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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2593
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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61.  アルゴ
“偽装”によるイラン国外への脱出に危険とそれに伴う恐怖を訴える外交官たちに対して、主人公は「偽装だけが銃から身を守る」と諭す。  人間、極限までに進退窮まれば、最後に唯一できることは“偽る”ことだけなのかもしれない。 そして、人間による“偽り”という行為は、必ずしも悲観すべきものばかりではないとも思える。  人生において打ちひしがれ、落ち込み、どうにもならない状況に陥ったとしても、自分が出来得る万全を期してその状況を何とか“やり過ごす”ことが出来たなら、きっとその先の展望は開ける。 決して格好良い事ではないけれど、そのしぶとさを人間は誇っていいのだと思う。 この映画と、それを生み出したベン・アフレックという映画人に、そういうことを感じた。  この映画はあくまで米国側の視点、もっと言うならばCIAの主観とも取れる“見方”によって描かれた作品である。 だから、いくらノンフィクションを描いていると言っても、真実と異なる点は大いにあるのだろう。実際大部分は脚色されているらしい。 必然的に、イラン側は分かりやすく“悪役”として描かれているが、そもそもの発端には米英による陰謀的な搾取があるわけで、国家間の争いに善悪などないというのが実際なのだろう。 その歴史的事実に対しては、世界中の人々が、正しく認知すべきだろうと思う。  ただし、いくら捉え方が偏っていようとも、これが映画である以上、そこに間違いはない。 しかも、世界中の多くの人間が観て「面白い!」と思うのならば、殊更に何の問題もないと思う。  こういう自国が直接的に関わるリアルな事件や問題を題材にして、ひたすらに面白い映画に仕上げようとするハリウッドの体質を、作品を通じて垣間見る度に、アメリカという国は、世界一“愚かな国”だけれど、結局のところ世界一“強い国”だと思わざるを得ない。  何かがほんの少しうまくいかなければ、もしかしたら世界は破滅に突き進んでいたかもしれない。 愚かな人間が巣食うこの世界はいつだってそんな危機に満ちている。  その数多の危機の一つを、文字通り、とても直接的な意味合いで「映画」が救ったという事実を、映画ファンとして愛さずにはいられない。 そしてその映画を生み出したのも、愚かな人間であるということに、ほんの少し勇気を貰え、何とか明日も生きていける。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2013-04-30 00:21:01)(良:1票)
62.  アタック・ザ・ブロック
漆黒の闇の中で蛍光色に光るエイリアンの牙、真っ黒なフードを被った少年ギャングの目、両者は互いにメタファーとして対峙し、“襲う者”と“襲われる者”が突如として入れ替わり立ち替わる。 ヒップホップに彩られたSFとバイオレンスとコメディの中で痛烈な社会風刺が差し込まれる。 この英国産のエンターテイメント映画は、ポップカルチャーの体裁を示しつつ、想像以上にハードで、それに伴うカタルシスに溢れた映画に仕上がっている。  少年ギャングが巣食う団地にエイリアンが襲来してきて決死の攻防を繰り広げるというプロットだけを聞くと、とても気軽に楽しめる類いの娯楽映画のように思う。 実際、この映画は表面的にはそういう方向性でプロモーションされているが、そもそもの発端となる舞台設定、ストーリー展開、そして映画の到達点は、非常に根深い社会問題に根ざしていて、予想外に深い感慨を観客に訴えてくる。  英国の社会問題となっている低所得者層の不遇。そこからある意味必然的に派生している暴力と犯罪。 文字通り“降って湧いた”凶暴なエイリアンとの攻防の中で、少年たちは、暴力と明確な「死」に曝される。そのプロセスにおいて、自らが置かれた社会環境の問題性と、自らが犯してきた罪の深さを知っていく。  前述の通り、この映画は表面的には敢えてライトに作られている。上映時間も88分と短く、映画内の時間経過も、事態の異常性のわりにはほんの2~3時間程度の出来事として描かれる。 そういったコンパクトさこそが、この映画で描かれていることが社会の「縮図」であるということの明確な意思表示のように思える。  この映画の製作スタッフは、自らが楽しみながら、あらゆる人々にとって楽しい映画を作り、同時に大きな付加価値を付けることに成功している。見事。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2013-03-11 11:12:22)
63.  ACRI
