1. シティーハンター(2024)
漫画の実写化と聞けば地雷のイメージでしかなく、それも邦画なら尚更だろう。 過去にフランス実写映画版が好評ともなれば、 その高すぎるハードルを乗り越えるためにも入念な準備を重ねたと見た。 事実、本作は懸念材料を見事払拭している。 鈴木亮平演じる冴羽獠の作り込みは圧倒的で、 コミカルな時はとことんコミカルで、シリアスな時はとことんシリアス。 どちらが本心か分からないくらいに複雑な二面性を持ったキャラクターを、 神谷明寄りの声質も肉体的なアクションも余すことなく自分のモノにしている。 フランス版に比べるとシリアス寄りで血生臭さが目立つものの、 原作への熱意もリスペクトも伝わる、"本家実写版"ならではの矜持を感じた。 [インターネット(字幕)] 7点(2025-01-02 15:58:37) |
2. AKIRA(1988)
15万枚のセル画に込められた、破壊、破壊、破壊、……そして誕生。 かつて遠い昔に見たまま、理解できないまま終わった物語に再び触れた途端、 新たな神話と繰り返されて来た歴史の環が浮上する。 モノであふれかえり、精神が荒廃し、閉塞感打破のために暴力に回帰していく。 "アキラ"という概念に振り回され、大義名分として暴走がインフレしていくカオス。 当時の時代が生み出したこの圧倒的エネルギーは現在では絶対に模倣できないだろう。 超能力のぶつかり合い、アメリカンな台詞の応酬、 緻密なディテールに裏打ちされたメカニックとサイバーパンクな世界観。 日本アニメの一つの到達点であり、先行きの見えない現代において破壊の先に何があるのか、 自分自身で答えを見つけるしかない。 [インターネット(字幕)] 8点(2024-12-06 23:37:52)(良:1票) |
3. JUNK HEAD
《ネタバレ》 ギレルモ・デル・トロの世界観に近いものを感じる。 退廃的な廃墟の緻密なセットといい、グロテスクなクリーチャーの造形といい、 受け狙い一切なしのクリエーターが独学で本気でぶつけた情熱に、 ギレルモ本人の目に留まったのだから。 不気味で暗さを感じさせる内容ながら、 ユーモラスな登場人物にゆる~い会話の数々が上手くバランスを取っている。 生理的に拒絶しそうなのにどこか虜になりそう。 切り取られたクノコや三人組のペットの尻尾が生殖器に見えてしまい、 永遠の命と引き換えに失った生殖能力へのアンチテーゼにも見える。 生命の危機に直面したからこそ見えてくる、主人公の発する"生きている実感"があまりに皮肉だ。 3部作とのことで最終的な評価は完結編ができてから。 現段階で7点にしておきます。 [インターネット(邦画)] 7点(2024-10-26 00:22:03) |
4. カリスマ
《ネタバレ》 刑事ものの導入部分からホラー・ファンタジーを彷彿とさせる不条理劇への移行、 時折挟み込まれるシュール・コメディな演出の数々に、 ジャンルらしいジャンルが分からない唯一無二の雰囲気が醸し出されている。 カリスマという一本の木を巡り、その存在に振り回されていく人間模様。 どの勢力にも属さないアウトサイダーだった刑事がやがて狂気の中心になっていき、 「世界の法則を回復せよ」の問いに対する「ありのまま」の対応は下界にさらなる混沌を巻き起こす。 しかし、しがらみがある以上、誰もが「ありのまま」にはなれない。 それが今の現実で、狡猾な政治屋なり、口が巧い実業家なり、寂しさに付け込んでくる宗教家なり、 彼らに振り回されて疲弊してなんて滑稽なことか。 "カリスマ"とは土壌に張り巡らされた毒そのものだ。 『CURE キュア』をさらに難解にその一歩先を行く世界をラストで描いているわけだが、 "何か"に縋り付いて自由を失った普通の人と、執着を手放しありのままを受け入れた刑事、 どちらが正常でどちらが狂っているのだろうか? 一度破壊された世界に"カリスマ"が新たな秩序を形作っていく。 [インターネット(邦画)] 5点(2024-10-03 22:56:47) |
5. Cloud クラウド
