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Qfwfqさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 170
性別 男性
年齢 43歳
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21.  キングス&クイーン
ムーンリバーの調べに乗って、ゆったりした色調のパリの街並みが流れる。何だかいい感じである。というかちょっと泣ける。カメラは一台のタクシーに近づき、タクシーはそのままゆっくりと停車する。ドアが開き、お約束といわんばかりに車内からスッと出てくる女性の足を、そして顔を捉える・・・ここで「あき竹城」というキーワードが不意に出てしまうと、その後の約150分は大変だろう。というのもこの映画は、あき竹・・・もといエマニュエル・ドゥヴォスという女優の存在に賭けたところが非常に大きく、この、一度見たら忘れられない女優にどう接するかは結構重要なポイントであるような気がするからで、というのも自分はヒッチコックの「めまい」は非常に好きなのだが、どうもキム・ノヴァクが苦手で、なんだかとても損をしている感じがするのである。まあそれはそれとして、この映画はかなり良く出来ており、その面白さは保証できる。一発の忘れがたいショットとか、緊張感の持続を強いるような強度があるわけではないが、登場人物の一人一人のバックグラウンドを緻密に構成し、それらを適切な場所へ配置させることで、とんでもなく複雑な関係を生じさせる。まさに人間ドラマの坩堝。しかし、それだけでは説明できない歪みがさらにあるようにも思う。それは、この映画が方法として非常に意識された映画であり、その根底としてアメリカ映画という偉大な方法が乗っかってるからかもしれない。そしてそれを、自然発生というより自然発生の人工による再現で、普通の映画として偽装しているというか、要するに凄く複雑なロジックがこの監督の頭の中には蠢いている様に感じられ、もっとシンプルにしちゃえばいいのに、と思うのだが。
[映画館(字幕)] 8点(2006-10-12 22:03:10)(良:2票)
22.  ラルジャン
魂消ちゃいました。
[映画館(字幕)] 10点(2006-08-04 19:18:01)(笑:1票)
23.  たそがれの女心
初めっから終わりまで震えっぱなし。自分の映画監督ランキングに、オフュルスが物凄い勢いで、しかし足音を立てずエレガントに迫ってきたのを感じた。パーティーでダンスするシーンが印象的で素晴らしいのだが、この映画は言ってみれば初めっから終わりまで全てがダンス。カメラも踊る。それらを操るのが女性映画の巨匠マックス・オフュルス。女性映画の巨匠っていうのはどいつもこいつも凄い。そもそも女優をいかに撮るかという事が映画の出来を左右するのだから、女性映画の巨匠が一番最強だろう。だからもちろん成瀬巳喜男も最強だが、オフュルスも同時に最強であり、つまり「たそがれの女心」はそういう映画であると言える。中身も何も無いレビューですが、観れば分かる。最強の映画とは、いつも言葉に先立つので何も書く事が無い。ただ見る事、体験する事、これだけです。
[映画館(字幕)] 10点(2006-07-11 18:26:19)(良:1票)
24.  ヴァンダの部屋
舞台となるフォンタイーニャス地区というスラム街には①昔確かにあったはずの場所と、②今ここにある場所と、③次第に崩壊されつつある場所が明確にある。①は住む人々の記憶(あるいは音?)として、②はドラッグと貧困の果てしない反復として、③は着々と進行する街の破壊として。監督のペドロ・コスタはヴァンダの部屋を中心にカメラを据え、2年間に及んだ記録を3時間に濃縮した。ヴァンダたちにとっての故郷という「場所」が次第に失われていくのと同時に、彼らは鋭くもなぜか柔らかな光の差す暗闇(これが凄い)の中で変な咳をしたり、無数の100円ライターからまだ火の出る物を探す。これらを映し出すスクリーンには①、②、③が同居するという信じられない事態が起こっている。つまりヴァンダの部屋はドキュメンタリー(②)でありながら歴史映画(①)であり、さらにアクション映画?(③)とも言えるだろうか。なんにせよこんな映画を見たことはない。一番驚いたのは、ヴァンダが相変わらずヤクをやりながら咳しているんだけど、その咳がいつもより激しいなーと思ったら、突然ゲロゲロ吐き出したシーン。真の驚きはその次で、ヴァンダはなんとそのゲロを掛け布団で包みながら再びヤクをやるのである、しかも鼻歌歌いながら。こんな映画を見たことはない。