「ego ?(イーゴゥ?)」 と、海洋学者を演じる藤竜也が独特の言い回しで食い入るように応える。 このワンシーンを迎えるとついつい真似て声を被せてしまう。 個人的にフェイバリットな映画において、そういうことは多々あると思う。 つまりは、世の中では圧倒的に酷評され、石井竜也という“創造者”にとってかなりマイナス要因の強い分岐点となってしまったこのSF映画が、僕は個人的に大好きだということだ。 何年ぶりかに鑑賞しなおしてみて、そのことを改めて思い知った。  岩井俊二が用意したファンタジックなベース(原作)に乗って、石井竜也というクリエイターの趣向がある意味独善的に繰り広げられている作品であることは間違いない。 はっきり言って、その趣向にそぐわない限り「陳腐」だとしか感じられないことは致し方ないのかもしれない。  決して大衆にはウケないという必然性を備えていることを今はよく理解出来る。 でもだからこそ、生まれて初めて買ったCDが米米CLUBの「君がいるだけで」で、小学校の文集の「尊敬する人」の蘭に「石井竜也」と書いた“信者”にとっては、唯一無二の作品であることも改めて必然だと思った。  前述の藤竜也をはじめとし、俳優として駆け出しの浅野忠信、トレードマークの長髪が若い江口洋介、色々な意味で感慨深い裸体を披露する吉野公佳と、キャストは魅力的だ。 そして、岩井俊二の原作から導き出されたプロットは、充分に理にかなった空想科学であり、そのファンタジックでもある世界観は石井竜也の創造性にとてもよくマッチしていたと思う。  まあこれからも再評価されることなんてないのだろうけれど、石井竜也、岩井俊二、浅野忠信、そして原案にはよしもとばななも携わったらしいこの作品を、「俺が好きと言わずに誰が言うのだ?」と勝手に使命を持ち続けようと思う。 
[CS・衛星(邦画)] 10点(2013-02-04 14:16:43)
64.  アイランド(2005) 《ネタバレ》 
この映画は、“超大作”というオブラートに包まれたとても“特異”な映画だ。 まさに問答無用の“エキサイティング”という言葉の怒涛のような映画であり、文句なしの超大作という肩書きに異論は無い。ただ、それと同時に、ものすごく“おぞましい”映画でもあると思う。“クローン人間の養殖”を公然と行う営利施設とその職員の存在自体に始まり、その過程での培養と洗脳、“アイランドへの招待”と称したクローンの処理……と美しい映像世界にくっきりと描き出されるあまりに強烈な“闇”。それはまさに人間自体の“闇”ではないか。逃げ出したクローン人間は、ついには、生き延びるために自分自身のオリジナルをも淘汰する。主人公のクローンらの必死の行為は“正義”として描かれるように見えて、実は違う。彼らの行為は“善”でも“悪”でもない。ただひたすらに存在しようとする“生命としての本能”だ。 そういう、人間という一生物としての、ある意味当然とも言える、美しさと表裏一体の“本性”を感じたとき、この映画の“おぞましさ”はピークに達する。 ラストの、奴隷解放になぞられたクローンたちの“解放”は、その壮大な解放感と共に、人間という生物の闇の深淵を感じさせる。  
[映画館(字幕)] 8点(2013-01-12 23:18:40)
65.  網走番外地(1965)
最新作での映画復帰で改めてその存在感が際立っている俳優「高倉健」。 そんな高倉健の映画が観たくなり、タイトルの認知はあったけど全く観たことがなかった「網走番外地」シリーズの第一作目の鑑賞に至った。  高倉健の主演映画は今まで何作か観てきたが、今作の高倉健は他の数多の作品と比べ「異色」と言えるのではないか。 いや「異色」というのはやや語弊があるかもしれない。もっと簡単な言い方をするならば、明らかに「若い」高倉健が観られる映画だと言っていい。  この映画の高倉健は、生来の優しい性根を垣間見せつつも、荒々しいまでにぶっきらぼうで、プライドが高く、若さ故の“愚かさ”を幾重にも積み重ねる。丹波哲郎じゃなくても、彼の言動に対しては思わず「大馬鹿!」と叫びたくなる。 現在に至るまでの主演映画の多くで、高倉健演じる主人公は、過去に何かしらの過ちや後悔を携えて生きている場合が多い。 そんな“彼ら”の若かりし日の姿こそ、この映画の高倉健そのものだと言われると、妙にしっくりとくる。  そんなことを考えてみると、映画俳優としてのフィルモグラフィー自体が、“高倉健”という日本が誇る俳優の“生き様”そのものに見えてくる。 長年に渡って活躍する俳優にとってフィルモグラフィーが人生の系譜であることは、ある意味当然のことかもしれない。しかし、高倉健ほどそこに人間としての厚みが備わり、現実と非現実の「境界」の見極めが困難な程にリンクしている俳優は居ないだろうと思う。  と、思わず映画の内容そっちのけで「高倉健」という俳優の存在感ばかりに目がいき、その名前を連呼せずにはいられない。 この映画は、稀代の映画俳優の「若さ」を剛胆に描きとった価値ある意欲作だ。
[DVD(邦画)] 8点(2012-11-06 00:31:37)
66.  アポロ18
17号を最後に計画終了となった筈のアポロ計画には、隠された「18号」の存在があったという導入から始まるフェイクドキュメンタリー。 そのイントロダクションは非常に興味深く、どのような映像世界が繰り広げられるのか、好奇心を駆り立てられた。  映像の精度はとても素晴らしかったと思う。 終始一貫、残された記録映像を繋ぎ合わせた風のフェイクドキュメンタリーの映像の完成度は高く、何故ここまで克明な記録映像が残されたのかという“理由付け”も含めて充分な説得力を備えていたと思う。  念願のアポロ計画に選抜され意気揚々と月面に向かう3人の宇宙飛行士が、目の当たりにする「真実」とは何なのか? その核心に向けて映画は適度な緊張感と不穏さを伴って、比較的テンポよく展開される。  と、いい塩梅のサスペンスフルな展開を楽しめてはいた。 が、結果的には得られた顛末に対して「満足」とはまでは遠く及ばなかったと言える。 