《ネタバレ》 黒沢清の映画は多作故に当たり外れが非常に大きい。 本作は明らかに後者。 タイトル通り、雲のようにあやふやで掴みどころがない。 それは主人公のはっきりしない対応であり、転売で当たるかどうか分からないギャンブル要素であり、 ネットで増幅する姿の見えない悪意である。 悪びれることなくどこか他人事で、常に棒読み台詞で人の形をした空虚みたいに。 射幸心。 一山当てたいがために中毒性のある一過性の幸福を手に入れ、ひたすら視野が狭くなっていく。 主人公の関心は如何に安く仕入れた大量の商品が高く売れるかで、 物欲大好きな恋人よりも、猟友会の男が死んでも、殺人による死の危機を脱しても、 売り物が無事であるか、そして売れるかどうかしか見ていない。 それはSNSの「いいね」にそのまま当てはまる。 不特定多数の何かに依存し、四六時中ウォッチして、「いいね」が少なければ人は病んでしまう。 黒沢清ならではのダークな画作りと演出に、おおっと思わせるシーンはあった。 ところが中盤以降の廃工場のガンアクションで映画が既視感だらけの薄っぺらになってしまった。 ほぼ『蛇の道』のクライマックスのまんま。 助手にパソコンを使われたり(パスワード掛けろよ…)、主人公が攫われて殺されるかもしれないのに忍び込む恋人、 なぜか主人公に執着する狙う側の元職場の経営者と守る側の助手(どこかボーイズラブらしさがある)、 それぞれの背景がはっきりしないまま終わってしまった。 100%描き切れば良いわけではないが、この曖昧さのバランスの悪さが足を引っ張っている。 素性がバレ、恋人に裏切られ、これから巨大な組織に取り込まれるだろう主人公には深い地獄の入り口が待ち受けている。 自業自得と言えばそれまでで転売ヤーに対する目が厳しくなっている以上、 彼らに一切関わらない、ネットに依存しすぎない、真面目に働こう、という教訓が得られるくらいか。 [映画館(邦画)] 5点(2024-09-27 22:58:18) |
6. わんだふるぷりきゅあ!ざ・むーびー! ドキドキ♡ゲームの世界で大冒険!
《ネタバレ》 ネタバレ踏む前に鑑賞したが、内容が内容だけにこの手の映画は敷居が高すぎる。 恒例のシリーズ作品の映画版ともなると追加戦士が登場するが(実は本作を含め2作しか見てない)、 ただの追加戦士ならともかく、「2年連続で男子プリキュアが登場するのか」という情報が錯綜し、 界隈では意見が分かれる事態になっているからだ。 当初は「女の子だって戦いたい」というコンセプトだったが20年も続く現在において、 メインターゲットの女児による売上が少子化で減少し、 次第にリアルタイムで当時のシリーズに触れ、成人になって出戻ってきた層にシフトしている。 それが後日談だったり、舞台版のぼくプリだったりするわけだ。 そう、新陳代謝を促すために、去年はレギュラー初の男子プリキュアであるキュアウイングを発表し、 個人は個人としてそれなりに受け入れられているものの、 これが恒例になっていくことでシリーズのアイデンティティーが逸脱していくのではないかという懸念がされていた。 それで結論を言えば……出る。 ペットと飼い主の関係性がテーマであるが故に、男子ペアが登場するのである。 71分の短い上映時間の中で、詰め込むだけ詰め込んだ"お祭り映画"として頭空っぽに楽しむ内容なので、 ストーリーの整合性とか映画の深い背景はなく、歴代シリーズのクロスオーバーにワクワクして、 とにかく暴力的なまでの映像の洪水がカオスの如く押し寄せて体感するしかない。 近年の邦画でよく見られる薄っぺらなメッセージや安い感動でゴリ押ししてくるより、 映画館に見に行く人たちを第一に楽しませる姿勢において誠実だろう。 アカデミーやカンヌで賞を取るような映画ではないし、数年経てばファン以外から本作の存在を忘れ去られるかもしれないが、 短い間だけでも非日常を楽しみたいという意味ではエンターテイメントとして健全な姿だと言える。 ただ、映画館での謎の一体感みたいな、そういう異様な空気は多分忘れないだろう。 今頃、お待たせしましたと言わんばかりに追加戦士のファンアートが捗っているはずだ。 [映画館(邦画)] 6点(2024-09-14 00:26:34) |