[映画館(字幕)] 10点(2006-06-22 17:03:47)(良:1票)
25.  少女ムシェット 《ネタバレ》 
「ドリーマーズ」で一番ビックリしたシーンは、「少女ムシェット」を引用した部分だった。その映画が「少女ムシェット」という映画だったと知らなかったので、調べてレンタル屋へ行ったら置いてなくて、どうやらセルDVDとしてしか存在しないみたいだったので財政は苦しかったが買った。それ以降ブレッソンという監督の名前が頭の中にこびりついて離れない様になってしまった。ゴロゴロゴロゴロ・・・失敗、もう一回。ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ・・・バシャーッ!つらい。なんでつらいかというと、彼女の自殺は回転運動の結果でしかなく、回転による衣服の擦り切れや、彼女が落下する事で生じる川の波紋のような物理的なものと変わらなく感じるからである。全編がこのノリで、ムシェットの薄幸ぶりが無機質的に描かれる。それゆえにムシェットがバンピング・カーで遊ぶシーンは忘れがたい。軽快なBGMの中、ガコン!ガコン!とぶつかる車。これだけの事なのに何故こんなに楽しいのか。自分の映画鑑賞スタイルにブレッソン以前と以後というボーダーが出来たのは間違いない。
[DVD(字幕)] 10点(2006-06-21 16:34:40)(良:2票)
26.  マルホランド・ドライブ
この映画に出てくるファミレスとそっくりな場所が東京の登戸周辺にあるらしい。まあ、そんなことはどうでもいい。私はこの映画が大好きである。ただ、大好きといいながら最初は意味がよく分からなかった。前半と後半でナオミ・ワッツが同一人物だとは思わなかった。それでも意味不明では済まない高密度な展開を目の前にして思わず戦慄した。何度か鑑賞の後、ストーリーを理解した時はリンチの虚実感覚に確かに驚いたが、それよりもこの悲しすぎるラブストーリーの濃度がこの映画のキモなのだと確信した。リンチはどう考えてもヒューマニストだ。その意味不明な映像の連続とフリークス達に、まず目がいってしまうが、彼の映画の本質は社会からはみ出てしまった人間たちを「ありのまま」描くことにある。トラウマ体験間違いなしの「イレイザーヘッド」ですらそれが見て取れる。おそらく彼にとって、むき出しの人間をそのまま描くのは顔が赤くなるぐらい恥ずかしい事でもあるんだろう。リンチは社会から見えない異形を映し出す「ラーのかがみ」になる。そして登場人物達に「遠回しの愛情」を注ぐ。それがまた魅力的なのだ。前半の、ありえないぐらいキラキラしていてポジティブ、それでいてエロさを併せ持つベティはまさにハリウッド的異形。発端だけ提供される幾つかのストーリーは次第に消えて一本の筋が見えてくる。それは一本の張り裂けそうな欲求だった。そしてデビッド・リンチの冷徹な視線はそんなベティの妄想を打ち砕く。夢は破れてしまった。映画は一気に破局を迎える。ベティ(ダイアン)とリタ(カミーラ)の蜜月がオーバーラップされ、最後の「シレンシオール」。うーん、切ない!ダイアンの衝動は「ノー、アイ、バンダ!!」のシーンに集約されるのだと思うと泣けてくる。
[映画館(字幕)] 9点(2006-06-14 12:41:44)
27.  ある子供
あんまり乗れなかった。この映画のような出来事がこの国では起こっているのだ、という主張はわかる。でも単にそれを出来事としてだけ驚愕するのなら、NHK様が作るドキュメンタリーで事足りる。それにタルデンヌ兄弟が昇華してきた擬似ドキュメンタリーの方法、つまりフィクションとドキュメントを混在させようとする考え方がそもそも疑問。そんなにこだわる割には、ラストでしっかりドラマしてるし。この映画の主題の1つとなる「子供を捨てる子供」は、本当ならもっとグロテスクなものだと思うし、さらにそういう異常な事態を日常として描く時、それは突き抜けた恐ろしさを持つ映画になり得るような気がするが、結局そういう要素はヒューマンドラマに殺され、救いに落ち着く。その結果優等生の映画の典型になってしまったように思う。
[映画館(字幕)] 5点(2006-06-05 22:12:55)
28.  ドミノ(2005)