端的に言ってしまえば、物語の核心におけるアイデアが少々ありきたり過ぎた。 アイデア自体がありきたりなので、そこから導き出される映像的な表現も、どこかで観たという印象の範囲を出ず、驚きが無かった。  フェイクドキュメンタリーという手法に固執するあまり、現実感と非現実感の狭間で縮こまってしまっているような印象を覚えた。 この手の展開であれば、どう転んでも最終的に「これが真実かもしれない」と思う人はいないだろうから、もっと思い切った展開に踏み込んでも良かったろうにと思う。  結果的に、特筆する程の娯楽性は得られず、追求したはずのリアリティ感も薄れてしまったことは残念。 ただしかし、試み自体はとても面白かったと思うし、低予算であろう製作費の中で映像的なクオリティーは極めて高かった。 終盤までの緊迫感はなかなかのものだったと感じるだけに、ただただ惜しかったという印象。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2012-11-05 17:37:48)
67.  アウトレイジ ビヨンド 《ネタバレ》 
冒頭から小日向文世演じる悪徳マル暴刑事が小蠅のように方々に飛び回っては、「ケジメ、ケジメ」と五月蝿い。 その描写が象徴するように、この続編作品は前作「アウトレイジ」から持ち越された「ケジメ」をひたすらに取ったり、取らされたりする映画だ。 前作において、”甘い汁”を吸った者、“煮え湯”を呑まされた者、各々が再び入り交じり、血で血を洗っていく。 その仰々しいまでの“愚かしさ”が、前作同様に極上のエンターテイメントとして画面一杯に映し出され、きっちりと締めくくられた。  非常に満足度は高い映画であることは間違いない。 それを前提にして敢えて言うならば、前作程の“アク”の強さはなかったかなと思う。  「全員悪人」と銘打たれて揃った面々が入り乱れ、一体誰がどうなるのかとストーリーの顛末自体に見通しがきかない面白さに溢れていた前作に対し、今作ではわりと予定調和的に各キャラクターに対しての“おとしまえ”がつけられていくため、ヒリヒリするような緊迫感が薄れていた。  また、前作では、ビートたけし演じる「大友」がこの映画世界の一応の主人公ではあったが、それぞれの思惑と野心を持った極道たちの群像劇色が強く、それがこの映画世界独特の面白味だったと思う。 しかし、今作では「大友」がいかにもな主人公然とした立ち位置で描かれるため、それ以外のキャラクターの印象が弱まってしまった。 同時に、その主人公自体も前作の流れを経て、表面的な荒々しさが薄れた描写が多く、狙い通りではあるだろうが全体的な迫力不足に繋がってしまっていることは否めない。  新たに登場する西田敏行ら“関西勢”は良い味を出していたけれど、"切った張った”の中心には絡んでこないので、トータル的なインパクトに欠けてしまったと思う。  と、前作とそのまま比較してしまうと、どうしても物足りなさが先行しがちな感想が出てきてしまうが、このジャンルの娯楽映画として水準を大きく超えている映画であることは言うまでもない。  五月蝿い小蠅に対して、望み通りきっちりと「ケジメ」をつけて締めくくられたラストカットに、高揚感は極まった。
[映画館(邦画)] 8点(2012-10-22 22:38:51)(良:3票)
68.  アンダルシア 女神の報復
映画の終盤、心身ともに疲弊し、化粧が薄れていくほどに顔立ちがよりシャープになり、エッジが効いた美貌が露になる黒木メイサが印象的。 彼女のルックスは、日本人女優の中ではやはり異質で、それ故になかなか雰囲気にマッチする映画に恵まれてこなかったと思う。 そんな彼女の美貌が違和感なくマッチするロケーションを実現し、映画世界に息づかせたことが、この国産娯楽映画が一定のクオリティーまで達していることを示す顕著な例だと思う。  何せ前作「アマルフィ」があまりに酷い映画だったので、それを観た殆どすべての人が、この続編の公開に対して冷笑を禁じ得なかっただろう。 明らかな“駄作”の二番煎じをして、一体誰が得するのだろうかと、この国の映画製作システムの奇妙さに辟易してしまっていた。 同じ製作スタッフに、当然同じ主演俳優、前作同様に某キー局のプロモーションの過剰さばかりが目につく“ザ・テレビ映画”としての存在感の強さ。この流れで、まさか一寸でも「面白い」と思える映画が生まれるなどとは夢にも思わなかった……。  そう、この映画、なんだか意外と「面白い」。  突き詰めていけば、前作同様に大味な展開の中に突っ込むべき「粗」は尽きない映画ではある。 けれど、そういう粗に対して目をつぶっても良いと思える程に、映画として面白い部分も充分に在る。 意味不明な程に冗長で陳腐だった前作に対して、演出的な巧さは劇的に向上していて、映画ならではの巧みさも所々で見られる。 更には冒頭に記した通り、ヒロインの美しさもきっちりと映画の中に組み込まれている。  部分的だったとしても、良いアクションシーンがあって、主人公のキャラクターにも愛着が備わって、映画的な面白味もあって、女優が美しいのならば、娯楽映画として何の問題もないじゃないかと思える。  決して「良い映画」だとは言わない。ただ間違いなく「悪い映画」ではない。 完璧な駄作からの見事な“巻き返し”。このあまりに想定外な製作陣の「成長」は、日本の映画ファンとして嬉しく、賞賛に値する。  このクオリティーをキープし超えていけるのならば、シリーズ化も大いに結構!