7. 映画 プリキュアオールスターズNewStage3 永遠のともだち
《ネタバレ》 偶然テレビ放送されていて鑑賞した思い出。 元になったTVシリーズと歴代プリキュアに思い入れがないと評価が決め辛いのは確かだが、 そんなストーリーの整合性なんてどうでも良いくらい、"お祭り映画"として開き直っているのが良い。 本音を言えば、横浜の街の中を敵とチェイスするシーンをもっと見たかった。 ゲストキャラの一般人の少女である坂上あゆみが一時的にキュアエコーになって、 戦いではなく対話で和解するあたりがキモだろう。 「女の子も戦いたい」という歴代のコンセプトのアンチテーゼかもしれないが、近年はバトルしないプリキュアも出てきたし、 パートナー妖精と変身アイテムの力を借りずに、ただ純粋な想いの力だけで変身しているあたり、 「女の子は誰でもプリキュアになれる」という映画のテーマを見事体現している。 (とは言え、去年から男の子もペットもレギュラーのプリキュアに変身できてしまい、時代の流れに苦笑い)。 過保護、引きこもり、といった問題を暗に含みながら、現実を一生懸命に生きることの大切さを 押し付けがましくなく描く、ファミリー映画としては及第点ではないだろうか。 余談1 劇場で中学生までの入場者にプレゼントされるミラクルライトでプリキュアを応援しようというメタ的な演出がある。 メインターゲットの女児が飽きないように考案され、シリーズ恒例になっているらしいが、 何もしなかったらバッドエンドになるんじゃないかと思った。 ある意味、応援上映の先駆け。 余談2 ちなみに20年もやっていると歴代プリキュアの年齢問題が大きく引っ掛かるが、 放送当時の時間軸から召喚されたり、社会人が全盛期の中学生の姿に一旦戻って変身するらしいです。 [地上波(邦画)] 5点(2024-08-17 23:56:09) |
8. クイール
《ネタバレ》 遠い昔見たことがあるが、無味無臭で終わった映画。 実話の映画化でありながら犬が主役の映画としては焦点が合わず中途半端さを感じる。 演技する犬の労力やストレスを考えれば仕方ないが、盲導犬の啓発だけならドキュメンタリーで十分だろう。 ファミリー層を中心に盲導犬とはどういうものかを知って貰う意味で、この言い方は野暮かもしれない。 視覚障碍者の目となり、道標として自由を制限された生き方を決められ、老いて役割を終えていく。 長きに渡って連れ添ったパートナーの飼い主からしたら代わりが利かない存在だが最期までいられない。 かつて無償の愛情を受けたパピーウォーカーの元に戻り、看取られながら生涯を終える、 その一生に切なさと儚さを感じてしまう。 雇われ仕事かもしれないが、同年の『血と骨』を撮った監督とは思えない。 [地上波(邦画)] 5点(2024-08-17 23:24:08)(良:1票) |
9. CURE キュア
《ネタバレ》 CUREとは"解放"。 『羊たちの沈黙』『セブン』の影響は受けているだろうが、遜色のないクオリティ。 二作品と比べるとひたすら静かに長回しで進んでいくのに、どうなっていくのかという吸引力がある。 質問を質問で返す、コミュニケーションが成り立たない間宮との会話から次第に彼に取り込まれていく恐ろしさ。 日常の延長線上に突発的な殺人が起こるワンショットの破壊力。 そして精神を病んだ妻との関係で追い詰められている高部の本心もまた、 間宮に付け込まれていくきっかけを生んでしまった。 ただ、今までの加害者と違い、高部には"伝道師"としての素質があった。 間宮は後継者を探していたのだろう。 オンとオフ、どちらが本当の自分なのか? それどころか自分は誰なのか? 自分が守ってきたものは何だったのか? その自我が崩れたとき、高部は全てを放り投げ出したように"空っぽ"になった。 二度描かれるファミレスのシーン。 一度は残した料理を、二度目はきれいに平らげ清々しい表情になっている。 タバコの火を合図にウェイトレスが惨劇を引き起こすことを予見して映画は終わる。 一見、良い顔をした優しい善人だとしても心の中に常にわだかまりを抱えている。 その親切が誰にも伝わらない、見返りが感じられないものだと分かったら… 人はどこまでも孤独で、利己的で、誰かと関わる社会が存在する以上、そこから逃れられない。 エンドロールのピアノがその世界への諦観のように思えた。 [インターネット(邦画)] 8点(2024-08-17 02:17:54) |
