221. カンタベリー物語(1972)
《ネタバレ》 パゾリーニだが、この『カンタベリー物語』を観るまでは、イマイチ好きになれなかった。 この作品もいわば「義務的」にやっつけるつもりだったのだ。 しか~し、これが何とも面白い作品で、見事にハマってしまった。 この作品は『デカメロン』『アラビアンナイト』と並ぶ、P.P.パゾリーニ“艶笑三部作”の一つでもある。 何個もの挿話から成り立っており、オムニバス作品の様な形式で話が進んでいく。 つまらない挿話もあるにはあったが、これがなかなかの粒揃い。 基本的に映画で笑わない(笑えない)この私が、思わず吹出してしまう挿話が何個もあった。 その中でも笑いまくってしまったのが、ニネット・ダヴォリがちゃらんぽらんな主人公を演じた三番目の挿話である。 ニネット・ダヴォリは、P.P.パゾリーニの作品では常連の俳優だ。 いつも訳のわからん役ばかりだが。 でも、今回の作品における彼の演じる青年は、殊のほかオカシイ。 なんだか分からないけど、常に“ニヤニヤ”しているのだ。 あげくの果てに、そのちゃらんぽらんさが災いして、“ギロチンの刑”に処されることとなるのだが、首を板にはめ込まれた後でも“ニヤニヤ”である。 この終始馬鹿にした様な彼の振る舞いに、見事に引き込まれてしまった。 処刑されるわけだから、かなりシビアなストーリーであるはずだ。 だのに、それだのに・・・ それを微塵も感じさせない彼の“ニヤニヤ”は、もはや神がかり的でさえある。 この挿話によって、ニネット・ダヴォリ、そしてP.P.パゾリーニにハマってしまいそうだ・・・ そして、この作品が、ベルリン映画祭の最高賞(金熊賞)を獲っているのだから凄い。 何たることだ。 [ビデオ(字幕)] 7点(2007-09-01 20:42:11) |
222. 崖
《ネタバレ》 数多あるフェデリコ・フェリーニ作品群の中から、『崖』を鑑賞。 フェリーニ作品は全て観たが、この『崖』が一番のお気に入りだ。 世間では、同時期に作られた『道』(1954)の方が有名である。 でも私は『崖』の方が遥かに好きである。 一番のお気に入りシーンは、「主人公と小児麻痺の少女との会話」シーン。 詐欺を働き、その人生自体も汚れきった中年の主人公。 片や、小児麻痺と戦いながらも人生と真正面から向き合い、純粋さを失っていない少女。 この対照的な二人の会話は、ただただ見入ってしまうほど感動的で印象的なシーンだ。 主人公が、純粋な少年や少女と会話をするシーンは、『甘い生活』(1959)や『青春群像』(1953)などの初期フェリーニ作品でもよく出てくる。 『甘い生活』は非常に尺の長い作品で、ややもすると退屈さに襲われる危険性大の作品だが、ラストの「海辺での主人公と少女との会話(実際は会話が成立していないが)」シーンが一気にそのもやもやを吹き飛ばしてしまう。 『青春群像』でも、ラスト間際の「汽車が出発する直前の、主人公と少年の会話」シーンがあり、最後にとてつもない余韻を残す。 私にとって、初期フェリーニ作品が大好きな理由は、まさにこれらの名シーンが存在するからなのだ。 中期から晩年にかけてのフェリーニ作品は、まさに「映像の魔術師」的作品が多く、それらは高く評価されているかと思うが、私の好みには合わない。 やはり私にとってのフェリーニ作品といえば、『甘い生活』であり『青春群像』であり、そしてこの『崖』であるのだ。 “あの会話シーン”を観たいが為の理由で、私はこれらの作品をまたいつの日か観ることだろう。 最後になってしまったが、ニーノ・ロータの音楽も言わずもがな素晴らしい。 やはりフェリーニはロータあってのフェリーニである。 [ビデオ(字幕)] 9点(2007-09-01 20:36:48)(良:1票) |
223. 太陽はひとりぼっち
《ネタバレ》 まずは主演女優のモニカ・ヴィッティが美しすぎた・・・ ただただ、美しいのだ。 とにかく美しいのだ。 ため息が出るほどに。 モニカ・ヴィッティが出演している作品の中でも、この作品の彼女が最も魅力的だ。 そして音楽もまた素晴らしい。 これはフスコという人の影響らしい。 アントニオーニの演出する「乾いた都会の風景」。 この作品でも魅力全開だ。 奇妙な建造物、殺伐とした道路、主人公の女性が住むマンションのエントランス・・・などなど、とにかく徹底してその無味乾燥さが描かれているのだが、これがまた病みつきになるかっこよさ。 寂しい風景なのに、何故か自分もそこに身を置いてみたくなるような気持ちになる。 とにかく映像がシャープで、容赦なく無機質で、かっこいい。 