途中で一瞬「ミリオンダラー・ホテル」のホテルが出たような気がするけど、気のせいか?ドミノは「一瞬」と「気のせい」のマシンガンである。「マイネームイズ、ドミノ・ハーヴェイ。アイアム ア バウンティハンター。」っていうセリフから映画が終わるまでトニー氏は、流行というにはちょっと旬の過ぎた感のある映像効果を超速で、顔どアップの切り返し連続で、しかもカメラをぐりぐり動かしながら、2時間チョイの時間飽きることなく(途中飽きるんじゃないかと思ったが、やりのけた)描く。早送り巻き戻しスローストップ3倍標準。再生モードの無いビデオデッキみたいなものだ。テレビ番組の速すぎるスタッフロールで「そーたに」しか確認できないかのようだ。でも、キーラ・ナイトレーが指輪を人差し指と薬指でいじる姿、ルーシー・リューが神経質そうに削った鉛筆をグラスにガンガン叩く姿、最後に登場する本人さんの不思議な表情、なーんか心に残る。激しい視覚効果の中でも被写体を的確に捉えているということなのか(【まぶぜたろう】さんがすでにおっしゃってますね。)実際、それぐらいにキャラクターが豊かだったように思う。銃撃戦も最高だった。エレベーターのドアが閉まる時の演出とか、ミッキー・ロークに「今日は死ぬには最高の日だ!」とか言わせるのもクサいとは思いつつ、大学のサークルで女子大生をぶん殴った後のキーラ・ナイトレーよろしく、拳を振り上げたくなるのである。
[映画館(字幕)] 8点(2006-06-02 21:10:25)(笑:1票) (良:2票)
29.  グレースと公爵
フランス革命の時代が舞台になっている。今までのロメール作品を考えると驚きかもしれない。といってもこの映画で初めてエリック・ロメールの映画に触れたので、そんな事情はわからず、鑑賞中なんだか奇妙な感覚だったのを覚えている。というのも、この映画は当時のフランスの様子を全部CGで再現しているのだが、ただのCGではなくてまるで油絵のような質感で表されている。室内の場面ではうまく照明が使われていて素晴らしい出来だが、室外だと人物が背景からかなり浮いてしまっていた。この映画ではCGが全然「売り」になっていないのである。「CGでここまでやった」がなく、あくまでも「映画」を見ただけだった。そしてそのことに少なからず驚いた。ちなみにここで括弧をつけた「映画」と、例えば「私は今日○○というCG技術を駆使した映画をみた」という時に使う映画はまったく等しくない気がする。ロメールが位置づける映画という概念の中ではCGだって添え物にすぎないのだろう。大体CGはCG以上のことをやってはくれない。そういう意味でCGが映画のレベルを下げたという主旨の批判はおかしい。サイレントからトーキーへ、モノクロからカラーへ、という変化があってもいい映画は必ず出てきたし。この映画にはそういう点への警告的な意図も含まれているのかもしれない。が、やっぱりまず映画である。元恋人同士であるグレースと公爵の微妙な関係性が革命というダイナミックな変化の中で、もうとにかく揺れる揺れる。グレース役の女優、ナカナカよい。それにしても、「クレールの膝」とかもそうだけど、ロメールの映画の登場人物は「マジで!?」と思うぐらいの行動を突然やっちゃう危うさがあって、そういう意味じゃ彼の映画はキューブリックの映画よりも難解なのかもしれない。そしてそれ故にハマる。
[映画館(字幕)] 9点(2006-06-02 21:09:38)(良:1票)
30.  右側に気をつけろ
話はよくわかんないけど、この映画を見るとなんか元気が出る。車や飛行機の黄色が良い。この映画を機にリタミツコのCDを聞いてみた。普通、サウンドトラックとして販売されているCDを聞くと、その場面が浮かんできたりするものだが、このCDに関しては「右側に気をつけろ」のあの音楽とは全く別物の気がした。リタミツコの曲はとても気に入ったけれど、「右側に気をつけろ」のリタミツコの音楽はなーんか違う。
[映画館(字幕)] 10点(2006-06-02 21:06:51)
31.  天井桟敷の人々
贅沢な贅沢な映画である。極めてわかりやすい形のメロドラマであるにもかかわらず詩人ジャック・プレヴェールのオシャレな脚本が人物に息吹を与えることに成功しているだけでなく、当時の様子を忠実に再現したであろう巨大なセットによる素晴らしい美術に圧倒されることは間違いない。長丁場を感じさせないテンポのよさ、舞台と実際のストーリーが交錯しながらラストの別れへと向かう。このラストシーンでは、それまでは少人数の人間が中心となって動いていたストーリーに、突然大衆が割り込んでくる。そういえば「もののけ姫」でも、サンとアシタカを引き離したのは結局のところ兵士の大軍であったように(これは監督の意図であったそうだ)運命という巨大なうねりが個人に降りかかるというのは結末への口実として一見都合が良い手段に思われそうなものだが、こういう開き直りは個人的に結構好きだったりする。フランス流時代劇として必見の一本といったところか。
