1. ノー・マンズ・ランド(2001)
《ネタバレ》 映画音楽が全く使用されていません。・・・・映画音楽とは何なのだろう、と考えさせられました。・・・・・地雷をセットされた兵士は、旧ユーゴを象徴させているのでしょう。「解決できない」「動いたら爆発する」というのは、旧ユーゴの民族対立でした。ラストで横たわった兵士は旧ユーゴの地図に重なります。・・・・地雷は本当に外せないわけではないでしょう。もしそんな状態なら、一連の動きの中で爆発しているはずです・・・・・最後のセリフが強烈でした。国連軍司令官「夜に塹壕に相手が進出する予定だと伝えろ」→当然、両軍とも夜になれば塹壕を激しく砲撃するでしょう。国連軍司令官は、そうやって、地雷兵士を抹殺し、証拠の隠滅をはかっていました。・・・・レポーター「塹壕の中には何もない」→世界の旧ユーゴへの無関心を象徴させていました。・・・・・争っていた二人は、セルビア人とクロアチア人なのでしょう。セルビア語とクロアチア語は、ほとんど同じで意思疎通が可能といわれていますから。・・・国連司令官がTシャツで出てくるのは、秘書との情事の後だからでしょう。ハリウッド映画だと、そういう乳繰りあうシーンを入れるのかもしれませんが、この映画には、そんなサービス精神はありません。・・・・・・全体として、良くできた大人の映画でした。ただ、これが映画として面白いのか、と考えると、どうかなー、と思えるので、1点減点です。(旧ユーゴ紛争のおおよその図式がわかっていても退屈なので、そんな10年以上も前の出来事に係わっている暇のない現代の若者には、もっと退屈な映画ではないだろうか、と思います) [DVD(字幕)] 9点(2012-05-20 00:07:28) |
2. 太陽(2005)
前半部分は、特に敗戦の御前会議と思われる会議が「?」です。・・・阿南陸将はどうして軍服を着ていないのだろう。天皇が「四方の海」と明治天皇の歌を詠むのは、開戦の時の御前会議で、敗戦の時の会議ではなかったはず。・・・・外国の映画だから、仕方がないといえばそれまでだけど、日本的環境では確認されている事実が、ないがしろにされてしまうと、事実は事実として扱ってね、と思ってしまう。・・・・・・とはいえ、特にマッカーサーとの対面や、会食のあたりが興味深い。昭和天皇とはこういう人だ、と決めつけるのでなく、子供じみた部分、科学者的側面、責任感、プライド、外交的能力などなど、昭和天皇の多面的な部分を、イッセー尾形が実に良く表現している。そして実際の人間や出来事というのは、そのように多面的なものなのだから、イッセー尾形を見ていると、一つに決まらないもどかしさがある一方で、現実性、リアリティを感じることができるのだ。そして占領期の日本について考えるきっかけを与えてくれる点でも貴重な作品といえる。・・・・・・とはいえ、天皇制の宗教性など、文化的な事柄を考えるには、全く掘り下げられていないと感じました。 [DVD(字幕)] 7点(2008-01-04 23:31:04) |
3. バベル
《ネタバレ》 テーマは、人間の愚かさ、なのでしょう。そしてその愚かさを、悲しく抱きしめつつ、人は家族の絆を確かめることになる。役所は娘の手を握り、ベビーシッターは息子と抱き合う。・・・・・[モロッコ]//バスに向けて打ったりしなければ・・・///兄弟は言い争い、関係のない姉のことも暴露してしまう///弟は警官に向けて発砲などしなければ兄が死ぬことなどなかった。[ブラピ夫婦]母は、ずっと子どもの世話を殆どベビーシッター任せ、そうして夫婦は仲違いしている・・・観光客とは無意味なつかみ合い、その結果、バスは発車。[ベビーシッターと親戚の男]息子の披露宴で、昔の恋人と、、、//あわてて帰ろうとして、酒気帯びで国境越え//検問所を強行に突破//ライトを消してじっとしていれば良いものを、ライトをつけて逃走をはかり、あげくは砂漠の中に女子どもを置き去り//置き去りにされてじっとしていればよいものを、歩きまくって体力を消耗、あげくは子どもを置き去り・・・・最後は不法入国で強制送還されて米国での全てを失う・・・・・[役所]そして発端のライフルは、役所が善意で送ったものではなく、妻の自殺の道具を自分で処分できずに放棄したものであった。