あと、アントニオーニの作品を観ていていつも思うけど、背後に雑然と流れ続ける「騒音」がなんとも印象的だ。 もしくは風の吹く音とかが。 どれも心地の良い類いの音じゃないのに、何故か聞き入ってしまう。 私は病気なのか?! そんな風に自分のことを思ってしまうくらい、惹きつけられてしまうのだ。 都会に流れる何気ない「音」を、アントニオーニは誇張して流している。 だけど何気ないその音が、何かを訴えているような気もする。 しかし、それが何を意味するのか、私には分からない。 が、何故だか異常なくらいに魅力を感じ、惹きつけられるのである。 それにしても、ラストの辺りで繰り返し出てくる横断歩道の風景だが、つくづく印象的だ。 アラン・ドロンがモニカ・ヴィッティに、「向こう側に着いたらキスをする」って言ったシーンとか。 横断歩道を渡って二人は別れて、モニカ・ヴィッティが振り返ると、もうそこにはアラン・ドロンの姿がない・・・っていうシーンとか。 横断歩道辺りの荒涼たるアスファルトとか。 あまりに印象的で、かっこよすぎて、寂寥感があって・・・ この映画を観た私(観客)が、観た後にこんなになるのをアントニオーニは計算してこの映画を撮ったのだろうか? そこまで計算してアントニオーニがこの映画を撮っていたとしたら・・・ もしそうだとしたら、ミケランジェロ・アントニオーニという監督は、恐るべき監督だと思う。 [DVD(字幕)] 10点(2007-09-01 20:31:16) |
224. さすらい(1957)
《ネタバレ》 1957年の作品で、しかも特別メジャーな作品というわけでもないので、画像の状態は良いとは言えなかった。 でも最近は1950年代~60年代のモノクロ作品を見慣れてきたせいか、大して苦にならなかった。 むしろ、アントニオーニ地獄にぐいぐいと引き込まれてしまった。 スティーヴ・コクラン演じる主人公の男はかなり横暴なキャラで、(内縁の)妻に暴力ばかり振るっている。 とてもじゃないが、共感できるような主人公ではない。 しかしただ単に乱暴な亭主かと言えばそうでもない。 一人娘をかわいがったり、妻に捨てられ弱いところを見せたりするのだ。 主人公の見せるこの「ギャップ」がとてもよかった。 妻に捨てられ、小さい娘を連れて「さすらい」の旅に出る辺りから、“ロードムービー”的な色を帯びてくる。 旅先で仕事を見つけるのだが、娘のことを考えて仕事をするのをやめてしまう。 なんて娘想いの父親なんだ・・・と思いきや、今度は唐突に娘を母親の元へ送ってしまったりと相変わらずハチャメチャな主人公。 そして最後は悲劇的な結末を迎えてしまう。 結局、最後まで優しい人なんだか何なんだか分からないキャラで、最後まで主人公に対して共感することができなかった。 しかし、何故だか主人公に対して愛着を感じた。 時折見せる「弱さ」みたいなものが、日頃横暴なキャラだけに際立ち、そこから人間味を感じ取ることができたからではなかろうか。 なんか最後まで救いようのない話で終始するんだけど、単純なハッピーエンドではないだけに、かえって心に残る一本となったようだ。 [地上波(字幕)] 8点(2007-09-01 20:25:44) |
225. ソドムの市(1975)
欧州の著名な映画監督の、1950年代~1970年代にかけての作品を必死になって観まくっている昨今であるが・・・ この作品を落とすわけにいかぬ・・・という事で、意を決して『ピエル・パオロ・パゾリーニ ソドムの市』を鑑賞。 最初は避けて通ろうと心に決めていた作品であったが、意識すれば意識する程、観ずにはいられなくなってしまった。 しかし、それだけ魅惑的で、金字塔的な作品であるのは確かである。 さて感想だが。。 まあ、「汚い」ということで。 でも、それだけでは終わらない作品でもあった。 これは予想外。 とにかく人間の究極の欲望を追求した作品だ。 恥や外聞、道徳心、そういったモノを一切排除し、欲望の限りを尽くす“主人公”達。 しかし、現在の日本においては、「その手」のビデオや雑誌は簡単に手に入る。 ただ単にお下劣で下品な映像を観たいのならば、この作品を観る必要なんかないと思う。 ただ単に気持ちの悪い映像を追求しただけの作品ではないからだ。 それよりこの作品は、人間の奥底に眠る、もしかしたら誰しもが持っているかもしれない“変態的欲求”を表現しているのだ。 そういう観点で観れば、ただ単に「汚い映画」では終わらず、何かを発見できる作品となる「かも」しれない・・・ [ビデオ(字幕)] 7点(2007-09-01 20:24:20) |