10. 回路
《ネタバレ》 インターネット黎明期だからこそできた映画だろう。 膜に覆われたような不透明感が、ノストラダムスの予言が外れて先の見えない閉塞感が、 大海より広大なインターネット空間とリンクしている。 どこかで誰かと繋がりたい孤独な人たちが次々と開かずの間に吸い寄せられ犠牲になっていく。 だが、霊界は既に死者であふれており、現世で黒い染み=地縛霊として永遠に留まらなければならない絶望が待っている。 そして終盤のポストアポカリプスは、もはやホラーとしてはスケールが大きすぎるが、 ありきたりなホラーからどこまで解体できるか挑戦しているように感じた。 工場からの飛び降り、音で脅かすことに頼らない湿気をまとった不気味な演出は非凡なことは認めるが、 主演男優の棒読みが恐怖を半減させていて、せっかくの題材が勿体ないと感じた。 「行けるところまで行く」。 人として生きていく限り、誰かと繋がりたい。 孤独とコミュニケーションを屈折した角度で撮った視点は『CURE キュア』と一続きなのかもしれない。 [インターネット(邦画)] 5点(2024-08-17 01:40:13) |
11. 劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:Re:
《ネタバレ》 テレビアニメ8話分を92分という荒業でまとめた前編とは一転して、 残りの4話分を描いた後編はそこまで駆け足でもなく、日常パートをじっくり描いてから、 クライマックスの学園会の演奏を際立たせる構成を取っている。 結束バンドのメンバーそれぞれの欠点を補いつつ学園祭の演奏を成功させ、 キラキラしたギターヒーローになった大団円で終わるわけでもなく、 いつものライブハウスで演奏してバイトする、ただの日常に戻っていく。 どこか客観的で、どこか醒めている、前編とは違う空気を感じる。 テレビ版のラストを見たとき、ひとりは一つの殻を破ったと解釈できるが、 新規カットであるその先の幼少期のシーンにどこか不安を覚える。 "ぼっち"とさえ呼ばれていなかったあの頃みたいに戻ってしまうのではないかという不安。 成功譚をコミカルに描いた妄想が強ければ強いほどに。 映画としてはなかなか楽しめる作品であるけれど、78分でそこまで思い切った編集があるわけでもなく、 一本の映画として2時間半で一気に描いて欲しかった気持ちはある。 ただ、日常4コマギャグマンガから独立した"青春の翳り"を何倍も増幅させたのはアニメ版ならでは。 [映画館(邦画)] 7点(2024-08-10 00:33:01) |
12. ルックバック
《ネタバレ》 私は絵を描いている。 プロでもないし、ただの趣味。 それもオリジナルはほとんど描かず、好きな二次創作をpixivにアップしたり、時々コミケに本を出したり。 とは言え結果は散々で、時折ブクマ100超えれば良い方(稀に4桁ゲットもあったが)。 そういう自慢を聞きたくないのは分かるし、自分が筆を追っても困らないくらい凄い絵描きが大勢いる。 かつて鼻っ柱をへし折られた藤野も同じ心境だっただろう。 絵を描くことは楽しいことばかりではない。 地味で辛いことを続けていく面倒臭さ、上手く描けない苦しさ、 世に出しても報われない悔しさや周囲から置いて行かれていく惨めさ、嫉妬しどう足掻いても埋められない差… それでも敵視していた京本が憧れで自分の背中を追い続けていたこそ、お互いに頑張れて辿り着いた境地があった。 ライバルに褒められた雨の中の嬉しいステップ、共作の漫画が入選し二人一緒に街に出掛けたこと、 感情のこみ上げる表現がラフに近い描き方によりクリアになる。 そのかけがえのない日々が一転、理不尽な暴力によって輝かしい未来を奪われる。 