・・・・・全ての人が善意なのだけど、あまりに愚か。そしてバベルの塔の崩壊の後、人の言葉は多様になっても、その愚かさは地球をまわって連鎖している。[菊地]彼女は現代文明でのdiscommunicationの象徴なのでしょう。動物化が進むポストモダンでは、人は理性的な言葉で意思の疎通を果たせず、体でコミュニケーションするしかないわけです。・・・・・・・というようなことが美しい映像と、巧みな展開、映像とマッチした音楽によって紡がれていました。最後に家族の絆を持ってきて、息子たちへの言葉を記すところが、チョー気にくわないところですが、素晴らしい映画でした。 [DVD(字幕)] 10点(2007-12-12 09:50:43)(良:4票) |
4. 裁かるゝジャンヌ
原題はジャンヌのpassion、つまり受難ということですから、ジャンヌの話に、キリストの受難を重ね合わせて見てくれ、というのでしょう。音楽も受難曲風にそうした効果を一層高めているように思いました。・・・・・・そうすると、キリストが人間の罪を背負って処刑されたように、ジャンヌの焚刑はフランスの栄光と引き替えであったことになるのでしょう。・・・・また作成は1928年です。これを当時、見たヨーロッパの人達は、身近に、第一次世界大戦で国家のために命を落とした人がいた筈で、そういう命を落とした人とジャンヌを重ね合わせて見たのではないでしょうか。・・・・・ジャンヌが勇ましい英雄ではなく、涙を流す、どこにでもいる普通の女性として描かれることで、戦争の犠牲者とジャンヌは、一層、重ね合わせやすくなっています。キリスト、15世紀のジャンヌ、20世紀の戦争という時間の重層性により支えられている、この映像の空間の奥行きはなんと深いことでしょう。・・・・・・しかし、グローバル化が進む現在、国家のために命を賭けるということは、即座に美しいこととは感じられなくなつています。そうした点からは、ジャンヌの物語は、過去のものになりつつあるのでしょう。・・・・・また表情のアップなどの映像、目をむいたジャンヌなどは、当時にあっては斬新なのでしょうが、現代のものとしてはかなりくどい。・・・・・・・ということで、全てにおいて歴史的な作品、古典的作品ということだと思います。面白く見られるかどうかは、想像力を発揮して、1928年という状況に身をおけるかどうかによって決まると思います。・・・・・(その時代を実際に生きてきた淀川さんと、そうではない僕たちとでは、違った見え方がして当然ではないだろうか) [DVD(字幕)] 8点(2007-03-25 10:07:01) |
5. イブラヒムおじさんとコーランの花たち
ただひたすら、老いたオマー・シャリフを見るための映画でしかない、と思いました。・・・・・・それ以外は、パリの裏通りやトルコやらの、色々な風景がそれなりに綺麗なだけで、ストーリーも展開も、とてもつまらない。・・・・・でも、老いたオマー・シャリフは見るに値する。・・・・・・・ロレンスやジバゴのオマー・シャリフです。・・・・ドクトルジバゴの最後のシーンで、老いたジバゴは、路面電車からラーラの姿を見たかと思って老いかけ、倒れます。あの老いたジバゴと、この映画のオマーシャリフは、違う。・・・・もちろん、老いたジバゴは、若いオマーシャリフのメークからなっているけど、実際の老いたオマーシャリフよりも、もっと、もっと孤独で、心がすさんでいるいるように見えた。・・・・・・実際の老いたオマーシャリフは、なんと心広く、豊かに年をとったことだろう。ヨーロッパの現状である文化差別、貧富の差などを全部つつみこんで、なおにこやかにしてしている、そういう広さと深さが、この映画のオマー・シャリフから伝わってくるようでした。・・・・・・・(もしオマーシャリフ以外の配役だったら、2点とか3点をつけてもいい映画かもしれません) [DVD(字幕)] 8点(2007-03-14 14:30:22) |
6. 勝手にしやがれ
《ネタバレ》 ああ、これを10代の後半にみていれば、もっと口説き上手になれたでしょう。しかし実際に私がそのころに見たフランス映画といえば「リラの門」とかで、その中のジュジュに大人の男なんかを見てしまったのです。、、、、、、それはそうとして、ゴダールが意図したように私たちには見えないのは当然のことです。たとえば、さかんにパリの街の風景が描かれていますが、ゴダールにとってそうした風景は日常であり、ある意味では単調な退屈さ、平板さを表現していたかもしれませんが、私たち異国の人間にはそのようには感じられるはずもありません。、、、、またベルモンドが牛乳を飲むシーンも、私たちはショーケンの牛乳のイメージを通して見てしまうとしたら、それは明らかにゴダールの目線ではないでしょう。、、、、、再び強調すれば、私たちは決してゴダールの視点からこの映画を見ることはできないはずです。私たちは、私たちの視点からこの映画を見て、評価を下すしかありません。、、、、、、、というとき、私は、次の点で感動しました。1. この時代のフランスの時代の記録として。2. ヨーロッパの若者たちの伝統や因襲に対しての抵抗の記録として、3. 伝統を打破しようという生き生きとした映像として。4. もしかしてフランス人は、いつもセックスのことしか考えていないのではないか、という驚きとして。、、、、、、、残った疑問は、唇を指でぬぐうのは何のサインなのだろう、ということ。そして、前編言葉で満ちていましたが、実は、この映画について言葉で語ることは非常に難しいと感じました。映像は映像を通じてしか語れないのだということを実感させてくれた作品としても私はこの作品を高く評価したいと思います。 [DVD(字幕)] 10点(2006-02-15 21:53:16) |
7. キングダム・オブ・ヘブン
《ネタバレ》 リドリースコットの良さって、想像力の豊かさ、映像の美しさと視点の斬新さかなと思っていたのですが、、、、、、、この作品には想像力が全く欠けていると思いました。、、、、、妻に自殺された鍛冶屋が、実はエルサレム王国の騎士の息子があることが判明して、父を追ってエルサレム王国に出かけ、そこでオリエント風の王女と不倫して、でもなぜか王にはならず、それでも王不在のエルサレム攻防戦を指揮して果敢に戦い、和平を実現して民衆を安全に脱出させました、そして最後は騎士という身分を捨てて、もとの鍛冶屋に戻って平和に暮らしました、、、、、、という物語は、夢想、空想、でっち上げの類であって、決して創造性のある想像力の産物ではない。殆どすべて、どこかで見たことのあるストーリー展開、映像の連続に、途中でうんざり。ほんと、nothingな映画でした。、、、、、信仰心、イスラム教、イェルサレム(城壁)とかを題材にしたら、ただの娯楽映画なんか作っちゃいけません、スコットさん。あなたは、上から見る映像を神の視点といっているそうですが、神は精霊とともに遍在するのであって、キャッツのような下からの視点だって神の視点であり得るのです。 [DVD(字幕)] 3点(2005-11-09 22:14:41) |
8. 霧の中の風景
映画の序盤で、ドイツの父というのが実在しないのだと宣言されることで、二人の旅には、行き着くところはないのだ、目的地はないのだということが、はっきりと示されています。だから、家を離れ、たどり着くところもなく彷徨う二人の姿には、強烈な孤立感、不安感を感じざるをえません。、、、、ドイツの父というのは何を象徴しているのでしょう。神でしょうか、それとも社会主義的な理想でしょうか。、、、、そのように考えると、二人の姿は、確かな価値を与えてくれる神、目指すべき理想的社会を失ってしまった私たちと重なり合います。、、、、、そして私たちは何を目指したらよいのだろう、というアンゲロプロスのもがき、苦悩も。