Menu
 > レビュワー
 > 王の七つの森 さんの口コミ一覧
王の七つの森さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 188
性別 男性
自己紹介 ・・・・最初に投稿してから4年近くたとうとしています。
これからも、細々とでも投稿してゆきたいと思っています。

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1
投稿日付順1
変更日付順1
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  学校
ここに通っている人達は、身につけたい知識や能力という点では、公的な機関が開く生涯教育の講座に通っても目的は達せられるわけで、「学校」である必要はありません。・・・・例えば焼肉店のおばさん。立派な社会人です。字を習得したいなら、それを目的とした生涯教育講座でよく、学校に通う必要はないように思われます。・・・・それでもなおかつ、ここに通うような人達は、「学校」を卒業したいと考えるし、また映画として撮る側も「学校」でなければならないと思うのでしょう。そして見る側も同じように、彼らは「学校」に通う必要があると感じる可能性が高い。・・・・・それほどまでに「学校」は私たちの価値意識、考え方、感じ方を支配している。・・・・そうした「学校」の持つ、抑圧的な側面を全く考慮せず、牧歌的に、のほほんと「学校」を描くことができる愚直さは、山田監督ならではなのでしょう。・・・・・田島先生//「あなたには半分日本人の血が流れているのよ」といっていますが、両親が外国籍で、日本で生まれ育ち日本語しか話せない子が生徒なら、彼女はなんと語るのだろう。・・・・みんなで楽しく給食を食べて、修学旅行にでかけて、体育で汗を流して、休日に遊びにでかけてなど、楽しい「学校」の思いでを共有して云々、という文科省=権力が、やさしく語りかけるような「学校」でした。・・・・・やはり私は山田映画はどうも性に合いません。
[DVD(邦画)] 4点(2008-01-07 00:15:57)
2.  カポーティ 《ネタバレ》 
絵は綺麗です。音楽も静かなピアノが絵とマッチして素敵です。主演男優賞の演技も見事です。・・・・・ただ、『冷血』についてのある程度の予備情報がないと、特に最初の部分の断片的な展開など、理解に苦しむと思われます。・・・・・更に、この映画は、何について表現したかったのだろうか、と見終えて、思いました。カポーティが事件に接したアンヴィバレントな態度なのだろうか。(→犯人に示した共鳴敵部分と、作品完成のために犯人の処刑を待つような部分との矛盾など)・・・・例えば「アラバマ物語」に対してカポーティが示す無関心は、彼がヒューマニストで無いことをアピールしています。・・・・だけど、猟奇的な事件だから取材を開始した最初から、そんなこと自明なことではないだろうか。・・・・・僕は、カポーティは、事件と深く関わるうちに、想像から仮設されるフィクションよりも、現実の出来事の方が圧倒的に劇的であることに心を奪われていったのではないかと思う。そして作品を完成させた後、これよりも劇的な作品をどうやって創作できるかに腐心し、もがいていったのではないかと思う。だとすると、処刑直前の犯人と面接するカポーティはああいう乱れ方にはならないんじゃないの、と思うし、処刑に立ち会ったカポーティは、そのある種の劇的さにエクスタシーを感じたに違いないと思う。・・・・・処刑直前の犯人たちの演技が、表情とか平板でした。
[DVD(字幕)] 8点(2007-10-14 10:11:26)
3.  勝手にしやがれ 《ネタバレ》 
ああ、これを10代の後半にみていれば、もっと口説き上手になれたでしょう。しかし実際に私がそのころに見たフランス映画といえば「リラの門」とかで、その中のジュジュに大人の男なんかを見てしまったのです。、、、、、、それはそうとして、ゴダールが意図したように私たちには見えないのは当然のことです。たとえば、さかんにパリの街の風景が描かれていますが、ゴダールにとってそうした風景は日常であり、ある意味では単調な退屈さ、平板さを表現していたかもしれませんが、私たち異国の人間にはそのようには感じられるはずもありません。、、、、またベルモンドが牛乳を飲むシーンも、私たちはショーケンの牛乳のイメージを通して見てしまうとしたら、それは明らかにゴダールの目線ではないでしょう。、、、、、再び強調すれば、私たちは決してゴダールの視点からこの映画を見ることはできないはずです。私たちは、私たちの視点からこの映画を見て、評価を下すしかありません。、、、、、、、というとき、私は、次の点で感動しました。1. この時代のフランスの時代の記録として。2. ヨーロッパの若者たちの伝統や因襲に対しての抵抗の記録として、3. 伝統を打破しようという生き生きとした映像として。4. もしかしてフランス人は、いつもセックスのことしか考えていないのではないか、という驚きとして。、、、、、、、残った疑問は、唇を指でぬぐうのは何のサインなのだろう、ということ。そして、前編言葉で満ちていましたが、実は、この映画について言葉で語ることは非常に難しいと感じました。映像は映像を通じてしか語れないのだということを実感させてくれた作品としても私はこの作品を高く評価したいと思います。