[映画館(字幕)] 9点(2006-06-02 21:00:10)
32.  緑の光線
終盤出てくる「LA RAYON VERT(緑の光線)」の看板。思わず「おぉ」と声が漏れてしまいました。ラストは是非見ていただきたい。ロメール映画は食わず嫌いでしたが甘かったです。北欧から男目当てでフランスにきたブロンドの女や、主人公を慰める女友達とその家族など、ネタも存分にあふれてるし。この映画に限らず、彼の映画での登場人物たちの会話のやり取りは、リズムも間も天才的。そんな中でも「緑の光線」は特に好き。
[映画館(字幕)] 10点(2006-06-02 20:57:55)
33.  永遠<とわ>の語らい
「永遠の語らい」はその上映時間の約9割がヨーロッパ文明の賛美に費やしている。それが母と娘の対話でもあれば、知性ある熟女たち(なんだかいやらしいね)と船長マルコヴィッチとの多言語コミュニケーションの中でも繰り広げられる。最初の10分ぐらいの様子からして奇妙、ストーリー性はまったくゼロ、観客はひたすらに観光ガイドになりすました登場人物たちの説明に耳を傾ける。眠くなるのは当然だろうが、この映画に関しては眠るのがなんだか怖くて、つまり何かが起こることが前提になるような箇所が何気なくあらわれてくるのである。そして大抵は目を丸くするであろうラストは、そのラストが前提なのだとすれば9割を占めた会話は全部壮大な皮肉、ということになる。ってそんなことは見ればすぐわかるのだが、これだけ徹底的に説明風紀行がなされると、文明の衝突の構図が明確に見えてくる。そして、テロはもはや大昔から行われてきた戦争の文法では解くことが出来ない新たな破壊の形として浮き彫りになる。その意味で衝撃度は抜群にあるが、大きい音も静かに聞こえてしまうぐらいの静けさに独特の雰囲気をも感じた。なんにしても不思議な作品である。
[映画館(字幕)] 10点(2006-06-02 20:56:35)(良:2票)
34.  アワーミュージック
2回見たが、むしろわからないこと(色んな事をやっているのはわかったが、なんでそれをやっているのかという事)が増えただけという感じ。パンフレットで絶賛されていた音響について集中して鑑賞してみたが、改めてびっくり。地獄編でのピアノの音と映像の関係は、あれは何だろう。映像が音に追従してる様だし、その反対ともいえる。あるいは印象的だった川のせせらぎの音もよく聞いてみると色んな音が加わっているように感じた。音を気にしすぎた結果、他の部分は川の流れと共にどこかへ行ってしまったが、こんなに心地良かった映画体験もなかなか無い。上映時間の短さも良い。ところで「ヒズ・ガール・フライデー」の切り返しショットをゴダールが説明する部分があったが、この二つの写真で組み合わされる切り返しは映画の中で一度も無いという情報を知り、実際に見てみたが「ヒズ・ガール・フライデー」が面白すぎて確認できなかった。
[映画館(字幕)] 10点(2005-12-07 11:20:23)
35.  狩人
歴史に対する静かな反抗をこの映画に見た。旅芸人にしてもアレクサンダー大王にしても、歴史から零れ落ちた者たちによる一大絵巻がそこでは繰り広げられていた。「狩人」ではそんな忘れ去られた亡霊が、止まったままの時と共にパーティーにおける最大のショーを演出する。生者と死者をいとも簡単に交錯させるセンスに震えが止まらなかった。「切り返し?そんなのカメラを180度回せばいいじゃん!」と、言ったかどうかわからないがアンゲロプロスはこだわりの人だ。そんな彼の精神の最も尖っている部分がこの映画には良く出ている。見る側に置いてけぼりを食らわすかのように不可解な展開が襲う。眠くなるのは大抵この瞬間である。でも、目の前にはどこでも見ることの出来ない贅沢なロングショットが・・・ って、久しぶりにこの映画を再見したけどやっぱりスゲー。ヒッチコックの「ロープ」をやっていたのには改めて驚いた。この人はやっぱり「映画の人」だ。
[映画館(字幕)] 10点(2005-11-05 01:28:51)