主人公が藤野と京本であることが分かるように、原作者の藤本タツキの実体験が微小ながら多分に投影されており、 あの事件に対する一つのアンサーだろう。 誰もが鳥山明や尾田栄一郎や藤本タツキみたいにキラキラ輝けるとは限らない。 ましてやプロの漫画家やイラストレーターになれる人などほんの一握りの狭き門で、 心が折れて涙を呑んで消えていった無名の人たちは星の数ほどいるだろう。 ただ、自分の可能性と表現したいものを信じて多くの時間を費やし、"フィクション"にひたむきに向き合ったことは、 決して無駄ではないというつもりは毛頭ないが、自分自身しか知らない苦闘は本人が否定しても事実として残る。 成功失敗問わずそれでも描き続ける人、いろんな事情で筆を折った人、再び描き始めて挑もうとする人。 かつての苦しさや辛さや悔しさを振り返り、苦虫を噛み潰しながら、これからの人生を紡いでいく決意。 フィクションで救われた人たちがいたように、それを受容して初めて"大人"になっていくことだと思う。 今やAI生成イラストの登場により、本作みたいな産みの苦しみや面倒臭さや挫折感を味わうことなく、 描けない人ですら一瞬で傑作を生み出し、簡単にバズれるようになり、大量生産が可能になった。 それを駆使する人たちが主流になったとき、 二人が描いた景色に"簡単に"辿り着いたその人たちにはどう見えるのだろうか。 [映画館(邦画)] 9点(2024-07-05 23:41:14)(良:1票) |
13. 蛇の道(2024)
《ネタバレ》 1998年のオリジナル版と筋書きはほぼ同じ。 オリジナル版を難解にさせていた数学教師の設定から精神科医に変更されたことで、 分かり易く洗練された演出で生まれ変わったリメイクのお手本。 主人公を男性から女性に変更した理由。 凄惨な過去で心が壊れた女とその過去から逃げ続けようとする男たちの対比を、 循環性の象徴である"ウロボロスの輪"に例えたのだろう。 何度も読み上げられる娘の死、繰り返される復讐行為が廻りに廻って日常になっていく。 だが、男たちは馴れ馴れしく、常に都合の悪い話をはぐらかそうとする。 女は延々に廻り続ける生き地獄から絶対に逃がさない。 結末における芯の冷え切った台詞の数々がそれを象徴している。 オリジナル版と比べてダミアン・ボナールの影が薄く、 むしろ柴咲演じる主人公の掘り下げが増えたことを考えると合点がいく。 蛇のように低体温でじわじわ嬲っていく主人公の果てしない闇と虚無が視線から発せられるラスト。 全てが終わっても心穏やかに過ごせるわけでもなく、西島演じる患者のような末路を迎えてしまうのか。 復讐という名のウロボロスの輪に囚われ続けなければ生きていく理由を失ってしまうのかもしれない。 見ていて答え合わせしている感じは否めないが、 黒沢清の作風がフランス映画と親和性があり、ヨーロッパで評価されている理由に納得した。 [映画館(字幕)] 7点(2024-06-14 22:44:02) |
14. 劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:
TVシリーズは視聴済みでこちらが日常系ギャグアニメなら、 劇場総集編はひとりの成長譚とバンド結成の青春物語としての側面を強く押し出している。 ただのTVシリーズの総集編として描くことはせず、 オリジナルの8話分の内容を92分でコンパクトに収めてしまったのだから、 テンポ重視で潔くバッサリ編集してキチンと「映画」として仕上げていた。 自分が気付かないだけで地味に新規カットは多数含まれているだろう。 映画ではあえて描かないことによって登場人物の背景に深みを持たせており、 劇場版が初見の人には逆にTVアニメを見たくなる仕組み。 ひとりに焦点を当てている分、青山吉能の超絶技巧による奇人変人ワンマンショーが一層際立つ。 唯一の取り柄を持った欠点だらけの日陰者にスポットライトを当て、 Z世代ならではのドライな空気をほのかに感じさせる、新たな切り口の音楽映画だ。 [映画館(邦画)] 7点(2024-06-07 21:33:27) |
15. 蛇の道(1998)
《ネタバレ》 セルフリメイク公開記念でYouTubeで期間限定配信されていた。 劇場公開されたもののすぐにVHS化して、Vシネマ(=低予算の極道もの主体)のイメージが強いようだが、 黒沢清の無機質で不条理あふれる世界によって異色の作品になっている。 何せ主要登場人物の背景が台詞でぼんやり明らかになるくらいで、 幾何学的な数式を教える新島の元には何故か幼い少女から高齢者まで集まっている不可解さ。 何度も繰り返され反復される、殺された娘の死因を述べる死亡報告書はただのルーティンに変わり、 静かに不安を煽る演出は杞憂に、行方知れずの男の居場所を淀みなく突き止める破綻した展開も、 まるでストーリーを何度も繰り返して知っているかのように。 娘を殺された宮下は被害者遺族であるのだが言動にどこか違和感があり、 裏社会と繋がりがあること、そして新島の教え子である少女への眼差しに、宮下もそういう"嗜好"だったのだろう。 新島にとってスナッフビデオに関わっていた宮下も、自身の娘の敵討ちの一人。 実の娘のスナッフビデオを見せられる地獄は彼にとって奥底に否定しがたい性的対象だったはずだ。 そこから場面が一転して、新島と宮下の出会いが再度描かれて映画は終わる(微妙に台詞が違う)。 もしかしたらそれぞれの理想のシナリオを求めて、ループしているのではないかと言わんばかりに。 '90年代後半はセカイ系やメタ要素が幾分流行っており、捻りに捻ってモヤっとした感がある。 26年経った現在の価値観で如何にリメイクとして調理していくか、黒沢清の手腕を見届けたい。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-06-05 22:41:25) |
16. ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉
《ネタバレ》 「なぜ走るのか?」 その宿命を背負った少女たちが勝つための本能を剥き出しにした精巧な表情を浮かべ、 挫折、苦悩、絶望に足を引きずられながらも己の限界を超えて、目の前のゴールへ突き進む108分。 パースを駆使した粗削りな作画とダイナミックなカメラワークは臨場感にあふれ、王道の展開に高揚する。 そこには情熱と泥臭さと狂気があった。 あえて言えば、最後のレースシーンはもっと引っ張っても良かった気がする。 原作ゲームアプリをプレイしなくても、元ネタの競走馬を知らなくても十分楽しめる。 ただ、最低でもアニメシリーズも含めて押さえておくと本作品への思い入れは一層違ってくるだろう。 [映画館(邦画)] 8点(2024-05-24 22:23:28) |
17. 鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎
《ネタバレ》 救いはない。 いや、この村には"死こそ救い"というべきだろうか。 弱者を搾取して支配し続ける社会はいつの時代も変わりはない。 それでも歪んだシステムに蹴りを入れて、新たな世代に希望を見せないといけない。 "ブロマンス"という男同士の特別な繋がり(≠同性愛)という概念があり、 2022年が『RRR』なら、2023年は『ゲゲゲの謎』がその象徴とも言えよう。 太平洋戦争の徴兵で上層部からの理不尽を目の当たりにした水木は、 誰も信用せず、強者に這い上がろうとする野心に満ち溢れた男。 だが、ミステリアスなゲゲ郎(=鬼太郎の父)の言動、哭倉村での数々の怪奇現象、 龍賀家の常軌を逸した因習によって自身の価値観を変容していく。 そこから熱いバディものに変化していくが、二人がそれほど暴れなくて物足りなさが残る。 胸糞悪い、ビターな展開がダメではなくて、そこからのカタルシスが弱い。 水木は哭倉村での記憶を消され、ゲゲ郎は呪いの依り代になって醜くなれ果て、 被害者でもあり加害者でもある沙代は無残に死に、何の落ち度もない時弥は時貞に肉体を奪われる。 幽霊族も外から拉致された一般庶民も製薬の材料として利用され、誰一人として救われない。 だが、弱者を顧みず、欲望の赴くままに食い物にしてきた外道にはいつかツケを支払わないといけない。 