[DVD(字幕)] 10点(2006-02-15 21:53:16)
4.  隠し剣 鬼の爪 《ネタバレ》 
あまりに想像力が豊かな作品というのは、僕たちの日常をあまりに超越していて、理解できなかったり、不快感を催したりするものです。もちろん、あまりの駄作も、同様の効果を生みます。、、、、、さて、僕は、この映画を見て、かなりの不快感と、理解できねぇ、という印象を持ったのですが、超傑作、駄作のどっちなんでしょう。とりあえず、駄作だという立場を選んでみることとします。、、、、、、まず、だらだらして、で、何が表現したかったのかわかりません。永瀬に「人を殺すのは怖いんだ」といわせ、軍事教練を見せて、戦争と平和のコントラストを描きたかったのだろうか、、、、。それともかつての身分制社会を批判的に捉え、平等な人間関係を讃えたかったのだろうか。それとも、友情や武士道みたいなのを描きたかったのだろうか、あるいは、必殺仕掛け人的な隠し剣??、、、、、いずれにしても全てが中途半端。永瀬が小沢に対してどうして友情的な感情を抱いていたのかが全く描かれていないし、そもそも小沢がどういう人物なのかもわからないし、あるいはどうして小沢が江戸で処刑されず護送されたのかも不明だし、江戸の末期に謀反って一体何のことかも不明だし、永瀬が家老を殺害する動機も十分とは思えないし、新型銃を使うなら永瀬が出かけてゆく理由がないではないかと思うし、、、、数えたらきりがありません。、、、そして最後が決定的に酷い。松が「これは命令ですか」と問うたのに対して、せめて、「もうそういう時代ではないのだ」くらいのニュアンスの言葉を語らせてくれ。永瀬が「そうだ命令だ」というとき、二人の身分関係は固定したままではないか。もちろん、それをややアイロニーを含んだ愛情表現と解することもできるけれど、そんな微妙な筋の展開だったとは思えない。、、、、、要するに、松竹は「たそがれ」二番煎じで儲けられると考え、山田監督は、再度アカデミーにチャレンジくらいの積もりだったのだろう。、、、、山田監督は武士という支配階級を主人公にした時代劇には向いていないと思う。もし山田的時代劇を撮りたいなら、せめて渡世人とか農民を主人公にすべきだ。
[DVD(字幕)] 3点(2005-12-07 09:47:51)
5.  ガープの世界
どんな意見の違いや、感情の行き違いがあっても、また裏切られた、許せないと思っても、他者を認め、許しなさい、、、、なぜなら、私たちは、みな死すべき存在であって、その死と較べたら、そんな差異は、あまりにとるに足らないものだから。、、、、、、そういうお話だと思いました。、、、、、、一番記憶に残っているセリフは、ピアノに向かうヘレンがいう、「傷ついているのはあなただけじゃない。」、、、、ありふれた言葉だけど、これを忘れないようにしたら、毎日の生活が、もう少し楽しくなるかもしれない。
9点(2005-02-26 16:34:48)
6.  カリスマ
最初の1/3は意味不明でしたが、そこからは、けっこう面白く見ることができました。、、、でも日本の映画が、みんなこんな映画になったら、映画は博物館とか国立劇場とかで、能や歌舞伎を見るみたいになっちゃいますね。、、、、だから監督も、たまに、好きなようにこういう映画を撮るのはいいけど、いつもこんな映画撮っていたら、それこそ自分の首を絞めるようなもので、莫迦のそしりをまぬかれないでしょう。、、、、、多くの人が、低い点数をつけるのは当然のことだと思います。、、、、、、とはいいつつも、最初にも書いたとおり、そこそこ自分的には楽しめました。、、、、、最後のシーンなんて、殆どツァラトゥストラが山から降りてゆくところみたいで、大風呂敷、そのくせ子連れ狼風のシルエットなので、笑っちゃいました。、、、、、車のフロントグラスを写すシーンが三度ほどありましたが、映画全体の構図を象徴しているように思えました。二人の顔に意識を集中するとグラスに映った木々と空が消え、木々と空に集中すると人の顔が消え、、、、、、要するに、図と地の関係です。