「こんな別れ方をしたくなかった」というオレステス。それはアンゲロプロスの過去との決別を含意しているのでしょうか。、、、、、あの巨大な手は、誰の手なのでしょう。廃棄されたレーニン像の手なのでしょうか、それとも神の彫像の手なのでしょうか。いずれにしても、人差し指が欠け、私たちには行くべき方向を示してくれることはありません。、、、、、全体として、ただひたすら苦しい映画でした。、、、、、(バイクを売る丘にたれ込める雲。今ならCGで合成するのでしょうが、あの雲が出てくるまで、撮影を待っていたのかなぁ。すごい根性!!) [DVD(字幕)] 8点(2005-05-05 18:36:10)(良:1票) |
9. アララトの聖母
[好きなところ]----1. 歴史というのは過去と現在の対話の中で成り立つのだという視点がしっかりしていること。2. 税関吏のじいさんと主人公の対話。そしてじいさんが異質なものの存在を承認するところ。カナダの多文化主義の状況が少なからず伝わってくるし、それとアルメニアの問題を結びつけ、現在と過去の対話がはかられるところはさすがだと思った。3. トルコ人総督役と主人公の対話。私たちは過去の文化をどれだけ請け負っているのかについて考えさせられる。4. アララト山のきれいなこと。、、、、、、[嫌いなところ]----1. トルコを告発する姿勢を保っているところ。トルコを告発する映画になってしまうと、この映画の存在価値はほとんどないと思う。2. 音楽に想像力をいまいち感じないところ。3. 原題は「アララト」なのに、「アララトの聖母」という邦題をつけたこと。これはもちろん配給会社の問題で、映画自体に関係はない。、、、主人公の父親も、義妹の父親も死んでしまっている。=父親の不在=神の不在、それを税関吏との対話で、主人公は父の魂=神、を感じたといっている。聖母というのはあくまで神への媒介者にすぎない。母なるものを尊ぶ農耕日本教的発想をこの映画に持ち込むと、大事なところを見誤ってしまう危険があると思う。 8点(2005-03-26 00:02:58) |
10. こうのとり、たちずさんで
人と人とを分け隔てるものは様々です。、、、性別(ジェンダー)、氏族、会社、宗教、言語、肌の色、そして国。、、、、もちろん、どれも、全部、人間が決める違いです。その中で、この映画は、国の違い、そしてその境界線を扱っています。しかし、他の様々な違いと、国の違いはどこが違っているのか、そしてどうして国の違いだけを特権化して扱うのか、この映画からは、それが伝わってこないように感じました。、、、、たぶん、国の違いというのが、他の違いとは異なるのは自明のことなのだと、監督が考えているからかもしれません。もしそうだとしたら、だからこの映画は面白くない。、、、、自明だと思うことをこつこつ確かめていかないと、時代を超えた説得力を持つことはできないと私は思います。、、、実際、この映画が作製された時、すでにグローバル化は進行し始め、いまや、多くの場所で国境などボコボコに穴が開いています。そしてギリシア周辺についていえば、いずれはバルカンだけでなく、トルコまでEUに飲み込まれることになるでしょう。ではアンゲロプロスは、国境を形骸化し、人々が自由に行き来することを可能にするグローバル化を手放しで賞賛するのだろうか。 6点(2005-03-02 14:20:11) |
11. ユリシーズの瞳
これほど端正で重層的で、強く激しく、そして美しくて悲しい反戦映画をわたしは他に知りません。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、以下は付け足し。、、、、反戦映画というと、戦闘シーン、別離、戦死などの具体的な出来事を描くというのが定番ですが、それだと、今の私たちの生活とはどうしてもかけ離れてしまう。そこで、戦時中の誰かの心象風景を描くことで、現代の私たちの心象とリンクさせようという試みがでてくる。例えば「美しい夏キリシマ」みたいに。