[DVD(邦画)] 6点(2012-10-15 23:53:13)(良:1票)
69.  アベンジャーズ(2012)
もし、この映画を自分の意志で観に行って「つまんねー」なんて言う人が居たならば、そんな人はもう映画なんて観なくていいのにと思ってしまう。 こんなにも幸福な“THE MATSURI”映画を心行くまで楽しめないなんて、そんな不幸なことはない。  冒頭怒濤のドタバタから自分の口元は“ニヤリ”と緩みっぱなしで、結局最後まで嬉しそうにニヤニヤしながらスクリーンに食いついていた。 ストーリーが薄いとか、辻褄が合わないとか、滅茶苦茶だとか、そんなことは本当にどうでもいい。 爆音と爆発、音と光の「娯楽」のみで最初から最後まで押し通したこの映画の在り方は極めて正しく、「エライ!」と思った。  様々な世界観に息づくヒーローが一堂に会する明らかに「雑多」な映画が、これほどまで娯楽映画としてバランスよく仕上がっているとは思わなかった。 「大味」であることはそもそも覚悟して、たとえ中だるみや陳腐さがあったとしても許容する用意はしていたのだけれど、そういう部分が驚くほどに無かった。 無意識に「見て見ぬふり」をしているだけかもしれないが、観客にそうさせることが見事だと思う。  「ヒーロー大集合」とはいえ、結局はトニー・スタークが活躍の大部分を占める「アイアンマン2.5」的なスタンスなのかと思っていた。 実際良いところはやはり彼が持っていくのだけれど、それぞれのキャラクターも充分に持ち味を見せてくれ、非常に魅力的な「群像活劇」に仕上がっている。  超人たちの中で明らかに場違いに見える“生身の人間”である“ブラック・ウィドウ”と“ホークアイ”は、仰々しく雑多になり過ぎて不足しがちな“ドラマ”部分を担当しつつ、時に超人たちを押しのけるほどの大立ち回りを見せる。 スカーレット・ヨハンソンとジェレミー・レナーの“肉弾戦”なんて、この映画でなければ決して見られまい。  そして、主要キャストの中では明らかに地味なキャスティングとなった性格俳優のマーク・ラファロ演じる“ハルク”が、強烈な二面性と神をも振り回す“最強”ぶりで、見事な“オチ”をつける。  このキャラクターやキャストの関係性も含めた絶妙なバランスの良さが、想定外の完成度と爽快感を生み出していると思う。  いやあ満足、素晴らしい。この“祭り”にはまた参加したい。  エンドロール後のシークエンスに、“祭りのあと”の寂しさを感じつつも大笑いして、殊更にそう思った。
[映画館(字幕)] 9点(2012-10-13 00:09:31)(良:1票)
70.  愛のむきだし 《ネタバレ》 
いやあ、困った映画だ……。 というのが、鑑賞直後の率直な感想。“何”を重要視するかで、褒めちぎることも出来るし、どこまでも蔑むことも出来る。そういう映画だった。  タイトルが示す通り、「愛」そのもののあまりに無防備な“むきだし”の様を延々4時間見せ続ける。 それだけで、一言「凄い」と言えばその通りで、他のあらゆる映画とも似通わない“天上天下唯我独尊”的映画だと言っていい。そのオリジナリティと絶大なエネルギーは、もちろん賞賛に値すると思う。  しかし、観賞後しばらく時間が経過して、個人的には拭いされない「違和感」が先行していることに気付いた。 人間の本質的な雑多さと下世話な様に満ち溢れた映画であることは間違いない。 過剰な“エログロ”描写が、鑑賞者の好き嫌いを大別することも明らかだろう。 ただ自分が感じた「違和感」は、そういう部分のことではなかった。  端的に言えば、「宗教観」だと思う。 難しく微妙な宗教描写にも、この映画は堂々と土足で踏み込んでいく。僕は無信仰なので、それらの描写もこの映画のエネルギッシュな娯楽要素として受け入れることはできた。 しかし、よくよく考えれば、この映画の宗教描写はあまりに乱暴過ぎるのではないかと思った。  主人公は、明らかに怪しい新興宗教に陥っていくヒロインに対して、「あの新興宗教でなければ、他のどの宗教を信じてもいい」というようなことを言う。 無信仰な者の台詞であれば、べつに違和感はない。しかし、主人公が生まれた時から敬虔なクリスチャンの家庭で育った人間であることを踏まえると、ちょっとあり得ない台詞なんじゃないかと思う。  そして、この映画では、信仰の深い人間が徹底的に危うく脆い者として描かれる。 「宗教」がテーマの核心に存在しているが、この映画はどこかで、信仰を軽蔑しているように見えて仕方がなかった。  そういう“立ち位置”を今作に感じてしまうと、みっちりとエグい描写が羅列する程に、致命的な軽薄さが垣間見えてしまった。  ただし、このあまりに特異な映画世界に息づく演技者たちはすべて素晴らしい。 特に物語的な主人公と言っていい“3人”が凄い。 西島隆弘、満島ひかり、そして安藤サクラ、この若い3人の俳優が凄まじい存在感を全編に渡り放ち続けていた。  さて、結局面白かったのか、面白くなかったのかどっちなのだろう。 ああ、困った……。
