1. チルソクの夏
《ネタバレ》 劇中で一目惚れした日本人に会いに来る韓国男子が語るシーンで山口県と福岡県の県境線を跨ぎ「38線もこうやって跨げるといい、大学を出たら外交官になる。郁子のお父さんや僕の母は日本、コリアンというだけで憎しみ合ってる。そんなのおかしいよ。僕たちの世代まで憎しみ会うのはおかしいよ、親を大切にって儒教の教えがあって母を悲しませたくなかった。郁子につらい想いをさせてゴメンね。北と南は同じ民族なのに憎しみ合うのはおかしいよ。」と言い、郁子は「同じ17歳なのになぜそんな事が考えられる?私達なんかTVのバカバカしい話やタレントの誰が好きとかそんな事ばっかり、気楽なんよね。」それに対し「だから日本は平和でいいんだよ。早くコリアンもそうなればいい。うらやましい。」と答える。普通はこういう重い問題を提示することで純愛劇が台無しになることがありますががこの映画ではお互いに分かり合いたいのにそれが不可能なロマンチックラブがよりいっそうの輝きに満ちたものになるのはなぜでしょうか?お互いの相手に対するある種の勘違い、見えない部分を自分で補完しようとする行為(妄想)、個人の能力では乗り越えられない壁(障害)、要はロマンチシズムのない恋愛は大恋愛にはなりえないし、メールも携帯もなかった時代(自由奔放に恋愛ができない)、仲間と一緒に陸上競技に打ち込むことでしか生まれない友情(友達の恋愛を自分のことのように悲しみ、喜び合う連帯感)を描くことによって現代にはあり得ない純愛物語が成立可能だと思うのです。長文、駄文ですみません。やっぱり、この映画にはこういった理屈はいらないです。正直、セカチューみたいな純愛ものでは泣けないのに泣いちゃいました。号泣しました。観賞後、”映画は頭でなく心で観るものです”という故・淀川長治先生の言葉を思い出しました。 9点(2004-10-20 14:08:13)(良:1票) |