しかし、人が不条理に殺されるのが戦争なのだという戦争についての一番大事で基本的なことが、それだと落ちてしまう。、、、この映画では、まず時間的な重層性によって、私たちの心の記憶が取り込まれ、サラエボの厳然たる事実が示されることで、その心象と外面的事実が交じり合う。そして最後に、オデッセイは遂にペネロペの元に帰り着いたが、今のオデッセイ(=我々)にはペネロペは死んだのであり、二度とこの世で出会うことはないのだという、深い、深い慟哭。、、、、、(例えば冷戦構造の終結、ユーゴ内戦などに何の記憶もないという場合は、全くつまらない映画に思えるに違いないのでご注意を、、、。) 10点(2005-02-28 13:47:46) |
12. ディーバ
表のストーリーは陳腐だし、四半世紀も前のフランス的ギャグは、「あっと驚くため五郎」的だし、、、、、映像の斬新さ、革新性は、60年代、70年代の映画を丹念に見てきた人でないと、おそらく理解することは難しいのだろうし、、、、。(ちなみに、私には判断できません)、、、そうした点からは、博物館でしか価値が見いだせない作品と思われても仕方ないでしょう。だから、映画は消費されるべき娯楽だ、と考える人は見てはならない作品だと思います。でないと、ピカソを見て、なんじゃこりゃ、というのと同じになる。(もちろん、それも一つの判断ですが)、、、、、、、私が個人的にこの作品が素晴らしいと思うのは、1. 作り手が映画を、音楽、絵画とおなじ芸術だと考え、2. 芸術がどのようにして成り立つのかが真剣に考えられ、様々な実験が行われている、と思うからです。、、、、、、例えば、なぜ主人公は郵便屋なのか。、、郵便は人々のコミュニケーションの象徴です。そこからモダンな社会でのコミュニケーションのあり方が問題視されていることがうかがえる。そして彼の部屋の造形。またバイク、ローラースケートといった新しい道具たち。、、、なぜ衣装を盗み、返すのか。それはfetishな発想と芸術とを区別したいから?、、、、そして歌姫はなぜレコードをださないのか。それは芸術が人と人とが共有する場の中で、共感のコミュニケーションとしてしか成り立たないと考えているからではないのか。などなど、、、、、、、このような点では、この作品は、普遍性を持ち、常に新しい作品だと思いました。とにかくこの作品はアートです。 9点(2005-02-22 09:56:40)(良:1票) |
13. シティ・オブ・ゴッド
大変に重要なテーマを扱った映画だと思います。、、、、、「仁義なき~」も思い出しましたが、ちょっと違うような気もしましたし、、、音楽やカメラがテーマと整合的なのかということも少々気になりましたが、大したことではないように思いますし、、、殺されている人の数自体は戦争映画やパニック映画の方が大量かもしれないのに、どうしてショッキングなのだろうかとも思いましたし、、、、、で、最後に連想されたのは「北斗の拳」的世界でした。、、、、どういうことかというと、、、描かれているのは、暴力が支配し、言葉による秩序形成が全く成立していない世界。そこでは、私たちの社会が前提とするような、約束、信頼、勤勉などの価値は成立しておらず、限られた文化、文明しか存在する余地はありません。、、、、どうやってこうした暴力的社会が生まれるのか?、、、、貧困、差別、文盲によって。、、、、どこにこうした社会は生まれるのか?、、、、、かつてのリオの裏町で、、、今、イラクで、パレスチナで、アフリカの紛争諸地域で、歌舞伎町の雑居ビルの一室で、渋谷の夜の街路で、池袋西の公園で、、、。貧困、貧富の格差、情報アクセスのデバイドetcを放置すれば、こうした暴力的社会は、世界の各地域でその領域を拡大し、気づいたときには、真っ当な秩序はどこにもなく、経済秩序も破壊され、数百年、歴史の針を戻したような状態に至るかもしれません。、、、遠い、地球の裏側の話しとしてではなく、近い将来、身近にあり得る話しとして受け止めることができるのではないか、というのが私の今の感想です。、、、、、(蛇足)この映画を見て、反グーロバリズムの立場に一歩ほど傾斜。 9点(2004-11-09 11:41:00)(良:2票) |