36.  ヴェラ・ドレイク
イギリス映画で、20世紀の悪しき慣習がテーマで、ベネチア映画祭グランプリと三拍子揃えば、そりゃあこういう映画になるのは必然というもので、そういえばちょっと前に「マグダレンの祈り」という中途半端な映画があったが、方向性は違えど陰湿な空気はどちらも非常に類似している。この陰湿な暗さに完璧な正攻法で立ち向かった、無邪気なまでの創作意欲には敬意を表するが、この映画自体がまず古い慣習から抜け出ていないようにも感じた。古臭いという意味でなく、1世紀以上積み上げられてきた映画という集積物をなるべく崩さないようにと、つとめて優等生的に、もちろんその姿勢に対しての何らかの意図的姿勢を持つことなく、である。さらに苛立たしいのは社会とか戦後といった背景が、見え隠れどころか全く安易に映画の中でのさばっていること。一家をめぐる悲喜劇をもっと見せたかったに違いないが、その肝心なドラマは社会によって相殺されてしまった。主人公のおばあちゃんやその旦那たちはがんばったが、映画としての躍動感を感じ取ることができずそれにより演ずる側も演技を超えることができなかった。
[映画館(字幕)] 5点(2005-08-23 02:19:31)
37.  プラットホーム
「私たちはいつも何かを期待し、何かを探し求め、そしてどこかに落ち着き先を見つけるのです(ジャ・ジャンクー)」この映画をずっと共有できたら、と思った。しかし160分という短い時間の共有はスクリーンの向こうでは10年以上の時間だった。別に彼らは「映画のような」生き方をしたわけではない。中国の広大な国土と大自然は悠久の時の流れを思わせるが、人間の世の中はむしろ加速を続けていて、時代の大きな転換点のなかをタンポポの綿毛のように浮遊している彼らはそれでも確かにそこにいて・・・観た後に感じる茫漠とした圧倒的な感動でしばらく動けなかった。意識的に非生産的でいられる時期なんて若い時ぐらいしかなく、その間にも加速していく時間の中である者はそれにしがみつき、ある者は腰を落ち着ける。こういうことはどの時代でも起きていたのかもしれないが、この監督はその舞台を中国がどんどんと自由な国に向かおうとしている時代を選んだ。それが一番印象として現れてくるのは時が進むと共に変わっていく音楽だろう。題名の「プラットホーム」とは80年代を通して中国で大ヒットしたロック音楽で、こういった新しい音楽が古い音楽では伝えきれなくなった彼らの感情を、代弁者になり爆発させる。この映画は結構クサい場面が多い。かなり露骨に狙っている。でもそれがいい。さらに言えばこれが中国大陸をまたいだ青春映画でありそのスケールが素晴らしい。
[映画館(字幕)] 10点(2005-06-12 02:40:59)
38.  10話
キアロスタミはイランのオズといってもいいかもしれない。映画スタイルこそ全く違うものの、登場人物へのやさしいまなざしは非常によく似ている。誰もが平凡でつまらないと感じる視点を一瞬で非凡の領域に変えてしまうところも。舞台は車だけ。若いイランの女性が運転する車の中で、彼女を中心とした人間模様がタイトル通り10話に区切られて進行する。映画をつくる方法としては、おそらく中学生でも出来るぐらいにシンプルだ。だって車の中にカメラを据えているだけだから。しかし、「こういう風」に撮ることは誰にもできないことがすぐ分かる。なんというか、演技とかそういう次元を超えている。例えドキュメンタリーでもこういうのは絶対に撮れないだろう。この映画に働いている力は一体何なのだろう。というよりもこれが映画になってしまうのなら、この世に溢れる大枚をはたいた凡百の作品って一体何なの?映画には大量のカネがつきものだが、そのカネとは、映画そのものにつぎ込まれているわけではない。ていうか多分映画そのものには金はかけられない。映画を飾る雑多な要素をほとんどそぎ落として映画としての最小単位を求めた結果、本作は車の中だけでイランの生活そのものを表現するという離れ業を成し遂げられたのかもしれない。だからといって観る側はイランという国の特殊性にばかり目が向かうのではなく、むしろ誰もが抱える生活への不安とか人間関係の難しさを感じ取ることになる。喜劇でも悲劇でもない、ただひたすらに優しくて暖かいまなざしがそこにはある。
[映画館(字幕)] 10点(2005-04-11 10:28:18)
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