カリスマという木をめぐる対立も同じ。カリスマを生かそうとする側、殺そうとする側、どちらが狂気でどちらが正気なのかわからない。片方を狂気とすれば、片方は正気となり、逆もまた真実。その辺はフーコーとかを思い出せば良いわけです。、、、そこで役所広司は、「両方を生かす道はないのかなぁ」と問う。、、、、だが、両方を生かすということは、どちらかを狂気と決めつけて回転している日常を破壊する力を秘めている。あるいはそれは聖なるものを復活させることを意味する。(カリスマという言葉自体、聖なるものとの連関を予想させます)、、、その力を秘めた役所広司は、最後に山を降り、下界に向かい、人々を解放する。、、、、、とか解釈しましたが、どうでしょう。、、、、、まあ、こういう映画は、好きに解釈して楽しめばいいのです。(どんな映画もそうかもしれませんが、、、、)
8点(2005-01-30 23:36:48)
7.  火山高
酒を五合とちょっと飲んでから、ぼっーと見ていたので、あんまり記憶が定かではないのですが、陰陽師Ⅱと比較しつつ、思ったことを書いてみます。、、、、陰陽師Ⅱ、、、見どころがないなぁと思いつつ、見ていて、市原君の「えーん、えーん、鬼になりたくないよぉ」というところで、合点がいきました。3,4歳で初舞台を踏んだ歌舞伎役者の子供のような言葉、「えーん、えーん。」 仮に市原君が小学生程度の思考力がないとしても、これじゃ駄目だというくらいは分かるでしょうし、監督だって、だめだしをするはずです。、、、、要するに、みんなやる気がないのです。あるいはこんなホンと企画で、マジになって演じたらかっこ悪いと、監督も、中井さんも思っているのです。、、、だから、ひどい映画だって酷評されても、関係者はだーれもこたえないはずです。「あたりまえじゃん、てきとーにやってんだから。こんなんでマジになるやつはバカだよ。」、、、、、、そこが、火山高、そして韓国映画と日本の映画の大きな違いではないかと思います。確かに、火山高もどこかで見たようなものばっかりで、想像力の豊かさを感じることはできません。しかし、陰陽師Ⅱに決定的に欠けていたもの、つまり「やるき」が感じられるのです。くだらない話しだけど、与えられた仕事は全力であたらねばならないという職業倫理から生まれる熱気が、この火山高という映画には満ちているように思いました。(良いのはそこだけだけど、大事なことですよね)
5点(2004-10-05 09:19:37)(良:1票)
8.  カルメン故郷に帰る
幾つかの点で、歴史的資料として朽ちることのない価値を持つ作品だと思います。、、、、、まず、廃線になって久しい草軽鉄道が人々の生活の中にとけ込んでいた姿を見ることができることは、鉄道ファンならずとも、好奇心をそそられることでしょう。今となっては、軽井沢から草津まで、鉄道が通っていたということはちょっと想像しにくいからです。、、、、、、第二に、軽井沢周辺、そしてそこからの浅間山の景観です。三笠から北軽井沢は、今は落葉松などが鬱蒼とし、浅間山の勇姿も木立の隙間からのぞかれる程度ですが、この映画を見ると、その周辺は開けた感じですし、浅間も存在感を示しています。有島武郎や堀辰雄が、その終焉の際に見た光景は、この映画に見る景色に近かったのだろうと思うと、想像力が刺激されます。、、、、、、、第三に、戦後すぐの雰囲気が生き生きと描写されている点です。小学校が地方の文化的、公的中心をなしていたこと、文化という言葉が流行語であったこと、オルガンが貴重なものであったことなどなどが、へえっ~という感じで伝わります、、、、、、。そして第四に、この映画が、最初のカラー映画であったこと。、、、、、、もちろん、それもこれも、高峰秀子、笠智衆、佐野周二、佐田啓二などが、昔っぽくても、しっかりとした演技をしているからこそです。
7点(2004-07-15 16:48:17)
9.  風の谷のナウシカ
ずっと好きな映画でしたし、90年代半ばまで、自室の壁にはナウシカのピンナップをはっていました。------夏、クーラーのガンガンきいた部屋で、高電力消費・大画面テレビで、ナウシカを見る、、、、????、、、最近は、問題の解決は、こういう強さではなく、もう少し別の方にあるのではないか、などとふと思います。 
8点(2004-06-17 12:46:30)
010.53%
121.06%
284.26%
3157.98%
4168.51%
5189.57%
6105.32%
72010.64%
83317.55%
92915.43%
103619.15%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS