えますし、意味のわからなすぎる理論を連発する科学者もツッコミどころが満載。肝心なときに赤外線ランプが故障したり、ピストル男に簡単にダイヤを奪われたりする自衛隊のマヌケっぷりも凄い。最後はガメラのおかげでバルゴンが退治されますが、そもそも水力発電を破壊したうえにダムも決壊させたガメラを放置したままで大丈夫なの?(笑) あらためて火星へ飛ばすべきでしょ。 さて、怪獣がとても愛くるしいのに対して、人間のバイオレンスは相当にえげつないです。他人の奥さんを蹴り飛ばしたうえに殴り殺したり、日活アクションばりの乱闘のすえに柱へ縄で縛りつけるなど、かなりひどい。 本郷功次郎は正義の味方みたいに振舞ってますが、こいつも遺骨収集と偽ってニューギニアの宝物を無断で持ち出そうとした悪人に変わりはなく、しかも「ニューギニアくんだり」だの「土人の部落」だのと差別発言を繰り返す反コンプライアンス的な人物。戦没者にも現地人にも何ら敬意をもっていません。こいつもピストル男と一緒にバルゴンに食われればよかったのに。
[インターネット(邦画)] 8点(2023-01-26 18:57:23)(良:1票)
19.  悪名(1961) 《ネタバレ》 
GYAOの無料動画で視聴。とても面白かった。9点! 序盤はケンカばかりで、ただのむさい男たちのチンピラ映画かと思いましたが、女が登場するたびに画面が華やいで色香を増していき、終わってみれば意外なほどモダンな映画だったという印象です。 最初に出てきた中田康子はムンムンと下卑た色気がありすぎでしたが、次に出てきた水谷良重は、不美人ながらも物腰に"しな"があって、とても絵になっていた。とくに二階から屋根づたいに逃げるシーンはスペクタクルとして秀でていました。監督の田中徳三は「手錠無用」でも勝新をピンクのベッドに寝かせていましたが、水谷良重との寝起きのシーンでもピンク色を巧みに使って、勝新を可愛らしく見せていました。中村玉緒も美人じゃないけど可愛かったです。映画のなかでも実生活さながらに婚約してたのね(笑)。 工場の煙突が見える広い空き地の決闘シーンもカッコよかったし、自動車の撮り方なども粋でおシャレだったし、京都嵐山で女二人と別れるシーンも美しかった。 勝新は、同時期の「座頭市」では五十歳前後の貫禄ある中年男を演じてるのに、「悪名」では二十歳そこそこの小柄なあんちゃんを演じてる。まったく別の人間に見えるのがすごいです。角刈りでヒョロっとした田宮二郎はエンピツみたいでした。 シルクハットも含めてヤクザの親分たちはみんな弱っちく、ラストも大乱闘になるかと思いきや、女親分とサシで決着をつけて終幕。それがまた粋な終わり方で洒落ています。なお、地中海を舞台にしたイタリアのマフィア映画みたいに船で島を往来するわけですが、なぜ舞台を因島にしたのか調べてみたら、あの女親分が実在の人物だったのですね。
[インターネット(邦画)] 9点(2023-01-23 22:18:45)
20.  座頭市血煙り街道 《ネタバレ》 
GYAOの無料動画で視聴。三隅研次を観るのはこれでたぶん4本目。 旅一座の興行や春画の密造・密売で荒稼ぎする芸能ヤクザと、それを規制すべく取り締まる幕府隠密とで繰り広げられる捕物(というより処刑抹殺)劇に、市が巻き込まれるという設定です。 春画を取り締まる幕府隠密は「血も涙もない堅物」って感じ。大島渚の猥褻裁判より10年前の作品だけど、ある意味では「表現の自由」をめぐる物語になっている。しかし、春画を描かされている絵師もなんだか「軟派な色男」って感じだし、芸能ヤクザの親分もコワモテというよりは「拝金主義のスケベ」って感じ。どこに正義があるのかよく分からない構図。そして市の立場はひたすら「子供への情」なのですね。 倒れ込みながらの殺陣など勝新の演技は一段と凄まじい。最大の見どころは、最終盤の「正義と正義のぶつかり合い」ですね。 それなりに美しいカットも見られるし、とくに大きな欠点があるわけではないけれど、歌謡ミュージカル風の序盤や子連れ人情劇としての中盤の通俗的な展開は、これといった見どころに乏しい。名作がひしめく大映時代劇のなかで、これが取り立てて傑出した作品とは思えませんでした。それから、オリジナルのせいかリマスターのせいかは分かりませんが、全体的に画面が暗くて、色彩の鮮やかさに欠けたのも不満です。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-01-23 10:16:14)
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