14. ルーヴルの怪人
(ちょっとあまのじゃくでごめんなさい)、、、、確かに、金色のゴーストみたいなのが飛び回るところとか、ハリウッドと較べると10年古いし、館内を仮面付けてずずぅっーと移動するところとかは滑らかに移動せずに、げげっ、とださいし、、、、。でも面白く最後まで見ることができました。・・・・・ださくて、それでいてどこか知的で、ハリウッドと違うテイストが、とてもほっとさせたからです。作る方も、ヨーロッパの文化的伝統を意識して、アメリカにはこんなのないだろっ、という感じで作っているのかもしれません。(ルーヴルの外観や展示物か、カフェとか)、、、、、、あるいは、もしフランスで大ヒットしたのなら、国産自前のハリウッド的映画、これでハリウッドなんか見ないでも済むぞ的にヒットしたのかもしれませんね。だとしたら日本人の私たちには関係のないことかもしれません。、、、でも、わたし個人としては、ハリウッド的世界が好きではない方なので、そうしたフランス人には共感しちゃいます。、、、、、全体としては、ロッキーホラーショーやらホーンテッドマンションまなんかの、ホラーコメディーのフランス版で、作っている方も、冗談と本気が混じった感じでやっている印象です。それをミステリー、ホラー映画の積もりで見ると、相当に違和感があるかもしれません。 7点(2004-11-05 11:13:41) |
15. 1900年
イタリアの農村の風景、農民達の共同性豊かな生活、地方領主の権勢、時代の情景などが、見る側の想像力を強く揺さぶるように伝わりました。どの登場人物も、型にはまらず、生き生きとしてエネルギッシュです。・・・・特にオルモ、アッチラが最後まで印象的。アッチラを見ていると、豊かなものに対する屈折して執拗なルサンチマンが、ファシズムのエネルギーを供給し続けた状況がよく理解できました。アルフレートについては、跡を継承したあたりから、描く方のビジョンが混迷して、躍動感がなくなった印象を受けました。・・・・・ただ、人物達があまりに生き生きと、自分たちの生を全うし始めるので、だんだん収拾がつかなくなり、最後の1時間ほどは、断片的で脈絡が不明な寄せ集めになったのではないでしょうか。特に最後など、農民は祖父達のように静かに眠りにつき、地主は、正義、神の裁きを受けるということを、アンナカレーニナ以来の、鉄道の象徴を使って示したのかもしれませんが、とってつけたようでした。・・・・とはいえ、全体として記憶に残るシーンにあふれていました。例えば冒頭のシーン。脈絡を知らず見ると、アッチラ、レッジーナが哀れに見えますが、4時間後、事情を知った上で、同じシーンに接すると、全く違った感情がわきます。客観的認識とは一体何なのかが問われていたのでしょう。・・・・全体として、私たちが歩いてきた道を、想像力豊かに描いた素晴らしい作品だと思いました。 9点(2004-09-21 09:20:23) |
16. パリ、テキサス
(テレビで放映しているのにたまたま遭遇。全面的に書き直します)、、、、、血のつながっているのが親子だ、という考え方は、どの時代、どの地域にでも成り立つ普遍的な原理では決してありません。、、、近代の日本や、ドイツなど、直系家族の形態をとる一部の地域では、血のつながりということにこだわる傾向があるようです。、、、、、ということで、子どもは成長すれば親を離れ、自立する、ということと、血のつながりが親子の普遍的要件ではない、ということを考慮したときに、この物語はどのような意味が残るのだろうか。、、、、、それと男が別れた女の子とを、いじいじと思い続けるというのはよくあるけれど、女が、喧嘩別れした男のことをずっと思い続け、心の中で話し相手とするということは、どれほど一般的なのだろう。、、、というか、ナスターシャ・キンスキーがマジックミラーのところで、涙を流すのが、男の思いこみ的演技指導の結果ではないかと思えて仕方なかった。、、、、、音楽と、夜の風景の映像は綺麗だけど、それだけの映画ではないかと、今日、思ってしまった。 5点(2004-09-12 15:04:01) |
