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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1246
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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【製作国 : イスラエル 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  迷子の警察音楽隊 《ネタバレ》 
エジプトの人々がイスラエルに来て地元民の世話になる映画である。製作時点より少し昔の話ということで、少なくとも1988年より後の90年代という想定かも知れない。エジプトは1979年にアラブ諸国で初めてイスラエルを承認し、大使館もあったわけだが感情的な反発は残っていたようで、IMDbの公開情報によればこの映画もエジプトでは公開されていないようだった。あくまでイスラエル側からの思いを表現した映画だったことになる。 出演者によれば台詞はないが政治性のある場面が若干あるとのことで、自分の見た限りでは序盤で壁に写真がかかっていた場面のことかと思われる。ここでの写真の人物は、1993年の「オスロ合意」でノーベル平和賞を受賞したが1995年に暗殺されたラビン首相ではないか(自信なし)。この映画ではエジプトを扱っているが、脚本兼監督の考えとしてはパレスチナ人との共存も志向していたのだろうと想像する。出演者はイスラエルの役者だが団長役はなぜかバグダッドの出身、他のアラビア語(多分)を話す役はパレスチナ人だったらしい。  人間ドラマでは、若者の恋愛指南とか作曲上のインスピレーションを得るなど一晩でかなり深めの人的交流ができていたようである。また食堂の店主は、昔の映画体験を通じてそもそもエジプトに憧れのようなものがあったらしく、初対面時にエジプトをEgyptでなくわざわざマスルと言ったり、宿泊の受け入れを決めたりしたのもそのことが動機と思われる。映画人たる監督としては、音楽だけでなく映画も境界を越えて人の心を伝えることを表現したかったかも知れない。 店主の思いとしては、団長との間でオマー・シャリフとその妻のような宗教を乗り越えた愛を願ったのかも知れないが、団長が乗って来ないのでその場にいた若い男で一晩間に合わせたということか。また団長の立場からは、年長者として若い者に任せるべきところは任せた形になっていたかも知れない。さすがに年齢もかなり上で(演者で17歳差)人生の段階も違うという思いはあったようで、個人的にもこの団長には共感させられるものがあった。 その他雑事として、地名の中に出ていたHATIKVAという言葉はイスラエル国歌の題名にもなっているので、日本でも知っている人がなくはない単語と思われる。また全くどうでもいいことだがせっかくイスラエル映画を見たので、終わってからYouTubeでMayim Mayimを聞いていたらやめられなくなった。
[DVD(字幕)] 7点(2023-10-28 10:26:35)
2.  ザ・ゴーレム 《ネタバレ》 
17世紀のリトアニアの話ということになっている。 リトアニアでユダヤ人といえば第二次大戦時の杉原千畝氏が有名だろうが、それ以前からリトアニアにはユダヤ人が多く住んでいたということらしい。ただし昔と今では境界線が違っており、この映画に出ているのが現在のリトアニア共和国とは限らない。隣村の連中がスラブ系の名前だったので、今でいえばベラルーシ共和国かも知れないが、ちなみに撮影場所はウクライナの首都キエフ付近だそうである(大して違わない)。台詞が英語なのは面白くないが、イディッシュ語を使えともいえないのでいいことにする。 なお年代が1673年と特定されている意味はわからないが、今でいうウクライナで起きた「フメリニツキーの乱」(1648~1657)や、これに続く戦乱(~1667)を通じてユダヤ人の虐殺が多発し、周辺のユダヤ人社会に甚大な被害が及んだ直後の時期ということではあるらしい。また冒頭に出たプラハの事件(伝説だろうが1600年頃の想定?)からの時間差による設定という意味もあったかも知れない。  考証的にどうかはわからないが、この映画では森林と農牧地が広がる場所にシナゴーグのある村があり、キリスト教徒の住む隣村からは離れているが何かのきっかけで迫害され、場合によっては滅ぼされる、といった雰囲気は感じられた(これがポグロムのイメージか)。隣村に呪いをかけたと疑われていながら、実は「治療師」などは結構当てにされていたようでもある。 何か社会的なテーマのようなものがあったとすれば、例えば“神の領域を侵せば全てが滅びる”といったことなら少し汎用性のあるメッセージにはなる(nuclearでもbiologicalでも)。また、この世の出来事は全て神の意志であって、自分の不幸を神への不信や他者への憎悪に変えてはならないというようでもあったが、これは実際のユダヤの教えもそうだということか。 ゴーレムに関しては、この映画で子どもの姿にしたのは結果的に悪くなかった。「冷酷な怪物」であっても、実はこの世に自分と母親の存在しかない子どもそのままのようでもある。母親のことだけをひたすら思い、最後は全てを母親に委ねたかのような姿は哀れだったが、母親の方もこれで亡き子への思いを断ち切ったということらしく、意外に切ない終幕になっていた。 なおゴーレム役の子役は子どもらしく華奢に見えるが、顎の細い顔がクールな印象を出している。男児を愛する性向のある人々には好かれそうだ。
[インターネット(字幕)] 7点(2020-07-11 08:26:39)
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