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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1299
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  女戦士クトゥルン モンゴル帝国の美しき末裔 《ネタバレ》 
モンゴルの時代劇である。他国と並んで製作国に名を連ねるのでなく単独のモンゴル映画らしい。風景として青空・草原・湿地・丘陵・砂漠などが映る。 主人公のクトゥルンは、13世紀モンゴル帝国の有力者だった「ハイドゥ」(カイドゥ)の娘とされている。本人に関わる逸話として、力業(字幕ではモンゴル相撲)で自分に勝った者の妻になると宣言し、応募者をことごとく打ち負かした話が東方見聞録に紹介されていて、これが英題のWrestling Princessの由来になっている。 時代背景としては、2代目ハーンのオゴタイの家系に属する主人公の家と、当時の5代目ハーンのフビライの勢力が対立している状況で、大まかには史実を踏まえているがかなり簡略化して改変している。帝国自体はまだ健在なので、邦題にある「末裔」という言葉のイメージほど後代の話ではない。 なお言語は基本的にモンゴル語のようで、口の奥で出す音が耳につく印象だった。また主人公が元のフビライに対抗する立場だったこともあり、漢人や漢語への微妙な反感が見えるようだった。  戦いの映画としては、騎馬軍団の戦いというより人と人が戦うアクション映画のイメージである。なぜか忍者部隊のようなのも出て土遁の術など使っていた。 主人公の物語としては「かぐや姫」のように、言い寄る男を次々排除する場面を大きく扱うのかと思ったらそうでもない。Wrestling Princessは題名だけかと思っていると、最後に少し時間を取ってその関係のエピソードが入れてある。確かに前半で、主人公が賊に負けてしまって意外に弱いと思わせる場面があったが、それがラストにつながる伏線だったらしい。 原作小説の著者は女性の地位向上に関わっている人物のようで、この映画でも自由を得るためには強くあれ、というメッセージが感じられる。見ていてそれほど面白いとは思わなかったが、最終的になるほどそういうことだったかと納得した。  登場人物として、主人公の仲間たちは人間性が深堀りされないが、うち小太りで小汚く見える「アバタイ」が実はイケメン枠だったらしいのは意外だった。主人公は、日本でいえば浅野温子(の若い頃)のような外見で、乗馬ができる役者のようだがモンゴル人なら普通かも知れない。敵方に「かわいい顔」と言われていたが本当に可愛い人で、終盤でにっこり笑った顔が、序盤の子役の笑顔を思い出させたのは少し感動的だった。この人の強い+可愛い姫様像が映画全体の価値をかなり高めている。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-08-24 09:46:54)
2.  モンゴル 《ネタバレ》 
チンギス・ハーンの少年期から青年期くらいまでを扱っている。最後に出る1196年の戦いが実際どれだけ決定的なものだったか知らないが、この映画ではとりあえず、これでこの周辺での主人公の優勢が確定した程度には見える。 現実にはそれまで多くの集団や人物が複雑にからんでいたのだろうが、この映画では思い切って主人公家族とライバル1人に集約して単純化している。出来事の経過をまともに説明する気もないようで、例えば幽閉先から救出→家族でピクニック→神頼み→いきなりライバルとの決戦、というように場面が飛んで、主人公の気持ち本位で物語が進む。 それでも映画だからまあいいかといえなくはないが、結局全体として何が言いたいのかわからない。家族として出ていた息子(ジョチ)と娘(目が大きい)は両方とも主人公の実子でなかった感じだが、妻の子でありさえすれば構わない、という純愛を表現した映画だったということか。それでもいいがそれだけで終わりか。 歴史上の人物を扱う場合、その事績の実現に至った動機や熱意の源が何だったかを若年期に求めようとするなら話はわかる。しかしこの映画では、愛する妻の願いをかなえるためにモンゴルを統一した、というくらいはいえるかも知れないが、その先にある空前の世界帝国の形成(さらにユーラシアの東西交流の拡大など)にまでつながっていく気はしない。そこまで意図するのでなければ、そもそも何でチンギス・ハーンを題材にしたのかということになる。 歴史物語として半端な一方でドラマ的にも受け取りづらく、残念ながら褒めたい点が発見できない映画だった。  以下その他雑記 ・浅野忠信は目が細いから選ばれたのかと思った。 ・主人公が幽閉されていた場所にあった「国家滅亡を企むモンゴル人」の看板は西夏文字のようだが3字で間に合うのか。「表語文字」だそうで、漢字でいうと例えば国・滅・蒙の組み合わせ(語順不明)かと勝手に想像した。 ・主人公はモンゴル語が世界言語になるかのような夢を語っていた。今となってはそうなるとも思えないが、とりあえず肉=мах(makh)は憶えることにした。 ・突然の悪天候で勝ったのは、モンゴルでも神風のようなものを期待する風習があるということらしい。 ・どうでもいいことだがエンディングの曲は「ジンギスカン」(1979西独)ではなかったので、映画が終わってからYouTubeで勝手に聞いた。
[DVD(字幕)] 4点(2024-08-24 09:46:51)
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