[DVD(邦画)] 6点(2012-09-19 23:20:47)
71.  アメイジング・スパイダーマン
恋をした同級生の男子が“スパイダーマン”であることを知り、その背中を見送るヒロインは一言「ああ困った」と呟く。 その彼女のテンションは、スーパーヒーローを好きになってしまったという極端な動揺ではなく、警察官の娘なのに街のちょっとした問題児を好きになってしまって「ああ困った」というような、ハイティーンの普遍的な動揺として表現される。 このシーンによって、この映画のスタンスは、つまるところ若い男女の恋模様を主軸とした青春ドラマであり、それ以上でもそれ以下でもないということを宣言していると思えた。  アメコミヒーロー映画としての“エンターテイメント性”という部分において、及第点を越えていることは間違いない。しかし、サム・ライミ版の第一作目と比べると、すべての娯楽性の部分において衝撃度は劣る。 でもだからと言って面白くなかったかと言うと決してそんなことはなく、ヒーロー映画云々以前に映画として素直に面白かったと言える。 そしてその面白さこそが、冒頭に記したこの映画のスタンスに尽きると思う。  膨大なアクションシーンのボリュームの力技で貫くのでもなく、はたまたライミ版の「スパイダーマン」や「ダークナイト」の如くヒーローの内面的な葛藤に対してディープに踏み込んでいくわけでもない。 悪漢に制裁を与えるシーンで軽妙な振る舞いをしてみたり、一旦恋に落ちれば“秘密”や“約束”なんてないがしろにしてみたり、良い部分でもあり悪い部分でもあるそういったハイティーンの“軽さ”と“若々しさ”それに伴うポップさこそが、この映画におけるエンターテイメントそのものとして存在している。 まさにそれこそが「(500)日のサマー」のマーク・ウェブが今作を監督をした価値だったろうと思う。  どういう捉え方をするかによって、観賞後の満足感は大いに左右するだろう映画であることは確かだと思う。 単純に比較するべきではないかもしれないが、サム・ライミ版と比べて映画のテンションからキャスティングに至るまでどちらが「スパイダーマン」という素材に相応しいかと問われれば、ライミ版に優位性があることは間違いない。  でも、個人的には、主人公とヒロインが誰もいない学校の廊下でデート(じみた何か)の約束をするという、アメコミヒーロー的な側面には何も関係ないシーンに心を掴まれてしまった時点で、この映画を揶揄する気は毛頭無くなってしまった。
[映画館(字幕)] 8点(2012-07-02 16:32:55)(良:3票)
72.  アドレナリン(2006)
何か知らんが、アドレナリンを出し続けなければ心臓が停止するという毒薬を注入された男が、己の生命と復讐をかけ、他人の命と迷惑なんて顧みず街中を走り回るという映画。 馬鹿馬鹿しいにも程があると言わざるを得ないストーリーだが、それでもかろうじてエンターテイメントとして成立させている。 そして、この馬鹿馬鹿しさをまかり通せるのは、今はこの男しかいないだろう。  ジェイソン・ステイサムが、表現通りに“アドレナリン分泌しっ放し”の主人公を、“いつも通り”の存在感で体現してみせる。この映画のエンターテイメント性は、もうその存在感に頼りっぱなしと言っていい。  90%以上は「くだらない」と一笑に付してしまって良い映画だが、困ったことに主演俳優の存在性を盾にして、どうしたって印象に残ってしまうシーンが所々で映し出され、時に大笑いしてしまい、時にウルッときてしまうものだから、尚更始末が悪い。  公然○○○シーンや、まさかのラストシーンでの愛の告白からの衝撃のラストカット。 本当にこの映画を作った方々の頭はどうかしてしまってるんじゃないかと思ってしまう。主演俳優も含めて……。  そしてッ、このラストで続編があるってんだから、いよいよどうかしてるぜ!
[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-06-10 18:50:16)(良:1票)
73.  相棒 -劇場版Ⅱ- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜 《ネタバレ》 
警視庁内で使用されているPCが全て“Mac”であるという美術設定に対して「何てリアリティが無いんだ!」と、Macユーザーである僕はまず思ってしまった。 その一方で、何とも言えない後味の悪さには、警察組織内部の闇を描いたストーリー展開に相応しいリアルさを感じてしまい、“リアリティ”のバランスが非常にちぐはぐな映画であることは間違いないと思った。  警察組織の巨悪とそれにまつわる陰謀が、殆ど一人二人の裁量でどうにでも転んでしまう顛末には失笑を禁じ得なかった。 しかし、ストーリーに秘められた個々人の思いや行動原理には整合性があり、その部分がこの映画の娯楽レベルを一定の水準まで引き上げているのだろうと思う。  サブタイトルが示す通り、物語はほとんど警視庁内部で展開され、劇場版前作に比べ圧倒的に派手さは無いが、サスペンスとしての密度は今作の方が随分と高く、実に「相棒」らしい世界観が反映されていると思えた。  “衝撃”とされるラストの顛末については、「相棒」というシリーズそのものがこの映画で締めくくられるとういことであれば、それ相応の重みが加味されていたと思う。 だが、周知の通りこの映画の直後に至ってもテレビシリーズは繰り広げ続けられており、今なお完全終焉の気配はない。 であるならば、このラストは、「相棒」という世界観の人間模様において、あまりに勿体ないことをしていると言わざるを得ない。  ご冥福をお祈り致します……と、ついつい言いたくなる。
[地上波(邦画)] 6点(2012-05-31 13:57:02)
74.  ある戦慄
日曜深夜の都会の地下鉄、自身の人生に対して様々な不満や不安や葛藤を抱えた人々が偶然に乗り合わせる。それはどこにでもある日常の風景だろう。 そこに、単純な「粗暴」という言葉ではおさまらない、気が違っているとしか言いようがないチンピラ二人組が乗り込んできて、乗客たちそれぞれに傍若無人な行為を繰り返していく。 その行為は、「暴力」という範疇までには及ばないけれど、あまりに悪辣で乗客たちを精神的に追い込む。  最初のうちはチンピラたちの蛮行そのものに対して憤りを感じ、気分が悪くなる。しかし、次第に気分の悪さの対象が遷移し始める。 チンピラたちの行為に被害を被る乗客たちの生々しい人間性が露になってきて、気を滅入らせてくる。  この映画は1960年代のニューヨークを舞台にしているが、この地下鉄の一車両で描かれているものは、どの時代のどの国のどの街でも存在し得るであろう人間同士の歪みである。 その場に居合わせているのがごく普通の人間だからこそ、少しずつ表面化していく“戦慄”があまりにおぞましい。  「どこにいたんだ?」 退役後の大層な野心を述べていたにも関わらず、地下鉄車内に突如発生した「出来事(incident)」に対して結局何もしなかった同僚に対して、チンピラに唯一立ち向かった田舎者の軍人が、虫の息でぽつりと言う。  他の乗客たちは、すべてが解決した後も死人のように呆然と押し黙ったまま、とぼとぼと地下鉄を降りていく。 “戦慄”とは、突然現れた悪魔のようなチンピラたちなどではなく、彼らによって浮かび上がらされたすべての人間に巣食う屈折した心理そのものであること知らしめ、彼らと同様に自分自身があの車両に同席していたならと考えると、絶妙な後味の悪さに襲われる。  とても胸糞が悪くなる映画だった。その胸糞の悪さは、そのまま自分を含めこの映画を観ているすべての人間たちが内包している要素であり、そのことが殊更に胸糞悪さを助長する。 観ているままに居心地の悪さを終始感じ続けなければならない映画だが、それは人間の“澱み”や“歪み”を如実に表している証明であろう。故に傑作であることは間違いない。
[DVD(字幕)] 8点(2012-05-13 23:36:00)(良:1票)
75.  暗戦/デッドエンド
何とも言えない後味を残す香港映画だった。 突っ込みどころは多く、ところどころチープに感じる描写も目につく。でも、エンドロールが過ぎ去って「終劇」の大文字が掲げられた頃には、不思議な印象深さと愛着を伴っていることに気付いた。  冒頭、アンディ・ラウ演じる余命宣告された謎の男が、物憂げに何やら企てている。 まず、その余命宣告のシーンがあまりにあっさりしていてただの“診察”にしか見えないことが、何ともチープで掴みきれない。 男が一体何者なのかも判別つかぬまま、ストーリーは突き進み、敏腕刑事との「ゲーム開始」となる。 もう一人の主人公と言えるこの刑事のキャラクターがこれまた掴みきれない。顔つきからして、シリアスなのかコメディアンなのか特定できない。 どうやら元特殊部隊出身で、今は「交渉人」を担当しているらしい。どんなキャリアだよ!と思ってしまう。  一つ言えることは、この主人公二人のキャラクターは掴みきれないままなのだけれど、いつの間にか両者とも好きになってしまうということだ。 とにかく気がつけば、彼らの言動に目が離せなくなっていた。  そうしてストーリーは、二人の男の知能戦&心理戦がいつの間にか繰り広げられ、いつしか互いの立場を超えた男同士の「友情」が、強引だけれど妙に叙情的な雰囲気の中で描き出される。  こう書くといかにも陳腐な話のように聞こえ、実際そうであることを否定はできない。 しかし、「面白くない」とはどうしても言い切れず、むしろ、もしかしてめちゃくちゃ良い映画なんじゃないかと思えてくる。  もしも、場末のミニシアターなんかで観ていたならば、もっと印象強い映画体験に成っていたかもしれないとも思う。  ジョニー・トーの映画はまだ二作品しか観ていないが、どうやら一筋縄ではいかない映画監督であることは間違いないらしい。
