1. ドラゴンへの道/最後のブルース・リー
――多角的な確認で、より正確な立体的に。 これは俺の生きる上での哲学。 いや、数学的な意味だけじゃなく、どんな物事に対しても。 森羅万象の中では、非常に重要と俺は思ってる。 まず、心の持ち方だ。 大体の人にとって「物事の把握」ってのは、自分の捕ら方から決まる。 心持ち、いわゆる愛情に似た執着から確定される。 例えるなら、アレだ。 家族が造った映像は「斜め見」したりせずに、しっかりと把握しようと吟味する。 それは、愛情ある人間に対しては誰でも同じだろう。 でも、それが出来るってのは… 変則的なモノの観方の才能がある事、他ならない。 で、その変則的なモノの観方で、だ。 今回は「ブルース・リーが友達だ」、という概念で観てみた。 ――ドラゴンへの道/最後のブルース・リー(1972年) いやぁ―――――ぁ…やっぱ愛しいねー…タン・ロン。 笑顔や挙動、頑張り、照れなども含めて全てが愛しくなる。 大体の人は、本作を観た時、ブルース・リーに「カッコイイ」や「強い」を意識するだろうし、俺もそうだった。 ただ、別の側面から彼を観る事により、より深くブルース・リーを知れる気がしたんだ。 ――多角的な確認のように。 でも、「多角的な確認」ってリーや映画の話だけじゃない。 人間に対してもそうだ。 例として…正面から観たらただの円形。 これは「球体」なのか「円錐」もしくは「円柱」なのか…決められない。 けど、横から観る事で、より正しい形が解ってくる。 物体への距離もそうだ。 それに近寄らないままの把握は更に正確さから遠ざかる。 物でも、そうなんだ…日々変化する人間なら更にそうだろう。 距離を詰めるどころか、逃げながら…時には、噂話から把握してないか? 自分から足を使って話をしたか?すら疑問だ。 いや、良いんだよ? 嫌いなら嫌いで、好きなら好きで。 だが、嫌うのは自分の判断だが、嫌うにも嫌う資格が居る。 殺人者が泥棒を批判できないように。 長年、相手をバカだと思ってたり、尤もらしく怨んでたり… そんな相手は、アナタの一方的な挙動ではないか? 勿論、自分にも言えると念を押して。 お袋に言われた言葉を想い出す。 ――「嫌いな人間より好きな人間が多い方がいい」 ――「喧嘩しても、謝ってきたら許してあげなアカン」 いや、身内褒めって寒いけど…うん。 やっぱ、俺の母ちゃんは、この歳になっても尊敬。 「怒り」は力に成る。 「恨み」は自分を闇に堕とす。 実践は難しいが頑張らなきゃな。 きっと、タン・ロンなら出来るのだろう。 あれ程の怨敵に対しても、追い込み過ぎない。 そして、ゴードン先生を倒した時の…ただ悲しそうな顔。 自身の心境より…相手をよく見て、考える姿勢だね。 尊敬できる人間は現実じゃなくても良い。 漫画や映画… 自身の心の中の人物でも。 俺はそう思うんだ。 thank you!タンロン。 . [ブルーレイ(字幕)] 8点(2023-01-12 16:34:41) |