17. ひまわり(1970)
丘に広がる墓標、それと一面に広がるひまわりが重なり、花の一つ一つが、戦地に倒れた兵士の生死を表現していると、切々と伝わります。その一人一人に、その死を悲しむ肉親、友人たちがいて、それぞれに重く、悲しい物語がある筈で、このアントニオの物語も、そういう物語の一つなのでしょう。だから、ひまわりという題名がつけられているのだと思います。、、また、東西対立の時代、近代化されたソ連を写せという映像的無駄を甘受しつつ、ソ連ロケを敢行したのも、次に戦争が起これば、このひまわりが、再び血に染まるのだという、反戦のメッセージを伝えたかったからなのでしょう。、、ただ、判断に迷うのは、ソ連の駅での再会シーンです。もし私がソフィア・ローレンであったら、誰の旦那になっていようと、本当に生きていてくれたことが、うれしくて、うれしくて、思わず足の力が抜けて、その場にへなへなと崩れてしまうのではないかと思うのです。、、、だから、ここから先、ストーリーの論理が、戦争から恋愛に断絶的に転化するようで、、、。そこが素直に共感できないところです。 7点(2004-08-24 18:14:17) |
18. ダントン
ずいぶん昔に、岩波ホールで見ました。その時思ったのは、どうしてこの映画の題名は、「ロベスピエール」ではなくて、「ダントン」なのだろう、ということでした。ロベスピエールという権力者の苦悩の方が、生き生きと、説得力をもって表現され、「ダントン」は、単純ナイーブ、無責任、文句ばっか野郎にも受け取れたからです。、、、、、、それでも敢えて自由を高唱するダントンを評価しよう、どんなに苦悩していても権力者は権力者なのだ、というのがワイダのメッセージなのだと暫定的な解釈を与えてきたのですが、、、、、、、、、、それからずっと、もう一度見て考えてみたいと、新しいビデオ屋に行くと探すことにしているのですが、、、、、不幸にしてまだ巡り会えず、今日に至っている次第です。 7点(2004-07-06 11:24:02) |
19. 父よ
淡々としていて、途中で寝てしまいそうな作品。しかし、見終えた後、何か重たいものが残り、また、つまらないと思えたシーンが妙に記憶に残る。あぁ、これがフランス映画の伝統なのですね、、、、。 7点(2004-07-02 09:45:48) |
20. ニュー・シネマ・パラダイス/3時間完全オリジナル版
前半部分の、着想と音楽と映像が素晴らしいですね。、、、見た後、何日かして、ふと田舎の親父の声が聴きたくなって電話をしてしまいました。トトにとってアルフレートは父親ですものね。そんな気にさせてくれたというだけで、見てよかった。、、、、、、、、、、ただ、火事からアルフレートを救い出す場面から、なんか、もつと違う、もっと想像力豊かな展開があり得るのではないかという気持ちが、少しずつ強くなっていったことも確かです。、、、だって、小学校に行くかいかないかの子供が、大の大人をあんなに引きずれるとは思えないし、あれがなくったって、火事の後の後の話の展開は、あのままで理解できるし、、、、、。映画館だって、別にアメリカ風に爆破して取り壊す必要はないだろうし、、、、そう考えてくると、アルフレートが残したフィルムも、そこにどういうメッセージが込められているのか、今少し、しっくりこないのです。、、それに、神父の検閲フィルムは映画館と共に焼けた筈ですし、トトのコレクションも映像になるほど長いものではなかったし、そもそも目の見えないアルフレートがどうやってあのフィルムを編集したのだろうとも思っちゃうじゃないですか、、。結局、トトとアルフレート以外、生き生きとして存在感のある役どころがないというのが最大の難点なのかもしれません。 8点(2004-06-26 12:59:22)(良:1票) |