そうやって世の中は少しずつ変化してきた。 舞台から70年後の現代、ちょっとはマシな世の中になっただろうか? 完全オリジナルストーリーでありながら原点である『墓場鬼太郎』に繋がる構成といい、 スタッフの鬼太郎へのリスペクトが大いに感じられた。 原作そのままだと水木は散々な扱いを受けるようだがそこは一切描かず、 その後を視聴者に委ねるあたり優しさはある。 歪んだシステムに抵抗した登場人物たちが少しは報われて欲しいと願ってやまない。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-04-30 23:49:20) |
18. 君たちはどう生きるか(2023)
《ネタバレ》 アカデミー賞授賞式が迫っていたので、今まで情報をほぼシャットアウトした状態でようやく鑑賞した形だ。 「いったい何を見せられているのか?」というバッドトリップ状態。 今までの宮崎駿は水で薄めただけで、宮崎駿の原液そのまま飲み干して体感せよと言わんばかりに。 ジブリブランドだからこそ宣伝なしで行けたと言っても良い。 人工の黄泉の国を左右するジェンガみたいに積み上げられた積み木。 一瞬で崩れたら全てが終わってしまう危うい、そのバランスによって世界は成り立っている。 その世界が無くなってしまったら、自分が持っている積み木でゼロから未来を積み上げないといけない。 タイトル通り、「自分で答えを見つけろ」という宮崎駿らしい内容であるが、かつての勢いはない。 太平洋戦争を舞台にする必要もないものの、多くの命が失われ、 倫理観も価値観も危うい時代が再び訪れることを予期してのことか。 これでアカデミー賞を取れたら凄いと思うが、"宮崎駿の遺作"になるかもしれないという忖度が働いているわけで。 私がアカデミー会員だったら間違いなく『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』に投票する。 [映画館(邦画)] 5点(2024-03-08 23:23:03)(良:1票) |
19. ボーン・レガシー
《ネタバレ》 ジェイソン・ボーン3部作は既に視聴済み(ただし中身は覚えていない)。 それを踏まえてのスピンオフなのに、その3部作の設定が全く活かされておらず、序盤はガチャガチャに煩雑にしただけ。 中盤から大きく話が動き出しても、重要機密を知る主人公が追手をかわしながらワクチンを手に入れて逃げるだけという。 ワクチンの在りかを知っているヒロインはおまけ程度で、 宿敵との対決もないまま終わりでは消化不良にも程がある(ヒット次第で続編も考えていたのだろう)。 アクションとしてはそれなりに楽しめるが、せめて単品として完結可能な作りにして欲しかった。 トニー・ギルロイが自分の脚本を即興で改変しまくるポール・グリーングラスとひと悶着あり、 監督も兼ねて本作が製作されたようで、むしろグリーングラスの手腕の確かさを証明してしまった。 [地上波(字幕)] 4点(2024-03-01 23:37:38) |
20. 生きる
《ネタバレ》 失うものがない人間は強い。 …なんだけど、余命を突き付けられながら自分が何をしたいのか良く分からない主人公が なぜ公園建設にエネルギーを注力するのか不明瞭すぎる。 事務職員の娘を何度も誘うシーンには気持ち悪さが勝った(活力の源を知りたい理由はあれど)。 公園完成までの経緯と衝突をじっくり描くと思いきや、話がいきなり飛んで主人公が亡くなり、 葬儀で関係者が回想していく意表性すら上手く機能していない。 ぼそぼそで上手く言葉を伝えられない人がここまで漕ぎ着けるとは思えず、 周りも建前上とは言え、主人公への賞賛ばかりでただの説明で終わってしまったのは惜しい。 '50年代当時の生活文化、今でも変わらないたらい回しなお役所体質など目を見張るものはある。 自分の生きた証、何をしたのかという普遍的なテーマがあっても、 今やネットで簡単に可視化されるだけに何も感じられなくなってしまったかもしれない。 [地上波(邦画)] 4点(2024-01-27 12:26:43) |