[DVD(字幕)] 7点(2012-05-03 01:37:49)(良:1票)
76.  アウトレイジ(2010)
タランティーノばりに馬鹿馬鹿しい映画だなと思った。勿論褒めている。 ヤクザが雁首付き合って罵り合い、殺し合い、血みどろになる。ただそれだけの映画だと言って良い。 それだけで面白いのだから良いのだと、映画作品そのものが堂々と居直っているように見えた。  “タランティーノばり”と言ったが、この映画が彼の映画を模倣しているという意味ではもちろんない。 それはむしろ逆で、映画オタクであるクエンティン・タランティーノが愛し憧れた日本映画の姿が、この映画に久方ぶりに現れたと言った方が正しい。 つまりは、世界中の映画ファンが“観たい日本映画”とは、体裁ばかりに無駄に大金を投じて中身がスカスカの恋愛映画やSF映画などではなく、“切った張った”の血みどろ映画であるということに他ならない。 この映画は、「ヤクザ映画」というかつて日本の娯楽映画のメインストリームに確かに存在し、日本が世界に対して、アニメ映画と怪獣映画以外で勝負し得た確固たるエンターテイメントの“再構築”だと思う。  「全員悪人」というか、「全員愚か者」と断言できるキャラクターを、そうそうたる俳優陣がそれぞれ抜群の存在感をもって演じている。 彼らのパフォーマンスは皆過剰なまでに仰々しく、決して今の時代において「リアル」なんてことは言えない。 ただその演出は間違いなく正しく、非現実感も含めこれこそが「ヤクザ映画」におけるエンターテイメントだということを高らかに宣言しているようだった。 そういう明確な意志を持って、総愚か者を演じたキャスト全員が素晴らしかったと思う。 また鈴木慶一によるスタイリッシュだがどこか冷酷なまでの軽薄さを感じる音楽も良かった。  それらすべてを導き出した北野武という映画監督は、やはり映画に愛されているのだなと感じた。昨今、ありとあらゆるお笑い芸人がこぞって映画監督に“腰掛けている”が、彼らとは映画に対するスタンスから何から総てにおいて明らかに次元が違うということを改めて思い知った。  “こういう映画”として殆ど文句のつけようは無い。が、敢えて言わせてもらうならば、 椎名桔平の最期酷過ぎるよ、バカヤロー!コノヤロー!続編も期待大だよ、コノヤロー!
[DVD(邦画)] 9点(2012-05-01 00:02:13)(良:5票)
77.  アンノウン(2011) 《ネタバレ》 
殆ど予備知識無く鑑賞を始めたので、冒頭から滲み出ているサスペンスフルな空気感にすんなりと引き込まれ、二転三転する展開を堪能しながら最後まで楽しむことが出来たことは間違いない。 サスペンスアクションとして、サスペンスの緊張感とアクションの高揚感がバランス良く配置されており、鑑賞直後の満足感は当初の想定よりも随分と高かったと言える。  ただし、観賞後数分間でちょっと振り返ってみると、粗という粗がポロポロと出てきてしまうことは否めない。  よく考えると映画全編に渡って言えることだが、「実は一流の○○○」だったというには、そもそもの言動がずさん過ぎて陳腐だ。 まず目的のために徹底した偽りを謀るとはいえ、目的地への移動中に至るまでその偽りを貫く必要があるのだろうか。これは明らかに観客を欺くためだけの演出であり、人間描写上の必要性はないと思う。 そんでもって、空港のタクシー乗り場で最も重要な鞄を置き忘れるって、どんだけうっかり屋さんなんだという話だ。これも結局、ストーリーとしての一つの目的を設置するためだけの設定であり、極めて安直だ。 他にも、一流ならば乗り込んだ先の言語で世間話くらいは出来るようにしとけよ!とか、ふいの自動車事故とはいえ簡単に気を失い過ぎだろ!咄嗟に飛び降りるとかそれくらいしようよ!とか一流の組織のメンバーのくせいに素人の女の子にやられてどうすんだ!とかとか……、一度突っ込み出したら止まらなくなってきそうだが、とにかくよくよく考えると用意されていたオチに対して整合性が無さ過ぎる要素に溢れてしまっている。  ストーリーのアイデア自体は、オリジナリティが高いとは言い難いけれども充分に面白味に長けている。それが興味を最後まで持続させる最大の要因だとも思う。 しかし、このアイデアであれば、ラストの顛末でもっとどぎつく踏み込むことができたなら、数多の粗を振り切って余りある映画に仕上がっていたかもしれないなと思う。リーアム・ニーソンのクライマックスの表情は観る者を惑わせる緊張感が含まれていて良かったけれど……。  まあそこまで完璧なクオリティーを求めるべき類いの映画ではないと思うし、観ている間と観終わった瞬間に満足していたならそれで充分だと思う。  と同時に、画面から溢れ出る上質な色調と巧い俳優陣の演技によって、もの凄く質の高い映画に“見えるだけ”に、やはり残念に思う。
[DVD(字幕)] 6点(2012-04-15 19:19:23)(良:2票)
78.  アーティスト
この映画を観終えて最も興味深かったことは、圧倒的に“古めかしい”モノクロ&サイレントという表現方法を用いながら、明らかな“新しさ”を感じたことだった。  それは、「無声映画」が遠い昔の映画の在り方だということの認識は充分にあっても、実際は、チャップリンらの作品のダイジェスト的な映像をかろうじて見かじったことがある程度で、自分自身の映画体験として備わっていないということに他ならない。  だから、最低限に表示される台詞だけで充分にストーリーと登場人物の感情が伝わるということや、特別な映像合成を用いなくてもハッと驚くシーンが見せられるということに、新たな発見をもって素直に感動することが出来たのだと思う。 そして、それらこそが映画が持ち得る“マジック”なのだということを思い知った。  観賞後、あのシーンが良かったな、あのシーンが好きだな……と、各シーンが印象深く思い出される。それはこの映画が、あまりに基本的ではあるけれど、揺るがない数々の映画のマジックに対して、尊敬の念を込め再表現しているからだ。  昨今の映画に比べ、人物描写があまりに単純で都合良く見えなくもない。ただ、だからこそシンプルに伝わってくる主人公らの純粋な思いこそが、この映画が最も伝えたかったことなのではないかと思える。  懐古主義ということを否定は出来ない。アカデミー賞を獲得したのも、高齢化が進むアカデミー会員の懐かしみの感情をピンポイントで刺激したことは大きな勝因だろう。 しかし、当然ながら今作は、“トーキー”という技法がないから“サイレント”になっているわけではない。 最新の3D技術に至るまでのありとあらゆる映画技法の中から、敢えて“サイレント”というものを選んだに過ぎない。(実際、今作が完全に「無声映画」かと言えばそうではないわけで)  映画表現という概念が、何よりも「自由」を尊重する以上、新しかろうがはたまた古かろうが、どのような表現方法を用いてもそれはまったく構わないことは言うまでもない。 この映画は、懐古主義でありつつ、温故知新により映画の表現方法をまた一つ広げたとも言え、やはり新しい時代に描かれるべき映画だったのだろうと思う。  主演俳優の声にならない慟哭に胸を打たれ、幸福感溢れるタップダンスに心躍る。 映画を楽しむということはこういうことなのだということを、この“無口”な映画は雄弁に語っている。
[映画館(字幕)] 8点(2012-04-08 11:11:11)
79.  アジョシ
過去に訳ありの殺人術に長けた男が、孤独な少女と出会い、彼女を救い出すために決死の闘いに挑む……。 プロットそのものはあまりにありふれており、同様の作品は世界各国で量産されている。 そしてタイトルは“アジョシ(=おじさん)”。飾り気の無いそのタイトルは、食傷感を助長するには充分だったと言える。 韓国映画の全体的なクオリティーの高さは認めつつも、価値観の相違による居心地の悪さから若干の苦手意識もないことはない自分としては、某ラジオ番組で絶賛されていなければ、きっと見向きもしなかったろう。  結論としては、“食わず嫌い”をしなくて本当に良かった。この映画をこの“タイミング”で観なかった場合の損失はあまりに大きかったことだろうと思う。  “タイミング”という表現の意味の対象は、主演のウォンビンに他ならない。 今この時期のウォンビンという俳優の「凄さ」と「可能性」を知っているかそうでないかでは、今後の韓国映画に対する捉え方が大いに変わってくると思う。 即ち、今後彼の出演作は漏れなく注目していかなければならないということだ。 そう言ってしまって過言ではない程、前出演作「母なる証明」に続き、この美形俳優の存在感が半端なかった。 異性が求める「男性」の魅力の究極の様を同性でありながら強烈に感じずにはいられない。 その元来生まれ持った天性の美貌を更に高め爆発させるように、俳優としての存在感が際立ってきている。  孤独を深めていた男が徐々に怒りを爆発させていく。 その鬼神の如き様は、戦慄を覚えると同時に、自らに対する何かしらの“救い”を求めもがいているようにも見え、激しく感情を揺さぶられた。 鮮烈なバイオレンス描写の中に、これ程までセンシティブな情感を映し出した映画は中々ないと思う。  その総てを己の身体一つで表現している主演俳優の素晴らしさ。そして、彼の存在に説得力を与え、より際立たせている映画構成の巧みさに感嘆する。 ウォンビンの惚れ惚れするような体躯と同様に絞り込まれたタイトな演出と、端役に至るまでしっかりとキャラ立てがされている人物描写の上手さが、ありきたりなプロットの上に成り立つ映画を唯一無二の高みへと磨き上げていた。  こういう映画を長編第二作目の新鋭監督が鮮やかに作り上げてしまう隣国の映画制作のレベルの高さに、毎度のことながら驚き、ついつい羨望の眼差しを送ってしまう。
[DVD(字幕)] 9点(2012-03-02 00:03:16)
80.  アンストッパブル
鉄道職員の怠慢によって発生した暴走列車を同じく鉄道職員の機関士二人が決死の覚悟で止めるというお話。 実話を元にしているとはいえ、娯楽大作としてはいささか地味過ぎるのではないかと思ったが、それが存分に堪能出来るエンターテイメントへと昇華されている。 さすが米娯楽映画界の職人トニー・スコット、ちょっと見くびれない。  実際、イントロダクションのままのお話であり、想定外の驚きは何もないと言っていい。 しかし、やはり一つ一つのシーンの見せ方が巧く、展開のテンポも非常に良いので、観ていて決してダレないしどんどんと映画が醸し出す緊張感の中にのめり込ませてくれる。  主演のデンゼル・ワシントンは、何と同監督作品の主演が今作で5作目ということで、ある意味余裕の存在感を見せてくれており、気難しくも人徳のあるベテラン機関士を好演している。  誰しもが充分分かりきっていることだろうとは思うが、この映画は観賞後にとくとくと考え込むような映画ではない。そんな余地は無い。 作品の尺の長さの時間分だけ、主人公の機関士らを見守る脇役同様に、彼らの活躍をドキドキハラハラしながら見守り、最後に「イエーイ!」となればそれだけで充分な映画である。 
[DVD(字幕)] 7点(2012-02-26 02:29:43)
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